毒多の戯れ言

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zoom RSS 「アースリングス」(2)…種差別の矛盾について

<<   作成日時 : 2010/07/20 17:36   >>

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 7 / トラックバック 4 / コメント 74

 前のエントリーではちょいとササクレだっていたからsv400drancinさんに八つ当たりしてしまって悪かったと思っている。ちょっと落ち着いてきたのでもう少し続けよう。
 というのも、やっぱ愚樵さんだ。「戦争も屠殺も同じ」なんてわけのわかんないコメントするから悪い。取り敢えずレスしたものの、どうもすっきりしない。 ・・・生存のために(仕方なく)殺す屠殺と、金のために(非情に)殺す戦争が同じなわけないだろ・・・てな感じ。
 というわけで考えてみた。
 ビデオの冒頭に「種差別」という言葉がでてきて訴えている。
 「差別」は偏見とえこひいきで悪いことという前提で、性差別やナチがユダヤを虐殺した民族差別の画像とともに「種差別」について思考することを投げかけるわけだ。性差別にしても民族差別にしても差別している側の麻痺している感覚を確認したのちに、「種差別」している人間の麻痺を解いて客観視しろ、というわけだな。差別する側が差別される側の苦痛を想像することと、強いものが弱いものを物として扱い利益を得ることについて云々と・・・・。
 差別によって被差別者を蹂躙しつつづけていることは、人間社会の範疇だけではなく、地球規模でも同じで、そこに「種差別」がある、とね。

 まあ、ビデオが進んでいくとだんだん他の種(動物)を殺すことではなく、「残虐に」殺すこと「無意味に」殺すことへ問題が推移しているので、あれれ、問題はそこだったっけ?と、疑問に思うことになる。つまり、殺し方が残虐でなければ、動物実験などでも意味があればOKなの???という疑問。
 性差別、民族差別とおなじように種差別がある、といいながら、「殺し方」や「殺す理由」を問題にしはじめたということは、「殺し方」や「殺す理由」が正当ならば性差別も民族差別もOKなんかいな???となるのではないか。 性差別や民族差別は人間相手だからまずい、ってことを言い出せば種差別の根本を否定することだから言ってはいけない。
 種差別が性差別、民族差別と同様にまずいことならば、「殺し方」や「殺す理由」ではなく「殺すこと」そのものを問題にしなければならないんじゃないかなぁ。でもできない。やっぱり肉を食いたいからね。そこでこのビデオは問題を「殺し方」「殺す理由」に問題を転嫁した。ここの矛盾に制作者は気づいているのだろうか?
 人間が生存のために種差別においても「殺す」ことはOKとすると、同様な差別上にある性差別、民族差別も「殺す」ことがOKになるわけだ。おお、この先にあるのは戦争ではないか。

 この辺にきてやっと愚樵さんの言わんとすることが、うっすらと分かり始めてくる。性差別、民族差別と種差別が同一線上にあるとしたときから「殺すこと」そのことにおいては屠殺も戦争も同じのわけだ。
 って、おいおい、戦争反対と差別反対を言い続けてきたこのブログの立場はどうなるんだ。
 
 困った。

 人間の存在は欺瞞前提の存在だ、って開き直っちゃえばいいんだけど、それもなんだか、、と思うし、かといって中途半端な「正義」など振り回した日には自滅する。やっぱ「種差別」を否定しちまうか? はぁそれができるなら完全に否定できるならビデオを観てもなんも感じないだろう。でもやっぱり感じてしまうんだよな。
 可哀想で、悲惨で、虚しくて、落ちこみ、いらだち、、、、
 つまりは種差別をみとめ、種差別をしている自分がいるってことだ。
 認めるしかない・・・・・。

 さて、その先は、、、

 え、自分でそれを引き受ける、、、だって?
 どうやって引き受けるのさ??
 こうしてカワイコちゃん殺しから逃げれなくなっていく。
 

 

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コメント(74件)

内 容 ニックネーム/日時
>「戦争も屠殺も同じ」なんてわけのわかんないコメント

って、これはビデオの最後にトルストイの言葉として出てきていたんですけどね。

>種差別が性差別、民族差別と同様にまずいことならば、「殺し方」や「殺す理由」ではなく「殺すこと」そのものを問題にしなければならないんじゃないかなぁ。

私が問うているのは「殺す理由」です。「殺す理由」が自らの中にあるのか。そこが問題です。

腹が減って死にそうだからたまたま出会った動物を捕まえて殺す。また、特定の誰かが憎くてどうしようもないから殺す。

これらは「自身の中」に「殺す理由」がある。自身の中に理由があって、そのことを自身でも認め、その上で実行するなら、誰にも批判する権利などない。そう私は考えます。

いえ、批判はできるでしょう。“いかなる理由があっても殺人はいけない” なるほどこれは「正しい」。が、「自身の中」に「殺す理由」を持っている者にはこの「正しい」は届かないでしょう。その「正しい」は所詮、「自身の外」にあるものだから。

差別がおぞましいのは、「理由」を「自身の外」に作るからです。種の違い、性別の違い、肌の色の違い、それらの差異を理由に自身の優位を信じ込む。そうやって「自身の感覚」=〈魂〉を封殺する。

これは「正しい」でも同じです。“差別はいけない”という「自身の外」にある規範を押しつけられることは、それがいかに「正しい」ことであっても〈魂〉の封殺になってしまう。麻痺の始まりです。

(憎悪の感情に凝り固まった〈魂〉も麻痺しているとしか言いようがありませんが。)

>人間の存在は欺瞞前提の存在だ、って開き直っちゃえばいいんだけど

そうすれば楽ですけどね。でも、楽をするのは脳味噌だけです。身体は脳味噌ほど簡単には騙せません。
愚樵
URL
2010/07/21 07:00
なぜか愚樵さんのコメントに、アニメ「コードギアス 反逆のルルーシュ」のキャッチコピーを思い出したり。

“撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ”
人生アウト
2010/07/21 07:56
――「人がゴミのようだ」

ある『戦犯』が死刑執行前の獄中で綴った手記に
「自分は大罪人として裁かれるが、
 この世に生きるもので
 罪を犯したことのないものがあろうか」
というのがあって、

それを読んだ時に何だか得体のしれない情動を感じたのを覚えている。

憎悪か正義か蔑みかよくわからないんだけど。

これは虐待をして子を死なせた大人が「しつけのつもり」だと言っているのを聞くときの感情とよく似ている。

そこで同時に語られる虐待の顛末を頭に思い浮かべながら、

「これが『しつけ』だと?」と。

俺らがやる「屠殺」が、あれよりはマシだ。とは言わない。

だが、子どもを死ぬほど痛めつけながら『これはしつけだ』と自らの心に「言い聞かせる」人間の姿はこの世界で最も醜悪だ。言葉の使い方として最悪。そんな言葉の使い方をするものに比べれば言葉を持たぬ動物の方がはるかに上等だ。

と思う。

―――「戦争も屠殺も同じ」

この言葉はそういう不遜さを人に見せてくれる。

「ルルドの水」と「麻原の残り湯」が等価だ。とでも言うような。

俺は普天間の「抑止力」を言い募る人々に同じものを見た。

>「戦争も屠殺も同じ」なんてわけのわかんないコメント

ビデオを最後まで見た毒多さんが「わけわからない」と思わなかった、ということは、愚樵さんのコメントとは違った使われ方をしていたということじゃないか。

同じ言葉でも違う人間が違う文脈で語れば違うものになる。

先の『戦犯』の言葉も宮沢賢治が語れば違うものになる。

命を輝かせることができる。


風鈴
2010/07/21 08:00
>人生アウトさん

私も『コードギアス』は観てますよ(笑)

“撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ”

うん、そういうことかもしれません。少し堅くいうと「対称である」ということ。

人と動物とは、もとより非対称です。現実の話として、人類はあらゆる生命の支配者として地球に君臨している。それは知力を含めた能力が、他の種を圧倒しているからなんでしょう。

が、そのことが「完全な非対称」を保証するものではないし、追及して良い理由にもならないと思うんです。“窮鼠猫を噛む”といいますが、バランスは偏っていても対称性は確保されるべき。
(ましてヒト同士なら、そのバランスが偏るようなことがあるべきではない。)

私は、バランスは偏っていても、それでも自然との対称性を保とうとする営為を根源的な意味で労働というのではないかと考えているんです。自然の恵み(農作物や狩猟による獲物)などは、労働という代償の結果として得られるもの。そして労働は多かれ少なかれ危険が伴う。その掛け率は動物あるいは植物と比べたときヒトの方が圧倒的に有利ではあるけれども、でも、賭けは成立していなければならない。

差別というのは、そうした賭けを認めないことなんです。勝つ方は常に決まっていると考えるのが差別です。
愚樵
URL
2010/07/21 09:35
あー、ちょっとまた茶々を入れにきたよ!!
なんつうか、屠殺でキャアキャア言うのも、現実に流通してる食肉の現場を見て「肉が食えない!」っていうのも、生産地に住んでる俺としては不謹慎な気がしてね。毒たんの「かわいこちゃん」の件も、都会モンのたちの悪い遊戯みたいな・・・・

実際にそれらを生業としている人たちもいるんだし、「生き物を殺して生計を立てること」を普通として生活としていることを「魂の穢れ」みたいな感覚でいったら、前近代の被差別階級を「不浄」としていた根源的な部分に繋がっていくと思うのだよ。

養鶏場やってる知人がいて、卵産まなくなったら「潰し」て肉にするんだけど、そこんちの娘の中学生が「潰すときコキっていうのがちょっと面白い」って言って、そのとき「うわ、この娘、コエエ」とか思ったんだけど、その子にとってはそれが「日常」で「普通」なことなわけだし、そこに「恐れ」をもっていては卵貰ってる身分では申し訳ないなあ、とその感覚を理性で押し殺すことにしてる。

