「漂流する子どもたち」…豊かな生活って何?

 なんか、NHKクローズアップ現代みたいなタイトルになってしまったな(笑)。
 まあ、取材したわけではないのだけど、ここのとこ偶然違う場所で聞いた同じ内容の話しについて考えてしまった。それがタイトルの内容。ちょっと今の自分の子どももさることながら、自分が子どもだったときを思い出しながら、みなさんに問いかけてみようと思ったわけだ。
 話しの発端は、親が働いていて昼、家に大人がいなくても「学童を辞める子どもが多かったり、最初から学童に入所する子が少ないのだけど、そういう子どもたちは、いったいどうしているか?」ということ。学童というと「共働き」の貧乏臭い家庭の子どもが行くところと思われがちだが、その保育料の高さから、一部には裕福な家庭の子どもがいくところと見られているらしい(爆)。確かに年間25万以上の出費は痛い。ワタシなぞ決して裕福ではないのに……。
 で、その保育料の高さで辞めたり、最初からこなかったりする子どもは、名古屋市の施策で放課後を過ごすことができる「トワイライトスクール」へ行っているのかと思いきや、これがそうでもない。どうも「つまらない」という理由でいってないことが多いとのこと。で、どうするかと言うと、「鍵っ子」(携帯もセットで首から吊す)となり、町中を漂流しているというのだ。
 ある子は公園で、学童の子が公園に遊びにくるのを待って混ざって遊び、ときには、なかなか来ないと学童まで呼びにくるらしい。まあ、これなんかは、学童の子と一緒に遊んでいるのだからいいとしよう(笑)。ただし毎日学童の子が公園へいくわけじゃない。別の子は、友だちの家にもぐり込み、6:30(自分の母が仕事から帰る時間)までなにがなんでも居座る、という。なんとも逞しいのだけど、親同士の関係の悪化が目に見えそうだ。さらには、毎日、自転車で何かを求めてひたすら町中を走り回りつづける子ども、日々冷暖房完備雨もしのげる、シャッピングモールに入り浸る子どもたち、etc.etc……。
 ただ、そうした子どもは一人ではなく、同じ境遇の子どもたちと連るんで時間をつぶす、ということ。という話しを「子どもたちの豊かな放課後」を目指す学童関係者から、「よろしくない」という視点で聞いた。

 ん、よろしくない? と先ず自分の子どもの顔を見ながら考えてみる。
 やはり、よろしくないかな? そうだなぁ……。毎日、友だちを求めて彷徨い、やることを探して彷徨い、果てはショッピングモールでたむろかぁ……。でも、まあ学童もトワもいかず、公園で遊んでいる子どもいるしなぁ、それにしても漂流している子どもが多いというのも事実かもしれないな。
 そういえば? と自分の遠い過去を見つめながら考えてみる。
 ワタシがガキのころも大人から放置されていた。というか放置されていたという意識さえなかった。学童も児童館も子ども会も何もなかった。近所のガキとつるんで裏の里山やら他人の家の軒先やら田んぼやらため池やらで創意工夫して遊んでいたよな。虫をとったり木に登ったり山菜をとったり魚を釣ったり泥団子を投げ合ったり沼に落ちたり崖から滑り落ちたり穴を掘ったり穴に埋まったり……。
 落ちるのが創意工夫とはいわないが、創意工夫のなかには大人がいたら絶対に止められることが多かった。近所のガキがみな用事かなんかで一人ぼっちだったこともあるけど、大人の干渉はなしに、なんとかしていたよな。大人のほうも寛容だった。というか適当だった。まあ、無茶がたたって怪我ばかりしていたのも事実だけどなぁ。でも決して貧相な時間という思いはなかったな。

 てなことを思い出していると、大人が考える「豊かな生活」ってのは、大人が干渉する「豊かな生活」ってことだよな、なんてことも思ってしまう。けんかしても大人が上手にまとめようとする。居場所ってのも、安全、健全、健康的を重視して大人の都合で決めてしまう。秘密基地でさえ大人の監視下にある。創意工夫も、大人が「創意工夫させること」を工夫する。何かつけて至れり尽くせりの「豊かな生活」を大人が求めていく。なるべく失敗しないように。まちがって子どもが失敗しても、その失敗さえもそれを教訓にしようと大人がしむける。失敗が失敗のまま、ただ呆然とうなだれ泣き続けることを放置してくれない。それに、なんといっても大人が目を丸くするような「いたずら」ができない。大人が止めに入るような冒険ができない。全てが「豊かな生活」を規定する大人の範疇でしか遊べない……。

