毒多の戯れ言

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zoom RSS 「人生は推理小説かな?」…死が楽しみだね

<<   作成日時 : 2008/03/15 03:45   >>

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愚樵先生にTBを頂いた。
「心」のこと。
ときに考えてしまいますよね。
心はどこからきて、どこへいくんだろう? とか、
何故、今、ここにいるんだろう? なんてね。
不思議な感じです。
この身体に心を感じさせた宇宙意志みたいなものがあるのだろうか?
あるならば宇宙意志ってなんなんだろうか?
宇宙意志はボクたちに何をさせようとしているのだろうか?とかね。
どれだけ考えても身体を伴っているいる限り限界がありそうだけど、
とりあえず身体を伴ってしか実感ができない。
この身体が朽ちるとき、心は他の何に宿って何かを実感できるのだろうか?
それとも、身体という不自由から解き放たれて、想像もつかないような感覚を味わえるのだろうか?
「生」も「死」も「有」も「無」も不思議です。

「心」を考えることは楽しい。
長く不思議な推理小説をずっと考えているように。
考えて、考えて、答えをとても知りたくて。
でも、その答えは「死」の時にしか解らない。
そう、「死」のときに答えが解るのならば、「死」が楽しみでもあります。
逆に、考えることをしなければ、「死」は恐怖でしかないかも……

そうか、人は「死」の時に知る答えを楽しみに生きているんだ。
「心」を考えることこそ「生」なんだ。
「死」のために生きて考えているんだ。
考えれば、考えるほど、「死」が楽しみになるな。
もしかしたら、答えなどなく「無」かもしれないけど、
なんとなく、「やられたー」って言いながら、ゲラゲラ笑えそうだ。

ほんと、生という推理小説を楽しまないと……


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また無茶なこと言って……。もう、どうしようか。

とりあえずね。なんか、あいつを殺しさえすれば、とか、あいつが生きていることが許せない、とかそういうことを口に出す人は、あいつもこいつもしまいにはみんな死ぬんだけど、っていうその前提を忘れちゃってる人だよね。問題はそのことを、つまりはみ〜んな死ぬんだけど、ってそれをわかってても、奴だけは絶対おれが殺す、って思っちゃったりすること。それがまた実に愛すべき(ホントの意味で)ひゅ〜まんび〜いんぐな行為なのだということだよね。
これは人間以外の動物にはない。もちろん独断と偏見にまみれた直感でしかないけど。やつだけは俺がってのは他の動物には、まだない。

でも、死ぬのは楽しくないな。あたしは。最初にそのことを考えたとき、親に言ったもん。なんで俺を生んだの、どうせ死ぬのに。

……そういう間違いを犯してしまったあたしとしては、その贖罪をしなくてはいけないよね。今はそう思ってる。世の親と、その子どもたちに。そして感謝すべきつくり主に。
ごん
2008/03/16 00:02
よわったな、自分で振っといてコメントに応えることができないよ。
「死」が楽しみになれば、面白いよね、ってエントリーで、やっぱ>どうせ死ぬために生きてるんかな、なんてね。
それで、殺人とか死刑とかで、他人の推理小説を考えているの中断させちゃいけないよね、とかさ。推理小説よもうとしない人はなんのための「生」なのとか……、まあ、実はワタシ自身もまだ「答え」を早く知りたい、というとこまで至ってないんだけど。
dr.stonefly
2008/03/16 11:09
ときどき、こんな困った話を振る癖がありまして...、ゴメンナサイ。でも、取り合ってくれるとわかってるから振るんですよねぇ。

近所の爺さん婆さんを見ていてつくづく感心させられるのは「死」を受容するその姿勢。「わしゃ、もう、棺おけに半分足つっこんどるわ」なんて、何の衒いもなくノタマウ。これ、すごいなぁ、いつも思うんですよね。来るならいつでもおいで〜、みたいな。

こういう人たちは「生」とか「無」とか、そんな面倒くさいことは考えていないと思う。きっと。聞いてみたことないけど。そんで、余計なことを考えないことがすごいんですよ。ただ生きて、ただ死んでいく。

こういう人たちを見てると、「答え」を求めることがそもそも間違いではなかろうか、なんて思ってしまいます。



えっと、それからdr.stoneflyさん。そろそろ「先生」はやめていただけませんか? こそば痒くて。
愚樵
2008/03/16 20:07
 「こういう人たちは「生」とか「無」とか、そんな面倒くさいことは考えていないと思う。きっと。聞いてみたことないけど。そんで、余計なことを考えないことがすごいんですよ。ただ生きて、ただ死んでいく。こういう人たちを見てると、「答え」を求めることがそもそも間違いではなかろうか、なんて思ってしまいます。」

 そのレベルの問題だと東西も思います。何のためかと考えることは受精卵はしませんね。ただ生きて生まれてくる。それだけ。
東西南北
2008/03/17 05:07
愚樵さん、…でいきますか(笑)
しかし、振っといて「ただ生きて、ただ死んでいく」なんて言い出す。天の邪鬼ですか?

