毒多の戯れ言

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zoom RSS 「魂は生きたがっている」・・・いったいワタシは何がしたいのか?

<<   作成日時 : 2012/05/14 08:40   >>

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 はたしてワタシは何がしたのいのだろうか? ということを今考えている。
 遅すぎだろ? と他者は言うかな(笑)? ほんとしょうがないね。
 きっと誰もがやりたいことがあるんだろう、と思う。「やりたいこと」というよりも「やらずにいられない」ことかな。たとえば、こんな感じ、、、
 実はワタシはスポーツ選手を馬鹿にしていた。
 たとえばゴルフ。あんな棒っきれで小玉を叩いて穴に入れることを毎日毎日やり続けて、普通3日続ければで飽きるあだろ、バカじゃない?
 たとえば野球。あんな棒っきれで小玉を叩いて走りだす。小玉取って投げ返す、そんなもん3日続ければ飽きるだろ、
 でも、毎日毎日死ぬまでやり続ける人がいる。たとえばゴルフでいえば杉原輝雄。
 もう、ゴルフやりてぇ〜よなぁ。とか、野球やりてぇ〜よなぁ。の世界じゃないのだろう、やらずにいられない、やめたら「死ぬ」のだ。息ができなくなるまえに「死ぬ」のだ、に違いない、と思う。
 たとえば絵画。息をしている社会ではなんの「評価」もされずに着たきり食うや食わずやで、死んでから「評価」された著名な絵かきなど枚挙にいとまがないのではないか? 変人といわれようが奇人といわれようが、なりふり構わず描きたかったのだろう。いや、書かずにはいられなかったにちがいない、はず。
 世知辛い世の中やツマラぬ社会では、「金」になるかどうか、「銭儲け」になるかどうか、「得する」かどうか?と「普通」はいわれがちだろうが、やらずにいられない人々にとっては、その「普通」はどうでもいいことだったのだろう。
 ジミヘンも、バード、モンクも弾かずにいられずに息の根を止めるまで弾き続けただろうし、ジェフベックも弾き続けずにはいられない気がする。マネジメント不調とか、CDが売れなくなったから休止、ではなく、とにかく「やらずにいられない」、踊りを止められない赤い靴的な人はいる。
 バカボンドという漫画にでてくる、耳の聴こえないかった佐々木小次郎は剣で生きていたことが描かれていた、、、野口晴哉は宇宙をみずにはいられなかった、池田アッコは考え続けずにはいられなかった、、、せずにいられない、をしている人は変人でも奇人でもなく天才なのだ。
 せずにいられない、、、それこそが「魂が生きている」ではないか、とワタシは思う。
 魂の蠢きをそのまま解放できる人が天才。
 凡人であるワタシは、いやワタシだと思っている意識はワタシの内なる魂を殺す。魂の蠢きを縛り付けて静止させる。
 縛り付けるヤツらは、体裁、生活、社会、「立場」、(この世的)ええカッコしい、位置、、、、いや、いつのまにかヤツらに満たされて、ヤツらこそが価値と思い込み(もう思い込まされとは書かない)、魂の蠢き、いや魂そのものさえ見えなくなってしまっている。「普通」である。

 なんとなく「名」の知れ渡った「魂」を並べたが、ブログ周辺でも魂を解放させている天才はいる。
 損とか得とか生活とかでなく、音楽を聴き続けずにいられない魂、本(言葉)を読み(喰い)つづけてしまう魂、整体を通じ何かを知ろうとしている(どこかに行こうとしている)魂、海に潜り続けずにはいられない魂、魂を追求しつづけなければならない魂・・・
 うん、きっと津波に襲われても放射能にまみれても生活が破綻しても、「やらずにはいられない」魂たちで、解放しつづけることのできる意識たちなんだろうな。
 
 さて「普通」のワタシがワタシの意識にとって問題なのである。ワタシの内なる魂は何がしたいのだろう? どう蠢いているのだろう? あまりにヤツらをまとい過ぎてさっぱり解らなくなっている。魂の蠢きを封じ込めるエヴァの装甲板のようだ。まるで覚醒させないように気張っているような気さえする?
 はて、ワタシの魂はどう生きたいのだ?
 