 あらためて考えると、これまでも散々「大人として子どもの豊かな生活を保障すべき」などと言って来たのだが、なんだか言っている自分にも違和感を感じるわけだ。
 何だろう、この違和感は、で、どうしようってんだい?

 振り返る……、
 風景が随分変わったな。
 ワタシの場合は田舎から町に引っ越してしまったから余計感じるのかもしれない。
 この町の子どもの居場所? それって何?
 山も川もない、崖も土手も草むらもない、森も林もない、畑も田んぼもない、みんな大人が奪ってしまった。変わりに与えられたのは、ゲームとネットと情報とコンクリートとアスファルトと整備された児童公園と……、

 もちろんいろいろな子どもがいるだろうね。
 ワタシのように里山が居場所と思わない子どももいるだろうね。
 そうだ、障がい児の子の居場所は大人が用意しなくちゃいけないのかな?
 繁華街に生まれた子どもは繁華街が遊び場かな?
 子どもは、どんな環境でも順応して遊びを見つけるのかな?
 街の隙間に入り込んで冒険するのかな?
 大人が干渉しすぎるのか?
 干渉しなさすぎるのか?
 どうすりゃいい?
 何を守っていけばいい?

 取り敢えず平和と自然は守らなければならいってのは解っているのだけど……。

 それにしても、ほんとうの「子どもにとっての豊かな生活」ってのは、大人が考えだして、規定して、与えるものだろうか? ってのが素朴な疑問に揺れているこの頃。

 

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この記事へのコメント

2008年06月11日 11:12
こんにちは。

 知り合いのフリーライターの人の連載に以下のようなものがあります。
 ここで取り上げられている「ぼくらの町は川っぷち」という歌は、「父さん、母さん、帰るまで、煙突の林で、鬼ごっこ」という歌詞があるように、昭和30年代の「鍵っ子」の歌なんですね。

http://www.poplarbeech.com/showa/showa_003.html

歌詞
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/bokuranomachiwa.html

町工場のある街の路地が遊び場の子どもたちの歌ですね。
すぺーすのいど
2008年06月11日 13:00
いつも難しいお題をありがとうございます!(>_<)
「子どもたちにとっての豊な生活環境とは?」
理想を言葉にするだけなら「干渉は最小限に。保護は最大限に。」かな…
私自信は100%の「学童万歳!」派では無いと思っていますが、少なくともうちの学童の指導員は、この理想を目指していると思います。
学童期の子どもの専門家が、親と手を組んで保育をする、って必要だと思います。
昔の様に学校に行かなくても、子どもは生きて行けない訳じゃない、でも豊かに生きる為には教育は必要だ。
親だけでなく、学童期の保育の専門家に見守られて過ごす生活は、決して貧しくない。確かに居なくても子どもが生きられない訳じゃないけどね。
dr.stonefly
2008年06月11日 16:53
JCJ神奈川支部ブログ様、ご紹介ありがとうございます。
そうです、まさにそんな風景、……ワタシは自分のことを書きましたが、たとえば、矢吹丈がいたよな町のサチたちのような子どもを思い出しながら、彼らは「貧相な生活」をしていたのだろうか? と、ふと思ってしまったわけです。
時代ってのがあるのかなぁ? でも、子ども自体は変わってませんよね。
昭和30年代40年代、あの頃、子どもを取り巻く空気ってのがあるとすると、その空気を大人が奪ってしまったのでしょうか?
金が豊かさを奪ってしまった、ってのは感傷すぎますか?(笑)
dr.stonefly
2008年06月11日 16:53
すぺーすのいど会長、難しいお題にコメントありがとうございます(笑)。
「放課後の豊かな生活」ってセンテンスを、安易に使っている自分に対して、もう一度振り返って、確認しなければならないのじゃないか、というエントリーです。
ちょっと学童から離れて考えています。

