おとなの発達障害

 新聞の片隅にのっていたセミナーの案内にツレアイが反応し、ワタシも受講したいなも、と事情がマッチしたということで申し込んだ。デパートへの強制連行ではなくこういふデートができるから気楽なのかもしれない。
 ところが、当日はタイフーンだった。やめとこか、という話もでたから、まあ、まだ雨風はさほど強くないのでいったわけだが、なんとも駆け足の三本立ての嵐のようなセミナーで、解ったのか解らないのさえ解らない。
 で、なんの三本かというと「大人のADHD」「認知行動療法」「産後鬱」についてで1本40分!! もう無理、って予想通り、外の強風のごとく超早口でどんどん進められたもんだから訳わかめ、笑。
 でもなんとなく、初めて聞いたことや、気になった言葉があったものだから、ちょいとメモをしておこうと思う。

 最近ちょくちょく話題になる「大人の発達障害」なんだけど、実はちょいと気になっていることもあるわけなのだが後にする。
 さて、発達障害の具体的な症状として3つあるらしい。「多動」「衝動性」「不注意」だそうだ。
 まずは「多動」ってことで“貧乏ゆすり”“目的のない動き”“落ち着きがない”ってのがある。それから「衝動性」ってのは、“思ったことをすぐ口にしてしまう”“衝動買いをしてしまう”。最後の「不注意」は“仕事でケアレスミスをする”“忘れ物失くしものが多い”“時間管理が苦手”“仕事や作業を順序だてて行うことが苦手”ってことだった。
 これら「症状」を聞いてかなりドキっとしたのは「思ったことをすぐに口にする」、、って、これワタシじゃん。とくにギャグ(親父ギャグ、ダジャレではありません)を考えつくと言わずにいられない。それとさ、最近ではかなり減ったのだけど、ケアレスミスも多いんだよね。子どもの頃を思い出しても授業中の「集中力」は限りなくゼロに近かった。もしかしたら「衝動」と「不注意」の混合の気があるかもしれないなぁ、、と考えを巡らせたりしている。現実のクライアントでは「不注意」の症状が90%らしい。さてワタシはいかなるものか?
 セミナーで知ったんだけど、今時ネットなんかでも自身が発達障害かどうかを質問に答えることによって解る「ADHD-RS-IV」やら「ASRS-V1.1」ってなんてものがあるらしい。それらを、まだやってないし、あまりやる気が起きない。
 セミナーを聞いていて思ったのは、発達障害的な症状があって「日常生活」で困っているかどうか、ということ。困っている人も多いという想像は容易だな。
 例えば会社員で、「不注意」な症状があって会議の書類作りや営業や事務に支障をきたす、とか「衝動」的な「いらんこと言い」をしてしまって人間関係に支障をきたすとかね、上司に叱られたりして、、、、、その点ワタシはまったく困ってないわけだ。上司のいないひとりっきりのフリーランスだし。客に対して、その場でいわなくていい「ギャグ」を言ってしまっても常に馬鹿受けするし、ブラッキーを隠したアンニュイな高度なギャグ(あくまで親父ギャグは言わない)がわからずワタシのことを非常識だと思う常識人に対しては解らないほうが悪いと思うわけで、ワタシは何も困らない・・・。
 実際にメンタルクリニックを訪れるクライアントは、困っている人が多いと話された。来院前にネットなんかで調べ倒して、努力しまくってから来院するようだから、初歩的なことの説明もしないことが多いとのこと。で、診断して「病名」がつくとホッとするというから、「発達障害かもしれない」という悩みに振り回されている気もするな。はっきり困っている原因が解れば対策のたてようもあるし、どうやら最近では、症状を軽減する「薬」もあるらしい!!
 
 でもね、・・ここ聞き耳をたてたんだけど・・・ドクターいわく「治療もいいことばかりじゃない、メリット、デメリットがある」だそうだ。このメリット・デメリットに特に説明がなかったんだけど印象深い。なんだろうかと想像してみる。
 で、勝手な想像ではあるが、ほれ、実は発達障害だったって有名人も多いわけで、織田信長やらモーツアルトやらアインシュタインやら長嶋茂雄やら、たぶんさんまちゃんも「それっぽい」気もするが、個性的な「能力」だと考えれば、その個性的な能力を「治療」によって殺してしまってはいかにももったいない。一般的な会社の仕事がこなせるようになったから何? それ普通でツマラぬ(←言わなくていいギャグ)【一般社会】に適応できるだけじゃね?、みたいなこともあるだろうしなぁ。そうした【適応】ってどうなん?
 しかも、ブームに踊らされてかどうかしらないが「ちょっとしたことで治療」にも来るらしい。つまりさ「ちょっとした個性」でさえ矯正しようとしてしまう始末。そんなんで人生、面白いのかね? 
 治療する「薬」もあるなんてさ、カッコーの巣の上でよろしく、自らロボトミーかよっ、とツッコミたくもなる。均一、基準的、標準的、常識的、会社的という価値観にただ従順に適応できるヤツで溢れかえったらワタシなんぞ死にたくなるよな。もう「生きる」の本末転倒だぁ〜!!ってね。
 こうして考えてみると「発達障害」というのは、ある狭義の「価値観」に適応する「発達」に難ありというだけでにすぎないわけだ。でもまあ、狭い価値が大勢で多数のわけで多数常識のハラスメントにあえば、しんどくなるし辛いわな。
 というワタシも正直にいえば、「発達障害」のおとなの「症状」にイラっとすることもある。イラっとしている自己を俯瞰して、あらら狭義に価値観に毒されているバカがいるなぁ、と自己観察でもしてみるかな、あれ?俯瞰している自己本人はバカじゃないのか?ケケケケケケ、と、こういうギャグを言わずにいられない「衝動」を抑えられないのである。
  
 おっと、とりあえず、この最初のセッションのなかで一番メモしたかったことをわすれないうちにしておくと、
「カウンセリングとは自己(クライアント)の内的な会話を、他者(カウンセラー)に手伝ってもらうこと」。
 これ傾聴と繋がりそうで特に聞き耳を立てた部分、ってエントリーの内容と別モンやないかぁ、、、と自分でツッコんでおくとしよう、笑。

"おとなの発達障害" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント