毒多の戯れ言

アクセスカウンタ

zoom RSS 「遺言。」 養老孟司著

<<   作成日時 : 2018/01/19 15:23   >>

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 12

かの養老孟司大先生の「遺言。」なのです。死んでないけど。
これは読まずにはいられません。ということで、読みました。
単純なボクはすぐにインスパイアされ、「青いインクの赤」という短文を書いたのですが、興奮しすぎて流石にちょっとあれやこれや詰め込み過ぎたかな、と自嘲しています。後ろのほうにおまけとして載せておこうかな?
「遺言。」をざっくり言うと、現代人は意識ばかりで感性が置いてけぼりになってないかい?ということだとボクは読み取りました。(とまあ、こうして「言葉」で読後メモを書こうとしていることも「意識」なんですがね、爆。)
「遺言。」では意識優先になるメカニズムが解りやすく説明されているのですが、きっと人が「悩む」ということも、意識ばかりで感性が喪失している、ことと繋がっている気がしてなりません。
「意識と感性」、、、最近読んだ「ふがいない僕は空を見た」も「蜜蜂と遠雷」も「窓ぎわのトットちゃん」も「マチネの終わりに」も全部これがテーマになっている気がするんですね。
多分意識に重きを置きすぎることで、人間としての自然(感性)との齟齬が生じ苦悩に繋がるというのはどんな物語にも通じるテーマなのかもしれません。

苦悩は意識のなかにあり解放は感性のおもむくままに

さて本に戻りますが、どこに焦点をあてて紹介すればいいのか解りません。
引用しだすと全編になってしまい、それはもう引用ではなく写経であり、もう読んでください、と言うしかありませんね。
で、最近ちょっとした会話のなかに「意味のないものってあるのかな?」って言われたのですが、本に書かれていたのでそこを引用してみましょう。

〈以下引用 ……は中略〉

現代生活は感覚が働かないようにできるだけ努める……
オフィスにいたとする。風は吹かない、雨が降らない、温度は一定、臭いは当然しない……床は平坦で硬さはどこも同じ。……
山の中は……風が吹き…小鳥がさえずり、小川が流れ、それが森に反響して、じつにさまざまな音がする。…都市の生活はそうした感覚入力をできるだけ遮断する。
感覚を遮断しているつもりなど毛頭ないという。けれど、なぜかそういう環境を作り中に住み着く。感覚所与を意味のあるものに限定して、いわば最小限にして、世界を意味で満たす。それがヒトの世界、文明世界、都市社会である。それを人々は自然がないと表現する。そこには花鳥風月がない。でも自然はもともとあるもので、あるものはしょうがないのである。意味もクソもない。
…すべてのものに意味がある。都会人が暗黙にそう思うのは当然である。なぜなら周囲に意味のあるものしか置かないからである。しかもそれを日がな一日、見続けているのだから、世界は意味で満たされてしまう。それに慣れきった人たちには、やがて意味のないモノの存在を許さない、というやはり暗黙の思いが生じてくる……


〈以上引用終わり〉

先の会話のなかの「意味のないものってあるのかな?」は、会話の流れからむしろ都市の生活から意味のないものとして遮断されていってしまう「自然への感覚」に対して「意味があるでしょ」と言いたかったと思うので、引用箇所の文意とは真逆ぐらい違うのだけど、それにしても、そうした自然も「意味がある」という結びつけてしまうのは現代人というかヒトなんだろうなぁ、と感じます。
意味、無意味という判断をすることもなく、あるがままに在る、という感じでしょうか。感じるままに感じる、っていうのはもう意味じゃないですね。
また戻りますが、悩みというか、苦悩も「意味がある」というところから生じるのかもしれません。
というのも、「ピダハン」や「ヤノマミ」の部族の暮らし、「逝きし世の面影」の江戸の庶民の暮らし「人生フルーツ」にしても感性に立脚した暮らしに「苦悩」は似つかわしくないですね。
意識、意味に囲まれた都会社会のほうが悩めるヒトも多そうです。

とすると悩みからの解放は「裡なる対話」(意味の探求)よりも「遮断されてきた裡なる自然に戻る」(感性への回帰)のほうがいいのかな?ちょっと解りませんけどね^^;

もちろん意識(意味)も必要です。だって人間だもの。
ほんと人間は自然の生物であり、社会的生物だな、ってね。



おまけ……ww

青いインクの赤

インク壺にペン先をつけ青いインク昇らせ「赤」という字を書いてみる。
と、彼女は「綺麗な碧ね」と呟いた。
アカでしょ、とボクが微笑うと、うねるような濃淡が故郷の海の色に似てると言った。ボクはアカを想起して文字を書いたんだけど。
都会生まれ海のある故郷のないボクにとって何色のインクで書いても「赤」はアカだった。でも、その綺麗な青いインクは碧い波だったなんて、、、
彼女の言葉が遠くなり、一瞬、紙の上の「赤」を形作る数本の青い線がゲシュタルト崩壊し、碧い波にしか見えなくなってしまった。