>学童期の保育の専門家に見守られて過ごす生活は、決して貧しくない

まあ、確かにそうなんですが、じゃあ昔は「学童期の保育の専門家」がいたかというと、ほとんどいませんよね。で、昔の子どもたちの生活は貧しかったか、というと、そうじゃないと思うんです。「豊か」とか「貧しい」という認識がないまま、子ども自身が豊かにしようとしていた。専門家付きの豊かなレベルからすると、50%か30%かもしれない。でも気づかないままに自分たちでなんとかしようとしていた。 この自分たちでなんとかしよう、というのがとても豊かなことで、専門家がいるとできない、という矛盾をはらんでいる気がする。この辺りから、自分が言っている「放課後の豊かな生活」って、なんなんだろう?という疑問が浮かびました。
dr.stonefly
2008年06月11日 16:54
ひとつは今では、「ネグレクト」って問題があるのかもしれない。そこまでいかなくても大人自身が豊かな心をもてないでいる。社会も自分の子どもさえ、という空気があり、子どもが大人から見えないところにいても「大人に見守られている」という感じがないのかな? それとも不安定な空気のなかでは、すぐにイジメとかになっちゃうのかな。
子どもの豊かな生活ってのは、社会の豊かな生活に、大人の豊かな生活ってのに、直結する気がして、大人が豊かであれば、社会が豊かであれば、大人の目が届かなくても子どもは豊かな生活をおくれると思う、ってのは暴論かな。

学童期の保育の専門家に見守られて過ごす豊かな生活を否定するつもりはなく、ワタシ自身そこを望んでいるのも確かなのだけど、深く考えると、「専門家(大人)に見守られて生活」ってのを、疑問なく肯定することに違和感を感じます。

大人の目が全く届かないときにこそ子どもは成長するような気がします。
dr.stonefly
2008年06月11日 16:56
補足すると、子どもにとっては、「見守られている」という安心感のうえの、目が届かない状態のこと。
ゆうやけぐも
2008年06月11日 22:48
あぁ。これは私も日頃から感じている違和感…というか葛藤ですね(^^;)
漂流している子は確かにいます。お金もかかるからと学童ではなく、児童館のサポートや校庭開放(そちらのトワに似ています)に行く子もいます。公園で何時間もゲームをしている子も。
かと思えば親子とも自由に過ごすことができずに習い事でギシギシな子もいるし。
どの過ごし方が子どもにとっての豊かな時間なのか、分からないし迷います。
で、自分の子ども時代は、やはり好き勝手に遊んでいて、公園すらろくになかったしゲームもなかったけど不自由は感じていなかった(他を知らなかったし^^;)家は留守でも鍵もかけてなかったり、たまに閉め出されても二階によじ登って窓から出入りする子どもだったし(笑)
ただ漂流している子で気になるのは、「今日も結構遊んだぜ!」みたいな顔ではなく、どこか落ちつかなげに見えることで、でもそれもこちらの勝手な憶測かも知れず…。
一般論ですが、子どもが満足した快い疲労感と空腹を抱えて家路につく毎日が「豊かな時間」なのかも…とか。
えあしゃ
2008年06月11日 23:42
あー、dr.stoneflyさんたらイヤな話題を(笑)
そうです、私の子ども時代にも鍵っ子はたくさんいました。でもそういう子たちも交えて、神社の境内で遊んだり、代わりばんこに人の家に遊びに行ったりしてたかな。子どもが家に帰る6時くらいにはたいていの家では親が戻ってきていたから、鍵っ子という意識もあまりなかったような気がします。

いまから考えるとかなり危険なこともしていたんですよね。積み上げられた土管に入りこんだり、使われなくなった地下の下水道を秘密基地にしたり、屋根の上でかくれんぼしたりとかね。2階から飛び降りたことも。

