毒多の戯れ言

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zoom RSS 「史実」・・・それのみでは判断できない

<<   作成日時 : 2012/01/12 19:01   >>

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 ずっと以前のことだけど、大学で社会学を教えているセンセイ(准教授)とよく呑んでいた。
 そのセンセは江戸の社会の研究をしていて、そういう話をちゃんとすれば面白かったのだろうけど、如何せんワタシが勉強不足でなかなか面白い展開にできず、共通の趣味であるテニスや釣りの話ばかりしてた。
 あるとき呑みながらふと浮かんだ疑問を投げかけた。
 「歴史なんて絶対に伝える人の意志や感情が入るから、いい加減なものじゃないのかな?」みたいなこと。と、そのセンセは、
 「例えばここで『ビールを飲んでいる』という事実が歴史のわけだ」といわれ、すぐにいいかえせなかったので別の話になってしまったのだけど、やはりなんか不思議な気がしていた、、、、って、こんな疑問は歴史を勉強している人にとっては基礎の基礎なんだろうなぁ、とも思うんだけどね。
 しかしさ「ビールを飲んでいる」にしても、楽しいのか、ツマラナイのか、何故そこでビールを飲んでいるのか、、、は歴史ではないのかいな?とか考えてしまう。たしかに個人の感情なんざ歴史的事実に組み込んでしまえば、個々によって歴史認識が違いまくり分けがわからなくなる気がするんだけどね。
 分からなくなるから史実のみの淡々としたものが歴史なのかね? となるとバックボーンやら個人的物語を省いちまうわけ、、、ちょっとそれもねぇ。
 忠臣蔵なんかでも、浅野が吉良を斬りつけた。浅野の家臣が吉良家に復讐した。復讐は法的でなかったため、幕府によって罰せられた・・・バックボーンやら感情やら物語やらを省いてしまい事実のみにしてしまえばこんなものかもしれないな。

 いやさ、何が言いたいかといえば、、、まだ引きずるの?、、、って言われそうなんだけど、例の「従軍慰安婦問題」ね。ほれ、オラが「サヨク諸氏」なんて書いたから、村野瀬さんに「史実派諸氏」に訂正してください(キリッ)なんて言われたんだけど、なんか引っかかっててさ。
 史実としては、「戦時中、強制連行され男の性欲処理の道具として使われた女性がいた」でしょ。まあこの史実自体もワタシの「感性」としては酷いとは思うのだけど、やはり一番の問題は慰安婦として使われた女性の「感情」なんだよね。未だに傷が癒えず苦悩しなければならない、という感情が問題で、この感情は「史実」として判断はできないんじゃないのか、というのは、仮に慰安婦として強制連行されて喜んでいたという「感情」であったなら「問題」にならないんじゃないか、ってことなんだよね。いや、問題にならないのかな?史実に対して「酷い」と感じるオノレの「感情」をもとに問題にしていもいいのかもしれない。でも、元慰安婦が喜んでいて、そんなこと問題にしないで欲しい、、と言っても、その感情はワタシの感情と相容れないから絶対に「問題」に致します、、、ということになるとややこしくなりますねぇ。実際には元従軍慰安婦の心身ともの痛み(痛むという告白)とオノレの「酷いはなしだ」という感情が同じベクトルにあるからややこしくなることはないんだけど、「問題」は「史実」ではなく「感情」に起因するんだと思うわけだ。
 結局「問題」は史実ではなく、史実から感じる個々の感性に拠るわけだな。
 「史実派」です!! ってのの違和感ってのはこんなとこかな。

 史実っていう表面的なアラスジってのは、個々の物語や感情の集合体がバックボーン(時代背景)になって出来てくるわけで、その史実を読み解くときには、また読み解く側の個々のバックボーンやら物語や感情が関与していくんだよな。今読み解く人間の物語やら感情でもって過去の「史実というアラスジ」を「書き換える」のは間違いだけど、多くの個々の物語で造られていく「史実というアラスジ」が多くの個々の物語で読み解かれていくという歴史は一筋縄ではいかないだろうな。
 いずれにしても、あまり「史実のみで判断」ってのは意味を成さない気もするがどうなんだろうね。まあ、いいんだけどね。

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おはようございます。

私もお察しの通り史実派には違和感を持つ者ですが。「私は呪います」宣言みたいに受け取っています。

「呪い」については内田樹の
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/28694
を参照に。

「史実を書き換える」のはケシカラン行為ですね。これには誰も異存を唱えません。では、「感情を書き換える」のはどうでしょう? 

