毒多の戯れ言

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zoom RSS 「国家」已前に「人間が武器を持たずにいられないわけ」という仮説の考察的対話

<<   作成日時 : 2014/04/15 13:39   >>

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(人間は)「国家」という強力な対立軸そのものに気づきもしませんし、解放されそうにありません。ということで真の平和は、無理そうですね。武器、軍隊の全廃による本質的な平和が訪れることはない。
という一程度のエントリー結論を出しましたが、そのエントリーのコメ欄でさらに深化した対話がなされています。ワタシが理解するのに数度にわたり読み直していたのですが、カオスなコメ欄に埋没して読みにくい。なので、肝心な対話部分を抜粋しすっきりさせたいものを再読したいと思います。
「国家」という理由よりさらに根源的なものにより、人間は武器・軍隊を持ちたいのか? についての考察的対話です。
すぺーすのいどさん、の「人間は弱いから」とういう理由をのべたコメントから深化した対話を中心に抜き出します。ワタシ自身のための思索材料であることは言うまでもありません。(コメント頂きました皆様。無許可抜粋と省略転載とアホな毒多自身が理解するための強調と敬称略をお許しください。いろいろごめんね。)

[以下コメントの転載]

《平行連晶》
私は、毒多さんの見解に圧倒的に同意します。国家を内面化する限り、未来永劫暴力からは逃れられません。無謬の暴力から、逃れられない。
私の疑念はその先にあります。一つは愚樵さんが指摘されたように、国家の内面化を解除した時、私達は何をよりどころにすれば良いのか、です。
もう一つは、暴力は一体、どこからやって来たのかという問題が顕れてくるんです。

《アキラ》

僕自身は、何らかの形での「われわれ」の内面化 ≒「われわれ」の維持と、暴力とはセットのような気がしています。
それはそのまま、暴力はなくしようがないのではないか?という疑念につながっています。
もしかしたら、「われ」の維持と暴力とが、そもそもセットのような気もしていたりもします。

《すぺーすのいど》
>人間は暴力的な何かをもっている、、、
というか、人間は元々弱いので、強くなりたいという願望が強いとは思います。
その具現化のひとつは暴力なのでしょうね。
それは仕方ない気もします。
でも人間は人間なのですから暴力中毒になることを防ぐことは可能だと思いたいです。
今はより暴力中毒になるように煽られている気はしますね。

《平行連晶》

>人間は元々弱いので
この意見には、私は異論があります。
人間は、強いんです。
強いから、たった数万年で「頂点捕食者」の地位を揺るぎないものにしてしまった。
奇妙なのは、自分が強いのに弱いと信じ込んでいることです。
獅子も虎も大蛇も、強くなるために努力などしませんが、人間だけが己の強さに飽き足らず、際限なく強くなろうとする。おかげで人間以外の捕食者は、みな絶滅寸前ですよ。人間に保護されて生きている。

では人間は、何に対して自分が「弱い」と感じるのか?
「神」なんじゃないですかね。

そりゃ勝てるわけがないですよ。人間自らが作り出した、最強の虚構なんですから。

《愚樵》
「神」にまで行ってしまうのはどうでしょう? 私はもっと手前の「人間」だと思うんですよね。

最強の虚構と言っておられるので超越神だと考えてよいと思いますが、その「神」との差異はあまりにも大きくて、かえって弱さは埋没してしまいます。「神」の前では弱さに怯えることが無駄なこと。
ここで毒多さんがテーマに据えておられるのところから考えれば、すぺーすのいどさんが提示した弱さは怯えを惹起させるものだ捉えるのが適切ではないでしょうか。弱さから生じる怯えゆえに人間は武器を持ち、軍隊を組織する
言い換えれば、「日本」とは、怯えを隠蔽するための装置です。
(靖国「神」社はそういった装置です)

怯えと対峙するのに、最強の「神」に帰依するというのは有効な方法です。それができる者はそうすればいいと思います。ただ、残念ながらそれをできる者はあまり多くはない。特に現代の日本人には。
最強の「神」ではなくとも、怯えと対峙する方法論を日本人も持っていたのはずなのですが。

《平行連晶》

>手前の「人間」だと思うんですよね

まさに仰る通りです。私は他のエントリに「強力な武器を山のようにかき集めても、己の裡の怯懦は倒せない」と書きました。「怯え」そのものの存在は、肯定します。
それでもなお感じるのは、前述のコメントに書いた通り、人間には恐怖を求め愉しむ面があるという面との、不整合なんですね。
ボルゾイやジャーマンシェパードのような、成人を殺傷する力のある犬を(その力を理解した上で)ペットにして可愛がる「人間」が、一方では犬よりずっと近しいはずの人間を殺すために過剰なまでに武装と兵器開発に勤しむ。

恐怖を愉しめば、いいじゃないか。怯えを愉しめば、いいじゃないか。
人間相手だと、なぜそれが出来ないのか? 

《愚樵》
恐怖を愉しむという感覚は、私はよくわかると自負しています。
自慢ではないですが、私は愚行権を行使する傾向がありまして。生命の恐怖に直面した経験は結構あったりします。
そういう場面で恐怖と同時に感じるのは、「生きている」という感覚です。この感覚があればこそ、恐怖を愉しむことができる。
人間相手にそうした恐怖/生命感を感じる場面もあるでしょう。格闘技なんかをやっておられる方はあるんじゃないかな、と想像します。
けれど、人間が構成する集団すなわち社会が相手となると、恐怖/生命感という感覚を覚える場面というのは想像がつかない。どうしても恐怖は怯えになってしまうような気がします。

ヒトは社会的な動物だということに、深く関連しているのだと思います。

《平行連晶》
>人間が構成する集団すなわち社会が相手となると、恐怖/生命感という感覚を覚える場面というのは想像がつかない。どうしても恐怖は怯えになってしまう

愚樵さんの場合、山岳関連での経験から、恐怖を愉しむという感覚を得ていたのでしょうね。
山屋にせよ、毒もの・危険動物飼育にせよ、対象とダイレクトに接触するというか全感覚的な体験を積むというプロセスは同じものがあるかも知れません。
対象に直に触れ・対象を知るからこそ、恐怖を愉しめる(ホラー/スリラー映画とかは、どうなんだろう)。
では、「人間」に怯えるというその、「人間」とは何か。個体としての人間ではなさそうですね。
顔も分からぬ他者たち。彼らが属する、見知らぬ共同体・社会。そして国家。それはトポスとしての「他者が住まう社会」ではないですよね。自身が作り出したイメージの社会。例えば現実の中国じゃあない。イメージの中の、中国。
結局は怯えを感じる主体が自ら作り出した「虚構」ということに、なりますかね。

アキラさんのコメントを組み替えると、人間が怯える対象は「彼ら/奴ら」ということかも知れません。

でもその「彼ら/奴ら」は、現実に生きている個人個人を指すわけではない。
一人ひとりの名前を持たない、イメージとして仮構された、外部集団。

《愚樵》
そうそう。現実に生きている人間ではない、です。
そういった人間が抱える人間の虚構を私は〈霊〉と呼びますが。怯えをもたらす場合は【悪霊】ですね。
〈霊〉は虚構のくせして、とてもリアルなんです。おまけにすぐにくっつきあって巨大化してしまう。巨大でリアルなんだけど触れることができない。というか、境界線がわからない。
恐怖を愉しむというとき、そこには必ず自然な境界線があります。境界線が自然に際立つから、恐怖を感じながら、その一方で、恐怖を愉しんでいられる。
〈霊〉にだって境界線を設けることはできます。人為的に。毒多さんが「」と表現するもの。こちらの境界線は際立つほどに疑わしく、境界線を保とうとすればするほど疑わしいから目を逸らすことを要請される。
この要請に従うことは狂気だし、狂気に抗うと境界線がぼやけて恐怖に呑まれてしまう。


私は狂気に従うくらいなら、恐怖に呑まれた方がいいと思っています。

《すぺーすのいど》

私は人間の「力」に対する憧れとか欲求を否定するつもりはありません。その欲求の具現化が人類が人類たる所以でもある「道具、ツール」の作成なのでしょう。そしてこの「ツール」によって、人間は本来の能力以上の能力を発揮出来る様になった。そうなったとき、必然的に必要になったのが「理性、自制心」なのではないでしょうか。
私の言う「強い、弱い」はこのことです。


[以上コメント終わり]



人間は「虚構」を生み出し、それに怯え武器を持つ。本来、恐怖(怯え)を楽しむことはできるが、何かにたいしては楽しくことができず実際に怯え武器を持つ。ここでの人間は個々ではなく、われわれ・彼ら・ヤツラという(外部)集団で、集団によって生み出される「虚構」に怯えて武器を持つことになる。・・・となるのかなぁ。

たしかに現実の人間個々は武器を持たない者が多数で、人間は弱いから武器を持つ、とはならない。・・・と、もしかして個人として武器をもたない「日本」人は、共同幻想である「日本」が武器・軍隊を持つことで怯えから逃れ、心の平安を得ているのだろうか?
とすると、「日本」が武器・軍隊を持つのは、どこぞの「外国」(虚構)から「日本」(虚構)を防衛するため、、という理由ではなく、人間集団として心の平安を維持するため?なのか? えええええ〜、がーん。
で、本質的な解決はやはり「日本」(「国家」)という共同幻想的虚構から目を醒ます、しかなくなるとなるのかぁ?