「覚悟」とか仰々しいものじゃなくて、ありがたくいただくだけじゃあダメなんですかね?
「残酷だから食わない」より適正な価格と評価をしたほうが「殺す側」の人々にとってはいいことだと思うんだがね。(俺の視点はあくまで人間主体です)
DoX
2010/07/21 21:30
ちなみに私は、動物の痛々しさを取り扱ったフィルムをいくつか見た上で、肉食です。
単純に豆乳類の味が好きなので、食事は植物性メインとなっていますが、別に肉を嫌いなわけじゃない。
(ただし、肉の増産が途上国の穀物食を圧迫している理由において、肉類を嗜好することは少ない)
植物性たんぱく質で事足りるから肉類を禁忌する……という考え方はしません。肉食のベジタリアンと言える生活かも。

というのも、「殺し方」や「殺す理由」は問題ではないと考えるからです。捕食される側にとって死であることに変わりはなく、私が動物を殺さずに生きていけないのであれば、堂々と恭しくいただくほかない。自分が捕食者である以上、中途半端なことをしたって何かが軽減されることはない。
私は殺すし、私は食う。生まれてから死ぬまで、そこは変わらない。


そして、トルストイの「屠殺がなくならぬ限り戦争もなくならない」と言うのもわかる。だったらどうするか、屠殺しながら戦争をなくす。
命を奪うことに理由なんか関係ない、だからどんな理由があれ戦争は肯定できない。どんな理由があれ子どもが絶対に殺されてはならない。一切の事情を無視して、子どもを殺させない強権を私は志向する。徹底的に肉を食いながら、徹底的に子どもを保護する。
私は結果しか信用しません。「殺し方」も「殺す理由」も斟酌しない。生きるなら動物を殺す、生きるなら子どもを殺させない。そこに一片の譲歩もできない。生のためにあらゆる障害を取り除く。生存するために。生存したいから。私は生きたい。
人生アウト
2010/07/22 05:00
ちなみに、毒多さんの
>「残虐に」殺すこと「無意味に」殺すことへ問題が推移している
という疑問は、西洋型の動物愛護にどこかしらつきまとう問題でもあると思います。
合理的思考に基づく科学文明が西洋出自であるから、その文明批判も合理的に行わざるを得なくなる。その結果、「よい殺しとよくない殺し」の間に、合理的な線引きをせずにいられない。そしてまた、イルカやクジラについても「知能が高いから殺してはだめだ」という方向にならざるを得ない。
この合理的な線引きに、「えっ?」と驚かされてしまうのですが。
人生アウト
2010/07/22 05:11
人生アウトさん

>「殺し方」も「殺す理由」も斟酌しない。

斟酌しているじゃないですか。

>私は生きたい。

立派な理由です。必要にして十分な理由。

それ以上の理由は強欲なだけ。

現代人はメタボなんですよ。必要かつ十分になるには覚悟がいる。メタボを脱却するためにダイエットをするには覚悟がいるのと同様に。

それは、もともと健康な人にはわからない覚悟ですが。「飽食の悦び」を知ってしまっている者には、かなり大変。
愚樵
2010/07/22 07:03
――「飽食の悦び」

そんなものを知っている現代人はいない。飽食に悦びなどない。あるのは飽食の悲しみだけ。

大量生産されるブロイラーを食べているのは金持ちじゃなく庶民。

同じく、生きるために戦争させられるのも庶民。

食べさせられ、戦争させられる。庶民は。

食べさせられ、太らされ、食べられる家畜と同じように。

その悲しみを知らない現代人はいない。そしてその「常軌を逸した常識」からの脱却は夢物語だと思わされている。

これは「悦んだり哀しんだりする心」の問題ではない。これはこの社会の問題である。

そういうふうに思わせる社会の問題である。

私たちの心の問題は別のところにある。

風鈴
2010/07/22 15:14
私らの抱える心の問題は全能感を当たり前と感じるゆえの飢餓感だ。

給食の際に「いただきます」と「言わされる」ことに異和感を持つ親がいるそうだ。自分たちが給食費を払っているのに、なぜ、感謝を表明する必要があるのかと。

悲しい話である。

食事の際に「いただきます」というのはごく当たり前のことだ。その当たり前のことを知らないというのはどういうことか。と考えてみるえ。

そうしたら、これは心の飢餓だ、ということに思い当たる。これは飽食のもたらしたものではない。

金を払えば給食は得られる。それはまったく正しい。だが、この人は御馳走してくれる人間の存在を忘れているのだ。そしてそこに捧げられた命の存在を。少し考えれば飽食の現代人でもそこにいきつくのに。

自分で給食費を払っているのに、給食の際に「いただきます」というのはなぜか。そのことについて考えない人がいる。

それはなぜか。優先事項が「感謝の表明」になっているからだ。そう。この人は、本当は「感謝の気持ち」というのがとても大事なことだということを知っている。

それが得られないことを悲しんでいる。そのことに餓えている。だからそれが最優先事項になる。

そのことが自然にわきでてくる思考を妨げるのだ。

給食費を払い給食を食べる。そこには感謝は介在しない。(本当は心のやりとりが必要だのに)

だが人が料理を食べるとき、御馳走をしてくれた人に、あるいはその命に、

そこには自然に感謝の気持ちが生ずる。

少し考えてさえくれれば。
風鈴
2010/07/22 15:15
私たちは全能感を金で得る「快楽」に中毒させられている。

十分に金を払っているのだ。これで文句はなかろう。と。

本当は親も、店員もコックも医者も感謝してもらいたいのだ。それだけが、自分の生きる意味、生きて働くことの意味を知らしめてくれるから。だが、その労働に支払われる対価が、皮肉なことにそれが適正なものであればあるほど、それを阻害する。

価格が邪魔をするのだ。

その価格の適正さがそれ以外のものの介在を拒むのだ。そしてそれは私たちが「それ以外のもの」の価値を知らないからではない。感謝の気持ちの大切さを知っているからこそ、その介在を拒むのだ。「余計な対価を支払いたくはない」と。

何を「いただきます」なのか?

それはこの社会の問題。それはこの社会で、日々「食べさせられ、働かされ」尊厳を奪われている人の心の悲鳴だ。

「金さえあれば何でもできるという全能感」を原動力として「食べさせられ働かされ生きさせられ」ている人間の悲しい心がしぼり出す嗚咽である。

風鈴
2010/07/22 15:29
手塚治虫の『ブッダ』に、

野党の首領(重要な登場人物)が蠅のたかってすえた匂いのしそうなスープを貴族の鼻先に差し出してそれを「食べろ」という場面がある。

その貴族は庶民の食べるそのスープを拒み、野党の首領は彼を殺し、彼らの馬車から金品を強奪する。

私は、かわいい犬でもテレピアでもアフリカマイマイでもスズメでも何でも腹が減ればそれを殺して食うだろう。そのことを考えることは何も怖くはないし、心も痛まない。魚釣りをすればそれを食べるし、強いて言えば釣り上げて食べずにいることの方が酷いと思うけど、ゲーム感覚で釣りをすることを責めようとも思わない。さらに言えば「人間狩り」というテレビゲームがあったとしてそれをする楽しみを楽しむ人がいても別にいいと思う。ゾンビ映画なんかを見ているとそれは面白いのかもなと。



そんなことより私はむしろ野党の首領にすえた匂いのスープを差し出されたときのことを思った方が怖い。

私はそれを上手に食べられるだろうかと。

私が生きるためにそのまずいスープを。

風鈴
2010/07/22 15:53
Doxチン
問題にしたくなければ、しなくてもいいです。もちろん、そういう選択もあります。それぞれです。
ワタシがビデオをみて何かを掻き立てられたからワタシのブログでエントリーしました。また問題は屠殺、食肉にとどまるものではない、と感じました。「普通」「日常」を振り返るのは意味があると思っています。(前のエントリーの「これをみてから肉を食え」ってのは酷い「ツリ」だと、ちょいと反省してますが、、、)

>「かわいこちゃん」の件も、都会モンのたちの悪い遊戯みたいな

うん、都会もんじゃないけど、これは思っています。
でも、何やかやと理由をつけて、それさえもにげていいものかってのがあって苦悩してます。
生業にしている人からすれば、ちゃんちゃらおかしいでしょうね。でもね、頭で考えているだけでは分からないことが多いと思っていて、飛び込まないとほんとのとこが分からないというのが、ワタシの性格です。(で、ビデオもやっぱり見なくちゃだめだと思ったの)

>ありがたくいただくだけじゃあダメなんですかね?

ワタシはそれができない人間なのかもしれない。


毒多
2010/07/23 17:07

そうか、「殺す理由」ですね。
生きたいから、、、そうですね。
でも、そこで問題になるのは、自身の中の問題として捉えることができるかどうか、か。
「自覚」・・・か。
「自覚」が持てる社会かどうか、そも社会など関係なく「自覚」できるものか、が次の問題になってくるのでしょうか?

ビデオのなかの屠殺の世界観とか日本の社会では、そういう自覚がもちにくくなっているかもしれませんね。すべてが隠されて知らず知らずのうちに「させられている」社会ですから。いつかテレビでみたアジアのどこかの路上のマーケットを思い出しました。マーケットでは鶏とか小動物がカゴに入れられ「食用」として売られている。あれ生きたまま買って帰って自分で食うために屠殺するんですよね。こういうことを日常としてできる環境では、自覚しやすい気がします。生きるために殺す、殺して生きている、って自覚。(戦争が日常の世界では、生きるために殺す、殺して生きている、って自覚、があるのだろうか?、、、やはり、屠殺と戦争ではなにかが違うと思う)
自覚がないものが形式として「いただきます」と言わせる社会では、風鈴さんのコメントのような話がでてくる。
やはり自覚しにくい社会ということは言えそうです。
自覚できないといえば、ワタシたちが日本を通して戦争によって人を殺しているってのも、全く自覚できません。これは米軍基地を目の当たりにしてる沖縄のほうが自覚できるのでしょうか?

