|
ワタシがブログを始め、ブログ界の右も左も解らなかった初期の頃から相手をしてくれた愚樵さんという方がみえる。 「愚樵空論」というブログを運営されているのだが、おもいっきり深い思索を書き綴られるので読むのに苦労する。もちろん苦労するのはワタシの方に問題があり、コメント蘭でエントリーに対する意見を書く事のできる方は多い。そのコメントがまた難しかったりするので、ワタシなどとは全然基礎知識のレベルの違う話をしているのかもしれない。それでも愚樵さんが書かれることの思索を「なんとか解りたい」と思い、繰り返し読んでみたりしていた。愚樵さんは、自嘲的に「空論」などと言っているが、「空まわり」している理論というよりは、色即是空の「空」を彷彿とさせるようで、ワタシにとっても解らないなりに刺激的だった。そんな愚樵さんがワタシのエントリーにも意見してくれるようになり、なんとなくブログで繋がったような感じがしていた。 考えてみればブログでの繋がりとは不思議なものだと思う。 いわゆる個人情報やら個人の様相というのは、本人が自己紹介しなければ何もわからない。本名や住所、年齢、性別、顔かたち、背格好も不明である。机上の箱の線で繋がる未知のブロガーの様相を勝手に思い込んでいると、ふとした拍子に現実の情報を知り驚かされることがある。特に親しくなったブロガーの性別で驚いたのは1人、2人でない4、5人はいる(笑)。オフ会(現実/リアル社会で対面する会)でもしようものなら、「鼻からビール」の連続となるだろう。なかなか面白そうである。じゃあ「オフ=実生活」での連絡を取るかというと、もちろん「特別な用事」がないかぎり連絡など取ろうとは思わない。ブログ上の繋がりで「特別な用事」などないわけで、つまり連絡などとらないわけだ。 さて、昨年末のことだが、愚樵さんのエントリーが突然中断した。TBやコメントも放置された。 その時ワタシは「もしかしたら突然死んだのかな」と思った。 ブログの上ではどれだけ仲良くさせて頂いても、「オフ=実生活」での愚樵さんを知らない。愚樵さんがエントリー等で「実生活」の様子を書かない限り知るよしもない(実際には多少は書かれているのでちょっぴり知っているのだが…)。もちろんそんな「実生活」での愚樵さんが、何らかの理由で突然「死んで」しまえばエントリーもTBもコメントもできなくなる。ここに不思議なものを感じるのである。 もともと繋がりのない「実生活」での愚樵さん、つまり仕事をして生活して体の様相が見える愚樵さんはワタシにとっては無縁の人である。顔かたち、髪型、身長、もちろん声さえもしらない。たとえそんな実生活での愚樵さんが死んでいても、ワタシはどれほどの衝撃を受けるのだろうか? けっこう疑問である。つまりあまり衝撃を受けない気がするのだ。だって知らないんだもの。もう少し考えると「実生活」での愚樵さんの死は衝撃ではないのだが、しかし、一方、もう新しいエントリーを読む事のできない愚樵さんの「死」は結構衝撃かもしれないのだ。あれあれ、「実生活の死」と「ブログ上の死」? これって何だ? もう少し考えてみよう。例えば逆に考えて「実生活」では生きていても、エントリーをあげない愚樵さん、つまり思索を表現しない愚樵さんは、ワタシにとっては死んでいるのかもしれない。 なんだ、なんだ、なんだ、エントリーをあげない愚樵さんは死んでいるのか? なんだ、この言い方は……。ここに不思議さを感じるのさ。 じゃあ、愚樵さんというのは二人いるのか? 実生活をしている愚樵さんと、ブログで愚樵さんを表現している愚樵さん。 そしてワタシと繋がりがあるのは「ブログ」のほうの愚樵さんだけなのか????? つまりワタシにとって「実生活」の方の愚樵さんがどんなふうでも、本名や住所、年齢、性別、顔かたち、背格好がどんなんでも、まったくなんの問題もないのだ。「ブログ」で、表現する愚樵さんだけが問題なのだ。