越冬闘争突入集会へいってきた

秋に青カン(ホームレス)支援の連中と飲んだこともあり、久々に越冬闘争突入集会へいってきた。
以前はその集会の中心あたりにいたのに、、、結論からいえば、なんて場違いな場所にきてしまったという自省。ほんとうにそこで何かをする気がなくて、そこから何かを感じとる気が失せている自分を知り、そういうヤツが冷やかしでくる場所じゃないことを思い知らされた。
昔そこから離れたときのことを思い出し、離れるだけの理由があったことを思い出しながら、ユニオンからの訴えを聴き、青カンの現状を聴き、越冬実行委員の意気込みを聴き、シュプレヒコールに目を閉じる。
極貧で極寒の冬を越すために皆が集まり励まし合う、これって「共生」じゃね、とは思うものの、心底そこに同化できない。同化しようとして「共生」しようというのも白々しく感じてしまう。
「闘争」にももう気持ちがはいらないし、政治批判もなんだか違うような気がする。
やはり、そこが生活の場ではなく、そこに自分がいないことが大きいのだろう。
そこでの叫びも訴えも自分のことにならないのである。
真剣に聞けば真剣に聴くほど自分のなかの嘘つき感が滲み出る。

正直にいおう。
闘争によって何を勝ち取るのだろう。
根本の原因である普通の社会からやってきた支援は彼らに何を刷り込もうとしているのだろう。根本原因である社会をベースに闘って得るものは根本原因をはらんでいないか? いったん全てを失い、失ったからこそ見える(かもしれぬ)別の世界へ進むことを妨害してはいないだろうか?

そういえば、少し以前だが、公園で昼間っから呑んでいる青カンの会話がきくともなしに聞こえてきた。
「あの、夜回りってやつらが夜きてカイロおいてきやがってよ」
「馬鹿野郎、夜回りからはちゃんとありがたがって受け取って、お礼でもいっといてやらんと、可哀想だろぉが」
 可哀想扱いである、もうどっちが支援なのか分かりはしない。と思うとともに喝采しているワタシがいた。

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この記事へのコメント

愚慫
2016年12月30日 13:29
青カンの人たちは、その人たちなりに、社会に適応しているのだと思います。

その適応は、言ってみれば「裏道」なのかもしれません。
しれませんが、適応という尺度で見れば、別に裏も表もないじゃないですか。

「表」でなきゃいけない――これは【正義】ですよね。

なんちゃら闘争とかいうやつは、その【正義】にカテゴライズされんでしょう。
愚慫
2016年12月30日 13:33
続き。

〔適応〕という尺度で見るならば、
前記事の彼女は、〔適応〕に失敗したということですよね。

精確にいうと、【過適応】に失敗した、と。
毒多
2016年12月31日 09:34
おはようございます

>適応している

これはそうですね。
実際に冬の夜の外(越冬突入集会)へ行ってみると極寒で「これは耐えられない」と感じます。でもそれはワタシの感覚でかなり悲壮な顔をしていただろうのもワタシの方だったに違いありません。
青カンのほうにそれほどの悲壮感はなく、わりに淡々としているように感じます。身体が「適応」しているのでしょう。

ワタシの生活のほうが【システム】に適応「させられている」ような気さえします。

【過適応】が失敗することは心身にとっては当然の帰結のような気がします。経営陣自身は【過適応】しない。他者にを【過適応】強要する【システム】が跋扈してますね。

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