毒多
2010/07/23 17:09
自覚しにくい社会のなかで「自覚的に生きる」というのはどのようにすれば出来るのでしょうか?
「飽食の(悦び)」を知っているワタシにとっては「自覚的に生きる」実感はなく、どのようなものかも想像もつきません。だからカワイコちゃん殺しなどという(それが何かもわからないままの)安易な方法(かもしれない)に固執するのかもしれません。
愚樵さんや人生アウトさんはコメントからは「自覚的に生きて」いそうに感じますが、実感はあるものなのですか? もしくは実践などあるのでしょうか? って、そんなもん言葉で伝わるもんじゃねーだろ、って言われそうかいな(笑)。


毒多
2010/07/23 17:09
「問題にしたくない」じゃなくて、毒たんや愚樵さんみたいに、「リアル食肉生産動画」に過剰に反応することで、話の節々で差別されている「人間」のことを「問題にしてる」んだけど、まあいいや。

俺は実はゲームの動画すら「残虐で耐えられない」っていうのに、リアルであることがわかっているスノッブ映像わざわざ見て感心したり、生き物をイベントで殺そうっていう毒たんにイラっときてたりするんだけどね。作り物とわかっててやる殺人ゲームより、そっちのほうが「残虐」「殺人衝動」と親和性高いんじゃないの?
だって快楽殺人犯がよく言う殺人の理由が「ホンモノを殺してみたかった」「殺して自分が生きている実感が得たい」ってやつじゃん。

生活のために、必要があって殺すんでなければ、なんのために殺すのか、って、「殺しているという自覚を得るために殺す」なんて俺からしたら最悪の人間側の利己主義だと思うんですがー。

というわけでヤギ殺すイベントはやめとけ。遊びで命をもてあそばないように!!合理的動物愛好家(肉は肉、ペットはペット)の俺はそんな話聞くだけで不愉快ですよ!!そんな「実感」なんて必要あるのかよ(ブツブツ文句言いながらフェードアウト)
DoX
2010/07/23 19:26
こんにちは。

COP10に対してなんとなく違和感を持っていたのでコメントし、口でうまく言えないのでURLを貼って伝えようとしたことが・・・。
でも、毒多さんは私と同じような感触を持たれたようで結果は良かったと思っています。また、さまざまな角度からの考え方に接して、私の思考もずいぶん整理されました。ありがとうございました。

>ワタシがビデオをみて何かを掻き立てられたからワタシのブログでエントリーしました。また問題は屠殺、食肉にとどまるものではない、と感じました。「普通」「日常」を振り返るのは意味があると思っています。

「何かを掻き立てられたから」・・・。そうです、私もです。
私も屠殺の場面を見たから肉を食わないとか、「可哀相だと改めて知った」とか言うのではありません。
どういってよいのか悩むところですが、人に強制するつもりもないわけで、「ビデオを見たら分かる」という言い方もしたくはありません。とにかく私はビデオを見て改めて感じたものがあるとしか言えません。
ニケ
2010/07/23 21:05
競馬についても前々から感じていたことであり、「もし馬具がなかったら人間の指示にどれほど従うのだろうか?」と割と最初から感じながら競馬をやっていました。「優勝したからと言っても場房が豪華になるわけでもないし・・・」とか。www
ドッグレースや豚の競争。他にも動物を使ったさまざまなイベント。競馬でファンが馬に鞭を打ちたいと思う人はいないでしょうが豚などなら熱狂して叩いてやりたいと思う人もいるでしょう。おもしろ半分にシッポを切り落とす行為、蹴飛ばしてみるとか、ありそうだし・・・、実際見たこともあります。
動物がギャーギャーと鳴くのを面白いと思う人がいるわけで。。。
いや居たっていいといっておきましょう。私は残念な気持ちになりますが、私だって死刑囚が死刑執行されることを当然と考えているので、それに対して理解できないと思う人も居るのだから。。。

自覚しにくい社会。自覚するのを避けてるのかも。今日の晩御飯のおかずにトンカツが出ました。美味しく食べました。誰かに感謝すべきでしょうが果たして具体的には誰なのでしょうか?神に感謝している人もいますね。
養豚に関わってる人?屠殺場で働いている人?精肉店の人?さまざま運搬に関わっている人?その他多くの人のおかげでトンカツを食べられるようになっている。つまり現代社会そのものに感謝なわけだ。
その現代社会の在りように一瞬疑問を感じる。

別に疑問を感じたものが偉いわけではないし、私が人に何かを押し付けようとしているのではない。
おそらく毒多さんも押し付ける気持ちなどないはずだ。
何と言ったらよいのか・・・。「嫌になっちゃう」とも違う。なんか大きな力に押し流されてる感じか?
アメリカにむかつけば反米で怒りをぶちまければいいのだけど、これは違う。そういうことでは解決しないし喧嘩もしたくはない。
ニケ
2010/07/23 21:07
今日のラジオの『夏休みこども科学電話相談』で言っていたけど、最近はドバトなどの鳥の子育てのための巣作りが、人間の近く行なわれるようになっていると。カラスからの攻撃を避けるのに人間のそばの方が安心なのだそうだ。
相談者の先生が「私の子供のころはパチンコで撃って遊んでいた」が、「いまのこどもはやさしくなりましたから鳥の方も安心だと思うのでしょうね」と。

私はそんなに悲観はしていない。少しづつ変わっていくのでしょう。どんな未来になるのか?見届けることなど出来ないけれど、良くなっていくと思いたい。ただ今はそんな気持ちでこの問題を考えています。
ニケ
2010/07/23 21:07
んー別に自覚とかそんな重いもんでもない気が。
いや私も、子供の時初めて鮮魚捌くの見て泣いたけど、じゃあどうするのかって話。

自分に魚や肉を食べさせる大人の向こうには、肉も何も食べられずに死んだ子がいるとわかるわけで。お寺で捨身飼虎の話とか聞かされながら。
なら、自分が肉を食べるのは儀式というかルールみたいなもので。社会が生物が常に循環して、大人が子どもに食べさせて肉や魚を食べさせて、子どもは大人になってさらに子に肉を食べさせて。
そういうルール。だから私が肉を食べることは、大人自身が循環の中に回帰するための条件。その大人はやがて死に、私は子に肉を食べさせ、私は死に、子はさらに子に循環させる。
「好き嫌いはいけませんよ」と言われて、そのくらいのことはわかるわけで。人間が、その子に循環させるために他から奪ってきていることぐらいは。
だったら「食べない」ことで、自分は綺麗なまま、自分の所に肉や米を伝達してきた人達にその責任を押しつけることになるわけで。むしろ、「食べない」ほうがラク。だって自分だけは綺麗なままなんだから。
人生アウト
2010/07/23 21:17
あ〜あDoxちん、そんなはっきり言っちゃダメじゃん。

そのイラつきは分かるような気がするけどね。

俺はドクタンが今かかずりあってる「カワイコちゃん殺し」みたいなのをはたで見てるのが一番嫌なんだよな。気色の悪い成人式やら結団式やら血判状やらを見せられているみたいで。いや成人式も結団式も血判状も別にいいんだけどその「カワイコちゃん殺し」みたいな儀式を通過してそれではじめて云々、ってのが気持ち悪いんだよ。(あ〜もちろんこれはDoxちんや他の誰かががそう言ってるんじゃなくてこの俺がそう思ってるんだよね。誰も間違わないと思うんだけど念のためおことわり...。)

くどいけどそんなわけのわからん覚悟を要求したりされたりするのはとにかく気持ち悪い。いや覚悟はいいんだけど「そういう覚悟」ってのは気持ち悪い。暴走族のステッカーもらうためには〜、みたいな。

風鈴
2010/07/23 22:28
うちの中学の先輩に飼ってる鳩を猫に食われたのがいてその猫が鳩小屋にそのままいる(鳩小屋ってネズミ捕りみたいな構造。猫がネズミ捕りに引っかかるってのも変な話だけどw)のを見つけて、ハンマーで殴り殺したってのがあったけど、その先輩と飲む時は今でも覚悟が要るよ。多分。あ〜でもその先輩生きてるかな。元気だといいんだけど。

だいたい、屠殺をしてみたいのなら最寄の食肉業者に行って頼んでみたらいいじゃん。

「僕も一度カワイコちゃん殺しをしないとあかんような気がするんです」と。

そういうことのできる覚悟があるってんなら俺はドクタンや愚樵さんのことをスゴイと思うよ。

ごく素直に。

そもそもニケさんもドクタンも「そういう儀式」を要求する寄り合いってのを見たことないのかなあ。先輩に「今度はお前があいつをシメロ」とか。俺は臆病で喧嘩も弱かったからそういうのからは全力で逃げたし、後輩にもそういうことはさせなかったけど。

ドクタンってそういうの好きなの?


風鈴
2010/07/23 22:29
――例えば両親が赤子を市場に出せる食料にするために養うことは、夫が妊娠した妻の身を大切にするようになり、また母親は商品価値のある子供を大切に可愛がることにもつながるので、家族愛を涵養するであろう。

『アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案』ジョナサン・スウィフト

風鈴
2010/07/23 22:55
あー、俺もいい加減しつこいし風鈴ちんも同意見のようなのでもっぺん言うけど、イベントで動物を殺すショーに参加するのはやめてくださーい。
もし、その「かわいこちゃん」が毒たんの飼育した子で、それを「殺す」っていうんならまだ話はわかるよ。そうやって「うちのハナコはかわいいやつで、うまかった」っていうタフさをもって生活している人たちを俺は尊敬しているし、そこにはたしかに「労働の喜び」だってある。食肉の生産現場は、「死」だけでなくて「生」を扱う仕事でもあるんだから。
なんも、どこかの国でしめるために生きたまま売っているらしい地域じゃなくても、今この日本でもそういう「日常」があるって言ってるのに、自分が自覚できないからってわざわざ他人が飼っていたヤギを、「経験」のために殺しに参加するなんて悪趣味としか思えないよ。にげちゃだめだ、とかふざけてるように見て見えないし、イラつくどころかムカつく。ただ画像を見て「かわいい」だけで、その生き物を生かすための努力もしてない、飼い主の決定で毒たん本人には生かす殺すの葛藤もなんもないのにただ「殺しに参加する」だけで「自覚」できるんだ、なんて大間違いだと思うよ。
DoX
2010/07/24 00:53
鶏ですらヒヨったという毒たんに脅しのために言うけど、俺は熊を大勢の人間で追い詰めて撃ち殺したし、それも食うためとかだけじゃなく「排除」のためだったけど、子供の通学路に出没して、でくわした農作業の人が眼球破裂の裂傷の被害にあってて、「子供が熊に襲われたらどうする?」という切迫した事態だったので仕方なくやった。でも、できることなら殺したくなかったし、人間が熊の住んでいた土地をどんどん切り裂いてそれで招いた結果だ、罪深いということは自覚している。でも、やはりやらざるを得なかった。そういう自分でもそれ以外選択肢がないという状況でなければ、「殺し」なんて実際に経験した側からは「しなくていい」と思うし、端的に言うと「わざわざやるもんじゃねーよ」

ニケさんには悪いけど、映像で衝撃を受けたとか何か感じたって、実際に「殺しをやる」動機にしては比較的どころか非常に「軽い」もんだと思うんだけど、どうよ?
DoX
2010/07/24 01:05
ふむ、ヤギを殺すイベントがあるのですね――。
えと、それは「生物・自然」の領域でなく、「社会・心理」の領域なんじゃないかと。
つまり、イニシエイションの欲求。

「殺し、殺される」の循環の中に自分が入ってないのではないかという不確かさから――、「男の体験」をすることでこの「環」の中に自分も入っているのだという確かさを求めているように見え。
その辺、「生の実感を得るために戦争に参加したい」と感じることと、たぶんあまり差はないのではないかと。

けど、そんなわざわざ「男の世界」に入っていっても、何もないんじゃないかという気が。
少なくともある「覚悟」を抱いてある「体験」をすることでは、人間はまず変わらない――。「変わった自己」という架空の存在に縛られるだけで。
人生アウト
2010/07/24 02:54
割と今さらだと思うんですよ。
経験しなくても、覚悟しなくても、もう十分殺しています。
今さら無垢には戻れません。
この点において、肉の多食者とベジタリアンの間に量的な差はあっても質的な差はないと思います。

なら、殺したぶん以上のものを生かそうとする方向に向けるだけで、十分に「実感」たりえるんじゃないでしょうか。
人生アウト
2010/07/24 02:59
なんだかね、みなさん話の方向がずれていっているような気がしますな。

・Doxさん

>俺は熊を大勢の人間で追い詰めて撃ち殺したし、それも食うためとかだけじゃなく「排除」のためだったけど、

それが熊でなくヒトであっても、仕方がないで済ませられますか?

ヒトなら済ませられないが熊ならよい、というなら「種差別」です。ここが話の眼目。

人生アウトさんは種差別主義者のようですが、Doxさんもそうならそうと言えばよいだけのこと。

断わっておきますが、私は別に種差別主義者を軽蔑はしません。ヒトと他の種との間に限らず、種が違えば捕食者と被食者に別れるのは生態系の法則。人間の領域の話ではありません。ただ、ヒトには他種の動物の苦痛をも感受できる能力がある。『アースリングス』は、その能力に訴えるものです。

私は、種差別に依って他種の痛みは感受する必要がないと考える種類の種差別主義者は軽蔑します。
(Doxさんはその手の差別主義者ではないと思います。)

なぜか。それは麻痺しているからです。人間の持っている能力を発揮できない半端者だからです。私と毒多さんとの間の話題は、この「麻痺」であり、麻痺に追い込むシステムです。

「自覚」と言っているのは、麻痺についての自覚を言っています。だから、カワイコちゃんを殺してみて、麻痺しつつある感受性に刺激を与えてみるべきか、という話になる。Doxさんとは考えている観点が違うのです。

(イベントに参加するのが最良の方法かどうかは別問題ですが。)

偉そうに申し上げておきますが、イラっと来るようなときは、大抵、話の文脈を自分勝手に歪曲して受け取ってしまっているものです。ここは自覚しておいた方がよかろうと思います。
愚樵
2010/07/24 05:50
――「これをやってるんだから文句なからろう」

という「文脈」が俺は嫌いなんだよな。

「権利には義務がつきものです」みたいな教条を纏って人の心を拘束するけどその実ただの言い訳でしかない。そんな言い訳を言ってみたりするために「カワイコちゃん殺し」をせにゃいかんていうのがまったく理解出来ない。そんなのが必要だと思うのなら小学生のうちに屠殺体験ツアーにいくようなシステムを提案すればいいんじゃないか?オーストラリアあたりでは鶏を「ひまわりの観察」みたいなノリで養わせてそれを自分自身で殺させる、という授業があるってのを聞いたことがあるよ。俺はそういうのには全力で反対するけど。反対するのは小学生の心にトラウマが残るからではなくてその反対。

あんな怖い経験をしたんだから今ファストフードやコンビニのやってる無駄(肉)使いオッケー、そんな罪深い社会でも肉を食う資格あるよ俺は。てな話になりそうだから。

強いて言えばファストフードやコンビニがバイトと称して高校生あたりをその罪深い大量生産大量消費社会の中にいつの間にか誘導しているというふうに彼らは良い社会ベンキョをさせていただいてんだな高校生のうちに、という極めて不真面目な意見を持つこともあるけど友人のコンビニ店長の日頃の頑張りを知ってるから「そういうことではないんだよな」とは思う。

だからといって俺もコンビニ経営に携わって死ぬほど苦労してみれば何かが変わるかも知れない、とかわけのわからんことは思わないし、誰か後輩がコンビニ店長になるという話をしているのを聞いたら即「やめとけ」と言う。「割に合わん」と。

ちなみに俺は畜産がしたいんだという若者がいたら「頑張れよ」と言う。漁業をしたい、農業をしたい、工業をしたい、商業をしたい、という若者に「頑張れよ」というのと同じような意味で。

風鈴
2010/07/24 06:27
とにかく俺にとってはヤギ一匹自分で殺したからってそれで変わるようなそんな人生観や社会観を想定しての議論てのはあまりにも軽すぎる、てか子どもっぽい。

「人は責任を逃れるために義務を背負ってます。私は義務を果たしましたよ。あなたは?」

みたいな。

本当は自分の罪深さをやわらげるために「俺は〜として最低限の義務を果たした」という言い訳が欲しいだけなんじゃないのか?

でなけりゃ自分以外の誰かにその痛みを押し付ける方便として。

そんなバカげた言い訳が先の戦争に若者を送り込んだんだろうが。隣人同士で殺し合いをするような世の中を作ったんだろうが。

「兵隊さんは戦地で敵を殺す。そして私たちは近所の非国民を殺す。私たちのよりよい社会のために。それがこの社会で生きるもののつとめ」

沖縄は基地被害を引き受ける、そして私たちは思いやり予算をなけなしの国費から捻出して上納する。そして沖縄でも他の県でも貧乏人は首をくくる。でもそれがこの社会に生きるもののつとめ。

「命を削って金を払っているんだから文句はないだろう。沖縄も金をもらっているんだから文句を言うなよ。この社会の『抑止力』のために必要なんだよ。お前もわかるだろ。日本人なら・・・ガタガタ言うなよ」

あ?いっぺん沖縄にきて未明の戦闘機の轟音を聞いてみ。

あんたらなら何かが変わるかもしれんから。

風鈴
2010/07/24 06:30
うちのオジイは普通にヤギを飼ってた。もちろん食べるために。定年後はそのヤギを毎日畑に連れてって、自分は農作業をして、ヤギには周辺にある草を食べさせる。俺が自分のペットの犬を可愛がるのよりも可愛がってたよ。手をかけ、世話をしていた。

俺たちの小学校の入学式の時とかに適当なのがいればそのヤギが潰されるんだ。

俺たちにそれを振舞うのがオジイの愛情だ。ご馳走様だ。今日潰したヤギをいただきますと美味しく食べるさ。

それになんの覚悟がいるんだ。

風鈴
2010/07/24 06:41
>それが熊でなくヒトであっても、仕方がないで済ませられますか?