青いインクの「赤」という線の集まりをみて、夕日のアカでも血のアカでもなく、ましてや赤トンボの背中のアカでもない、そう漠然とアカしか思い浮かばないボクはちょっとツマラナクなる。
「赤」という形状は、漠然としたアカを想起しなさいと教えられた通りに思い浮かべるボクは何かが狂っているのだろうか?
そういえば子ども頃、黒で刷られたテスト「赤」の横には「あか」と書いて丸をもらっていたな。それが正しいと教え込まれたと、ぼんやり思いを巡らせながら青インクの赤に目を落とす。
折角、綺麗なインクの色なのに。
しかもその青が、藍染のアオでもなく瑠璃鳥のアオでもなく故郷の海の色だなんて。

彼女は感性の人で、ボクは意味の人なんだろうか。
都会の学校では、ずっと感性なんて意味のないことって教えられてきた気がする。
モネっていう感性だけの人が描いた絵にも意味を見出すよう解説されたり、ショパンのピアノの調べも言葉で説明された。
生徒は叩き込まれた、同じ意味をもつように、同じ価値をもつようにって。
意味あるものは価値があるものとして取引される。
だから感性にも意味をつけられたないちがいない。
しかもみんなが同じ価値を認めなくちゃならないんだ。
「みんな同じ」が意味であり価値なんだから。

でも感性おおくは道端の雑草のように意味を見い出せなもの、都会では価値のないものとされ、とことん排除された。

学校で徐々にボクの耳は感じなくなり目も鼻も感じなくなり意味に支配された。
雨だれのリズムはただの雨の音になり、青いインクの赤に至ってはアオでさえないアカになってしまった。
意味の世界では彼女は意味のない人として排除されるのだろうか?
それでも彼女だけが「生きている」気がしてならない。
意味なんて必要ない・・・って言えないボクが蒼い波に揺れいていた。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
>なぜなら周囲に意味のあるものしか置かないからである

そうかなぁ?

養老先生がいうところの「意味」というのが奈辺をさしているのかは定かではありませんが、アフォーダンスなものではないということは間違いなさそうです。

>現代生活は感覚が働かないように

これも、そうかなぁ? と思います。というか、感覚が働かないということがちょっと想像がつきません。

身体的なアフォーダンスな感覚を阻害する「(文明的意味」ということは、ありそうだと思います。けれど、だとしても、その阻害に作用しているのもまた感覚だろうと思うんですよ。文明的で後天的な感覚。

人間というものは、成長し学習する生きものだからこそ、後天的に感覚を習得することができる。言語も貨幣も、どちらも後天的な感覚だろうと思うんですよね。
愚慫
2018/01/20 15:06
おはようございます。

ボクはかなり納得しながらすんなり読めたけど、ちょっと養老先生の変わりにレスはできませんね。なにもかも違いすぎます。
それとアフォーダンスなるものが、よくわかってないこともあります。wikiには何度か飛んだのだけど、どうも落てこないんです。

稚拙な読解かもしれませんが、「意識、都市社会」と「感性、自然」と対比させています。意味は前者に入っています。
文明的、言語、貨幣は「感覚」としてではなく前者「意識」のように読後の今は思っています。ぐらいしかレスできませんが、、、すみません。
毒多
2018/01/21 06:22
私の「意味のないものってあるのかな?」の意味、ちゃんと分かってくれていたんですね。よかった、ありがとう。
今思うと、「意味のないものの方が、大事だったり、魅力的だったりするのにね。」と書けば良かったかななんて。

以前言った事があると思いますが、私は言葉にするのが苦手で、文章書けないのって。感じた事を言葉にしたとたん、違う物になってしまうように感じるからなんだって。だから言葉にしないでおこうって思っていました。意味付けもいらないし心にしみていくのを楽しむだけです。
でも、今、言葉にしようとしています。伝えたい人と事があって、言葉を使う以外なさそうだから。
やっぱり言葉は難しいです。「意味」の意味まで気になってきてしまうし、私の「赤」と他の人の「赤」が同じじゃないかもしれないし、悩ましいです。
自分が持ってるものを駆使して、表現する以外ないのだから、何とかこれでお願いしますと、少し甘えてしまおうかと。

