毒多の戯れ言

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zoom RSS 「原発反対を叫びたいけど」…行くも地獄、帰るも地獄か?

<<   作成日時 : 2011/04/27 08:34   >>

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 人は群れて生活するのが前提なのだけど、人が群れるのは150名が限界。150名以上、人がいる国家というのは、システムの「虚構」によって人と人が結び付けれられている。もしくは成り立っているいる。「虚構」というのは「貨幣」や「権威」etcということらしいが、「虚構」と言ったのは、目に見えないものに縋っているイメージがありピンとくるものがある。
 「群れ」「虚構」は、愚樵さんのこの説明だけど、これを読んで昔から感じていたひとつの疑問が思い出されて、妄想が広がった。
 実はワタシは「青カン(ホームレス)を助けるというのは、青カンを排出する社会に復帰させることなのだろうか?」という疑問をずっと持ち続けていた。ずっと持っていたのはあまり深く考えないようにしていた。それを深く考えると「嵌る」予感があったのかもしれない。誤魔化して考えないようにしていたのだろう。
 疑問に戻ってみる。
 一人の青カンを「助ける」というのであれば、アパートと仕事をなんとかすれば「助かる」といえるのかもしれない。ただ青カン(に至ると同様の問題)は次から次へと品を変え形を変え出現するわけだ。何も解決しないまま累積して発生してくる。昔であれば(今もだろうけど)、建設土木業界での使い捨ての駒として使われた日雇労働者。小泉以降、労働法改悪で製造業界まで使い捨てが広がった派遣労働者。で、今なら差し詰めエネルギー業界で露呈した「原発労働者」の……だろうか? 将来的には必ず露呈するのは「米軍基地労働者」の排除のような気はしている? その都度の対処ではなく排出されること自体に目を向け問題にしなければ、いつまでも繰り返すことになるだろう。この排出の原因こそが「虚構」? 
 たまたま「労働者」という括りで書いてみたのだが、社会の至るところで同じような疑問を持っている人はいるかもしれない。
 例えばDV被害者を助けている人は、今、目の前にいる被害者は助けることができるかもしれない。が、終わることなく排出される被害者の根本の原因を解決しなければいつまで立っても同じことの繰り返しだ、とは考えないだろうか? DVが減らない原因、DVに至る原因、、、なんかを。これももしかして「虚構」が原因になってるんじゃないのか? とかさ。
 米軍基地にしても同じだろう。辺野古(沖縄)の米軍基地を否定して他のところに移せば問題は解決するのか? 個別基地による弊害は解決するかもしれないが、移設されたところで同じ問題が繰り返され、根本的な解決にならない。やはり原因は「虚構」。関連して自然保護だってしかり。辺野古の自然を守って、他の自然を潰すのは自然保護といえるのか、みたいな。(キャァー、だからアセスがあるんだろうが、と専門家に叱られそうだ!! この例えは保留しようかなぁ、笑)

 ということで、ひとつの図式

 1. このシステム・虚構は欲望をもった人間には便利な一面をもっている。
 2. ただ他面では、尽きることなく一部の労働者を排除したり、被害者を生み出したりしている。

 ワタシの昔の疑問だった「青カンを排出する社会に青カンを戻すということは助けること(解決)になるのだろうか?」というのは、1.を肯定しながら、2.を改善することができるのか?という事なのかもしれないな。ずっと解決せずに拡大しているの、やはり「無理」と思うわけ。これさ、いまどきなら、システム「虚構」を肯定しながら原発のみに反発するのは問題解決になるのか? とかにならないかな? なんとなく原発問題は解決しても(解決すればいいのだけど、欝)、根本の「虚構」が変わらない限り再度矛盾が吹き出してきそうな気がするんだけどね。でも、システム「虚構」をなくすことが出来ない以上、表面的な問題の一つ一つを解決していくしかない、、のか???。
 そうしたなか「原発をなくして質素な暮らしを」てなことも言われてるよね。これは今のシステム自体を変えていこうってことかな。
 質素な暮らしは「虚構」の変革になるのだ。、、、、実はオイラもこのラインで物をいいたいんだけど、これが出来るかというと、難しいと思っている。
 現実には「虚構」を無くすことができないどころか、「虚構」を変革することで、それはそれで傷みを伴うんだろうなぁ。もちろん「虚構」による傷みは現在進行中だ。これまでの「労働者」「被害者」etcに加えて致命的な傷みが発生して先の見えない傷みが広がっていく。ただ現実は「虚構」によって仕事を作り出している部分が多いかもしれないな? 「虚構」によって排除される労働者や被害者も多いが、「虚構」を無くすことによって、仕事がなくなる「虚構労働者」も相当多いのかもしれないぞ。この「虚構労働者」は、最初から排除されることが解っていて作り出される「捨て駒」じゃなくて、普通にいる多数の労働者。
 1.のシステムも「虚構」も、便利な側面だけじゃなくて仕事を作り出すための「虚構」なのだろうか。「虚構」が存在しなければ多くの失業者が排出されて、2.の一部の労働者、被害者どころじゃない、ってことか。しかし、現実には「虚構」のために取り返しのない傷みが広がりつつある。だから今(これまで)がいいとは思えない。では、どこをどう変えるか? すでに誤魔化しでは先へ進めなくなっている今、いったい、どうすればいいのか? どうなるのかいな? 
 