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コメント(20件)

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小説、は?
みみず
2012/05/14 17:57
>はて、ワタシの魂はどう生きたいのだ?
<
興味ありますね〜。 (^o^)
アキラ
2012/05/14 21:40
 あなたの存在意義はあなたしか見つけることができませぬ。過去の実体験、これまで得た知識、ETC。
山路 独
2012/05/15 05:28
ふむ。

「現在」、あるいは「未来」、どう生きたいのかを解き明かしたいと思うのならば、「過去」、自分はどう生きたかったのかを見つめ直してみる必要があります。

過去、なにが毒多さんを「運動」に駆り立て、何がそれに終止符を打ったのか? そこをスルーしては、

>はて、ワタシの魂はどう生きたいのだ?

の疑問に答えることは出来ないと思います。
愚樵
2012/05/15 05:57
みみずさん、お久しぶり、おはようございます。
このエントリーを書きながら、「小説」のことを思い出していました。
あののち、挫折してから書いていません。ワタシにとって「やらずにいられない」ではなかったのか、やり方が不味かったのか、、、、昨日、読みなおしていて後者のような気がしました。(以後別途別所にかきます)
とにかく、ありがとう、コメ嬉しかったよ。
毒多
2012/05/15 09:17
アキラさん、興味をもってくれてありがとう。
ワタシがどうしたいのか、、の先にあるのは、、すべての魂同士は「繋がりたがっている」に繋がっていく気がしています。
毒多
2012/05/15 09:17
山路独さん、おはようございます。

>過去の実体験、これまで得た知識

はい、そんな気がしています。とりあえず今「見えなくなっている」というエントリーをかいて、自分の意識に確認させることができてよかった。存在意義も、社会にとっての存在意義ではなく、そこに繋がるのかもしれませんが、とにかく魂がしたがっていることを解放してあげる、、になりそうです。ありがとうございます。

毒多
2012/05/15 09:17
愚樵さん、どうもありがとう。

>過去、なにが毒多さんを「運動」に駆り立て、何がそれに終止符を打った

はい、ワタシにとっては、やはりこれしかないでしょうね。
それを素直に率直に思い出しながら、今、その後、思索してきたことでどう考えるのか、書き綴ってみたいと思います。これに気づくのに随分長い時間がかかった気がします。
実は以前「小説」というかたちでそれを表そうとしたことがあるのですが、「意識」が先行して、先行してというよりも「ヤツら」に阻害されて(そのときは気づきませんでしたが、意識はヤツらに吸い寄せられていました)挫折したような気がします。今度はちゃんと「魂」に向き合いたいと思っています。
いろいろ感謝しています。ありがとう。
毒多
2012/05/15 09:18
おはようございます

>本(言葉)を読み(喰い)つづけてしまう魂

 私は、読まないと死んじゃいます…眠れなくて…嘘です…

 この項を読んでの雑感です…箇条書き…

・時間がタップリありそうな感じがする…自営業なんだろうか…
・そこはかとなく、猶予感がある…世代的なもの?或いは、キャラクターなんだろうか…
・行為に理由が必要なんだろうか…読んだ全体への疑問
・でも、焦燥感もあるんだ…なんだろ?
・のわりに、切迫感がない

石川啄木のローマ字日記のような感慨を持ちました
sv400s_dracin
2012/05/15 10:11
あ、言葉を食う天才さん、いらっしゃいませ。おはようございます。

なんだか鋭い箇条書きですね。
いわれてみて自分でも不思議に思っています。
出来る範囲で考えてみます。

はい、フリーランスで仕事をしています。
仕事に干されている最近は仕事に追われる時間は少なくなっています。
そのぶん収入はなくなっています。
これが将来に対する不安材料になっています。
じゃ営業でもすりゃいいじゃないか、と言われることもありますが、そこに時間を費やしたくないのはキャラクターかもしれません。
焦燥感にについては、仕事の不安もありますが、自分は「生きている」のだろうか?という疑惑が焦燥感になっているような気がしています。
仕事をして将来、仕事をやめたときに備えるために「生きている」わけじゃない、といったような感じでしょうか?
最近「生きるために食う」じゃなくて「食うために生きている」のではないかという疑惑に対する焦りです。
猶予感があるように感じますか?
あるといえばあるし、ないといえばない。
家族(パートナーと子ども)がいる、ということが猶予感に繋がっていると思います。
また「今しか生きられない」、とすると前述の「生きるために食っているか」という自問に、そうだ、と言い切れない自分は「生きずに死んでしまう」という焦燥感があります。と同時に今しか生きられないということで未来に対する心配などしたところで仕方ない、と感じるワタシに対しては猶予感になるのかな。
毒多
2012/05/16 08:56
それとも、この社会の底辺を見てきたからの猶予感かもしれません。収入がなくなって路上に放り出された時の状況ですね。あんなもんなんだ、というか、あの「当該」にならなければ解らないこと「生きられない」こともあるかもね、という感じはもっています。家族を巻き込みたくない、というのと切迫感はありますし、「見てきた」と実際に「当該になる」は大きく違うのでしょうが・・・
いずれにしろ、死ぬまで生きるのだけど、今しか生きられない。

>行為に理由が必要なのか? 

