「9条を護る」・・・本当にそんな覚悟ありますか?

前のエントリーでのNANさんとのやりとりは心地良かったうえにレスが長くなってしまったので新たにエントリーします。
9条というのが、現代の「国家理論」からは乖離していてほとんどの国家にとって9条のような憲法はありえないのが現実、ってことは事実なんでしょうね(東ティモールという例外はありますが)。国家理論では武力による自衛が背景にあるってのが現実、ですね。それでも9条を護ろうというのは、非常に厳しく、困難なことです。前出のような国家理論のうえに国家が在るという認識で世界は回ってますから。9条を護るということは、あくまで極論ですが、他国により武力(戦争・暴力)侵略されても国家理論として準備された武力による抵抗はせずに、武力(戦争・暴力)による仕返しもしない。武力そのものを否定する、ということになり、具体的には例えば自分の家族を武力により殺されても武力による報復はしない。ということになります。(さらにその先まで言えば家族を殺した者を「許す」、までいくでしょう。ex.東ティモール)
こうした考えを持つということが9条を護るという意志になる。はっきり言って、こんな理不尽そうなことは、全国民に納得させることはできないでしょうね。サヨっちは本当にできると思っているのでしょうか? というよりも、まず自分にその覚悟があるのでしょうか? と問いたい。ちゅうかサヨっちのワタシは自問しなければならない。さらには、その厳しさは他者に強要するものか? とも思う。
それに比べて、現状の武力ベースで国家が成り立っているのは仕方ないのだから、日本もそうしよう、というウヨピーのほうが現実的で自分にも他者にやさしい。国内の誰の家族も殺され哀しい目に合わないようにちゃんと自衛の武力はもちましょうね、って言うんだから。こういうウヨピーの優しさは理解できる。(でも、自国の家族は守られても、他国の家族は殺されて哀しい思いをしちゃうかもしれないんだけどね。)

でもね、国家の理論ってのはそれほど単純じゃない。
時に自国民を護るより、自国の(経済的)繁栄を優先させる。たとえ国民が経済的繁栄のための戦争を望まず、戦争のない貧乏が善いといっても聞き入れられない。国内のいろいろな問題もまさに経済的理由で国民を殺していますね。それに権力を手中にした人間ってのは力を示したいし(暴力教師もしかり)、造った武力は使いたい、使わないために造ることはありえない。自国がそうでなくても他国(いまであれば中国かな?真実はおいておいて)は武力を背景に折衝してくる、これに対抗するのは武力だと考えるのが国家。で、戦争になっても結局、庶民が戦争で繁栄することはないし、傷つき傷つけることになる。しかも武力による力関係が決める世界では、ひととき武力により他国を押さえつけることができても武力の力関係が逆転すれば、報復されます。永遠に終わらない、負の連鎖。力関係が逆転しなくても泥沼化して皆が不幸になるのはアメリカが未だに実証し続けています。
このあたりが危惧するのがサヨっちなのかもしれません。で、根本的解決には現状の国家理論のような武力ベースじゃダメだ、ってのがサヨっち、、、、ってことになりますね、、、

ワタシの考えですが、戦争は国家の理論として成り立つだけで民間は戦争を望まない人が多いという前提で、民間交流と9条を護るはセットになっているんじゃないか、と思っています。国家権力で実際に力を握る人間は極々わずか、戦争嫌いな民間が全体の99%だとするとその民間が「みんななかよく」なってしまえば、国家が置いてきぼりになる(と信じよう)。サヨっちも、国家(権力)批判をしていても理論的にもそこで解り合えることはないわけですから、民間の全てがなかよくするって方向に走ればいいと、思っています、、、、、いまのサヨっちブログは友だちを増やそうという態度ではないので態度を改めてほしいものです、、、、友だちとして他国の拙いところは「拙いんじゃない」、と言えなければならないしね、、、というワタシはドリーマーです、、、ってより、「友だち」ってのが、小学校の教室みたいだな(笑)


NANさんからのもう一つの質問

>9条を護った後にどう国を導くつもりなのか?

本質的な意味で「9条を護った後」、、、であれば、既に国は導かれています。という意味で、9条はプロセスであり指標ですね。
【戦争を無くさねばならない】というテーマが真に共有できれば、9条を指標としてそこを目指しませんか、ということになるでしょ。ただの「指標」でなく、憲法になっているということは相当インパクトがあり、意味があることだと感じます。
まぁ、人間にとっての理想は永遠にプロセスと言われてしまえば、身も蓋もないのですが・・・爆!!


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この記事へのコメント

すぺーすのいど
2013年02月12日 12:59
こんにちは。

最近、ここに来ると新エントリーが上がってて、トップコメント入れられるのでついてます。

本文最後の1文は私の前エントリーのコメがほったんかな?考えすぎかな?

でも、実際身も蓋もないのでしょう。
僕はなんらかの宗教の信者とかではありませんが、理想と言うのは神の領域だと思います。
その不可侵で見えない領域に如何に近づくか、永久に更新していかなくてはいけないのだと思います。
すぺーすのいど
2013年02月12日 13:23
続き

この終わりなき更新に絶望せずに付き合う力を「強さ」というのではないでしょうか?

映画で観た、東ティモールの人たちに感じる強さも同じだと思います。
愚樵
2013年02月12日 15:24
「戯れ言」での議論がNANさんという新手のコメンテーターの参入を得て、活気を呈しているようですね。なによりです。

(私も昔、NANさんと邂逅した記憶があるのですが...)

毒多さんご存じの通り、私も護憲派です。でも、サヨっちではない。サヨは卒業した。が、護憲派は卒業していない。サヨじゃない護憲派ですね。

9条の条文についてはいろいろ議論があります。特に二項。交戦権の否認していては国家の体を為していない、とか。これについてはサヨから色々と反論はありますが、基本的に正しいと思われる。ここを認めることが大事。

そんでもって。ここから【理想】という話の展開になる。動かしがたい現実がある。戦争が絶えない世界がある。この現実を正しいとはいえない。だから、【理想】を目指して進まなければならない。

【理想】の形は人それぞれで、大まかに分けて右と左と分かれていて、互いに相互理解が難しく対話が成り立たない。

【理想】を抱く人たち。私が「アタマデッカチ」と評する人たち。右も左も同じなんですが、結局どちらも「人間はかくあるべし」と考えている。「かくあるべし」が【理想】であって、自分たちが思い描くその姿は【崇高】であって...、ってホントかよ? と思うわけです。違うだろ? 人間なんて崇高ではない。不完全な生き物ですよ。
愚樵
2013年02月12日 15:41
人間が勝手に思い描く【理想】なんて、どこまでいっても実現不可能でしょう。理由はカンタンで、そういった【理想】を実現するには、ヒトという種の情報処理能力が圧倒的に足らない。

秩序、それも明文化された秩序は、足らない情報処理能力を補うために生まれてきたもの。なので、そんなものに頼っているうちは、いくら【理想】を思い描いたって、実現で来っこないんです。

例え話で言うと、「ワープ航法」の現実性を議論しているようなもの。「ワープ航法」を【理想】で語ることはできる。でも、実現は不可能でしょ? そのような航法を実現させようとしたら、全宇宙にあるエネルギーをつぎ込んでも足らない...そんなような話をしているだけです、右も左も。

【理想】の話はもうやめましょう。ヒトの有限な情報処理能力で運営できる社会の仕組みを考えてみませんか? そこを考えることが出来れば、それは〈理想〉です。

そういう〈理想〉への道程に9条はある。脱原発もある。だから私は護憲派で脱原発。

人間を信じることと、人間の有限性を見極めることは矛盾しない。二項同体です。
愚樵
2013年02月12日 15:59
追記。

〈理想〉への道程は、自分自身との戦い。(特にサヨの)【理想】は戦いのない世界なんだろうけど、本当にそんな世界が実現可能ならいいんだろうけど、無理。だって、ウヨもサヨも、【理想】とやらを実現するために、外に向かって戦っているんだし。それなのに戦いで戦いを無くすなんて、無理でしょ。

他者との戦いを無くすには、自身と戦うしかないでしょう。その戦いを身をもって示したのが、ガンジーとガンジーに付き従った人々であり、東ティモールの人たち。そういう人たちも本当にいるんですよ。びっくりするけど。

すぺーすのいどさんは、理想というのは神の領域だとおっしゃる。ヒトのスペックを超える【理想】を求める、ということ? ではないですよね。神の領域≒終わりなき更新という意味のようですから。

「終わりなき更新」は『論語』の言葉で言うと〈学習〉になると思います。〈学習〉を継続することが〈理想〉への道。それは確かに〈神〉への道かもしれませんね。全知全能の【神】ではなくて。
NAN
2013年02月12日 22:27
記事内容や米欄の流れを受けて、まだまだ語り合いたい事があるですが…纏めきれてないので、後ほど米したいと思います

内容は?9条を護るだけでなく、実際の外交問題解決に活かす方法をウヨピー側から提案してみる&ウヨピーが9条をそのまま残すことに納得出来る条件みたいな事ですw
当然ながらドリームが含まれるのは悪しからず!

愚樵さんへ

秋原blogの体罰記事米欄で、kuronekoさんが自分の考えを述べる上で例として貴方とkuronekoさんのやり取りを紹介されており、また他のサヨっち系blogで自分が興味を持った記事米欄で何度かお見掛けした記憶はあるのですが(何せHNが珍しいw)、失礼ながら邂逅した記憶がないので教えて頂ければ有り難いです

ともかく!これからよろしくお願いします(^-^)/
NAN
2013年02月12日 23:33
邂逅の解釈を間違った…

「話し合ったことがある(知り合い)」みたいに捉らえていたが、辞書で確認すると「出会ったことがある(偶然)」という意味の可能性が高い…

恥かいたかもしれないw
毒多
2013年02月13日 08:46
すぺーすのいどさん

こんな過疎ブログで「1get」なんて、「つき」じゃありませんよ(笑)てなことはどうでもいいのですが、やっぱつっこまれましたか、最後の文節。
書いているときは自然に出たんですが、書いたとたんにすぺーすのいどさんのコメントを思い出しました。で、気を悪くするかな、と思って書きなおそうと思ったんですが、まあ、いいっか、ということでそのままエントリー。すみません。

仰るように完全なる理想の世界の到達先ってのは神の域かもしれませんね。だからワタシみたいな夢見るおっさんは「ドリーマー」になる(イマジンや佐野元春のsomedayを口付さみながらエントリーを書くww)。ドリーマーもいつまでもプロセスってことは解っている。解っているんだから、言葉にしてはっきり言わないでね、とはちょっと思う(笑)。でもいずれにしろ結局は、人間すべての理想郷ではなく「自分」がどうなのか、、ってことに帰結するってことでしょうね。
でもね、そのことに対して、「強い」という言葉になにかしらひっかかりを感じてしまうワタシがいます。なんだろうねぇ、、、また考えてみよっと。だから思索は面白い。
毒多
2013年02月13日 08:46
愚樵さん、どうも

>明文化された秩序は・・・、そんなものに頼っているうちは、、、

>そういう〈理想〉への道程に9条はある、、、だから私は護憲派、、

明文化された9条も憲法も「道程」に必要なもので、〈理想〉に近づけば必要なくなるんでしょうね。おそらく東ティモールにそうした明文化された9条のようなものはなさそうだし、、、ガンジーにしても言葉ではない、、のかもしれない。

「戯れ言」もすでに交友のあったサヨ諸氏に愛想つかされている気がしています。というところではサヨっちブログでなくなりつつありますが、でも、ワタシのなかにはサヨっちっ的なものがある。そしてウヨピー的な心情もあります(これを自分自身で認めるのに長くかかったなぁ“遠い目”。これを認めたくないサヨっちが、コメ欄に現れるウヨピーを完全否定するのでしょう。あれは、自分のなかにあるウヨピー的なものを全否定する心理の表れかもしれないな)。()書きが長くなりましたがw、サヨ、ウヨ、を乗り越えたものもあります。ただ、東ティモールというか、ガンジーのように本当に自分に向かう覚悟があるかどうかは、、、、解りません。エントリーの表題そのものです。本当にそんな覚悟ありますか?・・は自問です。

【理想】は他者に説得する、強要する、納得させる、、、、〈理想〉はそれぞれが自己と闘ったのち、他者と分かち合う、、、、【理想】は目標を決め到達を目指す、、、、〈理想〉は、分かち合えたのち、いつしか現れるもの、、東ティモールなんかは分かち合った具現化、、、ってな理解をしましたが、いかが?

