毒多の戯れ言

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zoom RSS 「属せる人、属せない人」…これをジャッジするのは誰?

<<   作成日時 : 2008/09/12 15:36   >>

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 ちょっと前に「属せない人々」というエントリーを読んだ。
 正直にいってそのエントリーの展開には疑問をもったが、「属せる人」「属せない人」という言い方はなかなか面白いと思った。
 あなたは「属せる人」ですか?「属せない人」ですか? という問いには、神経を、、じゃなくて、インスピレーションをボリボリと掻きむしられるので、ちょっと考えてみたい。

 まず始めに持ったのは、「属せる」ってどこに属すんだ? という疑問である。
 件のエントリーで属すのは「自明の(ように見える)もの、時として、愛、思いやり、素朴な感情、家族、国家、仲間」としている。「愛、思いやり、素朴な感情」と「家族、国家、(仲間)」を一緒くたに語ろうってのは乱暴だと思うが、ここではさらに乱暴にまとめて「社会」としてしまおう。「社会」であれば具体的な「属す先」やそこから付随する「感情」も含まれるだろうし、解りやすい。
 「属す先」を社会とすると、仙人や人知れぬ山奥や孤島で完全自給自足している人を除いて「属してない人」はいないではないか? と想像される。いやいや青カンの一部は「属せない人」の烙印を押され社会からオミットされているが、元のエントリーでもそこへの視点はなさそうだし、そこが主旨でないのでほんとんど人が「属す人」ということになる。
 でも、ほとんどが属す人であれば、あなたは「属せる人」ですか?「属せない人」ですか? という問いはなりたたなくなり、掻きむしられたワタシの思考もやり場がなくなる。やはり「属せる人」「属せない人」は、精神的なことや世界観においてのことだろうな、と解釈する。

 元エントリーで「属せない人」「属せる人」とは

>「属せない人」は属せないゆえにその自明性から生じるさまざまな抑圧を予感し恐怖する。
>「属せる人」の「思いやり」や「愛」は容易にたとえば「日の丸」や「君が代」にとってかわるように思えるからだ。
>属せない人は疑う人でもある。自明じゃないものは疑ってそして考えるしかない。自分の「愛」や「思いやり」を疑うことは不幸なことか幸福なことか。


 と、書かれていて、どうも「属せる人」「属せない人」が「恐怖」や「愛」や「思いやり」と結びついていき、そこに結びつくことで前提として「属せる人」の声のようにきこえてくる。これでは「属せる」「属せない」にならず、また、ワタシが神経を掻きむしられたのはそんなことではないので、ここから元エントリーから離れ思索を進める。

 とりあえず、生活や安心のため社会に「属している」ワタシが、精神的に「属せる人」か「属せない人」かを考える。 と、ここで躓く。
 生活にために社会に「属している」ワタシが、精神的には「属してない」なんて言えるのだろうか? なかなか難しいジャッジが必要だな。……、あれれ、ちょっとまてよ。なんとかく、ワタシは自分に対し精神的に「属さない人」という判断を下したがっているぞ。
 それにしても、それをジャッジするために全くどこにも属していない私が判断しなければならない。つまりワタシが「属せる人」か「属せない人」かの判断は「属していない」私もしなければならず、既に「属している」ワタシだけでは無理なのだ。属しているワタシに「属せない人」であるという判断はできない。つまりワタシが「属せない人」という判断ができるということは、どこにも「属していない私」がいる、ということなのだ。では、どこにも属していない私は何処にいるのだ? そしてそれは誰なのだ? ワタシではないのか? どの私がワタシをジャッジしているのだ? 

 と、ここでふと思い出すのが、あの瞬間である。
 「このブログについて」(右カラム中ほど参照)で書いた、視点だけが空に登って道路に座るワタシを見た、あの時である。空からの視線で見ていた私がまさに「属さない私」ではないのか? と考える。
 「属せる」「属せない」ではない。「属さない」である。
 その私が、道路に座り「属しているワタシ」をみていた。まさにその視点をもつ私が「属さない」私そのものではないか?
 あれ以来何度か、私は空から見つめることができたが常ではない。むしろ稀である。ほとんどの時間が「属している」ワタシで、思考も属するワタシの思考である。

 あの不思議な感覚は何だろう?
 この時代に、この世代に、この社会に属するというのではなく、徹底的に属さない絶対的な視点。垂直に切り立った形而上から見ている様な感覚。属さないことでの孤独はあるが不安はない感覚。あの私こそが「属さない」私ではないのか? と考えている。
 「属さない人」とは、その稀の瞬間ではなくあの視点が常に認識できる人なのかもしれないな。絶対的、普遍を解する視点。常にそこから思索できる精神。それが「属さない人」。

