「運動ってなんだ?」…怒りを自ら消すな!!
たとえば市民運動なんかの「市交渉」の場面で、オイラが思い出すのは、青カン(ホームレス)支援の頃の「市交渉」。年に一回なんだけど、毎年、支援と呼ばれるワタシたちが「市交渉」の場を設定して、当該と呼ばれる青カンと一緒に臨んだ。
行政側は、民生を筆頭に、農政緑地、土木、水道、消防、……ほとんどの部署を呼び出しすから行政の担当も20人くらいいたんじゃないのかな。ここで、毎回、嵐が吹き荒れるわけ。
青カンのおっさんらにしてみれば、衣食住をはじめとして命がかかってるから嵐になるのも当然だよね。普段から民生にはコケにされ、公園からは追い出され、救急隊からは粗末にされ……、周りの仲間が路上で死んでいくんだぜ、理論やらの論なんて関係ないし落ち着いてなんかいられやしない、命がけの訴え。
「ざけんな、俺ら死にかけとんねん!! なんでお前らは、公園から追い出すんだ!! どこへ行けというんだ。俺らの命はゴミか!!」ってなもんよ。
行政側と青カン側に長机っていう境界があったからよかったけど、あれ机がなかったら絶対に飛びかかってるね。実際乗り越えようとしたおっさんもいたもんな。オイラだって一応止めるけど、おっさんら飛びかかるのはしょうがないと思う。命がけの訴えだからさ。
まあ、支援ほうは論をたてて責めるんだけど、気持ちはおっさんらと一緒にあった。不誠実な行政は「死ね」と言っているのと同じに見えたからね。
行政相手じゃなくても、オイラたちはずっと吠え続けていた。怒りをもってさ。オイラなんか、その辺の市民もポリコも救急隊員も医者も先生も全部が敵にみえた。きっかけさえあれば通行人にさえ怒鳴りまくってたからね。
でもさ、結局、何も変わらなかったな。そうだよね、正義だろうが正論だろうが、感情にまかせて訴え続けても伝わりはしない。つくらなくていい敵を作ってきたのかもしれないな、という反省はある。
前のエントリーで、なんとなく「怒りの嵐」を冷静にみてたのはこんな訳。不必要に敵をつくらないほうがいいのかも知れない、ってさ。でもよく考えたら「怒る」ところは「怒ってんだぞ」と表さないと「伝わらない」から怒らないと駄目かもしれないな。と、思い直したりもする。まあ、オイラみたいに周りがみんな敵にみえて、いつも怒り通していたってのは全然駄目かもしれないけどね。
オイラが気になったのは、すぺーすのいど会長のコメント。これは、すぺーすのいど会長がたまたまコメントくれたのだけど、多くの人が思っていることかもしれない。正直に言えばオイラだって思ってるもの、オイラは学童に対する思い入れがまだ浅いってこともあるからね。でも、オイラにしても子どもたちのために何かはやらなければならないと思ってるし、すぺーすのいど会長はじめ、あの会場での「怒りに込められた子ども達に対する思い入れ」を感じたくて、こんなブログでもなんとか訴えようと思ってる。
> 僕らに出来ることはあの人たちに「あんまし露骨に進めるのはマズイかな・・・」と思わせることくらいだと思っています。
この後にえりちん大統領さんもコメント頂いたけど、オイラだって、結局は行政の思うままの「くだらない結末」になるのは目に見える。どれだけ運動しようが無駄かもしれない。行政の仕打ちについては過去の経験が甦るしね。このまま、最悪の結果になるかもね。それぐらい今回の敵である名古屋市は強敵だ。でもさ、最初から諦めちゃっていいのかなぁ、とも思う訳さ。>「思わせることくらい」ってさ、大したことできない、ってさ。闘う前に自分で結果を決めちゃうのはどうかな?ってやっぱり思う。
ちょっと厳しい言い方すれば、あの場での「怒り」はそんなもんだったの? その場で爆発すれば諦められる怒りなの?
