毒多の戯れ言

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zoom RSS 「絶歌」と「ヘイトスピーチ」と「私自身の罪」

<<   作成日時 : 2015/06/20 05:23   >>

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 ネット界隈は、あいかわらず「絶歌」発行と元少年Aへのヒステリックな批判と非難にあふれている。
 私は、思わず「またか・・」とつぶやくワタシに驚いた。え?またか?、何が?
 なんだろうこの既視感。どの追体験なのか?ほどなく思い出した。
 ヘイトスピーチである。
 オノレの感情だけを正しいとし、オノレの問題を他者の問題にすり替え、ところかまわずぶちまける大合唱。
 「でてけ」「きえろ」「しね」・・・
 その大合唱が鼓膜を震わせ、脳髄に響く。息苦しい、心が痛む、苦しい。
 こんなことを言えば、「未読の固定観念」からは、いや違うのだ、在日に対するものはヘイトスピーチだけど、猟奇殺人者へ何を言っても「ヘイト」のわけないだろ、と聞こえてきそうだな。しかし、ちょっとまて、じゃあイルカはどうなのだ? 知能の高いイルカを猟奇するのはどうなんだ、とバッシングする人々もいる、、、いずれもオノレの知る一面が全てで、オノレの嫌悪が唯一絶対の正しいとする正義の集合による大合唱。
 多くは自分の知る一面以外は知ろうとはしない。知りたくないのだ。知ってしまえばどこかでオノレの「正しさ」に疑問を持つかもしれない。万が一にもオノレの憎悪する対象を理解してしまってはオノレの自我が崩壊する。それに大多数が自分と同じなのだから、間違いはない。となる。私は正しいのだぁあああああ。

 とはいうワタシも元少年Aへのそれがヘイトスピーチと全く同類とも思えない。
 人間が対峙する事象はつねに多面で唯一絶対の「正しさ」は「生きて死ぬ」こと以外にはない。この事件はまさに「生死」にかかわる問題なので、揺さぶられるのだろう。ここにヘイトスピーチとは違うものをみている。
 人間の「生死」において在日やイルカ漁に対するヘイトスピーチとは違うというのなら、そこを焦点に当てるなら、一程度理解したい。ただ「印税がどうの」とか「出版がどうの」という嫌悪感の大合唱は在日に対するヘイトスピーチとなんら変わりはない。

 他者を殺した。他者の「生」を終わらせ「死」に至らせた。このことに対する嫌悪感はワタシも感じる。許しがたいし許されることではない。しかし一旦この許されないことを犯せば、絶対に許されることはないのだろうか? まあ許されることはないだろう。オノレでオノレを許されないと想像する。では、許されない自分と闘って生きていくことは許されないのか? 「生きて死ぬ」という真理は、許す、許さないとは別だろう。「生きて」いる以上、どうにかこうにあ「生きる」しかない。オノレの罪と一生闘って生きる、ことさえ許さない、と断罪できるほどワタシは自分を信じてはいない。ワタシにしろワタシの罪と闘いながら生きている。そのことが「生きる」ことかもしれないとさえ思い始めている。このことは彼と同じ。
 元少年Aへの非難の大合唱が、ワタシへの責めに感じる。彼はワタシなのだ。
 
 「絶歌」を読んだ限りでは、元少年Aはオノレの裡なる悪と罪と闘いつづけると読み取れる。実際は違うかもしれない。大衆が羨むように印税で遊び暮らすのかもしれない。でも、それはワタシにとってはどうでもいいことなのだ。既に元少年Aはワタシを揺るがし、ワタシ自身の問題を提起した。ワタシはまたそれに対峙しようと感じた。それが全てである。
 とはいえ、もし、本から読み取れたように元少年Aが真にオノレと闘いつづけるのなら、心は共にいたいと思う。彼はワタシであり、ワタシは彼なのである。 
 

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この手記『絶歌』を通して、私には多くの気づきがありました。幾度も激しく心をゆさぶられました。特にP122〜126、P230〜235、P247〜250、P263〜287、そして「被害者のご家族の皆様へ」。
正直、これほど心が揺らぐとは予想していませんでした。全身が支柱を失い、ぐにゃぐにゃになるような感覚でした。何度か、自分の精神がとても保てないので読むのを断念しかけました。自分がこれほど脆いとは思わなかった。

彼の犯行が世を震撼させたころ、私はとりたてて彼に悪意を持ちませんでした。小児期に残忍で良心の欠如した遊び仲間と関わったり、子供の酷薄さに触れる機会が少なくなかったため、こんな人もいるだろう程度にしか思っていませんでした。ただ…孤独で淋しい、心の壊れた人なんだろうなとは感じていました。
本当に芯から邪悪な人間は、単独でこんな形を通して他者を傷つけるやり方はしない、もっと狡猾で汚らわしいやり口を好むものだとも思っていました。その見方は今も間違っていないと思います。

けれども、それ以外の点では私は大きく読み違えていました。
彼は驚くほど瑞々しい感受性の持ち主で、私が想像していたような「心の傷みを感じにくい」人ではなかった。寧ろその対極に位置する人物だった。
そして、彼自身が後年気付かされたように、自分で思っているよりも遥かに多くの人たちから愛され気遣われている人だった。