と、考えていくと、ブログというのはブロガーが書き記した「言葉」だけで繋がっているということがわかる。「言葉」だけが問題で、それを記す道具、つまりモニターをみる目、キーボードを打つ指、それらの「造形」などまるで気にならない。純粋に「言葉」のみが問題なのである。いや、言葉さえも「表現」する道具かもしれない。 その表現された「愚樵さん」というもの、もう形がまるでない、「表現」のみである。意思とか思索とか、それこそなんか表現に窮するのだが、、、やはり「心」とでもいうのだろうか? 表現=愚樵さんなのである。これが本質だと思う。そしてブログとは「心」で繋がっているものかもしれない。 形がないが愚樵さんが愚樵さんであることを表現する何かを「心」、実体があり生活する愚樵さんを「体」と呼んでみよう。……、もう別に「愚樵さん」でなくてもいいのだけど…(笑)。 生活して「体」を維持することは、「心」が表現する道具を維持するという意味においてのみ大切なのではないか、と思うのだ。極端にいってしまえば、体が生きていても、心が死んでいれば、死んでいるような気がする。言いなおせば、生活ができていても、思索し、表現できていなければ死んでいる、と言えないだろうか? ただ、道具の方が生きているだけで「生きている」と言えるのだろうか? また、道具を磨くこと、道具を飾る事、道具に快楽を与えることだけを思考する生き方を「生きている」というのだろうか?ワタシは、なんとなくだが「心」が主、道具である「体」が従のような気がして、やはり「心」が思索し、表現していなければ「生きている」と言えない気がしている。 じゃあ、障害者は死んでいるのか?などと言わないでほしい。「心」の部分に障害がなければ、たまたまの「体」=道具の障害により「表現」できないだけかもしれない。目に見えない「心」の部分は誰よりも「生きている」のにただ「表現」ができないだけ、「そうじゃないよ」なんて誰にも言えない。例えば、重度の知的障害者の「心」が知的障害なんて誰が言えるのだろう? 「心」では海よりも深く思索し、たとえば何が「善」であるかを掴んでいて、あとは表現、行動するだけかもしれない。それなのに脳という道具に障害があるため実際に表現することを阻まれているのかもしれない。唯一それが解る障害者自身は、その「全て解っている」ということさえ、道具の障害に阻まれて表現できずに苦しんでいるのかもしれない。そんなことには誰にもわかりはしないだろう。 たとえば、ヘレンケラーが道具(体)の障害を打ち破り、表現をえた喜びをみれば(映画だけど)「『心』が生きている」つまり真に「生きている」ことの喜びを強く感じられるわけだ。あれ、なんか変だな?………ちょっと、外れていっているのか? これを深めると長くなりそうなので今度の機会とするけど。 というか、もう、何が言いたいか解らなくなってきた。 なんとも支離滅裂である。さすが戯れ言。結論もない。 まあ、とりあえず、つまり言いたいのは「愚樵空論」が復活して嬉しい。ということである。 「愚樵さん、また宜しく!!」 「嬉しい」の一言をいうには余りにも長い前置きだったなぁ(爆) |
| << 前記事(2007/06/23) | トップへ | 後記事(2007/06/29)>> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|---|
年金問題に、さらに深い闇の存在
(年金問題への怒りは、与党を敗北させることで晴らそう!29日は投票に行こう!!) まず、他のブログでの数日前の記事にあった、ほぼ回収不能となっている年金資金(国民が納入した年金)の使い道を見ていただきたい。 美爾依さんの「カナダde日本語」から、 http://mi.. ...続きを見る |
平和のために小さな声を集めよう 2007/06/28 00:43 |
選挙区では民主党に! 比例区では社民党・9条ネットに!