 行くも地獄、帰るも地獄、、、か、な? 、、、ふぅ。

 
 

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コメント(34件)

内 容 ニックネーム/日時
お呼び?w

DVに関して言えば、その通りですよね。
なので、個別のサポートと運動は両輪だと思っています。例えばDV法は女性たちが作った法律だけど、それは草の根の活動から必要性が叫ばれるようになり法律ができた。そのことによって個別のサポートの質や方法が変化した。で、現場で支援している人の声を取り入れながら法の改定が進んでいるわけです。法律ができると意識が変わる。暴力は「加害者の問題」なので、DVでいうと加害者の9割である「男性」の問題。男が変わらんことにはDVはなくならないというのがあって、男を変えるために法律で規制する必要があるわけです。なので、もっと罰則を重くしなきゃダメだなと思っていますが、法律を作ってる人間のほとんどが男な訳で・・・。だから女性の地位向上、男女共同参画云々が必要になってくるわけですね。

「DV夫から離れることがこの人にとって最善か」ということは常に考えます。「最善」にしていけるだけの被害当事者のエンパワーメントと、離婚しても生きていけるだけの社会システムの構築と、その両方が必要ですよね。

しかし150人というのは興味深いなあ。保育園はそれ以下、小学校はそれ以上。

150人の「虚構」を動かして行くには、何人くらいが適当なんだろうね?「会員」と「スタッフ」の比率はどれくらいが適当なんだろう?小学校だと35:1人位がマックスだろうけど、比率が小さくなるにつれ、閉鎖的(地域との関わりが薄い)になっていくような気がするのは気のせい?
みみず
2011/04/27 09:33
お邪魔いたします。
システムが支える虚構の中には「基本的人権」「プライバシー」「思想信条の自由」なんてのも入ってきますよ。

例えば、伝統的な小規模のムラ社会を構成し、仕切りも何もない大きな家屋で数十人が共同生活するような部族では「プライバシー」という概念自体がない。

体調を崩して医者にかかるとする。
現代の日本人であれば家族にも隠して置きたいようなデリケートな体の問題でも、付き添いがぴったり寄り添って受診し、離れることがない。
「個人」という概念がない。

「システム」というとあたかも外部にあるかのように聞こえますが、実際はわたしたちの内部にあって普段は認識出来ないくらい当たり前になってます。
strepsiptera
2011/04/27 11:30
それと虚構の要らない集団150人限界説ですが、説得力のある仮説ですね。

この説を基にすると、小松の『異人論』に出て来るような民間伝承…村人たちが外部から訪れた旅人(六部など)を殺して財宝を奪うという主題が原型と推測される寓話が各地に残っている理由も理解できます。
いわゆる異人殺しです。

虚構による縛りがなく、集団の外部にいる人間に対しては、これを殺すことに心理的な抵抗を生じさせる動因がなくなる。
なくなるというのは極論ですけどね。
自殺・他殺の禁忌も虚構ですからね。
虚構がなければ禁忌も当然無いですから。
あるのは群の外か中か。それだけになる。
strepsiptera
2011/04/27 11:58
すみません。ハンドルネーム間違えました。
毒多さんにはIPアドレスで誰か分かるでしょうが、今回は別人ということにしておいて下さい。

コメントをもう少し本題に近づけると、システムからはみ出す人とどう向き合うか、という発想そのものが、善意であれなんであれ既存のシステムの中からしか出て来ない思考ですよね。

私も含めて、みんな思考の大半が虚構で出来ているのだから、これはもうしようがない。
未知の概念、未知の言葉で思考しろと言われたって出来っこありません。
strepsiptera
2011/04/27 12:27

>お呼び?
あれ、やっぱり解っちゃった。忙しいとこ悪いねぇ。

多分の法律も「虚構」なんだよね。
もとの「虚構」の部分でいけば、法律で規制しなくちゃ解らないのかなぁ、とか、罰則を重くしなくちゃ改善されないのかなぁ、と思ってしまう脳天気さがこのエントリーを書かせたと思っている。
ほれ性善説派のオイラは、基本的に法律とか厳罰化とか嫌いなんだよね。
あ、皆まで言わなくても解ってます。
現実にはそれでシステムは回っているし、法律(厳罰化)によって「意識が変わる」ってのもよくわかる。死刑があるから殺人の数が少ないとは思わないけど、飲酒運転なんかみると厳罰化で相当数が減っているだろうしね。
でもね、人は、法律(虚構)によって罰されるからという理由によってしか変われないっても情けなく感じちゃうのよ。それは根本的解決じゃない、ってさ。原発なんかも法律化されているんだろうし、そうした歪がはじけちゃう、とも思うのね。
だからと言って、「性善」に任せておけばいいかっていうと、きっと何も変わらないだろうし、さらに酷くなる気もするしさ。
今回みたいな解りやすい歪を多くが体験すると、何か「根本的」な部分が変わるんじゃないかと期待するんだけど、やっぱり変われないと思ったり、、、、