このエントリーはカオスなコメ欄から抽出しを純粋な対話にしたものです。
ここのコメ欄がまたカオスになっては意味をなしません。
お察し下さい。





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コメント(130件)

内 容 ニックネーム/日時
愚樵さん、最後のコメ解りにくいです。
たとえば「日本」とすると、境界線とは何に成りますか?(この質問は変ですか?)
毒多
2014/04/15 13:45
「国家」以前に、でしょうか?
メゾフォルテ
2014/04/16 00:21
毒多さん
別に変な質問ではないと思います。

「日本」でいうなら国境線でしょうか。国境線なんてものは、ないけれどある。人工衛星から地上を眺めても、どこにも国境線なんて見えない。教育を受けた子どもがその事実を知って驚くなんていう笑い話は、何度も繰り返されていることでしょう。

国境線も「国境線」ですね。

で、ここに恐怖があれば?

「国境線」を際立たせようとするのは、怯える人間としては当然の成り行きでしょう。同時に「日本」も際立つ。

私たちは今、この当然の成り行きに批判の目を向けているということですよね。


愚樵
2014/04/16 05:25
>とすると、「日本」が武器・軍隊を持つのは、どこぞの「外国」(虚構)から「日本」(虚構)を防衛するため、、という理由ではなく、人間集団として心の平安を維持するため?なのか?

まさにそれが「まつりごと」です。

人々の心を治めて平安をもたらす。
愚樵
2014/04/16 05:36
メゾフォルテさん
間違いました。ご指摘ありがとう。
毒多
2014/04/16 08:45

愚樵さん

>国境線

はい、おそらく、国境線だろうと読んでいましたが、自信がなかったので確認しました。ちゃんと読めていてよかった。

>心の平安を維持するための武器・軍隊

また、対話を何度か再読した結果、さらに深刻で根源的で解決できなさそうな答に到達してしまいました。
えぇェェェえ!! これなんともならないんじゃないか?? って感じです。orz

>私たちは今、この当然の成り行きに批判の目を向けているということですよね。

ここなんです。
批判しています。ただ、人間の根源的な問題となると批判してどうかなる問題なのだろうか? ということも、ふと考えてしまうのです。だからと言って仕方がないと、諦めてはいけないとは思うのですが、、、難しい。

毒多
2014/04/16 08:45
>「まつりごと」

・・・とは、「祀り」?「祭り」?「政治」?
古代においては全て同じってのを考察したいわけではありません。現代において、軍隊を消失する方法(不可能であっても)を思索したい。
現代では「政治」とは離れた「祀り」「祭り」は、心の平安を維持するために熱狂するってはなんとなく分かります。同じ構造で「政治」も心の平安を維持するためのもの、、、そこから派生して軍隊を持つ、、となる。
とすると、なんやかんやで「政治」に熱中している、いわゆる「政治ブログ」などは軍拡を補完している、となってしまうのか?
若者の「政治」離れが進んでいるのは、若者の心の平安にとっては良くないのか? しかし一方で、それは軍事消滅には良い傾向なのだろうか?
若者の「政治」離れを問題だとする心理は、「われ・われ」の「虚構」の規模が縮小することで、「われ・われ」の心の平安が脆弱化するとうことだろうか?

う〜ん、疑問はつぎつぎでてくる。

そうだ、「虚構」にたよらない「心の平安」を得ればいいのではないか、、、というのはどうでしょう?
あ、それが愚樵さんの言われる「昔の日本ではできていた」ex.狐にダマされること、、、に繋がるのか?

毒多
2014/04/16 08:46
平行連晶さんが言う、
「恐怖を愉しめばいいのに」というところにも繋がるのかな。
毒多
2014/04/16 08:48
題名、まだ違ってるふうですよ。 (^o^)
アキラ
2014/04/16 09:13
自分自身のこと、あるいは自分の家族のことに置き換えてみると 考えやすいんじゃないでしょうか。

自身が外的な圧力によって消滅してしまうことを厭わなければ、武術や護身術や武器的道具のような「力」を持つことは必要ないと思うんですよね。
あるいはそういう「力」を行使したくなくて、かつ消滅したくなくて、かつ己の尊厳を保ちたければ、非常に高度で有効な外交手腕を身につけて使いこなす必要がある。

自身が外的な圧力によって消滅してしまうことはよくても、では自分の家族の消滅はどうか?
連れ合いがヤラれちまってもよしとできるか、子どもがヤラれちまってもよしとできるか。
ここに解決の方法が見つかれば、それをより大きな集団に対して演繹することができるんじゃないか?と僕は単純に思ってます。

思ってるんですが、自分自身は答えを見つけられません。
不可能のように思われるんですね、どうしても。

で、『カンタ・ティモーレ』が普遍化できるか?、自分にそれができるか?って話なんですよね、多分。
僕は 観てないわけですが。 (^_^;)
アキラ
2014/04/16 09:22
題名をわざと間違えるというのは・・・・
「釣り」ですよっていうことなんでしょうか。
婆が釣れたとか

自己肯定魚ならぬ自意識過剰魚になってバタついた
ふり という役割?
メゾフォルテ
2014/04/16 11:12
ネット空間での議論のあり方を模索中のようです。

私の書き込みは、お茶出しのようなものですので
どうぞ気になさらずに。
メゾフォルテ
2014/04/16 11:16
確かに、威嚇というものは技術が必要のようです☆
勉強になります。
しかしまた、威嚇よりも効果的な方法も考えていく必要があるでしょうね。
タダでできる国防のあり方
を借金だらけの国の防衛省は考える必要がありそうです。
メゾフォルテ
2014/04/16 11:23
メゾフォルテさん
アキラさん

タイトルの「已前」ですが、「依然」は完全に使用ミスなんですが、タイトルのような使い方のときの「以前」がワタシの感覚ではピントこないんです。なので、仕方ないので「以前」と同じ意味なんですが、「已前」を使ってみました。個人的な拘りなんですが、、、ツリとか、そんな意図はありませんのでご理解ください。

毒多
2014/04/16 13:07
アキラさん

エントリーの対話では、外圧がなくても人間集団は、心の平安のために武器をもたざる得ない、、みたいな話になっていますよね。
「われ・われ」である限り武器を持つことになる、に繋がる、ということで、ワタシは不思議な気持ちですが、取り敢えずの納得をしました。
でも、「われ・われ」のなかでも、それで心の平安を得ているなんて認識はないし、発想もない。なので、具体的に外圧・外部団体・敵があるという「虚構」を創りだして「整合性」を得ているのではないか、ということになる。ときにその「虚構」が事実であると勘違いして、ほんとに戦争になる。みたいなことを考えていました。

でも、まあ、東ティモールみたいなところにも、実際の武力が行使されるわけだし、虚構によって武力があり、戦争そのものも虚構だ、、、とは、ならないのかなぁ、、、まだその辺、ワタシ自身理解不足です。

東ティモールでは、、、、独立(平和)を勝ち取るのに多大の犠牲を払ったが犠牲は仕方ない、、、、みたいな発言がありました。個々の命というより、連綿と受け継がれる命、民の命は受け継がれずっと生きている、、、みたいな思想があるようです。なので、個人とその家族、個々の命が命であるという近代国家の発想とは何か違う気もしています。

毒多
2014/04/16 13:07
軍隊が心の平安を維持するための装置というのは誤解です。あるいは、表面的に維持するための装置となら言い得るかもしれない。

そういう装置は日本の場合は、靖国なんでしょう。

軍隊とか靖国とか、こういったものは、怯えを隠蔽するための装置です。怯えを隠蔽して、平安に見せかけるだけ。

だってそうでしょう。軍がその力を発動したら、膨大な絶望が生み出されることになるのだから。

人々が軍隊のようなもの、あるいは暴力を振るってもよい根拠となる「日本」のようなものを求めるのは、もともと心の中に怯えがあるからです。怯えの隠蔽を求めているからです。

だとすれば、「まつりごと=政治」の任務とは何か? 人々の怯えを取り除き、心の平安をもたらすことでしょう。
愚樵
2014/04/16 13:15
「自身が外的な圧力によって消滅してしまうことをよしとできるか。
 連れ合いがヤラれちまってもよしとできるか。
 子どもがヤラれちまってもよしとできるか。」

東ティモールの人たちは、これをよしとする決意と覚悟を皆ですることができたのでしょう。

で、毒多さんはそれができますか?
あるいは、僕はそれができるだろうか?という話なんだと思うんです。
できますか?

あるいは、「外的な圧力」というのは「虚構」であって、そんなものは実際にはない・・と想い切ることができますか?
アキラ
2014/04/16 16:44
強力な兵器を持ったとして、使う側にも怯えというものが生じるのだと思います。
弱小国としては、想像力の喚起ということも大事でしょうね。核兵器に対してひとり横笛を吹く、そういう努力も効果的かもしれません。(三島由紀夫の小説からのパクリですけど。)
メゾフォルテ
2014/04/16 16:58
出発点を現在に置くということは大事ではないかと思います。ゼロの状態でどうあるべきか、では議論のための議論になってしまう場合があります。
メゾフォルテ
2014/04/16 17:01
愚樵さん

愚樵さんへコメをツラツラと考えていましたが、その間にアキラさんのカウンターパンチが繰り出されてしまい、それどころではななくなりました。ちょくちょくパンチを繰り出す愚樵さんとちがい(笑)、初めてのキレキレパンチは効きます。

