「カンタ!ティモール」(3)・・・憲法を思い出したり

本来の〈人間〉でいられる環境を考えさせてくれる。環境のみであらず意志もか?
すでに〈人間〉でいられない環境かもしれない日本では、そこへ戻ろうとするための技能が必要なのか?
意志のみで戻れるものか? 
環境を変えなければ不可能なのか?
環境にながされるか? 意志を貫くか?
東ティモールか、インドネシアか?
産むか、中絶か?
原発か、脱原発か?
闇を受け入れるか? 見ぬふりをするか?
どちらにもなれるか、、、、
どちらかにならされるか、、、、
意志にとって負の環境は強大か?
負の環境がなければ、意志の発動はできないのか?
東ティモールは環境に流されて〈人間〉でいられるのか?
いやそうではないだろう、意志がなければダメだろう。
と、すると、意志を後押しする環境があるのか?
意志、技能をもちいて、そうした環境をつくればいいのか?
その本末は逆なのか順なのか?
まだまだ思索の余地はありそうだな。


もうひとつ考えていること。

日本には憲法がある。
憲法前文を読んで、どう感じる。
ありえない? 絵に書いた餅? 綺麗事?
現実的じゃない?
だから変えるか? 卑怯者が。
じゃ、護憲なんていっている者だって、本当にそこを望んでいるのか?
護憲って言ってれば、免罪符になるのか? 卑怯者が。
リアルそこを目指すのは厳しい、、、というのが地球の環境。
でも、わざわざ憲法なんて「言葉」で表さなくても実践する人々がいる。
実践しようとして、実践するのではなく。
生き様として、、、か?
理屈でなく、理論でなく、理由でなく、
そのままの自分としての秩序なのか?
やはり、「戻らないと」ダメなのか?
いや、進むんだろうね。

東ティモールって、実は、日本より、ずっと先をいっている世界じゃないか。
戻るんじゃなくて、ずっと先を歩く人々。
言葉による縛りじゃなくて、言葉の実践ではなくて、
生、そのもの。



映画のあと、広田さんから紹介された、
日本人に伝えてほしいアレックスの言葉。

自分たちの仲間が10人にしかみえなくて、
対するものが巨大にみえて、1000人に見えても、
もしそれが本当に、命に沿った仕事、命が喜ぶ仕事であれば、
亡くなった人の魂がついていてくれるから、
それは1000人どこじゃないから、
絶対に大丈夫だから、恐れないで進んでください。
仕事の途中で命を落とすことがあるかもしれないけど、
それでも大丈夫だから、恐れないで。
途中でどうしても自分の仲間が、10人にしか見えなくなったら、
僕らのことを思い出して欲しい。
僕らは小さかった。
あの巨大な軍を撤退させるなんてことは奇跡だと、
笑われた運動でした。
でも最後には軍は撤退して、僕らは独立しました。
それは幻想でもないし、夢でもないし、現実におきたことだから、どうか、
信じて下さい。


以下、広田さんの解説

命をおとしても大丈夫、、っていうのは彼らの考えをよく表している。
ティモールの言葉では「あなた」と「わたしたち」が同じ「イタ」という言葉で、「わたし」と「あなた」の境がすごくあいまいな世界観で生きている。これは「命がひとつらなり」であるという彼らの感覚のあらわれじゃないか?
自分が死んだら終わりではなく、ずっと連なっていくもの。平和への祈りというものもずっと連綿と連なっていくものだと、アレックスたちは信じている感じがします。
そうすると少し気が楽になって、私たちが死ぬまでに間に合わなくても、強い平和への祈りを少しでも種まきをしていくことも、きっと意味のあることだと、彼らをみていると、思います。


あと、水神様のはなしもありましたが、あまり全部書いてもなにですので、またの機会に。


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この記事へのコメント

愚樵
2012年12月12日 08:01
前々回でしたか。「人権思想が日本人をダメにしたんだ」といった話をさせてもらいましたが。

(自民党がふざけた改憲案を出していますね。基本的人権を蔑ろにするものですが、あれとは一緒にしないでくださいね。)

ご存知の通り、人権思想は市民革命を経て獲得されたものす...って、これ、嘘です。

フランスやアメリカでは本当でしょう。でも、日本では嘘です。他人が命懸けで獲得したものを、ちゃっかりいただいちゃった。

日本の人権は、天皇か下賜されたもの。

明治憲法で天皇は、国民を臣民にしてくださった。現行の憲法は、明治憲法を改正したもので、そこで臣民が(正式に)国民となり、基本的人権もあることになった。

欧米では基本的人権は神から付与されたことになっている。あちらの人たちはそれを信じたから命を賭して闘って、人権を獲得した。

国民の生命財産を大切にしましょう、という権利を命懸けで獲得したんです。文章としては矛盾していますよね? 

日本人は闘っていません。これから闘うことになるのだと思います。でも、果たして闘えるのか?

基本的人権が日本人にあるのだ、だから守るのだ、と思っていてはダメかもしれません。自分の命が大切だと思っていたのでは、命を賭して闘えるわけがない。
毒多
2012年12月13日 08:54
昨日から、風邪だと判断しているアタマが臓器の不機嫌さを関知しています。
「身体」が休ませろと訴えているのに、「アタマ」が働けといい、分裂しています。
この分裂がいけない。本来の身体の訴え以上に悪い状況を生み出します。

と、近況報告をしたとこで。
朦朧としながら、焦点の定まらない疑問。
反論というのではなく、理解、認めたうえで。

命を賭して人権を勝ち取った、、、と、聞いてたしかに日本の人権はそれではないよなぁ、と思います。
しかし、たとえばフランスだとフランス革命ですか? ちょっと調べると1787年。今、生きているフランス人が命を賭して勝ち取った人権という、血肉化されたイメージがあるのでしょうか? もしあるとするのなら「教育」ですか? それとも「神」の承認によって勝ち取った、となるのか?
アメリカの人権ってのも、なんだかなぁ、というのはありますね。人権蹂躙が日常茶飯事でしょ。国内のごく一部の人権しか認めてない。ご都合主義です。

つまり、何がいいたいかというと、フランス、アメリカが「命を賭して獲得した人権」でもなんだかなぁ、という感じということ。

命を賭して獲得した人権が受け継がれているのかなぁ、と感じるのですね。そういうのは風化するんじゃないのか、と。
なぜこんなことを言うかというと、東ティモールです。
もともと受け継がれたものが、発揮された。はたしてもともと受け継がれたもともとは、命を賭して獲得したものだったのだろうか? なんとなく違う気がします。

と、これで日本の与えられた人権を弁護しようとは思いませんが・・・

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