 だから、ワタシも「属さない人」という判断を下したがっているのかもしれないと思ったのだろう。
 ホント「属している」ワタシをから離れ、「属さない」私でありたいと思っている。


 「属さない」私であること、それは、非常に覚悟のいることかもしれないな。


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コメント(17件)

内 容 ニックネーム/日時
「属せる人、属せない人」という言い方だけ見ると、正直「属せる人」へのある種の蔑視感があるように思います。「あなたは単純でいいね。どっかに属して、安心を得られてるんだね」というような。
でもdr.stoneflyさんの言うように、どんな人も何がしかに属しています。

ふと思い出すのは、ヴィトゲンシュタインが何年も辺境の海岸の粗末な小屋にただ独りで住んでいたそうだけど、そういう人はまさに「どこにも属せない人」です。結婚もせず、子供も残さなかった。精神分裂病系の気質と、下記書籍では分類されています。
http://www.amazon.co.jp/天才の精神病理―科学的創造の秘密-岩波現代文庫-飯田-真/dp/400600057X

彼の死にぎわに「自分の人生は良い人生だった」と言ったそうなのですが、死を見取った弟子が「その言葉が信じられない」というほど、ヴィトゲンシュタインは孤独な人生を送ったのです。(でも看取ってもらえる弟子がいたってのはそんなに孤独でもないかも?)
それほど孤独な人なら「属せない人」に価値を見出しても納得できます。

alice
URL
2008/09/12 18:44
子曰、
吾十有五而志於学
三十而立
四十而不惑
五十而知天命
六十而耳順
七十而従心所欲、不踰矩

ごめんなさい、コピペです。『論語』というヤツです。
dr.stoneflyさんのいう〈「属さない」私〉とは、

六十而耳順

なんじゃないかな、と愚樵は思いました。

耳順は孤独とは違います。誰の言うことも、先入観を持たず分け隔てなく聴くことができる。属すことも、属さないでいられることも、選択できる境地です。
愚樵
URL
2008/09/12 19:05
>あの不思議な感覚は何だろう?

「悟り」ですか?笑
私もネット上でくらいは何のしがらみも無い「属さない人」でありたいと思うけど、一度価値判断してしまうと今度はそこに縛られてしまったり…。「今自分は何故このように感じているのだろう」と常に自問する事が大切なのかな。
akiko
2008/09/13 01:08
属すのも属さないのも自由。
けれども何者かと共に在らねば生きていくことができないのが人間。
だから、自らの内面が、より高きものと共に在ることを願うと同時に、触れ合う全ての人の‘生’に寄り添おうと努力もする。
水平志向と垂直志向の両立。

同時に、それとは別次元で、世俗的な生きる喜びや苦しみも存分に味わいながら(笑)。
naoko
2008/09/13 12:29
私は「属したり、属さなかったりする人」でありたいなぁ〜。
水葉
URL
2008/09/15 19:32
どうも、ちょいと旅に出てましたのでレス遅れました。
なんだかワタシの未熟な思索をみなさんにフォローしていただいて嬉しいです。
「属せる人、属せない人」が面白い視点であることは間違いなさそうです。そのうえで、皆さんのコメントを読んで感じたのが、いろいろ考えていくと結局「属せる人、属せない人」という問題じゃないんだよな、ということを考えました。
dr.stonefly
2008/09/16 13:26
aliceさん、
>「あなたは単純でいいね。どっかに属して、安心を得られてるんだね」
元のエントリーを読むとやはりこういう風に感じてしまいますね。元のエントリーのように表面的な精神論でいけばこう読み取ることもできるけど、なんだか勿体ない気がしました。もうすこし深い部分で「属さない」ってどういうことだろう? と考えてしまいます。