毒多
2013年02月13日 08:46
NANさん

ウヨピー的提案楽しみにしてます。でも、ゆっくりいきましょうね。

愚樵さんはもともと学のある人なので、内容どころか言い回しどころか、難解な単語もちょくちょく出現します。ワタシなんぞ毎回コメを読みながら辞書を引いていますので、全然恥じゃないですよ。(ワタシと比較しちゃ失礼か!! 失礼しました、笑)

平行連晶
2013年02月13日 23:20
今夜、Dead Can Danceのライヴに行ってきました。

かつて敵同士であった国の人たちが奏でる音楽を、かつて敵同士であったであろう国の人たちと隣り合わせで、聴く。
平和と美に満ちた時間と空間に身を置いて、幸せを感じました。

私は、自らの裡に存在しないものは感じることは出来ないと思っています。ですから、絶望や憎悪が己の裡にあるように、平和や美もまた私自身の裡に在るのだと感じています。
今の私は、そのように感じています。

そして突き詰めると、私にとって平和とは理念でなく、どこまでも体感的なもの・実感と不可分なものだと。
今の私にとって大切なのは、この裡なる平和・美と共に在り続けるということです。
観念でなく、実感。そしてこの大切な実感の中には、憎悪や絶望も含まれている。私は自らの憎悪や絶望も、嫌わずに大切にしようと思い始めています。私の一部だから。

9条については、この実感を感受し続けるために「私にとって」必要なものであれば、共に在りたいと思います。不要なのであれば、静かに手放して構いません。

兵器も武器も、所詮は「器」ですよね。
その器を何で満たすか、なんじゃないのかしら。
平行連晶
2013年02月13日 23:54
大切なのは、
「私は戦わない、戦う権利を棄てる」
ではなく、
「なぜ私は戦わないのか、戦わないことは私にとって何であるのか」
ではないのか。

そして、そのなぜ/何は自分自身で探し見つけ出した、自身の裡にあるものでなければ、結局あてがい扶持の標語の域を出ないのではないか。

そんな気がします。あくまで私がそう感じるだけです。
NAN
2013年02月14日 00:22
ゆっくりと纏めています…己の文章力に絶望しつつ

ところで、前記事の米欄で城山三郎氏を知らないと言ってしまったので…新エントリーに行く際に【城山三郎について】かも?と思ったのは内緒w
すぺーすのいど
2013年02月14日 01:22
どくたさん。
ぜんぜん、怒ってはないですよ。
逆に意識して頂いて嬉しいくらいです。

もう遅いので長くは書きませんが、丁度昼間に読んだ内田樹氏のブログの記事を読んだ時に、このブログに書いたコメントを思い出しましたよ。

『『なめらかな社会とその敵』を読む』
…意識は分裂しているのが常態なのである。
それを無理やり統合し、足元のおぼつかない「一貫した自己」なるものを立て、その擬制に基づいて社会制度を設計したせいで、さまざまな対立や暴力や収奪が起きた。
それが「とげとげした社会」である。
鈴木さんの言う「なめらかな社会」とは未決定のうちに絶えず引き裂かれてある人間のありようを「デフォルト」として、それに基づいて設計された社会のことである(多分、そういう理解でよろしいかと思う)。…

生きている事は動き変わることだと思います。
変わる以上はまわりが固定していたりザラザラだと生き難い、そうゆう事なのだと私は最近は理解しています。
すぺーすのいど
2013年02月14日 01:29
愚樵さん、どうも。
島の生活は楽しく忙しそうで羨ましいデス。

そうですね。
私が神の領域という表現をしたのは、人類には決して到達出来ない領域だという意味でした。だから人類は永遠に更新?進歩?学習?していかなければならない。
でもそれは苦労ではない。
希望なのだと思います。
毒多
2013年02月14日 08:25
平行連晶さん、コメありがとうございます。

うーむ、と考えさせられるコメントです。
今の自分を感じなければただ虚しいだけ、とはホントです。
自らのなかに存在するかしないかの違いは、経験と感性によるものでしょうか? 正直にいえば、ワタシも9条をアタマで捉えることができてもカラダで捉えることはしてません(血肉化されてない、と言い換えれます)。9条よりも先のコメントで紹介があった、レイシストの裡なる叫びのほうが、解るような気もする。
東ティモールを持ち上げていますが、きっとまだアタマの範疇なのだろう、と判断しています。
そうした面で、時節の話題で取り上げるブログ記事など、我が事ではないアタマ先行のものなのかもしれませんね(>結局あてがい扶持の標語の域を出ない)(愚樵さんのいうところの>アタマデッカチ)。

素の感性、素の感覚を言語化できればいいのですが、、、なかなか、難しいのが人間なのでしょうかね

毒多
2013年02月14日 08:26
NANさん、おはようございます。

「旗降るな」は城山三郎さん詩で、ググるとまるごと引用しているブログなどがあり、ロハで読むことができますww
「サヨっち」、「ウヨピー」ってのも「旗」なんだろうな、と感じています。

毒多
2013年02月14日 08:26
すぺーすのいどさん、おはようございます。

内田くんはこのエントリーの愚樵さんの「人間なんて不完全」ってコメを見たのだろうか? 爆!!
彼は以前とちょっと変わってきたのかな? いい記事を書きますね。
ワタシも以前から感じていたアイデンティティってなんか嫌、ってのに通底しそうです。
不完全である人間を認めて、その上で設計された社会ってのは、不完全故に常に変わっていくってのは、すぺーすのいどさんの思想と同じですね。感服。

NAN
2013年02月15日 14:09
戦争を無くしていく為に「9条を護ろう」等の…

『理想』を訴えていくのはもちろん大切ですが…
『現実』の具体的な成果を求めていくことも大切なのでは?とも考えます

国民に「護って良かった!」と実感させる為に…

【以下…長~い前置き】

現在、日本外交には軍事に関わる問題だけでも…
拉致被害者の救出や領土保全や日米地位協定見直し等に加え、北朝鮮の核開発まで抱えているが…
このような情勢で、日本国民に「9条を護ろう」と単純に訴えても世論の反応は厳しいと思われる
//www.google.com/gwt/x?client=ms-kddi-gws-jp&gl=JP&source=sg&u=http://sankei.jp.msn.com/life/news/130124/trd13012419190021-n1.htm&ei=F_QcUZeoFc-KkgWBkICIDA&wsc=tb&ct=pg1&whp=30
(見れるかどうか不安)

そこで!自分はサヨピーに「9条を活かす」という方向性を提案してみる
なぜなら、軍事&経済&歴史問題で世界が日本を注視している現在の情況(久しくなかった)は…
逆に、60年以上も9条を護った『日本の実績』と、外交問題は交渉で解決する『日本の国是』を…
21世紀の世界へ向けて、新たに発信できる【大チャンス】と捉えるから!
その活動中に中国・南北朝鮮・露国が軍事行動を行えば、殊更に目立ち…世界の監視の元、日本に対して軍事的な挑発を行うことを『躊躇』させる事ができると信じてみる

【ここから→本題へ?】

「9条を活かす」には具体的に日本(人)が「どのような活動をすれば良いのか?」を述べる本題に入っていきたいけど…独り語りをするつもりはないので良ろしければ?お付き合い下さい(笑)
NAN
2013年02月15日 14:43
【追記】

「9条を活かす」には、具体的にどう活動すれば良いかを考察(思索?)するまえに補足すると…

自分がサヨっちや護憲派の方に提案する理由は…
日本の左翼系政党&市民団体&その支持者達の…
WW2後から現在の活動(アジア各国の政党&市民団体とのネットワーク作りや歴史問題への取り組み等)やその経験が…日本の姿勢を世界に主張していく上で「活きてくる?」と思いましたので(ウヨピーには難しい)

それに!そんなドリームを想い浮かべ、前向きに語るほうが個人的に面白いと思うε=(>ε<*)プッ
平行連晶
2013年02月16日 01:52
>NANさん

軍事にまるで疎い私が書くべきことでもないかもしれませんが、戦争を最大限回避するために他国の軍事行動について情報を収集し、解析を行い、その上で解析の結果を広く大衆に発信するという働きを護憲・左翼が担うべきであろうと思います。

情報収集にあたっては、軍事行動とリンクした他国の文化・政治、そして組織の特性を知悉する必要があり、同時に自国の情報を外に向けて発する必要も生じるでしょうね。民間レベルでの情報交換・共有です。
これは別に機密情報云々の問題ではありません。もっと基本的な「サイン」についての話です。

昔、ルイジアナ州バトンルージュで、ハロウィンの日に服部君という日本人が射殺されましたね。撃った男は服部君に「Freeze!」と呼びかけたそうですが、服部君は「Freeze!」の意味が判らず、男に近づいたため襲われると判断した男に撃たれたのです。

「Freeze!」の意味を理解した上で適切な対処をすれば、服部君は撃たれずに済んだ可能性があります。服部君を批判する意図は一切ありません。このようなディスコミュニケーション/情報の不足が、相手の発するサインを見落とさせている面があるのではないか、ということです。

そして、かかるサインに対して「いざとなったら腕ずくで」と考えるタイプの人間は、往々にして無頓着なものです。服部君の件を例にとれば、撃った方は自分のサインに対して適切な反応がなかったという時点でもう引金を引いてしまってるわけです。相手の真意を洞察する以前に。

だからこそ、武装の放棄を意志する者こそサインを適確に読み取らねばならないし、サインに対する情報を持っていなくてはならないんです。
平行連晶
2013年02月16日 02:37
明智光秀は視力が悪かったために信長の表情がよく読めず、彼の怒りを見落とし不興を買ったという説があるそうですよ。としたら、本能寺の変は光秀の目が悪かったから起きたのかもしれません。
この、目の悪いのが幅を利かせているのが今の右翼・左翼なんじゃないかという気がします。

戦争は基本、相手あってのものですし、相手の真意を読みそこなうととんでもない目に遭うハメになりますよね。

黒野耐の『参謀本部と陸軍大学校』によると、日本は日独伊露4ヶ国同盟を組んで米国を牽制しようと、独と同盟を結ぶ際に独・露が協調する旨について独の言質を取った(つもりだった)はずが、ご存知のように独が露に侵攻したために目論見は総崩れ、却って米国を完全に敵に回してしまったということです。

サインを読めず、自分に都合のよい思い込みで動くと、こういうドツボにはまるわけです。こんな読み違いを繰り返すようでは、困るのです。
少なくとも、対立国相互間の戦争に対する国民感情や基本的な軍事行動に対する解釈程度なら、民間レベルで交換できるはずだと思うんですがね。とにかくディスコミュニケーションの解消によって戦争を遠ざけるのには、兵器は要らないと思うんです。
対話の意志と、相手の言葉をきちんと聴く態度と、敬意があればね。

現状、マスコミは大衆の不安を駆り立てて自社媒体の情報商材を売りつけることしか考えてませんから、彼等の提供する情報はまるで信用できないのです。歪んだ情報からは歪んだ像しか得られません。
戦争回避を第一義に置いた情報提供・解析の機能が必要なんだと思います。「仮想敵国という視点が間違っている」とか言っている時点で、もうダメなんですよ多分。
愚樵
2013年02月16日 19:19
すぺーすのいどさん

ご紹介の内田さんの記事を読みました。「なめらかな社会」、イイ言葉ですね。

私が思うに、「なめらかな社会」とは「小さな社会」なんです、絶対的に。人間には「一貫した自己」をもたない分裂した他人を理解し受容する能力があって、その能力が十全に生かされると「なめらかな社会」にある。それが「小さな社会」になるのは、人間の情報処理能力に上限があるから。人間の能力の範囲内の「小さな社会」では、ことさら設計しなくてもデフォルトで「なめらかな社会」になる。人間同士の関係性の複雑さを処理できる。

ところが「大きな社会」になると、関係性の数は膨大になる。おそらくは指数関数的に増える。なので、人間の有限な処理能力で収めようとすると、関係性を単純にしていかなければならない。この「単純さ」が【秩序】というやつです。この【秩序】に適応すると(悲しいかな、人間は適応できてしまう。なぜなら、アタマがイイから!)「一貫した自己」なる擬制が人間の内部に生成されるようになり、「とげとげした社会」が生まれてしまう。

そんでもってもうひとつ残念なことに、「小さな社会」より「大きな社会」の方が生存競争をすると強い。これはごく簡単な算数で理解出来ますね。

人類社会はずっと生存競争をやってきました。自然を相手に、あるいは他の人間社会を相手に。そうした競争のなかでより強いものが淘汰され生き残ってきた。自然の摂理でしょう。
愚樵
2013年02月16日 19:21
だが、その淘汰が今や社会の内部に及ぼうとしている。強かったはずの「大きな社会」が劣化して「脆い社会」になってしまっている。そして当然、それでいいのかという問題意識が生まれる。こうした問題意識は右も左も、それぞれ別に持ってはいる。しかし、いずれも思考の方向性は【秩序】なんです。国権か人権かの違いはあっても【秩序】であることに変わりはない。

こうした状況の下で9条です。なぜ9条なのか。9条は矛盾している。矛盾していることに存在価値が在る。矛盾しているということは、すなわち【秩序】としておかしいということです。9条を敢えて護ることが、【秩序】を解体していくことへ繋がって行く。

こうした考え方は別に9条に限らない普遍的なものですよ。政治そのものがそうした矛盾を孕んでいる。政治家の究極の目的は、政治家と政治が要らなくなる社会を作ることでしょう。医者の見果てぬ夢は、医者が要らない世界でしょう。けれどこれは、政治家として、あるいは医者としてアイデンティティを確立している者にとっては自己否定であり矛盾。けれど、そのように矛盾を当たり前に内包した人間こそが自然であり、尊い。

9条を護っていくことの基盤になるのは、私たちはもう十分に豊かな社会で暮らしているという認識です。これ以上生存競争に力を注がなくてもよい、生存競争のための強くて大きな社会でなければならない理由はなくなった。それだけの技術は十分確保している、それどころか余計な技術まで手にしてしまうことになっている、これから必要なのは、余計な技術を選別し廃棄していく技術だという現実認識ですね。ここいらは平行連晶さんの議論に繋がって行くところだと思います。
NAN
2013年02月16日 19:40
平行連晶さん、はじめまして
コメントに感謝します。

【情報の発信について】

他国の軍事行動について情報を収集し、解析を行い、結果を大衆に発信する事は…思想に囚われない、仕事として行える者が発信すべきと考えます
その上で、どう対応するかを各々の立場で検証し…それを持ち寄って協議し、ベストな答えを導き出すべきだとも思います

【「サイン」について】

「サイン」がそもそも、自分の真意を伝える一つの手段で、読み違えば『お互い』に想定外の結果が生まれるのは当然で?
国家間等は主従関係ではないので、特に危なく…
「ディスコミュニケーションの解消によって(中略)敬意があればね。」には賛同するのですが…自分は、そこに『お互い』を強調しておきたい!