子どもには自由に遊ばせるのが理想と思う一方で、危険な目に遭わせたくないと思う自分もいます。

>子どもにとっては、「見守られている」という安心感のうえの、目が届かない状態

これが理想かもしれない。でも、私はやはり手を離すのがまだコワイんですよね。もう少し大きくなったら、ムスメを信じられるか? やっぱり不安かも。それに犯罪に巻き込まれる可能性はつねに考えなくてはいけないと思います。…ただ、昔も犯罪がなかったわけではないのですよね。
すぺーすのいど
2008年06月12日 00:11
dr.stoneflyさんの言うとおり、子どもに限定した「豊かな生活」なんてナンセンスで、大人も含めた社会全体の問題として解決していかなくてはいけないですよね。
子どもだけ、又は大人だけ「豊かな生活」を実現するなんて不可能です。

何度も言うけど、決して学童保育が完璧なんて思わないけど、複数の保護者と専任の専門家(指導員)が協力して、子育ち子育て出来る環境は、子どもにとっても大人にとっても豊かなんじゃないかな?
そうゆう豊かな環境のヒントが今の学童保育に含まれているように思います。

子どもは何事においても初心者ですから、経験者としての大人がサポートすることで、より豊かな経験や体験をすることが出来ると思います。
すぺーすのいど
2008年06月12日 00:12
それから、私の言いたい「見守る」は決して行動を監視することではありません。
説明しづらいですが、信頼関係っていうか、心の居場所っていうか、繋がりっていうか・・・それを築く、築こうとする、築きたいなぁと思う・・・

そうそう!子どもの中の自己肯定感を引き出す手助けをする事なんじゃないかな?

未来の豊かな生活を思索する時に、昔は良かったとか問題なかったってオチは止めたいと私は思います。
またまた、パズルみたいな文章になりました。(^^ゞ
文章構成力なし!
dr.stonefly
2008年06月12日 08:54
ゆうやけぐもさん

>漂流している子で気になるのは、「今日も結構遊んだぜ!」みたいな顔ではなく、どこか落ちつかなげに見える

ワタシは実際に漂流している子どもをみたことないのですが、何となく予想してました。何が違うんでしょうね。
もしかしたら、疎外感を感じているのかな。
昔を思い出すと随分「暇」だった気がします。遊んでいてい、時間を忘れることはなかったけど、時間に追われることはなかった。今の子どもは忙しいのかな、というのは紋切型かもしれないけれど……。ただ、忙しい子、と暇な子、学童保育の子と、トワの子、塾の子……、親の許可がないと遊びにもいけない「恐ろしいげな町」…、分断されている気はしています。

>快い疲労感と空腹を抱えて家路につく毎日が「豊かな時間」なのかも…

これはいい。子どもの頃を思い出します。
dr.stonefly
2008年06月12日 08:54
えあしゃさん

そういえば思い出しました。近くにバカでかい「庭石」が積んで放置してある、造園会社の石置き場があって、石がでかすぎてランダムに大小の隙間があるんですね。当然のごとく鉄条網をくぐり抜け、石の隙間に入り込んで遊んでました(爆)!!

>犯罪に巻き込まれる可能性はつねに考えなくてはいけないと思います

これが大きいですね。連日おきる信じられないような事件とそれを煽るマスコミ。とても子どもから目を離せるものじゃないですね。
そうした犯罪が起きる「社会」というのを考えたとき、結局はワタシたちにも原因がある、ということになりそうです。

dr.stonefly
2008年06月12日 08:55
すぺーすのいど会長

多少、ノスタルジックな気分にはなっていますが、今を生きるワタシたちには、昔はよかったなぁ、で終わる問題ではないですね(笑)。
ワタシも「学童保育所」の目指そうとしていること、「今」社会で子育てをすることにとっての「よりよい形」ってのを一程認めているんです。
ワタシがこう考えるのは、何度か紹介していますが、加藤繁美の「大人の責任」という本に影響をうけています。
認めたうえでの検証なのです。
「今と昔と何がちがうのか?」
「昔のほうが子どもが自由だったのは『親』が変わったからか?」
「大人によって仕向けられた『自己肯定感』で、いつまでたっても仕向けられないと『自己肯定感』がもてないのか?」
最後のは、ちょっと挑発的ですが、わざとです(笑)。
dr.stonefly
2008年06月12日 08:59
多分このブログでは、ずっとすぺーすのいど会長と同じ論調で述べてきました。でもね、やはり疑問に感じるのです。
たとえば昔とちがうだろう「犯罪」や「交通事故」などの「子育て」そのものの別次元の「危険」がなければ、どうなんだろう?とか。
ネグレクトではなく、自由にさせるのと、設定してあげるのと、どうちがうのか?とか……。
もしかして大人の自己満足ではないのか? とか、過干渉ではないか?とか…、そうじゃないんですよね、解っているんですが、なんか繰り返しになっているな(爆)。すみません。
dr.stonefly
2008年06月12日 09:02
kuronekoアニさん
どうもTBが文字化けしているようで、迷惑かけています。プロバイダーの陰謀かもしれません。
ゆうやけぐも
2008年06月12日 09:21
分断しているのは大人たちかも知れません(自分を含)
地域で生きるより個々の生活を守りたいから、同じ価値観の人しか付き合わないし、
自分の子もそこに囲い込まないと安心できない。
でも子どもたちは親たちの影響を受けながらも、「子ども同士」で共に学ぶ学校に行っているわけで。
親たちが「自分の子」だけを囲い込まずに、せめて同じ学校に通う「子どもたち」と本気で向き合えるかどうか。
その時間や機会や意欲を持てる余裕があるかどうかが子どもたちの豊かな時間に繋がるのかなと思います。

ちなみに漂流している低学年の子は話しかけて一緒に遊ぶと喜んでくれます。
中、高学年の子は…話しかけることが難しい…のは多分自分の子がまだ低学年だからでしょうね^^;
漂流している中学生に気軽に声をかけてもらえるおばさんになるのが理想(笑)
おと~ち
2008年06月12日 11:18
学童に子どもを入れながらも思うのは、本来の放課後の子どもたちの原風景としては「ドラえもん」の「のび太くん」たちであったり「サザエさん」の「カツオくん」たちではないかと。時代背景や他の要因もあって違和感はあるものの(^^;
おと~ち
2008年06月12日 11:28
↑はさておきヾ(^^;)
学童やPTAをやりながら、いろんな子どもたちや親たちを見てきました。
子どもたちは何ら変わらないと思う、私たちの頃(同じにするなって?(^^;って一応昭和40年生まれ(^^;)と。
でも、変わっているのは親たち。
少なくとも学童のこの親たちの発想は、割りと理解できる範疇(学童を全面肯定擁護するわけではないですが)。でも、そうでない親たちは・・・??
今の小学生-もうちょっと上の子たちかな?-の親たちは、少なくとも子どもの時の原風景は↑ではないかと。それはdr.stoneflyさんが本文に書かれていることと同義にしてもいいかな?だけど、それと同じことを我が子に与えている(表現は悪いですが)か、と言えば、決してそうではないですよね。それが、今の「子どもたちの豊かな放課後の生活」を阻害しているように思えて仕方ないです。
漂流もあり秘密基地もありでいいじゃんか。でも漂流も秘密基地も許さない親たちの多いこと。PTAパトロールで親たちといっしょに回るとうんざりしますよ(^^;
おと~ち
2008年06月12日 11:46
私の住んでいるあたりは、空き地や林がまだまだ多く存在している、ある意味、恵まれた環境かと思っています。
PTAとかで平日に小学校から帰宅した子たちを見ますが、公園で遊んでいる子も少ない、空き地や林ではもってのほか。一体どこにいるの?っていつも疑問です。
PTAパトロールで回ると、あの道が危ない、公園の遊具が壊れている、そこまではまぁ理解できる、でも、あの空き地は犬の糞があった、あの林は蛇が出る、秘密基地らしいものがあったからもう作らせないように、などなど、私からしてみれば「だからぁ?」ってな発言が多いこと。
本当に危ないかどうかってことは、いくら教えたって子どもたちが自分で確認しないと理解できないし、その体験から危険感知、危険回避を覚えていくものだと思う。それを最初から拒否し否定し、安全に安全に、って余計なお世話をするから子どもたちはいつまでたっても成長しないと思うんだけどなぁ。
自らが子どもだった頃楽しかったこと夢中になったことを、なぜ我が子にさせようとしないのか、頭の中は「??」でいっぱいです。