青カンのおっさんらは、勝てるとか勝てないじゃなくて、仲間が死んでいくのが絶対許せなかったと思うの。その怒りなの。オイラだってそうさ。路上で人間がノタレ死んでいくのが許せなかった。だから訴えずにいられなかった。
辺野古のおじいおばあはどうよ。日本政府とアメリカ政府を相手に闘ってんだぜ。名古屋市どこの騒ぎじゃない。どう見ても勝てやしないさ。でもさ、闘わずにいられないんだよ、あの海のために。故郷のために。絶対にあきらめられないんだよ。
あのB型肝炎に患わされた人々は、こんな国を相手に闘い抜いたんだよ。闘わずにいられなかったのさ。
今、各地で展開されている、どんな運動でもそうさ、クールにみてしまえば国家やら行政やらを相手に勝てるものは少ないさ。でも闘わずにいられないんだよ。
> 僕らに出来ることはあの人たちに「あんまし露骨に進めるのはマズイかな・・・」と思わせることくらい
子どもたちのために闘うって意志がこれじゃ、あまりに悲しくないかい? 賢い考えかもしれないけど、馬鹿なオイラは理解したくないな。すぺーすのいど会長の口から聞きたくなかった、ってのが本音。偉そうに聞こえたらご免よ。
まえにも書いたけど、昔おいらが潰れたみたいに、辺野古のおじいおばあみたいに、B型肝炎で闘った人々みたいに、生活を犠牲にして死ぬ気で闘おうなんていいたいわけじゃない。できることを出来る範囲でやればいいと思ってる。でもね、たとえ負けが見えても、その怒りを諦めちゃ駄目じゃないのか。これから始まるわけだしさ。それに闘いに負けてることがあっても無駄にはならないと思うぜ。オイラたち自身にとっても、子どもたちにとってもさ。
なんだか負け犬が偉そうに言っちまったな。でも前の闘いからドロップアウトして負け犬になったことはオイラのプライドでもある。
「市民運動としての闘い」…それぞれの立ち位置と力量で
行政側は、民生を筆頭に、農政緑地、土木、水道、消防、……ほとんどの部署を呼び出しすから行政の担当も20人くらいいたんじゃないのかな。ここで、毎回、嵐が吹き荒れるわけ。
青カンのおっさんらにしてみれば、衣食住をはじめとして命がかかってるから嵐になるのも当然だよね。普段から民生にはコケにされ、公園からは追い出され、救急隊からは粗末にされ……、周りの仲間が路上で死んでいくんだぜ、理論やらの論なんて関係ないし落ち着いてなんかいられやしない、命がけの訴え。
「ざけんな、俺ら死にかけとんねん!! なんでお前らは、公園から追い出すんだ!! どこへ行けというんだ。俺らの命はゴミか!!」ってなもんよ。
行政側と青カン側に長机っていう境界があったからよかったけど、あれ机がなかったら絶対に飛びかかってるね。実際乗り越えようとしたおっさんもいたもんな。オイラだって一応止めるけど、おっさんら飛びかかるのはしょうがないと思う。命がけの訴えだからさ。
まあ、支援ほうは論をたてて責めるんだけど、気持ちはおっさんらと一緒にあった。不誠実な行政は「死ね」と言っているのと同じに見えたからね。
行政相手じゃなくても、オイラたちはずっと吠え続けていた。怒りをもってさ。オイラなんか、その辺の市民もポリコも救急隊員も医者も先生も全部が敵にみえた。きっかけさえあれば通行人にさえ怒鳴りまくってたからね。
でもさ、結局、何も変わらなかったな。そうだよね、正義だろうが正論だろうが、感情にまかせて訴え続けても伝わりはしない。つくらなくていい敵を作ってきたのかもしれないな、という反省はある。
前のエントリーで、なんとなく「怒りの嵐」を冷静にみてたのはこんな訳。不必要に敵をつくらないほうがいいのかも知れない、ってさ。でもよく考えたら「怒る」ところは「怒ってんだぞ」と表さないと「伝わらない」から怒らないと駄目かもしれないな。と、思い直したりもする。まあ、オイラみたいに周りがみんな敵にみえて、いつも怒り通していたってのは全然駄目かもしれないけどね。