ヴィトゲンシュタインの話は知りませんでした。
人間というのは、やはり一人で生きていくものじゃなさそうですね。と感じます。やはり自己以外の人と関係して生きなければ意味がないのではないか、と漠然と考えています。それで、人類ってのはどこを目指しているだろう? ってのに繋がっていくんですけどね。

dr.stonefly
2008/09/16 13:27
愚礁さん
和歌山はいいとこですね(笑:今回の旅先です)
それはそうと、
>誰の言うことも、先入観を持たず分け隔てなく聴くことができる。
うん、もう「属す」とか「属さない」とかを越えちゃってますね。
これかもしれません。……60かぁ〜。孔子さん、遅いんとちゃう?
なんちゃってね(笑)。
と、いいながら未だ迷っている40代なのですが(爆)



akikoさん
そう、あれは「悟り」だったのかもしれないな。
あの視点、あの感覚をずっと持続できればよかったのだけど感性は鈍ります。ずっと精神のトレーニングをし続けないと、ああした感覚はすぐに忘れて、物質的な欲にはしってしまいます(笑)


dr.stonefly
2008/09/16 13:34
naokoさん
まったく仰る通り。
そのうえ、
>自らの内面が、より高きものと共に在ることを願うと同時に、触れ合う全ての人の‘生’に寄り添おうと努力もする。
これは面白い。
またまた、変な絵が浮かんできます。
地上にくっついた水平の盤に垂直にそびえ立つ光があるのですが、そのずっと上の方、形而上に浮かぶ水平の盤もあります。地上の盤と形而上の盤の間に無数の盤があり、人間がひとつづつ上の盤を目指しているという絵です。
でも恐らく実際には、地上の水平盤と個々の垂直しかないと思ってます(笑)。

>世俗的な生きる喜びや苦しみも存分に味わいながら(笑)

そだね。人間だもの……(笑)



水葉さん
結局は
>「属したり、属さなかったりする人」でありたいなぁ〜。
なんですよね。「属する」とか「属さない」とかに縛られるなんてアホくさ〜、ってことになっちゃうのかな(笑)
でも、「属したり、属さなかったりする人」って、どういうことかな?、と把握したうえで越えていきたいと思ってます。


dr.stonefly
2008/09/16 13:35
「属さざるを得ない人」てのがいるんですよね。そこの視点をなくすと「属したくても属せない人」になっちゃうかもしれませんね。
水葉
URL
2008/09/17 20:28
「属さざるを得ない人」ってのは、依存せざる得ない人とか強迫観念によって属さざるを得ない人、ってことですか? 
だとすると、うーん、この視点はさらに深く、難しいなぁ。
dr.stonefly
2008/09/18 11:37
ども、「すべてに属する者」でございます。
善と悪と、大人と子どもと、男と女と、神と人と、愛と憎と、過去と未来と。

全てを持ち、自在に組み合わせられるようでありたいと思っています。
人生アウト
URL
2008/09/18 19:58
まあ、つまるところ。
ある現象に対して「愛」とか「共感」を感じる人同士が属せる人。感じられない人が属せない人、ということですよね。

私はどちらでもいい。
感じることも、感じないこともできる。
共感を感じることもできるし、属せないでいることもできる。
自分の意思と、状況の計算に応じて、シフトチェンジしたり混合したりできる。

私はもう、属せる人の生涯と属せない人の生涯を、もっているから。
どちらかへの拘りは、ない。
人生アウト
2008/09/18 20:12
属せない人って、どっか欠陥があるってことなんじゃないの?

できないよりできるほうがいいと思うけどね。
kuroneko
2008/09/18 22:07
人生アウトさん

お、さすが3次元空間をぶちやぶり縦横無尽に飛び回る人生アウトさんだ。
そも、「属せる」「属せない」という提議を飛び越えちまってるな。
でもね、これがなかなか水平世界だとそうはいかないのよ。おもいっきり水平に属しながら、やっぱり「属せる」「属せない」なんて云い出す人がいたり、これを「面白い言い方」と取り上げる奴がいたり……、あれ、これはワタシか(爆)

教えられるコメントばかりで、いい読者に恵まれているなぁ、と実感、感謝。



kuronekoのアニさん

いやね、ワタシが最初に思った「属さない人」(属せない、じゃなくてね)は、イエスとか釈迦とかです。まあ、この世的(水平的)に欠陥といえば欠陥かもしれませんが…(笑)

> できないよりできるほうがいいと思うけどね。

「属さない」ことを「できる」ってのは、難しそうです。

dr.stonefly
2008/09/19 08:37
「属する人、属さない人」って話だったの?
「属せるか」、「属せないか」の話かと思った。
 まあ、人という以上、人類には属しているんでしょうが。そういうのは「ここでの「属す」という意味ではないのか。
kuroneko
2008/09/19 16:57
あ、すみません。
引用元エントリーでは、「属せる」「属せない」って話だんたんですけど、考えていくうちに「属する」「属さない」ってのに気づいて混同させてしまいました。
dr.stonefly
2008/09/19 18:14

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