「仕方がないで済ませ」てるんではなくて熊を殺すのは嫌だったけど「仕方がな」かったと言ってるんだよね。

そしてそれは「嫌な思い出」として語られている。だから「仕方な」くもないのにカワイコちゃんを殺すのなんてやめろと。

てか殺人鬼が暴れててそこに子どもたちがいれば銃口をその殺人鬼に向けて引鉄を引くだろう。(ただ、俺はDoxちんと違って銃を撃ったことはないから棒っきれやなんかで対抗する可能性のほうが高いが)そこには何の覚悟も要らんよ。それでその殺人鬼を殺したのなら、後で人生を変えるほどの嫌な経験にはなるだろうが。

ああ俺はもちろん人間を最優先に守るよ。だから種差別主義者だ。そのことにはまったく心は痛まない。

他の人間が美味しくいただいているものを「美味しくいただくことができない」と思うときに自分の貴族的な差別感情を見せつけられていやだ。

というのは先にも言ったよね。



風鈴
2010/07/24 07:08
アメリカで、ヒスパニックの家庭では、飼っていた犬が死ぬと冷蔵庫で保存しておいて食べるんだよ、と留学していた子が言っていた。
その子は昔自分も買っていたウサギが死んだので、そういう動物を料理してくれる店に持っていって食べたよ、と。
なんで?と聞くと、だって、もったいない。ウサギがおいしいのは知っていたし。
でも、ペットとして飼っていたんでしょ?
そうではあるけど。

という、理解のできない会話をしたことがあります。
naoko
2010/07/24 10:09


ニケさん、ども。
>別に疑問を感じたものが偉いわけではないし、私が人に何かを押し付けようとしているのではない。
そうですね。そう思います。
エントリーの意図としてはビデオを観て感じた「疑問」ってなんだろう、、ってとこだったんですが、カワイコちゃんのイベントを出したワタシの失敗でした。




愚樵さん、暑いですね。仕事大変だろうなぁ。
ワタシにとっては、一つ二つのエントリーで解決できるテーマではないので、気長につきあってください。っていうか、この自覚を思索すること、そのものが生きるかもしれないな。

>(イベントに参加するのが最良の方法かどうかは別問題ですが。)
そのようですね。


毒多
2010/07/24 12:31

DoXさん、風鈴さん、人生アウトさん
どうもご意見をありがとうございます。
イベントはワタシが主催するものではなく、バーベキューに誘われたものなのでバーベキューに参加するか否かが、それ(屠殺)に関わるかどうか、ということになりそうです。(主催者であるとこのカワイコちゃんの飼い主は女性で、「男の世界」ってことでもないのですが・・・、また暴走族のスッテカーに至ってはまったく実感がありません)
皆さんに言われるまでもなく、このイベントへの参加には相当の引っ掛かりがあり、できることなら屠殺の部分は参加したくなくバーベキューだけ参加したいというのが本音です。ふと屠殺に参加せず肉だけ食いたい、という「日常」とリンクするのではと考え再登場しました。
ぐだぐだと何度も登場することの深層心理では誰かに止めてほしい、という甘えもあったのかもしれません。というか、どう考えるかを聴いてみたかったので、ご意見をくれたことには感謝しています。
ほんらいなら別にわざわざブログに挙げなくても、自分で考え、自分で決め、自分でやるなり、やめるなりすればいい。他人を巻き込み嫌な思いをさせることではないのでしょう。でもまあ、これを言ってしまえばブログに書くことはなくなるので、これからもブログは書くとは思いますが、、、カワイコちゃんはもう登場しませんが・・・。


毒多
2010/07/24 12:32


>あ?いっぺん沖縄にきて未明の戦闘機の轟音を聞いてみ。
>あんたらなら何かが変わるかもしれんから。

ワタシは未明の戦闘機の爆音を聞いたことがありません。が、ビデオではみて、現実の想像はしています。それでこれまでも沖縄の基地についてのエントリーも書いてきたんですが、やはり現実に聞かないとホントのところは解らないのかもしれない、、という思いはあります。罪悪感から聞きたくない、聞かずにすむのなら聞かなくてもいいか、という思いとともに。ワタシがある朝一日だけ爆音を聞いたとこで何になる?とも思います。おそらく一人よがりであり何も変わらず、他者に聞いてみろとは言わないと思います。
いわれれば、ここで毎朝爆音を聞かずにすむ幸せをあたりまえとも思えないし、やはり爆音を押し付けているという思いもあります。爆音を聞かずにすむなら聞かなくていいものでしょうか?

屠殺と戦争はちがう。屠殺は必要不可欠なくならないが、戦争(爆音)はなくせる。という意味においては違うものと考えます。ただ現状のワタシ自身の自覚においては、、、どんなものなんだろう、というひっかかりはあります。


毒多
2010/07/24 12:33
俺は「爆音を聞いた」からと言って免罪されるようなもんではないよ。と皮肉を言ってるんだけどね。そんなことは実際に爆撃を受けてる中東の人々のことを思うまでもなくわかるでしょ。

俺は辺野古を撤回させるまたとないチャンスを前にして沖縄を犠牲にする「抑止力」を言い募るのにはうなずけるのに肉食ってる人間の業の深さを知るために実際にカワイコちゃんを殺してみなければ〜、みたいにテンパってるのが不思議でしょうがないと思ってるんだけど。

これがアメリカだったらこの社会で生きているオイラも戦地へ行って人殺ししてみなければ〜みたいな話になるでしょ。てかなってるでしょう実際にあの国では。

ああ「暴走族」とか口調が軽くなってるのはこういう語り口がいいかなと思ってるだけで別に不真面目なわけではないよ。

そもそも暴走族の儀式ってのは「何かを自覚するためのカワイコちゃん殺し」に戸惑う人間を傍で見てニヤついているような人に言ってるわけでして(もちろんドクタンのリアルお知り合いさんのことでもなく)ドクタンがピンと来ないのは当たり前でござんす。

てかドクタンが「爆音聞いてみ」も含めてそこら(=「暴走族」)にしか反応しないってことは「ありがとう」とか言っときながら人の話ちゃんと聞いてくれているのかなあ、と少しすねたい気分になるよ。

だいたいドクタンは屠殺と戦争が同じだと言うのと、ドクタンのカワイコちゃん殺しが暴走族の入会式みたいだというのとの違いを明らかにできるのかな。

屠殺も含めて畜産業は大切な仕事だよ。

ドクタンには戦争や辺野古移設もそういうもんだという認識があるわけ?

風鈴
2010/07/24 13:16
風鈴さん、もしも、やつらださんとこの
ちろのコメントに対して言っているのならば、ちろに対して直接コメントしてくれれば良いのに・・・って想う。
皮肉でもなんでも。
ちろ
2010/07/24 22:28
>ちろのコメントに対して言っているのなら

ぜんぜんですよー。

実際に爆撃を経験した沖縄のおじいおばあが戦争終わったはずの今も戦闘機の爆音を聞いてその戦闘機がどこかの国の子どもたちの頭上に爆弾を降り注ぐシーンを思い浮かべて「それだけはやめれ」と言っているのに、そのことを思いやりもしないで(本当は思いやってるかどうかもわかんないけど、思いやってるのならその上で)それは「抑止力」だから仕方がないとか言ってる腐れ外道に対して「お前さんは耳の穴を戦闘機の轟音でほじくってもらわんとわからないみたいだな」と言ってみているだけです。

いくら話をしても考えようともしないし、というか人の話を何にも聞いてないから、あらあら動物と同じように実際に体験してみないとダメみたいねこの人たちは・・・(呆)

きちんとしつけなきゃ。

と申し上げてるみてるだけですよ。



風鈴
2010/07/24 22:50
風鈴さん、誤解してごめんなさい。
説明をどうもありがとう!
ちろ
2010/07/24 23:46
あー、俺と風鈴ちん(+愚樵さんも含む)でイチャモンつけの荒らしみたいになっててスマンけど、ブクマで「言ってやった」気になってるような連中や、「こんなことを言ってますよ」と照会もしないで自己解釈だけで勝手に記事にする連中と違って「直接対話」できるのは毒たんを尊敬し、信頼してるからだよん・・・というエクスキューズを前置きに。

愚樵さん、「種差別主義」というのならそれでもいいですが、宣言したからといって俺が毒たんに言ってることに何か裏取りができるというわけでもなさそうなのでー。(俺は人間主体の考え、というのはイチャモンつけた最初に書いてます)
「ここは違うんじゃね?」と感じたことは何主義に関わらず主張しておきたいというのは、ニケさんや毒たんにも共通してるものだと思います。

毒たん、
>屠殺の部分は参加したくなくバーベキューだけ参加したい
つうのは避けたいところだよねー。
俺が好きな漫画家、五十嵐大介が「リトルフォレスト」という作品で、「食いながら殺し方に文句を言うやつ」が一番最低だ、と書いてたことを思い出した。五十嵐大介作品で食肉というと「魔女」ってのもあったよ。一巻の3話目で、ファストフードのハンバーガーを食う人たちが「滅びたジャングル」を食っているのだ・・・というグロい描写。http://www.amazon.co.jp/%E9%AD%94%E5%A5%B3-IKKI-COMICS-%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%B5%90-%E5%A4%A7%E4%BB%8B/dp/409188461X
現在のシステムである食肉のオートメーション化に疑問を感じてる人になら響くないようだと思うので読んでみてー。
DoX
2010/07/24 23:51
ううむ、バーベキュー屠殺について、毒たんが「食肉のシステムに甘んじていながら殺しに関わっていない自分」に対しての罰ゲームのような書き方だったので(逃げられない、とかさ)「それは生命に対する冒涜じゃね?」と思ったんだけど、バーベキューの主催者さんの意図如何と、「殺して命をいただく」ことへの敬虔さをもってすれば、意義があるのかもなあ・・・と思ったりもする。(毒たんの交友関係、という面においても)
最初に強く主張したことと違うじゃん、って言われそうだけど・・・(笑

人間が古来より行ってきた「自分が育てた生き物の命を貰う」っていう作業が出来る人は、現在の「死が隠匿された食肉システム」の中において、「変人」なのではなく「健全」(ちょっと胡散臭い言葉だけど)なんじゃねえかとも思う。

風鈴ちんのオジイみたいに、愛情を込めて「生かして殺す」ことが見えなくなっているということが不安なら、ありがたく「人が育ててきたかわいい子を、食べるために殺させていただく」のも手かもしれないー(自分でもよくわからないままフェードアウト
DoX
2010/07/25 00:18
ちょっと訂正です。
前のコメントのウサギを食べた子は、家の中で飼っていたペットのウサギが弱って死に掛けているみたいだったので、レストランへ持っていって食べた、と言ったのでした。
いや、その場合は獣医へ連れて行かない、普通?と聞いたら、いや、もう死にそうだったから、と。
でも、ペットだったんだよね、普通はお墓に埋めない?
なんで?もったいない!
という会話でした。

その子は生命力は確かに旺盛な子です。でも、感覚的には、なんとも得体の知れない感じがして、わたしは理解不能だった。それを思い出していたので、先のコメントになったのでした。