ちょいとノーガードで受け止めてきますので、続きはのちほどでお願いします。

グッドタイミングで強烈パンチを繰り出す素敵なヤツと知り合うことができてよかったと、感謝してます

毒多
2014/04/16 18:12
アキラさん

とりあえず、今、10kmほど走ってきました。
で、

>連れ合いがヤラれちまってもよしとできるか。
出来ません。

>子どもがヤラれちまってもよしとできるか
出来ません。

>「外的な圧力」というのは「虚構」であって、そんなものは実際にはない・・と想い切ることができますか?
出来ません。

>「日本」で東ティモールのようなやり方でコンセンサスがとれると思うのか?
まったく不可能だと思います。

これが現実です。否定いたしません。

仰るとおりです。なんの反論もガードも致しません。カウンターパンチをしかと受け止めます。

さらに、アキラさんがこのようなことを言いたいわけではない、と知っていますが、、、ついでに、

>毒多はオノレの怯えを誤魔化すために言葉だけを重ねているのではないか?
はい、否定できません。


ほぼ、「日本」と「世界」のリアルな現実をまえにしては、では意味をなさいないブログであると自覚しています。
ではリアルな現実に即してそれを是認したうえで、政治ブログのようにリアルな解決策でもごまかしの解決策を模索できるか、とえいば、できません。
如何ともし難いリアルに対して意味をなさなくとも、ワタシには根源的な思索をするしかできません。リアル世界にとって意味がなくても、ワタシにとっては意味がないことではないと信じています。

ただ、思索することで自分(の弱さ)を誤魔化さないよう、気をつけますが、図にのっているところを見たら叩きのめして下さい。
期待しています。

毒多
2014/04/16 18:12
いや、
如何ともし難い現実にも、何とか抗いがたいという気持ちは持っています。
毒多
2014/04/16 18:14
アキラさんの問いは架空のものですよね。架空なんだけど、架空と現実の間の境界線が曖昧。

曖昧だから、半ば現実のものとして、オノレに問いかけることになるります。

ここに境界線を際立たせる。すなわち、架空を現実にさせない。そのためには? ひとつの答えは「国防」でしょう。

ありもしないリスクではないではないけれども、そのリスクがあることを前提として、そこに境界線を際立たせようとすると、狂気に堕ちる。

現実になる可能性は否定できないとはいえ、架空の恐怖。そんなものは勝てないほうがいいでしょう。
愚樵
2014/04/16 20:19
はい、
「毒多さんは、オノレの怯えを誤魔化すために言葉だけを重ねているのではないのですか?」
ということを言いたいわけでは、もちろんありません。
(^_^;)

そうして、愚樵さんの仰るように、僕の問いは架空のものなのですけれど、でもオノレに問いかけるものとしては すごくリアルですよね。

このエントリーにまとめられた話の中で、ポイントになっていそうなのが、怯え・怖れ・恐怖 あたりでしょう?
では それは、どのあたりに端を発して湧き出てくるものなのか?ということが、このような問いをオノレに問いかけることで、わりと明らかになってくると思うんです。

で、明らかになってくると、その先をまた思考錯誤(ママ)できるわけで、僕自身はこの先のうまい解決方法、あるいは落としどころを まだうまく想像できないのですが、みなで考えていると、何かすごいいいアイデアも出てきそうな気がするんです。
アキラ
2014/04/16 22:27
そこを踏まえると、毒多さんの思索の方向にはとても意味があると思うんです。

毒多さんが思索していきたいであろう、暴力が暴力として機能してしまう その「根幹」というか、その「始まり」というか、そこのところをしっかり見ていかないままに、国家とか国防とかワアワア言ったって それこそがゴマカシだと思うんですよね。
何の解決にもならない。
アキラ
2014/04/16 22:52
コメントを読んでいて、1995年の記憶がふと蘇りました。
その年の3月、丸の内線・日比谷線でいわゆる「地下鉄サリン事件」が起き、当時の営団地下鉄を利用して現場に比較的近い会社へ通っていた私は、「こんな間近で化学テロが起きるんだな」とスリリングな気分になりました。ゾクッとしつつ、ある種の高揚感も憶えていた。

数か月後、ある噂が都内で流れました。
その月の週末にオウムが歌舞伎町でサリンを散布するという、噂。出所は不明ですが誰からともなくそんな流言が伝わってきました。

私、オウムがテロを行うとされた当日に、歌舞伎町に行きました。あることを確認したくて。
一つは、当日サリンが撒かれることは恐らくないだろうという私的な推測が正しいかを確かめるため。地下鉄サリン事件でも前年の松本でも、オウムによる事前の予告はなかった以上、まずガセであろうとみたわけです。
もう一つは、ほぼガセと思われる噂に対して、都民がどう反応するかです。これについても、おおよその予想は付きました。

当日の歌舞伎町。
週末の昼間にも関わらず、コマ劇場前はまるで夜明け前。クラブイベント明けの午前4時、リキッドルーム(当時コマ劇場前にあった)からはけた時に眺める光景のようでした。
人はまばらで、ひっそり閑としたありさま。

オウムという実在の集団による実際の犯行と、根も葉もない飛語が繋がった時、都民はこういう「行動」を選んだということです。

当日歌舞伎町を避けた人たちは、その日自分たちが何を恐れ、どう行動したかをすでに忘れ去っていることでしょう。
平行連晶
2014/04/16 23:39
私は、その人のことをたぶん忘れない。人は、何かを恐れる。愚樵さん風に言えば、怯える。
しかしその恐怖が今まさに己が直面している危険から齎されているものかどうかは、多数の人にとってはさして問題ではない。そのように、自分が感じている恐怖と分析的に向き合うという習性を、多くの人は持たない。
平行連晶
2014/04/16 23:40
訂正。
その人のことを→その日のことを。

この先は、あまり楽しくない推測になります。

私、思うんです。
なぜ、その日にオウムが歌舞伎町にサリンを散布するという噂が流れたのか。その噂は、人々のどんな心性に則って広まったのか。

そして、当日歌舞伎町に行かなかった人たちのこと。至極単純な推測。
彼らは、歌舞伎町にサリンが撒かれると予想したから、行かなかった。

(各人、程度の差はあれ)サリンが撒かれると信じた。オウムがテロを起こすと、信じた。

この、「信じた」が、引っかかってるんです。
信じた人たちは、心のどこかでオウムがサリンを撒くことを期待したんじゃないのか。
圧倒的な暴力が作動する瞬間を、期待したんじゃないのか。

私が折に触れて「人間をあまり信じない」というのは、そういう懐疑が根っこにあるからです。
嫌な話で、ごめんなさいね。
平行連晶
2014/04/16 23:57
「ツール」を作るのは人間で「ツール」を使うのも人間。「ツール」は人間に使われて初めて役に立つが、「ツール」と人間は一体では無く、明確に区別すべきものである。
「ツール」と自分自身との区別が曖昧になった時に事故が起こる。
更に「ツール」に自分自身が使われるようになってしまうと悲劇が起きる。
すぺーすのいど
2014/04/17 01:03
平行連晶さんの懐疑は一理あると思います。
これも「境界線問題」ですね。

人々が暴発を期待していた。けれど、もし(これはアキラさんの問いかけですが)、その暴発に自分の知人が巻き込まれたりすると、期待がひっくり返って後悔になったりします。

見ず知らずの他人と知人との差異は、「境界線」です。知人との間には自然な「境界線」がある。他人の間にはない。

「境界線」がないと恐怖が垣根を越えてやってくる。逆に、期待も境界線を越えてしまう。

「暴発」が架空なのは明かだけど、それを想像したアタマのなかには間違いなく、ある。「あること」をあると認めるのは、自己肯定ですからね。

こういう現象は、今話題になっているところでいいますと、STAP騒動なんかもそうですね。騒動を取り巻いている多くの野次馬は、STAP細胞なる架空のものを自身のアタマの想像とした。「暴発」を期待したのと同じ人々です。人々は自己肯定したいがためにSTAP細胞を信じたい。

自己肯定そのものは良いことですね。
愚樵
2014/04/17 08:30
うーん、愚樵さんの言う「境界線」をまだ把握しきれてないなぁ・・

アキラさんの問いかけに話を戻しますが、アキラさんの「架空」の問いかけの答は、現実を想定して自分に問いた「出来ません」です。
この「出来ません」と答えるにあたって(10km走った以外に)したことは、例えば光市の母子殺人事件の想起であり、袴田さんが疑われた一家殺人事件などが自分の身におきたという想像です。ここでの想像は「現実」か「架空」か、、、いずれにしろ、そこにあるのは「怯え」です。
再度ワタシにも「怯え」があることを確認します。
「架空」か「現実」か、夢か現か・・・
「日本」にある世帯数からする一家殺人事件の被害世帯数の比率でいけば、限りなく0%に近いとは思うのですが、0ではありません。稀ゆえにマスコミの取り上げ方も煽るものになるゆえに、滑稽であっても必要以上に「怯え」ている自分がいます。ここでは、平行連晶さんの言う「>圧倒的な暴力が作動する瞬間への期待」を余り感じていません。と、・・・これは境界線でいうとどういうことなのか?

ただ、人間には平行連晶さんが言う火事場の野次馬的な本性があることは感じています。平行連晶さんが言い当てる、サリンが巻かれることを期待する本性のような世間的にはダメだ(非人間だ)とされている本音をいいますと、ドッグヴィルのラストシーン:目を覆いたくなるはずの圧倒的な権力を行使するシーンにある種の爽快感を覚えたり(これは観てない人には解りにくいなww)、はっきり言ってしまえば大洪水の実況中継に何か圧倒的な恐怖以外の非常識な高揚感を感じてしまったり、、、、ここでの境界線とは?

話がいったりきたりしますが、、、、

毒多
2014/04/17 11:34
話がいったりきたりしますが、、、、

アキラさんの問いかけで思い出したのは、友人宅のリビングに「木刀」がおいてあったときのことです。窃盗に出くわしてしまって強盗に化したときの護身(あるいは過剰防衛)用だそうです。他の友人は、目につきやすく分かりやすいテーブルのうえなどに10万円をいれた茶封筒をセットしていく、つまり致命的にとことん荒らされることなく、とっとと引き上げてもらう、というもの。
この演繹ということでは国家は同じことをやっているのかもしれません。
ワタシはどちらも笑えませんでしたが、自分ではやってません。
自分の家では起きない、とは思えませんが、何かが違う、と感じているからかもしれません。・・・・ここの境界線は?