いかにも天才らしい言葉です。私のような凡人が躓くと「理由」を欲しがるのかもしれません。理由という発想さえなく、行為している、行為しないではいられない、に至ったとき「生きてる」と言えるのかもしれません。
毒多
2012/05/16 08:56
関係ないですけど

>あ、言葉を食う天才さん、いらっしゃいませ。

『言葉を食う天才』で『ヤカンズル』を連想しました…うーん、年齢が想像できる連想ですね…ゲゲゲの鬼太郎に出てきた食べるだけで消化しない妖怪です…うーん、確かに上手い言うなぁ と感心しきり…

ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大辞典より
『ヤカンズル (サン)
(やかんずる)
登場作品:「悪魔ブエル」
シリーズ:週刊少年サンデー
 別世界に胃袋を持つ大食い妖怪。首の先には頭がなく、ラッパ状の巨大な口だけが付いており、あらゆるものを食らい尽くす。天の岩戸に閉じ込められていたが、悪魔ブエルの呼び出した五十個軍団の悪魔を倒すため、鬼太郎によって解き放たれた。』

「言葉を食う天才」なんて、二つ名にしては、カッコよすぎますけど…ヤカンヅルだと思えば、私には、お似合いな感じですので、早速、あっちこっちで使います…
sv400s_dracin
2012/05/16 18:41
おはようございます。

夜間鶴ではなく、薬缶吊なんですね。
説明を読みなんとなく思い出すぐらいゲゲゲの鬼太郎は読ん(観てかな?)でました。
夜間鶴だと、夜な夜な機織りをする例の鶴を想起させおされな感じもします(笑)
それにしても薬缶吊の説明が凄いですね。

>別世界に胃袋を持つ。>頭がない。

うむ、すごい。行為は宇宙につながり、意識や環境に左右されない、とすると究極の「生きている」かもしれません。
以前、ただ「読むだけ」ときいたときに不思議は感じがしました。ワタシなどは何か目的があって読むになり、読まずとも死にませんが、読むことで「生きている」というのも、魂が他者の魂と繋がろうとしているのかな、という気もします。(意識せずに)。
本、言葉というのが他者の魂とすると、、、ね。

毒多
2012/05/17 08:44
愚樵さんのブログにコメントしていて、たまたまオウテカについてほんのちょっぴり言及したので、その流れで彼等のインタビューでの発言を引用しますね。

「基本的なプロセスはないんだ。出発点というのはないし、決まった視点さえもない。実験していると出発点が自然と出てくるから、自分の心の中からアイディアを出す必要さえないんだ。制作プロセスの中で、アイディアと呼べるものにぶち当たるんだよ。僕たちはそういった自然発生的な部分に魅力を感じていて、目的を決めることに興味がない。目的を決めてしまうやり方は、制作をするに当たってすごく有害だと思うよ。今まで知っていた概念を再利用しているだけだからね。僕らの場合は、知っている概念を使いたいんじゃなくて、何を発見できるかが重要なんだ」(以上『サウンド&レコーディング』公式サイトより流用)

上記発言の「制作」を「生きること」に置き換えてみると面白いんじゃないでしょうか。
生きるということはこういうことなんじゃないのかな、となんとなく思います。

まあ、私自身は「どう生きる“べき”か」ということに子供の頃から全く関心がないので、毒多さんにコメントする資格がないのかもしれませんけれど。
生体レベルで「生きている」ことと社会参加という意味で「生きている」ということもまた違うのでしょうが、煎じ詰めればどちらもどうでもいいことのように感じます。

そもそも現象面における存在という態様が、真の実体なのかもよく分かりませんしね。この世界が「太陽光が物体に遮られて生まれる『影』に類似したものなんじゃないかという感覚を、子供の頃から感じています。

今この時間/空間に自分が(おそらく)生きているという不思議に驚愕することさえ出来れば、それで十分なんじゃないかと思います。
平行連晶
2012/05/20 01:30
おはようございます。

