毒多の戯れ言

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zoom RSS 「ブログでの繋がり」…例えばエントリーの突然の中断

<<   作成日時 : 2007/06/27 22:59   >>

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 ワタシがブログを始め、ブログ界の右も左も解らなかった初期の頃から相手をしてくれた愚樵さんという方がみえる。
 「愚樵空論」というブログを運営されているのだが、おもいっきり深い思索を書き綴られるので読むのに苦労する。もちろん苦労するのはワタシの方に問題があり、コメント蘭でエントリーに対する意見を書く事のできる方は多い。そのコメントがまた難しかったりするので、ワタシなどとは全然基礎知識のレベルの違う話をしているのかもしれない。それでも愚樵さんが書かれることの思索を「なんとか解りたい」と思い、繰り返し読んでみたりしていた。愚樵さんは、自嘲的に「空論」などと言っているが、「空まわり」している理論というよりは、色即是空の「空」を彷彿とさせるようで、ワタシにとっても解らないなりに刺激的だった。そんな愚樵さんがワタシのエントリーにも意見してくれるようになり、なんとなくブログで繋がったような感じがしていた。

 考えてみればブログでの繋がりとは不思議なものだと思う。
 いわゆる個人情報やら個人の様相というのは、本人が自己紹介しなければ何もわからない。本名や住所、年齢、性別、顔かたち、背格好も不明である。机上の箱の線で繋がる未知のブロガーの様相を勝手に思い込んでいると、ふとした拍子に現実の情報を知り驚かされることがある。特に親しくなったブロガーの性別で驚いたのは1人、2人でない4、5人はいる(笑)。オフ会(現実/リアル社会で対面する会)でもしようものなら、「鼻からビール」の連続となるだろう。なかなか面白そうである。じゃあ「オフ=実生活」での連絡を取るかというと、もちろん「特別な用事」がないかぎり連絡など取ろうとは思わない。ブログ上の繋がりで「特別な用事」などないわけで、つまり連絡などとらないわけだ。
 さて、昨年末のことだが、愚樵さんのエントリーが突然中断した。TBやコメントも放置された。

 その時ワタシは「もしかしたら突然死んだのかな」と思った。

 ブログの上ではどれだけ仲良くさせて頂いても、「オフ=実生活」での愚樵さんを知らない。愚樵さんがエントリー等で「実生活」の様子を書かない限り知るよしもない(実際には多少は書かれているのでちょっぴり知っているのだが…)。もちろんそんな「実生活」での愚樵さんが、何らかの理由で突然「死んで」しまえばエントリーもTBもコメントもできなくなる。ここに不思議なものを感じるのである。
 もともと繋がりのない「実生活」での愚樵さん、つまり仕事をして生活して体の様相が見える愚樵さんはワタシにとっては無縁の人である。顔かたち、髪型、身長、もちろん声さえもしらない。たとえそんな実生活での愚樵さんが死んでいても、ワタシはどれほどの衝撃を受けるのだろうか? けっこう疑問である。つまりあまり衝撃を受けない気がするのだ。だって知らないんだもの。もう少し考えると「実生活」での愚樵さんの死は衝撃ではないのだが、しかし、一方、もう新しいエントリーを読む事のできない愚樵さんの「死」は結構衝撃かもしれないのだ。あれあれ、「実生活の死」と「ブログ上の死」? これって何だ?
 もう少し考えてみよう。例えば逆に考えて「実生活」では生きていても、エントリーをあげない愚樵さん、つまり思索を表現しない愚樵さんは、ワタシにとっては死んでいるのかもしれない。
 なんだ、なんだ、なんだ、エントリーをあげない愚樵さんは死んでいるのか?
 なんだ、この言い方は……。ここに不思議さを感じるのさ。
 じゃあ、愚樵さんというのは二人いるのか? 実生活をしている愚樵さんと、ブログで愚樵さんを表現している愚樵さん。
 そしてワタシと繋がりがあるのは「ブログ」のほうの愚樵さんだけなのか?????
 つまりワタシにとって「実生活」の方の愚樵さんがどんなふうでも、本名や住所、年齢、性別、顔かたち、背格好がどんなんでも、まったくなんの問題もないのだ。「ブログ」で、表現する愚樵さんだけが問題なのだ。と、考えていくと、ブログというのはブロガーが書き記した「言葉」だけで繋がっているということがわかる。「言葉」だけが問題で、それを記す道具、つまりモニターをみる目、キーボードを打つ指、それらの「造形」などまるで気にならない。純粋に「言葉」のみが問題なのである。いや、言葉さえも「表現」する道具かもしれない。
 その表現された「愚樵さん」というもの、もう形がまるでない、「表現」のみである。意思とか思索とか、それこそなんか表現に窮するのだが、、、やはり「心」とでもいうのだろうか? 表現=愚樵さんなのである。これが本質だと思う。そしてブログとは「心」で繋がっているものかもしれない。

