「障害者の逸失利益」・・・和解になったのだけど、

 以前にとりあげたエントリー「ある障害者の死」…命の価値は働くことだけでしょうか」 が裁判になっていて、3.30に判決がでた。思索じたいはすすんでないので再度取り上げるべきか悩むところではあったのだけど、以前取り上げたこともあり報告がてらちょっとだけ書いてみようなかな。
 もともと保険会社による障害者の逸失利益(生きていれば労働によって得られるだろう「金銭的」利益)が「0」という無評価に対して、異議を申し立てた裁判であり、その「ロジック」やら「違和感」を思索したのが前のエントリー。
 具体的には、健常児ならば6000万ぐらい貰える保険料が、逸失利益0のために1600万になりそれは、差別だし、遺憾よね、ってことを社会に訴えたもの。で、今回でた判決は、「逸失利益773万円を含む約3700万円」で「和解」(これは判決とは言うのか言わないのかは知らない)。

報道によると

施設側は「遺族には心からおわびを申し上げるとともに晃平君のご冥福をお祈りしています」とコメント。母親のIさんは「大きな評価なので、さらなる前進があればいい」と話していた。


といくことであった。(ふぅ)

 ぶっちゃけて言っちゃえば、裁判になったので原告、被告(っていうのかな?)という「立場」になったのだけど、施設側も「遺族には心からおわびを申し上げるとともに晃平君のご冥福をお祈りしています」は(多分)最初から一貫して思い言っていて、むしろ心情としても福祉施設を運営する理念としても「差別はおかしく」「逸失利益0はおかしい」という原告と同じ思いだった(だろう)と思う。
 「遺族」による、裁判においての実のとこの訴えは「保険制度(逸失利益0を許容する社会)」だったのだろう。おそらく、最初から障害者の逸失利益が健常者の逸失利益と同等であれば、裁判にならなかったのであろう。もちろん、そんな保険制度を容認して、そんな保険会社と契約していた施設側が矢面にたつのは当然である、ということは言えるのかもしれないけどね。
 つまり「和解」といいうのも「保険会社(制度)」との和解であって、合意にした和解金額も保険会社が支払うものである。しかも、「働く」ことの逸失利益ではなくて、「障害年金一級の受給額を算定基準」にした逸失利益だったってことも、、、、ちょっと、、、、、なんだか、、、(ほんとごめんね)これが「大きな評価」なのかなぁ、って思っちゃうわけだ。確かに大きく金額は変わったけどね。「働くことの意味」で訴えていたのが「障害者年金の受給額」ってのも評価できるのかいな?とは思うのだけど、それはいいや。

 一見〈崇高〉(ここでの「崇高」は崇高を目指すプロセスとか精神とかも含むことにする)を目指しているようで、実はめちゃくちゃ【下世話】な話なような気がするんだけどなぁ・・・ほんとごめんね。こんな酷い言い方はしちゃだめんだよね、きっと。

 以前のエントリーと同じく、それが「金銭」で換算されることへの違和感は同じで、たぶん〈崇高〉へのベクトルで訴えられることへの違和感なんだよね。もしくは、ワタシが勝手に〈崇高〉へのベクトルだと勘違いしているとすると自分への違和感なんだけどさ。
 いやさ「命」そのものは、【下世話】では測ることのできないピュアに〈崇高〉なものだと勝手に思っていて、とうぜんそれに障害者も健常者もないと思っています。それが【下世話】で測られてしまうという違和感で、つまりは〈崇高〉が【崇高】に化けてしまっているという危惧かもしれないなぁ、、。ってこんなことを書いても「遺族」の方には解ってもらえないだろうなぁ。解ってもらえないどころか、反感を買い、下手したら攻撃されるんだろうなぁ。ワタシの正直な違和感なんだけど、こういうことは書いちゃいけないんだろうなぁ。なぜ書いちゃいけない、と察するのか、また考えないとダメなんだろうなぁ。

ほんと、なんかキレの悪いエントリーだなぁ。
  
 

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愚樵
2012年04月02日 06:19
・毒多さん、おはようございます。

自分が違和感を感じることは、正直に表明するほかないんじゃないですかねぇ。 

私なんかだと「ほかない」ことを大上段に、上から目線でカマシてしまいますけど、そこを「戯れ言」ふうにやることができるのが毒多さんの芸風、なんじゃないですか?

