人の心や知性を貪り食う、残酷な病

 何が起きたか?
 例えるなら洗面器に水を張り、そこに顔をつけ何分我慢できるか? そんなゲームをしていたのかもしれない。楽しさは最初だけ、いつしか、まだ頑張れるになり、いよいよ苦しくなっても顔を上げることができず、もがいていた。自分でもそれを面白がっていられるうちはよかったのだが、顔面蒼白になり気絶寸前に顔を上げてもなお、面白がられているのを知る、また解説され、評価されるのをみて、狂っていた。

 気づいたら、スケープゴートに照準を当てピストルを乱射していた。マシンガンに持ち替え皆殺しにしようか、いっそバズーカにてブログ「戯れ言」もろとも吹き飛ばそうか、とさえ考えた。でも辛うじて何かに引き止められ留まった。もし、狂気に乗じてもろとも吹き飛ばしていたら、トラウマになっていたかもしれない。そんななか平行連晶さんにコメントをもらい、心底救われた。とことんまで気が狂れずにすんだ。落ち着いた。ブログを殺さずにいてよかった。本当に感謝してます。再度礼をいいます。ありがとう。

 いずれにしろ如何なる言い訳をしようが、ブログの信頼は失墜し、愛想をつかされたことだろう。無能で軟弱な管理者(権力者)のなれの果てである。
 それでもこれで良かったと思っている。あの状態をつづけるべきではなかった。仮に有能で小技をつかい上手く続けていたと思うとぞっとする。異常に耐えられなくなった感性を大切にしたい。辛うじて人間として大切なものは保てた。思えば、「人間の世界にようこそ」という前のエントリーも自分で崩壊する感性を誘導していたのかもしれないし、彼女が言った「あなたのほうが檻のなかにいるのではないか?」という言葉に引っかかったのも、正直なところなのだ。
 思えば、彼女の出現も「このブログ」にとっては、必然だったのかもしれない。彼女の意図とは関係なく、それでも多くのことを暴き出したことに間違いはない。

>人の心や知性を貪り食う、残酷な病


 これは平行連晶さんの言葉だが、何かしらずっとひっかかっていた思いが言葉として現された気もする。この病には「人として大切なもの」の欠落を思わせる。ワタシもやはりこの病にかかっていた。思索を目的とするブログが陥りやすい病なのかもしれない。

 一旦狂ったブログを続けても意味がないのかもしれない。
 それでも、やはり続けていこうと思う。いや続けることで変わっていこうと思う。誰か一人でも「変わっていく」ことに賛同してくれる限り。
 もし継続して読む人がいたなら、管理者は無能で、精神が軟弱で、それでも人間でありたいと願う、ただのちっぽけな奴だということは覚えておいてほしい。



 もう誰もコメントをしないと思うが、万が一でも、彼女の書き込みが公開されないよう、しばらくコメントは一旦保留(すぐに公開されません)することにします。




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

愚樵
2014年06月08日 11:21
これからも普通にコメントさせてもらいますよ?

さすがにこのひとつ前は、ね。

終わったことは終わったことです。

...が、まだ終わってないですね。このエントリーでは。
毒多
2014年06月08日 14:54
愚樵さん

まだ、終わりません。サヨっちは総括しなければ終わらせることができません。サヨっちでなくとも、このままでは前に進むことができません。たとえ誰も読んでなくても。

が、とにかく愚樵さんには、まず謝罪しなければならない。
今回の奇っ怪な実験空間(になってしまった)なかで、あなたは、一人その異様さに異議を唱え発し続けた。しかもワタシは彼女の登場以降、直にあなたに会い、あなたの考え・心情を聞いていた。にもかかわらずワタシはあなたの訴えを反故し続けた。そのことは、心から申し訳なく思っている。
すみませんでした。申し訳ありません。

あとのことは以降のエントリーで少しづつ振り返りますが、取り敢えず、とにかく謝罪したかった。
謝罪できて、よかった。

愚樵
2014年06月08日 18:03
毒多さん

謝罪は必要ありませんし、変ですよ。私は傷ついていないし、傷ついてるのは毒多さんだし。

なのに、なぜ、毒多さんは謝罪したいのか?
以前も毒多さんは不要な謝罪をしましたよね?

なぜなんでしょう?
毒多
2014年06月09日 05:45
そうですか。では「あなたへ」の「謝罪」としては撤回します。

ワタシの崩壊した精神を再構築するための個人的なりハビリの一環として放置していただければ結構です。

この記事へのトラックバック