毒多の戯れ言

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zoom RSS 「エントリーは血肉化されるか?」…机上の思索がつづくわけ

<<   作成日時 : 2010/11/02 16:57   >>

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 前のエントリーのコメント欄で「血肉化」という言葉がでてきて妙な感慨に耽っているのは、おそらくワタシが「血肉化」という言葉そのものを血肉化しているからかもしれない。ワタシが血肉化を実感したのは、やっぱり青カン支援の頃。もちろん、青カンを血肉化していたわけではなく、青カン支援の立ち位置を血肉化したわけだ。まぁ、ただ漫然と青カン支援をしていれば血肉化されるというものではなく、生活も思考もほぼそこを中心にまわって、酸いも甘いも喜びもドロドロも団結も決裂も希望も絶望も胃の開いた穴とととも血まみれになったから血肉化されたと感じている。もう少し丁寧に書くと、血まみれ泥まみれになった身体からふと離脱した視点で「無茶苦茶ドップリと漬かった『そいつ』、、、そいつの全身」を冷静に見つめて「そいつの良いも悪いも赦した(赦してホッとした)」ときに血肉化されたのかなぁ感じたのだ、とそう思う。このときに「血肉化」という言葉も血肉化された気がする。まあ、実感ってのもこれ一回きりなんだけどさ(笑)。
 そうした感覚でいけば、このブログのエントリーで書くことの多くは血肉化以前の、、、まあ極端にいってしまえば机上の論。沖縄や辺野古のことをいくら書いてみてもやっぱり血肉化されず、障害者のことをいくら書いてみても、やっぱり机上の論なのだろうなぁ、と青カン支援当時の血肉化を実感を思い出すとまるでこのブログエントリーは机上の運動会であかのようにさえ感じる。机上のトラックを走りながら、沖縄の人や障害者の人や他差別をいま受けている人にチョー軽薄に見られているのではないかという脅迫観念はつねに付きまとっている。もっとも読者がそれぞれの「事」を「血肉化」されていれば強迫観念もないんだけどね。

 さてさて、事の流れを「事前」ー「事(件)」ー「事後」とするなら、「事前」だった状態(というのも、事が起きなければ事前もないのだから変なのだが)から「事(件)」が起きて「事後」へと経過していく。で、血肉化は「事(件)」「事後」を経過しなければないのだろう、となんとなく思う。でも、ワタシの書くことの多くのことはワタシにとっては「事前」なのだ。沖縄、辺野古には住むどころか行ったことさえないし、障害をもったこともない。子どももいまのとこ健常児で社会から目に見えて阻まれていることはない。戦争を経験したこともなければ、差別されたことさえない。身内が殺されたこともないし、近隣に死刑という判決がでたこともない。保育園の「事(件)」や学童の「事(件)」は経験したけど、とっても血肉化されたと感じるにはほど遠いところで終わってしまった(終わりにしてしまった)。
 終わってしまったと言うのは、ただ「事(件)」がおき、「事後」にあってもやはり血肉化されているとは言えない気がするからである。この辺がワタシの辺境な感覚かもしれないけど、やはり、
>身体からふと離脱した視点で「無茶苦茶ドップリと漬かった傷まみれになったそいつ」を冷静にみて「そいつの良いも悪いも赦した(=善い)」
ときに血肉化された、、、っていうのがワタシの血肉化とう言葉の感覚。
 愚樵さんなんかは、身体が「弛緩」する、、、ってな面白いことをいうんだけど、「事(件)」「事後」を通して「緊張」していた身体が「弛緩」するって感覚になったとき血肉化されたと言うのかもしれない。血肉化された自らの体験を振り返ってもそんな気がする。これ時間が流れによって忘れて弛緩していった、ってことじゃなくて「自分を赦した」とき安堵したって感覚ね。ワタシの語感でいけば「解放された」ってのも同じである。と、こう書くと例えば沖縄の人に、「じゃあなんだ!?オレが沖縄で米軍にずっと緊張させられていて弛緩のシの字も感じねぇってのは血肉化もされてなけりゃ、赦しも解放も善もねぇってことかよ!!」と責められそうだな。ここで、「うん」と答えるのはなんだかヤバいと感じるが、やっぱり「うん」だな。ワタシの思う「血肉化」というのは、外に向かう怒りや悲しみではなく、内なる世界のことなのかもしれない。だって「血肉」化なんだもの。これいつも誤解のもとになるから一応書いておくけど、「外に向かう怒りや悲しみ」を否定しているわけじゃないからね。

 とここまで書いてきて、ワタシがどこかでとっっても「血肉化」にこだわっているんじゃないかと思えるんだけど、やっぱり血肉化と遠そうな「机上の思索」を書かずにはいられない。それが、血肉化されそうにないだろう「事前」だとしてもね。ここまで書いてきたワタシの偏狭な感覚での血肉化はされていないだろう机上の思索に意味がないかといえば、そうは思わない。むしろ「机上の論は振りかざしたい」とワタシのなかの何かが欲している。何かしらの反応(コメント)があり、思索が深まればなおよし。
 思索して言葉を綴る。それが机上の論でもかまいやしない。やはり苦心して、言葉を綴る。
 キーボードを叩く指に力が入り、脳が、、、お、、、、あれ?、、、脳が緊張しているぞよ。
 思索をめぐらせ「何かが見える」、、、誰かと議論をし「何かが見える」。何かが見えたとき、ひっかかっていた何かがストンと落ちたとき、ふと弛緩する。脳がトロトロトロと弛緩する。
 あれれ、これってもしや血肉化では? 脳の血肉化、、、、赦し、解放、、、、
 先にかいた全身を弛緩させる「赦し」とは何となく違う気もするが、どこかで繋がっていくような気もする。いやいや、これまで血肉化されたものが脳の弛緩を促しているのだろうか?

 生きていれば何かしら「事(件)」は起きる。ちゃんと正面から真摯に対峙しつづけたとき、それが外に向かっての結果には関係なく、内なる「血肉化」がなされる。それはそれまでしてきた「脳の血肉化」と結びつくと思っている。たとえ外的な結果が変わらなく(悪いままであろう)とも、内なる血肉化が大切だと考える。思索による脳の血肉化と現実の全身の弛緩が結びついた血肉化こそ「生きていくこと」と考えたい。(ちょっと無理やりな結論かな、爆!!)