感じることより先に意味がきてしまうのは窮屈で不自然だと思うけど、感じたことを何かの必要があって意味付けして上手く表現できるなら、それは私にとっては羨ましいことです。
やっぱり書くのはむずかしい…。でもこれって言い訳かな?(^ ^)
「遺言」、読み終えたらまた聞いてほしいことが山ほどできいるでしょうから、よろしくです。

冬穂
2018/01/22 00:33
言葉は信じるに値しない。

信じるに値するのは、言葉を駆使して表現しようとする人間だ。表現しようと意志こそが信じるに値する。

その意志を、言葉で表現された「意味」の向こうを感じ取る自らの感性でとらえることができるなら、自らもまた信じるに値する。
愚慫
2018/01/22 07:41
冬穂さん、こちらでもコメントありがとうございます。

「意味のないものってあるのかな?」にかんして、ボク自身「そうだね、ないよね」と同意していたあとに、養老さんの本を読んだ経緯があります。
で、上の引用の箇所にあたって、ぼんやり考えていました。
やっぱり、人間の自然部分としては、感じるものを感じるままに感じているだけでいい、、のかもしれませんが、それで全部がいい、っていうのは極端ですね、だって人間だもの、笑。
人間が言葉を得たのも、感じたままでいいと、思わなかったからかもしれません。伝えたい、共感したい、遺したい、とするのが人間でしょう。と、このへんの説明も「遺言。」のなかに載っていたかな??。
言葉が難しいというのは、やはり言葉の向こうに感性があり、それはそれぞれ個々によって違うことの証左かもれませんね。言葉が意味だけを表すなら単純でしょう。感性までたどりつくことが難しい。感性まで辿り着いたら言葉は消滅してもいいのかもしれません。

「遺言。」を読まれているということで、またあれやこれやと、お話できるといいですね^^
毒多
2018/01/22 13:18
愚慫さん、
はい、仰る通りだと思います。
「青いインクの赤」は反発する人はきっと反発するだろうなぁ、と思いながらもUPしてしましました。
ボク自身違和感を感じていましたから。
ボクもどちらかというと言葉で感性を表現したいのタイプの人間だろうと思います。でなければ写真に言葉による歌など添えません、笑。
「青いインクの赤」にしても言葉でできています、爆

言葉の向こうの感覚の、いつしか言葉が崩壊して、純粋に感性に酔えれば楽しいと思っています。
毒多
2018/01/22 13:18
毒多さん、

感性に酔うことが許される非線形な社会。
一見ばらばらで、各々が各々の感性に従って、それぞれに社会を自生的に作り上げていくことが許される〈社会〉。

そうした〈社会〉では、言葉が特定の「意味」にフィックスされることなく、音楽と言葉の境目は曖昧なものになるに違いありません。
愚慫
2018/01/22 15:16
愚慫さん、おはようございます。

非線形な社会、、いいですねぇ。

言葉が伝達手段や記録手段として意味を共用・共有していこうとする働きは「意識・社会」のベクトルとして「在る」と思います。同書でも「同じ」ということがキーワードとして繰り返し登場したのは、「同じ理解」ということが社会では求められている、ということと読みました。
養老さんはそこに偏りすぎることへの批判的に書いていた気がします。

小説はじめ言葉の芸術は、言葉をとおして言葉の意味の向こうの感性を伝える、という「感性・自然」へのベクトルなんだと今更ながら再認識しました。同書のなかでも、「意識・社会」への偏りをブレイクアウトするというか、均衡に戻すのが「芸術」と書かれていた気がします、、、すでに本は旅立ちwwましたので、戻ってきたら再読したいと思っています。
毒多
2018/01/23 08:54
>均衡に戻すのが「芸術」

その方向性は、これまで多くの人が指摘してきたことですね。

芸術もまた、無意識のうちに「意識・社会」への偏りの中に取り込まれているように感じています。「note」で戯れながら、そうしたことを感じている。

そのあたりは、ぼくも『遺言。』に目を通してみてからのことにします。
愚慫
2018/01/23 09:26
う〜ん、noteはねぇ〜、「売れるためのノウハウ」みたいなのが人気あるみたいだからなぁ〜。「意識・社会」ベースのような気がしてしまいます。たまに、感性がくすぐられるものに出会うので、楽しいのですが。
毒多
2018/01/23 13:09
それこそが評価の「軸」なんだと思います。「意識・社会」を下支えしている。

そうした無意識が「人気」という形であふれて出ているのが観察されて面白いです。
愚慫
2018/01/24 07:59
愚慫さん
なんだかね、まだ観察して「面白い」まで達観できてない自分に嗤えます^^; note渦中に身を晒し修行します、爆
毒多
2018/01/24 08:38

コメントする help

ニックネーム
本 文
「遺言。」 養老孟司著 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる