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zoom RSS 「大飯原発再稼働」・・・地元のタブーから考える

<<   作成日時 : 2012/06/02 09:50   >>

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 しばらく、時事は書かないと、いいながら書いてしまういい加減さを自嘲しながら、書いてしまう高田純次も顔負けのテキトー人間である。「むかしばなし」の続きを楽しみ(ほんとかよww)にしていてくれる10名様ほど(これもテキトー)にはしばしお待ち下さいと、謝りつつ、時事をかく。むかしばなしとも通ずるものがありそうだし。で、書かずにいられないのは何?ときかれれば、
 「大飯原発再稼働」だな。
 テレビで地元の民のインタビューをしていて、考えてしまったことのメモ。

 大飯原発のふもとの「何とか村」は、直接的な原発利権がある村のようだ。遠方の電気が使えて贅沢ができるという間接的な利権ではなく、原発から派生する仕事で飯を食っているとか、弁当が売れるとか、宿屋をつづけられるとか、もちろん村へは、「迷惑料」も国より支払われているだろう。
 その村の住民はハシゲを「コロコロ変わる軽薄なヤツ」「所詮パフォーマー」ってなことを言っていたが、そんな責任転嫁ではなく本当の問題は自らかかえていた。
 村民のあいだでは「原発の是非はの話題はタブー」だと言っていた。稼働されると仕事ができていいのだが、ほんと実際に稼働されるにあたり「危険だ。不安だし、怖い」と言っていた。ああ、地元にかぎらずホントにこのジレンマなのだ、と思う。

 ずっと稼働していた原発に今更「危険だ。不安だし、怖い」というのは当然だろう。福島の「死の町」をみてそう感じるのはとても自然だと思う。しかも「安全」と言われた無責任さもこれだけ見せつけられれば、不安は当たり前すぎるほど当たり前だろう。遠方であるワタシにはない「リアルな不安」は想像しかできないが、やはり想像できる。じゃぁハッキリと反対すればいいじゃないか、といえば、もともと廃れていくばかりの町に経済的利益をあたえてくれた原発様々だったのも解る。
 だから「是非はタブー」になるわけだ。
 原発事故で死ぬか、貧困で死ぬか?
 単に確率の問題じゃないんだろうなぁ。ってことを考えちまう。

 「不安、怖い」ってのは、生活のために何かを怯えなければならい、そのことを言っているのではないか。不安をかかえ、怯えながら「生きる」ことができるのか、否か? いやいや不安をかかえ、怯えながら「生きる」ってのは貧困も同じか? しかし、原発事故による不安や怯えは経済的理由と次元がちがうわけだ。いくら原発によって金をもつことができても、事故がおきれば金を抱えながら死んで(比喩です)いくわけだから不安、怯えの質が違うんだろうなぁ。
 「不安や怯え」なければならないような、人類と相容れないないものを経済のために無理やり使うことや、それを「仕方がない」といって使うことをやめていかなければならない時代になっているのだろう。
 経済のために仕方ない、已む得ない、という経済に振り回される生き方ではなく、経済なんてものは、生きるために便利使いするもの(できる社会ってのがいいんだけど、、)ってことにしなくちゃ、本末転倒になるわけだ。
 本末転倒な「怯え、不安」を克服するためにちゃんと「生き」なくちゃね。
 ちゃんと「善く生き」ていれば、貧困にも再稼働に振り回されることなく生きることができそうなのだが、、、って、生きていなくちゃ「善く生きる」もできないわけだから、人類的な無茶(だとわかってきた)原発の事故によって身体が殺されるのは、ちょっと堪忍してほしいね。


ちょっと追記

 国から支払われる迷惑料ってのは、身体が死んじゃうかもしれないけど、確率低いし、お金をあげるから我慢してね、ごめんねぇ、ごめんねぇ〜〜、って金だとちゃんと認識したら、Noって言えると思うのだけど。
 迷惑料じゃなければ「口封料」かな。いずれにしても同じだね。