あんたはいったい何が言いたいの!?、と言われるとオイラにもよく解らないだけどさ。

毒多
2011/04/27 15:27
strepsipteraさん

IDは調べようと思えば分かるけど、いちいちチェックしてないから言われなかったら、初めまして、かと思っていました。で、やっぱり調べようと思わないから誰か解らないけど、文体と内容からなんとなく想像はしています(笑)。

150名がニセ科学か根拠のある数字か、またどういう数字か愚樵さんに聞かなきゃ解らないんだけど、ワタシは単純に「村」だと思いました。恐らく150人でひと通りのことが完結する(だろう)昔の村。で、その村には虚構がなく、、、、つまりはプライバシーも個人もない、、、ですか、、、ふぅ、そうですね、それはやっぱり考えられないな。しかも村外には縛りがなくなり殺人も、、、被災地にできた「自警団」をまた連想してしまいます。とすると、これは駄目だ。
おっしゃるように、既にシステム、虚構、はしっかりと身の内にあってそのもの自体の否定することはできなさそうです。

きっと世間ではこの辺りは対話のスタート地点以前の問題なのかもしれないですね。

毒多
2011/04/27 15:33
 システム、虚構の存在の根本的な変更はできないとして、何が変わらなければならないのか、と考えてしまいます。あ、変わらなければならない、もしかして今がチャンスなのかもしれない、と思っているのはワタシだけかもしれませんが、今のまでのままでは苦しむ人が増えていく 気もしますし、なんといって「虚構労働者」であるワタシがヤバい。
 あ、そうか、このワタシがヤバいは、システムから溢れずにする、に繋がり、システムのなかの思考ですね。はい。今がチャンスの「チャンス」もシステムのなかの思考です。となると、システムのなかで出現する問題をひとつひとつ解決していくしかないということか。ま、当たり前といえば当たり前ですね。と、するのか「原発のみ反対」ってのも「あり」なのかなぁ。何かちょっと引っかかるんだけど、なんだろうなぁ??

 それにしてもワタシってやつは、どうして、こうも当たり前のことをいちいち疑問に思うのかね。ほんとに。それでもね、なんだろう、と考えちまうんだよ。ワタシが焦れったく思っているのは、虚構とは違う何かなのか?(そんなこと聞かれても困りますよね、orz) 

毒多
2011/04/27 15:33
>毒多さん
システム・虚構というのは、いったん出来上がると人の思考を厳しく縛ってしまうんですよ。
青カンの話にしても「社会から疎外された人・アウトサイダー」という認識が社会だけでなく、おそらく青カン暮らしの方ご自身にもある。
だから戻す云々の話になるのでしょう?

電気や水道・ガスのようなインフラが普及していなかった時代は、共同体と相性の悪い人たちがそこを離れて独自に生きていくのは今より容易だったと思います。

共同体の外部が存在し得た。
システムを共有しなくても生きられる世界があり得た。
更にひとりの人間が生きていくのに必要なエネルギーは、現代の都市生活者(つまり今の大多数の日本人)より‘遥かに’少なかった。

生きていくのに大量のエネルギーを必要とする現行のシステムには、代替物がない。外部がない(巨大な共同体を必要とする)。
社会は必然的に不適応者を生み出すけれど、例えば犯罪者を共同体の外部に追放することが現代は実質的に不可能です。
どこもかしこもシステム(ひとごろしはわるいこと)で覆われているから。
だから「死刑」という話になる。
strepsiptera
2011/04/27 20:39
おはようございます。

話が盛り上がってますね。メデタシメデタシ。

まずなぜ150人なのかという話ですが、これは「ダンパー数」で検索してみてください。いろいろと情報が出てきます。

それから、...ああ、ダメだ。思考がまとまらない。strepsipteraのお話には私も全面的に同意です。虚構は私たちの中に生まれながらにしてあるものなんです。虚構を全て排除することはできない。アンチシステムなんてのも虚構の一種です。

が、その事実を踏まえた上で、私たちは自らの態度を選択することが出来る。虚構の上に虚構を重ねるのか、虚構を少しでも引きはがそうとするのか。

私は"考えることは耳を澄ますことに似ている”と思っているのですが、それがどちらを志向しているかは明らかですよね。

今回はこの程度で。
愚樵
2011/04/28 05:24

>共同体の外部が存在し得た。

青カンがアウトサイダーでありながら、実はシステム「虚構」の余剰部分(期限切れコンビニ弁当、公園の水、そして炊き出し)を利用して生活してる、ってことからも完全なる外部はないということですね。
つまり、最初に戻ると「虚像」そのもを否定することはできないということは解かりました。