上に掲げた通り,私は社民党も新社会党(9条ネット)も民主党と共に支持しています.こういうと何を言ってるんだ,などと突っ込むネットゴキが必ずいるのですけど,日本の戦後の政党政治の歴史をきちんと書物で読んでない奴が何を言うか.あいにく手許に画像がないので,近日中に実物を探しておくけど,内田健三『戦後日本の保守政治』(1969, 岩波新書青版 A-10) あたりを図書館で探して読んでから文句を言いなさい. ...続きを見る |
Die Weblogtagesschau... 2007/06/28 22:27 |
政権交代を止めるな。政権交代は、あらゆる改革につながる本丸。
(ブログランキングに参加しています。よろしければ、右側のBlog Rankingの緑のボタン、またはこちらから投票をお願いします。) ...続きを見る |
村野瀬玲奈の秘書課広報室 2007/06/28 23:07 |
城山三郎より結城昌治
しばらく休みだった「愚樵空論」が再開された(教えてくれたdr.stoneflyさん、ありがとう)。かすかにでも繋がり続けているのはむろん嬉しいことなのだが、はぐれてしまったた友人と再会できた喜びはそれにまさる。愚樵さん、またよろしく。 ◇◇◇◇◇◇ 佐高信の『城山三郎の昭和』を読んだせいで(その話は前回書いた)、グスグズと間歇的に城山三郎について考えている。 前回書いたように私は城山三郎の本を少ししか読んでおらず、それは彼の小説が主には伝記小説であるせいだと思っていた(個人的な好... ...続きを見る |
華氏451度 2007/06/28 23:18 |
住民税増税の欺瞞と、怒りの広がり
(庶民増税にノーを!消費税増税を許すな!参院選には投票に行こう!!) 昨日の、年金問題に関するエントリーには、はてなブックマークが複数着き、私のブログとしては、過去2番目にアクセス数の多い記事となった。それだけ、年金問題に関する関心と怒りが盛り上がっている.. ...続きを見る |
平和のために小さな声を集めよう 2007/06/29 02:00 |
第241号 昔、庶民に「自決しろ」と迫ったのを肯定する勢力は、今...
おはようございます。伊東です。 それにしても、国の根幹を成すような法律が、今回の国会で問題点を置き去りにしたまま次々と成立させられていきました。一応理由というのはあるんでしょう。今回突破された3法案にしても「だらしない社保庁を解散して、年金の不備を正... ...続きを見る |
「ちょっと、寄ってけらっせん」−伊東勉の... 2007/06/30 09:03 |
幻痛
『千の風になって』についてエントリーするつもりだったのだけど、予定を変更。dr.stoneflyさんが私の「突然死」を切り口に「ブログでの繋がり」について考察されていて、これがとても面白く感じられたので、そこに乗っか& ...続きを見る |
愚樵空論 2007/07/03 21:27 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
ここんとこドタバタが続いていて、愚樵さんの復活に気付きませんでした。教えてもらってほんとに嬉しい。愚樵空論は愛読ブログのひとつだったし、勝手に思っているだけかも知れませんが「うん、わかるんだよな」という微かな繋がりを感じていたので、長期の開店休業はちょっと淋しかった。再会、ホント嬉しいですね。 |
華氏451度 2007/06/28 02:25 |
面白かったです。 |
abi.abi 2007/06/28 02:36 |
華氏さん、おはようございます。 |
dr.stonefly 2007/06/28 08:35 |
abi.abiさん、コメントありがとうございます。 |
dr.stonefly 2007/06/28 08:41 |
こんにちは。 |
あくつです 2007/06/28 11:06 |
はじめましてmirai^です(^.^) |
mirai^ 2007/06/28 12:08 |
「愚樵空論」さんのブログを初めて見てきました。今まで知らなかったけれど、同感してきました。dr.stoneflyさんにも「愚樵空論」さんの思索を理解することが難しく感じることがあるそうですが、私には、dr.stoneflyさんの思索が難しいことがありますよ。(笑)哲学的なことは分からないから、コメントのしようがないことが。池田晶子さんの本でも読めば分かるのかな、と思いながら、読んでいない怠け者です。 |
非戦 2007/06/28 12:46 |
あくつさん、こんにちは、その節は本当に失礼しました。 |
dr.stonefly 2007/06/28 18:09 |
mirai^ さん、はじめまして。 |
dr.stonefly 2007/06/28 18:14 |
非戦さん、コメントありがとう。 |
dr.stonefly 2007/06/28 18:20 |
自分が障害者になると,逆に見えてくることって多いですよ.就職の際にも,今までのキャリアを全否定されて,ポケットから携帯を出して,今までのあなたの発言は全部録音されてます,法廷に出せばあなたは馘ですよ,と何回吏員を脅したことやら(笑)←ついでにフラッシュで写真も写しておいた |
kaetzchen 2007/06/28 22:31 |
障害者になると見えてくること、それを障害者にならなくても見るよう心がけたいと常に思っています。 |
dr.stonefly 2007/07/01 02:00 |
| << 前記事(2007/06/23) | トップへ | 後記事(2007/06/29)>> |