 絶対安全なものに、「迷惑料」「口封料」など支払われませんから。

 
 

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
この「迷惑料」とか「口封料」とかの発想は、札束で相手の頬を叩いて黙らせるという、出す側の電力会社とか政府の発想ですね。
本当に原発がクリーンで安全なら、誘致する地元の側が土地の提供とか税金の減免とか補助金とかを提供する。
原発とは正反対に地元の雇用や固定資産税などの収入が見込めるならパナソニックの兵庫県尼崎工場やソニーの三重県亀山工場の誘致には地元自治体が100億円規模の捕縄金を出して企業に来てもらう。今液晶事業はサムソンなど韓国企業に負けて日本企業が撤退(工場閉鎖)するので出した補助金の返還を求める動きもあるらしい。
アメリカ国務省のメア日本部長が、日本の談合文化とは『ゆすりたかり』のことであると喝破したのですが、これ、実は本当のことですよ。
原発がクリーンで絶対に安全であるなどは真っ赤な嘘であることは地元も十分知っている。もちろん政府も電力会社も知っている。
原発の地元自治体に落ちている各種補助金とか交付金ですが、『危ない』とか『迷惑になっている』ことを口実にした(黙っているのだから金(口止め料)を出せとの)典型的な『ゆすりたかり』的な発想なのです。
宗純
2012/06/02 12:25
宗純さん、おはようございます。お久しぶりです。

>「ゆすり」
なるほど、厳しいけれど、構図としてはこうなるのでしょう。
どうもワタシのなかでは、国、電力会社の「迷惑料」とは大声で言えても、地元民を「ゆすり」というのは躊躇してしまう。
金持ちがさらに儲けようは、悪、、、廃れていく村(地方)がなんとか生きていこうとするのは、必要悪、、、と感じていたのかもしれません。
ただ、いずれにしても経済というか「銭・金」に飲まれている。
不安を感じ、怯えながら、生活さえできればいい、ということにはならない、、はず。それが「生きる」ではない。
それに気づいたから「黙る、タブー」になっている、にもかかわらず、戻ろうとする。これは地元民だけではないですね。
すでに原発云々ではなく、「生きる」ことが問われているのでしょうね。
毒多
2012/06/03 05:38
お久しぶりです。

>原発事故で死ぬか、貧困で死ぬか?

でも原発事故で死んだ人はいないんですよね、少なくとも直接的には。貧困が理由で死んだ人は沢山いると思いますが。(貧困が直接人を殺すわけじゃないですけど)

原発は事故が起こると深刻な事態に陥るのでなければ無い方がいいのだけど、じゃあ火力発電所は一度も事故を起こしていないのかな?
原発廃止を叫ぶ一方で事故が起きれば殆どの乗員が死んでしまう航空機を廃止しろとは言わないんですよね。トンネル掘削も一度事故が起これば現場の人間は命の危険にさらされますが、トンネルを作らずにで迂回しようとは言わない。毎年4000人以上も殺している自動車を無くそうという動きは全く無い。

折り合いをつけるのは難しいです。個々で優先順位が違うんですよね。


nobu
2012/06/05 13:55
nobuさん、こんにちは、お久しぶりです。

はい、おっしゃることはわかります。
3.11以前まで「反原発」を声高に叫んでいたワタシが、3.11以降黙ってしまったのも、そんなようなところです。
そんなワタシが、今、再度というか新たに「反原発」と表明することにします。