ごめんなさい、ちょっと論点ずれてます?(^^;m(__)m
すぺーすのいど
2008年06月12日 12:53
勝手に突っ走りますね(^^ゞ
私の中での大前提は、子どもは大人の保護を必要としているって事です。だから大人は子どもを保護する義務があると思います。
子どもは生まれた時完璧に大人に依存しています。それから徐々に立ち、歩き、排泄…と自立していきます。
目に見える自立は5~6歳には完了してしまします。が、此所からが人間が人間になる為の一番大切な精神と言うかうまい言葉が無いですが、人間としての自立をする時期です。この時期に自立した大人によるサポートが大変重要だと思います。
すぺーすのいど
2008年06月12日 13:05
そしてこの自立の過程が一番時間と手間が掛かるのです。
この重要な過程を、産んだ責任だ!と親に押しつければ良いはずがありません。
だからこそ、ジジババや地域や親の友達や指導員や先生を巻き込むべきなんです。
あちゃ~!休み時間終わってしまった!続きは夜に…
(^^ゞ
dr.stonefly
2008年06月12日 15:18
ゆうやけぐもさん
>分断しているのは大人たちかも知れません(自分を含)
まさにここの認識がどれだけの親に出来るかが問題でしょう。気づかなければ手のうちようがない。
>同じ価値観の人しか付き合わないし、自分の子もそこに囲い込まないと安心できない。
そうです。これです。いつからこうなったのかな? といいながらワタシも自戒しなければならないんですけどね。
だってベネッセやらに踊らされて、早期教育を信条とするような「自分勝手な思い込み」を疑わない親とは付き合えないんだもの。
昔と今のちがい……
昔はみんな貧乏とかみんな中流ってのがよかったのかな?
今は格差社会と自己責任の影響がでてるんですかね。
2008年06月12日 15:20
おと~ち先輩
なんとなく予感はしてたんですが、おと~ち先輩よりちょいと年上でした(笑)。
論点はずれてませんよ。というかエントリーの立て方が論点がいっぱいありそうだからね。
ただ
> 漂流もあり秘密基地もありでいいじゃんか。
の「漂流」はいいのですが、ゆうやけぐもさんが見ているように「漂流して、今日も元気に遊んだぜ、って顔じゃなく、どこか落ち着かなく見える」ってのが、問題なのだと思います。

はっきりいってPTAは「酷い」ですね。
>空き地は犬の糞があった、あの林は蛇が出る、秘密基地らしいものがあったからもう作らせないよう
よく我慢できますね。ワタシなら喧嘩しそうです。といっても、ワタシがPTAに招集されることはないと思います(笑)。(右のURL参照)

危険感知や回避を身をもって習得するってのは、すぺーすのいど会長と議論できるのかな(笑)。ワタシは「オノレで獲得せいよ」派なんですがね。ただ、現実には口を出す事が多いです。木から土の上に落ちても大丈夫のような気がするけど、車に弾かれたら終わるかもしれないですからね。
dr.stonefly
2008年06月12日 15:20
すぺーすのいど会長
夜の書き込みをまってからにします。突っ走ってもらって結構です(笑)。
すぺーすのいど
2008年06月13日 00:03
は~・・・やっと時間が出来た・・・(>_<)
昼間は携帯から打っていたんですが、携帯だと字を並べるのが精一杯で、なかなか文章を組み立てられませんねぇ。ただでさえ、作文能力が無いのに・・・(^^ゞ

全ての子ども達にとって人間らしさを豊かに育みながら成長できる環境ってどんな環境でしょうか?ってお題でしたね。

繰り返しますが、私は子どもは自立するまでの成長の過程において、必ず大人の保護(サポート)を必要とする、との考えています。よって、私の考える子ども達にとっての豊かな環境とは、大人に十分に保護(サポート)される、子ども自身が望む方法で保護(サポート)されると言うことだと思います。

昼間も書きましたが、人間らしさを育むために必要なのは、身体的自立がほぼ完了した後の期間の保護(サポート)でしょう。
この期間の完了は人によってまちまちだと思いますが、早めにほぼ自立する人でも二十歳前後ではないでしょうか?
私自身がほぼ自立したな、と自覚したのは20台半ば過ぎだと思っています。
すぺーすのいど
2008年06月13日 00:04
では保護(サポート)って何でしょうか?
例えば、まだオムツの取れない赤ちゃんにオムツの世話をするのはサポートです。オムツの交換をしないのはネグレクトですね。
まあこんなことは無いとは思いますが、オムツの取れた子どもにオムツの世話をしたりするのは過干渉ですね。(^^ゞ
だから、ある子に必要な保護(サポート)が、別の子には干渉であったりします。逆もしかり、ネグレクトになったりもします。
同じ子でも体調によって、必要な保護(サポート)は変化します。
小学生くらいになれば、普通に過ごしている分にはほっとけば良いと思います。
でも、お互いちょっとしたすれ違いではじまったケンカがこじれたりしたときとか、友達の言った何気ない言葉に傷ついたりしたときとか、どうしてもちょっかい出さずにいられない女の子に「キライ!」と言われたときとか、可愛がっていたカメが死んじゃったときとか・・・・・大人の出番ってまだまだ多いはずです。こんなときに子どもが信頼して相談できる大人がいないとすれば、それは立派なネグレクトだと思います。
すぺーすのいど
2008年06月13日 00:04
私の考える自己肯定感とは、ありのままの自分自身を認められるということです。全く無条件で認められるということです。
よって、誰かによって仕向けられるようなものではありません。

外的環境や親自体の変化について言及されたコメントもありますが、私はあまり関係ないと思います。
たかが日本国内の微々たる変化です。世界を見れば、子どもは草原にもサバンナにもジャングルにも砂漠にも雪原にも高原にも居ますからね。
皆さまにケンカをつもりは毛頭ないですが、もし昔の子どもたちの生活環境が良かったのでしたら、人間らしさを豊かに育める環境だったのなら、その後の日本ももう少しは人間らしい国になってたんじゃないですかね?秋葉原の事件も起こらなかったんじゃないでしょうか?
皆さんにその意図は無いとは確信しますが、保護(サポート)と干渉をごっちゃにするあたり、生活保護の不正受給や給食費不払いを責める論調と似たものを感じるのは、私の考えすぎでしょうか?

やっぱり、纏まりませんでした。m(__)m
dr.stonefly
2008年06月13日 11:30
すぺーすのいど会長がおっしゃることは解ります。多分ここにコメントをされている皆さんも大きくは異論はないでしょう。
そのうえで、ちょっと論点が見えにくくなっているので、かってに規定しちゃいます(笑)。
生活全般で親が子どもに関わって(サポート)していくのは大前提です。次のエントリーでかいた「アキバの容疑者の家庭」のような、ある意味「虐待」ってのとか、ネグレクトってのは別のステージで考えるとします。
dr.stonefly
2008年06月13日 11:31
ここでは、親子の間で、信頼感とか、子どもにとっての自分が認められているという自己肯定感もできているとします(注)。時間も放課後から夕方に限りましょう。夕方、親が、子どもの顔をみたとき、いつもとちょっと様子が違うな、ということで、話しを聞いたり、フォローをしたり、そっとしておいたり、と親として子どもと向き合って関係をつくれているとします。そうした前提において、放課後から夕方までの時間も、学童のような専門の指導員である大人がいたほうがいいのか? 子どもだけでまずいのか? というのが疑問です。もうひとつ規定してしまえば、小学生にとってですね。(これも低学年と高学年では変わってくるかもしれませんが……)
はたして→(注)を前提としましたが、「自分が認められているという自己肯定感」は、放課後から夕方においても指導員のような大人との関わりがいるのか? どうなんだろう、というワタシのなかの葛藤です。
dr.stonefly
2008年06月13日 11:31
環境ですが、みなさんのコメントを読んでいて、ハードとしての環境はあまり関係ないのかな、と思いました。(個人的には山と森と川があって欲しいのですが…(笑))、むしろ子ども同士が分断されているような、または遊んだという満足感が見えないようなとか、あるいは自己肯定感を感じられない子が多い、というソフト面での環境を考えています。そうした環境のなかで大人との関わりが必要なのかな? そうなんだろうな、ワタシも現実には専門の指導員がいる学童にいかせているよな、と思う一方、自分の子どもの頃と何が変わったのだろう?という疑問です。放課後から夕方まで「大人」と関わらずに遊んでいた自分は、満足に育てられなかったのかな、「そんなことないやい!!」という自己肯定も含めて(爆)。