もしや、ワタシは最初から「境界線」はダメなもの、という頭で考えていたから解りにくいのか、、、「境界線」が良い、悪い、と判断を前提に考えていたから解りにくいのか、、、、はたして「自然な」境界線、と「人為的な」強化線を混同しているから理解できないのか?・・・再度考えてみますが、手間をかけますが、もう少しヒントを・・・

毒多
2014/04/17 11:35
私のような人間は、自己否定というのがわからないんです。婆というのは現実には存在が否定されまくりなんですが、自分まで否定してどーなると思いますね。
自己否定という言葉が流行り出したときに日本の危機があった、とも勘繰られる?
メゾフォルテ
2014/04/17 11:39
同様に「境界線」という漠然とした言葉を効果的に使うことができるのかもしれません。
肯定するにしても否定するにしても、言葉巧みに煽ることはできそうです。
メゾフォルテ
2014/04/17 11:45
最近の国際情勢を見るにつけ、煽りには強くなる必要があると思います。そのうえで、あきらめずに上手に主張することだと思います。

日本には先人たちのお手本がたくさんある
反面教師もたくさんいる
これはほんとうに心強いことです。
メゾフォルテ
2014/04/17 11:52
境界線をもっと細分化し例を挙げていくような思考法がいるんではありませんか?
手前味噌で申し訳ありませんが、数学が苦手な女子高生の授業で、私の例をたくさん挙げての説明がわかり易いといわれた経験があるんですね。
定義や定理だけじゃ、ちんぷんかんぷんだとおもいますからね。
メゾフォルテ
2014/04/17 12:00
毒多さん、大丈夫です。
僕も愚樵さんの言う「境界線」が今イチよく分かってないです。 (^o^)
ボチボチ分かるのかな?と期待しつつ。

自然な境界線というのは、「個体」といったような物理的な境界線でしょうから、それ以外のものは、愚樵さん言うところの〈霊〉における「われ」とか「われわれ」とかを(自ら)括る境界面みたいなものを指してるんでしょうかね?

あと、平行連晶さんの仰る「圧倒的な暴力が作動する瞬間を、期待したんじゃないのか」というの、すごい分かる気がします。
アキラ
2014/04/17 12:14
あ、分かってきたぞ。
「虚構」は境界線がないんだ。
で、「虚構」を「ある」ってことにしちゃうと、そこにあたかも(自然な)境界線があるかのように錯覚しちゃう。

でも、そこには(自然な)境界線はない。
もしもそこに 自然な境界線があるならば、本来それとセットで働くはずの生理的な情動や感情や抑制みたいなものが、「虚構」に対してはまっとうに作動しない。

ゆえにミョーな暴走を平気で始めちゃったりする・・・みたいなことなんでしょうか。
それを「狂気に堕ちる」みたいに仰ってるのかな?
アキラ
2014/04/17 12:25
今現在、問題となっている「境界線」はウクライナのようですが、この境界線が内戦の原因となるのは避ける必要があると思います。
境界線がほんとうに必要か、それとも必要でないのか。よく考えられないまま煽られていることはないものでしょうか?
国としてなるべく大きいほうがよい場合もあるのでは・・・・・連邦制というテもあるでしょうしね。
高みの見物で戦争を期待しているところに要注意ですよね。
メゾフォルテ
2014/04/17 12:30
ウクライナに分断策が仕掛けられている・・・・
翻って、日本はどうなんだろうか
という目も当然必要です。
分断策を意識したとき、急にまとまっちゃう ということもありそう。
メゾフォルテ
2014/04/17 12:44
境界線をどうしても理解したく、愚樵さんのコメントおよび、アキラさんのヒントを棒読みながら、取り敢えず図式化してみました。図式化の間違いを指摘いただけると嬉しいです。


図式化するのに途中でひっかかったのが、
愚樵さんの

エントリーのなかの愚樵さんの最後のコメント

恐怖を愉しむというとき、そこには必ず自然な境界線があります。境界線が自然に際立つから、恐怖を感じながら、その一方で、恐怖を愉しんでいられる。

8:30のコメント

見ず知らずの他人と知人との差異は、「境界線」です。知人との間には自然な「境界線」がある。他人の間にはない。
「境界線」がないと恐怖が垣根を越えてやってくる。逆に、期待も境界線を越えてしまう。

この2つのコメントです。
もう少しで理解できそうなのですが、、、も、もう少し・・・もっと光をぉおお



毒多
2014/04/17 15:09
図式化はエントリーの文末です。
(そも図式化には無理があるのか、という危惧を抱きつつ)
毒多
2014/04/17 15:10
>棒読み
取り敢えず、図式化するにあたって、そのまま図にしたという意味です。図を見ながら、めちゃくちゃ考えています。

>メゾフォルテさん
「境界線」が完全にワタシのものになっていないため、境界線を表記するメゾフォルテさんへのレスは保留です。
毒多
2014/04/17 15:58
毒多さん

毒多さんの図を前に、私も考え込んでいます...^^;

自分のコメントを読み返してみると、言葉の使い方が曖昧ですね。すみません。

「境界線」は、「感覚の境目」と言い換えても良いかもしれません。

私たちの身体には感覚装置が備わっています。感覚が自ずから立ち上がる。“自然な”境界線です。

一方、“人為的な”方は、言語作用によるものと言っていい。言語は現象を腑分けし「境界線」を作ります。

際立つときのあり方は、「自然境界線」の方は、“研ぎ澄ます”。「人為境界線」の方は、“思い込む”。

ここまで、いかがでしょうか?
愚樵
2014/04/17 17:48
意味不明 
あ、私は無視してください。
メゾフォルテ
2014/04/17 22:29

2014/04/17 12:25 のアキラさんのコメントを読み飛ばしていました。

>本来それとセットで働くはずの生理的な情動や感情や抑制みたいなものが、「虚構」に対してはまっとうに作動しない。

そういうことです。アキラさん、感謝。

自分がうまく表現できないことを他の人がうまく表現してくれる。対話の醍醐味 (^_^)
愚樵
2014/04/18 06:11
>作動
人間をロボット感覚でとらえるのはひっかかります。
人間に関わる数字というものはつねにその感覚をチェックする、ぐらいの気持ちがいるんじゃないでしょうか。
メゾフォルテ
2014/04/18 07:10
愚樵さん

昨夜はコメする時間がもてませんでした。
と、アキラさんの重要なキーセンテンスは図のなかに盛り込まれてますよぉおお!!  というか、そのヒントを頂いたので図式化しようと思いました。

とりあえず、キーセンテンスは頭に置きながらいきますが、折角なのでひとつずつ紐解いていください。多分何度も対話したことの繰り返しなるような気もしますが、ニューフェイス様もいますし(笑)、ワタシ自身も再度確認したいので、、、

>ここまで、いかがでしょうか?

多分大丈夫だと思いますが、、、
ワタシはワタシの理解の仕方しかできませんので、ワタシの理解に置き換えて繰り返してみます。間違いがあれば指摘いただき、次のステップにお願いします。

「感覚の境目」ということは、境目があり、境によって分けられるものがある、でいいですね。これはアタマとカラダでいいすか?

>身体の感覚装置

この感覚装置を今回思考するにあたって“味覚”とします。
カラダの自然な感覚としての“味覚”は意識なしに自然に立ち上がります。
一つのケーキを食するときに“美味い”は自然に立ち上がった結果です。この味覚を“研ぎ澄ます”ことにより、“美味い”はさらに磨きがかかります。

これに対して

>人為境界線では

そのケーキは美味いと誰かがいいました(言葉)。雑誌でも評判になっています(言葉)。アタマでキャッチしそれを信じ、“思い込み”。実際に食するときもその情報をもとに“美味い”とする。言葉が多ければおおいほど、“思い込む”になる。

と具体的に考えましたが、これで、ここまでは理解しているでしょうか?


毒多
2014/04/18 09:13
毒多さん、おはようございます。

いいと思います。

ひとつひとつ確認してもらうのは、私も大変助かります。

では、次なんですけど、少し議論の前提に立ち返らせてくださいね。

私たちの身体は

  感覚 → 情動 → 感情

という具合に生理的に作動していきます。この一連の作動は生命力の発露(あるいは魂の作動)ということができます。

生命力が発露することは〈自己肯定(自愛)〉です。


・感覚(装置)は、外界からの特定の(一次)情報をキャッチすると作動。
・情動は、感覚装置作動にから生まれる(二次)情報による身体の反応。
・感情は、身体反応から生まれる(三次)情報を脳がモニターすることによって意識の表層に浮き出てくる想念。

「自然境界線」は、感覚装置の“外側”に位置することになる。つまり、

 (境界線)| 感覚 → 情動 → 感情

という図式です。
愚樵
2014/04/18 09:44
次、「人為境界線」ですね。

こちらも 情動 → 感情 は作動します。ですので、不完全ながら生命力の発露であり自己肯定です。ただ、こちらの場合、【自己肯定(自己愛)】です。

【自己肯定】を発動させるのは「虚構(霊)」です。図示しますと

 虚構 → 情動 → 感情

で、境界線がどこに入るかと言いますと、これがよくわからない。あるいは虚構が「境界線」そのものかもしれない。


>毒多さん、このあたりまでよろしいでしょうか?

  
愚樵
2014/04/18 09:53
単なるつぶやきですが
戦争中など人間を制御可能な兵器としたい切なる願いを持っていた研究者たちがいたんじゃないか、と容易に想像できます。
現代では、携帯電話とかを使えばけっこう可能じゃないか、とも思います。
けっこう婆も使えるんじゃないか、という試みにひっかかった例もあるようですよ。
メゾフォルテ
2014/04/18 11:01
如何、すでに解らなくなりかけている。
「味覚」と「ケーキ」にしたのが拙いのか?

ワタシの前の理解で「境界線」で分けられるものを
アタマとカラダにしましたが、それはよかったんですよね?

つまり愚樵さんの図式
 (境界線)| 感覚 → 情動 → 感情
の左側にあるものはアタマでいいですか?
無理やり「味覚」と「ケーキ」でいってみますが、爆!!

「自然境界線」

アタマ  |   カラダ
   (境界線)ケーキを、
        1,感覚 見る
           ↓
        2.情動 食べる
           ↓
        3.感情 おいしい


「人為境界線」

アタマ  |   カラダ
虚構(境界線?) ケーキ
       (but虚像)を、
     (1,感覚 見る、が
          実際はない)
           ↓
        2.情動 食べる
           ↓
        3.感情 おいしい

実際にはカラダの第一段階である

  ケーキ(でも虚像)を、
(1,感覚 見る、が実際はない)

がなくて、左の

アタマ
 虚構

から直接右の

2.情動 食べる

に斜め矢印でいってしまうから境界線が不明、となるのか?
食べた気になり、おいしいと感じている気になるが、実際には虚像を食べ、虚像を味わっているために、自己肯定も虚構の可能性がある、、とこうなるのか?

「ケーキ」と「味覚」では問題がでてきたら例えを変更します。

毒多
2014/04/18 11:02
メゾフォルテさん

ちょっと邪魔、この勉強会が終わるまで静かにしてて!!!
毒多
2014/04/18 11:04
しかし、なにぶん人間相手というのは想像以上に疲れるので、効率がよいか判断が難しいのではないでしょうか。だからといってクローン人間とかの方向も困りますよね。
メゾフォルテ
2014/04/18 11:09
毒多様
まあ、勉強会だったんですか。
無学なものでたいへんな失礼をいたしました。
メゾフォルテ
2014/04/18 11:12
「境界線」で分けられるものは、アタマとカラダじゃないですよ。

自然境界線の、
(境界線)| 感覚 → 情動 → 感情
の、の左側にあるものは「ケーキ」です。
(^^)

人為境界線は、「誰かが美味いといったケーキ」が「虚構」。
それを、自分でも美味いと「思い込む」。
実際に食べたことがないのにも関わらず・・。
アキラ
2014/04/18 11:22
あ、コピペし間違えました。。。

自然境界線の、
(境界線)| 感覚 → 情動 → 感情
の、境界線の左側にあるものは「ケーキ」です。

です。
アキラ
2014/04/18 11:23
毒多さん

ケーキと味覚の例えは的を射ていると思います。

で。

>ワタシの前の理解で「境界線」で分けられるものをアタマとカラダにしましたが、それはよかったんですよね?

それでいいですよ。ただ、「境界線」の語が混乱を招いているような。

・「自然境界線」は感覚装置(カラダ)の作動から発動
・「人為境界線」は虚構(アタマ)の想起から発動

この記述から、自然(カラダ)/人為(アタマ)の間に差異(境界線)が“あること”が理解されますよね?

この“あること”というのは、静的といったらいいのかな? “あるものは、ある”で変化しない。

一方「自然境界線」とか「人為境界線」と言っているときの「境界線」は“際立つ”“発動する”と言っているように、動的です。変化する。
愚樵
2014/04/18 11:29
アキラさんが助け船を出してくれました。

>自然境界線の、
(境界線)| 感覚 → 情動 → 感情
の、境界線の左側にあるものは「ケーキ」です。

その通りです。

こういう記述に直せばいいかな?

 ケーキ | 感覚 → 情動 → 感情
   (境界線)

いかがですか?
愚樵
2014/04/18 11:31
ちなみに私はケーキよりもせんべい派です。
メゾフォルテ
2014/04/18 11:34
こちらも訂正させていただくと

「自然境界線」

ケーキ | 1.感覚 甘さを感じる
   (境界線)
           ↓
        2.情動 美味しい
           ↓
        3.感情 うれしい

でしょうか。
愚樵
2014/04/18 11:35
メゾフォルテさん、もう、意地だねw 
愚樵
2014/04/18 11:36
イジというよりイジメでしょ。 (^_^;)

誰かから毒多さんに物事を考えさせないよう、邪魔し続けるように頼まれてんじゃないですかね?
(^o^)
アキラ
2014/04/18 11:40
「人為境界線」

 (0.感覚 見る、が実際はない)
         ↓
    1.ケーキの虚像(甘いはず)
         ↓
    2.情動 美味しい(はず)
         ↓
    3.感情 うれしい

※「境界線」は、0と1の間、もしくは1と2の間だが、判然としない。
愚樵
2014/04/18 11:43
>アキラさん

まあ、そんなところかなぁ...^^

>毒多さん、

差し出がましくて申し訳ありませんが、コメント削除は後からでも出来るんだし、笑っておきましょうよ。「嗤い」でもいいかな。

愚樵
2014/04/18 11:47
はい、ここまで解ります。
図式を書いてましたが、ほぼ同じ感じです。
ただ、1.2.3の解釈も微妙な違いがありましたね。
アキラさんもありがとうございます。
アタマ | カラダ
の図式で何か、いまいち腑に落ちていませんでした。次お願いします。



授業妨害ですが、ワタシはいいんです。
次の思索ネタの臨床サンプルにもなりますし、、、

ただね、もしかしたら他にも「境界線」を理解したくヲチしている人がいたら申し訳ないという、ブログ運営者の気遣いです。



毒多
2014/04/18 12:55
では、次。というか、再度確認ですけれど、

  感覚 → 情動 → 感情

もしくは

  虚構 → 情動 → 感情

の一連の作動が「自己肯定」になるというは、どうでしょうか?
愚樵
2014/04/18 13:27
漠然とした「自己肯定(感)」では、話が食い違うといけないので、ググっておきます。

自己肯定感とは、

「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と思える心の状態。
幼少期の生活・教育環境によって大きく左右されると考えられており、教育上の重要な要素だと考えられている。
対義語は、「自己否定感」。

•自己肯定感が高い:心の受容が大きく、少々のことではめげない。意欲的に人間関係を築くことができる。
•自己肯定感が低い:自信喪失、委縮。自己否定的。
毒多
2014/04/18 17:11
さて、

「自然な境界線」(便宜上このタイトルにします)
感覚 → 情動 → 感情

は、自然な自分の感覚を純粋に認め受け入れている、という感じの「自己肯定感」を感じます。
「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」という意識なしに、流れにそった自然な自己を愛することができる。という感じでしょうか?

それに対して

「人為的な境界線」
虚構 → 情動 → 感情

も「自己肯定感」はありそうです、「自己肯定感」を得たいために、無理に最初の部分を想定している。つまり流れとしてはむしろ逆です。
感情(自己肯定感得たい)が先にあり、そこにたどり着きたいために、虚構に戻るという感じでしょうか? 始まりが3の感情である。

虚構 → 情動 → 感情
↑←←←←←←←←←←↓

辞書的な「自己肯定感」にあわせ、解析します。

うーむ、「自然な」「人為的な」のいずれも自己肯定感が高いようにも見えます。受容が大きく、少々のことでもめげない。意欲的に人間関係を築こうとする。
ただ、後者の「人為的」に付随する自己肯定感は一見高い様に見えますが、どうも脆弱だ。自己肯定感を虚像により捏造しようとしているからでしょうか、受容が大きのだか小さいのだかは微妙ですね。少々のことでもめげない、はむしろ激しい。さらに意欲的に人間関係を築こうとしますが、どこか歪んだ人間関係です。オノレの自己否定感を否定するためのまるで「裏返し」のような感じでもありますね。

あれぇええええ、すんげー間近な既視感だぁ。めちゃくちゃ最近出会ったような気がします。

こうした理解でよろしいでしょうか?

毒多
2014/04/18 17:14
先日、皆様の背中に貼っておいた自己肯定の膏薬が効き出している感触があります

ハナシが面白くなっているでしょ。
メゾフォルテ
2014/04/18 18:02
アキラ様
さすがの眼力には、っていうよりか転換技は勉強になります。
ところで私に頼む方ってどういう方か想像ができないんです。
もしかして主人に似た方をご用意していただけるとか?
メゾフォルテ
2014/04/18 18:13
毒多さん

おお、すばらしい!

 虚構 → 情動 → 感情
 ↑←←←←←←←←←←↓

これこれ、これです。

特に  ↑←←←←←←←←←←↓ の発見が重要ですね。この逆流が

>オノレの自己否定感を否定するためのまるで「裏返し」

になるということだと思います。

ただ、「自然境界線」の方にも逆流はあります。

  感覚 → 情動 → 感情
   ↑←←←←←←←←←←↓

この場合の逆流は、感覚を強化、すなわち“研ぎ澄ます”ように作用します。対して、

 虚構 → 情動 → 感情
 ↑←←←←←←←←←←↓

だと虚構を強化、すなわち“思い込み”ですね。

愚樵
2014/04/18 18:20
さらに、「自然境界線」と「人為境界線」を合成してみます。

ケーキ | 感覚 → 虚構 → 情動 → 感情
境界線 ↑  ↑←←←←←←←↓ 人為
↑←←←←←←←←←←←↓ 自然

(感覚→虚構 という図式は正確ではないように感じますが、ここは少し簡略化することをお許しください。)

この図が示しているのは、虚構が自然な生命力の発露に対する「人為境界線」になってしまうというものです。

ケーキのたとえでいいますと、「ケーキは甘い(はず)」という思い込みが強いほど、感覚が感じる「味覚という二次情報を情動へ渡すことを妨げてしまう。もしかしたら酸っぱいかもしれないのに、高級ブランドだから、といったような理由で事実を曲げてしまうことが起こりかねないのですね。