 なんだか、イミフ、ワケワカメなエントリーになってしまったなぁ。とはいうものの、だらだらと考えてしまったんだから仕方ない。前スレで「血肉化」という言葉をだしていただき、これまでなにかしらエントリーを書くたびにひっかかっていたことを少し考えることができました。感謝。 


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コメント(45件)

内 容 ニックネーム/日時
・毒多さん

ブログ『dr.stoneflyの戯れ言』の毒多さんが、「エントリーは血肉化されるか?」というエントリーを書く。では、“戯れ言”とはどういう意味ですか?

別に皮肉を言っているのではありませんよ。そういった問題は私も抱えていますから。『愚樵空論』のクセして、血肉化――私は身体化と呼びますけど――は大きなテーマだったりします。似た者同士ですかね、私たちは(苦笑)

いや、やっぱり違うか。 毒多さんはたぶん『dr.stoneflyの戯れ言』を、かつて毒多さん自身の血肉となった「運動」の代償行為として行なっているんでしょう。だからブログは“戯れ言”。そんな気がします。

違ってたらごめんなさい。でも、いずれにせよ、私は毒多さんの姿勢を批判するつもりはありませんよ。それは十分に「あり」だと思います。

私の場合、「空論」というスタンスは、たぶん(というのは私自身にもわかっているわけではないからですが)、自分の主張を他人に強要するつもりはない、ということです。それが血肉化されていようがいまいが、そんなのは読者には基本的は関係ない。もちろん、共感してもらうと嬉しいですから、関係をして欲しくないわけではない。でも、強要はしたくない。

血肉化は善いことでもあれば悪いことでもある。血肉化を強要されることは、私には善だとは感じられない。

...とまあ、こんなことを書いてみたくなりました。すみません m(_ _)m
愚樵
URL
2010/11/03 09:29
私の感じる血肉とは、過去の失敗を二度と繰り返さないための知恵なのではないかと思います。過去は変えることはできないからこそ、未来の可能性を求めて血肉を蓄えてるのでは?エントリーの結果が再発防止策に至ってないからなんだか無力感を感じているのでは?・・・な〜んて思いました。一種の妄想ですが・・・
あなたとのベクトルはおそらく真逆な私の視点の見解です。
Armed Love Power
2010/11/03 22:43
愚樵さん、どもども。

 ワケの解りにくいエントリーにコメどうもです。
 ワタシがブログを書き始めて4年半になりました。取り敢えずタイトルもデザインさえも変えずにやってきたのですが、書く内容は変わって来たと思います。
 書き始めた当初は、運動的なことに利用しようとしてきましたし、希に事の本質や人の内面に焦点を合わせたこともありました。が、だんだん比率が逆になってきている。ちょうど前のエントリーでいけば、「障害者が同じような事故に会わないような方策や制度」に対する言及や主張ではなく、「この事故から見える人の内面」が気になる、、、というような具合です(まあ、おふざけお笑いエントリーは病気だから別として)。だから必ずしも「過去の運動の代償行為」とは言えないどころか、今となっては完璧に違う位置に居ます。
 
 「戯れ言」としたのは、まあ愚樵さんの言うとこの空論と同じような想いでしょう。
 読者の血肉化を強要するつもりも思索の同意を得ようとも想いません、どちらかというとワタシ自身は疑問とそこから派生する本質を血肉化したい、と思っていて、エントリーを書いているとき、挙げたときには、まだ血肉化されていないことが多い。そうしたエントリーにはコメントも多く頂ける。読まれてわざわざコメントを頂けるのは読者もまたどこかで血肉化したいと欲しているのだと、勝手に思ってます(笑)。ワタシもまったく強要するつもりはなく、エントリーに同じような視点で「何かひっかかった」人と共に考えられればいいなぁ、ぐらいの感じです。
 共に考えることができるのは嬉しいですね。

毒多
2010/11/04 08:53
Armed Love Powerさん

>過去は変えることはできないからこそ、未来の可能性を求めて血肉を蓄えてるのでは?
ワタシの感覚では、ここが違うんですね。違うというとこからも「真逆」ということは言えそうです。

>再発防止策に至ってないからなんだか無力感を感じているのでは?
根本が「真逆」のためにこういう発想にはならないんです。無力感もありません。

「違う」という理由も、「無力感がない」という理由も特にレスとして書きたいとは思わないのはなんでかなぁ、、、ということは考えたいと思います。

まあ、いずれにしても、

>エントリーの結果が再発防止策に、、、

至ることはないでしょう。とは思っています。

毒多
2010/11/04 08:54
ベクトルが激しく乖離している状態についてその理由を分析してみたいと思います。
まずは立ち位置を確認させてください。

私はこのエントリを読ませていただいた時、

「自分がその当事者である障害者であったと想像したら、今いったいなにを望むだろうか。
今更どうにも変えようがない(死という事象と同じ)周りの環境やヒトのことをウラミ続けているのだろうか。いやいや私なら自分の巻き込まれた?この事件を未然に自分で回避できなかったかを考えたいのではないだろうか、しかし死んでしまっては考える事は不可能、であれば誰かに(生き返れるかどうかは別として)まずはともあれ問題を解決して、自分の大事な友人たちが同じ問題でつまずかないでいてほしいと思うのではないだろうか、ならば私独自の視点で、なにかできることはないだろうか、(私からみれば)他に同じ問題を見つけられるかも!(今日明日にも)再発するかもしれない。こりゃなんとかしなくちゃ!」

という発想(妄想)が湧いてきます。これがその後の行動の大枠を決定づけていく大事な目標設定です。
なので「再発防止」以外にこのエントリ自体に重要性を感じないし、そんな問題発掘に日夜励むあなたは尊敬すべき存在だし、ぜひ協力しようという思いで書き込んでます。

以上が私の立っているステージです。
あなたはどんなステージに立たれておりますでしょうか。
Armed Love Power
2010/11/04 18:08
・毒多さん

的外れな推量をしてしまって、すみませんでした。

>どちらかというとワタシ自身は疑問とそこから派生する本質を血肉化したい

ここが今、毒多さんの立たれている「ステージ」ということですね。

さて。そこを確認させてもらった上で話を進めます。私には、毒多さんのいう「血肉化」にはちょっと混乱があるように感じるんです。その感じは頂いたレスでより強くなりました。

人間は血肉化を求めて生きている。私はそう言っていいと思うんです。血肉化された場所の中にいるとき、人は身体を弛緩させる。幸福なんですね。

ところがしばしば幸福は断ち切られてしまいます。すると身体は緊張する。血肉化されたものが断ち切られるわけですから、この緊張は融けることがありません。ずっと苦しみに苛まれることになる。

そのような人を見て、私なんかは「赦せ」と言ったりするんですね。赦すことが出来れば緊張は解ける、と。でも、この「赦せ」は批判を浴びたりもします。苦しんでいる人の気持ちがわからないのか、といったような。