ここでの対話とは直接関係はないのかもしれない。でも、生きるために殺さなくても、すでに殺されている食材があるなら、わたしはそれでよしとしたい感じです。
おそらく何らかの理由でサバイバルを強いられたら、そうは言ってられないでしょうが…。
naoko
2010/07/25 04:10
・風鈴さん

なんだか私にからんでくださっているようですが(それはあなたの自由ですが)、私はあなたに絡むつもりはありませんので、悪しからず。

・Doxさん

>「ここは違うんじゃね?」と感じたことは何主義に関わらず主張しておきたいというのは、

もちろん、それは私も同じです。ただ、主張するだけではつまらんじゃないかと。そういう「主張」ですね。

まあ、私の方も“イラっとくる”という表現が「Doxさんの方法」なのかと思ってみたりもしましたが。

そういった嫌悪感が表出されるときは、たいていの場合、他の人の主張を拒絶してしまっているときです。自省なしの主張は、すぐにイチャモンに堕してしまいますから。

もっともそれは私の杞憂だったようですが。
愚樵
2010/07/25 07:21
・毒多さん

>>(イベントに参加するのが最良の方法かどうかは別問題ですが。)

ここについて、もう少し付け加えておきます。私の書き方が良くなかったと思いますので。

最良かどうかは、予め判断できるものではありません。それは体験してみてよかったかどうか、自分の感情を省みて判別するものでしょう。

私たちにできるのは、“それが最良だろう”と予測を立てることだけ。この予測は、今現在ある「判断基準」に照らして判断するわけだけれども、体験で得られるのは新たな「判断基準」です。どんな「判断基準」が得られるのは誰にもわからない。

だから、他人からみれば“たかがヤギを殺すくらいで”といった程度のことでも、毒多さんにとっては人生の転機になることだってあり得る話です。

いずれにせよ、予測も体験を経ての判断も、毒多さん自身のものです。私たちはそこに共感は出来ても、共有はできない。もし最悪の体験だったとしても、私たちの出来るのはせいぜい同情で、その結果は毒多さんが負うしかないし、負うべきなんです。その自覚と覚悟のある者に、他人は何もいうべき権利はない。
愚樵
2010/07/25 07:21
>なんだか私にからんでくださっているようですが(それはあなたの自由ですが)、私はあなたに絡むつもりはありませんので、悪しからず。

ぜんぜんですよー。

気色悪いから俺の名前呼ばないでくれるか。

風鈴
2010/07/25 07:22
>連中と違って「直接対話」できるのは毒たんを尊敬し、信頼してるからだよん・・・というエクスキューズを前置きに。

あたしDoxちんのこういうとこ好きよん。そろそろこういう頃合いだと思っていたんだ。絶妙のタイミング。

で、

俺が言いたいのは日本全国津々浦々のドクタンみたいな優しい心根を持ってモノを考える人々が「沖縄の言ってることは戦闘機の轟音を聞いてみないとわかんないよなあ」で、その上で「『抑止力』の妥当性を考えてみよう」なんて言うようになったらなんだか絶望的な話だなあということなのら。

俺たちの思いは「最低でも県外」だ(衆院選)
    ↓
でも「抑止力」は大切だ(ハトヤマ)
    ↓
んなもんはまやかしだ。ごまかしだ(俺)
    ↓
「抑止力」はあります(教祖)
    ↓
やっぱり戦闘機の轟音を聞かないと沖縄の気持ちはわかんないのかなあ。わかんないよなあ(ドクタン)←今ここ

いやわかるだろ。わかってくれよ。それだけは。

「抑止力があるから仕方ない」じゃなくて、

なんにもできないけどおかしいと思ってるよ、

だからチャンスがあれば少しでも変えたいよな。できることがあれば手を尽くすよ。

って思って欲しいんだけど。

今までと同じように。



風鈴
2010/07/25 07:43
実を言うと俺はもともとその子ヤギ殺しのイベントには何の興味もなかったし、実は嫌悪感も違和感も何も浮かばなかったんだ。

その俺がこのエントリにいちいち絡んできたのはひとつ上の俺のコメントにある文脈の中で出てきた「戦争も屠殺も同じ」に頭に来たからさ。

その感情は先にも書いたように得体のしれないものなんだけど。

だけど俺は俺自身のこの感覚にそって生きてきたし、これからもそこは信じて生きていくつもりだ。

だからひとつだけ答えてくれないかな。

「畜産に欠かすことのできない屠殺という大切な仕事」と「戦争や辺野古移設」が(どういうフレームであるにせよ)同じものだという認識がドクタンにはあるのかい。

そこの教祖様が仰るように。

風鈴
2010/07/25 08:10
風鈴さん、幾ら主張が正しくとも今回の様な感情的な反駁は逆効果で自らの正当性を低めてしまうでしょう。
>『ぜんぜんですよー。気色悪いから俺の名前呼ばないでくれるか。
風鈴2010/07/25 07:22
は、最後の>『そこの教祖様が仰るように。』<
では『何をかいわんや』で自分で自分の言い分を傷つけて仕舞っている。
基本的にブログ記事なりコメントなりに不満があればコメントしない方が良いのです。
ですから今回は言いたいこと知っていることは山ほど有るが一言もいっていないのです。

ご自分でも仰られておられるように、>『実を言うと俺はもともとその子ヤギ殺しのイベントには何の興味もなかったし、実は嫌悪感も違和感も何も浮かばなかったんだ。』<
は、大いに同意出来る真っ当な感覚で有ろうと思いますし特に、
>『「戦争も屠殺も同じ」に頭に来たからさ。』<
には大変共感。唯一のまともな感覚の意見ではな以下と思いますね。
それにしても其れ以外の多くのコメントや、そもそものこのエントリー記事が科学とは無関係なので不思議すぎる理解不能の構成になっているのですよ。
ですからコメントする気は全く無かったのですが、風鈴さん一人が唯一普遍的な価値観からの会話をしているのですが、残念なことに完全に浮き上がっている。
で、この『一人だけ浮いている』は私の最も得意とすることなので、会話に参加させてもらいます。
それにしても話の展開が酷すぎる。
人種差別に反対であるなら真っ当ですが、『種差別が悪』など何時から誰が主張しだしたのでしょうか。?
そんな話は今回初めて聞きましたよ。
『種』の『差別』を行うことから近代科学が生まれているのです。
逝きし世の面影
URL
2010/07/25 10:11
個々の『種』の特定、差異の認定こそ『科学』が宗教やその他の学問から独立出来た秘密でもある最重用な事柄で、人種差別が間違いなのは我々現生人類はホモ・サピエンス一種だからで、他の類人猿が幾らDNAの配列が98%一緒でも別種で、それなら当然差別(区別)が生まれて当然なのです。
それに生命という範疇で考えれば植物も生物で動物とそれほど大きな違いはないのですよ。
農耕民が稲を刈るのも、牧畜民が羊の首を刈るのも、今回問題に成っている道徳的な善悪で考えれば、全く同じ行為であるのです。
『戦争も屠殺も同じ』などという言葉を牧畜民が聞けば『ワハハハハ』と文化に対する無知にほ程があると大笑いするか、其れとも人種差別だと怒るかどちらかでしょう。
逝きし世の面影
URL
2010/07/25 10:21
>『戦争も屠殺も同じ』などという言葉を牧畜民が聞けば『ワハハハハ』と文化に対する無知にほ程があると大笑いするか、其れとも人種差別だと怒るかどちらかでしょう。


だよね。

だから俺はドクタンが子ヤギ殺しのイベントに参加するのをどうのこうの言うつもりはなかったのよ。で、その体験の後で述べられる所感というものがあるとしたらそれは有意義なものだろうな、と思っていた。実際に生きている動物を殺してそれを食べるというのは現代に生きる我々に何かをもたらしてくれるかも知れない。と。

だから、

俺にとっての問題はその理由付け。そこで出てきた「戦争も屠殺も同じ」という言葉。殺す理由を探している人間に対する「戦争も屠殺も同じ」という言葉さ。

正直唖然とした。

その程度の分別もついていないのか。

いやそんなはずはないだろう。

ならなんでこんなことを言うんだ。

と。

風鈴
2010/07/26 07:07
あと、以下に出すのをためらっていたコメントを出しとく。

俺は俺自身の唖然とした気持ちを伝えることができずに浮きまくってたみたいだからね。

朝から目にするのは嫌な人もいるかもしれない。だからと言って夜読むのが適当だということもないんだけど。つまりは気分を害するかもしれないから読まない方がいいかもということで。

風鈴
2010/07/26 07:14
――「戦争も屠殺も同じ
 種差別と人種差別は同じという理由で」

だとしたら木こりは死刑の執行と同じだし。

死刑執行した後に残された(別に死刑だけじゃなくてもいいけど人間が死んだあとに残る)肉はもったいないからどんどん臓器移植用や検体用や食用に供すべきだし、動物園やサーカスに持って行って故郷から拉致されて拘束されて日々鞭打たれて仕事をしている動物たちの美味しい御馳走にするというのが色々と都合がいいし「種差別はよくないという倫理」に照らしても合理的かもな。

種差別と人種差別が同じだというのなら、人を丸太と呼んで人体実験するのとマウス使っての生体実験どころか試験管で細菌とかを培養していろいろするのも変わらん。

ということになる。

実際に大学の病院では患者を使用して生体実験しているとこもあるというようなテレビドラマを見たことがあるが、あれは現代の医療制度に潜在する悪の種子を告発したものじゃなくて生命のリアルに餓えている現代人に「戦争と屠殺が同じ」だというようなご立派なことを知らしめるための啓蒙番組だったのか。
風鈴
2010/07/26 07:15
たしかに子どもをペットや家畜のように扱う親が増えてるような気がするけどね。(気がするだけで実際にそうかはわからない。そういう親御さんは昔からいたんだし)

