毒多の戯れ言

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zoom RSS 「COCORA 2 思春期編」天咲心良著 (生と死)

<<   作成日時 : 2017/02/17 10:56   >>

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やっぱりCOCORA2を開いてしまう。横に別の未読の本があるのに・・・
1の小学校編では感じなかった感覚に支配され。かなり離れがたく感じている。
では、最初っから再読しようかと、読み始めるが初読でかなり頭に入っていて、全部読み直す気にはならない。で、パラパラとベージを捲るのだが、、、

舞台は外国である。「リュウガク」という名のやっかり払いをされた感じ。
受け入れ先は英語圏でホームスティを受け入れることが普通っぽく書かれ、ホームスティ先は考えられないほど広大な土地であり、教会がありゴスペルが歌われ、魚は食わず、ハンティングが普通に行われる・・・漠然とアメリカとして読んでいたのだけど、もしかしたらカナダか、まさかのオーストラリアということもあるかもしれない。どこへも行ったことのないワタシには解らない。

ホームスティ先は4人家族で子どもは2人。17歳の兄と13歳の弟。
COCORA(12歳)はこの家で三度、現代の日本ではありえない動物の「死」と対峙する。
最初はハンティングが趣味だという17歳に「庭先」でライフルの手ほどきを受けているなかで、的がゴルフボールから「何か解らない」ものに変わったのだが、小鳥だとわかってもCOCORAは撃ってしまった。
あとで小鳥を介抱するCOCORAの裡で、後悔する“私”と、導く“声”の対話がつづき「命は的ではない」と納得する。そんななか裡なる「彼女」が登場する。後にCOCORAは「彼女」を「壊れた脳」とするが、ワタシにはちょっと解らず保留としたい。

「彼女」は、
>“生き物”の理解は朧げで“生”が何なのかは、理解できなかった。(中略)「彼女」には「生きている状態」は分かっても“生”はよく分からない。同じように「死んでいる状態」は理解できても“死”は理解できない。だから“生”も“死”も、どちらもぞんざいに扱った

“私”は
>人間とも生き物とも愛し合わなければならないのだと分かっていた。生きとし生ける全てのものを大事にしなければいけない。そんなことは当然のように理解していた。

というなかで、
>「彼女」は、“私”と共有する体を支配し、簡単に命への礼儀を投げ捨て暴挙に及んでしまった。

そして“声”は“私”に対し
>「撃て」と言われたその時に、どう行動すべきか、まず考えなければいけなかった。後から後悔するようなことを繰り返してはダメ。自分がその時「何を考えて行動するか」に責任を保たなければ。

とりあえず、“私”と「彼女」と“声”との関係はこんな感じ。

次の「死」への対峙は、17歳兄が「日本人はウサギを食べるんだろ」といいながらハンティングしたウサギをCOCORAへ持ってきたとき。「食べる」「食べない」の押し問答のあと。「いらないなら捨てる」というホームスティ先の一家にたいし、COCORAの裡の“私”が、
>命は遊び半分に奪っていいものではないのだ。命は奪ったり、奪われたりするもの。だけど、それは生きていく中で、自分の命を繋ぐために行われるものでべきと“私”は信じていた。

ということで、包丁とまな板でCOCORA12歳が捌くことになった・・・

“声”は
>いいよね。何事も経験っていう、その感じ、いいねぇ〜

といい、解体を進めるなかで臓器を掻き出すにあたって、
「彼女」は
>今まで本の中でしか見たことのない「臓器」にあっという間に夢中になった。こんなにいろんなものが体の中に詰まっているのか…「彼女」は何も考えずに不思議に見とれ、ワクワクし始めた。(中略)「彼女」は小さい頃、なぜあの物でしかないはずの「ロボットたち」(=生き物)が動いているのか、不思議でたまらなかった。(中略)心臓や肺が動くから生き物は生き、止まるから生き物は死ぬのだと知った。けれど、「彼女」には“生”は、“命”は、分からない。命を縁どる柔らかな光沢を見ることができない。だから同じように「死」も理解できなかった。“生”と「死」に対して、健全な畏れを持っていなかった。

臓器を掻き出すなかで、うんこを「汚ぁ〜、ありえへん」という「彼女」に対して
“声”は
>その子の命なんだと思っているの? 体のなかにあるものは全部、生きるために必要なもの。生きていた証拠。「命を分けてもらう相手」に、そういう態度ってどうなん? あんたどう思う。

“声”と「彼女」の対話のなかで、少しずつ“私”が戻ってくる。
>ようやく私の中に“命”を知る“私”が戻ってきた。この作業が、命を貰う大変な行為なんど感じられるようになった。(長い中略)もらった命が自分になるんだ。いただいたものが私に繋がって私を生かすんだ。