ただ、> 外的環境や親自体の変化について言及されたコメントもありますが、私はあまり関係ないと思います。

親の変化は、けっこう関係あるような気がしますが……。
すぺーすのいど
2008年06月13日 13:01
さすがはブログ主。うまく纏めますね。

さて、指導員の必要性についての疑問はとても解ります。
私は指導員の存在は保険の意義もあるかと思います。
子どもは成長したい願望は強く持っていると思いますが、まぁまっすぐには進んでくれないものですよね。
そんな時にフォローしてくれる大人は複数居た方が良いし、そういうフォローの経験値が高い大人が居れば尚環境としては良いと言えるのではないでしょうか?
昨今の少年事件などでも、容疑者の成長期に日常的に指導員のような第三者が介在できていたら…

ローマ時代から「最近の若いもんは…」ってのがあったらしいです。だからねたぶんね、親も思うほど変わってないんですよ。きっと。(>_<)
dr.stonefly
2008年06月14日 10:13
>さすがはブログ主。うまく纏めますね。

一部のブロガーから不評の、仲良しブログを目指していますから(爆×3)。
親が変わってないとすると、ソフトとしての環境かな?
昔とくらべると「余裕」がなくなっている気がします。
すぺーすのいど
2008年06月14日 10:41
>昔とくらべると「余裕」がなくなっている気がします。
それは思いますね。自分自身に関しても・・・老若男女すべてに関してですが・・・

私の方で書きたいことがケンカしてて、そのまま書いちゃったんですけど、dr.stoneflyさんのレス読んで、すっとケンカが落ち着きました。ありがとうございました。m(__)m
名古屋っ子の親
2008年06月17日 20:55
コメントを書こうか、かなり逡巡したのですが、指導員に対する見方に違和感を覚えたので。
児童福祉法はこうなっています。
「放課後児童健全育成事業とは、(中略)、その保護者が労働等により昼間家庭にいないものに、(中略)適切な遊び及び生活の場を与えて、その健全な育成を図る事業をいう。」
学童保育の指導員は親代わりです。学童保育所は家庭の代わりです。
この点はきちんと押さえるべきではないでしょうか?
dr.stonefly
2008年06月18日 09:14
名古屋っ子の親さん
ちょっと考えていたのですが、たとえ大人の目の届かぬところで遊ぶとしても、学校から家に帰ったときに「ただいま」と言ってから、外へ行き遊ぶのと、誰もいない家に帰り、外へ行って遊ぶのでは、大きく違うのかな、と思いました。

学童と指導員にかんし、重要な点をご指摘ありがとうございます。
ただ、学童在籍年数の短いワタシなどにとっては、理性でそう考えることはできても、感性で受け入れるのはなかなか困難そうです。子どもはどうなのかな? 
もちろん学童を語るとき、学童=家、指導員=親、という前提のうえで語らなければならないというのは理解できます。

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  • AERAの後期高齢者医療制度の記事に異議あり

    Excerpt: 「AERA」の2008年6月16日号なんですけど、『後期高齢者医療 廃止は現役世代に「損」』という、AERA編集部の記者がまとめている記事があります�... Weblog: 村野瀬玲奈の秘書課広報室 racked: 2008-06-12 01:34
  • ???? NHK ?????????????

    Excerpt: �?????NHK?????????????? ??? ?????????????????????????????? ?????????????????????????URL????.. Weblog: ??????? racked: 2008-06-12 01:38
  • 差別(追記・更新あり)

    Excerpt: こんなブログがあるんですよ。 人のことを「白痴」と罵る方を称揚するブログです。 http://taraxacum.seesaa.net/article/100107759.html 地下に眠.. Weblog: そいつは帽子だ! racked: 2008-06-19 22:57