「学童保育は運動か?」…ある親の発言から考えたこと

 学童保育は運動か?って、ワタシのなかの運動的体質はやっぱりここに帰結してしまう。
 突然なんだよ、って思われるかもね。もうすこし丁寧に言うと、今、学童保育所現役の親に、学童保育は運動か? と聞いたとするとどう答えるんだろう?、ってこと。
 おそらく、「そうだ!!」と答えるのは、ほんの一部だと思う。では、多くが「それは違う」と答えるかというと、それもほんの一部で、ほとんどの親はキョトンとして、問いの意味を解さない様な気がするのさ。そんなことない!!という学童もあるのかもしれないが……。そういう学童をつくるのはなかなか難しいんじゃないかなぁ。 (参考)
 こないだ(退所するまえに)区連協の会議へ出席した。
 区連協というは名古屋市学童保育連絡協議会、通称「市連協」の下部組織で、各区にある連絡協議会である。区連協の会議は区下の学童保育所がそれぞれの代表(担当)を送り込み、その担当で構成される。それぞれの担当が市連協の意向を各学童へ伝えたり、各学童からの提案、意見を市連協へあげたりするのが役割なのだろう。で、その会議に(ウチの学童の都合で)ワタシは初めて出席したわけだ。
 会議の半分ぐらいが市連協からの報告で、ほとんどが、この春から始まる名古屋市版放課後子どもプランのモデル事業の経緯という内容だった。まあ、ワタシは区連協会議に初めてでると言ってもほとんどの内容は理解できツッコンでさえいたのだが、その会議が終わる頃に出席者、つまり某学童から派遣された担当よりクレームがでた。

 「区連協会議では、市連協の報告を延々とAさん(担当指導員)とBさん(ベテランの方)がするので面白くない。(所属学童の)担当として2年参加してきたけど、何を言っているか解らないし、来年また新しい親が担当として集ってくるにあたり、さらに解らないと思う。もっと身の丈にあった会議にならないか」

 うーーむ。さて、この発言をどうとらえるか?
 2年間参加してきたのに解らない、ってのは相当問題じゃないのかい? それは担当である彼の問題か?区連協会議の問題か? とかね。でもまあ、彼が本当にいいたかったことは理解しようと思う。というのも来年ワタシが在籍していた学童から派遣(担当する)される在籍2年目(2年生)の親は、今日のような会議では全く理解できず苦悩するのではないか? それは避けてほしい、という危惧もあるわけだ。とは思いながらも、そも市連協から下ろされ区連協で話されている報告や方針が理解されずに各学童にも降りてこないんでは、運動にならへんやろ。いやいや、ちょっとまてよ、実際問題として学童を運動として捉えている親がどれだけいるのかしら、、、とかね。もともと運動と捉えてなくて、現状の学童に満足or我慢できて、行政の言われるままの現状に疑問に感じなければ、2年どころか何年市連協からの報告を聞いても理解できへんのではないか?と思ったり。まあ毎年「1」からの話になる「身の丈にあった会議」じゃ、運動にはならへんよな、ってね(笑)

 まあ上のようを意見をする彼のほかにも、ワタシのいた学童にも熱心に学童を語る区連協会議にうざったさを訴え、ドン引きする親がいる。これがワタシの狭い学童での顔見知りのなかで一人二人でなかった。
 これは「根本の部分でボタンを掛け違えているのではないか?」ということで、ちょっと思索してみたい。

