毒多の戯れ言

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zoom RSS 「弱者・社会的弱者」と口にしてしまう欺瞞

<<   作成日時 : 2006/05/10 09:09   >>

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 ♪貧しさに負けた〜、いえ世間に負けた〜、この街も追われた、いっそ綺麗に死のうか〜♪、と口ずさみながら、あのさ〜、もっと思考しろよなぁ〜、とツッコミを入れるワタシは壊れかけている。そう言えば「勝ち組」「負け組」という軽薄で頭の悪そうな物言いも、ドザエモンの逮捕以後ほとんど耳にしなくなったなぁ。あんなに誰も彼もが口にしていたのに。まあ期待もしていないが、「勝ち組」「負け組」と煽ったマスコミの反省の弁を聞くこともなく、テレビのニュースワイドショーで散々口にしていた、あの司会者もあの評論家もあのタレントもあのコメンテーターも、己の発言は棚にあげ、何もなかったようにドザエモンを攻撃していた。恥ずかしくないのかね〜? おのれらが、「勝ち組」「勝ち組」と囃し立ててたエースはあの守銭奴のドザエモンなんだぜ。ふん、なんか言ってみろよ。そんな奴らになんの疑問も感じない視聴者もしかりだ。まあ、このあたりの思考するという発想さえないマスコミや視聴者が「勝ったの負けたの」と口にしようが何も言う気がはないが……、って、こうやってエラソーな態度で「切り捨てる」から運動が広がらないんだよな。反省。反省。(本当のところ、ワタシの方が切り捨てられていると感じないではないが……)
 と、一応反省しておいて、今回は、もっと思慮深い人の口からも聞く、かなり以前から気になっている言葉があり、そんな「言葉」について戯れ言を漏らしてみたい。

 「弱者」「社会的弱者」という言葉である。これは社会的な支援・市民運動をやっている人も口にしたり文に書いたりする。もしかして、この「戯れ言」を読んでいる聡明な読者の中にも使ってる人がいるかもしれないのだが、ワタシはすごーく違和感をもっている。

 社会的な支援運動なんかで「弱者」というときの「弱者」とは、子どもや障がい者や高齢者や青カンなどの貧困層や暴力被害者、被災者や時に女性など「支援の対象」を指す言葉で、結構頻繁に目にしたり耳にしたりする。運動をしていると、感性が磨かれ、単に「弱者」と言うことに抵抗感がでてくる。そんな時、少し意味を明確にさせるために「社会的弱者」という言い方をしたりする。「この社会で弱き立場に立たされている人々」というニュアンスだな。しかしなぁ、ワタシはこの「社会的弱者」って言い方もなんだかなぁ、と思ってしまう。
 まあ単に「弱者」と言う場合は、「強者」に対する「弱者」で、関係が「強・弱」となり、「強・弱」で語られることに違和感をもつのは容易だろう。支援対象を「弱者」と口にするとき、自分のなかのどこかに「強者」であるという意識があり、「強者」による「弱者」の救済という構図を自ら規定する。こうした関係の規定を肯定したまま、社会的支援運動なんぞ出来やしないよな。
 それで、次に一見ちょいと意識しているような「社会的弱者」という言い方になるのだが、これとてどんなもんだろう。あくまで「強者のための社会」が基準になっている、という意識の現れといえないだろうか? そうでなくとも、あくまで「強者の社会が基準」を「肯定」する意識の現れであり、そんな「社会」のなかで「弱者」を救済するという意識がみえ隠れする。今回はあえて「弱者」という言葉を使うが、根本的に「弱者基準の社会」であれば「強・弱」というカテゴライズもされなく、「弱者」という言葉はでてこないだろ。まあ、「弱者基準の社会」などと書いてしまったが、そもそも、どんな運動も「強」「弱」であったり「強者基準の社会」「弱者基準の社会」で語られるべきではないと考える。

 あえて「強弱」で語ってみるが、この社会では「強弱」の基準が「経済」や「年齢」「性差」「身体」「体力」「民族」「制度」なんかで、ワタシたちは自分を「強者」と意識しなくても、この社会では「強者」とカテゴライズされ、知らないうちに「弱者」を差別し踏みにじっている可能性があるので、気をつけた方がよさそうだ。
 特に、こんな人は気をつけよう。「大人」で「男」で「高齢者じゃなくて」「健常者」で「心身ともに健康」で「大和民族」で「被差別部落出身じゃなくて」「在日外国人でなく」「有職者」で「住む家があって」「経済的に困窮してなくて」……ああ、ワタシのことではないか(最近経済的には困窮しつつあるが、まだまだか)……常に意識していないといけないなぁ〜、と考えてしまう。そんなことを意識すると、結構いろいろな人の言葉が気になったりもする。でも、テレビや本などにツッコムのはよいが、実際に対話している相手にツッコムと、煩がられて嫌われる可能性があるので気をつけたほうがよさそうだ。
 こんなことが気になるなんてワタシは、結構「クドイ」性格なのかな〜。