又、民間レベルの情報交換は、お互いの国がそれぞれの国民に「客観的な情報公開を行っている」という信頼が前提にあってこそ有効だと考えます
毒多
2013年02月17日 06:44
おはようございます。

NANさん、独り語りにはなりませんよ、というのは既にカメレスですね(笑)
なんだか、全てのコメントが繋がっていって、心地よさを感じています。「楽しい」は好きです。これぞ「小さなブログ」の「なめらかなコメ欄」、なんちゃってね。
NANさんがこれから語ろうとすることと、愚樵さんの「ちいさな社会」の溝がどのように埋まっていくのか楽しみです。
脆弱な【秩序】のうえの「大きな社会」がある現実の根本解決がドリームになると考えるのだけど、「大きく」なれば【秩序】になることと、歴史のなかで生成された「大きな社会」になっている(気がしているだけ?)という現実を埋めるのは、、、、相手を識るといういのは同意するのだけど、それでさえ現実には【秩序】に呑み込まれてしまうのではないか、、、、という気もする、、、、なんだか、書き方がsv400さんに似てきた、、、、

あ、「おっきな社会」が基準で「小さな社会」が駆逐されるのではなく、「小さな社会」(なめらかな社会)が基準でその繋がりでもって「大きな社会」になっていた、、、で、いいのか? でも、その「大きな社会」になることで【秩序】は生まれないのか、、、【秩序】が生まれることが必然だから、「大きな社会」にならないようにするのか、、、。でも、既に多数が「在ると信じている」大きな社会がスルーされるものかどうか、、、
NAN
2013年02月17日 19:08
ウヨピーは9条に関する国民投票では決してドリーマーに成れませんが…その前の段階ならドリーマーに成れると信じます

【9条を活かすとは?】

自分が想う「9条を活かす」とは=9条を外交交渉の手段として用いる事

【9条を用いるには?】

その為には、日本から積極的に『9条の存在』を世界へ向けて発信する活動が必要と考えますが…
日本の政府や政党や市民団体が、個々に横断幕や幟を作って国連本部でスローガンを叫ぶような…
『闇雲』な活動をしても?世界の国々や人々に正しく伝わるはずがない!
そもそも、9条は平和への「プロセス」であり→「ゴール」ではない(毒多さんに同意します)ので、人々に伝わりにくい

【サヨっちの出番だ!】

そこで、「戦争を無くそう」などの抽象的で漠然としたテーマで世界に発信していくのではなく…
日本の外交問題の中で、政府を通さずとも世界と『連携』して「交渉」により解決する事ができ…
尚且つ、解決に向けての行程が『絵』になりやすく、皆に「結果」が判りやすい課題を見つけて…
世界に活動&発信をする方が効果的と考えます!
注意点としては、9条を護る事が『前提条件』或いは『交渉条件』にする事で成果が見込め得る課題である事と、一国だけにしか利益がないような課題は駄目で、また国内世論が二分するような課題も相応しくないかも…

【相応しい課題って?】

ウヨピーが上記の条件で思い付く日本の課題は…例として思い付いた『敵国条項の削除』という話を語って締めようかなw

サヨっちなら、どんな課題が思い付くだろうか?
NAN
2013年02月17日 19:57
【補足】

『絵』になる活動とは?

人々が「アングリー」に相手へ「叫び」続けて目標に到達する事でなく…
人々が「スマイリー」に相手と「握手」を積み重ねて目標に到達する事w
毒多
2013年02月18日 08:35
おはようございます。

特にサヨっちの課題を上げなくても、なんだか、すでにNANさんがサヨっちに見えてきています(笑)。NANさんがウヨピーなら、どこがサヨっちと言い合いになるのか不明ですね。あれ? そうか、NANさんがサヨっち的に考えるって前提でしたっけ(笑)

で、課題とはちがうのかもしれませんが、「戯れ言」で相当前にエントリーしたのは、イメージ作戦でした。昔、海外での日本人のイメージは「メガネ」と「カメラ」だったらしいです。これは揶揄ですが、こうしたステロタイプ的なイメージは「使いよう」かな、とは思っています。つまり日本人のステロタイプ的なイメージとして9条を浸透させる作戦(キャンペーン)でいこう、ってのはどうだろう? ってエントリー。日本人=9条。9条バカな日本人って、揶揄されるかもしれないし、ピエロになるかもしれない。まあ、いいじゃないですか、自らがピエロになって他者に考えさせるってのは、結構おもしろいと思います。
少し前、ブータンの何やらさんが来日したとき「幸せ度数」みたいなのを耳にして、考えさせられました、あんな感じで、「9条」も考えてもらえればとりあえず始まります。
まあ腐っても経済的戦勝国である日本が、「戦争をやめよう」みたいな、まともなキャンペーンを張っても、反感を買うだけでしょうし、笑いを呼ぶピエロってのは、「スマイリー」にも合致しそう(笑)。

ただね、日本人ってやたらプライドが高い人が多いってイメージなので、ピエロ作戦では、国内でのコンセンサスが得られるか、どうか、、、とほほ。

NAN
2013年02月18日 23:21
毒多さん…大丈夫です!(何が?)

今は、映画版(劇場版?)ジャイアンモードで語っているだけですからw

ご期待に応えてみせます(何を?)

ただ…慣れない事をしているので、纏めるのに時間がかかるかかる(泣)

【「ピエロ」について】

ウヨピー?からすると…
『民主党外交』の全てがピエロ(小沢さんの肝煎りによる民主議員団による中国詣でとかw)に該当すると思うのですが…
やはり、相手に媚るような態度は違うのかもね?(最後に中国政府も日本の「これ以上は引けないライン」を見誤ったし)

「道化」を演じるには、国民の覚悟=コンセンサスが必要ですね→同意!

【追記】

サヨっちは民主党政権を左翼政府と思っているよね?(ウヨピーの不安)
すぺーすのいど
2013年02月18日 23:41
愚樵さん、お返事遅くなりました。

でもまあ、まったくその通りですね。

日本国憲法第9条の理念はとても普遍的なものだと思います。
だから本当は憲法に書いてあろうが無かろうが関係ないはずなんです。
書いてあるか無いかでしか判断しない出来ない点で、法律と言うものが如何に浅はかかの証明とさえ思えます。

しかし、私とて明日にでも自衛隊が無くなれば問題解決するとかは思っていません。
何事にも順序は必要でしょう。
基盤のない場所には何を建てても、いずれは崩れてしまいます。

大事なのは目的と手段を間違えたり混同したりしないこと、そしてあとは機を待つことでしょう。

最近私のまわりでいろいろな事が動き出しています。
それまではデンと動かなかったのにです。

あきらめずに機を待つ。

機を待っていることを忘れないため、9条はまもるべきでしょう。
9条の存在意義とはその程度じゃないでしょうか。
毒多
2013年02月19日 08:18
民主党外交が、ピエロかぁ、、、
ああいうんじゃなくてさ、、
うーん、
道化を演じるってのと、媚びるってのは
なんか違う気もするのだけど、、
ってので、思い出したのだけど、小泉のブッシュへの態度が媚びる、、って感じ。土下座なんてしちゃてさ(笑)

媚びて嘲笑されるんじゃなくて、道化てスマイルを呼ぶんだけど、ちょっと考えると深すぎて笑えないぞ、、、って線でいきたい(笑)



愚樵
2013年02月19日 16:54
すぺーすのいどさん

9条の理念が普遍的というのは...、まあ、それ以前に締結されたパリ不戦条約との類似性とか、いろいろ“証拠”はあるわけですが。ただ、交戦権の否認は普遍的ではないんですね。それは、もうひとつの普遍である「主権国家」という概念とバッティングするからですね。

このバッティングをどう捉えるか? 

より普遍なのは主権国家だというのがウヨ。そうではなく9条だというのがサヨだというのが、私のウヨ/サヨについての理解。で、どっちも普遍的ではないよ、というのが私の主張。

とはいえ、これらの概念が普遍だと考えられているという現状は認めていないわけではありません。

>何事にも順序は必要でしょう。

同意で、これは現状の認識から来ます。

>あきらめずに機を待つ。

現状は認めるけれども、永遠不変の真理だとは思わない。ここから「機を待つ」という構えになってきます。

>9条の存在意義とはその程度

そう思います。近代という時代精神の終焉に開いた、一過性の花みたいな感じです。それがどう実を結ぶかが問題で、花を咲かせ続けることは二の次。

まあ、もっとも、実を結ぶのは遠い未来の話でしょうが...
すぺーすのいど
2013年02月20日 12:40
愚樵さん、レスありがとうございます。
私は9条で主張しているのは「不戦」だと思います。
それを謳っている点が9条が普遍的だと感じているところです。それが個人でも国家でも「相手」と「戦う」事は普遍的ではないという考えです。
よって、普遍的な「不戦」とバッティングするのは、主権国家の偽の正義だと思うのです。
すぺーすのいど
2013年02月20日 14:20
前コメントの修正
普遍的である→普遍的な理想である
としてください。
NAN
2013年02月20日 16:13
[日本外交課題の一例]

国連憲章には『敵国条項』というものがあって…
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B5%E5%9B%BD%E6%9D%A1%E9%A0%85#s0(見れてるかな?)

問題点は、「国連(旧連合国)に敵国認定されている国が、ある国に侵略行為を行っている」と…
とある?国連加盟国に判断されれば、『安保理決議なし』に該当国へ武力による制裁が出来ること

【敵国条項を利用する】

中国が、尖閣のことで世界に「日本と戦争やむなし」とアピール出来る根拠は主に上記が理由で…
更に、日米安保よりも国連憲章のほうが格上だから「尖閣で米国は介入しない」とアピールしている根拠の一つでもあるw

【右翼側の懸念と理屈】

昨今の中国や南北朝鮮が、やたらとWW2の戦勝国アピールをするのは…
ある意味、死文化された『敵国条項』を掘り起こす為という懸念があり…
中国側の勝手な理屈だが、日本側にとってみれば中国の理屈が世界に納得されると堪らないので…
〔中国を中心に国連・米議会でロビー活動を行っているという有識者(青山繁晴氏等)の意見が〕

対応策の一つとして、米国に「日本の仲間で居て欲しい」ということで…
9条を改定し、集団的自衛権を認めるという理屈
NAN
2013年02月20日 16:15
【ドリームを目指して】

サヨっち(政党や市民団体や支持者)達が持てる力(実績&経験)を結集し、『敵国条項』を削除させることが出来れば…世界に大きなインパクトを与えることが出来る!
(シリア内戦→マリ等のテロ紛争→北朝鮮の核→中国の環境破壊→通貨戦争→敵国条項の削除w)

[サヨっちに勧める訳]

★9条の存在とその意義や日本のこれまでの対外姿勢を自然に訴えられる
★国内世論に異論が出にくい上に…場合によってはウヨピーも協力する?
★一度、活動がされた実績があり…世界に特異な目で見られることはない
★敵国認定国は日独伊三カ国だけではなく、更にみんな(各国の国民&政府&政党&市民団体)で手分けして世界(国連加盟国の3分の2の賛成が必要)に働き掛けていかなければならないので…横の連携が取りやすく、活動が世界で孤立しない
★目の敵にする米国政府と反目することなく交渉する経験が持てる(笑)

【世界にドリームを!】

この活動が成功すれば…

領土・宗教・テロ等の問題で殺伐としている世界に対し、一服の清涼と…
『軍事力』でなく『交渉力』によって解決する→新たなる世界の枠組みを提示することができる!

一方、国内においては…

日本国民に上手く交渉の「途中経過」を見せて、皆が活動を認知すれば…
結果が出る前に、人々は「9条を護っていて良かった」と実感するかもw

【9条を護り人を導く】

そのようなサヨっちの実績を見せ付けられれば…
『憲法改正』を国民&政治家は声高に叫ばない…
ウヨピーは沈黙して、再び左翼政権が現れるかも

【ところで…疑問が…】

機を待つ=傍観者になるという事ではないよね?
まあ傍観者なら衆院選後に「終わった、日本」とか言わないだろうけどw
愚樵
2013年02月20日 17:30
NANさんの提案は大変面白いと思いながら眺めていますけど...、ま、「無い物ねだり」に近いと感じます。今の日本にそんな能力はないでしょ...、たぶん。

ないでしょ、と思って眺めているという意味では、私は傍観者だな。日本が終わる、終わらないという与太話は確かここでしたような覚えがあるけど、それを蒸し返すなら、「日本が終わった」という認識がそもそも違っていて、「日本はまだ終わっていないから、さっさと終わった方がいい」ですね。

だいたい、国連の敵国条項なんが蒸し返されるということは、「まだ日本は終わっていない」ということでしょ。ここでいう「日本」は戦前からずるずると引きずっている日本のこと。ドイツのように「終わった」のだったら、敵国条項が蒸し返されたりはしない。

ドイツを想定して敵国条項が蒸し返されるなんてことは、ありえるかな...?

「日本よ、早く終われ」と横目で眺めつつ、「新しい日本」が生まれてくることに期待をつなぐ。それが「機を待つ」ということの意味だというのは、私の解釈です。

ただ、他人事とはいかないのは、「日本の終わり方」。のたうち回って周囲に甚大な被害を及ぼしながら終わっていくのはやめてくれと、ここは祈るような気持ちでいます。ぽっくり逝ってくれよ、と...。
NAN
2013年02月20日 20:43
愚樵さんへ

【戦争責任の所在って】

ドイツは、「ナチスが行ったこと」という見解で周辺国に謝罪している…
よって、終わったとは?
(敵国条項から外された訳ではないし、最近もギリシャ政府からWW2の賠償請求という話が…)

【愚樵さんの想う未来】

そもそも「新しい日本」って、「何か」が終わらないと始まりませんか?
「何か」が犠牲になって生まれる未来は→今の世界と一緒ではないかな…
すぺーすのいど
2013年02月21日 06:44
NANさん、はじめまして。

>機を待つ=傍観者になるという事ではないよね?