しかも、その妨害は【自己肯定(自己愛)】の発露でもある。【自己肯定(自己愛)】が大きくなればなるほど〈自己肯定(自愛)〉の妨げになる可能性がある。

注意を要するのは、これはあくまで可能性であるということです。虚像が〈自己肯定(自愛)〉の流れをより確かなものにする場合もあります。
愚樵
2014/04/18 18:39
おっと、図が分けわからなくなっていますね。

訂正です。

ケーキ| 感覚→虚構→情動→感情
  境界線 ↑  ↑←←←←←↓ 人為
      ↑←←←←←←← ↓ 自然
愚樵
2014/04/18 19:41
ダメだ...、もう一度。

ケーキ|感覚→虚構→情動→感情
境界線 ↑  ↑←←←←←↓
    ↑←←←←←←← ↓
愚樵
2014/04/18 19:43
ケーキ|感覚→虚構→情動→感情
境界線 ↑  ↑←←←←←↓
     ↑←←←←←←← ↓
愚樵
2014/04/18 19:45
やっとそれらしくなった ^^;

毒多さん、コメント欄を汚してすみません。
愚樵
2014/04/18 19:47
そういえば、むやみとあまり意味のない図とかグラフ満載のパンフレットが税金でつくられているっていうことがあります。単位とかに注意しないと騙されちゃうつくりだったりするんだけど・・・・・
メゾフォルテ
2014/04/18 21:37
愚樵さん

毒多さんとのやりとりが進んだあとでかまいませんので、どこかのよい折りに
「虚像が〈自己肯定(自愛)〉の流れをより確かなものにする場合」
の例も、一つ挙げていただけるとありがたいです。
これについては、今ひとつ分からないもので。
よろしくお願いしますです。
アキラ
2014/04/18 22:44
私からもよろしくお願いします。
メゾフォルテ
2014/04/18 23:44
アキラさん、ご質問にお答えします。

たとえば、アキラさんの場合だと〈野口晴哉〉〈岡島瑞徳〉と呼ばれる(虚)像がそれに当たるのではないでしょうか。

いわゆる「師」というやつですが、これは自愛をより確かにする代表的な例です。
愚樵
2014/04/19 05:47
おはようございます。

「自然」「人為」の複合解析ですね。

なんとなく昨年までの年始恒例のブログネタ「格付けチェック」での対話に繋がるような気がしますが、再認識のため続けます。

理解のためにケーキに色をつけてみました。
「有名高級高価」つまり「ブランド」という色です。

《ケース1》自然的
「ブランド」を知らずケーキを食べる。甘い→美味い→うれしい(自己肯定感)

《ケース2》人為的
ケーキではなく「ブランド」を食べる。甘いがどうでもいい→100%美味い→うれしい(ブランドを食した自己肯定感)

《ケース3》人為的→自然的
「ブランド」で知ったケーキを食べる。甘い(微妙)→美味い(不味い)→うれしい(たいしたことなかったな)(美味い・不味いを自然に素直に感じられる自己肯定感)

《ケース4》人為的→自然的
各「ブランド」で名高いケーキを食べる。甘い(微妙)→美味い(新たな味覚の発覚)→うれしい(こうした旨味がわかってきた)(新たな味覚を得た自己肯定感)

《ケース5》人為的→人為的

い、いかん、時間が・・・・

ちょっと今から1泊で旅にでます。その間、ブログ管理が放棄されますが、、、、やめとこ

では、いってきま〜す。また来週・・・


毒多
2014/04/19 07:21
愚樵さん

なるほど♪
ありがとうございました。 (^^)
アキラ
2014/04/19 08:22
愚樵様
ケーキを食べる。甘い→美味い→うれしい
→太る、腹が出る→メタボ健診→・・・・・

ということでケーキの例はおかしいと思うんですけど。ケーキが迷惑しているかも

アキラ様
仲間内の目上に対しては、すぐ納得するタイプでしょうか?
「ご無理ごもっとも」っていう日本の典型的な例になっているようです。
メゾフォルテ
2014/04/19 10:57
>虚構が自然な生命力の発露に対する「人為境界線」になってしまう

虚構を介した感情が感覚へのフィードバックを繰り返すうちに、虚構それ自体が堅固なものになっていく(外部的実在と乖離した、リアリティの獲得過程)という愚樵さんの仮説を読んでいて、コンラート・ローレンツの『文明化した人間の八つの大罪』を思い出しました。
20年以上も前に読んだ本なので内容はほとんど忘れ去っているものの、大罪の一つとして数えられている項目「教化されやすさ」には、虚構を経てのフィードバックに通じるものがあるように思います。
平行連晶
2014/04/19 15:34
>メゾフォルテさん

個人的には対話の空間に異物が入り込んだ方が面白いと思う方なので、メゾフォルテさんの存在そのものは歓迎なんですけれど、発言が類型的になりつつあるのは、感心しません。

今コメント欄で話されているのは、ケーキを甘いと認識する感覚を例にとり、実在しない事物(概念)があたかも存在するように捉えられていく過程について考えてみるということです。

甘くないケーキもある。甘すぎるケーキはうまくない、むしろ不味い。河童橋では見た目はケーキそっくりの蝋細工を売っていた。水飴だって甘いぞ。KIHACHIのモンブランには栗がまるごと入っているが、あれは栗が甘いのかケーキが甘いのか?

そういう話をしているわけではありません。

双六をしている場所で一人だけモオセロをしようと頑張って、自分が思うように場が乱れないと一層空転の度合いを強める人はネットには珍しくありません。類型的です。
類型的なものは、もはや異物ではありません。ただの見慣れた風景に過ぎません。
場を撹拌する気概があるなら、類型的にならないコメントをお願いします。何事も工夫が大事です。
平行連晶
2014/04/19 15:59
モオセロって何だ。オセロですね。失礼しました。
平行連晶
2014/04/19 16:02
平行連晶様
平行連勝様のコメントは類型的な例でございましょうか。確かに、面白くありませんね。 
婆があれこれサービスに努めても逆効果ということもございますので、たいへん難しゅうございます。
メゾフォルテ
2014/04/19 22:12
津軽弁っていうのはどんだべの。
平行なんだか、ってかちゃくちゃねー
ましだハナシひとつできねんだもの。
まいねでばし。
メゾフォルテ
2014/04/19 22:16
みでらいねくて、こごさ来てるんだども
ただでねーな
うすけねハナシばしで、日本も沈んでまるどー
メゾフォルテ
2014/04/19 22:20
膏薬ばがしでなくて、お札も作ったはんで
あちこちに貼ってけへ。
メゾフォルテ
2014/04/19 22:27
まあまあ、理解できないからといって悲観しなさるな。(^^;)
アキラ
2014/04/19 22:33
楽しんでますね、皆さん ( ̄▽ ̄)
愚樵
2014/04/20 05:54
>メゾフォルテさん

おんし、そらつかってささほうさなコメントしたらおえんに。
お茶出しも膏薬貼りもなりきだら。たけんつぼだに。
平行連晶
2014/04/20 06:28
平行連晶様
>たけんつぼだに。
がわかりません。高い壺だろうに、でしょうか?

お札と膏薬をご用意いたしましたが、宗教関連その他でございませんのでよろしくお願いいたします。
メゾフォルテ
2014/04/20 07:17
平行連晶様

19日22:12のコメントにつきまして
平行連勝様と間違ってしまいました。
たいへん失礼をしてしまいました
っていうか私の無意識が出た、ということなんでしょうか。
メゾフォルテ
2014/04/20 12:16
人の名前を間違えのは失礼だけど、望まれもしない膏薬とやらを貼りまくるのも失礼なんだよなぁ。親切なつもりで押しかけてくるどこぞの宗教と同じで。

ひとつの失礼を詫びれば別の失礼が免責されるわけではない。もしそのように感じるのなら、それも「虚構」による自己肯定(自己愛)でしかないね。

それとも単に失礼を感じないだけ?
愚樵
2014/04/21 01:51
おっはようごぉざぁいま〜す。
おかげ様でとっても楽しくand美味しい週末を過ごすことができました。これぞ自然境界線だ、いぇ〜い!!(って、まだ境界線を理解してないだろ、、、自問)

平行連晶さんの19日 15:34のコメントを繰り返して読んでいます。

>虚構を介した感情が感覚へのフィードバックを繰り返すうちに、虚構それ自体が堅固なものになっていく(外部的実在と乖離した、リアリティの獲得過程)という愚樵さんの仮説

アキラさんもそうですが、平行連晶さんの言葉で再表現していただき、理解に近づいてきます。上の抜粋は、ワタシには分かりやすい表現です。ほんと対話の醍醐味だなぁ。

>コンラート・ローレンツの『文明化した人間の八つの大罪』

ワタシは未読なのですが、いくつかの素人書評(ブログ)を散策しました。興味深いですね。読みたくなります。で、その素人ブログの本の内容を紹介しているひとつのセンテンスを抜粋。

>11.文明人に進行している幼児化や青少年犯罪の増加が、もし遺伝的崩壊現象にもとづいているのなら、私たちは重大な危機にある。感性の衰弱も、自然環境の破壊も、すべてが一緒に働いて、善悪の判断力を近代人から奪っている。

幼児化、、、善悪の判断力、、、う〜ん、なるほど!! 爆!! ま、このローカルな納得に重大な危機は感じてませんが、、、ハハハ。

毒多
2014/04/21 09:05

さて本題に戻ります。
先週末時間切れで尻切れトンボになったコメント(19ー07:21)ですが、細かなケースパターンを思索するよりと、本題と別方向へ行きそうな気もしてきたので、ちょっと修正します。

ワタシの課題は「愚樵さんの言葉「境界線」の理解」でした。

で、イマイチ解らないでいる理由を考えています。それはワタシの思い込み。ここまでのワタシの勘違い(思い込み)を修正しますと、

1.「自然的発生及び回帰(フィードバック)」と「人為的発生及び回帰(フィードバック)」が別に存在していると設定していた。

2.「自然的発生及び回帰(フィードバック)」と「人為的発生及び回帰(フィードバック)」は対立するものである。

3.「虚構」はすべて害悪である。

という自己判断をしますが、如何でしょうか?
これの修正として、

1.「自然的発生及び回帰(フィードバック)」と「人為的発生及び回帰(フィードバック)」の両方が存在する。

2.「自然的発生及び回帰(フィードバック)」と「人為的発生及び回帰(フィードバック)」は対立するものではなく、行き来するもの。

3.「虚構」には、良く働くものも、悪く働く()ものもある。

とりあえず、この辺りの「思い込み」に対する修正は如何でしょうか?