感情っていうのはころころと「書き換わる」ものですね。自分でも識らない間にね。連行という史実があって、その史実に基づいて補償を訴えているという現在があって、この間の感情は決して一様ではない。人間なんてそんなものです。

念のために言っておきますと、これは喜んで連行されたなんて言いたいのではありませんよ。そのように他人が勝手に感情を「書き換える」。これを「呪い」だと言いたいわけです。

自称史実派のやっていることも諸氏が歴史修正主義と呼ぶ者も、この観点から見れば同じなんですね。史実というものをテコに感情を「書き換える」べし、と隠然と主張する。史実派はそれが理性的な態度だと思っているらしい。仮にそれを理性的と呼ぶにしても、それは私の表現でいうと霊性に欠けたものでしかないし、その意味で言うならば、まだ愛国心に訴える者の方があからさまな分だけ可愛げがあるということもできる。
愚樵
2012/01/13 05:52
史実をテコにして感情を書き換えようとするのは、死刑推進派も同じなんですよ。被害者遺族をまつりあげてその感情を神聖視する。この感情は事実と結びついていますから、なかなか否定しがたい。でも「ちょっと待て、そんなに安易に結びつけていいのか」というのが理性でしょう。そして、これを理性というなら、史実派の理性はアンチ理性と言わざるを得ない。

理性とアンチ理性がひとつの人格の中に同居しているならば、その人格を理性的というわけにはいきませんね。理性を自己のアイデンティティ保持の道具として利用しているだけに見えてしまう。そう見ると、御用学者と呼ばれている人たちとの区別もつかなくなります。差は利益を得ているか否か。

もっとも、史実派が節操なく利益を貪るような人格とは思えないのでこの同一視は行き過ぎですが。
愚樵
2012/01/13 05:53
何故か揉める従軍慰安婦ですが、これは正誤の話ではなくて善悪の話なので皆さんの考えが一致せず対立するのですよ。
いわゆる史実派ですが、科学としての歴史学なら善悪には無関係で、純粋に正誤の判定だけを行えばよい。
ところが、悲しいかな『善悪』を判断の基準としている人が中にいる。
ネットウョ何かは最初から正誤ではなくて善悪が判断の基準です。
これでは必ず揉める。
偽科学退治の騒動が数年前に起きていたが、あれなんかは科学の正誤を、善悪の問題に摩り替えて論じていたから大騒動になったのですね。
科学の正誤は誰もが『同じ』でないと、みんなが困る。
ところが『善悪』とは、基本的に個人で違っていて当然なのです。
『善悪』の基準を無理に一致させようとする行為は、厳しい言い方ならアメリカのブッシュ大統領の発想と紙一重の傲慢な考え方です。
反戦塾で第一次世界大戦の日本の対独戦が火事場泥棒との記述にネットウョが、
『それにしても、よくも日本のことをこんなに悪し様に書けますね。
おっしゃるとおり、これは自虐史観じゃありません。「日本はこんなに悪かった」と、自分たちの先祖の悪意をもって見る、先祖虐史観です。』
火事場泥棒とは左翼の創作ではなくて、当時の日本帝国外交官の松岡洋右の言葉なのですから正誤の判定なら歴史的に絶対に否定できない。
ところがネットウョにとっては善悪の話なので全面未定しても何も可笑しくないのです。

宗純
2012/01/13 14:42
愚樵さん、どもども。
kuronekoさんとこのコメントのやりとりは勉強になりました。ありがとう。

 村野瀬さんを引き合いにだしてしまい申し訳なかったのですが、何を隠そう「史実派」ってのは、ワタシの(一面の)ことなんですがね、、、なんて、今更いわないでも知ってましたか、愚樵さんは(爆)
 サヨク諸氏が「自省の念が大切」と過去の過ちを振り返り反省しようというならば、現在の論じている自分も一歩ひいいて自省しなければならない、ってやつの一環です。オノレの感情(感性)を盾に、相手の感性を叩くってのは史実じゃない。自省せずに「自分の感性は正しい」を前提につっぱしるわけですね。ましてや事件当該の感性を呪うなんてとんでもないことです。
 過去の他人の反省は代わりにしてやれても、今の自分の反省はできない、ってのはカッコ悪いですね。カッコ悪いのでワタシも反省しているわけです。

 もともと、村野瀬さんのエントリー(のタイトル)は、「元従軍慰安婦の話をきいてください」だったんですよね(「日本人は聞いて下さい」、ってのがいかにもサヨクっぽいいんだけどww)。「聞いて下さい」だけでよかったんじゃないんかなぁ、と思っています。そんな元従軍慰安婦の話、、ってのは「言霊」じゃないのか。ワタシが以前聞いたときは「賠償」とか「責任」とかの話ではなく、ただ痛々しく、悲しく、それでも生きてきて、、、やっと話せるようになって、(多分話せたことで)安堵して、、というような感じだったような記憶があるのだけど、、、
 そこから先は聞いた個々の問題で、違う聞き方をしたものを強制書き換えするのは、、、ね。

毒多
2012/01/13 17:55
宗純さん
まあ、主張というのは、個人的な「善悪」「感情」がなければできないもので、ネトウヨが「善悪」「感情」をたてに主張しているなら、サヨクも同じってことでしょうね。それを「史実」って言っちゃうのでたちが悪いのではないか?というエントリーでした。
「史実」に対して「悪いことだから反省しよう」も個人の感性なら、「自虐」と感じるのも個人の感性です。
ワタシは個人の感性や個人の感じる善悪を盾に、主張や議論するのはいいと思っています。というか善悪を盾にするしか個人は主張しようがない。にもかかわらず、「史実派」と言ってしまうことへの違和感です。
まあ、宗純さんと言う事を繰り返しているのかもしれませんが・・・笑
毒多
2012/01/13 17:55
「例えばここで『ビールを飲んでいる』という事実が歴史のわけだ」