私が使った「機を待つ」はそうゆう意味ではありません。普段は自ら実践して居ればいいしそうするべきだと思います。ただ、機か熟した時はダイナミックに踏み込むべき、そのスイッチを入れることは、時期を待つ必要があるとは思っています。
愚樵
2013年02月21日 07:22
NANさん

人間の行為にはかならず潜在意識的な原因があると私は考えています。こういった原因はたいてい盲点なんですけどね。

それは一人一人の人間についてもいえるし、社会についても言える。「終わる」というのは、そうした原因を意識的に把握して盲点を明らかにすること、というような意味です。

なので、謝罪したから「終わる」わけでもない。

ドイツの「ナチスがおこなったこと」というのは、政治的な意味合いと、「終わる」ということの意味合いと二つあると思います。政治的というのは、ドイツという国家が存続していく以上、なんらかの言い訳がないと拙い、程度のことですね。

ちなみに私は日本にもドイツにも、一方的に戦争責任があったなんて思っていませんよ。主権国家同士の戦争はどっちに責任があったとかいう話ではない。ただ強い方が勝つ。戦勝国は、ただ戦争に勝ったということだけで、戦争責任から免れているだけのことです。

この認識はNANさんも共有していると思いますが。

もうひとつちなみにいいますと、主権対人民の争いにおいては、主権国家同士の「強さ」の基準は当てはまらない。このことはインド、ベトナム、アフガン、そしてティモールなどが証明してくれています。
愚樵
2013年02月21日 07:22
ドイツが「終わっている」というのは、ナチスのような現象がなぜ起こったのかということの原因を理解している、ということです。「終わっている」ということを周辺諸国も理解しているから、EU等ということもあり得たわけですよ。

ギリシャあたりがご都合主義で敵国条項を持ち出しているということらしいですが、これはドイツには好都合ではないですか? 敵国条項などという時代遅れのものがあるから、ギリシャのような手前勝手なところが手前勝手なことを言い出す口実になってしまう。ドイツならそう主張しても、説得力があるでしょう。翻って、日本は?

中国がご都合主義なのは間違いない。そんなことはどこの国だってわかっているはずです。

以上の文脈から「新しい日本」の意味も理解いただけるのではないかと思います。「何かが犠牲になる」という発想ではないんです。「何を犠牲にしてきたか」という方向性です。何かを犠牲にしてきたから、ドイツならナチスのような現象が生じた。日本では軍部の独走を許した。ドイツはもう起こさない。日本は再び起こしている。再び起こしているということは、戦後の右と左の論争は有効ではなかったということです。互いに誰かの所為にしているけれど、それでは「終わらない」。ナチスの所為だけれどナチスは自分たちが生んだのだというのと同様の思考が出来ていない。左の用語で言うと「総括」できていないんですよ。
愚樵
2013年02月21日 07:23
私の思う未来について、付け加えて置きますと。

「争いのない社会」なんてのはありえません。だが、「戦争のない社会」はあり得る。戦争というのは社会同士の争いですが、社会が個々人の争いを〈包摂〉することができるようになれば、その争いが戦争に至ることはない。

〈包摂〉は権力による【統治】ではありません。個人の間で争いが生じるのは、ひとりひとりの多様性が原因ですが、その多様性を社会の多様性へと融解させていく。そんなイメージ。内田樹あたりはよく“情理を尽くす”などと表現しますが、その方向性ですね。
対して【統治】は、多様性を単純性に帰着させるやり方。“白黒をつける”というのがそう。このやり方で行くなら、社会が個人を裁く必要が出てくるし、社会同士(国家同士)は裁けないから戦争をして、勝った側が裁くという方法を取るしかない。

でも、そんなのがもはやうまく行かないってことは、もう、皆さん薄々気がついているんじゃないですか?
毒多
2013年02月21日 18:06
NANさん

またまたバタバタしている上に、コメント管理という意識がぶっとんでいました。特にコメント規制を設定しているつもりはないのですが、NANさんのコメントが多数「保留コメント」にひっかかっていてご迷惑をお掛けしました。申し訳ありません。コメント保留にひっかかる理由が解らないので対処しようがありれません、バカbiglobe所以か? こまった。

不勉強のため国連の「敵国条項」ってのは知りませんでした。wikiでみてちょっとびっくり、まずお礼、ご教授ありがとうございます。いやはやすごい条項ですねぇ。すごいというか、ジャイアンがのびたにする命令みたいな、で、戦勝国ってのは、いまだ戦勝国って意識があるのか? 中国とかギリシャなの? それはそれで結構恥ずかしいですね。で、日本はその条項に怯えているの? いやはや、のびただ。そんな条項、陳腐だってことで堂々としてればいいのに、、、できないのが日本ってのは愚樵さんが書いてることか。
毒多
2013年02月21日 18:07
その条項があって、みんながその陳腐な条項を認めれば、撤廃するって活動も面白いかもしれないのだけど、面白いかな? おもしろいか、、うーん、、あんまりおもしろくないかも。なんか「陳腐な土俵」のうえにのってことさら問題視するのって、ちょっとかっこ悪そう、と思えてきちゃった。もし日本が戦勝国側だったら、「恥ずかしいからこんな条項やめようよ」って言うのは、面白いんだけど、敗戦国で不利な側が正面から「やめようよ」って言うのは、あまりワタシの感性ではない。
まあ、直にその「敵国条項」ってのを課題にするのではなく、「日本って善い国なのに、なんで、敵国条項に規程されてるの」ってのを世界の多数に認知された結果、「敵国条項」を撤廃される、って流れならいい。撤廃されたとき、日本は、あら、そんな条項あったんだ、知らなかった、、、とすっとぼけるとなおカッコイイし面白い、ってのはワタシの感性(笑)

何か具体的な目標を定めることなく、ひたすら「善い」人(国)であることを努め、その結果、周囲から信頼を得る、信頼を得た結果、周囲が動く(例えば敵国条項の撤廃とか・・)ってのがワタシの考えること。善い=ピエロって解釈でもいいです。

NAN
2013年02月21日 18:58
すぺーすのいどさん、はじめまして


米欄を読むかぎりは、スペースのいどさんの理想の社会は「なめらかな社会」だと思うのですが…

スイッチを入れた後に→

日本をそのような社会に導く為に、「どう活動をされるのか?」を教えて頂けると有り難いです。
NAN
2013年02月21日 19:29
愚樵さんへ

「ギリシャあたり(怒)が…中略…『総括』できていないんですよ。」?

『ネオナチ』という言葉を知らないことは「幸せなこと」と思うけれど…
愚樵さんの日本への評価は辛いですねぇ(苦笑)
NAN
2013年02月21日 20:47
毒多さんへ

【米なんですけどね?】

どこかに案内すると引っ掛かることが多いですw

【エントリーについて】

「9条を護る」ことは=「命を預けること」と…
自分には同義の意味で→
その「覚悟」が出来れば反対する理由はないが…
自分の踏ん切りが全くつかないので、9条を護りたいと思う方の考えを参考にしようという→勝手な理由で質問しましたw

【「ピエロ」について】

ウヨピーとサヨっちが、歴史教育や差別問題でぶつかり合うだけでなく…
「日本を支える共通テーマがあっても」というドリームを語ってるので…
「敵国条項」は、あくまで例の一つですよ(笑)

ただ、9条を語るとき…同じ日本人同士で意思の疎通も出来ないようなら
すぺーすのいど
2013年02月21日 22:50
NANさん

そうですね。
「スイッチ」という言葉は例が良くなかったかもです。

「機を待つ」と言うのは「手をこまねいている」ということでは無いと私は思っています、と言いたかった訳で。
どうゆうイメージかなぁ。
例えば固めた大きな砂山の裾を小さなスコップでほじっているとそのうち斜面が「ドッ」と崩れるじゃないですか。そんな感じですね。
チマチマほじってる内はいつになったら崩れるのかわかんないから、気の短い人は無駄骨の様な気がして諦めやすいんですけどね。
気長にコツコツとやってる、やってればいつか何かが起こる、それが楽しみ~みたいな。
そしていつか一気に崩れたら、その時はその勢いでいけるとこまで行けばいいんですよ。
どっちにしたってあとで揺り返しもくるだろうけど、その瞬間は同じ方向に進んでる人と手を繋いで喜びながら行けば良いんじゃないですかね。

それから、私は私自身は日本を導きたいとも導かれたいとも思っていません。
自分がやるべきだと決めたことを自分自身でやるだけですよ。

僕がやりたいのはなんて言うのかなぁ。
「みんな大好き!みんな大切!」
って、言いながら、笑って、手を繋いで、抱きしめて、楽しい話をして、飲んで騒ぐ…
そういったことでしょうかね。

人に向かって「貴方はこれをやるべきだ」とか「貴方はこれをするべきでない」とかハッキリ言って迷惑ですよ。そうゆうのが無いのが「やわらかな社会」なんじゃないですか?
自分は自分の道を行く。大事なのは他人が他人の道を行く事を尊重し邪魔しないことです。
NAN
2013年02月21日 23:17
すぺーすのいどさんへ

やりたい事については、自分が他人である以上?全てを理解出来ないが…

「日本国憲法第9条の理念は…中略…浅はかさの証明とさえ思えます。」
という考えに到った理由は、何となく感じることが出来ました

教えて頂き、有り難うございました。
すぺーすのいど
2013年02月22日 01:22
NANさん
いえいえこちらこそ、あいかわらずわけのわからん文章ですいません。m(__)m
愚樵
2013年02月22日 07:06
NANさん

NANさんの理解では、戦前のナチスが生じた原因と、戦後のネオナチが生じた原因とは同じということなんですね?
毒多
2013年02月22日 08:35
NANさん、おはようございます。

そっか、そうですよね。
「ウヨピーとサヨっちが共通点を見出しドリームを語りあう」が命題だったんですよね。ワタシはサヨっちという位置で話そうとするのですが、気を緩めると、ついサヨっちでもなく脱サヨっちの位置で考えてしまうので、元の命題から離れていってしまう。申し訳ないことです。

それにしても
>「9条を護る」ことは「命を預けること」
は、端的な表現ですね。面白い表現です。
確かに「命を預けること」かな、と思えます。が、はたして何に命を預けるのか、、、この辺りが鍵かもしれない、、、と感じるのですね。
命を預けるのが、、、「(例えば敵対する)相手」なのか、「国家(例えば軍事力)」なのか、「法」なのか、・・・(区切り)・・・「自分(個の生き方)」なのか、、、このあたりで会話の相違が生まれてしまうのでしょう。ウヨピーもサヨっちも(区切り)より前の事項を対象にしている(もしくは整合性がない部分は無視している)。解釈の仕方、方針の違いなどでぶつかる、ワタシがついついサヨっちから(区切り)より後の「自分(個の生き方)に流れてしまうから、命題から離れてしまう、、、となるのかな。
敵対する相手に「命を預ける」方法として、
◯たんに相手の良心を信頼する、、、
◯法、国家などの社会的圧力により相手を抑えつける、、、
◯自分の生きた方を見せ、相手の良心を呼び起こす、、、
など、考えられますが、前二つと最後のものとはやはり違うと思っていて、ワタシなどは最後のになるのかな、、、、、と、そんな感じです(エントリーの繰り返しになってしまってますね)
平行連晶
2013年02月23日 06:28
昨年末、某ドメスティック・ブランドのulster coat(トレンチコートの原型みたいなものです)を買いました。8万円のコートが世間的に高いのか安いのか判りませんが、私にはけっして安い買い物じゃない。
困ったことに、このコートがとんでもない欠陥品であることが判り、件のブランドと揉めているのです。
端的に言って、紛争です。

先方は返品も交換も受け付けない、製造を任せている工場での修理なら可と主張。私は左右の肩幅が1㎝以上違う/左右の襟の幅も1㎝違うetc...複数の欠陥を抱えた製品を作る工場の修繕技能には信頼が置けないので、自費で以前から付き合いのあるテーラーに修繕を依頼。
今のところ私が一方的に損失をかぶっている状況。

で、エントリの主題と関わることがらです。
一応は護憲の側に立つ者としては、対話によって現状被っている損失を最小にしたい、自分の生活圏でのちいさな紛争を対話で解決できない程度の者に、そもそも護憲を語る器量などなかろうというのが、私の考えです。

というわけで、コートの品質管理に責任を負う人と対話できる機会を設けるよう、ブランドの販売員に話を繋いでもらっているところ。うまく行くかは不明。とにかく責任者に対話のテーブルに着かせることが、目下の目標です。

NAN
2013年02月23日 06:49
素晴らしい締め (*^-')b
平行連晶
2013年02月23日 06:59
承前。

対話というのは、いちいち面倒くさい・煩わしいものです。販売員に、品質管理に決定権を持つ者と話をさせるよう取り次いでくれと説得するだけでも、ひと筋縄ではいかない。
金をはらって欠陥品をつかまされているこちら側が、その上更に相当な譲歩までして、、やっとデザイナーかパタンナーに話を通しますというところに漕ぎ着けたといった塩梅です。それだってどう転ぶか、判ったものじゃない。
正味の話、不快です。頭も使わなければいけない。「腕ずく」の方がよほど話が早いでしょうね。

しかし、その「腕ずく」を放棄する方向を選ぶと決めたのが、文明人ってわけです。迂遠でもあり窮屈でもあり不快でもあるけれど、文明人の流儀に従って対話するしかないってことです。文明人は一応そういうフィクションを共有して生きていくことに決めたのだから(でしょう???)。

対話で妥協点を見つける。
今回のケースであれば、私の側は何らかの形である程度まで損失の埋め合わせをしたい、あくまで目標・到達点としてそこを目指す。先方にはまた先方の思惑があるでしょう。

それと、今回の件について言えば、私は対話の能力がないと判断した相手を既に交渉の対象から外しています。排除をしている。生身の人間同士のかかわりは、そうロジカルに、原理原則通りに運ぶことができるわけでもない。

非暴力、対話といっても、現場は結構生臭いものですよ。その生臭さを我が身に引き受けた上で、対話を選ぶというのはしんどいことです。生身の個人的な紛争も国家間の紛争も、スケールが異なるだけで本質はそう変わらないんじゃないですかね。
平行連晶
2013年02月23日 07:04
>NANさん

合いの手が入るのが、ちょっと早かったかな?
NAN
2013年02月23日 07:31
???

