毒多の戯れ言

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zoom RSS どうでもいいことなので、スルーでOK

<<   作成日時 : 2017/06/11 16:33   >>

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私的なことなので特に書くつもりはなかった。

はっきり言ってしまえば、他者の行動や心情をもとに生成される言葉などどうでもいいことなのだろう。とはいえ他者の言葉による自己の思索とそれによる行動や心情が自己にとっては重要であれば話しは別である。
ここにいま書くことが他者にとって重要かどうか? 
とても重要には思えない。よってブログで公表する必要はない。
ただ、これまでブログでお世話になった数人には伝えておきたいと感じたし、それを個別メールで送るには、送られたほうが「で、どうせいっと、いうんだい?」などと苦笑を呼ぶうえに迷惑だと判断し、他者の戯れ言としてスルーできるブログに書こうと思った。

以前ワタシは「思索など道楽だ」と言った。これは重要な言葉足らずである。
正確には「“ワタシの”思索など道楽だ」である。
思索は「生きること」と直結しなければならない。と感じている。「生活」と直結でもかまわない。それはワタシには恐らくかなり厳しく困難なことだろうと薄々知っていた。
例えば、思索により社会を批判する、その社会にのって生きていては、「思索」と「生きる」は直結しているとはいえない。
ワタシは子どもの頃から教えられた「この社会」によって生活している。偶然なのだろうが、ここまではできてしまった。そうした生活をしながら、その生活をかけ離れた「思索」など道楽でしかありえない。ワタシの思索は生活上のことではなく思索上のことなのだ。
とはいえ与えられた型により生活ができていて、それを自ら否定することはやはりなかなか大変なことだと感じる。「与えられた型」が虚構であり、くだらないと思索しようとも、その思索と実際の生きるを直結させるのは、ワタシにとってはかなり困難だったわけだ。
たとえ「逝きし世の面影」の世界観がよいと感じ、ピダハンやヤノマミに生きる本質を感じ、イド君や東田君、天咲心良からニューロティピカルの嘘を知り、サピエンス全史から認知の虚構を考えさせられても、それが思索のための感受では意味がないと、、、ずっと知っていたけれども言えなかった。その対極にワタシの実生活があったからだ。
ずっと以前、青カン支援をしていたころに日雇労組のヤツに「オマエには帰る家がある」といわれたことがあった。生活と支援のダブスタを指摘されたわけだが、そんな感じだ。

実際のワタシの仕事は斜陽産業の一角でチビチビしたことを一人で行っている。それでもあと5,6年このまま続けばいけばなんとか死ぬまで行けるだろう。と考えていた。
別の自分がそれでいいのかいな?と感じていたのは、道楽とはいえ思索してきた成果なのかもしれない。
そんななか、今年の4月になりパタリと仕事の依頼がなくなった。
これも思索の成果かもしれない。「虚構だよな」、、が、顔にでたかな?
それでも、そのうち仕事もあるだろう、とたかを括っていたのだが、GWがすぎても電話ひとつならない。ここにきて動揺した。あと5-6年続けばという思いが突然の終止符かもしれない。
結局5月の終わりまでほとんど仕事の依頼はなかった。
2ヶ月ほとんど仕事をしなかったことはこれまでもなかった。
動揺しまくり、「立て直し」を考えていた。
最近、老齢で廃業する人が仕事を譲ってくれるといった事を思い出した。
スーツの生地の見本をつくる仕事でかなりの収入が見込める。ハッキリ言って儲かる。
でも、やりたくなかった。興味がない。金のためにやりたくない仕事をやろうとは思わなかった。
それを断わらなければよかったと考えるほと動揺していた。
さてどうする? ここにきて雇われることなど考えていなかったが、さてさて新聞配達か警備員か宅配便か、、、、ただただ動揺してきた。
もちろんここまで思索してきたことなど、すべて忘れていた。
2ヶ月を過ぎた5月の終わり頃になって、ふと思い出した。
そういえば、このままでいいのだろうか?
そういえば、思索していたんだよな?
もしかして、これってチャンスなのか?
2ヶ月動揺しつづけてやっと落ち着くことができた。
思索しつづけてきたことを思い出した。いくつもの出来事をとりあげ、何人もの人々を登場させ、何冊もの本をメモしてきたことを思い出した。
危うく、この社会から「外れる」ことを恐れ、つまらぬ生活のまま生きていくところだった。

やっと本当の意味で絶望することができる。
この社会にしがみついている自分にさよならできるかもしれない?
絶望的な状況がなんとなくワクワクしていきている。
絶望は始まりだな、という実感。
とことん社会を見限っても、たかが青カン止まりだった。
しかも青カンにならなければ、見えない世界があることも知っていたんだ。
まあ積極的に青カンになるつもりはないけどね。
さて何をしようか、特にこれと言って何も決まってはいないが、ちゅうか虚構の世の中で決まることはないと思うが、少なくともいままでよりは思索が生きることと重なるような予感がしている。

ほんと私的なことを書こうかどうか迷ったのだが、自分にとって書いてよかった。
言葉にして書いてみることは楽しいことだということも思い出した。

(つづく、、、、かも、笑)

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