でも、やはり、この否定しようがない「虚像」で成り立っているシステムに、ワタシには得体の知れない「違和感」があるんですね。
それが、愚樵さんのいわれる「虚構のうえに虚構を上塗り」するのか、「虚構を剥がす作業」になるのか?
毒多
2011/04/28 13:21
今回もともとの思索の出発点は「原発(事故)」でした。
年間被爆量の数値を誤魔化したり、それでも原発が必要だおいうのは「虚構の上塗り」になり、原発反対を叫ぶのが「虚構を剥がす」となるのか?
ただ虚構を剥がしていくのは、だんだん本体が顕になり傷みが伴うと思うんです。先のコメントの例でいけば「プライバシーがなくなる」みたいな。原発に反対するのは反対したいのですが、その先の景色が見えない。どこまで虚構を剥がすのか? 剥がした景色はどうなっているのか。
まるで着すぎた服を剥がすように、どこまで服を剥がすのか? 下着になるのか、裸になるみたいな。それは寒いのか暑いのか? 恥ずかしいのか? 本来の姿なのか?
ちょっと例えが悪いかな?
青カンの生活が、虚構のなかにあると言っても、やはり何かが違っていて(虚構を相当剥がされた状態で)、どちらが(精神的に)豊かか解らない部分がある。

いずれにしても、例えば、今、原発に反対している人は原発を反対した先の景色が見えているのかな、とう疑問はあります。

原発反対を叫びたいワタシはある程度、その後の世界が見えた状態で叫びたいなぁ、とも思っているだけど、はてさて、その後の世界とは、、、、????

毒多
2011/04/28 13:21
>愚樵さん

ダンパー数おもしれえー。
大脳皮質の大きさかあ。
脳味噌が大きいからといって頭がいいとは限らんわけやけど、平均すると150人くらいってことなんやろね。

繋がりの「濃さ」によるかもしれんけど、私はだいたいプロジェクトは10人以下で始めることが多いなあ。で、実働人数は半分くらいってとこかなあ。・・・私の大脳皮質が小さいからかもしれませんね。(´ω`)
みみず
2011/04/28 18:32
ある程度、脱原発後の世界が見えた状態で叫びたいなぁ、とも思っているのであれば、具体的な像を形作るべく、情報を拾っていけばいいんじゃないでしょうか?
いくらでも転がってますよ。
原発フリーの国だってけっこうあるし。
そういうことを参考に、具体性を検討すればいいわけで。

少なくとも僕は、現状オッケーはイヤですね。
人間にくっついてるアタマは、もっと穏やかな未来のある方向へも使えるはずです。
アキラ
2011/04/28 22:55
・みみずさん

面白いっしょ(^o^)

150という数字に何処まで信憑性があるのかはわかりませんけど、これは歴史的あるいは文化人類学的な事実とも符合するみたいですね。

メンバー全員の顔と名前を覚えることが出来る数百人規模の集団は「部族社会」と呼ばれていますけど、こうした集団にはシステマチックに定められたリーダーは存在しないらしい。もちろんリーダーは必要ですから存在します。「ビッグマン」と言われるらしいですが、特徴は、一目ではわからないこと。つまり他の構成員と同じ姿形をしている。

これが数万人規模の「首長社会」になると、誰がリーダーかは一目瞭然になる。リーダーは支配者となって、それらしい格好をし、それらしいところへ住んでる。「王」ですね。その構図は、規模がさらに大きい「国家社会」になっても基本同じ。

ただし「国家社会」のなかでも特に発達した「民主社会」では、「一目で支配者がわかる」は消失した。しかしこれは虚構がなくなったわけでないことは明らかで、潜在化・内面化したんですね。それが今、私たちが暮らしている社会の特徴。

DVやジェンダーといった「みみずマター」が顕在化してきたのも、この内面化が大きく影響していると私は考えています。「みみずマター」はずっと以前から存在したはずです。ただ、ほとんど意識に登ることはなかった。

あ、これは未だにそうかも?
愚樵
2011/04/29 05:32
・毒多さん

脱原発とその後の社会。この問題を考えるのに、上のコメントの構図は参考になるかと思います。虚構の内面化問題ですね。

参考にしなければならないわけではありません。虚構の内面化問題なんて視野に入れなくても考えることは出来るし、実際多くの人はそうやっているんじゃないですかね。

では、この問題を考え合わせるメリットは何か。内面化した虚構を引き剥がせば、見える風景が違うんです。原発、戦争、格差・貧困、現代社会の病状が繋がるんです。それこそ毒多さんがお望みのこと何じゃないですか。

内面化した虚構を引き剥がすには、虚構がどのように内面化していったのかをトレースしてみる必要がある。虚構にはいろいろと種類がありますが、最も大きな虚構、貨幣について言えば、その起源は信用創造とイノベーションにある。

例えばです。原発問題では御用学者が槍玉に挙げられていますよね。でも、彼らだって最初から御用学者になろうと思っていたわけではないはずです。真摯に学問をしたいと志望し、その道として原子力を選んだ。そこに人類の未来があると信じたのでしょう。かつて、そう信じられていた時代は間違いなくなった。

ところが、紅顔の少年はいつのまにか御用学者に変貌した。

これを人の資質の問題に帰する考え方もある。それは間違いではないでしょう。でも、宮台真司なんかはシステムの問題だという。そのように仕向けたシステムに問題がある。私はそちらがより正解だと思います。

システムは単一の虚構だけから構成されているわけではない。複雑な要素が絡まり合っていて、全貌の解明は大変に困難でしょう。が、単一の要素を取り出して、解析してみることは比較的簡単にできます。
愚樵
2011/04/29 05:58
上で「比較的簡単にできます」と書きましたが、少し追記。