素晴らしいコメントには、素晴らしいと言うタチなので別に(笑)
平行連晶
2013年02月24日 05:25
蛇足です。

件の個人的紛争について。昨日販売員の上の「責任者」から電話がありました。
責任者氏は率直に責任を認め丁寧に謝罪し、こちらが私費にて投じた修繕代を持ってくれるとのこと。正直、予想外でした。
私からは、誠実に対応なさって下さり感謝しておりますと礼を返し、今回の紛争は対話そして和解という形で収まりました。

対話により、遺恨を残さない形で平和裏に妥結点を見出せたのは、ありがたいことです。万事今回のように運ぶわけではないでしょうが、私が対話を求めなければこの結果も当然得られていなかったことは言うまでもありません。
愚樵
2013年02月25日 07:21
平行連晶さんのコメントに文句をつけるわけではないのですが、というより、とても上手い具合に的を外してくれていると思うので、かえって「的」がよくわかるというか...、(←褒め言葉のつもりです)

平行連晶さんが語ったのは「当事者」の言葉です。当事者同士が生臭いのは、当然です。生きているからこそ、生臭くなる。

毒多さんは、本当にそんな覚悟はありますか? と問うた。それは言い換えれば「当事者になれますか? ということでしょう。このように問うということは、実は9条についてはなかなか当事者になれないという前提があるからでしょう。その点で言うと、平行連晶さんのお話では、平行連晶さん自身はじめから当事者だったし、当事者として対応しない相手は切り捨てる、という当事者としては当然の対応を取った、ということですね。
愚樵
2013年02月25日 07:22
「当事者である」ということと、「当事者であるフリをすること」。この2つはしばしば混同される。大きな断絶があるにもかかわらず。右も左も、やっているのは「当事者のフリをすること」の方。左は「9条を護らないといずれ当事者になる」という論理をよく展開するけれども、この論理から窺い知れるのは「今は当事者ではない」ということだし、いずれ当事者になる可能性を考慮できないのは愚か者だ、ということ。ま、愚か者は事実であるとしても、愚か者は愚か者なりに、日々生臭く生きているわけだから、そんな綺麗事を言われたって、ということになる。

右の論理展開のパターンは「あなたは既に当事者だ。なぜなら日本国民だからだ」というロジックで、そこから「当事者でないなら日本国民ではない」という逆転の論理を展開する。実は、当事者であることと日本国民であることとの間には何も関連はないんだけど、ほとんどの人があると思っている。これこそが呪縛であり隷従。人は救済と思い込んで隷従を求めて戦う――というのは、スピノザの言葉らしい。
愚樵
2013年02月25日 07:25
ここで以前、コメントをしたことがあったと記憶するのが、なぜ市民革命が成功したか、ということ。一般的な左は「それが正義だからだ」「進歩だからだ」と結論づけたがるが、もっと生臭く言うと、単に「強かったから」。ナポレオン率いるフランス陸軍が連勝を重ねたのは、ナポレオンの軍事的才能はもちろんあたったろうけれども、革命を当事者だと思った兵士が沢山たから。ほとんど経費がかかっていないのに命がけで戦う兵士と、お金をもらって戦う傭兵と。一対一ならプロの方が強いだろうけど、集団対集団になれば「強さ」は全然異なる。

同じことは第二次大戦のときの軍国少年少女たちにも言えたことで、あのとき、少年少女達は自分たちがまさに戦争の当事者だと思い込んでいた。が、戦争に負けた時、実は当事者ではなかったことに気がついた。新たに発布された憲法の9条が戦争放棄を謳っているのをしって、もう当事者にならなくてよい、と思って安心した。ここが9条支持の本質であり、原点。(押しつけ憲法云々の議論は、どうでもいい話。)

にもかかわらず、右も左も、当事者にならなければならない、という。違うでしょう、いかにして当事者にならなくて済むか、という話でしょ、と。
愚樵
2013年02月25日 07:25
「 いかにして当事者にならなくて済むか」という生臭い話をしなければならない。誰が? そして、誰と? この「誰が」と「誰と」がはっきり分からなければ覚悟のしようがないんだけれど、そして平行連晶さんの話は、「誰が」ははじめから決まっていて、「誰と」をはっきりさせていくものなんだけれど、これが9条の話になると、「誰が」「誰と」が定まらないで論理が展開されているのが多い。NANさんの話は主に「誰と」のことだと理解するけれども、そして、では、「誰が?」というところで「左」ということになるんだけれども、ここが平行連晶さんのようにしっかりと定まっているわけではない。

「誰が」ということを棚上げしないで考える。そこが毒多さんの問いではなかったかと思うんですが。
平行連晶
2013年02月26日 00:16
>愚樵さん

相変わらず人が悪いですねえ~。
とりあえず的を外しているというところは首肯しておいてですね、「的」という言葉を借りると、交戦権の否認、武力の不保持といった「的のど真ん中」を初手から狙うから「当事者」から乖離するのだと思うんですわ。
実は保守だって当事者意識なんて希薄だと思うのですよ。実際腕ずくで相手と対峙するのは訓練された戦闘のプロ+ハイテク兵器とタカを括っていて、自分は銃後で「この非常時に!」とか曰って《売国奴》狩りをするくらいの気分に過ぎないのじゃないかしら。大半はね。

卑近な例を出してみたのは、私を含む大衆だって、実生活で「腕ずく」を選択しうる紛争の当事者となる場面ってのにぶつかる場面があるという話です。
で、大抵の人はそこで「こいつ一発ぶん殴ってやろうか」とムカついても、実際は対話で何とかしようと四苦八苦する。それは何故かという話は措きますが、そういう人たちが、国と国が揉めたら「いざとなったら腕ずくでしょ」となるのは何故か。
要は「オレ当事者じゃないし」だからだと思うのです。

だったら、当事者たり得る身近な紛争の延長線上に、国家間の紛争を透かし見てみたらどうよ?って話です。そう思ったら、対話の意味も変わってくるんじゃないかと。

「誰と」の問題にも一言。
これは毒多さんに言っておきたいんですが、以前も引用した水木しげるの『カランコロン漂泊記』には、対米開戦時、緒戦の日本軍快勝に庶民は欣喜雀躍、水木の父も母も厭戦どころか頗る上機嫌だったそうですよ。
愚樵
2013年02月26日 06:44
平行連晶さん

伝え方が甚だよくないですが、「的を外す」が賞賛なのは本当ですよ。

>要は「オレ当事者じゃないし」

う~ん、そこを意識しているかどうかなんです。心の底では「オレ当事者じゃないし」と感じている。が、表層意識は一生懸命にその感じを否定していると見ているわけです。生きづらい暮しの当事者として、何かにすがって己のアイデンティティを確保するために。だから、当事者のフリをして自分を欺している。

そうした状態のまま、

>当事者たり得る身近な紛争の延長線上に、国家間の紛争を透かし見てみたら

といったようなことをやってしまうと、自己欺瞞がますます進むのではないか、より当事者気分に浸れてしまうのではないか、それで本当に覚悟なんかできるのか、という問いかけなんです。

己は当事者ではないということがしっかり把握していれば、対話の意味を考えることで、「ではどうしたらいいか?」という問いが浮かんできます。ですが、そうでないと、欺している状態の自己肯定になってしまいます。これは大変危険なことだと思うのです。

ここは、平行連晶さんが、

>それは何故かという話は措きますが

としたところ。ここが核心なのではないかと考えるのです。
愚樵
2013年02月26日 06:52
追記です。

「腕ずく」ということで言いますとね、ヒトという生物種の場合、「腕ずく」の相手は他人とは限らない。自分自身という「他者」に向かう場合が往々にしてある。

自分自身に「腕ずく」で相対すると、その結末は“自殺”です。で、現在の日本の状況を鑑みてみると...?

戦争とは、他国や他人に対してだけ起こるのではない。自身に対しても起こるのだ、自身に対しての「腕ずく」状態が一般化しているのもこれまた戦争だと捉えると、自殺者は戦死者です。

だとすると、戦争に備えろ! 平和ボケはダメだ! などと叫んでいるヤツの方が、実はよほど平和ボケしているということになる。

毒多
2013年02月26日 09:21
>愚樵さん、平行連晶さん

ホント阿呆なエントリー主を気づかせ育ててくれるコメントに感謝します。

と、そのまえに、>平行連晶さん、、とりあえずリアルでの“紛争”が解決方向にすすみ、おめでとうございます。おめでとう、とうのも変ですね。失礼。

確かに「リアリスト」「ドリーマー」というのも“ワタシにとって”は欺瞞です。9条になんのリアリティも感じず、「実際に戦争になったら」というのもまるでリアリティがない。当事者性がないということです。そんなワタシに大層に「9条を護る」と言えるのか、が、元で、(リアリティを持ったフリの)机上の論争もひどく滑稽なものであろうな、というのが元でした。おそらく、サヨっちvsウヨピー的なディベートでNANさんと爽快に会話できないのもの、その“元”に“ひっかかって”いたからでしょう。という意味でNANさんには申し訳ないと思っています。

すぺーすのいどさんのコメントは潔いし、平行連晶さんの「的を外す(?)」という手法で「的を得る」というのも納得します。
>護憲を語る器量
ってのにひっかかり、考えている間に会話がすすみました。

>平行連晶さん
戦況有利に嬉々とする庶民も「当事者意識」はないのでしょうね。今の日本のなかで当事者意識があるのは誰でしょう? 国境あたりの警備員か? その辺りの船乗りは、装備を重厚にしたいと思っているのか? 9条を高く掲げたいと思っているのか・・・・。あるいは普天間に代表される米軍基地周辺住民もリアリティがあるのか?
毒多
2013年02月26日 09:22
>愚樵さん
「おわりの始まり」がおわり「終った」とき、はじめてリアリティはもてるのでしょうか? それとも今もててないのは「呪縛」を許容している(進んで呪縛されている)からか? リアリティが真にもてたときからしか前にはすすめないのか? 
 いずれにしてもリアリティが持てなくても、そのときまで9条をkeepしなければならない、、、と感じるのは、肌感覚です。真にリアリティがもてたとき、9条も土俵のうえに上げてあげたい、なければ、土俵にあげることもできない、ですからね。

正直にいえば、自殺に対してもリアリティがない。さらに言えば、世の中で「不幸」と言われているほとんどのことにリアリティがありません。「東ティモール」にもリアリティがないし、「勘違い運動部」にもリアリティがない。将来の「経済的不安」にはリアリティがありますが、なんとかなるか、なんともならない、という形でなんとかなるんじゃないのかな?と考えている、、こんなワタシが、なにかしら、大層なエントリーをあげるのはオカシイのでしょうか? なんちゃって、挙げ続けますが、、欺瞞を欺瞞と確認しつつ・・・
 
平行連晶
2013年02月26日 22:01
>愚樵さん

ああ。合点がいきました。

>そうでないと、欺している状態の自己肯定になってしまいます。これは大変危険なことだ

確かに私は「なぜ/何は自分自身で探し見つけ出した、自身の裡にあるものでなければ」とコメントしている通り、「何故」を各人のものに帰していますから、「何故」の時点で欺瞞に陥る可能性も洞察する必要がありますよね。
愚樵さんの仰る通りです。

それにしても私が実感としてよく判らないのは、例えば福島第一原発4号機のような「まさに当事者たることから逃れ得ない由々しき問題」について雑談の折に私が口にすると、ほとんど皆が一様に従容と運命を甘受するかのような態度を示すのに対して、尖閣のような当事者性の乏しいヒンターランドの紛争に関しては、中国ケシカランとか日中は開戦の一歩手前・一触即発などと危機感を露にする人が少なくないことです。

理屈をつけて解釈することは出来なくはないのですけれど、実感としてそのチグハグな反応に違和感を禁じえない。

単に逃れ得ない当事者であるとの自覚があるからこその諦観や沈黙であるならば、まだ良いのですが…。
平行連晶
2013年02月26日 22:27
>毒多さん

9条については、私はリアリティ感じますよ。
何故って、9条があったから兵役に就かずに済んだという実感があるから。

日本と同じ枢軸国のドイツは、敗戦後徴兵制を敷きましたよね。近年実質的に廃止したようですが。

皇軍の新兵苛め、下級兵虐待については岡本太郎の述懐にもありましたし、前述の水木しげるも「新兵は毎日毎日“理由もなく”ビンタされる」「毎日毎日殴られていると残酷な気分になってくる」と書いてます。

私は学生時代、友人と「兵役がなくてホント良かったなあ」と話したことがあります。
80年代はまだコンサートに行くと、外タレが客席にマイク向けて一緒に歌うよう促すことがわりとあったんです。私はそういう時「こちとら木戸銭払ってるのはオマエの歌を聴くためなんだナニが悲しくて客の下手糞な合唱に合わせてこっちが歌わにゃならんのよボケ!」ってむくれていたくらいの集団行動嫌いですからね。
兵役がまともに務まるわけがない。無理。

9条のおかげで私は匍匐前進も背嚢担いで20km行軍も新兵苛めも知らずに済みました。

浅田次郎は、自衛官時代の上官からの苛烈な苛めについて書いてますので、自衛隊は皇軍の悪しき伝統をきっちり受け継いでいるようです。同様の慣習は海外にもあり、ロシアの新兵苛めの動画が流出して問題になったこともありました。

愚樵さんが自殺について触れていますよね。今即座にデータは出せませんが、自衛官の自殺率は高いんです。人間の潜在的な暴力性を発現させるのに暴力が使われる。その暴力が例えば戦国時代の下克上のような状況を招くのは恐ろしいので、暴力は常に序列の上から下へ振るわれる。

最終的に行き場のなくなった暴力は自分自身の細胞達に対して振るわれる。

私は戦争そのものよりも、むしろ軍隊という組織・機構を憎みます。
平行連晶
2013年02月26日 22:47
「敵」から振るわれる暴力よりも、「味方」と称する者から振るわれる暴力の方が、はるかに惨く絶望的でしょう。

敵から身を守るために抗うのであれば、肯定される。
しかし、味方それも序列が上のものに抗えば、たとえ身を守るためであっても罪を背負わされる。抗うことさえ認められない。

こういう機構に身を置き、暴力によって調教されれば、間違いなく精神は内側から腐食する。

現実は9条の条文そのままの形にはなっていない。しかし、9条は敗戦後の冷戦時代を通じて、ある一つの現実を作り出す役割を果たしました。
私が兵役に就くことがなかったという、まぎれもない現実です。
NAN
2013年02月26日 23:34
もし戦争が始まったら?

引っ張られてく可能性のある「世代」としては…羨ましい話の展開だなw
平行連晶
2013年02月27日 02:16
>NANさん
>もし戦争が始まったら?