で、三度目の「死」との対峙になる。
ママと買い物から帰ると、門と玄関を結ぶ道に首のない子牛が逆さに吊るされていた。COCORAが昨日まで草をあげていた子牛だった。17歳兄は子牛の頭をもってきて誇らしげに自分が仕留めたことをCOCORAに見せつけた。ここでも“私”と「彼女」と“声”の三つ巴の、、、

“私”は「彼女」に
>“命”に対して、敬意を払って行動するように言い聞かせる。しかし「彼女」は「面白そう」だからと言う。
「彼女」はまだ、死を悼むことの、本質を知らない。
「彼女」に必死に言い聞かせようとすらが、そうばするほど、私も分からなくなってしまった。
命とは、なんだろう?何がどうなって「生き」て、何がどうなって「死んで」しまうのだろう。なぜ命を宿さないその体に、敬意を払わなければならないのだろうい。私は混乱して、「なぜ命は大事だ」と考えなければならないのか、それすら分からなくなってしまった。


“声”は面白がる「彼女」にたいし
>あんたにも必ず分かるから、感じてみたいなら、感じなさい。感じられるまで、感じればいいわ。

“声”は「彼女」を止めようとする“私”を引き止めた。
>“私”は子牛を可哀想に思っていた。だけど「彼女」はそんな人間的心理を未だに理解していない。
>「彼女」が面白がるようなもの晒されていたりすれば、“私”という感情体を押しのけて、理詰めで理解しようとする「衝動性に取り憑かれた彼女」が場を掻き回してしまう。


そんな「彼女」は「心」の存在を知り、恐れた。
>「彼女」は慌てて「心」の何たるかを知ろうとし、聖書や道徳の本や、医学書や人体模型の中を探して回ったが、どれだけ探しても「心」は欠片すら見つけられなかった。そのうち「彼女」は目に見えない「心」よりも(中略)内蔵や眼や骨格のほうが現実的で好きになった。脳の仕組みを知った。生殖機能を知った。(中略)やがて幼い時に自分が最も恐れた現象「死」がそれらの損傷によってもたらされることを知った時、「彼女」は、「死」を見たくなった。

そんな「彼女」に体をあずけ、「彼女」は好奇心のありったけで子牛の解体作業を見つめる。
>鳥もウサギも、形だけを残してその本質はどこかにへ行ってしまったのだと知った「彼女」は、この肉にもう主はいなくなり、だからこそも「物」でしかないのだと結論付けた。

“私”は「彼女」を分析する。
>本当は、「彼女」もまた「死」を見つめながら「命を知りたい」と、無言の問いかけを繰り返していたのだ。彼女には、どうやっても“命”が理解できない。それが負い目になって、“命”に近づくことができない。だからこそ「死」に触れようとしているのだ。
“命”に向き合えない寂しさが、「彼女」を「死」に駆り立てている。“私”が思う以上に「彼女」は孤独な存在だった。
>だけど彼女は奪ってまで“死”を知ろうとはしなかった。



もうすでに「引用」のしすぎだろう、笑。
引用部分においてワタシのなかでは「自閉症」という言葉が消えている。いや違うかな。中学生にしてここまでオノレの裡を俯瞰できる才能が「自閉症」というなら、特別な人という意味で「自閉症」と新たに意味づけしたい。見えなくていいものが見えてしまい。聞かないほうが楽なものが聞こえてしまう才能においては、辛く苦しみがおおい世界なのだろうな。
死を隠匿し「命」をむさぼる「社会」のなかで、「彼女」すら感じえないことで「生」を感得できるのだろうか、とか、「死」への興味が駆りたてるなか、ウサギや子牛がいなければ、自ら奪うことを厭うこと以上に、、、・・・Aや名大の女学生や・・いや、やめておこう。まだ、ワタシ自身が何も分かっていないのだから。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
う〜ん、COCORAはそんなところまで行ってしまうんですね。

思わず「行ってしまう」と書いてしまいましたが、
普通に書けば「体験する」ということですかね。

〈再編集〉の芽も同時に出てきているように記述されている様子がいいです。

(その「芽」は〈再編集〉後に書き換えられたのだと推測しますけど。)

それはともかく。

毒多さん、楽しそうですね。

「楽しんで本を読んでいる」

のはもちろん、そうなのでしょうけれど

「本を読んで思いを巡らせているオノレ自身(毒多さん自身)を楽しんでいる」

という感じがします。

そういうことなら、ぼくは『COCORA』を読むのは後回しでいいかな?

「毒多さん」を楽しんでからでも、遅くはないでしょう(^o^)
愚慫
2017/02/17 13:01

>COCORAを読むのは後回しでいいかな?

もちろんいつでもかまいせん。てか、全ては自由です。
読んだ時、気が向いたら話題にしてください。
そういう機会があれば、それはちょっと楽しみにしています。
毒多
2017/02/17 16:04

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