そういう親の方が牛肉を美味しくいただいて幸せな気分に浸っている人よりはマシということですか。

全然わかりません。

でも、

この世界をリアルに生きる「お生命体様」方の仰る、

『辺野古移設という人心を踏みにじる行為』

は、

『日本というシステムを生きる人間なら認めざるを得ない抑止力』

だという、

「わけのわからん」文脈の出所はよくわかりました。

風鈴
2010/07/26 07:15
愚樵さん
いまさらながらですが、本文でトルストイと愚樵さんを間違て書いたことをお詫びします。

バーベキューにかんして、おそらく最悪の体験になるのではないか、と予感してこれほどウダウダとしているのだと自覚しております。わざわざブログで表明して不特定多数の他者を巻き込もうという私自身の弱さは反省しています。
具体的なバーベキューの招待状がくるまで、ウダウダと考えそうですが仮にバーキューに参加したとしたら、メールか裏で個人的にお話ししましょう。そのときはよろしくお願いします。

(大変申し訳ありませんが、管理者としての強権発動してひとつコメントを削除させていただきました。お察しください)




逝きし世の面影さん

「種差別」といっているのは「アースリング」というビデオで、
「屠殺も戦争も同じ」といっているのは、「トルストイ」です。

アースリングを肯定するものではなく、ビデオを観て何かを感じた、その何かとは何だ?といいうことと、ビデオのなかでトルストイという有名な人が「屠殺も戦争も同じ」と言っているのはどういうことか?、という疑問をもったうえでのエントリーです。(「アースリング」を観て「何か」を感じた人と話をしたかったというのが本音です)


毒多
2010/07/26 11:49


風鈴さん
ワタシは「屠殺」と「戦争」を同じだとは考えておりません。
今回はこれ以上お応えしません。

またワタシの庭でワタシの友人を「教祖さま」などと揶揄するのはやめてください。非情に気分を害しております。



毒多
2010/07/26 11:49
http://positron.hacca.jp/newest/celebrity.html

『屠殺場が無くならない限り、戦争も終わらない。”儲け”というものの存在がある限り、動物に対する人間の虐待は果てしなく続くだろう。』

これは戦場で行われていることが屠殺と同じだという告発。

屠殺場で殺される動物たちと同じように「儲け」を理由に人間が殺されるのが戦場だ。

と言ってるんじゃないか。

海兵隊の辺野古移設を抑止力だと言うような人間の言う「屠殺も戦争も同じ」という言い訳とは違うよ。

試しに人体実験の首謀者たちがその言葉「屠殺も戦争も同じ」を口にしたらどういうふうに聞こえてくるだろうかと考えてみればいい。


>またワタシの庭でワタシの友人を「教祖さま」などと揶揄するのはやめてください。非情に気分を害しております。


ああ、頭の膿んだ左翼で青年将校の俺はドクタンの友人ではないだろうからな。

ドクタンの庭でお友だちのことを揶揄してごめんなさい。



風鈴
2010/07/26 12:58
無礼コメ、御免!
ガマン出来ないから、ゆうね。

傍目からみると、毒多さんと風鈴さんは、ブログ親友に見えるから!

友人以上に。
なので、↑の風鈴さんコメは、ちろ、何か、ずいぶん 風鈴さん、自己評価低すぎだし、自分を誤解してるなあ・・・(泣)。って、感じるぞ!

そして、2人のこと、うらやましいゾ! くっそー(爆)!



ちろ@ホントはこんなコメ、したくないゾ
2010/07/26 17:11
トルストイですが著書の『戦争と平和』でも分かるように大変な長文の文筆家でしかも原始キリスト教に憧れた神秘主義で平和主義者。彼の言葉から『戦争=屠殺』何て言葉はありませんし、それでは、石川五右衛門の『浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種はつきまじ』を『真砂=盗人』に縮めてしまうような話で、それは短く縮めすぎて本来の意味から逸脱しているでしょう。
彼は今の日本国憲法9条と同じ精神で絶対平和主義だったのですが生きていた時代は運悪く戦争の世紀ともいえる19世紀から20世紀に変わる辺りだったのです。
ロシアの農民にとっては家畜を殺すことは日本の農民が稲刈りするのと同じで日常の事柄であり、しかも稲の刈取りと同じ様に『喜び』であったのです。
そして当時のロシア人を含む欧米の戦争感も、今の平和憲法の日本人とは大きく違い正義の行為であり『勝利』は何ものにも変えがたい『喜び』であったのです。
ロシア人から絶対に屠殺がなくならないように、戦争も無くならないことを嘆いているのですよ
この事情は日本帝国でもそれ程の違いは無かったのですが、憲法9条のお蔭で大きく価値観が転換してしまって、トルストイの言わんとした事柄からは遥かに遠い話に為っているのですね。
作る会の連中が、『今の価値観で昔の歴史を裁いてはいけない』と主張して東条などをA級戦犯でなくと言い張っているのですが、確かに昔に戦争責任による戦犯は無かったのですが、当時はもっと厳しい『敗戦責任』が問われたのでよ。
時代が違えば価値観も違うが、東条もヒロヒトも間違いなく日本帝国を崩壊させた『敗戦責任』があるでしょう。
作る会の妄言ですが、昔の常識とか価値観が全くなくなったので話が全く理解で出来ないようになった悲劇ですね。
逝きし世の面影
URL
2010/07/26 17:25
・毒多さん

毒多さんの「措置」には感謝します。私自身も書き込んだ後で、不快感と嫌悪感がいっぱいで。

それから。

>「屠殺も戦争も同じ」といっているのは、「トルストイ」です。

毒多さん、それは違います。トルストイの言葉は

屠殺場が存在し続けている限り、戦場も存在し続けることであろう

です。この言い回しの違いが重要なんです。
(私も当エントリー冒頭のコメントで、この“違い”を見逃していました。)

個々の屠殺と引き比べるべきなのは、個々の殺人です。人は生きるための生命を奪うことがある。それは「どうしようもない」んです。相手が動物であろうが人間であろうが、そういった情況に立ち至ったときにはやるしかない。いや、やるかどうか、個人が決断するしかない。

が、屠殺場と戦場(戦争)は違います。やるかどうかは個人が決断するのではないのです。他の誰かが決断して、私たちはそれに従うことを強制される。私たちが〈システム〉に依存している以上、それは「やむを得ない」。

私が言っているのは、「どうしようもない」と「やむを得ない」の違いです。私たちは〈システム〉へ依存するなかで「どうしようもない」と「やむを得ない」を区別する感覚を鈍らせ、「やむを得ない」がために「どうしようもない」ことからも逃げてしまっている。が、「どうしようもない」ことからは“逃げちゃダメだ!”なんです。
愚樵
URL
2010/07/26 17:54

私がここのところずっと拘っているのは、〈個〉と〈システム〉の問題です。〈個〉が〈システム〉に依存している以上「抑止力」はどうしても必要となってくる。その「抑止力」とは国家、貨幣、正義、人権、科学といった「外的規範」です。

人間社会に〈システム〉が必要なのは「どうしようもない」ことです。「やむを得ない」ではないのです。そして、「どうしようもない」なら“逃げちゃダメだ!”です。 それはつまり〈システム〉を秩序付ける「外的規範」に〈個〉として対峙することであり、その「対峙」こそが思索なんだろうと私は思っているわけです。
愚樵
2010/07/26 17:55
話がずれてるとかなんとかごちゃごちゃ言っているうちにみなさんにもやっとお分かりいただけたかってタイミングにこれかよ。


屠殺場が存在し続けている限り、戦場も存在し続けることであろう

です。この言い回しの違いが重要なんです。
(私も当エントリー冒頭のコメントで、この“違い”を見逃していました。)


言い回しの違いじゃなくて言葉の違いだろうが。

引用したつもりだったのなら最悪の引用。

だがそんなはずはない。テメエの頭で都合よく言い換えただけだよ。テメエの論の正当性を裏打ちするためにな。

だが俺は何よりもしれっと居直ってるその態度がクソすぎるんだと思うよ。

このエントリはもともとその言葉「屠殺も戦争も同じ」を問題にしている。


そこへやってきての冒頭コメがこれだ。

>>「戦争も屠殺も同じ」なんてわけのわかんないコメント

って、これはビデオの最後にトルストイの言葉として出てきていたんですけどね。


その言葉を前にして悩んでいる人に対する「それはトルストイの言葉だ」という言及。

これを問題にしてんだよ俺たちは。


それで「ひとの言葉を勝手に引用するのはやめてくれ」か。

笑わせるな。


あなたが最初から上のコメントと同じようなことを釈明したのなら誰があんなクソ言葉に「絡む」ものか。



風鈴
2010/07/26 20:30
屠殺場が存在し続けている限り、戦場も存在し続けることであろう

そもそもこの「言葉の違い」は(愚樵さんに問題有りの種差別者だと断定された)人生アウトさんが指摘してるよね。

俺はその後のやりとりはその違い(トルストイの言葉と愚樵さんの言葉の違い)を皆が認識した上でのことだと思っていたんだがな。

そもそも少し引いたら出てくるものを調べようともしないのがギャラリーだと思ってる時点でとことんまで人間をなめてるだろうこの人は




お友だちをかばおうとしてるのはわかるが、こんな態度の人間をかばう必要があるのか。

風鈴
2010/07/26 20:42
愚樵さんの言っている『個としてシステムに対峙する』という問題意識は、とっても大切だと思う。その際、「抑止力」の問題も含めて人が右往左往、というか、すったもんだするのは、人である以上あたりまえ≠カゃないかな?