どこの国とどういう形で開戦するかによるけれど、始まってしまったら、とにかく勝たなくていいから迅速に休戦協定締結を相手国に申し入れるよう、官邸にメールしたり関係機関に電話したりすると思います。
開戦したら個人として持ちうる影響力は無に等しいと思いますが、とにかく人的被害を最小限に抑える方向を模索するでしょう。

たとえば尖閣であれば、あんなチンケな無人島のために自衛官が命を張る必要なんて一切ないと思います。もしNANさんが尖閣をとても大事に思っているなら、ごめんなさいね。
尖閣についてまず私が思うことは、増えすぎたヤギを島外に移送して、植生の回復を促したいということ程度です。あと、センカクモグラを見てみたい。モグラが好きなんで。

北朝鮮に至っては、かの国と争うべき理由を何も見出せないのです。拉致被害者問題については、もとより戦争で解決する事柄では全く無い。現地における拉致被害者の処遇が開戦により改善される可能性は考えがたい。彼等の生命・財産が保証されているとすれば、それは2国間の関係が安定していて何ほどかの利用価値が見込めるからでしょう。
北には、現状日本と戦うに足る理由があるのでしょうか? 私にはどうしても実感できないんですよ。

澁澤龍彦が戦時中、自称「少国民」だった時分、父親が戦争に対して冷笑的な態度を取っていたのに不快感を覚えたそうです。私も戦争が始まったらきっと「冷笑的」な態度を取って周囲に不快感を与えるでしょうね。
場合によったら「この非常時に!」と殴られたりするかも。

でもやはり、裡なる実感として、ばかばかしい・下らないという感覚しか湧かないんです。
私は周囲の女の子たちに「社会不適応者」「社会常識の無い人」としばしば揶揄されるので、私みたいのを平均的日本人とは思わないでくださいね。
NAN
2013年02月27日 07:08
尖閣が中国領になれば…

中国は太平洋への扉が開き→それによって台湾が中国に対してどのような動きをするか分からず…
沖縄近辺で中国海軍&台湾海軍&在日米軍&海自が素晴らしい距離で入り乱れる→どこでガッチャンするか分からない…楽しい東シナ海になるかな

自分は想像力が逞しい?
NAN
2013年02月27日 07:57
【尖閣の追記】

そんな緊張状態の海を通る石油タンカーなどは…
その海域を「遠回り」せざるを得なさそうだし→
その分は「ガソリン代」に反映されるだろうし→
船に依存する離島に住まわれる方などは、全て自給自足でないかぎり…生活が大変になるだろう?

朝から想像が止まらないw
NAN
2013年02月27日 10:44
「待ったなし」と思わないのも…それは自由かな

ただ、世の中で実際に起こっている話を、自分は無かったことには出来ないw
すぺーすのいど
2013年02月27日 12:22
そうですね。
「オレオレ詐欺」に騙されるのも騙されないのも、その人の自由といえば自由ですからねぇ。
なっとく。
NAN
2013年02月27日 15:04
例えに犯罪持ち出すかw

オレオレ等の犯罪には…
「騙される?」「騙されない?」の自由はない!
「騙されない」一択のみ

9条の判断については…
自分は騙されない為に→
世の中を自分の『色眼鏡』だけで見ないように→

このblogに辿り着いたw

だからといって、自分は衆院選結果・安倍内閣支持率・日本を取り巻く環境を度外視して語る9条論議には突っ込むかな…
毒多
2013年02月27日 15:21
すぺーすのいどさん、またまた面白い記事の紹介ありがとう。そろそろ内田樹のブログはリーダーにいれて更新のたびごとにチェックいれないと、、、、と思いながら数年すぎました(笑)

「当事者意識」「リアリティ」「待ったなし主義」かぁ、、、、難しいなぁ、と感じるとともに考えてしまう。

平行連晶さんのいう軍隊の悪しき階級主義・根性主義の想像はつくけれど、9条がなければ徴兵制があった、ということは想像しなかった、、、というワタシに当事者意識も実感もなかったし、そうした意味での9条のリアリティもなかった。
NANさんは、どうやら尖閣とか北朝鮮とかにリアリティをもち、当事者意識をもっているようだ、、、。真に持っているのか、情報にふりまわされているのかは、本人の思索するところでワタシがとやかく言うところではないのだろう。それにしても
>朝から想像が止まらない、、、とは、ちょっと気の毒すぎる。
いずれにせよ、「だったら、、、なるかもしれない、だったかもしれない」というリアリティは、平行連晶さんにしても、NANさんにしても、情報収集による知識と予見性がなければ持たないのだろうなぁ、と持たないワタシは思う。
毒多
2013年02月27日 15:21
それでも情報にどれだけの信ぴょう性があるか、というと、内田樹のいうところの「待ったなし主義」を考慮していいのかとは思う。過去におきたことの情報であれば、ゆっくり思索する余裕もあるが、今、起きていることの情報は「時間がない」という操作情報に翻弄させられ、「負けてもいいのか」という政治に“意図”的に踊らされている可能性を自問する必要はあるのだろう。
前提を規程されていることに気づいてないことの可能性とか、、、。

そして問題は、いくらワタシが熟考しようと、他者の「待ったなし主義」に巻き込まれる可能性はある。多数が「待ったなし主義」にのっかり戦争が起きれば、弊害はワタシにも及ぶだろう。
嫌である。嫌であるのだが、ワタシにそれを阻止する力はないだろう。提案はしつづけるが、当事者意識が希薄であるとカミングアウトしてしまったので、説得力がなさそうである。
嫌な事態になったとき、そのときどういう態度で臨むのかの準備は必要かもしれないな。

>NANさん
無人島、もめたら地球に返還しよう、、そも誰かの所有物である、という人間の欺瞞がよくない、、、、という提案(エントリー)もしています(2008/3/3)。コメントのどの部分についてのレスってことではないのですが、なんとなく思い出したので、、、(笑)
NAN
2013年02月27日 17:20
「気の毒かどうか」は…他人が判断することで甘んじて受け入れる(涙)

【9条のリアリティ?】

当事者かどうかを判断するのも情報を取捨選択するのも個人の自由だが…
「巻き込まれて被害を受ける可能性が」と認識するなら、その位置にいる以上は当事者だと思う!
巻き込まれたくないから「9条を護る」って理由が、やっぱり1番リアルでウヨピーとして納得w

毒多さんも、自分の信じる情報を取捨選択している以上は、「リアリスト」ではないんですかね?

【自分が見えてきたw】

9条にこだわる者同士が「リアリスト」ならば…自分は「話し合い」による結論で納得するかも?

さてと…紹介して頂いた記事を読もうかな 爆!!
平行連晶
2013年02月27日 20:21
>NANさん

私はNANさんの考察に肯ける部分が多いです。NANさんは、正しいと思う。
そして、正しいが故に、悩ましい。

NANさんの想像を陣取り合戦に置き換えますね。
現在、日中は「点」を挟んで睨み合っている。「点」はさしあたり日本が確保している。実効支配。しかしこの実効支配はあくまで「点」とそれを取り巻く領海(接続水域までか?)にとどまり、EEZ及び公海における中国艦船の航海を疎外するものではない(間違っていたら訂正してくださいね)。

そもそも日本(海自)には、尖閣を取り巻くEEZ全域を網羅的に監視警戒し“続ける”だけの規模はない。中国は「点」を日本に押さえられているが、外洋にアクセスするための「面」まで掌握されているわけではない。つまり両国にとって「面」はそれなりに安定した状態にある。

NANさんは、この「点」を中国に奪われれば、「面」の安定は損なわれ、極めて流動的かつ不安定な状態になる、と仰る。これは正しい(と私は見る)。

そして、現在のにらみ合いから戦端が開き、日本が腕ずくで「点」を死守したとしても、やはり「面」の安定状態は損なわれる。NANさんが既に書かれた、まったくそのままのロジックで。

平行連晶
2013年02月27日 20:41
日本人の戦争観は「決戦主義」「一発勝負主義」だと言われるそうです。どちらも言ってみれば、「点」に戦力を集中して天王山をものにする、という思想です。

皇軍はもとより、現在の自衛隊の編制も、基本はこれに準じているでしょう。黒野耐によれば、戦前軍部は大陸での長期戦・持久戦を想定した軍の編制を検討したそうですが、資源資材の制約上不可能であると判断、諦めているとのこと。

現状も、自衛隊が高度な訓練を受けた兵士とハイテク兵器を搭載した艦船で敵の出鼻を挫き、安保同盟国の米軍が展開し「面」を掌握するのを待つのが戦術と見るべきでしょう。
となると、日本が「点」の戦いに勝ったとしても、必然的に米軍を尖閣を取り巻く海域に引き込むことになる。

問題は、中国が日本と類似した戦争観を持っているか? です。
日本が「点」を死守し「勝ち」と自認したとしても、対する中国は当然「面」の不安定化に直面することになる。
その時中国はどうするか。

「点」から「面」へとフィールドが変われば、不安定化した面における優位を確保するための行動に移るはずです。彼らはそれを「決戦主義」で行うか? 多分違う。日中戦争の抗日戦線を見ればわかります。
彼らは辛抱強く、気長で、諦めない。決して諦めない。
その気長で忍耐強い戦いに、同盟国はどこまで付き合ってくれると思いますか?

日本が戦うのは、日本人と同じ考え方をする人間じゃない。それは前の戦争で、わかっているはずです。
平行連晶
2013年02月27日 21:01
蛇足です。

私は上記のような想像をするのは、好きじゃない。楽しくない。

私が思い出すのは、もう閉めてしまった行きつけの中華料理屋の店主、定食を頼むと「お代わり欲しい?」といつも訊いて来る店主が、店のTVで尖閣の報道が流れるのを見るとつまらなそうな顔をしていたこと。
そして、私が「中国はどこを観光すると良いの?」と、嬉しそうに「四川イイヨ!」「海南イイヨ!」「中国旅行、昔安カタケド、今サラリー上ガタ、高イネ~」とニコニコ答えていたこと。
昼寝していても私が顔を出して「昼休み?」と尋ねると「イイヨ!」といそいそと厨房に入ってくれたこと。
まあ、つまんないことですけどね。

NANさんの仰っていること、正しいと思います。おろそかにしていいとは思ってない。しかし私は私で、つまんないものだけど大事にしたいものがある。
すぺーすのいど
2013年02月27日 21:03
どくたさん

たまたま先に内田氏の記事を読んで、そのあとにここに来たら、正に…って感じちゃったので。

「オレオレ詐欺」も「まったなし」も人を操る手法は同じですよね。
たたみ掛けて冷静な判断力を奪うやり方です。

まあ、冷静に考えてたら「戦争」や「紛争」なんて出来ませんわなぁ。ww
愚樵
2013年02月28日 07:26
現実とはいっても、その方向へ感受性が向いていないとリアリティは生じません。

(ちなみに私は、ここで言われているリアリティを〈クオリティ〉という呼び方で呼びます。)

9条を護るときに必要なのは、こういう種類の感受性だと思うんですよね。

http://sigotobanzai.nestex.jp/?eid=806
毒多
2013年02月28日 13:15
平行連晶さんの中華料理屋、愚樵さんの紹介記事はワタシ自身に照らし合わせてもリアリティってのは、こういうものなのだ、という感覚がもてます。特に愚樵さんの紹介記事で、寄せ場に居た頃を思い出しました。
すぺーすのいどさんの紹介記事もアタマでは解るのですが、愚樵さんの紹介記事とくらべてリアリティがない(ワタシにとってです。)。実際、学童に接していたにも関わらず何かが違う。実際に接していても、その方向へ感受性が向ってなかったのかもしれません。学童に関して多くの記事を書きましたが「サヨっち」として書いていたということでしょう。そしてそこに真のリアリティがなかった、、、向き合う気持ちがなかった、、、、ということかもしれません?

結局、ワタシ(おそらく多くの人も同様)にとってのリアリティってのは、実際に接しているかどうか、ではないかと思えます。もちろん愚樵さんが言われるように、たとえ接していても感受性が向いていなければリアリティを感じない、ということになりそうです。
接しずに「感受性」だけをもつことができるのだろうか?
9条にかんしては、接しているという感覚さえない、、、ここが問題なのかもしれません。接しているという感覚なしに、「感受性を向ける」ことができるのか?考えてしまいます。
毒多
2013年02月28日 13:15
>すぺーすのいどさん

例えとして「オレオレ詐欺」を出されましたが、ワタシはNANさんとは別の意味で違和感を感じました。
もしかして9条を護ろう、、、というワタシは、、オレオレ詐欺に騙される人なのかもしれない、と。リアルでオレオレ詐欺に騙される人は、前提として無条件に人間の良心を信じている善い人のような気がしませんか? 世間はバカにするかもしれませんが、きっと善い人なんですよね。9条を護るってのは、騙されても人間(他者・他国民)の良心を信じる、って部分があるような気がしています。もしかしたら騙される自由を選択しているのかもしれない。どこまでも善い人であれ、、、、もとのエントリーはそれができますか? という問であることを思い出しました。

すぺーすのいど
2013年02月28日 14:11
どくたさん

安倍晋三だって「国民なんか消耗品だ。我々エリートの為に使われることで価値を生むのだ。」とは思ってても言わないでしょう?

僕らは、日頃からオレオレ詐欺に騙されないように、他人を疑ってかからないとやってけない、悲しい社会で生きてるんですよね。
それは現実でしょう。
でも、そこで我々がとるべき道は、騙されないように他人を疑う術を磨くことでしょうか?
それとも、騙される不安の少ない社会を目指すことでしょうか?
すぺーすのいど
2013年02月28日 15:39
他人を疑うこと迄しなくとも、ドドッ!っと来て、あわてた時には、あえて深呼吸して落ち着いてから、自分の身の振り方を決めれば良いとおもいます。
そこで、そんな暇はない!考える迄もない!とか言われる様な行動は止めておくのが賢明ではないでしょうか。
愚樵
2013年03月01日 07:10
「正しい現実認識」なんてものがデフォルトであるわけではないんです。

「正しいと思われる現実認識を導く感受性の共有」がまずある。だが、ここの領域は、普段意識には登らない。無意識の領域。その無意識下から、「正しい(と思われる)現実認識」が立ち上がってくる。

NANさんのいっておられる、そして平行連晶さんが「正しい」と認定する現実とは、こちらです。

その一方で、じゃあ、そうした「正しい社会」は正しく運営されているのか、という疑問がある。その社会の中でみなは幸せに暮らしているのか?