そんなもの歴史なわけないでしょ。アホらしい。
 歴史とは構成された人類知ですから、ただの事実の羅列ではない。
 かといって、ヒストリー(イストワール)は、つねに「物語」だと居直る人は、自分都合を言いたてて、あんまり相対主義ではないような……。
 
 「史実派」なんているのかな。ピラミッドはエジプトの王が作ったという人はみんな史実派なのかな。宇宙人が作ったって説は史実派ではなさそうだけど。
 坂本龍馬は見廻り組に暗殺されたと、傍証からでも推論するのは「史実派」で、実は薩摩か長州が手を下したのだ、と根拠レスにいうのは、史実派ではないとか。その伝でいえば大概の人は史実派なんじゃないかな。

 赤穂浪士に討たれた吉良上野介の感情がどうだったか、わからないわけですよ。実はぼけてたかもしれないし、おびえる人生がもう嫌になってうつ状態だったかもしれない。そこの詮索は歴史小説ですればいいことです。
 史実とはそんな詮索とは無縁に、「討たれた」ことを記述し、それまで。上野介の感情とは没交渉でかまわない。
 だいたい感情なんて、当人だって正確にわからないんだから、共有する知識として詮索することはない。一般的に推論できればいいんじゃないかな。
 大概の人は殺されるのは怖いから、信長に虐殺された民衆は怖かったろうと思います。なにがなんだかわからないうちに殺されちゃった人もいるでしょうけどね。それって歴史記述に要ることではないんじゃないかなあ。
 




 

 
 
kuroneko
2012/01/13 18:16
1000年間の出来事を語ろうとすれば、最低でも1000年の時間が必要となる。
しかし、1000年間の出来事は1冊の本にまとまる。これは何故か。
省略されるからである。
つまり、歴史とは省略である。

養老の受け売りなんですけど、これ以上に的を射た歴史というものに関する説明に未だ出会ったことがありません。

記述するということは、常に記述されざるものを生むということです。そこには常に記述する内容を取捨選択する「視点」が絡みます。
この視点が複数存在することが歴史論争の種になります。毎度の話です。

例えば史料=史実とするなら、軍による慰安婦の強制徴用は「あった」ことになります。
白馬事件が史実を裏付ける史料の一つとなるわけです。
軍人によるオランダ人女性の連行→慰安所での服務強要があった。
上記の史料から、複数の視点が生まれる。
1:軍命による組織的かつ恒常的な慰安婦の強制徴用があった
2:一部の軍人による独断的な慰安婦の強制徴用があった

まず、これで揉める。
黒い時計の旅
2012/01/14 04:10
承前です。長くてすみません。

さて、意思決定機関としての旧日本軍部が、慰安婦を「強制的に徴用せよ」との公式な通達を発したことを証明する文書=史料は現時点で発見されていません。

ここでまた複数の視点が生まれる。
1:官僚組織が自らの失点(汚点)となり得る命令・通達を文書化するわけがない。従って史料が存在しないことは日本軍が恒常的な慰安婦の強制徴用を行って(行わせていた)ことを否定する証明にはなりえないし、強制徴用を黙認する体質があったはずである
2:史料が存在しないものを史実としては認められない
慰安婦の証言は、特定の軍人が慰安業務を強要した事実を示しているのみで、旧日本軍部が組織として強制徴用を指示していたことを示すものではない

これでまた揉める。

で、このような複数の視点を生む背景となっているのが、「感情」なんですよね。
一方には、自分たちの父祖は美しかった。クリーンであったはずである。汚れていて欲しくない、という感情。
他方には、国家というものは常に悪を成すものであり、後世に生きるものは過去の汚点から目を背けずそれを糾弾せねばならない、という責任感(これも感情)。

史料は史料。それ以上でも以下でもない。
しかし史料それ自体に感情が記述されなくとも、それを扱う人間に感情があるわけです。
その感情の顕れに差異があるから、揉める。
「慰安婦の感情」と言いますが、当時慰安所で働いていた全慰安婦の感情を細大漏らさず知ることなど、当たり前ですが不可能です。
受け手の感情の問題なんですよ。「父祖の誇り」も同じですよ。受け手が己の感情を他者のそれに仮託している。

そして、史料の背景にあるものを語ろうとしても推測にしかなりませんから、結局は史料を手札にしたディベートと称する相互否定の応酬になるんでしょう。
黒い時計の旅
2012/01/14 04:36
『主張というのは、個人的な「善悪」「感情」がなければできない』
なら、『この主張は私個人の主張です』と本人も主張の限界を考えるべきなのです。
ところが今のネット空間はそうではない。
個人的主張ではなくて、その正反対の『全体の共通項(真理)である』と主張しているのですね。だから揉める。
養老 孟司ですが、主張が無茶苦茶なのに何故あれほど人気があるのかが行く判らない。
世界の蝶々を何万匹集めても、それだけでは偏執狂的な蒐集マニアではあるが科学とはならない。
歴史でもまったく原理は同じで、『集める』だけでは何の意味も無いのです。
分類して共通の何かが判れば立派な科学の一分野になれるが双方が『何か』に思い入れが強すぎて相対化が出来ないのです。相対化出来ないなら普遍化など夢のまた夢。
歴史学の一番の目的とは、実は過去を知ることで未来を正確に予測することなのです。
これは科学の最も大事な役目で、何千年前の日食の期日が判っているから将来の予測が完全に出来るのです。
その他の科学でも原理は同じ。人々から科学が『正しい』と支持されている理由もこれで、自分で改めて実験するまでも無く事前に『結果』が正確に予測出来るからですね。だから科学なのです。
個人的な善悪の感情で、その結果が動くなどは科学とは正正反対。
科学の重要な要素には反証可能性が有るのですが、『主張』の反対者が行っても同じ結果が出ないと駄目なのです。
宗純
2012/01/14 11:16
>宗純さん