彼の告白を通して、私自身が自分でそう思っていたよりも遥かに色々な人たちに愛され気遣われ、助けられて生きてきたことに、改めて気付かされました。元少年Aさんが、それを気付かせてくれました。私はこの、一度は道を踏み外して転落してしまった人間に教えられました。
眞一
2015/06/22 02:10
私は、彼の告白に誠実なもの・真摯なものを感じ取っています。彼の苦悶・絶望とそれに対峙しつつ地を這いながら進もうとする決意を感じ取りました。
償い得ない、背負いきれない重荷に潰されかけながら、なおもそれらを負って生きようとする意思を感じ取りました。

私は彼を信じたいと思います。彼を信じたいと思う自分の感覚を信じたいと思います。何故そう思うのかは、私自身わかりません。
ただ自分の中の何かが、そう言っている。
彼の側に立ちたいと。

最後に…恥ずかしながら、己に課した誓いを破りました。前言が嘘になりました。謝ります。
そして、このコメントは自分の名前で投稿します。そうしたいから。彼も本当は自分の名前で手記を上梓したかったのではないか…私にはそんな気がしています。
眞一
2015/06/22 02:11
追記。

私は今も、人間を憎んでいます。忌み嫌っています。
でもその対象は元少年Aさんのような、一度は道を見失い非道な振る舞いをしたけれども、己を直視して歩もうとする個人ではありません。

私が深く憎み呪うのは…数の中に紛れ、己を安全なところに置き、罪を負った者を言葉の刃で刺し、それを「抗議」「批判」などと謳うような、顔のない連中の振る舞いです。そのように振る舞う人間の、一側面です。
そういった人間の一側面を呪詛し、憎むことは決して止めません。薄汚いものを憎む心を殺したら、私は私ではなくなってしまう。ただし他者に対して「私が憎むものをお前も同じように憎め」と求めたりはしません。
私の感情は私の責任において、私のものです。
眞一
2015/06/22 02:33
眞一さん、コメントありがとうございます。
いただいたコメントを何度も何度も読み直しました。
ワタシ自身も頂いたコメントによって救われた思いです。
本を読み、彼に対し、同じように感じる人がいるということにも救われます。
「絶歌」販売以降、リアルにおいても、未読にもかかわらず、まさに苦悩しあがいている者を刃で差し、その断罪さえも瞬く間に消費され旅行の話題なんかに移る、そんなリアル風景をみるにつけただ暗澹たる気持ちが続いていました。
そんななかのコメントです。
心底ホッとしました。

今回のような人間のもつ振るまいの一側面を呪詛し憎む、これにも同感です。黙っていられないときは、孤立をおそれず発するしかありません。今回のように。
ただ、ワタシはそれほど強くはない。同じように感じている人がいることに勇気づけられます。
コメントありがとうございました。
毒多
2015/06/22 18:33
>私が深く憎み呪うのは…数の中に紛れ、己を安全なところに置き、罪を負った者を言葉の刃で刺し、それを「抗議」「批判」などと謳うような、顔のない連中の振る舞いです。そのように振る舞う人間の、一側面です。
>そういった人間の一側面を呪詛し、憎むことは決して止めません。

すみません。上記コメント、投稿してひと月足らずですが、撤回します。
「〜顔のない連中」の中に、偶然、私のかつて親しかった人物を見つけてしまいました。匿名アカウントですけれどもプロフィールや呟きの内容で彼だと即断できました。

彼は“殺人者が本を書いて上梓できる社会はくるっており、彼(元少年Aさん)を擁護する者もくるっており、◯さんのフォロワーを出してはいけません”という主旨の呟きを投じていました。
私には彼の言葉(=振る舞い)に対して何の憎悪も呪詛の気持ちも生まれませんでした。彼が心の病を患い郷里に戻ったこと、その後の不遇な人生。そして呟きには書かれていない部分……自身の人生観・社会観を綴ったブログを「本」にする夢を抱いたものの、私と対立して袂を分かった後も恐らくブログは本にならずじまいだったこと…。今ではそのブログも放棄されていること。
私はそれら全てを知っていて、その上で彼の呟きを見てしまったからです。
眞一
2015/07/12 13:15
彼の視点では、元少年Aさんの側に立ちたい・元少年Aさんを信じたいという私は「くるっている」ということになります。それに反駁する気は起こりません。伝えたい言葉もない。
心の病に侵され続けた人間は、時に心の陰翳を失い、平板になるように見えます。彼は私が出会った頃とは大きく様変わりしました。本人は気付いていないでしょうが、空間的・時間的に離れていると見えるものがあります。

偶さか「〜顔のない連中」の顔が垣間見えた時、私は彼(の言葉)を憎むことは出来ませんでした。そして、他の「〜顔のない連中」にも、もちろん各々の顔があります。その中には、彼のような苦しい人生を送っている人が少なからずいるのかも知れません。

いま私の心には途方に暮れた、暗然たる心持ちしかありません。
眞一
2015/07/12 13:16
何か、レスをするという類のコメントではありませんね。
読みました、とだけお伝えします。

でも一言。
読了のワタシが感じた「彼の側にたちたい」という眞一さんの言葉が読めてよかったです。ワタシにとっては、同じように感じたという人は、唯一あなただけです。救われます
毒多
2015/07/12 13:16
眞一さん、コメント中に固有名詞があるのは拙いのではないか、という指摘に従い、コメントの当該箇所を改ざんしてしまいました。お断りと行為が前後して申し訳ありません。もし、改ざんしたことで、コメント全体の意味を変えてしまい、コメントそのものの削除を希望されるというようなことがあれば、申し出てください。よろしくお願いします。
毒多
2015/07/13 09:04

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