毒多さんがよく「肌感覚」と表現する、人間の生命としての基本感覚からいえば、明らかにNoです。

ということは、正しいはずの社会は、正しく運営されていないということになる。にもかかわらず、正しいと思われる現実認識が導かれるということは、「正しい」の前提になっている感覚が狂っているんだということ。

基本的感覚が正しくないと告げているのもかかわらず、「正しい(はず)」と認識すること。これを自己欺瞞というんです。そして、この自己欺瞞こそが、社会を悪しき者にしている根源です。

再度、スピノザの言葉を。
「人は解放と思い込んで、隷従を求めて戦う」

「正しい(はず)」だと思い込んでいるから、実は隷従に過ぎないのに、解放だと思い込んでしまうんです。
毒多
2013年03月01日 08:30
とすると、たとえば「まったなし主義」批判もまだ「前提」の上にたっているのか? いや、前提を批疑うものか、、、、おそらく、まだまだ前提の上に立っているのだろう。
自己の「前提」と向き合い、真に解放された目には違う世界が映るのだろうか?
はたして人間はそうした域に辿り着けるのか?
で、ガンジーやら東ティモールの話がでてくるわけだな。ふむ。「前提」の世界では命がけだね。そうでもないか、個として黙って解放されれば、命までとられない。いやいやいや【システム】に巻き込まれながら、真に解放されることなどありえるのか? ありえない。だから厳しいのだろう。だから「前提」など見たくないのだ、、、、と、自問自答。

平行連晶さんの言う、>正しいが故に悩ましい、、好きじゃなく楽しくない、、中華料理屋がリアルである、、、というは、前提の境界にたった言葉のような気がする。
NAN
2013年03月01日 11:52
平行連晶さんへ

自衛隊にスカウトされ試験を受けた経験があり…
現在も、友人・知人が在籍していることもあり…

「軍隊を憎む」のは自由だが、それに至る話の展開が自分は「楽しくない」ので絡んでしまった。
気分を害されたなら謝罪します

中国・尖閣については…

★国外は全方位に敵を抱え、国内にもチベット・ウイグル等の問題がある
★一人っ子政策の世代が軍の中心になり、昔に比べて命の価値が上がった
★『反日教育』の行き過ぎで、局地戦での『一敗』も許されない国内世論

中国も『必勝』でなければ軍を動かせず、海自と中国海軍の戦力に差がある『今』は、日本の戦争感と変わらないと思われ

尚、他国のEEZを海軍が通る場合には、事前に当該国に意図を通報する慣習があると記憶します
半年ほど前に中国が通報せず問題になりました…

それにしても、蛇足に関しては異論が全くありません…素晴らしいですね

今回は『早く』ないなw
平行連晶
2013年03月01日 16:27
>NANさん

私が中学時代に入っていた部活の、1コ下のが高校を出たあと自衛官になりました。ずっと前に除隊して、現在は民間企業に勤めていると聞きます。
中学時代はまあ、腕ずくとは縁もゆかりも無い、柔弱で温厚、泣き虫な男でね、懸垂なんか1回も出来ない子で、彼が自衛官になったことを知ったのは私が社会人になった後です。そりゃあ驚きましたよ。
会った人によれば、見違えるほど逞しくなっていたそうです。

彼が何故自衛官になったのか、中学を出てから疎遠になった私は知りません。あるいは、自分を変えるために自らを鍛えようと思ったのかもしれない。しかし、よく勤まったものだと思います。前述の浅田次郎は、自衛官時代は上からの苛め・しごきが凄まじかった分、同期の結束はとても固かったと書いていました。同期が彼を支えたのかも。

除隊後も、東日本大震災後には予備役で復興作業に従事したと聞いています。
復興作業にせよ、予備役での国防の任務にせよ、私が偶然彼に会うことがあったら(そして顔の見分けがつけば)、彼に心を込めて敬礼します。それが個人が個人に尽くす礼と言うものだと思います。

私は尖閣で粛々と任務に当たる個々の自衛官の皆さんに対し、敬意を抱いていますよ。
それは軍隊という組織の持つ“人間的な、あまりに人間的な”抑圧と暴力の貌に対する憎悪とは無関係であり、また両立するものです。

わたしがばかばかしい、下らないと感じるのは、自衛官や軍人のみなさん一人一人の任務における営みに対してでは、ありません。個々の彼らを顔の無い「国防の礎」に仕立て上げて憚らない、組織の論理です。
平行連晶
2013年03月01日 16:44
そもそも、私の父方の祖父は皇軍の職業軍人です。先祖が維新政府によって俸禄も刀も奪われ零落したにも関わらず、その維新政府が建てた国を命を張って護ろうと思った祖父の気持ちは私には判りませんが、個としての祖父の生き方を憎んだり冷笑したりする気には、私にはなれない。

大岡昇平あたりは、それを「怠惰な感傷」と呼ぶかもしれません。けれど私は理で人間を断ずることは好まない。

>中国も(中略)『今』は、日本の戦争感と変わらないと思われ

NANさんのコメントを、肯定します。仰るような側面はもちろんあるでしょう。
そしてその上で、私のコメントもNANさんのものも、同じ日本人の視点から発した「意見」です。
中国人の考えを知りたかったら、中国人に聞くしかない。
身を以て答を知りたかったら、日章旗の名の下に、中国人の同胞を殺してみればいい。そうすれば、教えてくれるでしょう。

でも、たぶん私の祖父は「止めとけ」と言うと思います。会ったことはないけれど、「命を張るほどのことじゃない」と言うと思う。
それは、父親に私と似たところを見出すように、祖父にも私と似たところがあったはずだから、そう感じるのですよ。それが愚樵さんのいう「霊」というものなのかもね。

NAN
2013年03月01日 17:28
中国人が殺されたときに中国人がどのように反応するか分からない様に…

日本人が殺されたときの日本人の反応なんて日本人にも分かりませんよ?

貴方はそのとき日本人の反応がわかるんですか?

そもそも…なんで日本が攻め込む前提?意味不明

これ以上は、有意義な議論になりそうにないな…
NAN
2013年03月01日 17:53
でも…なんで9条に興味が湧いたか思い出せた!

日本人が殺されたときの日本の反応が分からないからだった…

平行連晶さんに感謝します。
平行連晶
2013年03月01日 21:44
>NANさん

ありがとうございます。
NANさんにとっては余り収穫のある対話にはならなかったかもしれません。でも私は対話の困難さを感じる一方、それでも(私から見て)何とか対話の目鼻がついた気がすることを嬉しく思っています。そのことはあなたのお陰でも、あります。

>日本人が殺されたときの日本人の反応なんて日本人にも分かりませんよ?

仰る通りです。判りません。

相手の考え、反応。判らない。
他方、ネイション/エスニシティ/母語を共有する者の反応すら、判らない。私とNANさんも、現に今このようにすれ違っている。

あるのは意見、意見、意見ばかりです。
その「意見」に則って、結局攻めて来ることの無かったソ連を迎え撃つために自衛隊は整備され、ソ連が解体したらいつの間にか北朝鮮と中国が攻めて来ることになっていました。ソ連時代から北朝鮮も中国も存在していましたが…。

>意味不明

これも仰る通り。意味不明です。NANさんに意味が判らないように、私にも判らない。
中国も日本も相互に武装していて、そして中国がどんな真意を抱いているのか不透明であるにも関わらず、「攻め込まれる」前提が日本国を包み込んでいる(ように、私には見える)。
中国から見たら、どうなのだろうか……。

私は、重層的なまなざしを持ちたいと考えています。そして、まず判らないことを判らないと、率直に認めたいと思います。そのためにもNANさんと対話できて、ありがたかったですよ。

>中国人の同胞を殺してみればいい。そうすれば、教えてくれるでしょう

これは、私の独特な言い回しです。アイロニー。そして、殺してしまったらもう取り返しがつかないという含みも、持たせているのです。
NAN
2013年03月02日 01:36
「中国から見たら、どうなのだろうか……。」→

日本に中国側の真意と受け取られかねないのが…
この前の『射撃用管制レーダー照射事件』です!
(所謂、平行連晶さんが言われた「ディスコミュニケーション」です。)
よって、日本(&米軍)も中国もお互いに今は尖閣での軍事活動を大人しく(ニュースになってない)しているでしょう?

貴方は、貴方が「大事」という中国の『ディスコミュニケーション』を…

★あえて無視してるのか
★尖閣を差し出せば問題解決だと思っているのか

日本人として、貴方の姿勢に疑問に感じています
しかし、これだけ意見をぶつけてもブレない貴方の答えに→賛同するかは別として、尊重はします

【9条への判断基準に】

戦後日本が何処からも攻め込まれなかったのは…
「自衛隊と日米安保のおかげか?」それとも「9条のおかげなのか?」は良い基準になりそうかな
平行連晶
2013年03月02日 02:41
>NANさん

ttp://sankei.jp.msn.com/politics/news/130206/plc13020600180000-n1.htm
冷戦期の旧ソ連も日本側に対し、砲を向けるなどの直接的な挑発行為を行っていたという

ttp://blog.livedoor.jp/jijihoutake/archives/54379253.html
私が自衛隊にいた頃、自衛隊機がソ連機から「ロックオン」どころか、機銃を向けられても騒ぎになったことはありませんでした。日本のミサイル基地からは適当にロックオンをやったりもしていました。全然大したことではないのです。 まったく大したことではないのに芝居をやっている

…私は、こんな風にソースという「カード」を切り合って戯れるのは好みません。ですから、これはNANさんに対してのカードではなく、これらの情報をどう解釈すべきか判断しかねていると思ってください。

中国海軍の江衛Ⅱ型は、約3㎞の距離から「ゆうだち」に火器管制レーダーを照射したと報道されています。
私はこの意味がわからない。
3㎞といえば、おそらくSSMの最小射程でしょう。
AK74やドラグノフの有効射程以下の超短距離で、火器管制レーダーをわざわざ照射する意味が全くわからない。
できれば、NANさんに私に理解できるよう解説していただけると、ありがたいです。これは皮肉ではありません。

それにしても、産経の「挑発行為を行っていたという」なる書き方は、気に入りませんね。感心しない。
あたかも出所の不明瞭な風聞のような書き方ですが、竹原のブログ記事から察するに、ソ連時代の産経外報部ではニュースバリューの価値のを持たない、常識に関するネタだったと推測されます。

個人的には、江衛Ⅱ型の火器管制レーダー照射の件には、とくに興味がありません。
NAN
2013年03月02日 02:57
先程

平行連晶さんに自分から質問をしておきながら…
自分の質問への答えは…
Dead Can Danceからのコメントに繋がるのかな?

やっと理解できたかも…
平行連晶
2013年03月02日 02:59
訂正です。

>AK74やドラグノフの有効射程以下

いくらなんでもこれはないな。AK74やドラグノフの有効射程が3㎞もあるわけない。
うっかり桁を間違えました。ごめんなさいね。
NAN
2013年03月02日 03:19
みんな意味が分からないから困っているんですよ

どちらの行為も実際に実弾で反撃しても問題なし

因みにイラクはそれをアメリカ戦闘機にやって…
ミサイル(空軍?)基地を空爆されました(泣)

起きておられたんですね

自分もカードと思って出してないし、貴方なら自分で調べられるでしょうからソースは貼りません

質問は、純粋にその答えによっては…一発で納得出来るからですよ(笑)
すぺーすのいど
2013年03月02日 12:57
アメリカ人、中国人、韓国人、北朝鮮人、ベトナム人、イギリス人、フランス人、ドイツ人、日本人…

関西人、関東人、東北人、名古屋人、博多人、ウチナンチュウ…

ただ、単にどれかに偶然に属しているだけなのにね。
自分自身の所属する場所を愛するのは何の問題も無いでしょうよ。でもそれはすべての人に当てはまるよね。

地球人…

がSFでしかリアリティが無いのはきっと「敵」が居ないからだな。

つまらないことだな。
NAN
2013年03月03日 09:50
すぺーすのいどさんへ

9条を護る→地球人=世界市民の話になるよね…

でも…毒多さんとKuronekoさんの世界市民についてのやり取り(の内容把握)に全くついていけなかった自分には…ハードルが高いなぁ(ため息)
すぺーすのいど
2013年03月03日 19:11
NANさん
レスどうもです。

>世界市民についてのやり取り…

はどれのことかよくわかりませんでした。
まあ、実はほとんど興味も持てませんけど。w

そんなに大変な話なんですかねぇ。
NAN
2013年03月04日 09:22
大元の大元は、内田樹という方のblogの「愛国について語るのはやめませんか」という記事であり

そこから別の方が地球市民・世界市民に繋げた話にリアリティがあるか?ないか?の話だったかな

説明が飛んでましたね…失礼をしました m(_ _)m
すぺーすのいど
2013年03月04日 10:14
リアリティが有るか無いかの話って、やるべきことが出来ない言い訳がたくさん探せるかどうかのような気がしてきた。
愚樵
2013年03月05日 03:37
すぺーすのいどさんに同感です。

ではなぜ、そんな印象を受けるのか? 言葉が歪んでいるからです。リアリティという言葉が歪んでいて、リアリティでないものをリアリティと呼んでしまっている。

世界市民なんかにリアリティがあるわけがない。日本国民にですらリアリティがないのに。

本当にリアリティがあるなら、為すべきことは自ずから定まる。腹がへったというリアリティがあれば、飯を食べるは選択の必要がないこと。

日本国民あるいは世界市民として、どのように行動しなければならないのか?