 学童保育所は、運動として制度を勝ち取ってきたという歴史がある。運動であるので、多くの人の同意と理解と連帯が必要とする。また多くの人が集まれば、方針を決め先導しなければならない執行部ができる。この執行部が市連協のわけだな。
 学童創成期からこれまでに先達が多くを勝ち取ってきたが、まだまだ不十分ということで市連協の運動的役割は継続する。だが、先達の努力によって一程、勝ち取られた制度は、既得権として、つまりあるものとして後進の親はその制度に納得し、そののなかで学童を運営しようとする。ここに「運動」という概念はない。おそらくほとんどの新入生の親は、学童が運動体という意識はないだろう。どころか、「運動」という概念さえないのではないか。(ちょっと解りにくいかもしれないので補足するが、例えば今では当たり前にある「保育園」も運動によって勝ち取られたものであるのだけど、今どき保育園に入園するのに「運動」という概念をもって入園する親はいない、といったそんな感じ)。
 市連協にとって学童の現状はまだ過程であり、さらによりよい環境を目指す運動であるが、後進の親にとっては学童は現状そのものであり、それ以上でもそれ以下でもないもの、と、ここで「運動」と「現状受け入れ」の乖離が始まる。とはいえ本当は、運動という意識が全くない親も「学童を運営している」ことで運動をしているのだけどね。その運営(運動)で結構目一杯でアップアップしているのにさらに、意識さえなかった「市連協(区連協)がいうところのさらに上を目指す運動」といわれても大変すぎるわけだな。
 まあ長い歴史のなかで運動が停滞して、マンネリ化しているのかでは彼のような意見がでたり、ドン引きしたりする親がいるのも仕方ないが、この2年といえば「名古屋市版放課後子どもプランの強行推進」というあらたな運動的課題がうまれたなかでの上の発言である。これが現実である。この現実を理解しないまま市連協および区連協は運動をすすめようとしても話が食違っていくばかりなのだ。
 

 で、どうすればいいか、って??……、僭越すぎて言えません。

 
 というか、これは学童に限った問題なのかなぁ。
 なんか、学童以外でもそこかしこで見かける構図のような気がするなぁ。
 いずれにしろ、飼いならされることなく、なぜ社会で子どもを育てて行くことが「運動としての課題」にならなければならないのか!! ということは怒りをもたなきゃならないと思うんだけどね。



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この記事へのコメント

すぺーすのいど
2009年04月03日 19:32
キツいエントリですね…(>_<)

私は個人加盟の労組に入ってますけど、そこも似たような感じですね。
問題が起きる⇒組合に相談・加入⇒解決?完了?⇒組合脱退
総会への参加率は低く、そして執行部はいつも同じ顔ぶれ…(>_<)


学童の市区連協のやり方に問題が無いとは思いませんが、自分達の問題を自分達の問題としてとらえることが出来ない、何処まで行っても人ごととしかとらえられない人がいるのも確かですね。

まあ私自身も自戒せねばならないことですが(^^ゞ

まぁ、人は人、私は私、ひたすら進むしか方法はないですね。きっと。
(^-^)v
dr.stonefly
2009年04月05日 17:25
すぺーすのいど会長、、じゃない副会長、、もういいか(笑)
キツいエントリーですか?
ということは現実がキツいってことかな?
ワタシは結構、というか痛いほど運動よりなので、どちらかというと市(区)連協よりです。すぺーすのいどさんよりでもありますね。でもね、そちらの側の人が現状を把握しなければならない。

>自分達の問題を自分達の問題としてとらえることが出来ない、何処まで行っても人ごととしかとらえられない人がいるのも確かですね。

ではなくて、そういう(出来ない人)の方が多い。多くなってきている。という現状把握をしっかりしないと、最初の部分でボタンを掛け違える。
多分「出来ない人」の方は、「概念」がないので、まずそこの認識することかな。
dr.stonefly
2009年04月05日 17:25
>人は人、私は私、ひたすら進むしか方法はないですね。きっと。
これで行ければ楽なんだけど。別にこれでもいいんですよ。っていうか最後にはこうなるのだろうけど。(ワタシも同じですが)。
やっぱり、どこかで、それでいいのだろうか?という疑問をもってしまいます。おそらくこれでOKにしてしまうと、市連協はともかく、区連協の位置付けはなくなるでしょう。