毒多
2014/04/21 09:05
あ、1の
>1.「自然的発生及び回帰(フィードバック)」と「人為的発生及び回帰(フィードバック)」の両方が存在する。

は、ひとりの人間のなかには、、、ということです。
毒多
2014/04/21 09:08
毒多さんと同じく、楽しい週末を過ごした愚樵です。

まず。
毒多さんの修正に私は賛同します。以上。

で、つづき。

毒多さんが示してくださった1〜3は、私が「霊」や「魂」と呼ぶものの、別の視点から見たものです。もう少し付け加えさせていただくと

4.自然的発生は個別的であるのに対して、人為的発生は社会的。社会的であることが、「霊」。

5.回帰(フィードバック)回路はヒトという生物種に共通の回路で、その回路が作動することが「魂の作動」。もしくは「生命の発露」。

いかがでしょうか?
愚樵
2014/04/21 15:08
うーん、またちょっと解らなくなった。ちゅうかワタシの言葉に置き換えた確認も含めて

>4.自然的発生は個別的であるのに対して、人為的発生は社会的

自然発生は個別的というのは、

ケーキを美味いと感じることも、ブランド(虚構)がとっかかりであったとしてもケーキそのものへの味覚を(例えば)際だてせることは、「自己完結」できるということで「個別的」ということでしょうか?

それに対して

人為的発生は社会的は、

人為的のキーワードであるとこの「虚構」。ブランドケーキの「ブランド」(虚構)の部分は、個人的な(または自己完結するもの)ものではなく、社会的な産物として存在する。社会構成員多数で認知しなければ意味がない、、だから「人為的発生」は、社会的ということですか?



>社会的であることが「霊」

ですが、ここの「霊」辞書的な霊ではなく、愚樵さんがよぶ「霊」としていいわけですね?。ケーキという実体ではなく、「ブランド」のような目に見えず、社会を構成する多数の「共通の認識によって存在」するように感じるものを「霊」をよぶ、、、ただし、ここまでではまだ、「霊」の善悪は決まっていない。「思い込み」によって「思考停滞」する「霊」もあれば、「研ぎ澄ます」ことによって「思考活性化」する「霊」もある。でいいのでしょうか?
「思考停滞」「思考活性化」という単語を追加しましたが、如何でしょう?

毒多
2014/04/21 16:30
さて、さらに理解が難しい5.ですが、、、

>5.回帰(フィードバック)回路はヒトという生物に共通の回路
感情から感覚へ回帰する回路は、自然発生的であろうが、その回路に虚構がはさまれる人為であろうが、全てのヒトに共通する回路である。あるときは虚構ぬきで、またあるときは虚構を通過して、さらにあるときは「虚構」を中心に巡回する・・・・・いずれにしろ、ヒトであればこの回帰・巡回は必ず作動するのだ。なぜなら、「ヒトが生きるということ」はそういうことだから。それを「魂の作動」「生命の発露」とよぶことにする。

という理解でよろしいでしょうか?

毒多
2014/04/21 16:31
毒多さん、その理解でOKです。

少し補足させてもらいますと、

>「自己完結」できるということで「個別的」

感覚というものは共有不可能なものですね。個別的というのは、共有不可能ということです。

毒多さんがケーキを甘くて美味しいと感じたとして、毒多さんの「甘い」「美味しい」の感覚を毒多さん以外の誰も感じることは不可能。

「甘い」「美味しい」は言葉によるか表情によるかジェスチャーによるか手段はいくつかありますが、他者と共有したいと思えば、共有可能なものに置き換えるしかありません。

共有可能ということ、それがすなわち社会的ということになります。

ブランドは、そうした社会的なものの一種ですね。
愚樵
2014/04/21 17:43
やっぱ「思考活性化」ではなくて、「インスパイア」のがイメージに近そうかも。。。
毒多
2014/04/21 17:47
てすと☆
メゾフォルテ
2014/04/21 17:50
「思考停滞」「思考活性化」ですが、「思考」は私にはちょっと違和感があります。

言葉は「霊」の一種で、思考は言語操作によって為されます。思考によって活性化するのは虚構です。これは言葉の定義の問題ですが、「思考活性化」とは「思い込み」とするのが適当のように感じます。

毒多さんのいう「停滞」を【蓋】と言ったりはしていますよね。

「活性化」「停滞」はいいと思いますが、何を活性化・停滞させるかというと、やはり「魂」とは「生命」という言葉を使いたいように私は思います。

でも、もっと斬新な言葉があってもいいかな?
愚樵
2014/04/21 17:54
2回ほど書き込めませんでした

愚樵様
なにぶん焦燥感みたいなものに後押しされておりまして、数々の失礼をお許しくださいませ。

毒多様

9:05のコメントでの


>11.文明人に進行している幼児化や青少年犯罪の増加が、もし遺伝的崩壊現象にもとづいているのなら、私たちは重大な危機にある。感性の衰弱も、自然環境の破壊も、すべてが一緒に働いて、善悪の判断力を近代人から奪っている。

これは私も日ごろ漠然と感じていることとほぼ一緒なんですが、つけ加えるとすれば、そういう方向に誘導される場合もあるので常に注意が必要である、などでしょうか。
体験から、ネットでは誘導に十分に注意が必要です。
メゾフォルテ
2014/04/21 18:01
最近、アマゾンとか古本市などで古本を買い込むことが多くなりまして・・・・・
あっという間に、絶版本が届けられたりすると、「霊」の例ではないか、と思ったりします。
メゾフォルテ
2014/04/21 18:06
退化しているとすれば、古い本に学ぶことがおおいのかもしれませんね。
あ、何も婆を大事にしろだなんて主張するつもりはまったくありません。
メゾフォルテ
2014/04/21 18:09
あくまでも絡みたいんですね。(^_^;)

あ、大変残念な週末を過ごしたアキラでした。
アキラ
2014/04/21 19:23
アキラさん

>残念な週末って、、、笑
なんとなく申し訳ないっす。ごめんちゃい。(って謝る問題でもないのですが、うふっ)

毒多
2014/04/22 10:29
愚樵さん

>毒多さんがケーキを甘くて美味しいと感じたとして、毒多さんの「甘い」「美味しい」の感覚を毒多さん以外の誰も感じることは不可能。

補足ありがとう、すっきしました。

やはり「思考」をとって「停滞」「活性化」としてもおかしい。いずれも回帰・巡回しているわけだから、停滞にはならないし、、、うえのほうの図で感情と虚構だけをぐるぐる巡回するのも活性化している可能性がある。
この単語化は失敗のような気がしてきました。

もう一つワタシの理解のチェックをしてほしいのですが、

ケーキ|感覚→虚構→情動→感情
境界線 ↑  ↑←←←←←↓
     ↑←←←←←←← ↓

の境界線より右
感覚→虚構→情動→感情
は、「オノレ」「自分」「ワタシ」という解釈でいいですか?
自分のなかに「自然発生」部分と「人為発生部分」が混在している。

で「虚構」ここでは「ブランド」なのですが、
境界線より左、ケーキ(実体)にくっついている、、、ときと、
ケーキ(実体)から離れて、「虚構」のみが「自分」に取り込まれている、、、ときがある。

「虚構」が「自分」に取り込まれているときの境界線は不明だ?となるのでしょうか?

それと、「虚構」ですが、ここで具体的にあがった
「ブランド」「日本」「野口晴哉」etcありますが、「ブランド」はケーキ(実体)と共に存在できます。ところが「日本」は実体がない、、、さらに「野口晴哉」はよくわからない。そこに一人の人間(実体)がいることの虚構とは名前?それとも「野口晴哉の精神」?

とくに「日本」です。実体がないのでケーキのように共に在るものがない、、、これは上の図の境界線よりも左に在ることが可能ですか?

解りにくければ、再度書きます。


毒多
2014/04/22 10:29
アキラ様
「残念な週末」というと、今の日本では、
婆さんと留守番みたいなイメージがありそう。
この辺を何とかしたいですね。

毒多様
「野口晴哉」夫人はなかなか魅力的な婆さんであったようですね。「ブランド」でもあったようです。
興味深いことです。
日本には元気の出る素みたいな存在がたくさんあるようです。
メゾフォルテ
2014/04/22 11:33
毒多さん

>自分のなかに「自然発生」部分と「人為発生部分」が混在

それが人間という存在だと考えます。

順番は前後しますが。

>さらに「野口晴哉」はよくわからない。

http://video.fc2.com/content/20111104mE95bNLE/&otag=1&tk=TkRBNU5EYzVNVGs9&start=36.736

この動画をご覧いただければ。

自分の中にもうひとりの自分がいる。
他人の中にもいる。何人もいる。そして、それらの「自分」は全部ホンモノ。

そして、自分が死んでも、他人の中の自分がいなくなるわけではない。

「野口晴哉」は、そのような“他人の中の自分(自分の中の他人)”です。

なお、会ったことがなくても、自分の中に他人を棲まわすことはあります。頻繁にあります。
愚樵
2014/04/22 16:37
>とくに「日本」です

こうした虚像は人物だけとは限らない。輪郭があればいいんです。

「日本」に実体があるかどうか? あると考えていいのではないでしょうか。ただし、それは切り取られた実体です。

「日本」の場合、日本列島と呼ばれるすでに輪郭がある。また日本国には国境が設定してあり、一部地域では他国と争いがあったりもする。つまり日本国の“輪郭”に疑義が提示させているんですね。

境界線とは“輪郭”です。自然境界線は動物であるヒトとしての輪郭とたいていの場合一致します。けれど、国境線のような“輪郭”は人為的に定められるので争いが生じます。

>境界線よりも左に在ることが可能ですか?