 形がないが愚樵さんが愚樵さんであることを表現する何かを「心」、実体があり生活する愚樵さんを「体」と呼んでみよう。……、もう別に「愚樵さん」でなくてもいいのだけど…(笑)。
 生活して「体」を維持することは、「心」が表現する道具を維持するという意味においてのみ大切なのではないか、と思うのだ。極端にいってしまえば、体が生きていても、心が死んでいれば、死んでいるような気がする。言いなおせば、生活ができていても、思索し、表現できていなければ死んでいる、と言えないだろうか? ただ、道具の方が生きているだけで「生きている」と言えるのだろうか?
 また、道具を磨くこと、道具を飾る事、道具に快楽を与えることだけを思考する生き方を「生きている」というのだろうか?ワタシは、なんとなくだが「心」が主、道具である「体」が従のような気がして、やはり「心」が思索し、表現していなければ「生きている」と言えない気がしている。

 じゃあ、障害者は死んでいるのか?などと言わないでほしい。「心」の部分に障害がなければ、たまたまの「体」=道具の障害により「表現」できないだけかもしれない。目に見えない「心」の部分は誰よりも「生きている」のにただ「表現」ができないだけ、「そうじゃないよ」なんて誰にも言えない。例えば、重度の知的障害者の「心」が知的障害なんて誰が言えるのだろう? 「心」では海よりも深く思索し、たとえば何が「善」であるかを掴んでいて、あとは表現、行動するだけかもしれない。それなのに脳という道具に障害があるため実際に表現することを阻まれているのかもしれない。唯一それが解る障害者自身は、その「全て解っている」ということさえ、道具の障害に阻まれて表現できずに苦しんでいるのかもしれない。そんなことには誰にもわかりはしないだろう。
 たとえば、ヘレンケラーが道具(体)の障害を打ち破り、表現をえた喜びをみれば(映画だけど)「『心』が生きている」つまり真に「生きている」ことの喜びを強く感じられるわけだ。あれ、なんか変だな?………ちょっと、外れていっているのか? これを深めると長くなりそうなので今度の機会とするけど。

 というか、もう、何が言いたいか解らなくなってきた。
 なんとも支離滅裂である。さすが戯れ言。結論もない。
 まあ、とりあえず、つまり言いたいのは「愚樵空論」が復活して嬉しい。ということである。
 「愚樵さん、また宜しく!!」
 「嬉しい」の一言をいうには余りにも長い前置きだったなぁ(爆)

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
ここんとこドタバタが続いていて、愚樵さんの復活に気付きませんでした。教えてもらってほんとに嬉しい。愚樵空論は愛読ブログのひとつだったし、勝手に思っているだけかも知れませんが「うん、わかるんだよな」という微かな繋がりを感じていたので、長期の開店休業はちょっと淋しかった。再会、ホント嬉しいですね。
華氏451度
2007/06/28 02:25
面白かったです。
ブログ上の知り合いは、実生活はまったく知らない方が99・9%ですけれど、とても大切な存在になっていて、凄く不思議な気がします!
本質的な話に前置きなしで入れるのもネット上ならではですし・・・
面白い時代に生きている、と思います。
abi.abi
2007/06/28 02:36
華氏さん、おはようございます。
ね、ほんとに「愚樵空論」は楽しみにしていた方が多いですよね。愚樵さんが思索を表現せずにいられるとは思えません。これからが楽しみ、楽しみ。
dr.stonefly
2007/06/28 08:35
abi.abiさん、コメントありがとうございます。
ほんとうにブログでの繋がりってのは、面白いですよね。「実生活」では、相手の容姿が見えてしまうので、つまらぬ先入観に左右されることがあっても、ブログではまさに「言葉」だけですものね。
「体」(容姿、美醜、声)に誤摩化されない、「心」=本質だけで繋がるということの不思議をいまも考えています。
dr.stonefly
2007/06/28 08:41
こんにちは。
某所では失礼しました。(笑)
素敵な文章でした。
教科書に載せて若い人に読んでもらいたいです。(これも失礼になるか!?)
あくつです
2007/06/28 11:06
はじめましてmirai^です(^.^)
netやbiogでの繋がりって、確かに実社会での係わりとは別物。ある意味夢の中のような...