>「答え」を求めることがそもそも間違いではなかろうか、なんて思ってしまいます
ハハハハ、また思ってもないことを言い出す。
無理ムリ愚樵さんが、こういう「本質的」なことをウダウダ考えなくなったら愚樵さんでなくなるでしょうが(笑)、そしてどんな問題もどんどん突き詰めていけば、「生」「死」『在」「無」に戻ってきてしまう。むしろここを考えなければ、この世のどんな問題も薄っぺらに見えちまうんじゃねーですかい、旦那??。
dr.stonefly
2008/03/17 15:02
東西南北さん、こんにちは。いつぞやはTBありがとうございました。
>ただ生きて生まれてくる。それだけ。
多分、この辺りの感覚が違うのかなぁ。ワタシは全然そんは風には思えない。一番考えなければならないことだと思っている。
例えば、ブログの議論なんかでも、この『本質的なこと」が抜け落ちていると、何を表面的なことを言い合っているんだか、って思えてしまいます。もっともこんな事を言うワタシは、政治ブログ界隈では浮きまくっているんですけどね(爆)
dr.stonefly
2008/03/17 15:04
 こんちは。気が向いたらまたTBします(笑)よろしくどうぞ。

 さて、人間の生を考えることは推理小説である。通常、犯人とは犯罪者であり、犯罪には動機があります。よって、犯罪の動機を特定することが人間の生を考えることであり、本質的なことである、ということですね?つまり、人間というものが犯罪を動機するのは何故か?という問題意識ですね?そもそも犯罪とは反人類的な行為であるが、では人類とは何か?人間とは何か?という本質的な価値基準の問題所在ですね?

 
東西南北
2008/03/17 18:43
おー、なんという深読み。しかも質問だらけ(笑)。
「推理小説」という言い方にそんな深い意味をもたせたわけでなく、「生のうちには見つからないだろう答え」を「推理」したり「推測」したりして考える程度で使ってしまいました。でも、面白いのでちょっと考えてみます。
犯罪とか犯罪の動機ってのは、人間とは何か?というよりも「社会」とは何か?を取り敢えず想像してしまいます。反人類というよりも反社会というイメージです。
でも、おそらく東西さんが仮定している犯罪は「殺人」のことですね。これは「犯罪」という括りではなく「反人類」だと直感します……、「社会」と「人間」ってのの関係は難しいなぁ。よくわかりません。

たとえば『死刑」の問題も、「社会の視点」と「人間の生の本質としての視点」では全然違ってみえる。ワタシは「人間の生の本質としての視点」で見てしまうので、「死刑反対」です。「社会制度として死刑反対」の立場の人々からも異端者に映っていることでしょう(爆)。
dr.stonefly
2008/03/18 08:25
「生」とは無から生まれ、無に帰るものだと理解しています。リセットや繰り返しなんかはありません。
代わりや、同等のものが無い一回かぎりです。
だから今現在の各自の「生」が尊いのでしょう。

議論は大好きですが罵りあいは御免こうむりたい。愚樵空論は自粛中ですので、すみません。此方にコメントを残しておきます。
TBしたいのですが、何しろ当方のブログ内容が一般受けしない代物で、遠慮していたんですが、とりあえず見本を送らしてもらいます。
逝きし世の面影
2008/03/18 14:04
逝きし世の面影さん、
>愚樵空論は自粛中
あらあらそうなんですか? 愚樵空論と比べると物足らないかもしれませんが(ワタシには愚樵空論は難解ですんなり解らない事が多い、実は逝きし世の面影さんの記事もそうなんですけど……)、こんなブログでよければコメントもTBも遠慮なさらずにどうぞ。
>「生」は無から無で、リセットも繰り返しもない。
ワタシもそう思っています。ただその「生」とは、この「身体を伴った心」だと思っていて、「身体」は無になるけれど『心」は、やはり、この生のなかでは、解らないと思ってます。仰るように、今実感できる「生」(まさにこの身体と心)のリセットも繰り返しもないとは思いますが……。
>尊い
か、どうかは、この生にどう向き合うか、によるのかなぁ?
dr.stonefly
2008/03/18 16:52
こんにちは。
 なんだか良い気持ちだなぁ、と思いながら死ねるとそれが「生きる」意味の様な気もします。例えば、通り魔に殺された時でも。その瞬間まで後悔のない時間を重ねたかどうか、多分自分だけが分かる「答え」ではないかと思うのですけど。後ろ向きですか(^^;?
アオネコ
2008/03/25 16:14
アオネコさん、おはようございます。
>なんだか良い気持ちだなぁ、と思いながら死ねたらいいですね。ただ、他人に殺されたときにそこまで生きているかどうか、は解りませんが。
例えば、何かを成し遂げた人のインタビューなんかで「……燃え尽きました。もう思い残すことはありません」なんて答えるのを聞くときがありますが、ワタシが、あれが言えたら「自死」してもいいかな(笑)。
dr.stonefly
2008/03/26 05:28

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