>この世界が「太陽光が物体に遮られて生まれる『影』に類似したものなんじゃないかという感覚を、子供の頃から感じています。
>今この時間/空間に自分が(おそらく)生きているという不思議に驚愕することさえ出来れば

平行連晶さんも天才なんだろうなぁ、と感じます(笑)
「オウテカ」のインタビューの紹介ありがとうございます。面白いです。
>きまった視線がない、、、>プロセスでアイディアにぶちあたる、、、>目的をきめない、、、
多分、凡人が漫然と社会に取り込まれながら生活していては、こうした感覚に出会うこともない気がします。何かを目標とせずに気張らずにそれでも「何か」をして、始めて「何か」にであい、または「何か」が生まれてくるんだろうなぁ、と漠然に思っています。
もちろん「出発点」はありません。全てが連綿と繋がっています。「終着点」もないでしょう。、、、という気持ちに少しなってきています。
ありがとう。
毒多
2012/05/21 09:00
>毒多さん
いや、私はかなり俗っぽい凡人ですよ。
シンディ・クロフォード(今何してるんだろこの人)の「私は俗っぽいけれど、安っぽくはない」という言葉に倣いたいものだとは常々思っていますけど。「軽く」ありたいんです。
硬い・重いものは鉱物だけで十分。

生きる上で他者(=森羅万象)と関わる中で、自分がどう変化するか・自分の中に何が生まれるかということが面白いんじゃないかと思います。

不安定であることを積極的に肯定したい。

他方、「自分がどこから来たか」「自分は何者なのか」ということも、とても大事なことのようです。
今日は休日だったので、ジム・ローチ監督の『オレンジと太陽』という映画を観て来ましたが、その辺りのことがテーマになっています。
名古屋界隈で上映されている(または予定がある)かは知りません。
でも機会があったら観てみてください。
私は非常に得るものが多かったです。
平行連晶
2012/05/21 17:11
蛇足です。

“退屈な幸福よりも、おもしろい不幸の方がいい”
そう思える自分でありたいです。まだそこまで到達できてないものの。

幸不幸や不安なんて代物は、苦痛と同じで、唯の脳内の感覚にすぎないでしょ。実体などない。
もちろん感覚は存在するけれども、やはり「無い」。
「色」が外部的実在として存在するわけではないように。

それらを「本質的に感得した上で」世界や自分自身に向き合えるようになれば、世界も自分自身も、まるで異なった姿を顕すのではないかと思います。
ただ、私みたいなのが増えすぎると社会が成り立たなくなる気もしますけどね。

締めに蛇足の蛇足で。

If you can't change the world. Change yourself.
If you can't change the world. Change yourself.
And if you can't change yourself....change the world.
www.youtube.com/watch?v=fnz-pD_bOHo
とても好きな歌です。
平行連晶
2012/05/21 17:55
こんにちは

ワタシのここでのイメージの天才は、この社会でいうとこの「偉人」とか「著名な才能」につながる人じゃなくて、「軽い」人かもしれません。肩肘を貼らずにいけるというか、重々しく考えなくても魂を解放させられる人というか、「自然」に寄り添えるというか、、・・・
まさに平行連晶さんが、コメントされている感じを「天才」としました。
「素」で軽くいられるのは、なかなかな才能だと思います。
ワタシのような凡才だとあれやこれやに惑わされ、重々しくなってしまうわけです。

映画の紹介ありがとう。ロードショーの間にいけるかな?
調べてみます。

2つ目のコメントは「まさにそれ」です。
なのにワタシは、、、、なんですよ(笑)
毒多
2012/05/22 11:38
久しぶりに来たら、元気で悩んでいる毒兄がまだここにいた。良かった、良かった。ではまた〜
さめ@海に潜らずにいられない
2012/06/12 20:00
あ、天才さんがきた!!(笑)
海に潜らずにはいられない、せずに居られない。は、ホントいいですよね。
うらやますいっす。
ところで、>元気に悩んでいる
で、考えたのですが、もしやワタシのせずに居られない、ってのは、「悩まない」ではいられない、、、かもしれない。って、悩んでいるときに元気でいられる、、、ってやだな、爆!!
「悩む」が目的化するってのは、「市民運動」が目的化するのと似ていて、それが目的じゃないでしょ、、、って感じですね。
毒多
2012/06/13 08:20

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