そう、このエントリーは、区連協の存在価値、というか存続意義を問うたものかもしれません。

すぺーすのいど
2009年04月06日 11:06
キツいですね。
そうです。私の現実がです。
エントリを読んで、あまりにもリアルに想像できるところがキツいですね。

dr.stoneflyさんの行った区連協での「発言」者さんの気持ちも解る気がします。
クレームされた区連協の担当?役員?さんの気持ちも解る気がします。
もちろん、その場にいたdr.stoneflyさんの気持ちも解る気がします。

そして人はそれぞれ違うのですれ違う事自体はしかたないのかな?とも思います。
すぺーすのいど
2009年04月06日 11:06
ではどうすればいいのか?
そんな問題の答えは無いのでしょうね。

ただ、確信して言えるのは「なんとかんらんかなぁ~」「なんとかしたいなぁ~」と思い続けることが必要だ、ということです。これを止めると今後はもう何もおこりません。

そしてもうひとつ、「なんとかしろよ。」という放棄と、「じゃまだ!あっちいけ!」という排除はと、「かんけいない!」という無視はダメだということです。

「発言」者さんは「なんとかんらんかなぁ~」と思ったから「発言」したのは良かったんだけど、それを区連協に「なんとかしろよ。」ってなったからか、その提案を区連協が無視したから、解決から遠ざかってしまったんじゃないですか?
「発言」者さんか区連協が、押し付けあわずに「一緒に考えようか・・・」ってなったらよかったのにね。

「一歩前進!」なんか男子トイレの標語みたいですが、多くの人が自覚してない部分じゃないのかな?
なかなか自覚って難しいんですけどね。だからキツいんですけどね。(>_<)
すぺーすのいど
2009年04月06日 11:07
>人は人、私は私、ひたすら進むしか方法はないですね。きっと。

全然言葉が足りてないですね。ゴメンナサイ。
人を「一歩前進」させることは出来ないから、私が「一歩前進」する。
私が「一歩前進」することで、人が自覚して自ら「一歩前進」するかもしれない。
そして「一歩前進」してくれたらラッキー!なんですね。きっと。
その事の積み重ねが集団の一体感を生み、その一体感をもった集団で進んで行けるのが一番なんですけどね。

この「一歩前進」を躊躇せずにできる力を、子どもたちは「学童保育」で育むことが出来るんじゃないか。
もちろん他でも出来るけど名古屋の「学童保育」でも出来るんじゃないか。
そんなことを考えたりもします。
すぺーすのいど
2009年04月06日 11:07
>・・・区連協の存在価値、というか存続意義を問うたものかもしれません。

市連協にしても区連協にしても、会議で集まるということは「一体感」の最低限の基礎ですね。
基礎がなくなるのは問題と思います。あればこその基礎ですから。

でもそこからさらに何を醸成させていくのか?それはそこに集まる人で決めていくしかないんです。
小さな問題には小さな一体感と少ない人数でも対応できますが、大きな問題には大きな一体感と多くの人数が必要です。
そして一体感の醸成には時間と情報が必要なんです。
dr.stonefly
2009年04月06日 17:31
昔、市民運動の世界に入ったとき、そこは運動という自覚があった。けっこう厳しい言葉が飛び交っていたし、それで成長していった。
今の学童はそういう風ではないでしょうね。
市連協や一部親には運動という意識があっても、受け取る後進のほうにそうした「概念」さえない。まあ、運動として進めなければならないと知っているほうが、「後進に概念さえない」という現実を押さえながら、地道にすすむしかないのかもしれない。というのが一つ。

もうひとつは制度として獲得度合いが大きい「保育園」に入って来る親には、学童よりもさらに「運動という概念」がない。それでも、「民営化」等でほんとに危機と感じたら「裁判闘争」もやってしまう、という事実もある。ということです。
下手な運動体よりも、さらに激しい。これは新鮮で驚きでした。