仰るように個人的な折り合いです。
つまりワタシは原発とは折り合えない、という決意です。
どうして、決意したかというのがこのエントリーです。
一旦すべての原発が止まってからの再稼働するこのいまの感覚です。
大飯原発の地元民の肌感覚です。
人間の感覚である「不安、恐れ」です。
いくら貧困でなくなっても、押し付けられる逃れることのできない感覚を持ったまま生活していいのだろうか?ということです。
ワタシが地元民であれば、その生活では「生きられない」だろうという感覚です。貧困を強いられても「生きられる」とも思っています。
自動車事故、飛行機事故、トンネル事故etcの「不安、恐れ」には常に襲われることがないのに、原発の「不安、恐れ」には襲われる。
非科学、非確率、愚かだと言われても、福島のあの「死の町」を観て、声を聞けば、やはり「不安、恐れ」の感覚に襲われる。人のこの感覚は大切にしたい。
これがワタシの感覚であり、ワタシの優先順位ですね。
でも、ワタシは自分は原発以外の理由で死ぬと思ってますし、どんな理由であろうと死ぬことを知っていますが、、、

nobuさんが暗にいわれているように他者の優先順位はワタシが命令するわけにはいかないでしょう。ただ、ワタシが1年以上かけて吹っ切れたこと、決意したことは、やはり書いていきたいと思っています。
コメント有難うございます。再度考え、あらためて決意することができました。でもデモはいかないけどね(笑)

毒多
2012/06/05 15:02
おはようございます。

前のコメントは毒多さんの「反原発」宣言を批判するもではないのですよ。私自身もスタンスは「脱原発」なんですから。ただここまで原発に依存してきた状況で一気に原発を止めてしまうことによる電力供給の不安定が懸念されるので、強制停止を求めることもまた暴力的だなあと思うわけです。

原発がまた事故を起こす不安とこの夏に電力が安定供給されなくなることの不安とのせめぎあいですね。強制停止派は電力は足りると言っている、確かに電力がストップする事態は電力会社が全力で回避するであろうと思います。しかしそれは相当の努力をしているからであって原発を停止しても楽々達成できるということではないでしょう。ぎりぎりでやってもし火力発電所が事故を起こしたらどうでしょう。
むしろ急に原発を停止することのリスクの方が多いと私は考えている(「不安」がある)ので今の反原発の流れに疑問を持っているのです。

nobu
2012/06/09 10:22
nobuさん、こんにちは

>批判するもではないのですよ
はい、解っているつもりです。たぶんnobuさんのコメントでワタシのなかにまだ揺れ動かされるものもあり、そうした気持ちが文面に表れたのだと思います。すみませんでした。

人間の限りない欲望を考えると、いずれ電力不足はおきると考えています。一旦たちどまって考えるとするなら今なのかもしれない、と思いました。
これを機に生活と社会の根本的な「進歩」をしなければならなくてはならず、その進歩はこれまでの価値観とは違ったものになるでしょう。
節電という我慢して「ならざる得ない」ではなく、「なっていこう」という進歩です。ありきたりで俗な例をだせば、すべてのテレビがなくなれば電力は足りるでしょうし、それは人々にとっても「進歩」になるでしょう。今のようなテレビ(番組)がないと生活できないなんて「退化」以外のなにものでもありません。とかね、以前提案したのは、アスファルトをすべてひっぺ剥がすして冷房をとめるとか、、、まあ反論があると思いますが、いままでの欲望、便利を維持するために、「恐れ、不安」も仕方がないというのは、哀しいですね。

リスクの問題、、、

仕事の創出が困ったものですね。
欲望、便利のうえになりたつ仕事が多数になっていることを認めます。ワタシが思う「進歩」では、失業者が増えてしまうでしょう。
でももし欲望肥大のなかでしか仕事の創出ができないならば、
人間ってのは悲しくやっかいなものです。
皆が「進歩」しようと向き合って知恵をだしあえば、なんとかなるんじゃないかなぁ、、、、楽観すぎですね。机上かな?

