毒多の戯れ言

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zoom RSS 「この世的な価値と自由な精神」…このブログはダブルスタンダードなのか?

<<   作成日時 : 2007/04/11 18:56   >>

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 最初に断っておきますが、今回のエントリはワタシのグルグル回る思考のぐちゃぐちゃを書きなぐったもので、訳の解らないものになってしまった。だいたいタイトルからして、意味不明です。独り言なので期待しないでください。じゃあ公開しなくてもいいじゃないか、とも思いますが、もし一人でも解って頂ける人がいればそれはそれで嬉しいものです。だから公開します。後悔するかもしれませんが……。

 この東京都知事選で再認識したが、ワタシはつくづく政治を語る人間じゃないなぁ、と感じる。今回ももともと石原の高圧的で差別的態度に危機感を感じていたのだが、黒川の出馬にさらに危機感がつのりエントリをした。BLOG BLUESの兄貴のコメントに呼応して「吉田野党統一候補でGO」と叫んでみた。ところがその後浅野が立候補し最初の宣言をとりけし、さらに反石原ブロガーの間で緊張した空気を感じると、ごん師範代の提唱した「浅野vs吉田=石原スルー」に共感してみたり、……最後には反石原から離れ護憲を思い出したりして、結局は口を閉じてしまった。ふらふらブレまくり、まるで一貫性がない。

 政治に対し一貫性のない理由もわかっていて、ずっと引っかかっていることを一度吐き出しておこう。これを書いてしまうと、このブログも色々矛盾がでてきて、まったくもってダブルスタンダードのような気もするが、もう限界である。
 実は、ワタシの「自由な精神」は石原だろうが壷だろうが、ヤツラが何をしようが何を言おうが変えることができない。下らない下衆が何を言おうとなんの障害にもならないよ、という思いがある。いやいや、「国家」すらワタシの「自由な精神」を不自由にはできないのだ。なんて大嘘かもしれないが、そういう位置で考えている。
 所詮政治など「この世的な価値」を前提にするものでしかなく、この世的な価値などまやかしだろ、と思っているから政治に対して心底真剣になれないのかもしれない。てなこと言うと、この世的な価値ってなんやねん、という話になるよな。
 以前に書いたがもう一度、書いとこうかな。

 青カン(ホームレス)と呼ばれる人々を「支援」してきたことは何度も書いて来た。青カンとはこの社会から「人権」を奪われ、この世でいうところの価値「金銭」「物」「プライド」なんかを第一義とする土俵から投げ飛ばされた人々である。投げ飛ばされた多くの青カンはその状況に失望する。青カン自身も「心身ともに」元の土俵に戻りたいと願い、「支援」も元の土俵に戻そうと支援するわけだな。しかしなかにはその土俵(この世的な価値)を見捨ててしまい(偽物と見抜き)、そんな偽りの価値に縛られず「真に生きる」ということを掴んでいるようにみえる青カンに出会う事があるのさ。
 この世的な価値など真の価値ではない、というわけだ。衣食住においてさえ極端に不自由である青カンが言うと、ある面では釈迦やイエスなんかの域に達してしまっている、と感じてしまう(笑)。ある時そんな青カンと街の中心の激しく人々が行き交う歩道の端に座って話していると、ワタシの「心」が「身」を離れ、ぐんと雲のうえまで昇ってしまった。
 「心」が、雲のうえから右往左往する人の流れを見つめながら「何がホントの価値なんだろう」と、(ついでにいうなら、往来の雑踏を見つめながら青カンと並んで座っている『あいつ(=身)』はなんなんだろうと)考えてしまったわけだな。この世的な価値を偽りの価値ではないのかと疑いはじめたわけだ。一旦そう考え出すと「支援」することが、非常にややこしくなった。そんなこの世的な価値は偽物ではないかという疑惑に蓋をして、この世的な価値を価値とした前提にたって支援をする。うーん、ややこしい。自分に嘘をつきながらの支援の理由付けをするなら、たとえそれをワタシが偽りの価値と疑いながらも、そこに価値をおく多数の青カンの「支援」をするための行為だから、偽りの価値だと知っていても支援をする。といったとこだろうか? このブログでもそういうエントリはある。

 最近このブログでも考えさせられた。障害者は「弱者」という前提を疑いもしない社会(人間)とか、「弱者という位置を強いている」社会(人間)の前提は間違っている、とワタシなどもよく怒りながら言うが、当の障害者の母からは、そうした社会(価値)に対し「怒りよりも哀れみを感じる」と言われると、あれれれれれ、結局は怒ってるワタシもこの世的な価値「金銭」「物」「プライド」を前提に、その土俵に立っているのかなと、考えさせられる。この母は、そんな土俵を外から眺め「哀れなことよの〜」と呟くのである。この母もやはりなんとなく「真に生きる」ということを掴んでいるような気がするわけだ。
 いずれにしても自律した自由な精神の持ち主だろう。ここに至っては前の青カンも障害児の母もこの世的な言い方である「弱者」なんかであるわけがない。「社会に弱者を強いられている者」って言い方も白々しさを伴ってしか響かないな。明らかに「自由な精神」をもった「真に生きてる」強い人にしか見えない。

 と、こんな風に考えてしまうと、今「社会」や「国家」にクレームをつけるワタシは「不自由な精神」なのか? 「不自由」だと感じていて、その「不自由」を社会や国家のせいにしているのではないだろうか? 今ワタシが「不自由」と感じているのは国家のせいなのか? 社会のせいなのか? いや違う。そうじゃないだろう。ワタシが「不自由」だと感じていれば、やはりこの世的な価値を真の価値と思い込んでいる自分のせいだろう。または真に自由を追求しない自分のせいだろう、と思う。それは確かにそう思うのだ。でも、こういう書き方をすると例えばワーキングプアという格差は「この世的な価値」についての格差で、たとえ金銭的に下層にあっても「自由な精神」とは関係ないのだから、とやかく言う必要がないじゃないか……、という話になってしまい、これまで主張してきたこともなんだったんだ、という話になりかねないなぁ。困ったものだ。何故、ワタシは「社会」や「国家」に対して声をあげているのだろう。

 「心」が「この世的な価値を前提とする土俵」を外から見つめて、その土俵に縛られる不自由さを知り「自由な精神」を追求するとしても、「身」のほうはやっぱり「土俵」のうえにしかありえず、死んでしまっては「心」が「自由な精神」であることさえできない。「衣食住」をこの世的な価値と言ったが、やはり釈迦やイエスや驚異的な青カンじゃないかぎり、最低の「衣食住」もないようでは、「何が真の自由か」といった思索さえできないだろう。「この世的な価値」うんぬんという前に最低の「衣食住」そんなものぐらい分け合おうよ、と言いたい。そらに最低の「衣食住」も分けあえれずに死ぬ者がいることには、そら違うだろ、とやはり強くものを言いたい。

 「身」はこの「土俵」に置かざる得ないのだから。

 もう、こう何て言えばいいんだ。

 ああああああああああ

 だから、もちろん、「身」もそして「心」も滅ぼす戦争(暴力)はいけない。全ての戦争を否定する。……

 当然、戦争を否定する9条堅守だ!!!

 そして、思索する依然にある子どもに「自由な精神」を追求できなくするような教育を強いる国家に対して強くものを言うぞ。………

 畜生ーーーーーーーーー、正しい、間違い、嘘、真実、自由な精神、不自由な精神、誰が強くて誰が弱者だってんだ、言いて見やがれ!!!!!!!




 ふん、誰にも解ってもらえなくてもいいさ!!!!!!!!!




 はぁ、一度吐き出したらすっきりした。最後まで付き合ってくれた方、ごめんなさい。なが〜い独り言でした。

 

 

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コメント(13件)

内 容 ニックネーム/日時
私も社会問題について考えるたびに、つくづくと自分は政治的な人間じゃないなと思ってしまいます。

どんなに自由な精神でも、生きている限り、肉体という縛りを本当に抜け出すことはできません。
そして、その肉体はまた、人間関係=社会≒政治的なしがらみを抜け出すことはできない。
つまり生きているということは、多かれ少なかれ、かなり不自由なものなのではないでしょうか。

その中で、ちょっとでもマシな方向、ちょっとでも自由な風が吹くところをめざして、カメの歩みを続ける。
それが、私みたいな鈍くさい人間にできる唯一のことなのかな、なんて思ったりしています。

すみません、他人様のところで独り言を呟いてしまいました(笑)
gegenga
2007/04/11 21:36
ああgege師匠、門下生が取り乱しているのを見かねてコメントして頂き感謝です。滅茶苦茶救われます。なんとなく吹っ切れました。今後は「みんなが自由な精神」のほうが幸せだよね、その方が「不自由さ」が少ないかもね。ということでエントリしていきたいと思います。
「自由な精神」というのは、例えば「金」や「者」や「プライド」をもっていても追求できると思うのですが、実際には、それらに安定している人はそこに立ち止まってしまう、もしくはさらにそれらを追い求める。不自由だなぁ。やはり、この世的価値からオミットされた人の方が、掴んでいる気がする。もともとそこをベースに社会が成り立っているということもあるのでしょうが、やはりこの世的価値は人にとって魅力的なのかもしれませんね。その罠が見抜けないというのは、とても「不自由」だと思うのですが……。どちらが幸せかわかりませんね。
 まあいいです。師匠が言う様に笑いながらノンビリ生きましょう。これからもよろしくお願い致します。
dr.stonefly
2007/04/12 06:37
すごい面白く読ませていただきました(失礼なものいいに聞こえてしまったらもうしわけありません)