学童はまさにそういう段階にあると思うのですが、、、うーん。

実は引継ぎのためもう一度だけ区連協の会議にでます。どうなるかな?またここのコメ欄で書いちゃおうかな(笑)
おしだき
2009年04月06日 19:23
こちらでは区連協というものはなく、○○ブロックのブロック会議というものが毎月行われています。各父母会から選出された担当父母が出席し、クラブでの問題や取り組みを和やかな雰囲気の中話し合っていて、解決できない問題や疑問を市連協の会議にかけて頂きます。

市連協の役員はそのブロック長たちであり、当然父母で構成されていますし、毎年違うメンバーになります。なので毎年同じ人が発言することはありません。
市連協の会議には常任役員という、主にOB父母によるボランティアのオブザーバーのような役割の方が取りまとめてくださいます。この方たちが牛耳っているイメージがついてますが、はっきりいって縁の下の力持ちで、現役である方が運動の中心であるべきという考えが見て取れます。
おしだき
2009年04月06日 19:24
時折、常任役員に「署名がんばっても意味ねえじょねえか!どうしてくれる?」などとのたまう輩もいますが、こっちを向いて座って対峙している図式だけで勘違いするのは見苦しいです。
「お前が連協なんだよ」
「みんないるから連協っていうのよ」まあいちいち言いませんが...。

>なぜ社会で子どもを育てて行くことが「運動としての課題」にならなければならないのか!!

同感です。なんだか脱線してきたので、またあらためて書きます。
dr.stonefly
2009年04月07日 08:15

> 市連協の会議には常任役員という、主にOB父母によるボランティアのオブザーバーのような役割の方が取りまとめてくださいます。……。現役である方が運動の中心であるべきという考えが見て取れます。

うん、やっぱり運動なんですよね。でも現役の親に「運動という概念」さえ薄れてきている、というかない。
この根本の意識の相違は、名古屋だけじゃないと思うんですが、時代的なものもあるのかなぁ?

「署名」に関しては、学童だけじゃなく何かつけて槍玉に挙げられますね(笑)。運動の基本っていうか、常套手段というか、昔はワタシ自身も実力行使派だったので、どうも軟弱なイメージがつきまとっていたんですが、最近は認めてます(笑)。
ちゃんと、効果とか、意義とかを確認しないと「またか……」って感じでモチベーションが下がるのも解る気はします。
おしだき
2009年04月07日 09:39
全国に学童保育、昔の言い方なら共同保育?が作り上げられてきた時代と、児童福祉法に位置付けられ、ある意味行き渡った感もある現代では(実際はともかく)、家庭の温度差があるのはしょうがないと感じます。

何しろみんなが同じ方向を見てるとは限らず、「保育料払って保育してもらって当然」と考える人も多いです。そういう方は運動はおろか、父母会にも参加しませんし、以前その手の奥さんと立ち話しした時「学童はほら、宗教みたいだから」と言われ愕然としました。

私個人的にですが学童保育には運動が必要と考えます。たしかに子どもが係わる事業で運動が必要かと、釈然としない感情もありますが、待ったなしです。運動しないとすぐにつぶされちゃうよ。

特に地方分権の大波が最も怖く、都市圏においては深刻ですが、その分仲間も多いはずと確信しています。
dr.stonefly
2009年04月07日 17:05

>「学童はほら、宗教みたいだから」
がははははは、ありがちな揶揄ですね。言ってるほうは、揶揄とも思ってないのでしょうけど……。

結局、痛い目あえば解るでしょ、なんて意地悪をいっても仕方ないので、運動として捉えることができる側の人が、メタの位置にたって自分を含め全体を見渡し把握してから、対応していかなければならない。
本来の前提であった「運動ありき」のそれ以前から始めなければならない、ということでしょう。こえだけでも大変なのですが、偉そうになってはいけないし、高見から物を言ってると悟られてもいけない。優しく、易しく、解る様に教えてあげて、且つ教えてあげているということを悟られてはいけない。

大変だなぁ、、、爆!!

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