「嫌われる勇気」と傾聴

最初に読んだのはいつだろう?
奥付に2014年6月11日の第13刷とあるから4年近く前のことだ。
「かなりいい本」というイメージがあったのだが、詳細は忘れていた。
今回、友人に貸すと約束したので、ホントに「いい本」だったけと読み直してみた。
本は「悩める青年」と「哲人」の対話という形式をとっていて、アドラー心理学を哲人が青年に伝授するという内容。
読み直してみて、やはりいい本だと感じるが、多分以前の「いい本」とかなり違ったニュアンスで「いい本」だと感じている。以前と今では何が違うかといえば、「傾聴」の学びはじめる後か前かという違い。
傾聴を学習している今では、単に「いい本」から「めっちゃいい本」に変わった。
傾聴の学習をはじめた今読み直すと、「アドラー心理学(以下アドラー)」と「傾聴」は親和性が高いのではないかと感じている。傾聴する自分(以下傾聴者)を識ることにおいても、苦悩する話し手(以下話し手)を識ることにおいても収穫の多い本だと考える。

さて、さっそくアドラーと傾聴が親和性が高いと感じたことを書いてみたい。
たとえばこんな感じ。
リアルでは、話し手は悩み、苦悩を話す。それを傾聴する。
話し手は言う。過去に強烈に悲惨な出来事がありそれがトラウマとなり今の苦悩から逃れることができない、と。
親からの虐待やら、友人の裏切り、DVやらレイプ被害ってこともあるかもしれない。
うわ、ひどい、これは立ち直れなくても仕方ない、、、と傾聴しながらつい感じてしまうようなこともあるかもしれない。実際にある。
傾聴者にも話し手の明るい未来は全く見えず、聴きながら「絶望」する、みたいなこともアドラーにおいては「希望」に変えることができるのだ。ね、いいでしょ?
ちなみに絶望するほうをフロイト的な「原因論」、つまりトラウマになるような原因がありそれゆえに今の苦悩がある、という。これがアドラーの論になると「目的論」となり話が逆になるのだ。
例えばもう少し具体的にいうと、引きこもりの青年がいたとしよう。彼は過去の子ども時代の親の虐待が「原因」で引きこもるというのが、フロイト的な原因論。そうではなく、アドラーによると引きこもるために、過去の『親の虐待」を利用しているという。まず「引きこもる」という「目的」が一番にあるのだそうだ。それは、過去に虐待していた親に今、仕返しをするために「引きこもって」親を困らせるという「目的」なのだという。これは見方を変えれば、「子は親を救うために心の病になる」になる。親への復讐なのか親の救済なのか、という違いはあるが共に「目的論」だな。

これを実際に傾聴でありそうな(例え話)話し手の発話にあてはめるてみる。
今の自分は仕事がなくて苦悩していて、その状態が嫌で「変わりたい」けれど「変われない」という。「変われない」理由は、過去の職場でイジメにあいそれがトラウマになっているから、と話したとする。
フロイトはイジメのトラウマが原因で今仕事ができないのは仕方ないなぁ、となるのだが、アドラーは、今仕事をしたくないために過去のイジメを理由にしている、というのだ。因果が逆になる。
アドラーは言う。「変われない」人はみずから「変わりたくない」と思い込んでいて、「変われない自分」を保持しようとしている。だから「変われない」のである。そして言い訳(理由)として過去をつかう。
それは「変わろうとする」ことで生じる不安より、また変わろうとしても変われなかったときの恐怖心よりも、不満はあるものの変われないでいる自分のほうがいいとし、安定しようとしているからである。と説明する。
劣等感(正確には劣等コンプレックスというらしい)に悩んでいる、って人も、劣等感を理由に踏み出そうとしてないだと一刀両断するのだけど、実際にそうだよなぁと思う。いろいろなコンプレックスを想像してみてもそうだろう。
大学におちようが、彼女うに裏切られようが、全身が麻痺しようが、乗り越えてイキイキと生きている人は実際にいるのだから。
本では「劣等感にさいなまれる悩み多き青年」がいろいろな「悩み」を披露して、それをベースにアドラー的解決をするのだけど、青年の悩み以外にちょっと興味深い例をあげておこう。
そぉだなぁ、場末の呑み屋にもよくいるんだけどww、やたら自慢する人、笑。この自慢もやはり劣等感と同類のもの。現状の課題の隠匿とその課題に立ち止まっていることの理由として自慢している、という解釈。ほかには不幸自慢する人の心理も同じという。不幸自慢は、自分が不幸であることを披露することによって、自分が「特別」であると思い込み、その一点において人の上に立とうとすること。さらには「おまえなんかにオレの不幸がわかるものかよ」っていうのは、自らの不幸を武器に相手を支配しようとする心理、らしい。同情するのは罠に嵌まるようなものだ。

