毒多の戯れ言

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zoom RSS あけましておめでとうございます

<<   作成日時 : 2017/01/01 15:46   >>

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世界は美しい。捨てたもんじゃない。(2016年に撮った写真のなかからセルフチョイスです。)

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コメント(8件)

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今年もよろしくお願いします♪

毒多さんの写真、自然の風物を撮ったのもすごくいいですが、街中の写真がとてもいいですよね。
以前にも言ったような気がしますが。

何というか、慈しみのようなものを感じます。
アキラ
2017/01/01 23:41
こちらこそお願いします
最近では、以前なら振り向かなかった何でもなものにも愛おしいさみたいな感じを待ちます。こんな事も、新たに何かを始めたいと考えたのかもしれません。
ちゅーか、老い先の短かさを感じたからかも❗、爆
毒多
2017/01/02 07:47
慈しみを感じるというのは、同感。

今年もよろしくお願いします!
愚慫
2017/01/02 12:51
こちらこそ、よろしくお願いします。
どうもカメラの力によって「慈しみ」が感じてもらえるのか?
ファインダーを通さなくても、慈しみの心で、万事を見つめられるようなりたいと思っています^ ^
毒多
2017/01/03 08:50
そもそもファインダーを通さないときの目が、世界を慈しむように見ていなければ、ファインダーを覗いたって こういう瞬間を切りとることはできませんよ。 (^^)
アキラ
2017/01/06 09:33
もちろん、そうですね。元がないものを道具をつかえば生まれるなんてことも稀でしょう。それでも、まあ、感じてみているものに明確に焦点を合わせるみたいな効用があって裸眼だとボケてしまうみたいな感じはあります。それとは別に、
実は「慈しみ」という言葉になんだか“こそばゆい感じ”をもっていて、なんだろうなぁ、と考えると、アキラさんは解ると思うのですが、子どものころ「教会」なるところで聴いた(歌った)♪いつくしみ深き主なるイエスは〜♪という賛美歌を妙に思い出すからかもしれません、笑
毒多
2017/01/06 15:44
えぇ、その意味では「言葉」を介さず 自分の感性を表現できる写真というのが、手段としていいのかもしれませんね。

慈しみ・・・、確かに。 (^o^)
僕は疎外はされてないと思うんですよ。
もしされているとすれば、疎外させているのは自分自身なんだと思います。
アキラ
2017/01/06 23:41
おはようございます。
「疎外」は愚慫さんから出た言葉ですね。
写真から感じるかどうかは置いといて、賛美歌を思い出したことでワタシのなかで「慈しみ」と「疎外」が近づきました、爆!!
慈しみ深き人間イエスがつくった宗教・教会が人間から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること・・・と、辞書の文言に当てはめてみます。
そういえば、ずっと昔、ワタシが教会からはなれたのは、ノンクリスチャンであるワタシは疎外感を非常に感じていたからだと思い出しました。全てのクリスチャン、教会がそうだとはいいませんが、信頼したり親しくなったりすると、突然、疎外を感じる台詞がきかれることが幾度もありました。懐かしいなぁ(遠い目)
・・・まあ、自分自身なのかもしれない、と言われれば、そうかもしれませんね、笑
毒多
2017/01/07 06:57

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