「一九八四年」(ジョージ・オーウェル)読了

 まったく読書などしなかった小学生6年の頃、星新一の短いヤツに出会って本を読み始め、お決まりの筒井康隆や小松左京などに移行したおバカ系のよくあるヤツなわけで、SF系のながれで当然ジョージ・オーウェルの名は知っている。知ってはいたが読んではいなかった。いや中学校のころ読み始めたがすぐにやめた気がする。また仮に読み切ったとしては当時のワタシには解らなかっただろう。じゃ、今は解っているのかと聞かれても、さぁ?、としか言えないのだが^^;
 前のエントリーの「沈黙」(遠藤周作)を買おうと本屋をぶらりとしていると、黄色の帯が目に入った。

「トランプ政権誕生で再びベストセラー!世界の「今」を予言した傑作古典」

 がははははっ、はっ、らしいです、笑。
 先鋭のサヨっちが狂喜乱舞しそうで、気のいいウヨPが全否定する感じだな。
 単一政権の全体主義による個の思想弾圧、ナチやソビエト共産党、、、どころではなく、とことんまで追求した「人間改造」を描いている。
 まあ言ってみれば、いっしょに買った「沈黙」と同じコンセプトなのだが、沈黙のなかのロドリゴは拷問による権力の虚構の植え付けに表面的には転んだかもしれないが、裡の裡は解らない。植え付けられてもなお「人間性」はあると見受けられる。
 に、たいして「1984年」のウィンストンは、「ビッグブラザー」の党の虚構に植え付けられたというよりは、「虚構」そのものになった。まるでカッコーの巣のうえでロボトミーにさせられたマクマーフィーのように、あるいは時計じかけのルドヴィコ療法をうけたアレックスのように、「人間性」そのものが剥奪される。
 党のスローガンは3つ

 戦争は平和なり / 自由は隷属なり / 無知は力なり 

 党の目的やそのプロセスやその経緯や、スローガンの意味が事細かに書かれているのがこの「1984年」である。
 1984年も沈黙もカッコーも時計じかけも権力の単一の「虚構」によって個の「虚構」が封印される・消滅させられる物語。という意味では同じなのだが、これでもかいうほど全部書かれちまったという印象。
 個人的にずっとアタマのなかにあったのは、「人間は虚構でできている」である。この「虚構」が隠滅され殺傷されていく。とことん奪われた姿は「人間」ではなく、「サピエンス全史」のいうところの認知革命以前の「ヒト」でもない。
 こうした小説を読んでいると「人間は虚構でできている」ことが絶望ではなく希望だと感じさせる。ヒトは「虚構」を身にまとうことができるよう人間に進化した。それを実在と勘違いしなければ楽しむことができる。喜びや楽しみが虚構であるとしても、それに幸せを感じればいいし、苦しみ悲しみも虚構であることを識ればいい。ブッタのように自ら幾重にも重なった虚構のひとつひとうを滅却させなくてもいいではないか、だって人間だも、ということで。

 さて、帯のコピーである。トランプやら、、、権力の「虚構」よって個の虚構「人間性」が奪われる件についてなのだが、無理です。買い被りすぎ。ジョージ・オーウェルも草葉の陰で失笑しています。トランプちゃんも安倍ちゃんも「ビッグ・ブラザー」にはなれません。そんな頭脳も求心力ももちあわせてないでしょう。というか、彼らがビッグブラザーほど「権力」「人間」(虚構)を理解しているとは思えない。^^。
 しょせん全体はみえない近視眼なおやまの大将です。
 

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