養老が人気がある理由ですか。面白いからですよ。
まあ確かに『バカの壁』辺りから出ガラシみたいになっちゃったんで私も読まなくなってしまいましたが。
クソ真面目に正しい話を並べる人よりも、話を盛ったり牽強付会であったり支離滅裂であっても語り口がユニークで退屈させない人の方が人気があるのは世の常です。

それと科学がどれだけそれを扱う人間の感情に左右されるか、宗純さんもご存知でしょう。
何故旧ソ連時代にラマルキズムが支持されたか、とか。

余談ですが、蝶は知りませんけど蜘蛛なんか近年でも分類学者の主張の違いでころころ学名が変わったりします。種どころか属名がくるくる変わったり移動したりします。
分類するということは分け目を作ることで、分け目は自然界(この場合は蜘蛛)にあるのでなく、分類する人間の側(の知覚・認識)にあるからです。

科学は人間の価値観を完全に断ち切ったところに存在するわけじゃない。物理現象のようなものと異なり人間の行動の集積である歴史学など、その最たるものでしょう。
学問は人間のものですから。
宗純さんがブログで書かれていらっしゃることの大半には同意で異論の余地もないんですが、こと「科学観」に関してはあまりに建前論に過ぎる気がします。
黒い時計の旅
2012/01/14 12:29
kuronekoさん、こんにちは。

>そんなもの歴史なわけないでしょ。アホらしい。

うーむ、いきなり「アホ」、、、かぁ、、、これも「揚げ足取りのやり方」というのでしょうか? あまり気分の良いものではないなぁ、という「感情」を体感できますね。
「効用」としては、気分を害しておいて「ムキになって書く」ことによって書かれた反論の穴の揚げ足を取ることになる、ってことか、それとも単にエントリーを読み気分を害したことを冒頭にて提示して主張しているのでしょうか? なかなか「読み取り方」が難しいです。
新たなテーマとして「揚げ足取り」を思索しようか、とも思ったのですが、それこそ揚げ足取りになりそうなので止めます(笑)。
「りんごが落ちた」で歴史なる可能性もあるのだから、「ビールを飲んだ」も歴史になる可能性もある、、、なんて、つまらないことは言わない方がよさそうだしね。

「史実派」というのは、村野瀬さんに「サヨク諸氏ではなく史実派諸氏に訂正して欲しい」と言われたとことが出所です。
 P君とのやりとりのなかで、P君が史実を曲げてオノレの正当性を主張しようとしている、ことから、「史実派」という言葉がでてきたのだろうと推測しています。が、なんとなく引っかかったので考えていました。

>だいたい感情なんて、当人だって正確にわからないんだから、共有する知識として詮索することはない。一般的に推論できればいいんじゃないかな。

この辺り一般的なら流されていくことに、いちいち疑問に思ってしまう頭の悪いブログです。すみません。

毒多
2012/01/14 15:47
黒い時計の旅さん、コメありがとうございます。

ワタシの(稚拙な)疑問を整理していただき、解かりやすくしていただき感謝。いつも助けられます。
>複数の視点を生む背景となっているのが、「感情」なんですよね。
はい、そう感じます。

>「慰安婦の感情」と言いますが、・・・受け手の感情の問題なんですよ。
では言い直します。受けての中にある「慰安婦の感情」であるとこの感情。ってことで。

>結局は史料を手札にしたディベートと称する相互否定の応酬になるんでしょう。
で、ですね、できれば「相互否定」になる、という諦めの感情のまま終わりたくないワタシは、結局ディベートが「感情」に起因していることが理解すれば「相互否定の応酬」にならないのではないか? と考えているのだろう、と思うのですね。
歴史の理解、感情の理解、読み解きの理解、ってのが共通の理解でないことが問題のような気がするのだけどなあ・・・

後の「宗純さん宛」のコメントは面白いけど、ワタシがコメントをするのは控えておきます。

毒多
2012/01/14 15:47
宗純さん

>『この主張は私個人の主張です』と本人も主張の限界を考えるべきなのです。
そうですね。そういうことです。
でも、限界だと諦めるのではなく、限界の要因を理解すれば少し前進するのではないか?とも思います。
エントリーとしても「科学の正誤」ではなく、「科学の正」であっても読み解く人間で理解も主張も変わってくるんだよな、、、というものです。
という意味で、黒い時計の旅さんの再コメも面白く感じました。

毒多
2012/01/14 15:48
史実は事実ではない。事実の要約に過ぎない、と。では、なぜ史実が求められるのか。

ここは考えたいですね。

純粋に歴史を知りたいがために、事実の要約と知りながらも史実を追究する。これは学問的な態度だけれども、こういった人は史実派とは名乗らないでしょう。

史実は裁くための材料なんですね。

裁くことは必要でしょう。社会は争いに満ちているわけだから。が、裁けば救われるのか。目的は裁くことなのか。救うことなのか。

人には人権というものがある。侵害してはならないが、しかし、侵されるのが人権なんですね。で、侵された人権は救済されなければならない。ここまでは異論はない。では、誰が、あるいはどこが救済の責を負うのか。

日本国民の人権が侵された場合に救済の責を負うのは、最終的には日本国でしょう。もし仮にアメリカによって日本国民の主権が侵されたとして、その場合、最終的に救済の責を負うのは日本国です。アメリカではないんですね。

これは常識的な因果応報の感覚からはかけ離れていますけど、国際社会はそういった仕組みになっている。国家主権というのはそういうものです。主権というのは人権を侵すことができるから主権なんです。主権をもってしても人権を侵してはならないというのはあくまで建前であって、もちろんその建前=虚構は守らなければ社会の秩序は失われるのだけれども、でも、建前は建前なんです。大義名分があれば主権は人権をいとも簡単に蹂躙する。その事実と、主権が人権を保護するというのは、セットなんですね。それが民主主義国家。
愚樵
2012/01/15 05:35
この仕組みの起源は、ナショナリズムと同じ。フランス革命つまり。つまり人権の起源と同じ。主権という概念はそれ以前からあって、領主達が互いの存在を認め合うという形で成立した。ここには西欧の特殊事情があって、主権の上にローマ教皇という権威が存在していたから。もしローマ教皇の権威と世俗の権威とが一致していたら中華思想になった。世界標準でいえば、中華思想の方がスタンダードなんですけどね。

ま、それはともかく、現在は民主主義的主権国家がスタンダードです。日本も韓国も同じです。

それで慰安婦の問題です。この問題における史実派の主張は、乱暴にいえば、韓国国民による日本国主権への裁きを認めよ、ということなんですね。史実に基づいて。

日本国民は日本国の主権を裁くことが出来ます。憲法でそういった契約を結んでいるからです。でも、他国民は日本国を裁けない。やるとしたら戦争しかない。それが主権国家というものなんですね。これは、フランス革命以後の、いや、それ以前の西欧特殊事情がグローバル化した史実の、その歴史解釈の結果成立した現在の世界秩序に基づいているんです。

そこまでもひっくり返して韓国国民による裁きを受け入れよ、というのなら私は認めます。これは主権の否定であり、同時に人権の否定でもある。なぜなら人権を最終的に救済するのは主権なんだから。そこが主権が否定されれば人権が否定されるのと同じこと。

もちろん、韓国国民が日本大使館前に銅像を造る権利はあります。それは表現の自由に属すること。それを受けて自国の歴史を反省するというのもいい。でも、韓国国民の人権の救済は韓国政府の責務だとはっきり言わなければならない。理不尽なようでも仕方がない。主権は史実をもってしても裁けない。少なくとも現体制では。
愚樵
2012/01/15 06:25
この線で追及していくと、慰安婦たちの救済を怠ったのは日本国ではないというが明らかになってくるんじゃないですか。日本国は韓国に一応の賠償はしたんです。主権同士で手打ちはすました。その範囲から慰安婦達が漏れたのは日本国の責任とはいえない。もしその責任を認めるならそれは韓国への主権侵害ですね。

なので、韓国政府は慰安婦達の感情を利用して、主権同士の一応の決着をひっくり返そうとしている見ておくのが適切なところだと思います。そうすることで自らの怠慢を隠蔽しているわけですね。

それはそれで、韓国政府としてはひとつのやり方ではあります。でも、それに日本が付き合う必要があるかどうかは別問題ですね。
愚樵
2012/01/15 06:27
毒多さん

>「相互否定」になる、という諦めの感情のまま終わりたくない

意思がこういう流れに向くところが、毒多さんの良い所ですよね。私はすぐに匙を投げてしまう方で、人間が全然出来てないですから。

話は変わりますが、性行為を強制された元慰安婦の方々の苦しみや悲嘆という感情を、それを経験していない・当事者でない人間が共有するというのは生半可には出来ないことですよ。本当にそれが出来る人は、同じように性暴力に晒されて、それでも生き抜いてきた方々くらいではないですかね。
自分には出来ないですね。あなたの苦しみがよく分かります、なんてとてもじゃないが言えない。
変な話になりますが、私は具合の悪い人の傍にいると自分も体調が悪くなってしまうようなところがあって、多分精神的な同調によって身体に影響が出るんだと思います。
ですから他者の苦痛に対してある種の無感動な構えを取らないと、自分が持っていかれてしまう。たぶん弱いんでしょう。

ネット右翼と呼ばれる人たちにも、私と同質なものを感じるときがあるんです。先んじて攻撃的な態度を取ることで、他者の痛みを受け入れ自分が苦しみを負うことを避ける、自分を守ろうとしているように見えることがある。
攻撃的なんだけど根は真面目でとても弱い人たちなんじゃないかと感じる。単なる思い込みに過ぎないかもしれませんが。

あ。でも自分はもし目の前に元慰安婦の方がいらして、話を聴いて欲しいと言われれば、聴きますよ。
それは自分が加害側の国の人間として責任を感じるからではないし、性暴力について理解を深めたいからでも、好奇心からでもないです。
黒い時計の旅
2012/01/15 12:18
>愚樵さん

「国家・政府に詫びを入れさせる、ケジメを取らせる」という方針を貫く限り、主権・人権という【虚構】(あえてこう書きますね)の枷から逃れられないということですね。

人としての尊厳を傷つけられ、苦しみを強いられ、蔑まれねばならなかった方たちの苦痛をどうやったら和らげることが出来るか、それを一番大切に考えるところからスタート出来ていたら、今のようなもつれた状況にならなかったかも知れません。

慰安婦の方が語った「赦して欲しいと言ってください」という言葉と、戦後責任追及運動の中から聞こえてくる「加害責任を認めて謝罪せよ」が、まるで意味が違う言葉のように思えるんです。
黒い時計の旅
2012/01/15 12:41
・黒い時計の旅さん

私は自身をアナーキストだと思っていますから「国家・政府に蹴りを入れて詫びさせ、挙げ句に解体する」というのは大賛成。要するに「フランス革命からの歴史的解釈をひっくり返せ!」です。そうなると当然、人権なんてものも再考しなきゃならなくなる。

これは過激です(笑) でも、そのくらいにラディカルに考えないとこの問題は袋小路入るだけ。袋小路に入ってしまったら、後は陣営に分かれて非難の応酬になるのは当然の帰結ですね。

「人としての尊厳を傷つけられ、苦しみを強いられ、蔑まれねばならなかった方たちの苦痛をどうやったら和らげることが出来るか、それを一番大切に考えるところからスタート出来ていたら」

私はそこがスタートだったと思っているんです。少なくとも史実派は。その「思い」を確実なものとして根拠づけたかったから史実へと行ったんだろう、と。

でも、結局、こういった問題は「正誤」では裁ききれないんですよね。そこを突き詰めようとすると思考のフレームの問題に突き当たることになるざるを得ないが、そこまで行くには自省が必要なんです。「理性の刃」を自身に向けなければならない。が、残念ながらそれはない。

「赦して欲しいと言ってください」
「加害責任を認めて謝罪せよ」

言葉のコンテンツとしては、両者はほぼ同じと言ってよい。でも、片方には「刃」が入っています。その意味で、コンテキストはまるで違いますね。
愚樵
2012/01/15 17:44
黒い時計の旅さん

はい、どれだけ元慰安婦の話を聞いても共有できないでしょうね。同じ経験をしていても共有できない、というのが、他者と自己というものではないか、と考えています。
そういえば、ワタシも「あんたにゃ、レイプされた者の気持ちなんか、わからん!!」と「言い争いのは果て」に言われたことを思い出しました。「あんたもレイプされてみればいい」ということも同時に言われたかな? そのときは怒り心頭になりましたが、、それは、そのツッコミを認めたくないという心理の怒り心頭だったのか??、、、未熟でした。実際は「それを言っちゃ終わりだなぁ〜」ということかもしれません。仮にレイプされてもその人と同じ感情にはなれないでしょう、、ね。もうすこし他者と自己、自己の中にある他者の感情は自己のもの、ということを理解できていればよかった。
ただ今は、他者の感情を完全に解らなくても、自己が受け止めた他者の感情を感じればいいと思っています。「辛い」と言う感情の度合いを比較しても仕方ない。
それに、他者の感情をなんとしても「言葉」にして伝えようとは思わなくなりました、無理だしね。どんな感情も、自己のなかの他者の感情を、自己の感情ですよ、と言って伝えるしかできないわけだし。

>話を聴いて欲しいと言われれば、聴きますよ。

ワタシも「何」のためではなく、聞きたいと思っています。

毒多
2012/01/16 13:23
愚樵さん

>史実は裁くための材料なんですね。

なるほどね。そういうこですね。
以下解説ありがとうございます。「よく解らなかった」構図が分かったような気がします。
黒い時計の旅さんが前スレのコメで言っていた「元従軍慰安婦に民意の基金を受け取らないように」という市民運動への違和感もここでしたか。
「史実派」と自称する人々の「運動」も裁くものであるのに「人情」も絡めている。ここに混乱がある。民主主義国家(権力、非権力)を肯定しながら、ある面において否定する。いや是正すると訂正されるのか? でも権力の肯定との矛盾にいつまでも堂々巡りになってしまう。
ワタシもすっかり「人情派」になってしまったようです、爆!!
人情だけで社会が動くかどうか? がはははは、動けばいいのにね。ってか、動くでしょ、きっと。

毒多
2012/01/16 13:23
ネットウョさんの主張ですが『日本に良かれ』との善意の思い込みから出発している。
もちろん村野瀬さんも同じで『良かれ』と思っているのです。
だから揉めるのです。
科学的に『正誤だけに限定するべきだ』との私の主張とは、具体的にはこの『良かれ』との発想を止めるべきだということですね。
人間が行うのである程度は観察者の主観が必ず影響する。
歴史では『科学』に善悪とか好き嫌いとかの感情が入るのですが、それはノイズであり誤差の元ですよ。
TBした記事に詳しく書いたが冷戦崩壊後の90年代に急に問題になりだした。
何時もなら遅いことで定評がある日本政府がこの問題では不思議なくらいに迅速なのです。
94年には河野談話で謝罪するし基金もすぐに設けて賠償する。
他の戦後保障と日本政府の対応が違いすぎるのに、本当に驚いているのです。
今までの日本では考えられ無い速度ですよ。
その理由ですが、この騒動は中韓ではなくてアメリカが仕掛けてので、日本としては即座に応じたのです。
この従軍慰安婦問題は人道問題ではなくて、もっと大きなアメリカの対日戦略の一環であり、日本が今のように謝罪したり賠償したりしても鎮まるどころか正反対でいまでは大使館前の少女像ですよ。
今後の予想ですが、今のままでは時間の経過と益々共に騒動は大きくなるでしょうね。
宗純
2012/01/17 16:41
宗純さん、おはようございます。

はい、ともに「良かれ」なんですよね。「良かれ」の誰にとって「良かれ」なのか、対象も目的も方法論も違えば相容れないことになるでしょう。
ただ、両サイドとも「日本」とか「日本人」って考え方が入っていると思うんですね。そこがワタシは嫌い(感情)なんです。でも、史実派諸氏は「日本」だけを判断基準にせず、個の「人情」も入っていると思います。それだけワタシには近いのですが、、、。

「内心」を考えだして丸二年になりました。エントリーで始めて挙げたのが二年前の正月(笑)。宗純さんとはずっと堂々巡りですね、爆!!
TB頂いたエントリー、歴史(科学)的な考察は面白く拝読させて頂きました。相変わらず無知なワタシには教えられることが多いし納得する部分も多々あります。
でも、「正誤だけに限定」できないのが人間だと考えます。
どれだけ「正誤だけに限定すべき」、と言っても無理です。だって人間なんだもの・・・って、どっかで聞いたな(笑)。
「正誤だけに限定すべき」という宗純さんのエントリーやらコメントでの対話にも至るとこに内心が見え隠れしてます。(否定されるかもしれませんが、仕方がない、そんなもんでしょ)

ということで、元従軍慰安婦問題がMade in USAの陰謀(が仮に「正」)だとしても、話しを聞いて欲しいという従軍慰安婦の方が見えれば話を聞きます。たとえ陰謀によって喚起(許可)されたとしても、語ることができるようになった内心に向き合わないわけにはいきません。

毒多
2012/01/19 08:42
おはようございます。

おせっかいを通り越して迷惑かもしれませんが、こんな話を聞きつけました。
どう思う「子供の義賊」― 震災現場で何が起こったか?
http://blogos.com/article/29764/

毒多さんがどう考えるか、興味があります。
愚樵
2012/01/23 06:31
また、難しいネタを、、、。
でも面白そうなので、エントリーしてみました。

>毒多さんがどう考えるか、興味があります。

期待を裏切るかもしれないけどね、笑
毒多
2012/01/23 15:09
「子供の義賊」― 震災現場で何が起こったか?
ですが、これは新しい都市伝説の類ですね。
昔のあるところにお爺さんとお婆さんとの話とは違い、この手の都市伝説では話が嫌にリアルで固有名詞が入るところなのです。だから聞いたヒトが信じたくなるが、所詮作り物ですね。
以前には家の近所のスパーの3Fのトイレで外人に若い主婦が襲われて云々かんぬんの話が大流行していましたョ。妙に話が現実的な実名が入っている。
避難所の年寄りですが、喜ぶどころか全員例外なしに、『馬鹿者が』と、これが事実なら一喝していますよ。
避難所ですが、ここでは1円のお金も要らないのですよ。
また、大金を持っていたとしても気仙沼は町全体が破壊されたので、商店自体が無いのですよ。
火事場泥棒の話ですが、これは大人たちが移動の為のガソリンを確保する目的で放置されている壊れた自動車から燃料を抜き取った行為が報道されているが、これのことですね。
個人や会社事務所の金庫が震災後に見つかり全部が所有者に無事かされたことが欧米で大ニュースとなっているが、これ等の金庫とは違い信用金庫のは金庫室で閉まっていればダイナマイトでも無いと開けない。閉め忘れていたのなら津波でお金を盗ることは無理。どちらにしてもこの話は無理筋です。
宗純
2012/01/24 09:07
元の話題の従軍慰安婦ですが、
残念ながら事実なのですが、これは『日本だから』ではなくて戦争をする軍隊だからですね。世界共通。
世界共通だから許されるというものでは無いが、少なくとも国家の武装を禁じている9条のある今の日本にアメリカ議会の対日非難は心外で、人道ではなくて政治的な問題でしょう。
当時の日本ですが軍人の性病罹患率がアメリカ軍何かより遥かに低くて優秀だったが、その原因の一つが問題になっている軍が管理していた従軍慰安婦。
兵士が性病ではまともに戦争が出来ないがアメリカ人の成人男性の1割が梅毒で6割が淋病であったといわれています。
毎日新聞の報道によると当時のアメリカは南部の黒人とか囚人、中米グアテマラの先住民に対して梅毒や淋病の人体実験を繰り返していた。酷い話ですね。
米国では32〜72年に南部アラバマ州で貧困層の黒人約400人に対する性病の人体実験が実施。
グアテマラ政府の報告書によると、米公衆衛生局や米国立衛生研究所は46年7月〜48年12月に受刑者、兵士、売春婦、孤児など少なくとも約1160人に梅毒スピロヘータや淋菌を接種。
オバマ米大統領が2010年10月、グアテマラのコロン大統領に謝罪。両国に調査委員会が設置され、実態解明が進められてきた。
宗純
2012/01/24 09:19
宗純さん、おはようございます。

正誤を信条とするならば、まず子ども義賊の話の真偽(事実かつくり話か)を追及しなければならなくなるのでしょうか?
個人的にこの話は作り話のような気がしていますが、あまりそこは気になりません。そこを問題にする気はありません。「違法行為」か「良心」か、という根本が類似するリアルはありますから。さらに「子ども」ということも考えるところではあります。
ただ、宗純さんのコメントで考えさせることは、「金の使い道がない」から、子ども義賊が無意味なのか? 裏をかえせば「金の使い道があれば」子ども義賊は褒められるものなのか?それでもアカンのか? というところでしょうか?
また確かに、「泣いて喜んだ」老人というのもひっかかります。ワタシ個人としても「馬鹿者が」と一括して欲しいというのが第一感なのですが、、ちょっと考えさせられる部分ではあります。


元慰安婦の話も、繰り返しになりますが、世界中にあったから韓国朝鮮の元慰安婦の話を聞かないということになりません。と、同様に、世界中の他の地域であった無残な話の被害者に話しを聞いてくれ、と言われれば聞きたいと思います。

毒多
2012/01/25 08:35
毒多さんの話でキリスト教的な道徳観が気になって仕方がないのですよ。(これはアキラさんや愚樵さんにも感じる疑問ですが)
立川談志は死ぬ前にオマンコを見たいと思う男はいるが、死ぬ前にチンコを見たい女は居ない言ったがこれは真理ですよ。
従軍慰安婦問題ですが、男の性は生命の危機感(死と再生)と結びついているらしいのですよ。
皆さん良く御存知様に日本人が一番子供を生んだのは、生めよ増やせよの国策の時代ではなくて敗戦後。
死の緊張が緩和した時代なのです。
(この話はドツボに嵌りそうなのですが)
精鋭的な登山をしていた時代に30歳までは結婚する気がないと公言していた。余分な女房子供が居るといざというときの踏ん切りがつかないのですね。
ところが。
今の家内が、何と絶世の美女に見えてしまい『今結婚しなければ絶対に駄目だ』と思ってしまった。
後で冷静に自分自身を振りかえってみたら、当時山に行っていて1ヶ月ほどまともな女を見ていなかった。
緊張が緩和された後の、日本国のベビーブームと良く似た話なのです。
(ただし我妻ですが何十年後の今でも美女に見えているので錯覚ではない)
昔のクラブのメンバーですが山の中では逆に何も感じないが登頂してカトマンズに帰ってきたのですが、何としても性欲が押さえられない。
今とは大違いで当時のネパールでは日本のような連れ込みホテルが無いが正規のホテルでは街娼が入れ無い。困っていると近くに家があるとのことで相手の女性の家で無事寝ることが出来たのですが、朝に目を覚ますと様子がおかしい。家族全員で食事しているのですね。起きて挨拶するだけの根性が無いので寝たふりを通したのですが、相手の女性は13歳。いくら何でも年が若すぎるのでこれはもう丸っきりの犯罪行為なのですが半世紀近く昔の話でもあり時効が成立していて欲しいですね。
宗純
2012/01/25 17:59
沖縄の「集団自決」をめぐって裁判を起こした人たちは、
「事実」として「集団自決」を強要したのかどうか、
を論点にしてるけれど、
「私が、集団自決みたいなナンセンスな指示を出すはずないじゃありませんか」
という訴えを起こした元隊長に対して、靖国派のみなさんから
「こんな腰抜けは、死んでいった英霊に対して失礼だ」というバッシングがおこらないのが不思議。

けっきょく、「史実」がどうのという問題なのではないと思いますね。
かっこよく描かれたかどうかの問題で。
meisinn
2012/01/25 23:07
宗純さん、おはようございます。

嘆いている人が話したければ、(おそらく聞くだけになるのでしょが、、、)話しを聞きますよ、、ってのは、キリスト教道徳感なのかどうかは知りませんが、気になって仕方がないのは、、、気になりますね。
気にしてくれてありがとう、とう言うべきか??(笑)
まあ、経験も知識も浅く、はたして宗純さんの感じているところのキリスト教道徳観が是正されるのか、肥大するのかは解かりませんが、ぼちぼちお付き合いください。
毒多
2012/01/27 08:51
meisinさん、コメありがとうございます。

はたして、平常時ではない当時のその場所での集団自決が「ナンセンス」かどうか、平常時である現在言っている本人さえ解らなくなっているのが人間っていうものでしょうね。自分を正当化するよりも受け入れてしまえばいいと思うのですが、それができないのも人間です。
毒多
2012/01/27 08:51

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「史実」・・・それのみでは判断できない 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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