こんな思考をしている時点で、日本国民あるいは世界市民にリアリティなどないんです。これをリアリティと呼んでしまうから、その歪みをごまかそうとして、歪んだ論理がスタートしてしまう。

そして、その歪んだ論理には全然当事者性がない。それ、誰がやるの? という話になるんだけれども、日本ならやらねばならない、と答えが帰ってくる。

本当にリアリティがあるなら、「ねばならない」なんて自分や他人に言い聞かせる必要なんてありません。
すぺーすのいど
2013年03月05日 12:48
愚樵さん
そうですよね~。
僕みたいな奴は「めんどくせー」「ウザー」「ほっといてくれ~」「エネルギーの無駄遣いだな~」としか思わないですからね。
管理人
2013年03月05日 13:00
解りましたので、つぶやきはご自身のところでお願いいたします。
管理人
2013年03月05日 13:11
以後、節度と誠意のない書き込みは遠慮いただきます。
管理人
2013年03月05日 13:30
今までも私のほうから頼んで書き込んで頂いたことはなく、これからもないでしょう。自らから書き込み「ほっといてくれ」は矛盾していますし、「めんどくさく」「うざー」「エネルギーの無駄遣い」ならば、スルーしていただいて何の問題もありません。
すぺーすのいど
2013年03月05日 20:21
心ならずも、私の書いたコメントでご気分を害した事、大変反省しています。ごめんなさい。

前回のコメントに書いた内容について節度が無かった事はご指摘通りです。反省します。

一旦書いてしまったものですし、私の杜撰な文章を読んで管理人さんや他の方の気分を害した事には取り返しはつかない事は承知していますが、決して管理人さんやこのコメント欄にコメントを書かれた方へ向けて書いたつもりはありませんでした。
そうでなければ、管理人さんの最後のコメント通りここにコメントを書き込む理由もありません。

もちろん言葉があまりにも足りず、悪口と受け取られてもしょうが無い文章であったことは理解していますし、反省しています。

改めまして、お詫びします。
申し訳ありませんでした。
NAN
2013年03月06日 10:55
「9条にリアリティを感じね~」と強調されると

じゃあ…【自民党改憲案…選挙をまえに】の「存在価値は?」とツッコまずにはいられないけどw

毒多さんに自分の疑問をエントリーにして頂き…
更に!皆さんから丁寧にお相手して頂いた手前→

これ以上は「止めとこ」

後は…ネット散策(約三ヶ月)を止めて、自分の選挙区では護憲が明確な党は共産党ぐらいかな?
実際の話を聞いて参院選で投票しようと思います(前の選挙ではスルー)

尚、自分の言う『傍観者』とは「選挙に行かない奴」と後出しをしつつ…

皆さんに感謝して思索を終わりたいと思います。

てか…なんで思想の近い者同士で揉めてんねん?
管理人
2013年03月06日 15:22
お詫びの「気持ち」は了解致しました。

話は聞いて頂けそうなのでもう少し書きます。

「リアリティ」という言葉は私が提出した言葉ですし、コメントの「流れ」により、あなたの書き込みは第三者にむけて書かれたものとは思えません。また、コメントして頂いた方々が「自分のこととして」これほど言葉を重ね、理解もしくは意思疎通をしあおうと思索を重ねてきたなかでのコメントとして「気分を害する」ではなく、侮辱を感じました。
すでに解っていただいていると信じますが、勘違いがないよう念の為に確認しておきます。
あなたの考え(思い)が、私、もしくは、言葉を重ねたコメント群に対する全否定であっても構いません。問題は否定ではなく言葉です。「無思慮なつぶやき」で否定されたことを指摘したいのです。否定そのものではないことを確認しておきます。否定を表明したいのであれば、伝わるよう努力してください。もちろん、繰り返しになりますが、「表明」の強要はいたしません。

このブログの方針としてご理解いただければ結構です。
再度の「お詫び」は必要ありません。

追記:NANさんは気にされてないようなので、「コメント頂いた方へも」というのは管理人の杞憂かもしれません。が、やはり確認したくupさせて戴くことにしました。
毒多
2013年03月06日 15:23
>すぺーすのいどさん

管理者としては運営にかんし言いたいことを言わせていただきました。
どうかご理解ください。

ぶっちゃけた話、件のコメントよりも3/4/10:14のコメントに腹がたちました。怒り心頭でブチ切れコメントの下書きを書きなぐりはじめた。でもupするのは一晩寝かしてからにしようと思いとどまった。この「腹の立ち方」は何かオカシイ、そのままupしては自爆するって予感によって、ですね。

はたして「リアリティ」がある・ないは「言い訳」なのか? リアリティと言い出したワタシは言い訳しているのか? なに? 「やるべきこと」? 「べき」こととはなんだ? そんなものあるのか?  いや、あると感じているから腹がたつのか? 「やるべきこと」が「ある」と感じていてできてなく、「言い訳だという」指摘が図星だから腹がたったのか? といろいろ巡らしているうちに夜は明け、愚樵さんの丁寧に言葉をつくしたフォローコメントが入っていることもあり、怒りを一旦おさえ、再度考えることができました。
毒多
2013年03月06日 15:23
過日、栄へでたとき「反原発デモ」に遭遇しました。時間もありデモに合流することも可能でした。でもしませんでした。エントリーでは「反原発」を表明しテいるにもかかわらず、です。はたしてそのデモへの合流は、「“べき”こと」だったのか、ワタシ自身「“べき”こと」だと思っているのに、しなかった言い訳に「リアリティ」という言葉をつかっているのか? でも身体は合流しようとはしなかった、動かなかった、という具合です。

過去を振り返りつつ、今思うのは、一度も「やる“べき”こと」はなかったということです。市民運動もいろいろ行いましたが、すべて「気付いたらやっていた」です。おそらく「やらずにいられなかった」でしょう。やらずにいられなかった理由に「リアリティ」という言葉を引き合いにだしてみたした。
と、ここで疑問が湧いたわけです。9条は護りたいと思っている、が、リアリティは感じていない。だから、思っているが特に何もやっていないのだろうか、、、と。言い訳ではなく、理由が知りたかったのです。
毒多
2013年03月06日 15:24
>NANさん

9条にリアリティを感じない、、というのは、このスレッドのコメント群の思索のなかで思いついたものであり、“NANさんがツッコミ”のエントリーを書いたときには「9条のリアリティ」という言葉さえ思いつきませんでした。で、疑問は、これって机上の護憲(9条)かしら?と。
NANさんはネット散策3ヶ月なんですか??(みえない、笑)? では、ご存知ないと思いますが、このブログはどちらかというとサヨっちブログなんですよ。って知ってるって? 失礼(笑)。何が言いたいかというと、教育基本法の改悪(笑)頃のことです。このブログでは、改悪反対を謳いどれだけエントリーしたことか。このブログだけではありません。まだ結束が強かったサヨっちブログ連が一斉に改悪反対を表明した。秘書室のようなブログがそこかしこにありやいのやいの、とやったわけです。でも改悪された。ワタシなんか改悪された朝「嘆きの詩」までつくった、爆!!
で、リアル何が変わったのか?と見回します。何も変わらない。ワタシには当該である中1の子どもがいるのに改悪を何もかんじられない。あえて言えば武道の強制導入ぐらいなものでしょうか? それも教育基本法が根拠かどうかわからない。そして、アレだけ反対したのにもう誰も話題にせず、「元に戻そう」と言うものもない。あれは何だったんだろう、と振り返ってしまいます。
そして今回も同じことを繰り返そうとしているのか? それでも9条を護りたと感じているワタシがいる。という不思議。不思議なことは理解したいということから思索に至った次第。
毒多
2013年03月06日 15:24
揉めているのは、思想の問題ではなく「誠意」と「礼儀」の問題。サヨっちなのに「礼儀」にうるさい自分を発見しています(笑)。ということで管理者としてブログ運営にも反映されます。親しき仲にも礼儀あり。
礼儀にうるさいワタシは国家なんてどうでもいいと思っていますが、日本って「礼儀」を重んじるんじゃなかったっけ、自分もそういうところは日本人っぽいよなと感じています。と、同時に街宣右翼や大久保の「韓国人殺せ」デモって国粋主義なのに礼儀には疎いとちゃうやろか、と思う今日このごろ、爆!!
すぺーすのいど
2013年03月12日 06:06
管理人さん

私の綴る文章で言葉足らなかったこと、丁寧な書き方を怠ったことは認め、今後の課題として反省しています。

その上で再度申し上げますが、私は基本的に「敵」を想定しない、そうゆう事はダメだと自制しているつもりですので、管理人さんをはじめその他の皆さんに「敵意」を持ってコメントを書き込んだ事はありません。むしろ、意見を重ねることでお互いの思索を深めあっていきたいと思っていましたし、今もそう思っています。

ただ、私がこのエントリーの内容及びコメント欄の流れの中で比較的クールな立ち位置に居た事は確かです。それはコメントでも書きましたが他人に強要するようなやり方は嫌いなことと、先述した「敵意」を持たない、というスタンスによるものです。そのスタンスから発した意見が「つぶやき」的な文章として現れたのかなとは思います。
管理人
2013年03月12日 09:07
すぺーすのいど様

>言葉足らず、丁寧な書き方を怠った、ことを課題として反省
承りました。
このブログを覗いているのは、不特定多数(いや少数なんですが)ということ、ここのコメント欄のそのコメントだけで「人格」まで誤解される恐れのあることを注意してください。(コメントをしないこのブログの閲覧者、別所より二人から、すぺーすのいどってどういう人?と怪訝な顔で質問されました。気にされないのであれば杞憂ですが・・・)

>「敵」を想定しない
了解しました。
自分の意志とは別に、言葉により誤解(敵ということだけでなく)を呼ぶ可能性を意識することを私も課題とします。

>クールであった
毒多のあのコメントに対する「感情」以外の全ての方がクールであったと認識しています。毒多にしても極めて冷静であろうとしたことと、オノレの感情の流れを振り返りupし表明したことをご理解ください。

また、この間「無名」氏よりヘイトコメントが書き込まれましたがまったく感情が昂ぶらなかったことを追記します。
愚樵
2013年03月13日 19:21
「愛の反対は憎しみではない。愛の反対は無関心である」

とマザー・テレサが言ったとか言わないとか。

ま、誰が言ったにせよ、本質を突いていると思います。
毒多
2013年03月14日 16:59
愚樵さん、学会お疲れ様でした。

頂いたコメントがどこにかかり、何を問いたいのかはかり兼ねますが、言葉そのものとしては解ります。
市民運動時代には「無関心」である市民多数を口撃していましたが、愛は伴ってなかったような気がします。
いまのワタシは全てのことに無関心ではありませんが、身体が動くかといえば動かないことが多い。自分でも不思議です。

愚樵さんの言いたいかもしれない別のことも妄想できますが、ハズレを重ねるのもなんですので、やめときます。
すぺーすのいど
2013年03月17日 02:00
どくたさんへ

どうも間が空いてすいません。
マジで忙しくてちょっとまとまった時間がとれませんでした。
この状況でまた軽量なレスをするのは余りに軽率ですしね。

私は文章作成が下手なのは自覚していますので、私の思う事がなかなか伝わらないのは私の技術の問題が大きいだろうなぁとは思います。

ただ何度も書きますが、どくたさんをはじめ皆さんに敵意を持ってコメントを書いたことはありません。
どくたさんは私のネットデビュー頃からの知り合い(私は友人と思っていますけど、一応遠慮がちにしておきます)で、交流と行ってもブログのコメント欄でのテキストの交換だけでしたが…愛着は十分あります。
そんなどくたさんですが、ここ数年いろいろ悩みを抱えていらっしゃるような感じを受けてましたので、テキスト交換の範囲ででもなにか出来ないかなぁと思っていたぐらいです。もちろん「心配してやってるのに」とか言ってるんじゃないですよ。それは私が勝手にしている事だとの自覚はあります。
すぺーすのいど
2013年03月17日 02:00
なので、どくたさんがここ最近は私に違和感的なものを潜在させているのではないかなぁとはちょっと思っていました。
丁度1年くらい前でしょうか。私と愚樵さんのコメントにどくたさんがフックした?させた?事件とかもありましたよね。
そして今回はひとつ前のエントリーの私の最後のコメントから、このエントリーの本文の締めの文章(最初のコメントでちょっと触れています)に続き、該当のコメントを切っ掛けに今回の事象に到達したのではないのかな?と、あくまで推測ですけど、推測しています。

そんなわけで、今回正直どくたさんから叱られたとき「え?俺ですか?」と思いましたよ。
私はそんな事をする人だと思われてたんだ、と正直少しショックでした。
でも、まあ起因は私の下手な文章なので反省すべきところは反省しています。
すぺーすのいど
2013年03月17日 02:01
3/4の10:14のコメントは、私としては「ことわざ」というか一般的な比喩表現的な作文のつもりでした。
言い得て妙な文章をイメージして作文しました。
「ことわざ」って割と身も蓋も無い言い方、書き方したりしますよね。
もちろん、「ことわざ的」って書いとけばよかったのに書いてなかったのは、いろいろ私の方の不具合も多くあったと思っています。

「原発デモ」私はもう8カ月くらいずっと参加していますが、違和感を全く感じないかと言えばウソですよ。
デモ中に演説とかあるんですけど、電力会社や警察を「敵」とみなしたような話をする人がいるんですよね。
そうゆうのを聞くとゲッソリする。それが運動が広がらない要因だろうなぁとも思います。
ただそれでも私は「原発は要らない」という表現の為に参加を継続しています。

でも正直にいうと私ひとりになったら、流石にひとりでデモはやらないとは思います。
そして私はその時は「みんなが止めたしひとりじゃしょうがないから止めた」というリアリティのある言い訳?をして、必要な表現の一つとしてのデモを止めるのだと強く自覚しています。
毒多
2013年03月20日 09:08
すぺーすのいどさん

レスが遅れすみません。
心配していただきありがとうございます。ただ「悩んでは」おりませんので、お気遣いは無用です。

やはり言葉だけの交流はデリケートなものだと感じております。たとえ悪気のない言葉もそう伝わらないことがあることを私も心に留めておきたいと思います。

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