「晴天の迷いクジラ」窪美澄 読了

 多分なのだけどほとんどの人は社会と、つまり他者と折り合いをつけて生きている。折り合いをつけるよう教育されたゆえなのか、人はもとより折り合いをつける性を持ち合わせているのか、これまで折り合いをつけるほどの摩擦に出くわさなかったのか?
 いずれにしろ、ほとんどの人は、そんなもんとしてそうして生きている。
 それでも折り合いをつけることができなくて、つまり生きることができないくて自殺する人もいる。それは99の折り合いをなんとかこなしても、1つの折り合いがどうしてもつけられないせいかもしれない。それで生きることをやめる。
 そうした人が多いといわれるニホンでも年間たかだか0.0003%、うん、1億のうち3万ていどの「微々たる数」なのだけど折り合いをつけることができなくとことん追い込まれた。
 もっとも自殺まではいかないけれど折り合いをつけることができない人になると、もっともっと多数になるんだろうな。
 ボクもやはりそんな一人かもしれない。
 たったひとつの折り合いがつかないことに出会うと結局黙ることになる。
 どうしても迎合することはできずに黙る、裡への逃避。その黙ることは折り合いをつけていることとは違う。そのたったひとつの折り合いがつかないことこそがボク自身の個であるのかもしれない。黙ることは自我の裡への逃避なのか? 

 物語のなかで、個を消し折り合うよう強要された3人は、それでも折り合いをつけることができずに逃避した。ネグレクト、過干渉、親の病を治すために病になりそれでも親は治ることはなく、自らの生命を断とうとした。
 そんな3人は出会い、湾内に迷いこんだクジラを見に行く。3人が捨て身でクジラに引き寄せられた。クジラをみつめながらいつしか3人は家族になり、すこしづつ個にたどりついていく。折り合わなくてもいい居場所がそこにあった。
 そんな3人はクジラをみつめていた……
 
 クジラはなぜ湾内に迷い込んだかは解らない。捨て身だったのかもしれない。死を待つだけなのか、湾内からでようとしない。傷つき苦しんでいるようにみえるクジラはそれでも湾内でのたうちまわる。狭い湾内という「折り合い」に囚われるかのように。
 そんなクジラは3人をみつめていた……

 ボクは折り合いをつけることのできないたった一つことの向こうにこそホントのことがあるような気がしてならない。だから折り合いをつけられない一つのことがあったなら、それは死ぬほど苦しいかもしれないが、でも実はとても幸せなことだと感じています。ホントのことを知ることができるかもしれないのだから。
 
 

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