苦しむのは血肉化がされていたからです。それを「赦せ」というのは、血肉化を解除せよ、ということなんですね。でも、血肉化の解除なんて他人が要求できるものではない。当人にしかできないし、それも非常に大きな労力が要る。他人は苦しむ人の生命力を信頼して見守ることしかできない。そんな性質のものです。

私が最初のコメントで「代償行為」云々といったときに血肉化は、こちらの血肉化です。
愚樵その1
2010/11/05 07:46
ですがもうひとつ、このエントリーには別の血肉化も出てきます。それは「脳の血肉化」と言われたものです。

>>どちらかというとワタシ自身は疑問とそこから派生する本質を血肉化したい

と言われた血肉化はこちらですね(以下、前者を「血肉化」、後者を「脳の血肉化」と表記します)。

毒多さんは「赦し」を「脳の血肉化」に近いものだと感じられた。それに私も同意します。が、「赦し」は「血肉化」のリセットです。ということは「血肉化」と「脳の血肉化」は反対のベクトルを持つもの、ということになる。

つまり。「脳の血肉化」を追究は、個々の「血肉化」に足を取られていてはおぼつかない、ということです。それはもちろん、個々の「血肉化」に無関心になれ、とうことではなりません。無関心では「脳の血肉化」などそもそも無理です。「血肉化」に共感しつつも「血肉化」を共有してしまっては「脳の血肉化」へと“解放”されていかない。

ですから、机上の論でいいんです。いや、そうでなければならないと私は思っています。ただし、「血肉化」以後の『空論』あるいは『戯れ言』でなければならない。

「血肉化」はしばしば、私たちの前に壁として立ち塞がります。脅迫として使われることも多い。でも、そこで立ち止まっていては「脳の血肉化」へは歩んでいけない。とても疲れるます。でも、だからこそ「生きていくこと」と言えるのだと思っています。
愚樵その2
2010/11/05 08:24
Armed Love Powerさん、うーん、困ったコメントだなぁ、、、が、2度3度となると困った人だぁ、になる。あまりクドイと鬱陶しいヤツだなぁ、になるのが通常です。

>「再発防止」以外にこのエントリ自体に重要性を感じないし

(このエントリーではなく一つ前のエントリーだとして)ワタシがあなたに合わせて、エントリーの視点を変えろと言いたいわけですか? 「重要性を感じ無い」これは相当慇懃無礼な言い方と感じるうえに、土足でケチらそうというようなう自己中と判断できます、そして

>問題発掘に日夜励むあなたは尊敬すべき存在だし、ぜひ協力しよう

あんたはオレを小バカにしてるのですか?と聞きたくなるような書き込み(笑)。何が尊敬で何が協力なの? あきれ返っています。

という言わなくていいことをあえて吐き出して赦すことにします。

さて、何度も書いてますが、あなたのコメント(前半部の問題解決の動機)に反論はありません。で、あなたの立ち位置をAとすると、ワタシのBという立ち位置のエントリーに対して、「Bというのは重要ではなくAが重要であり、Aを中心において書くべきである」と言っているように聞こえる。つまりAという主張を強要しているように感じる。これはAが最重要だと思い込むあなたの独りよがりであり、独りよがりの強要なんですね。これは相手をさせられる方は、わがままな子どもを相手にしているようで相当ストレスになる(このあたりが他所ブログでもあなたが鬱陶しがられている原因と分析します)。当然あなたの主張が聞かれることなくオミットされることになる、のが普通でしょう。

と、またまた書かなくていいことを書いてしまいましたが、次こそは具体的に書いてみます。
毒多
2010/11/05 12:04
このコメントでの、あなたの立ち位置Aは「運動的視点」です。ワタシが最近立っているのは「哲学的(?)視点」Bです。
「運動的視点」Aが重要ではないとは言わないし、不必要とは言いません。ワタシは「哲学的(?)視点」Bでばかりエントリーを立てるかといえばそうではない。ワタシは「運動的視点」Aでエントリーをたてることもよくあります。最近訪れたあなたは知らないでしょうが「名古屋の学童保育の問題」など、まさに運動的視点Aのエントリーでしょう。ここで断っておきますが、日々問題を発掘はしてません。ワタシは基本的に自分が「運動的問題」だと強く感じたものは、エントリーの前にリアルで動きます。エントリーは共闘の呼び掛けや共に考えるという利用をしています。

例えば前出の「名古屋の学童保育の問題」(A)を継続してエントリーしたとき、多くのコメントを頂き考えるのことができたのですが、目の前の学童の制度の問題(A)を話しあううちに、根本的な問題、子どもの育ち、人の育ちとは?(B)を考えるようになったのですね。本当に重要な問題はBだ、ということは共有できました。

例えば、名古屋ではCOP10というお祭りが行われていましたが、人が自然を小さく破壊する方法(または人の手で守る方法)(A)が話し合われていたようですが、ワタシなどは、そも「自然」とは何か?人は「自然」なのか?(B)が問題だと思っている。それを追求せずに表面的な「発生防止」など(あまり)意味がない、と考えております。
毒多
2010/11/05 12:05
今回の本題の「障害者の事故」のエントリーですが、ワタシは「運動的視点」(A)ではすでにリアルで行動している(といっても部外者であり、あまり深く言及することはしませんが)。ただそれは局所的なことで、ブログでは、そこに潜む根本的な問題(B)を提示したいと考える。特に今回のような事故は完璧な「再発防止」はありえません。人間はミスを犯すものですから。また間違いを繰り返すものですから…。ミスは繰り返され事故はおきます。巻き込まれた人間は怒り、悲しみます。そして今回の裁判のような矛盾を抱えます。ここに在る根本的問題(B)を考えたいと思いエントリーを書いています。根本的問題を見つめることを繰り返すことで、表面的な問題の解決にもなると思っています。

ワタシがあなたに「このブログについて」を読んでくださいといい、あなたは読んだ。読んだことでこのブログの位置を考えて欲しいと思っています。
繰り返しますが、ワタシはあなたの重要とする「運動的視点」(A)を軽視しているわけではない。あなたの言い分に反論もない。でも、ワタシが「哲学的(?)視点」(B)で書いるエントリーにおいて、コメントもそこに感心を持った者が、そこを中心に話し合われているなかで、一人子どものように「Aこそが重要だ」、と繰り返されても困る、ということです。