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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
「弱者・社会的弱者」という言葉は嫌です。「障害者(児)」も然り。ご指摘のように基準を何処に置くかで全ては変わります。『貴乃花』基準の『お兄ちゃん』ことワカサマに明らかなように(古!!)。言葉を手段としたコミュニケーションでは、選んで発言したいもんです。同時に『障がい者(児)』という言葉の横行に違和感を感じます。厳然たる『障害』を認めず誤魔化す気がして。無論『障害』は社会によるものですが。
life_is_beautiful
2006/05/29 23:49
ワタシは「傷がい者」という言葉を敢えて使ってますが、「厳然たる『障害』を認めず誤魔化す気がして」という気持ちがわからなくはありません。昔、ある原稿依頼されたとき「障『がい』者」と『』つきで書いたら、関係者ともめました。(笑)。
「無論『障害』は社会によるものですが。」と書かれている辺りにワタシが「障がい者」と表記する理由はあります。社会にたいし「障害者」よりも「障がい者」と書いた方が一石投じることができるという狙いも含まれます。
dr.stonefly
2006/05/30 08:13
追加:昔は「障碍者」と表記されていたようですが、life_is_beautifulさんの方が詳しいかもしれませんね。
dr.stonefly
2006/05/30 08:15
 ご無沙汰してます。騒ぐだけ騒いで、その後はトンズラ失礼致しました。『障碍』であれ『障がい』であれ、自分ら非『障碍』『障がい』の者の都合の良い言葉遊びのように感じてしまいます。説明が下手なので伝わりにくいでしょうが(今更ですね)、24時間TVなどの『障害を乗り越えて』という風潮に如実に表れているように思います。乗り越えられない社会だし、乗り越えられない人もいる。それなのに、何時まで矯正・更生され続けるのか。鬱病の方に『頑張って育児して働け』と鞭打つようなものです(少し違いますけど)。それぞれの人や思い、生き様が大切にされない。スタートラインから『障がい』や『障碍』を負わされ、挙句は市場主義での自己責任による『応益負担』ですから。『障がい』という表現を使う自治体が増えましたが、何ら実態は変わりません。そこら辺への思いで、自分は『障害』という大嫌いな言葉を用いています。この言葉と自己責任が結びかなくなる日を夢見て。
life_is_beautiful
2006/06/18 05:31
 おひさしぶりです。 life_is_beautifulさんのコメントを読んでいると、考えているなぁ、と感心させられ、またいろいろ教えられます。
 さて「障がい」などと「言葉」なんぞでごまかし、実態を見ようとしてない事への憤りはよくわかりました。かくワタシも「ホームレス」という言葉に違和感をすごーく感じながら「ホームレス」と書いています。ワタシが「ホームレス」と表記するとき「ある種諦め」が伴ってます。が、 life_is_beautifulさんの「障害」には強い意志が感じられますね。ワタシはそうした意志は好きで、また理解できるのですが、世間一般ということを考えると、たとえ説明しても 理解されにくいかもしれませんね。ワタシも「表記の表層」に誤摩化されることなく、「その表記」を使う人自身を見なければ、と今更ながら教えられた気がします。(「表記の表層」でない「言葉」とは奥深いものと考えてますが、長くなりそうなので別の機会に)。ワタシは「問題提起」として当分は「障がい」を使ってこうと思います。
dr.stonefly
2006/06/18 08:19
(続)
 今回は「障害」「障がい」以外のコメントに非常に考えさせられました。ちょっと前に(タイトルも忘れたのですが多分)NHKの特番で、工場のなかで障がい者が「いかに早く作業ができるか」「いかに健常者と同様に早く作業をやらせるか」、そして「早くできることをよしとする」という番組を目にして非常に違和感を感じました。その違和感がまだワタシのなかで消化しきれてません。消化できたら記事にしようと思ってます。
dr.stonefly
2006/06/18 08:20
 ご丁寧に有難うございます。Drさんなら理解して頂けると思い、煩くしてしまっています。申し訳ありません。自分も『障がい』という言葉を用いた時期がありましたが、誤魔化しに過ぎないことを自覚し『障害』へ改めました。『障害』という言葉に違和感を感ずる方は0.5割に満たないでしょうし、こうした『言葉』の横行が恐ろしいと感じています。DrさんのBlogでは言いたいことを言わせて頂いているばかりで恐縮ですが、こうして『ショウガイ』を打破出来れば、と考えてる日々です。それが『ショウガイ』のある方々のお陰で生計を立てている自分の最低限の使命だと考えています。余計なお世話なんでしょうけど。
life_is_beautiful
2006/06/19 05:16