自分は、政治的な人間っていうのは、社会をよくしようとするあまり、いつの間にか誰かを犠牲にしても気がつかない人間だと思っています。
ですので、政治的な言葉を駆使しても、人の痛みを感知できる人は皆、政治的な人間じゃないと思うのです。
それから、自由と不自由の狭間で往ったり来たりするのも、そこで悩むのも人の痛みを知りうる、他者ありきで、例えば、砂漠の中でポツンと一人でいることは、自由か・不自由かと考えたとき、それは同時に、他社が存在しないところで、自由でも不自由でもあるように、それは個の中でも同時に存在しているのではないかと思うのです。
ですので、ダブルスタンダードということではないと思います(ちょっと論点が違うかもしれませんが)
もしかしたら、そんなことは皆踏まえた上でのお悩みでしたら、愚問でした。
未だに一歩も踏み出していない自分は、まだまだだなぁと、こちらの記事を読んで思いました。
sendo
2007/04/12 07:27
sendoさん、ありがとう。「面白い」というのは最高の褒め言葉です。
独り言なんて書きましたが、実は誰かに解ってほしかった。さらにsendoさんのコメントでまたスッキリしてきました。
sendoさんが例えた「砂漠の中でひとり」というのは、ワタシは「無人島でひとり」シュチュエーションでずっと考えていました。衣食住に困る事がない自然豊かな無人島です。ひとりであるので完全に自由です。でもその自由は何に対しての自由なのか、というとこで思考停止です。やはり「自由な精神」というのも人間同士の関係のなかにあるのかもしれませんね。
ダブルスタンダードとしたのは、「自由な精神=真に生きること」と「この世的な価値に合わせる」こと、その時々の都合で両方にたってエントリをしていたのではないか、という反省です。と、前者を意識して生きたいということの態度表明です。愚問などひとつもありません。ほんとうにコメントありがとう、とても救われました。
dr.stonefly
2007/04/12 09:03
こんにちは。いいエントリーですね。僕が愛して止まない小説、村上龍の「69」。その201ページ「…アダマは忠実だ。僕に忠実なのではない。アダマは信じている。僕を信じているのではない。アダマは、一九六〇年代の終わりに充ちていたある何かを信じていて、その何かに忠実だったのである。その何かを説明するのは難しい。その何かは僕達を自由にする。単一の価値観に縛られることから僕達を自由にするのだ。」ワオ!1969年、僕は高校1年生だった。で、この「一九六〇年代の終わりに充ちていたある何か」をモロに、全身に、尻の穴まで浴びた。文学青年の死語で言う「噛まれた」。以来幾星霜、ずっとこれだぜ。アイム・ロケンローラー。って、そりゃコメントじゃなく、お前のエントリだろ!失礼いたしやした。

ろ!
BLOG BLUES
2007/04/12 13:20
さきほどは(って、もう半日も前か)私めの寝言にわざわざコメントいただき、ありがとうございました。誰にもTBしてないし、誰も読まんやろ、と思っていたのにコメントまでいただいて感激でありまする。 

> 「身」はこの「土俵」に置かざる得ないのだから。

が〜〜〜〜ん。そ、そうなんです。イヤだイヤだと思っても。私は頭の中にぐしゃぐしゃあることをなかなかうまくピタッと言葉に出来ないんで、ひとさまの言葉にはっとするばかりなのだ。よろしければ、これからもよろしく。

華氏451度
2007/04/12 23:21
bluesの兄貴、そういえばよく出されますよね村上龍の「69」。実はまだ読んだことがなく、兄貴が話題にされるたびに読もうと思うのですが、つい忘れちまって。今度こそは読んでみようと思ってます。「単一の価値観に縛られる」……、まさに今そうした時代を感じさせます。やはり価値観は多様なほうが楽しいと思いますね。


華氏さん、ね、誰も読まんだろうと思って書いたものも、誰かが読んでいてくれて、むしゃくしゃしている気持ちが救われる。ワタシもこの独り言にコメントをもらい滅茶苦茶救われました。ブログっていいものですよね(涙)。華氏さんの寝言も今のワタシには沁み入りましたよ。
「身は土俵に置かざるえない」ってのも、最初から解っていたものでなく、ぐちゃぐちゃと書きなぐっているうちに解ったことです。やっぱり書いてみなくちゃ駄目ですね。
dr.stonefly
2007/04/13 06:16
こんにちは。とってもいいエントリーですね。