オイラが気になったのは、すぺーすのいど会長のコメント。これは、すぺーすのいど会長がたまたまコメントくれたのだけど、多くの人が思っていることかもしれない。正直に言えばオイラだって思ってるもの、オイラは学童に対する思い入れがまだ浅いってこともあるからね。でも、オイラにしても子どもたちのために何かはやらなければならないと思ってるし、すぺーすのいど会長はじめ、あの会場での「怒りに込められた子ども達に対する思い入れ」を感じたくて、こんなブログでもなんとか訴えようと思ってる。
> 僕らに出来ることはあの人たちに「あんまし露骨に進めるのはマズイかな・・・」と思わせることくらいだと思っています。
この後にえりちん大統領さんもコメント頂いたけど、オイラだって、結局は行政の思うままの「くだらない結末」になるのは目に見える。どれだけ運動しようが無駄かもしれない。行政の仕打ちについては過去の経験が甦るしね。このまま、最悪の結果になるかもね。それぐらい今回の敵である名古屋市は強敵だ。でもさ、最初から諦めちゃっていいのかなぁ、とも思う訳さ。>「思わせることくらい」ってさ、大したことできない、ってさ。闘う前に自分で結果を決めちゃうのはどうかな?ってやっぱり思う。
ちょっと厳しい言い方すれば、あの場での「怒り」はそんなもんだったの? その場で爆発すれば諦められる怒りなの?
青カンのおっさんらは、勝てるとか勝てないじゃなくて、仲間が死んでいくのが絶対許せなかったと思うの。その怒りなの。オイラだってそうさ。路上で人間がノタレ死んでいくのが許せなかった。だから訴えずにいられなかった。
辺野古のおじいおばあはどうよ。日本政府とアメリカ政府を相手に闘ってんだぜ。名古屋市どこの騒ぎじゃない。どう見ても勝てやしないさ。でもさ、闘わずにいられないんだよ、あの海のために。故郷のために。絶対にあきらめられないんだよ。
あのB型肝炎に患わされた人々は、こんな国を相手に闘い抜いたんだよ。闘わずにいられなかったのさ。
今、各地で展開されている、どんな運動でもそうさ、クールにみてしまえば国家やら行政やらを相手に勝てるものは少ないさ。でも闘わずにいられないんだよ。
> 僕らに出来ることはあの人たちに「あんまし露骨に進めるのはマズイかな・・・」と思わせることくらい
子どもたちのために闘うって意志がこれじゃ、あまりに悲しくないかい? 賢い考えかもしれないけど、馬鹿なオイラは理解したくないな。すぺーすのいど会長の口から聞きたくなかった、ってのが本音。偉そうに聞こえたらご免よ。
まえにも書いたけど、昔おいらが潰れたみたいに、辺野古のおじいおばあみたいに、B型肝炎で闘った人々みたいに、生活を犠牲にして死ぬ気で闘おうなんていいたいわけじゃない。できることを出来る範囲でやればいいと思ってる。でもね、たとえ負けが見えても、その怒りを諦めちゃ駄目じゃないのか。これから始まるわけだしさ。それに闘いに負けてることがあっても無駄にはならないと思うぜ。オイラたち自身にとっても、子どもたちにとってもさ。
なんだか負け犬が偉そうに言っちまったな。でも前の闘いからドロップアウトして負け犬になったことはオイラのプライドでもある。
「市民運動としての闘い」…それぞれの立ち位置と力量で
この記事へのコメント
これが、詩 なんだろうなあ。
いい…ぜ。賛成だ!
私はこの委託金の問題こそが名古屋市を足止めさせる方法なのでは無いかと思います。
前にも書きましたが、(提言)が出た時には決まっていた「名古屋市教育スポーツ振興事業団」への委託。どう考えても事業団へお金を流すために考えたプランとしか考えられません。
それならば、そのお金の流れの問題点を徹底的に突っ込んで、流れを弱くできれば少しはダメージ与えられるんじゃないかな?
なんか良い方法ないですかね?