「準備が出来ている人には比較的簡単にできます」

とするべきでした。

みみずさんあたりはおそらく実感としてお持ちかと思いますけど、この「準備」こそが大変なんですよね。逆に、そこをクリアできれば、あとは割とスムースにことは運ぶ。
(もちろん、予期せぬトラブルはあるでしょうが)

門外漢の勝手な推測ですが、違ってますか?
愚樵
2011/04/29 06:18
自立出来ない人を養うには、人数的な限界値はあると思います。それはたとえば刑務所や老人ホームとかそうした類の集団が対象です。その集団の社会は、いつも自分の取り分だけを主張する、まあ地獄みたいな社会でしょう。

でも自立した人間ばかりの集団なら、養ってあげる必要はないし、多ければ多いほど国力になります、なので人数に制限はなくなります。どこかの合衆国がなんとなくこれに近そうです。

前者の社会に住んでいる人の発想は、後者の社会に住んでいる人の発想に対して、理解どころか嫉妬のあげく敵対します。これが前者の集団である日本の、悲しい歴史だと推測しております。
armedlovepower
2011/04/29 07:51
渡りに船というか、ちょうどいいタイミングで合いの手を入れて下さってありがとうございます。
その「自立」なるものが虚構だという話を今してるんですよ。

>毒多さん
ことほどさように、虚構というものには実在感があるんです。
だから厄介なんです。
まず虚構を虚構と認識するセンスが必要となる。
これは知識の多寡や帳尻合わせのロジックを構築する能力とは異なる。
話せば分かるというものでもない。
口で説明を受けただけで自転車に乗れるようになるわけでないのと同じことが、精神の働きにも言える。

文明社会で「自立」している人間はいません。
孤立してる人はたくさんいるでしょうが。
armedlovepowerさんの仰る「自立」に乗っかって話すとすれば、青カンの方々を自立から阻んでいるのは「システム」です。虚構です。

その「システム」なり虚構なりは青カンさんたちを含む私たち自身の精神活動のオペレーション「システム」として存在し、しかも多くの人はそのことを顕在的に認識していない(これが虚構あれも虚構と主体が都度都度認識していたら精神活動が成り立たないですから、通常顕在化しないのが当たり前なんですけど)。
認識してはいないんだけど、大なり小なり違和感は感じている。
ストレスってやつですよ。
自分たちを生き易くするはずの虚構に苦しめられている。

別にarmedlovepowerさんを否定したり、批判しているわけじゃないですよ。
私とあなたの間に今生じているのが、虚構がもたらす断絶のひとつの形なんです。
私はまあ、この手の話の通じなさに子供の頃から慣れてますけどね。
strepsiptera
2011/04/29 10:00
行きがけの駄賃というか、虚構の実在感が現実を駆逐してしまうケースを、原発を例にとって挙げますね。

3/14に福島の三号機が水蒸気爆発を起こし、翌15日に防衛省で開かれた幹部格の会議では、陸自幹部が「われわれにノウハウはない。原発事故でこれ以上できることは何もない」と断言したとのことです(産経報道より)。

原発建設・操業が国策として推進されるにあたって、政府や官僚は例の「フェイルセーフ」という理論でもって、原発には破局的な事故はありえない(想定外)としました。

ありえないもの=ないもの、です。
原発の破局的事故はないということになりました。
これは斎藤和義さん歌うところの「嘘」とは違います。
理論的に(=虚構として)無い以上、現実にも無いことになったんです。

無いことに、予算は付けられない。
無いことに、人員は割けない。

だから、現実の世界で「無い」ことになった大事故に対して行政レベルで全く何の備えもないまま“The Day”を迎えることとなりました。

「無い」が嘘であれば、国民を騙しながら政府や官僚は極秘裏に対策を講じていたはずですよ。
でもそうじゃない。
本当に「無い」ことにしてしまった。
何の用意も無いから東電は事故後に白旗を揚げて福島から退避しようとしたし、官邸も官僚も何の知識も備えもないから「汚れ仕事の専門家」自衛隊にぶん投げるしかなくなった。
で、冒頭の台詞が放たれる仕儀となったわけです。

官邸や保安院、東電を私は叩けない。笑えない。
彼らがどうして「無い」ことにしてしまったか、同じ虚構を共有する私には理解できてしまうから。
strepsiptera
2011/04/29 10:47
原子力の虚構(神話)ついて言うならば引きはがすには徹底した情報公開しかないと思います。
ダジャレレイ夫人の付人
2011/04/30 04:05
続きます。
東電みたいな社会主義的というか官僚主義的な組織が運営する危険性は以前から漠然と感じていましたが、今回の事故で不安が現実のものとなってしまいました。
テロの不安を口実に反対する人がいますがそれが妥当性があるとすると、理論的な問題とは別に原子力を適切に管理する体制がとりえないことを意味すると思います。
ダジャレイ夫人の付人
2011/04/30 04:37
みなさま、おはようございます。
昨日から読んでいるのですが、もう何がなんだか解りません。まるで小学生が「何が問題だか解らず」問題に取り組んでいるような混乱を感じています。

いま「問題の整理」をしているのですが、整理をしているなかでも混乱しています。
取り敢えず「虚構」「システム」の共通理解されているのかどうかが不安です。で、取り敢えず「虚構」「システム」についてご意見下さい。

ワタシの理解は、
1.150人以上の括りのなかで生活の基になるもの。
2.生まれてから、成長にしたがって個々に内在化されていくもの。
3.生活していくには否定しようがないもの。
4.現在の社会では虚構の外部がない。
5.具体的には、国家、憲法、法律、経済、権威、道徳、倫理、、、etc.