(今、平行してむかしばなしを書いていますが、人間ってのは電気がない青カンでも生きられるんですよね。まったくないわけではないのですが・・・)

毒多
2012/06/10 09:21
こんにちは、もう少し続けます。

毒多さんの理想には多くの部分で共感します。テレビやアスファルトのくだりは確かに私もそのくらいやらなければダメだろうと思っています。

たとえば、高額所得者の住まいを訪問する番組とか見るとですね、あれだけの豪邸は生活する上で必要ない設備だと思えるんですね。そしてそれだけの豪邸とその付随する設備を維持するために相当なエネルギーを消費しているはずなんです。彼らの贅沢な生活を維持するために庶民は節電しているわけではないと怒りさえ感じます。

最近話題のスカイツリーも何十万人もの観光客を運ぶためにどれだけのエネルギーをエレベーターに使い、快適に過ごさせるためにどれだけエアコンが電力消費しているんだと考えてしまうわけです。昨年までの節電ムードはどこへ行ったんだと。

そしてその負担分を我慢しなければならなくなるのがまた弱者であったりするのです。これ正しいとか正しくないとかではなくそういう構造になっているのです。最近話題の生活保護受給の根拠となっている憲法のいう「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」が脅かされているのではないかと思えるのです。お金さえ渡せばそれで良いわけではなく、健康的な生活をする上でそれなりのエネルギーは必要です。そのエネルギーを確保することもまた政府の仕事であろうと考えます。生活保護等の件ではとても弱者の味方のような発言をする論者もエネルギーに対しては我慢を強いる姿勢をみせる姿には違和感を覚えるのです。
nobu
2012/06/10 12:27
はい、続けてください。健康で文化的な会話は楽しいです。

まえのコメントでは「テレビ」や「アスファルト」なんかの具体的なことを書きましたが、他の面も考えていて、nobuさんのコメントにリンクしているような気がしますので、今回はそちらを。
生活保護の話がでました。いま話題(もう古いかw)の河本の件にかんしての、片山さつき(付随して橋ゲ、石原、河村)なんかバカ発言にあきれていますが、以前のようにブログで追及する気がおきないでいます。
言われる「健康で文化的な生活」ってなんだ?というほうが気になってしまっているためです。金さえあれば健康で文化的な生活ができるのだろうか? はたして豪邸の住人は健康で文化的な生活なのだろうか? なんて具合ですね。そこで満足している人はそういうふうにしか「生きられない」気がしています。では、生保で生活している人はどうなんだろう? お金が少ないから健康で文化的な生活ができないのだろうか? これもまた疑問を感じるわけです。
毒多
2012/06/11 09:35
こういう言い方をするとおそらく、社会的側面と個人的側面を混同させるとややこしくなると言われるでしょう。nobuさんが言われているのは社会的側面であり、個々の健康で文化的を追求する責任は、社会的側面を確立させないと問えない、ということだと思います。でもね、社会的側面ばかりを追及するあまり、個々の責任は置き去りにされている気がしてね。世間は「あいつらばっかりズルして儲けてズルイ」なんてことになったりして、そこには賛同できないな、って思っています。
そいういう面では、原発再稼働反対も生保もとことんまで言うつもりはないんです。真の健康的を考えるとか文化的を考えるってのは原発も生保も関係無いでしょ、てな感じで。
とはいえ他者(社会運営による原発)によって「怖い、不安」と精神的圧迫を感じながらの生活では、さすがに健康的ではないし、文化的な向上を個の責任にするのは厳しいかな、、、という意味で「反原発」です。
福一足元の20年後にも住まいに戻れないという状況を聞くにあたり、他者によって強要されてしまうそれは、不健康であり、非文化的だと感じます。大飯原発足元のそこからくる「怖い、不安」もしかり、だと思います。その「怖い、不安」も超克してしまえ、ってことは言えません。

ただ、生きていけなければ、「健康で文化的」を考えることもできないのは道理ですね。金がなければ生きていけない社会であることも認めます。だから「戯れ言」になってしまうのかな、という反省もします。
ただ、なんというか、あまりに銭金基準で振り回されている気がして・・・・います。
毒多
2012/06/11 09:35

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