 Drさんが指摘された就労問題には『グランドデザイン法案』以前から悶々としています。『福祉的就労』という名の下の『囲い込み』や『搾取』の日々を目の当たりにしつつ、確固たる存在感のある方々を目前にすれば自分ら福祉職や雇用者の問題が明確となるんです。こうした問題を告発しても、何ら埒が明かないのは行政が加担しているからです。3権分立は何処に行ってしまったのでしょうか? 今日では『アサヒ訴訟』の最高裁判決自体が違憲と見なされてしまうのかも知れません。最賃法の適用される一般社会との乖離然り。『厚生省』+『労働省』⇒『厚生労働省』となった日には期待したのですが、変わったのは作業所も小規模福祉法人格が取得出来る(簡単に言えば)だけであり、働くショウガイ当事者の利益には結び付きませんでした。あの時の落胆は忘れません。誰の為の制度なのか? 何の為に働いているのか?
life_is_beautiful
2006/06/19 05:18
 消費税増税額を社会保障費に補填しようという知的障害福祉協会の方がいますが、言語道断です。年金+賃金や工賃(最賃法未満なので『給与』じゃないようです)、所謂所得は生活保護未満の方々が画一的な増税の対象になる消費税なんて言語道断です。消費税は消費者全員、3歳児にも課されるのですから。生活必需品などが除外されるなら、まだしもそうした議論じゃない。『福祉目的税』などの名目に誤魔化されちゃいけません。そもそも細川内閣時に『国民福祉税』として消費税導入が目論まれ、拒まれたのですから。税金の使い道を整理するべきです。『福祉』という曖昧な言葉が容易に用いられるのも不愉快です。『福祉』=『幸福』であり、『社会福祉』などは情勢により変わるものであることは、ナチスや戦争加害者被害者である日本国民ならば、その曖昧さを危惧する筈なのですが。『福祉』は特定の方々の為の言葉じゃないし、国民誰もが対象であることを、国民が自覚していない。社会保障=特定の方々だけのもの、と誤解されているように。言葉本来の意味が失われている現状には危機感は募る一方です。
life_is_beautiful
2006/06/19 05:19
 話が逸れましたが、『一般就労』がゴールとなることで日本各地の搾取や虐待は問題とされませんでした。水戸事件然り…。あれから、この国は変わったのか? むしろ悪化しているように思います。地域特性はあるでしょうが、基礎的自治体が市区町村となることで、ますます責任放棄が助長されているように思うのは、自分がひねくれているだけではないと思います。『障害程度区分認定調査』を民間団体に丸投げする市区町村は後を絶ちません。それだけでなく、調査が民間団体であることの通知すら、なされていないのです。インテーク段階の責任所在を曖昧にしようとする意図を感じます。これは国<都道府県<市区町村という枠組みの功罪でもあります。
life_is_beautiful
2006/06/19 05:19
 また論点が逸れました。すいません。自分の頭をデフラグしたいものです。自分には『重症心身障害者』と呼ばれる従兄弟がおり、彼が社会で担える役割は何だろうか?と考え、ショウガイ福祉分野に就職しました。未だに答えは見つかりませんが、彼は既に見出しているのかも知れません。標準語>地方言葉、『健常』>ショウガイ、生産性や結果主義を重んじる社会では説明が困難ですが、諦めません。要は人としての実存をかけて、目の前の人と如何に向き合うか、だけだと考えています。人の生育暦や喜怒哀楽の歴史、願う生き様にどのように寄り添うのか。未だに答えや方程式は見つかりませんが、当たり前です。自分の生き様は細〇氏に委ねようと思いませんから。七転八倒する個人を尊重し、個人の生き様を保障する社会や政治でなければ。最近言われ始めた『再チャレンジ』とは別の次元ですが。
life_is_beautiful
2006/06/19 05:20
lifeさんコメントありがとう。
正直にいいます。ワタシは不勉強です。障がい者についてのワタシの浅い知識や、(皆無に近い)接した時間ではコメントに答えることができそうもありません。大枠わかるのですが、lifeさんの微妙な「肌感覚」が想像できるだけに「分かったようなふりをして」安易に答えることが憚れます。ただ言えるのは、障がいを持った人の存在はワタシに「生きる」ことを問いかけてくる、ということです。(もちろんそんなことが障がい者の存在意義なんて思ってもいません)。一度「ワタシにとっての障がい者」で記事を書こうと思ってます。(書けるかどうかわかりませんが…)。少しずつでも勉強したいと思います。またいろいろ教えてください。宜しくお願いします。
dr.stonefly
2006/06/19 17:33
今ふうにいえば、「弱者と強者」は、「負け組」「勝ち組」という表現になるのかもしれません。
ただ、「社会的」と枕詞をつけるのには、自己責任論ですまされない社会的な障害・障壁を抱えざる得ない人びとに対して、あえて「社会的弱者」という表現を用いることで、この国の社会保障制度の欠落を指摘したいというのが、わたしの考え・想いであり、ひとつの表現方法なんです。
「社会的弱者」と「弱者」は違うという認識...
2006/06/25 03:35
冒頭で「勝ち組」「負け組」を登場させてしまったので誤解を生んだようですが、=「弱者と強者」とは思ってません。
「社会的弱者」という言葉が「社会的強者」からの視点で発せられる言葉という意味で記事を書きました。が、「社会保障制度の欠落を指摘したいという考え、想い」を否定するものではありません。
ただ、「障害者」と誇りを持って言えるのと同じように、「社会的弱者」と誇りを持って言えるのかどうか、ワタシには解りません。
dr.stonefly
2006/06/25 06:11

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