次の日、目が覚めたら、ぜんぶ夢であったとしても不思議ではない。そんな気もします。

でも、それでも何かを発信する人がいて、受け取る人がいる。

一方通行のような、そうでないような。

障害者のくだり...
(障害者本人のことを称し⇒)”当事者”の親御さんがたが読んだら、涙チョチョぎれることでしょう。

mirai^も、ほぼ同意見
「(−∧−)出来ることの多さで人の価値は決まらない」
声を大にして言いたいですわ。

また来ます<(_ _)>乱入、失礼をば。
mirai^
2007/06/28 12:08
「愚樵空論」さんのブログを初めて見てきました。今まで知らなかったけれど、同感してきました。dr.stoneflyさんにも「愚樵空論」さんの思索を理解することが難しく感じることがあるそうですが、私には、dr.stoneflyさんの思索が難しいことがありますよ。(笑)哲学的なことは分からないから、コメントのしようがないことが。池田晶子さんの本でも読めば分かるのかな、と思いながら、読んでいない怠け者です。
でもなんとなく感覚的にわかっているつもりです。今回のも。ネット上のほうが、本音の文章が書けたりするのが、嬉しいような恐ろしいような。
非戦
2007/06/28 12:46
あくつさん、こんにちは、その節は本当に失礼しました。
教科書といえば、本来「思索」することを教えるのが教育だと思うのですが現実は違う様ですね。皆が考えることが出来るようになること程、権力にとって脅威なことはありませんもんね。
つまり、権力の推奨する教育に本当の教育は絶対にありえない、ということになるのでしょうか?
dr.stonefly
2007/06/28 18:09
mirai^ さん、はじめまして。
この社会がいう詰まらない価値観のなかでは、障害者は本当に虐げられてますね。ワタシも社会のなかの一人として申し訳なく思います。
ただ、なんとなくですが、「真の価値を見つめながら生きること」に関しては障害者や障害者の周囲の方のほうができている気がしているんです。
ブログちらっと、お伺いしました。ちょっと時間があるときにじっくりお邪魔させていただきます。
今後ともよろしくお願いします。
ダブったコメントは消しておきますね。
dr.stonefly
2007/06/28 18:14
非戦さん、コメントありがとう。
ワタシ自身、迷いながら書いているので、解りにくいかもしれません。「私の名まえや体を含むdr.stoneflyと呼ばれている私」と「わたし」が違うというのは、仰るように池田晶子の本に書いてあって、何を言っているのかさっぱり解りませんでした。
最近、無理矢理、理論で解ろうとしていたら、ちょっと見えたような気がします。でも感覚的にはやはり解らないんですよ。って、また訳の解らないコメントを書いてしまった。ごめんなさい(笑)。
dr.stonefly
2007/06/28 18:20
自分が障害者になると,逆に見えてくることって多いですよ.就職の際にも,今までのキャリアを全否定されて,ポケットから携帯を出して,今までのあなたの発言は全部録音されてます,法廷に出せばあなたは馘ですよ,と何回吏員を脅したことやら(笑)←ついでにフラッシュで写真も写しておいた

おかげで社会福祉課での私の印象は「最悪」となってるようで,先日は「もっと障害者に優しい大都会へ移りませんか」と,もろに嫌味(笑) さすがにこれは顧問弁護士と相談しましたね.簡裁に呼んで吊し上げてやろうかと,冗談を言ったものです.
kaetzchen
2007/06/28 22:31
障害者になると見えてくること、それを障害者にならなくても見るよう心がけたいと常に思っています。
dr.stonefly
2007/07/01 02:00

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