蛇足になりますが、ワタシはあなたにB的視点を持つべきだ、という主張も強要もしません。B的エントリーにはB的コメントの方でお願いしたいし、A的エントリーにはA的コメントで(これは話し合っているうちにB的結論になることが多いのですが)お願いします。繰り返しますが、B的エントリーで、Aだ、Aだ、Aこそが重要なのだ、と独りよがりを言われても「困り」ます。

毒多
2010/11/05 12:05
愚樵さん、すみません。

しっかり考えなければ答えられそうにありません。レスにはちょっと時間をください。
毒多
2010/11/05 12:08
>エントリーの視点を変えろ
言葉そのものにとげとげしさや、無意識に省略している行間の相違が多くて、結果的に命令語として受け取られたという事実から、私にはおおいに反省すべき点があると思います。
誤解です。単なる提案です。勝負もしておりません。なので土足や素足で上るところも降りるところもありません。わたしはなにもあなたに一切強要しておりません。ひとつの提案です。

>尊敬すべき
特定の事象を問題として捉えることができるのは一つの才能だと思います。問題を見つけられなかった結果が、たとえば「大規模な有害物質を大量にため込む(=問題)といずれ大災害につながる(ハンガリー)」とか「森林破壊を続ける(=問題)といずれ森林に住んでいる害獣が日常的にあらわれる(国内)」とか、「国境問題をマスコミが煽る(=問題)といずれあらゆるトラブルが日常的にあらわれる(映像流出)」とか毎日のように目の前の問題を見逃した報いを繰り返し受けています。

>ぜひ協力
問題提起は私にとって人助けの募集みたいなもので、ついつい条件反射的に書いてしまいました。
「赦し」ありがとうございました。
Armed Love Power
2010/11/05 18:50
>わがままな子ども
仮にあなたが軍隊の司令官だとして、戦況(事象)を見て、突撃(動的行動)を選択するのか、一時的な待機(静的行動)を決断するのか、隊員と国家の生存をかけて臨機応変な判断が要求されたとします。
@参謀は一人だけいて、「司令官殿、ここは全員で突撃しかありません」司令官「突撃!」という世界が好きなのか、
A参謀は2人いて、参謀A「司令官殿、敵軍の後続部隊に手薄な個所があるので、突撃をかけましょう」、参謀B「司令官殿、敵軍の後続部隊に手薄な個所がありますが、長距離で狙い撃ち可能な兵器でカバーされてると推測します、ワナです。ここは一時待機しましょう」という2つ(もしくはできるだけ多く)の意見を司令官はよく吟味してより賢く生存を目指す世界が好きなのか。

@が好きな人がオトナであるのなら、私はAがすきなわがままな子ども(参謀Rくらいでしょうか)です。
しかし@しかないと思って他をよせつけない他ブログの方々に比較すると、
Aのコドモ主張を許すあなたは、さすがにいろんな人生経験をつまれた柔軟性の高い方なんだと、あらためて認識を強くもちました。
Armed Love Power
2010/11/05 18:52
話はかわりますが、海上保安庁でさえ感情的な行動(守秘義務を守れない&映像なんか見る人の心の状態で変わる事が想像できない)をしてしまうという、なあぁ〜んにもこの70年、進歩がないことを証明する事実を目の当たりにすると、つくづく9条があってよかったなあって実感が湧いてきます。
Armed Love Power
2010/11/05 19:05
愚樵さん、こんにちは

まず、枝葉から、、、「ステージ」という言葉は嫌いです(笑)。

どうも愚樵さんとワタシでは「血肉化」の捉え方が違う気がする。
うーん、エントリーではおもいっきり「ワタシは血肉化という言葉を血肉化している」と書いてしまったが、言われて考えればよく解らなくなってきた。とまるで血肉化という言葉を血肉化されていないこと、つまり毒多は解っていないことを晒すことにないるのだが、仕方ないな。まあ、毒多の馬鹿さ加減は読者の多くは既に知るところだから良しとして再考しよう。


>血肉化された場所の中にいるとき、人は身体を弛緩させる。幸福なんですね。

1.場所ではないが、過去、青カン支援で泥まみれの自分を赦したとき血肉化された、と書いた。これは身体を弛緩させている、と言える。

>しばしば幸福は断ち切られてしまいます。すると身体は緊張する。血肉化されたものが断ち切られるわけ

2.はい、青カン支援以外の何かに「弛緩状態」が断ち切られることがある。青カン以外の何かは、解りやすいところで「水伝」から派生したブログ人間関係とします(笑)。

2.より1.の血肉化は「青カン支援」についての血肉化で他の血肉化とは関係ないとうことか? つまり、2.については、ブログを始めた頃はまだ右も左も解らぬ世界で緊張していたが、徐々に解ってきてまた安心できる人間関係もできてきて弛緩してきた(血肉化してきた)。これは1.の青カン支援の血肉化とは別のものである。 ワタシは1.の青カン支援の血肉化が、他の事象においても作用する、、と考えていた。(ここが愚樵さんが指摘する「混乱」ということか)
毒多
2010/11/06 15:42
3.しかし、青カン支援を血肉化したにも関わらず、やはり水伝から派生した人間関係で「緊張した」、血肉化が断ち切られた。そうだ、この血肉化は「青カン支援」の血肉化ではなくブログ運営の血肉化。とすると確かに説明は付きやすいな。

>「赦せ」と言ったりするんですね。赦すことが出来れば緊張は解ける
>苦しむのは血肉化がされていたからです。それを「赦せ」というのは、血肉化を解除せよ

なるほど、ブログ運営の弛緩を血肉化と「水伝人間関係」による断絶と、「赦す」を考えると解りやすい(笑)。

ワタシが「血肉化」と表記していたものが、「脳の血肉化」でそれは「血肉化」と反対のベクトルを持つ以下の説明が分かってくる。ちょっとスッキリしました。ご教授ありがとう。

個別血肉化に対して「脳の血肉化」は普遍性をもつもののような気がします。故に机上の論のほうがいいというのも感覚としてそう思いますが、ただ、どうしても引っかかっているものがあるのが、エントリーで書いた「青カン支援」の最後に感じた「血肉化」です。あれは、そのもの固有の「血肉化」ではなく、「脳の血肉化」に近い気がしているんですね。そこまでの「血肉化」されていたものを断ち切ったとも言えると思いますが、机上では有りません。、、、あ、別に本当の机上じゃなくてもいいのか(笑)。
それにしても、あれほど強烈に「解放(脳の血肉化)」されたと感じたものが、普遍性をもつと考えたものが、現実には別の件では利きにくくなっている。机上でも何でも兎に角継続して「脳の血肉化」のため、思索しつづけなければならないと感じています。