5.のetcの部分が解らず混乱しているのかもしれません。

そして「システム」とは「虚構」を基に実行される現実?

と、こんな理解でいいのでしょうか?

ご教授ください。





毒多
2011/04/30 06:09
>毒多さん
連休くらい別の方向に頭を使ったほうがいいですよ。
お子さんと映画館か水族館にでも行くとか。

稚拙で申し訳ないながら、ざっくり虚構とシステムの例を挙げるとですね。
●虚構→
脳の持つシンボル化の能力を使い、鉱物とか貝殻といった具体物に他の具体物やある種の観念と交換可能な機能を与える。
数という概念と価値という概念を繋ぎ合わせる(少ないほど価値がある/多いほど価値がある)
●システム→
上記の虚構をベースに固定相場制/変動相場制といった虚構のモジュールの集合体を作り、今度は逆に具体物を動かす

で、ですね。
固定相場や変動相場は目に見える形でどこかにあるわけじゃないでしょ。
犬やオウムはある程度のシンボル化の能力があるらしいですが(お気に入りのオモチャがあったりする)、彼らには見えないし彼らにとっては存在しない。
それは人間の脳の中、精神活動の中にだけ存在している。
実体はない。

しかしこれが具体物(化石燃料や食料やなんちゃらかんちゃら)を実際に動かしたり、物流を麻痺させてヒトを餓死させてしまうこともある。
貨幣経済を理解してないヒトが通貨危機でカネが紙屑になってしまい首吊っちゃったりね。
でもそれは、人間の頭の中で数字が100になったり0になったりしてるだけなんですよ。

人間の精神活動においては、精神活動の中にしかないものが現実に在るものよりも往々にして強い力を持つのです。
私たちを殺す力を持っている。
strepsiptera
2011/04/30 13:15
私こういう話は実はあんまり得意じゃないんで、自分好みの話で締めます。

0(零、ゼロ)ってあるでしょ。
オルメカ文明において人類が初めて発見したとされる概念。まあ虚構のひとつです。

ヨウム(オウムの一種)に0という概念を持ってるかもしれない個体がいたそうですよ。
動物学者があるヨウムを相手に、「具体物ABCDの中からBを選べ」といった類のテストをしていて、間違って肝心のBを入れ損なった状態で問いを出した。
そうしたら、被験者のヨウムは「無い」と答えたそうです。

「無」という概念を持っている可能性がある。
strepsiptera
2011/04/30 13:44
連休なんか関係のない私は、いつも通りに話を続けることにしますね。つきあってもらう必要はもちろんありません。

で。「虚構」と「システム」について意見せよということですが、先のコメントでも述べたように、多種多様な「虚構」をすべてすくい上げようとしても混乱するばかりです。なので、ひとつの具体的な虚構(貨幣)を軸にして話を展開してます。経済の話。あくまで単純なモデルです。

成員が数百人規模程度の部族社会(シニアメンバーは100〜150程度?)では、経済を回すのに貨幣は必要ありません。部族社会は狩猟採集か原始的小規模な農業を営んでいますが、こういった社会だと、シニアメンバーは共同体内の「あらゆること」に知悉します。いつ何処へいけば何が収穫できるか。誰がどれほどの物資を必要としているか。インフラの整備の仕方。誰がどういった作業に長けていて、どのようにチームを作ればよいか。ほぼ全員がこれらのことを理解しています。だから、経済は「能力に応じて働き必要に応じて取る」の贈与経済で十分に回ります。いえ、十分に、というより、そ
れがもっとも効率的で最適な経済なのです。

この段階を「0次元」としておきましょう。

しかし、生産効率が上がって人口が増えると、部族社会ではいられなくなります。そうすると贈与経済では非効率になる。そこで指導者が経済を差配するようになる。小規模ながら分業も始まり、大部分は食料生産に携わる農民だが、王の居住地(都)には、工業生産を専門的に行なう職人が集まったりする。王は都で消費するのに必要な物資を支配地域から集め、分配するようになる。

が、この段階ではまだ貨幣は必要とはされていない。武力に裏打ちされた王の権威により、都を中心に経済が回っている段階です。

「1次元」です。
愚樵
2011/04/30 18:23
ごめんなさい。訂正。

部族社会の「0次元」は間違いで、都を中心に経済が回っている状態が「0次元」です。



貨幣が必要になってくるのは「1次元」すなわち「点」が、それぞれ繋がって「線」となった段階です。「線」によって実現される営為、「点」に集まった物資のやり取り、つまり交易です。

貨幣が出現するには、貨幣となる素材が発掘されることも必要でした。一般的には金や銀などの貴金属。中央集権が進んで国家の力が強かった中国文明では銅銭や子安貝などが貨幣として使われた。紙幣が最初に現れたのも中国です。