それぞれの個にはそれぞれの背景があるものだし、それを踏まえて話ができなければ、コミュニケーションはなかなか成り立たないもんだなあ、とちょっと感じてるんだけど。

ところで〈家畜を殺せない〉わたしが、システムに依存していることに自覚的になることって、どういうことなんだろう、って考えてしまった。殺せるようになることなのか?それもちょっと違う気がするし…。
naoko
2010/07/27 05:40
それから、ごんさん。
わたしはね、基本的に、沖縄差別は〈人種差別〉だと思っている。政治とか別にして、もっと深いところで「沖縄の人間、なめくさって!」と感じることは日常多々あるから。
そこのところを、差別する側は、あまりに無自覚に逆なでる。
差別する側が自覚的であることは、それほどに困難なんだろうね。
そして、相手が「傷つきやすすぎる」と考える。
それならまだしも、それを弱さ≠ニとって、さらなる「軽視」をする。
(愚樵さんが、そうだとは言ってないよ。苦笑)

でもね、そういうことって、沖縄の中でだって激しい。金持ちが貧乏人に対して。あるいは首里の人が田舎の人に対して。あるいは、本島の人が宮古の人に対して。
この間ね、さっきまで親しげに話していたおばあちゃんが、こっちが宮古出身だと知ったとたん「なんだ、宮古か」と言って、プイっと席を立ち、それっきり無視されちゃったよ。

でも、いちいちその一つ一つにつっかかってたら、生きていけない。
そうじゃない?
naoko
2010/07/27 06:12
>ところで〈家畜を殺せない〉わたしが、システムに依存していることに自覚的になることって、どういうことなんだろう、って考えてしまった。殺せるようになることなのか?それもちょっと違う気がするし…。


うちのじいちゃんに聞いてみるといいよ。俺が小学校の時に機銃を構えてる「格好イイ(と素直に思った)」姿を見たことがあるよ。

「オジイって人を殺したことがあるのかなあ」

って聞いたらお父は黙っていたけどね。うちのオジイは天国か地獄にいるよ。俺の心の中にも。お墓の中にも。

そこ行ったときに聞いてみたらいい。

俺はリアル人殺しをした人間をオジイしかしらないんだ。

俺も日本人として抑止力のために中東の子供たちを爆撃し続けてリアル人殺しをしたことなく死ぬことになったらそれを尋ねてみようと思っている。

そこが天国であっても地獄であってもオジイと出会うことができたら。

naokoさんがそういうのは嫌だというんだったら復員したアメリカ兵に聞いてみてもいいんじゃないか?


ところで〈敵兵を殺せない〉わたしが、システムに依存していることに自覚的になることって、どういうことなんだろう、


と。

風鈴
2010/07/27 07:05
>いちいちその一つ一つにつっかかってたら、生きていけない。
そうじゃない?


なんじゃそれ。

生きるために差別するなと言ってるわけではないのですよ。

人間扱いしてくれと言ってるんだ。個人としての日本人やアメリカ人が保障されているものを保証して欲しいと言ってるんだよ。個人としてね。

自分が欲しがっているものをみんなにも。
自分が嫌がっているものはみんなで(考えよう)。

ということ。

そうでなけりゃ奴隷は死ぬまで「働かされる」というその地位に甘んじている限り死ぬことはないんだし。

現実には「逃げちゃダメだ」と思っていても圧倒的な暴力の前にそれができない。だからせめて思索の中だけでもそれと対面することが『個としてシステムと対峙する』ということなんじゃないのかい。

>「なんだ、宮古か」と言って、プイっと席を立ち、それっきり無視されちゃったよ。

でも、いちいちその一つ一つにつっかかってたら、生きていけない。


運のいいことに俺の前でそんなあからさまな宮古差別をする人間はいなかったよ。

風鈴
2010/07/27 07:09
あんまり考えの及ばない人がいらっしゃるみたいだから言っとく。


俺のこころの中にいるオジイは日本というシステムを生きている俺に何も答えてはくれない。

「それは麻痺です。麻痺した感覚を取り戻すためには『実際にやってみて』刺激するのもいいんじゃないですか。ただしその後の責任は自分で負う覚悟の上で」

などと説教することはない。

沖縄の新聞には金城重明さんの言葉が載る。

『集団自決』の壕の中で自らの母親を手にかけてしまった少年の言葉が。

その牧師さんに問うてみればいい。

こころの中で問うてみればいい。

その人が「それは麻痺です。不健全です。刺激するためにやってみるのもいいでしょう」と言うかどうか。

そのこころに問うてみるがいい。


風鈴
2010/07/27 08:27
あー、人のところでなんだけど、風鈴ちん、
風鈴ちんの思いや体験は風鈴ちんだけの貴重なものであって、人にそれと同じものを求めるのは酷だと思うんだー。俺も、沖縄のことや風鈴ちんのオジイの体験なんか思いも及びもしない。想像でだけでなんかわかったような気になられてもそっちのほうが不愉快でしょ?

人それぞれ、持ってる背景が違うし、似たような体験をしてもそこから引き出された感情も違うし、ブログのやり取りだけで「なんだコイツ恵まれてるな、他人を差別して気づきもしないな」なんて思えても、真意は別のところにあるかもしれないし、「沖縄」という重さをしょってなくても個人的にひどい目に遭った人かもしれない、それはハタから見ても絶対にわからない。

風鈴ちんは戦争と屠殺が同じものだなんて絶対に思わない、と俺は思ってるけど、naokoさんに対する言い換えで「戦争と屠殺」を使っているし、風鈴ちんの中でもその置き換えで他者に求める「回答」が混乱してるように思うのよ。んで、風鈴ちんの欲しい答えは絶対に他人から得られるものじゃない。「差別され続ける沖縄の悔しさ」を俺に風鈴ちんと同じように解れ、と言われても、俺には想像すら不可能だから。

それに、ひとつひとつの言い方に引っかかって、そこにこだわっても、別の納得がいく回答がでてるんならそこはそれでいいじゃん。最初から完璧に正しく自分の意図を伝えられる人なんていないし、「あー、あれはこういう意味なんだよ」って後から確認できたのならそれでいいんじゃね?「最初にこういったんだ!」って言わんでも。
風鈴ちんが本当に悔しいのは、平然と差別をやってのけて、それを当然だとしてる人たちのことなのでは?たぶん、ここにはそういう人はいないし、「対話」しようという人に無理な要求をしてるように思えるのよ。記事に関係ない話でスマンけど。
DoX
2010/07/28 00:32
Doxちん

このひとたとちは沖縄の辺野古の基地建設による「抑止力」は日本というシステムを生きる以上認めなければならないものだ、と言ったんだよ。

俺が「屠殺は大切な仕事だ」というのと同じ文脈で。

ついでに言えば「それが認められないのなら日本人辞めるしかないんじゃないか」とまでも言われたよ。

「それが認められないんなら肉食やめたらいいじゃないか」と同じ文脈で。

それを言われた時の気持ちを俺は引きずっているんだろうな。

今回の(辺野古の新基地建設の)件で俺はもう日本人やめたつもりになったんだけど。愚樵さんの仰るように日本人やめれば自由になれるかなと思ったから。でも全然自由じゃなくてな。だから地縛霊みたいなもん。除霊してもらいたかったのかもな。

>平然と差別をやってのけて、それを当然だとしてる人たちのことなのでは?

だよ。

昨夜も古舘が『抑止力』を連呼してるのを聞いてムカついてたんだ。

この言葉がテレビで出てくるたびにムカついてる。

つくづく俺はダメだなあ。

そんなテレビ見なきゃいいのに。ネットも。

ヘタレで堪え性ないんだからそういうの見ないで逃げてりゃいいのに。

ね。

風鈴
2010/07/28 04:53
愚樵さんは、友人(であるとワタシはおもっている)だけど、言ってる内容を承服するものではありません。それでも、この人は「何を言ってるんだ」ということは考えたいと思っています。

風鈴さんは、友人(であるとワタシはおもっている)だけど、「しつけなくきゃ」「テメエ」などの言葉は承認できるものではありません。それでも、この人は「どんな思いをしているのだろう」とできる限り考えたいとは思っているつもりです……。

正直に言って、今回、怒りのあまり風鈴さんのコメントをほとんど読まずに、適当にレスしました。感情です。腹いせのために沖縄のことなんぞ二度と書くもんか、それともこのブログごと消滅させてやろうか、とさえ思いました。ジエンドです。


それはやめることにしました。DoXクンありがとう。


「9条」を押しつけや正義ではなく、個々が「自覚」できるように願い言葉をつづるのは困難だなぁと感じてます。いつまでも無意味に言葉を綴るだけかもしれません。いつまでも行ったり来たりかもしれません。ワタシはその程度の人間です。それでも考えていきたいと思っています。


チロさん、逝きし世の面影さん、naokoさん、
コメントありがとうございます。
今回はレスできませんでした。
申し訳ありません。

毒多
2010/07/28 09:11
風鈴さん

>ほとんど読まず

ではなく、

>しっかり読まず

でした。いずれにしても失礼であると反省しています。

落ち着いたとこでじっくり読み直します。

申し訳ありませんでした。
毒多
2010/07/29 05:36
毒多さん、メルアド教えてほし!
毒多さんに言いたいなあ・・・って、事があります。苦情とか不満じゃありません。むしろ、その反対。

不特定多数の読者さんに向かって言うこととは別のことで、 メルアド教えるのに抵抗があるなら、アメブロちろブログに限定記事、書きますので、(強制のようで気がとがめますが)アメンバーになっては頂けないでしょうか?

風鈴さんも! 毒多さんと風鈴さんのお二人のこと、念頭に書く文だから、ぜひ読んで頂ける環境に来てほし!です。


ちろの2つのブログとも、コメ 承認制です。もしもメールを希望して下されば、そちらで教えてほし!(承認しないで隠しコメにしますね)
ちろは毒多さんのアメブロ知りません。
アクセス出来たらアメブロのメッセージで送るのが一番シンプルだと思いますが。

なんだか、うぐぐ・・・。ずずしいですね(爆)。お赦しください。

隠しコメできればカンタンだけど(笑)。できんもんなあ・・・。
ちろ
URL
2010/07/29 11:26
ちろさんのアメバのほうにメッセージ入れときますね。
毒多
2010/07/29 17:03

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「アースリングス」(2)…種差別の矛盾について 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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