毒多
2010/11/06 15:42
Armed Love Powerさん
おお、再コメされるところが凄い。参りました(笑)。お付き合いします。

>提案です
解りました。あなたの意とする読み方をしなかったことは謝ります。
繰り返しますが拙ブログでは「具体的な処方を提案」する運動的視点のエントリーもあります。ので御理解ください。

>尊敬すべき
の項では、表面的な具体的問題点を上げている(政治)ブログは多々あります。そうしたブログを読みつつ、このブログでは、その根本、本質を考えていきたいと思っています。

>人助けの募集
人助けの本質は難しい。上の愚樵さんのコメントに見られるような、苦しみ悲しんでいる人に「赦せ」という人助け(とワタシは思うが)は、世間的には批判される等。

>わがままの子ども、、、の例え
ワタシが司令官という設定自体に無理があります。
「そもなぜ戦うのか」から始まり、「この表面的な勝ちは勝ちに繋がるのか?」、、一体「勝つとはどういうことか」、、「そも、勝ち負けに『生きることの本質』に何の関係があるのだ」
となってしまう。
つまりこの仮定話自体が解らない、ということです。ここが今回のすれ違いの根本でしょ?(笑)。

>人生経験
ワタシの(世に言う)人生経験はたいしたことない。恐らくこれからも大したことはないでしょう。ただ思索は続けていきたいと思っています。

>なあぁ〜んにもこの70年、進歩がないことを証明する事実を目の当たりにする
人は何度でも「忘れる」動物だと思います。
また、自分で経験(ex.戦争経験)しないことは解らない動物ということでしょうか? 経験しなければ解らないようでは他の動物と変わらないような気もしますが、、、鬱。

毒多
2010/11/06 15:43
話はかわりますが(私にも、すみませんが思考の時間をください)、あなたにちょっかいを出している「たかしズム様」のところにいろいろとメッセージを発信しましたところ、最終的に書き込み禁止を食らいました。わははは、反省反省。ちなみに最後に書き込もうとしたメッセージを、なんだか勿体無いので、ブログ主様には申し訳ありませんが、ここに発信させていただきます。責任はわたしがとります。
Armed Love Power
2010/11/06 23:53
相手の方が、大事にしている価値観を尊重して会話しているだけですよ、世の中ににはいろんな人がいるのを、そんなことは電車にのればわかりますよね?
いまのところ、あなたの価値観が極めて不鮮明なので、なかなか合わせられませんが、オ●ルトならそれなりに、ス●リチュアルならそれなりに、ア●ルトならちょっとがんばってなんとか、精神病院ならこうかな?とか、いまは一番最後を想定してます。理解できなければしかたないのですが・・・
Armed Love Power
2010/11/06 23:55
・毒多さん

では、私も枝葉から。

「ステージ」という言葉を使ったのは、Armed and Powerさんが、すぐ上でそのような問いを発しておられたから、です。おわかりでしょうが。


>ただ、どうしても引っかかっているものがあるのが、エントリーで書いた「青カン支援」の最後に感じた「血肉化」です。

なるほど。「青カン支援」が「血肉化」かはたまた「脳の血肉化」なのか、それは私が立ち入ることのできるところではありませんね。

いやいや、それはウソ。すでに幾分か、私は立ち入ってしまっています。たぶん毒多さんはそう感じておられる。その“立ち入られた感じ”が「ある感情」となって毒多さんのなかに湧き上がってきている。テキストだけのやりとりでは明確にはわかりませんが、そんな気配が感じ取れるような気がします。

私は思うのですが、思索とは“そんな気配”に耳を澄ますことでもある。生きている人間には必ず情動があり、情動は感情を呼び起こす。ここにあるのはいうなれば“気の動き”であり、気が動けば気配が生じます。

己にもっとも強く感じられる気配は、自身の気配であるのが理。思索とは、まず第一に自身の気配をモニターすることではないのでしょうか。「生きている」から生じる気配を感じるから“思索とは生きることである”と言明できるのだと思っています。
愚樵
2010/11/07 07:10
すみません。もう少し。

「血肉化」以後といった意味について。

気配をモニターしない思索は「血肉化」以前です。ふつう“机上の論”とはこちらを指しますね。

「血肉」の中から出てくる言葉には感情がいっぱい込められています。私たちはそうした言葉を受け取る。正面から受け取れば、言葉を発した相手の感情が何らかの形で私たち自身にも伝染し、自身のなかで気配が生じる。モニターすべきはその時の気配です。私はそれを指して“「血肉化」以後”と言いました。

このモニターの在り方も、ある意味で“机上”ではあるわけです。少なくとも「血肉」から言葉を発する人にはそう感じられるでしょうし、“以前”と“以後”との見分けもなかなかつきにくい。これは致し方ないことのようです。


なお、そうした気配は、身体の緊張・弛緩という形になって表れます。
愚樵
2010/11/07 08:09
Armed Love Powerさん、おはようございます。

>ちょっかい
というは、二つ前のコメントでしょうか? TBでしょうか?
ワタシには、いずれも「ちょっかい」という認識はありません。あのコメントに関して言えば、言いたい根拠がまるで不明ですが、エントリーで「何かを感じた」からわざわざコメントしたんだな、という判断です。TBに関しては「彼が認定する」左派ブログ多数にTBを送っているのでしょう。ワタシがその中の一つという意味以外に考えられません。TBいただいた「企画」?になんら興味もないので、TB返しもしませんでした。
たかしさんには、以前何らかのエントリーにいたく共感していただき、彼のブログのわざわざ「リンク集」にも掲載してもらってます。二つ前のエントリーでは、わざわざコメントするほどの反感をもたれたということで、共感することもあれば反感をもつこともある、人にはいろいろな面が在るということでしょう。

一つ考えるところがあるとすれば、あなたは多様な価値観を認めているように見えて、「たかしズム」というブログの価値観を不明もしくは否定している。ということです。そんなあなたを批判するわけではなく、そも「価値とは何だろう?」という思索のネタが浮かび、この思索は面白いかな、と思いましたが、長くなりそうなので別の機会にします。爆!!
毒多
2010/11/07 15:45
前置きが長くなりましたが、今回はこのエントリーのコメントに関することを少し書きたいと思います。あなたがしたコメントについてです。

>自分がその当事者である障害者であったと想像したら、今いったいなにを望むだろうか。

ワタシはあなたのコメントに反論はないと言いましたが、ちょっと別の見方を考えましたので書きたいと思います。
ワタシが死んだ障害者だとしたら、一番に望むのは「事故の再発防止」だろうか?(もしかして「事故の再発防止」なんて少しも考えないかもしれない。)と考えました。ほんとに一番に望むのはワタシの一番近い存在(血肉化されていた存在)、母の幸せではないでしょうか? いつまでも悲しみと怒りに支配されている母を見ていられない、と思う気がします。母の安堵を望むのではないでしょうか?
ワタシは、そのあたりを前提として件のエントリーを書いたのかもしれないなぁ、と振り返りました。