実体があるので可能ではないでしょうか。
そのような実体は“風土”と呼ばれるものでしょう。あるいは“故郷”とか。

たとえば子どもの頃過ごした故郷。思い返してみるとよくわかりますが、輪郭ははっきりしませんよね。国境線ならぬ故郷線のようなものは存在しない。中心部は明確に周辺部に行くほどぼやけてくる。

そのような輪郭のない故郷に対して、私たちは愛郷心といったものを抱きます。
輪郭が人為的に明瞭な場合は、愛国心ですね。
愚樵
2014/04/22 16:57
>「虚構」が「自分」に取り込まれているときの境界線は不明だ?

たとえば、自分の中にいる他人の像。その境界線は明瞭でしょうか?

自分の中で明瞭に線引きされているはずの「日本」の境界線。けど、それは本当に明瞭でしょうか?
愚樵
2014/04/22 17:04
愚樵さん

すみません、再度、図2を書いているうちにコメを頂きました。取り敢えず図をupしたので、先にコメ入れときますね。

コメント欄の図では厳しくなってきたので、再度図を書きなおしてみましたが、考えながら書くうちに、コメ欄の図と異なってきてしまいました。大きくは境界線を越えるか否か。

間違いならどう間違いか教えてください。

1.自然的回帰・循環は感情から感覚ではなく、ケーキ(実存)に戻るのではないでしょうか?で、境界線を超えて戻ってくるから「強化線」が際立つとなるのでは?

2.人為的循環1ですが、境界線を挟んだ虚構1にフィードバックし、循環します。で、ちゃんと「感覚」「情動」も通過します。

3.虚構1と虚構2は同じものですが、位置が違います。自分のなかに内包され「思い込み」となります。「感覚」「情動」を通過したふりがなされるだけなので、現実には「虚構」と「感情」のみの循環がなされます。

毒多
2014/04/22 17:06
今回の愚樵さんの説明と突き合わせるとなんか違うなぁ。再度考えます。
毒多
2014/04/22 17:07
毒多さん

議論が広く、かつ細かくなってきましたね。

おわかりになっていると思いますけれど、私の考えるのは仮説にすぎませんし、正解というわけではありません。私も感覚的に話をしていますので、整合性がとれていないこともあるかと思います。

図2が間違っているかどうかは、私には判断がつきません。私の考えを押しつけるなら間違いと言えるかもしれませんが、そんなものではないですよね?

議論がどこかで正解を求めるものに変わっていってしまいましたかね。
愚樵
2014/04/22 19:20
ひょっとして私が口を出せないようにするのが主目的の議論なんでしょうか。
しかし、けっこう男の方たちは時間が限られていてもこういう堂々巡りっぽい議論をよくしてますよね。会議の時間が長くなるのはそのせいだったりして・・・・
会議の時間を短縮しよう
メゾフォルテ
2014/04/22 23:10
場合分けしてすべてを網羅しようとするのではなくて、具体的なこと(ケーキとか日本とか野口晴哉とか)に限って考えた方がいいんじゃないか?と思うんですよねぇ。

すでに哲学的な領域に入っちゃってますから、思考のための思考になりつつあるような。
言葉はどうしても「輪郭」しか表せませんから、ある程度 実体の方を共有できるようなものに留めておく方がいいんじゃないでしょうか。 (^^;)
アキラ
2014/04/23 08:19
メゾフォルテさん

茶化しているのか本気なのか、偶然、鋭いコメになったりもしますね(笑)褒めると図に乗りそうだからあんまり褒めたくないんだけどね、爆!!
   
ただ、>男の方 ではなく、>会議 でもなく、
毒多がかってに堂々巡りをしているだけです。
かといって、ワタシにとっては堂々巡りというか、何度も反芻して繰り返さないと理解できないことなんです。だけど、ちょっぴり付き合ってもらって申し訳ない、、という気持ちも生まれてきました。
毒多
2014/04/23 09:34
アキラさん

(メールありがとう)
どうも、ワタシは、ひとつの形式・全体像(それがすべての事象に当てはまるもの)として把握したがっているようですね。それで、自ら設定した罠にハマっているのかもしれません。
やはりボチボチのほうが気楽でいいですね(笑)

毒多
2014/04/23 09:35
愚樵さん

巡りの悪いアタマに付き合ってもらってごめんね(笑)
ちょっぴり正解を求めるようなベクトルになっちゃいましたかね。
図2は、ワタシの思考回路の間違いを指摘してもらうつもりだったのですが、ほんの少し、「こうじゃないの?」という思いがあったことを認めます。すみません。

図2をかきながら思ったのは、回帰するとき、もう一度ケーキ(最初とは別の実体でいいのですが)を食べないと極めることができないんじゃないの? と感じたからです。それで、境界線をまたぐときに境界線の刻み込みを深くするか(できないか)が決まるのかな、と思ったものです。
境界線の右(私)のなかだけで回帰/循環しても私のなかだけの世界になってしまう、、、それって、、、、
あ、また正解を求めようとしている!!、、、すみません、これが、、、まずい。

「野口晴哉」と「しんじ」は解ります。
「日本」と「国境線」も解ります。
「国家」と「故郷」も解ります。

アキラさんにコメントしたように、一つの型に填めたがっていました。もう少し会話のイメージとしてファジーに対話したほうがよかったのかもしれません。

きっと、ちょっとワタシのキャパのすくない鍋が煮詰まってきたのかもしれません。ワタシって以外と白黒つけたい性格してたの?とか、、、言葉で組み立てがっているとか、、、・・・・すみません。一旦、休憩しましょうか。
時間をおくと、「ああ、そういうことだったんだ・・・」ということはよくあることですし。

いずれにしろ、とっても楽しく、ある部分までは深く解った気がします。ありがとう、感謝!!  って、勝手に中断するなよ、、、って、ことであれば、とことんでもいいですけど、爆!!

毒多
2014/04/23 09:38
全体像を一つの「型」として把握しようと試みるのはいいことだと思うんですよね。
それがある程度できたら、応用がかなり広がりますから。

けど、この先は愚樵さんがいつも言ってる「霊」(虚像とか虚構とかが当てはまるところ)に関して、しちめんどくさい要素がいっぱい出てくると思うんです。

だから、ボチボチそのときそのときの具体例を、今回の構図に当てはめてみるようにして考えていく方がいいんじゃないかな?と。 (^o^)

あるいは、これとはいったん別の形で、愚樵さんの「霊」論をガッツリ理解すると、こちらの話の助けにすごくなるとは思いますが。
どっちにしたってめんどくさい。。。 (^_^;)
アキラ
2014/04/23 10:04
アキラさん、適切なコメントをありがとうございます。

毒多さん、お疲れ様です。

毒多さんが最初に突っ込んだのは「境界線」の話だったんですよね。それが私との対話で「霊」論へシフトしていった。誘導したのは私でしょうね。

毒多さんは誘導に積極的に乗っかって区手くださったと感じています。でも、ちょっと待てよ? と思ったんですね。ここは『愚樵空論』ではなく『dr.stonefyの戯れ言』だぞ、と。

「霊」論を理解していただくことはうれしいです。けれど、再発見していただければもっと嬉しい。再発見は別に私の仮説と同じである必要は全くないし、また、同じでない方が対話も深くなる。別に「正解」を求めているわけではありませんからねぇ。

「霊」論の方は、私は私でやるつもりですし、今回の対話はとても助けになったと感じています。

ただ、これ以上は、ちょっと違うかな? という感じです。なので、ここいらで一服というのが良さそうですね。
愚樵
2014/04/23 11:07
はい、たぶんね、ワタシもなんとなく感じている

>しちめんどくさい要素

を単純化して解ってやろう、という浅ましさが、拙いんですよね。
でも、ある程度まで愚樵さんの図は解っているつもりですので、その都度、考えてみます。

別のかたちで「霊」を理解かぁ、、今回のつづきだと流石に申し訳ないし、愛想付かされそうのなので、まずは、自分で考えます(笑)
毒多
2014/04/23 11:13
メゾフォルテさんへというより、皆さんへ。

メゾフォルテさんが口出しできないようにすることが目的なんて、そんなバカバカしいことにエネルギーを注ぐほど皆さん暇をもてあましている訳ではないですよね。ですが、副作用として、そういう作用が現れていたことは否定できない部分はあります。

ま、ひとことで言ってしまえば「自業自得」なんですけど、毒多さんには自業自得で片付けてしまわない“器の大きさ”があります。

せっかくなので、メゾフォルテさんをかまってあげてみますか?

カオスになること、請負ですが ^^;
愚樵
2014/04/23 11:15
おお、最近、コメント投稿が交錯することが多いぞ、、、シンクロしているのだろうか、爆

上のコメントはアキラさんへのレスね。

そして

愚樵さん

一服ですね。そうしましょう。
思索は永遠に継続します、、、時間切れはありません、、だね。
毒多
2014/04/23 11:16

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「国家」已前に「人間が武器を持たずにいられないわけ」という仮説の考察的対話 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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