中国が出たのでこれを例に取ると「0次元」は漢字の「国」に相当します。囲いの中に「王」がいるという意味での「国」。人口規模は数万人程度までの首長社会に相当するでしょう。「0次元」が結びついて「1次元」へ発達し、各地の「国」が結びついてネットワークを作るようになると、ネットワーク全体を支配する勢力が出てきます。それが帝国であり、帝国を統べるのが王の上、つまり皇帝です。

帝国が出現すると、「1次元」上での動きに留まっていた貨幣は、「2次元」的な動きをするようになる。つまり、「国」と交易路の外側の農村地帯にも貨幣が浸透していくようになる。

この動きの背景にあるのは貨幣量の増大です。金銀等の鉱山がどんどん発掘されて貨幣の流通量が増え、商人たちが「1次元」だけでなく「2次元」でも活躍を始めた。都市で消費される物資はそれまでは王の権威で集められていたものが、商人によって集められるようになった。農村や漁村はこの段階で成立します。
愚樵
2011/04/30 19:04
ただ農村漁村といっても、その姿はもちろん現在のそれとは異なっています。地産地消の贈与経済があくまで基本で、都市を中心に生産されている工業製品の購入にために貨幣を用いた。貨幣経済はあくまで経済の一部でした。

なので、この「2次元」の段階では、貨幣という虚構が内面化するまでには至っていません。従って、思考を貨幣によって縛られるということもまだない(他の虚構によって縛られているということはあります)。その現象が起こるのは「3次元」の段階に至ってからになります。

「3次元」への展開のきっかけも、やはり貨幣量の増大でした。が、ここでの増大はそれまでとは異なった方法によるものでした。信用創造です。信用創造により貨幣は金銀といった素材の軛から離れてゆき、やがては完全に概念だけの純然たる「虚構」になります。それゆえ、増殖は留まるところを知らなくなった。

信用創造が始まったのは17世紀のイギリスにおいてですが、その頃同時に進行したの産業革命です。科学技術がイノベーションの裾野を広げていった。

イノベーションとはいろいろは意味合いに取れますが、このストーリーの文脈で言いますと、「貨幣経済を拡張する」ことがイノベーションにあたります。資本主義はイノベーションにより新たな製品を開発する。新製品は生活を便利にするが、同時に貨幣の必要性を増大させます。イノベーションは新たな快適、新たな快楽をどんどん掘り起こすが、その度ごとに貨幣経済の裾野もどんどん広がってゆく。自動車、生活家電、通信機器、etc、etc。気がつけば、経済活動のほとんど全てが貨幣を介したものになってしまっている。
愚樵
2011/04/30 19:22
経済活動のすべてに貨幣が介在するということは、それ相応の貨幣量が存在しているということ。これは信用創造なくしてはあり得なかったし、また、信用創造によって促されたイノベーションなくしては、ありとあらゆる生活場面で(必ず貨幣が絡む)文明の利器に取り囲まれるという人工環境で生活することもなかったわけです。

ここに至って我々は、貨幣によって思考に自由を縛られることになるわけです。理由は簡単で、100%貨幣経済が「現実」だからです。人間は現実(環境)に対応する能力と、環境を改変する能力の両方を併せ持ち、ゆえに自分たちが作り出した人工環境に適応してどんどん「進化」してゆく。「進化」へのインセンティブをもつことが「自立」になってしまう。その「自立」の在り方は、部族社会での「あらゆることを知悉」していた「自立」の在り方とは、大きく異なります。

人工環境に立脚した「自立」であるがゆえにこそ、原発によって引き起こされる災害は「想定外」になってしまいます。科学者であるなら自らの専門分野にまつわることは「知悉」していなければおかしいはずなのだけれども、科学者として「自立」するには科学者を科学者たらしめている人工環境への適応がまず求められることになる。その適応が上手くできない人間は、たとえ「知悉」していようとも、環境からは科学者としては認知されることはない...。


と、長くなりましたが、以上が「虚構」によって駆動する〈システム〉の成長モデルです。
愚樵
2011/04/30 19:48
高橋哲哉は、工業化社会の大量生産がホロコーストという概念を生み出したと説いています。

産業革命以前のマニュファクチュアの世界では、戦争などの大量死は「結果」でしかなかった。
工業化社会が「流れ作業で・自動的に・大量に」実行するという概念を生み出し定着させた。
それを応用したのがホロコーストであると、まあそういうロジックでしょう。

人工的環境は、人間の思考そのものを変質させたり上書きさせたりする(フィードバック)ので、フィードバックが恒常化すると人間の思考は際限なく自然から離れていく。
或いは自然をテクノロジー介して変質した思考で再定義するようになる。

自然は制御不能(春の次は夏、赤ちゃんは成長して大人になる、地震が起こる)だけれど、人工的環境はそれが先鋭化するほど制御可能になる。
あらゆる形で「制御」が人間を取り巻くと、これが人間の思考を文字通り「制御」する。


工業製品は均質だから、ここから平均とか偏差値という(実体のない)概念がフィードバックされ、人間の思考を支配する。
人間は人工的環境とリンクし、自身をその中のモジュールとして再定義するようになる。
それが「労働力」「人的資源」。