この基本が確立されなければ、子どもたちの生活を守ることは出来ません。
施設の種類や保育の内容など重要な事項もありますが、良い指導員がいなけりゃ話になりません。
逆に良い指導員が継続して働ける学童は良い学童なんです。
昨日、名古屋市は「ゆくゆくは切り替えることになると思う」とはっきり言いました。
これが今働いている指導員の大量解雇のことなのに、名古屋市はまったく意識はありません。
当然再就職対策なんて考えているわけもありません。
私はdr.stoneflyさんがよく言う「運動」ってなんだ?って、前から思っています。
私は「運動」したことが無いと思います。これからもしないんじゃないかなと思います。
わかりませんけど・・・
超長文失礼しました。m(__)m
ちぇっ!! せっかく改行なしでいったのに(爆)
アニさんのブログでの当エントリーの引用、感想ありがとうございました。感謝します。
田中洌さん、応援ありがとう。
>いい…ぜ。
の、「い」と「ぜ」の間の『…」がきになる(笑)
いきなり謝罪です。というか、絶対に謝罪することになるだろうと、エントリーを書きながら思ってました。
お疲れのなかで、ふと漏らしたコメントをことさら取り上げて本当に申し訳ない。会長さんの本音じゃないとは思っていたのですが、自分に対しても確認しなければならないセンテンスだったので、敢えて取り上げました。
2日目の報告有難うございます。しっかり読みました。全て削除するのは辛いので、個人が特定されないだろう部分は残してあります。もしマズければ指摘してください。本当は削除した部分も多くの人に読んでもらいたい内容で、残念です。
それにしても感心しました。1日目に聞いたどの質問よりも「活動家」の切り口だと思います(大笑)
とりたてて「運動」という言葉を使おうとするから構えるのかな。
上のエントリーの繰り返しになりますが、たとえば会長が、「二日目もいかずにいられなかった」ということ、「そこで言わずにいられなかった」ということ、「指導員、子どもたちを見殺しにできない」こと、何かをせずにいられない。取り敢えず説明会へ行き物を言おう、それからどうする、一人ではだめだ仲間をつくろう(今回はすでに仲間がいるが)、どうやって動く? 広く世間に訴えなければ、署名をするか、マスコミをつかうか、デモをするか、裁判闘争をするか?
絶対許せないこと、誰かを見殺しにできないこと、そんなことのために、じっとしていられない動いてしまった。仲間をつくって何かをしようとしていた……、こいうことを振り返ってみると、世間では、それを「運動」と呼んでいた。ということだと思います。「運動」というのがあって、それに乗っ取って何かをすることではないですね。
つまり、会長は既に意識せずに「運動」をしていると思いますよ。
今回はもうワンステップ登った運動になるのだろうけど……
あのような切り口の言葉を残したのは私自身ですから・・・その時はそれも真実だったんですから。
私は性格的に群れるのが結構苦手で、どっちかと言うと一匹オオカミ的性格だと思います。
でも、隣に並んで同じオオカミさんが歩いてくれてれば、それはそれで嬉しかったり、感謝したり、話し込んだりします。
私はここdr.さん家とそこに集まる皆さんの話を見るのが好きだし、勉強になる事も多く、勝手にとても感謝しています。(^^ゞ
これからもよろしくお願いします。
m(__)m
いやね、なんとなく揚げ足取りみたいな後ろめたさを感じたので……。
ワタシもドロップアウトしてからは、一匹のほうがいいと思ってます。でも、一匹負け犬(爆)。
実際、今回の一元化阻止の運動にしても、例えばワタシが市連協の大幹部だとしても、この大所帯でこの難問題の場合、全体での方針の一致などとれるのだろうか?と思います。
まあ、ワタシの場合、ピン(一匹負け犬)で広報みたいなことをやっているわけですが……、これも「運動」だと思ってます。(驚くこと広く世間に訴えているのが、こんないい加減な個人ブログしかない!!)
すぺーすのいど会長も、おと~ち先輩も、名古屋っ子の親さんも、コメントで応えてくれて「共闘」できるのは、嬉しく思ってます。ほんとですよ。