毒多
2010/11/07 15:46
愚樵さん

それでは枝葉から(笑)
Armed and Powerさんが使われているのを流用したのは解ってましたが、愚樵さんが使うのは妙に腹ただしく感じたので敢えて書いてみました。

「ある感情」・・・を発したと感じられた毒多を少し深くモニターすると、

「青カン支援」の最後のアレはやはり「固有の血肉化」だったのではないか? とするとあの血肉化による自信はなんだったのだ、え、「自信」だって? はじめてでてきた言葉だな。まあ、いい、あながち間違った言葉でもないかもしれない。
ここまでのブログだってあの血肉化による自信のみで走ってこられたわけだ。なんでそれを否定するんだよ、この野郎。腹が立つ。あれ、腹がたって怒っているのかオレは? 誰に? オレの自信を崩そうとしているヤツにか? いやちょっとまて、他者の指摘など問題ではないのではないか。本当にある自信であれば、それがあの血肉化から由来する自信であれば、崩そうとしているとも思わなくていいし、ましてや腹を立てたり、怒ったりする必要は全くないではないか。それは、自分で疑わしいと思っているから、不安を感じているからゆえの感情ではないか?

・・・・てなとこでしょうか?

ただ上のような思いはなく(いや、少しあったかもしれない、でも)、現実には不思議なくらい自信が崩されようとしているとも思わず、腹たちも、怒りもおきない。やっぱあれは「脳の血肉化」の一要因であることは間違いなさそうです(笑)。
毒多
2010/11/07 15:49
いや違うか、あれはワタシにとってずっと「思索」続けたい、そんな感じの出来事だな。というかずっと思索をつづけられる出来事。今回は「血肉化」という言葉とともに思い出したが、別の機会には別の言葉とともに思い出すだろうしね。

>思索とは、まず第一に自身の気配をモニターすることではないのでしょうか。

これは同意。ワタシはエントリー(思索)の多くをワタシがどう感じ、何故そう感じるのか、に端を発している、と自覚しています。

舌っ足らずのコメントですみません。
毒多
2010/11/07 15:50
あれ、読みなおしてみたら、アレのことばかりの痛いコメントになってしまったなぁ、、、、
まあ、今後は自分にたいしても他者にたいしても気配を意識して感じ取っていこうかな。
毒多
2010/11/07 16:38
・毒多さん

すみません。またまた枝葉を。

ですから「ステージ」は、半分はArmed Love Powerさんに向けての言葉のつもりだったわけです。“どんなステージ?”なんて、尋ねなくても示されているじゃないか、と思ったもので。

>・・・・てなとこでしょうか?

見事なモニタリングですね(^o^)v
そして、アレの体験が毒多さんの揺るぎなき自信になっている、と。

よくわかりました。挑発的なコメントを続けて申し訳ありませんでした。

それと。私には毒多さんが“痛い”だなんてまったく感じられません。むしろ、私のイジワルな打ち込みを見事に払いのけた天晴れなコメントかと。
愚樵
2010/11/08 05:00
愚樵さん

あれ、挑発的でイヂワルな書き込みだったんだ?
どうもワタシは根っからよい人みたいで(爆!!)、そういう読み方はしなかったんだけど、一つ前のようなレスをするということは「気配」は感じていたのかな?(笑)
いずれにしても「挑発的でイヂワルな書き込み」そのものが目的じゃない(愚樵さんがそんな暇じゃない)ことは解っています。ありがとう。

それで、さらに再度考えてみたんだけど、「青カン支援の最後のアレ」の「アレ自体」はワタシのなかでは「もうどうでもいいこと」になっているのが本当のことです。すでに「その事自体(リアルな経験というのかな?)」は削ぎ落とされていて、何かしら「残像」が強消えることなく残っている。その「残像」はアレの経験自体から遊離した全ての事象に繋がる何かで、それが今回は「脳の血肉化」と表したものかもしれないな。
毒多
2010/11/08 08:53
本体はこんなとこでいいのですが(と勝手に締めておいて、笑)、ワタシのなかでは、だんだん枝葉でなくなってきた「ステージ」について。爆!!!!!

>半分はArmed Love Powerさんに向けての言葉のつもりだったわけ

これは流石に読み取れないでしょ?、、はいいとして、やはり何故ワタシは「ステージ」という言葉に嫌悪感をもっているか?は気になったとこです(自己のモニタリングw)。
恐らく、ブログの書き込み等で見られる「ステージ」というのは、ゲームで使われる「ステージ」を流用していると思うんですね。一つづつステージをクリアしていきゴールに向かうやつ。これを人生に当てはめることの違和感。
はてして人生とは「ゴール」に向かうことなのか、しかも同一のゴールに目指すことなのか、がまず疑問であり、そのために何かしらをクリアするものなのか? はたして共通のステージなどあるのだろうか? 等々疑問だらけ。何を安易に「ステージ」なんて言葉をあてはめて使ってるんだ? という違和感、、、、まあ、いいかコメント欄でつづけて議論するような問題でもないか(笑)
毒多
2010/11/08 08:54
>「たかしズム」という〜
価値観を否定したのではありません、価値観がなんなのかを聞き出すために、相手の対話(感情?レベル)に合わせ、かなり攻撃的な口調を試した結果、そのようにとられているのではないかと思います。私としては、まだ相手の考え方(価値感)まで聞きだすレベルに到達出来ず、否定も肯定も至る前に一方的に遮断されたというところです。今のところの推定ですが、彼らには’考え方が無い’、のでこれ以上セッションは時間の無駄、かな?と一旦判断しております。彼らや、また特定のジャンルに限ったことではないのですが、レッテルの飛び交うブログでは、なんだか自分独自の考え方を持っているパーソンは、今のところ出会えたことがないです。

ただ彼らのサイトで、偶然こんなアイデアが閃きました。
レッテル(略号)が飛び交う様が、なんだか第三者からみるとまるで意味不明な築地のセリの状況そのものに感じ、その怒号や動物の叫びのようなやりとりのなか、大型動物の血まみれの解体ショーが平然と行われるある意味異様な風景は、異文化からみるとそうとう野蛮な様であり、ゆえに見るに値する状況だったんだなぁと、築地での海外観光客への見学規制がなんだったのか、自分の中で納得がいきました。(収穫はゼロではなかったですよ、ブログ主様が以前とりあげられていた、イルカ猟に対する日本人の残虐性が、子供向け番組にさえ自然に描写されていた意味もあわせて、私の中では納得できました)
Armed Love Power
2010/11/08 19:08
>母の幸せ

私の仮定ですが、
儒教思想を標準とする社会で育った結果、人生は誰かのためにあることが前提になっており、もっとも美しい行動は、自己犠牲ではないかと。その対象者は、親であり、師であり、戦時下では’あの方’になっちゃいます。
しかも(自己犠牲の報いを受ける)’あの世’とか’来世’がある大前提が必要です。また人の上下も(犠牲対象の順番付けに)必須条件になります(上下があると、つねに未知の相手の上を目指す行動=感情攻撃が反射的にでます、レッテルサイトがこの応酬です、リアルだと年齢や肩書きで勝負がついて、争いになりませんが・・)。
この大前提(儒教影響)が’良い’と判断するのか、’悪い’と判断するのか(=相容れない価値観?)、がおそらくあなたとわたしの行動の相違ではないかと仮定します。
だから良いとか悪いとかは一切ありません。ただ、仮説ですので、論理的な矛盾や不足や誤りあればご指摘願います。

ちなみに私は、この人生は私のものであり、二度は無いと思っております。母(もちろん家族、仲間すべて)の幸せと自分の幸せを守るために、自分(とその仲間に)に振りかかる問題を、自分の力(参考となりそうな問題の学習、もちろん他者の経験も吸収)で解決していきたいと思います。(まだこの半年ほどで、あまりエラそうな事は言えませんが・・・人に上下が無いと言いながらエラいとか自然に書いてしまうこのヤバイ習慣も早くなくしたいです・・・)
Armed Love Power
2010/11/08 19:11
こんにちは♪

ここで出ている使い方とは違うと思うのですが、僕は「ステージ」という言葉を使うので、ご参考までに紹介しておきます。
いえいえ、強要でも教養でもないですよ。 (^o^)

僕は「ステージ」という言葉を「レベル」との対応で使います。
「レベル」というとどうしても高低というか、上下というか、優劣というか、そういうニュアンスが出てきてしまいまうので、それとは違う単なる「質の差」や「視点?側面?の差」を言い表したいようなときに「ステージ」を使います。

言ってみれば、「レベル」というのは2次元で、例えば同一平面上の2点の把握。
一方「ステージ」は3次元空間での2点の把握です。

紙のような平面の上に(2次元)2点があるとしますね。
それを自分は平面と直角の視線で見ているとします。
つまり、普通に紙を見ている状態です。
点Aは紙の下辺に近いところに、点Bは遠いところにある。
そうすると、Aの方が低くBの方が高く見えますね。
これが「レベル」論。
アキラ
URL
2010/11/08 23:31
(つづき)

で、この平面(紙)を、例えば真横から直角に、つまり「厚み」の方向から見るようにしてみると、点Aと点Bは同一直線上に見えることになりますね。
この角度から見ると、AとBの「高低」はなくなる。
でもAは変わらずA、Bも変わらずBです。
3次元的な視点の違いで考えると、同じ2点のことを話していても、まったく見え方が違ういろいろな「状況」として見えてしまう。
こういう3次元的な視点の角度の違ったところから捉える場合、僕は「ステージ」を使うんです。
そうして、現実というのはいつでも「そういうもん」でしょう。

この「ステージ」は「舞台」といったようなニュアンスです。
AとBとの両方がある「舞台」に上がってることは確かなんですが、実際には同一平面上(同質平面上)だとは限らない。
そういうことばかりじゃないですか、現実には。
この場合「レベル」論ではどうにもならない。
そういうときに、僕だと「ステージ」が違うとか、何とかかんとか言うんです。 (^o^)

2次元思考の人が、実際にはとても多いんですけどね。 (^_^;)
アキラ
2010/11/08 23:32
Armed Love Powerさん

>「たかしズム」の「件のエントリー」
は、「ネトウヨ」(と彼らが規定したもの)がいなければ成り立たないということです。という意味では両者は持ちつ持たれつです。

>儒教思想
無学のため儒教思想がなんであるかは解りません。例えとして「戦争と靖国と天皇」を出されているようですが、多数の本音は「自己犠牲の精神」ではなく、「そう信じこまなければやってられなかった」ではないでしょうか?

>あなたのわたしの行動の相違
よく解らないのですが、
ワタシの行動が「青カン支援」として、それが「自己犠牲」の美しい行動と、捉えられているという意味でしょうか? とんでもない、あれは「自分のため」にやってました。
または、ワタシの行動が「ブログで思索を書く」として、これも自分のためにやってます。
あなたの行動はさらによく解らないのですが、ブログのコメント欄に突撃して「人助け?」「自己啓発の手伝い?」をすることでしょうか? 
または、この半年でリアルで何かをされているのですか?
解らない評価はいたしかねます。
毒多
2010/11/09 08:55
>この人生は私のものであり、、
まあ、人生とは他者(歴史)が作り出したものに依存(例えば「言葉」とか)することも多いので、また私のものか否かは思索できるとこかな(笑)

>母(もちろん家族、仲間すべて)の幸せと自分の幸せを守るため
これは、前も引っかかったので再度書きますが、あなたは母と仲間というように線引きをしていて、あなたの考える「幸せ」を守るため、あなたと同じように母と仲間を守る他者と敵対したときどうしますか? これ、あるベクトルで進むと戦争になりますね。他のベクトルで進むと他者の母と仲間が幸せになることが自分の母と仲間が幸せになる、、と考えることもできます。
でね、どうもあなたの他所でのコメントのやりとりを見ているとどうも前者に成りかねない危うさを感じているのですが、いかがですか?