私たちは「資源」となりました。
さあ、青カンさんの誕生です。
strepsiptera
2011/05/01 06:39
たまたま聴いちゃったんで、お裾分けです。

デイ・キャッチャーズ・ボイス
「東日本大震災から2週間。改めて、「絆」について考えました。」
2011年3月35日・宮台真司
http://podcast.tbsradio.jp/dc/files/miyadai20110325.mp3
アキラ
2011/05/02 15:42
 ちょっとの間、GW子どもサービスをしていました。また明日から子どもと遊ぶので、今日は取り敢えずのとこ。
 まずは皆様ご教授ありがとうございました。「虚構」「システム」がおぼろげに解ってきた気がします。と、同時に、皆様の授業があまりに面白いので発想が多方面にぶっとびそうです。

 たまたまテレビを付けたとこ、この近辺ローカルの旅番組をやってまして、旅先が「篠島(三河湾に浮かぶ小島)」だったんです。その篠島の住む初老の婦人(未亡人)が「生活していくのにお金がいらない」と言うんですね。磯に海藻を取りに行って帰ってくると誰かに「魚」なんか貰ったりして、、、、実際にお金は使っているのでしょうが、地産地消の分けあいで100%貨幣経済になりきってはいないような感じでした。(後で篠島の人工を調べたら1800人ほどはいるようで、島のなかでもいくつかの村はあるのでしょう。)、、、ただ、その女性が「お金はいる」と言う。村の人の「冠婚」には大きく金を出す、と言いました。恐らく「葬祭」のほうも然りのような気がします。

毒多
2011/05/03 14:12
 たまたま付けたテレビでやっていた番組で、2−3分で終わったのですが、めちゃくちゃタイムリーな感じがしました。今日、アキラさんにお裾分けされた宮台真司のヴォイスを聞いたのですが、「絆」の両面(愛と憎悪)がとても印象的でしたが、これ篠島の村にはあるような気がしています。そして「虚像」と「システム」に通じるところがある気もしてます。というか、「絆」は「虚像」そのもので、「村のおきて」は「システム」である、と言えないでしょうか。
 村に生まれたものは、村のおきてのなかにあり、村の絆に助けられ、また絆ゆえに村八分になり、その絆とおきてによって、個々の人格さえ形成される。というワタシの理解の仕方は教授されたものにも合うような気がします。
 これは150名以下の村でもやはり在り、規模によって形や品を変え在るものではないかと考えます。
 当然、規模が大きくなれば大きくなるほど、複雑怪奇になってゆき、「天皇制」などという地域(国)によって特殊な「虚構」も現れるわけですね。「天皇(制)」なども、まさに「絆」と同じように両面をもっている。ただ、ただ天皇に愛だの憎悪など顕す住民はほんの一握りで、「天皇(制)」(をベースとしたシステム)に生活と関係の無いほとんどの住民は、無関心、スルーもしくは寛容となるのでしょうか。

毒多
2011/05/03 14:12
 生活と関係がある面でいけば、また「買いだめに走る人々」に戻るのですが、買いだめをしない人は100%貨幣経済(100%虚像)の社会(システム)を信用している(システムのなかにいる:虚像を信じる)人で、買いだめに走る人々は虚像よりも実体を信じる人なのかもしれません。やっとシビライズドとプリミティブってのも解った気がします。あと解ったということで行けば、サヨとウヨというのが表と裏、、愛と憎悪、、って表れ方の違いだけで、核は「絆」(虚構)ってのも解った気がします。
 ああ、そうだ、それに貨幣(虚構)なんて、もろ愛と憎悪じゃないか(笑)。
 愚樵さんの言うとこの「御用学者」はシステムで生きるためなるべくしてなった、それであるのに非難轟々であり、斉藤和義のようにシステムに逆らって歌うことが賞賛されるのも面白い。人々は虚構とシステムによって構成されながら、実は「虚構とシステム」そのものに愛と憎悪の二つの感情を抱いている気がします。
 ワタシなどは、単純に「愛」という側面だけでいければいいのに、と思うのですがそうは行かないのですよね、人間は。そうならないどころか、憎悪がより基本になってい気さえしてしまう。そしてやはり表裏一体である虚構が現実を淘汰し、現実が飲み込まれる、といったとこでしょうか。

毒多
2011/05/03 14:12
 その現実をも飲み込む部分は、(生活というラインからすると)過剰価値になるのかな?(なんとなくですが、)
 そんなことを考えていると、中間総括として、虚構とは、過剰部分に飲み込まれずに、利用するものであって、振り回されるものではない、という認識を持つ、そのためには一程の距離を持つ、という取り敢えずこうした考えを持ちましたが、島の掟でいけば「一程の距離」をもつと憎悪の対象となり、村八分が考えられますから、あくまでも個としての意識として、、となりますかね?

 まだ、これが「原発と現状」とワタシのなかでは結びついていませんので、また連休後にでも、、、
 
毒多
2011/05/03 14:13

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「原発反対を叫びたいけど」…行くも地獄、帰るも地獄か? 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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