とはいえ、当然だけど、傾聴において仮に「話し手」がこういう態度をとっても絶対にその心理の指摘してはいけない。話し手は他者の指摘によって解ることではなく、それを乗り越えるのは話し手自身の課題であって、傾聴者の課題ではないのだから。ただね、傾聴者側としてはわけもわからず、自慢やら不幸自慢を聴くのはかなり耐え難くシンドいパターンとも言える。そんなときも話し手の心理状況がわかれば、冷静に傾聴することができる、という意味での紹介。

アドラーと傾聴の親和性を感じるは、過去のトラウマを理由に「変われない」というフロイトよりも、勇気をもって踏み出せば「変わることができる」とうアドラーのほうが傾聴者にとっても希望をもって聴くことができる気がしないか?
いずれにしろ「傾聴」とは聴くことしかできないのだが、絶望を感じながら聴くよりも希望をもって聴いたほうがずっと善く傾聴することができる気がする。
またアドラーは、人が変わるために、変わる方法を他者から与えられたものは、しょせん対処法であり、なんの価値もありません、と喝破する。傾聴がアドバイスなどしないでひたすら聴き、話し手の持つ力を信頼する、話をすることで勇気をもってもらおう、ということもアドラーと傾聴は通底するではないか。
さらには、アドラー心理学とは他者を変えようとする心理学ではなく、自分が変わるための心理学なのです、と言う。話し手自身にもいえるし、傾聴は他者を変えようとする作業ではなく、自分が変わるための作業なのです、と傾聴者側の立場としても当てはまる。

さてアドラーには「課題の分離」というのがある。
アドラーは「課題の分離」をしろ、というの。課題ってのは人生でやるべきこと、問題の解決って感じかな。
それを分離しろとは、「自分の課題」と「他者の課題」をきっちりと分けろ、とね。
もうちょっと分かりやすく言うと、他人のために何かをするなんじゃない。絶対に他者のためにはならない。むしろ害である。
たとえば、親子でも親が子どものためにあれこれするんじゃないよ、ってさ、爆。
自分の課題は自分で勇気をもって進んでいくしかない、ってこと。
まあ、自己(親)は、絶対に他者(子)の人生を変わりに歩くことはできないし、他者の問題は他者にしか解決できない。それどころか、他者の課題に介入することは他者を支配することになるというわけ。
支配というのは他者がいての自分、他者基準での自分を測るということで、それは自己の人生ではない。
それに支配関係ってのは隷属関係って聞こえて、イラっとするのはボクだけだろうか?
他人のために良かれと思って、ってのも上下関係に結びつき、結局はトラブルになるなんて日常茶飯事だよね。
あらゆる対人関係のトラブルは他者の課題に土足で踏み込むこと、自分の課題に土足で踏み込まれること、によって引き起こされるってのは、妙に納得する。
傾聴も他者の課題を他者自身の勇気でもって乗り越えていく「きっかけづくり」ぐらいで、他者の課題に介入してはいけない、ってのもアドラーと一緒だ。
きっとね、傾聴するといくことは傾聴者にとっても「自分の課題」と対峙しているんだろうなぁ、とふと思ったりする。
そして、この課題を分離するということは、他者からの承認も求めない、ってこと。
承認欲求の否定だな、笑。
なぜか? 承認を求めていくということは他者の課題に自分を合わせることだから。他者の課題に合わせるということはつまり、他者の人生を歩んでいるということで、自分に「嘘」をついたまま生きていることになる。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない、とアドラーは言うのだ。
この課題の分離は、他者との競争もダメだという。承認欲求がダメというのと同じ理由だね。
実際のカウンセリングに来る人(話し手)は、自己の課題と他者の課題と分離できてない人が多いんだって。
カウンセリングを受けに来る人にわがままな方はいません。他者の期待、親や教師の期待に応えようと苦しんでいる、自分本位にふるまうことができない人である、、って、これも傾聴をしているとよく感じるところで、アドラーと通底するよなぁ。

他者を褒めたり、叱ったり、そしてなにより「説教」などwwとんでもない。これらは上下関係ををつくり他者を支配することで、自己を隠蔽する行為。課題の分離ができていない。
褒める、叱る、説教、アドバイスをしない関係をアドラーは「横の関係」と言うんだ。
横での関係とはやはり他者との関係はなくならない。当然だな。他者の課題に土足で踏み込むことなく関係をつくるのを横の関係としている。
で、横の関係に基づく援助のことをアドラーは「勇気づけ」と呼んでいる。
悩んでいる話し手が課題を前に踏みとどまっているのは、課題にいどむ「能力」がないのではなく、純粋に「課題に立ち向かう“勇気”がくじかれているだけ。そんな話し手に横の関係で「勇気づけ」する実際の方法のひとつが、「傾聴」だと考えるのだけど、どうだろう?

傾聴を学ぶにあたってかなり参考になる本だと感じるので、紹介してみました。

もちろんこの本は、もともと傾聴のための本ではなく、自分が幸せになるため、に繋がっていき、そうしたことも書かれている。そんなこんなに興味のある方も読んでみたらいかがだろうか? もちろん強制も要望も推薦もしませんが、、、だって読むか読まないかは、「あなたの課題」だもんね、笑

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