毒多
2010/11/09 08:56
アキラさん、おはようございます。
ゲゲゲ、
>僕は「ステージ」という言葉を使うので
ヤバ、すみません。解説ありがとうございます。

ワタシの思い込み(ゲームでつかう時のステージ=レベル)で決めつけていました。おそらく過去に「ステージ」がそういう使われ方をしていて強烈な違和感をもったためかもしれません。

「舞台」という言葉から解釈は、それぞれに「物語」がある、ということです。それぞれの物語のなかにいる人物が、同じものを見たとする。それぞれの物語に優劣があるわけがない。しかし同じものを見たときに違う評価をする。それはちがう物語のなかにいるからだ、、、、と、こんな解釈でいいでしょうか? であれば、そのステージに違和感はありません。

ただ、特に説明がなければ(自分がそう思い込んでいたせいか)「ステージ」が「ゲームのステージ」に取られてしまうだろう、という危惧があり、ワタシがその言葉をつかうことはないかな?(笑)、と思っています。

毒多
2010/11/09 08:56
>毒多さん
「血肉化」という表現を私が不用意に使ってしまったのは、軽率だったかも知れません。

前エントリでは「赦しという概念が私個人の中で血肉化されていない」と書きましたが、そもそもその前段にある怒りや憎しみも、おそらく私の中で血肉化されていないからです。

ある種の強い感情が励起されているからといって、励起の要因を私自身が血肉化しているとは必ずしも言えないと私は思っています。
全ての感情は、容易く移ろう精神の一時の調子(トーン/濃淡)に過ぎないように感じます。

私は幼少時の一時期、軽いカプグラ症候群のような状態になっていたことがあります。
家族という概念すら血肉化されていないのかも知れません。
自分語りばかりですみません。
他人の頭の中が解らないので、手札がこれしかないのです。
黒い時計の旅
2010/11/09 14:06
ついしんです。
「ステージ」という語は、回り舞台のように切り替わる一方それ自体は確固とした(リジッド)なもの、というイメージを喚起して、精神の態様とは少し異質な気もします。

個人的にはフェーズという言葉を充てたりもしますが、これまた心理学的には別の意味付けを既にされているのかも知れません。

ともあれ、血肉化されているものなど殆ど持たない私のような者が、迂闊な表現を用いたことを少し反省してます。
懸念した通り「水を差した」格好になってしまいましたね。
黒い時計の旅
2010/11/09 14:23
>「ネトウヨ」(と彼らが規定したもの)がいなければ
目に見えない国境と同じですね。そんなものは無いと思います。欲しい人は別として・・・そんなのほっときましょう。

>「そう信じこまなければやってられなかった」ではないでしょうか?
ご自分でそう判断されておられれば止めません。わたしはそれさえ許されなかったことを問題視してます。

>「青カン支援」として、
大変申し訳ありません、あなたの行動を、そこまで調査できておりません。(否定も肯定も無いという意味です)

>突撃して「人助け?」「自己啓発の手伝い?」をすることでしょうか
>または、この半年でリアルで何かをされているのですか?
お話しさせて戴いた相手の方の’自立’が人助けだと思い込んでいます。
むっちゃくちゃいわれますよ、相手の方からみられたらバカにされているみたいです、
ここでもそうですし、あなたのご覧になられた、私が頑張ってる怪しいサイトにおいても。
でも全く悪意はないんですよ。自分がそうだったから。でもなにか他によい方法があると思いますか?
おとずれた黒船を目の前にして、こう日に日に滅んでいく日本の現状を見ていて・・・
国内の傲慢な人たちを目覚めさせる他の方法ってなにかありますか?

>線引き
私の見えている線は、あえていうなら、大気圏あたりなので、争うとすればその先ぐらいです。
いまのところ、そんな存在は科学的には確認されていなかったと思います。
Armed Love Power
2010/11/09 20:03
あ、いやいや、おそらく僕の似たような使い方をしている人もたまにはいる・・という意味でのご紹介ですから。 (^o^)
毒多さんが仰るように、そうではない意味で使ってる人の方が圧倒的に多いと思います。

「物語」というのはいいですね♪
まさにそんな感じです。
「視点」の角度の違いのようにイメージしてしまうと、いくら3次元的にだ・・・と言っても、どうしてもその見ている先は2次元的把握になってしまうでしょうから。
「物語」はいいです! いただきです。 (^o^)
アキラ
URL
2010/11/09 23:06
黒い時計の旅さん、おはようございます。

カプグラ症候群という言葉は始めてで、wikiで調べました。
哲学的なものを感じたのですが、思索ではなく感覚としてリアルに感じるのは辛いですね。(いや、「辛い」というのも違うかな?想像もつきません)。

黒い時計の旅さんのなかでは「血肉化」という言葉を不用意に使い、「水を差した」という感覚かもしれませんが、ワタシが何かを強く感じ新たにエントリーをたてたところで、黒い時計の旅さんの手を離れワタシのものになっていますので、懸念等はひつようありません。
もっとも、ワタシの「血肉化」の捉え方は愚樵さんによって打ち壊されてしまったのですが(笑)。ワタシとしても引っかかってたものが取れ、楽しかったので「血肉化」という言葉をだしてもらったのは感謝してます。
蛇足ですが、元のコメントのワタシと愚樵さんの会話で「赦すが血肉化されていない」というのも、このエントリーの愚樵さんとの会話で納得しました。


「ステージ」については、黒い時計の旅さんの表現は、ワタシにとっては、ちょっと解りにくいです(ホント頭が悪くて申し訳ない)。アキラさんのコメントで言った「物語」がイメージが広がってますので、別項でもう少し書いてみたいと思います。


毒多
2010/11/10 08:45
Armed Love Powerさん

>(青カン支援に関して)、、そこまで調査できておりません
根本的に違うんです。「調査」という感性が、、、

>「人助け」
ワタシは「人助け」などと言っている間は、「人助け」はできないと思っています。「人助け」は意図してするものではなく、知らぬうちに他者が感じるものという認識です。
「人助け」と言ってしまうあなたのやり方の理解はできませんが、まあ、やり続けてみたらどうでしょう。半年では解らないでしょう。3年5年とつづけて解ることもあると思っています。

毒多
2010/11/10 08:46
アキラさん、ども。
「物語」、、いいでしょ?(笑)
これね、「舞台」とか「主人公」とか「脇役」とか「観客」とか、どんどんイメージが広がっていくのでまたいつかエントリーしちゃおうかな、爆!!

毒多
2010/11/10 08:47
>やり続けてみたらどうでしょう
ありがとうございます。あなたにやっと許可をもらえた。
Armed Love Power
2010/11/10 21:41
え、えぇ???
きょ、きょ、許可ってぇ?
嘘ぉおおお!!??
あんた、このブログに粘着するつもりなの??

ひええええぇえええ
シマッタしまった島倉千代子。

大笑している常連の顔が目に浮かぶ〜!!

このブログにはあなたの「人助け」を必要とする人はいませんし、あなたに「自立が必要だ」と言われる人はいませんよっぉおおおおおお、、、涙。

まあ、いいんだけどさ。
でももうそろそろ面白くないコメントにはレスしないから、レスがないコメントが続いたら、やっぱり「粘着」だったと気づいてね。ブログ主からの、お、ね、が、い(笑)。
毒多
2010/11/11 08:32

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「エントリーは血肉化されるか?」…机上の思索がつづくわけ 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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