と、書いたところで、皆さんのコメントを読んだら書く事がなくなりました〜。

私たちは、自由な精神を持ちつつ同時に、政治家たちにそれを利用されないように見張らないといけないですよね。

政治家には政治家の義務、責任、仕事。国民の生存権を守る。衣食住を保障する。等はあるわけですし。それ以外は、おおらかにいきましょ〜。
るか
2007/04/15 13:39
dr.stoneflyさん、こんにちは。
うちのブログから、勝手にリンクさせていただきました。これからしばらくコメント欄にあれこれ顔を出して回る余裕が減っていきそうなので、その代わりのエールになってくれればと。でも、それだけだとエールとしては心細過ぎるので、妖怪さんや銀河連邦から地球視察に飛来中の宇宙人さんたちにdr.stoneflyさんを応援してくれるよう、頼んでおきました。振り向けばたぶん後ろに、見上げればたぶん天上あたりに駆けつけてくれてると思うので、びっくりしないでね!
仲@ukiuki
2007/04/15 14:52
るかさん、わざわざコメントを頂き感謝です。
最初からこのエントリをTBすればよかったのかな?
そうですね、「政治」は所詮「政治」です。
ここを押さえたうえで、されど、物を言っていきたいですね。
本当に、今回はお話ができてよかった。
ワタシも勉強になりました。ありがとう。


仲@ukiukiさん、リンクありがとう。
リンクされるのは確かにありがたいですが、結構気を使います。プレッシャーがかかったりして。リンクされているのがわかって喜んでいたら、次ぎ伺ったとき抹消されていて凹んだり、勝手に持ち上げといて、勝手にたたき落とすかよ! グスンと泣いてみたり……。
小心者のワタシは、いろいろ気を使って、なかなか皆様のリンクができずにいます。ごめんなさい。きっとずっとできないかもしれません。
妖怪と宇宙人は、できれば虐げられたている妖怪さんと宇宙人さんだけにして欲しいですね。
壷のような妖怪やコイズミのような宇宙人は堪忍です。あっ、あれこそが人間か。
妖怪や宇宙人に失礼この上ない……(爆)
dr.stonefly
2007/04/15 18:58
はじめまして。
るかさんの記事のトラックバックをたどって、参りました。
(過去記事にコメント、ごめんなさい)

>障害者は「弱者」という前提を疑いもしない社会(人間)とか、「弱者という位置を強いている」社会(人間)の前提は間違っている、と〜(中略)〜ワタシもこの世的な価値「金銭」「物」「プライド」を前提に、その土俵に立っているのかなと、考えさせられる。

ここの部分私にも当てはまる面はあるな、と考えながら拝読いたしました。「弱者」という言葉に不快感を感じる事自体が、差別的思考なのかと。
アカリ
2007/04/16 17:26
(続き)
確かに「心」は身から解き放たれて自由であるべきで。でも哀しいかな、マズローの欲求のピラミッドにもあるように、「衣食住」が充実するという大前提があってこそ「自己実現の欲求」などの高次の欲求が生じる訳で。
そういう意味では障害者・高齢者等どんな状態の方にも生活を保障するべきだ、と声をあげるのは間違いではないと思ってみたりもしています。

政治的な話からはそれてしまいました。
そして、自分自身の考えをたどりながら書いていますので、まとまりのない文章になってしまってごめんなさい。

大変考えさせられました。
ありがとうございます。
又、お邪魔させてください。
アカリ
2007/04/16 17:27
アカリさん、はじめまして。コメントありがとう。 思索出来る方、しようとする方は大歓迎です。 こうした話は政治的話からそれたほうが面白いですね。 とはいっても、「身はこの世にあるのだから」政治的話もからんでしまうのですが。 「言ノ葉工房」さんでのコメントも読まさせていただきました。 知的障害者と接する職につかれているということですね。是非政治的課題ではない「生きること」の思索も教えて下さい。と、ブログも持たれているんですね。拝読させていただきます。おっと、貴ブログ「惑星ナイン」のリンク集をみてビックリ。「障害児Kとおたく母」があるじゃないですか。このエントリ中に登場する「哀れなことよの〜」と呟く障害児の母はおたく母のtomokoさんのことです。ああ世間は狭い。 今後共よろしくお願いします。
dr.stonefly
2007/04/17 06:14

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