要するに“気持ちの悪い”話です。〈崇高〉が【崇高】になって【下世話】と交換可能なものになってしまった。愚樵風に言えば〈クオリティ〉が【リアリティ】に飲み込まれた。

障害者を抱えていた「遺族」。実態はしりませんけれども、イメージ的には弱者。弱者が【リアリティ】であることのカネを、〈命〉と引き替えに求めてなにが悪いのか。そもそもそのように強いているのは【システム】ではないか。にもかかわらず、一方では、【システム】にそぐわないからという理由で、平気でゼロ査定。

遺失利益という観念からして【システム】の理屈ですからね。

【システム】の内部で暮す弱者は、そうぜざるを得ないがゆえに弱者。なので【システム】の論理に従うしかない。拒否できれば〈クオリティ〉的には弱者を脱皮できるけれども、【リアリティ】として弱者であることに変わりはない。同じく【システム】のなかで暮らす者とその現実を識る者が、違和感を唱える。

これ、そうでなくてもきつい作業なのに、【システム】どっぷりの者たちから攻撃の的にされる可能性が高い。

いちぬけた~♪、で、ぜんぜん構わないと思います。

が、抜けられるかどうか? そこが問題なんですよね。苦笑。
毒多
2012年04月02日 08:56
愚樵さん、おはようございます。

このエントリーの内容については1年半まえに議論できましたので、繰り返さなくてもいいと思うのですが、今のワタシのキーワードになっている「崇高」と「下世話」(愚樵さんの言う「クオリティ」と「リアリティ」)で見つめ直しています。

さらには、PPFVさんに提議された内心(違和感)を「言う」「言わない」をさらに考えさせられますね。

遺族のうけた大きな悲しみや空疎感は想像を絶することには言及なんてできないと思うのですが、【システム】のなかの【崇高】でぽっかり空いた心の空洞を埋めなければならない遺族は、本当にそれで大丈夫なのだろうか? そこを評価して大丈夫なの? ということは感じは、やはり「言う」ことになります。
だが、世間は知ってか知らずか弱者に鞭打つようなことは、言うべきでない、と責められることになる。

本村さんは、、、、誰もが認める悲劇を経験してしまった。だから、何もいえないのか?
毒多
2012年04月02日 08:56
「フクシマ」近辺の人も、誰もが認める悲劇を経験してしまった。「不気味」だと感じる内心(これはフクシマ近辺の人のほうがより強く感じていると思うのだけど)を「言って」はならないのだろうか? 実際に「言わずに」そこでの土産物等が高速のどこぞのサービスエリアのゴミ箱に捨てられている、、、と「言う」「言わない」が本当に問題なのだろうか? 言わずに「不気味」を封じ込めるのは健全なのか? では「非不気味」なら言ってもいいのだろうか? 
「言って」それが不用意な不気味であるなら指摘もされるだろう。逆に「非不気味」が必ず正当であるのか?

結局は「言わなければ」、、、始まらない、ということですよね。

そして、さらに重要なことは、不幸な障害者の遺族の方も、本村さんも、「フクシマ」近隣の人々も、【システム】のなかの不幸が大きく〈崇高〉に近づくチャンスなのかもしれない、【システム】に取り込まれていることにさえ気付かずに、暮らしていけてしまうワタシよりも〈幸〉なのかもしれない、、、ということですよね、愚樵さん!!

抜けられるかどうか、、、、、痛っっ!!!!!

愚樵
2012年04月03日 06:03
おおっと! 最後はのけぞってしまうよな勢いですね (^o^)

毒多さん、おはようございます。

>【システム】のなかの不幸が大きく〈崇高〉に近づくチャンスなのかもしれない、【システム】に取り込まれていることにさえ気付かずに、暮らしていけてしまうワタシよりも〈幸〉なのかもしれない、、、

そうです。危機はチャンス、です。ですが...

危機をチャンスに変えることを、私は「アクロバット」というふうに言うんですがね。言うは簡単ですけど、そうなかなか出来るものではない。絶望の果てに湧き上がってくるもの、でも、もし湧き上がってこなければ絶望死だし、湧き上がってくる保証なんて何処にもない。そもそもそんなものがあれば絶望なんて言わない。

なので、アクロバットすればいいじゃん?(←なぜか東京弁。爆)なんて、かる~くは言えないんです。

この問題に比べたら、不気味ということの問題なんか、屁みたいなもの――と私は思ってます。
愚樵
2012年04月03日 06:10
福島の不気味さということでいうならば、今、最もホットな人は赤城修司さんでしょう。ご存知ですか? ブログはやってません。ツイッターとfacebookが舞台です。

(私もfacebookをちゃんと作らないと...)

たとえば、こちらあたり。

http://togetter.com/li/278991

この赤城さんをサポートしている人たちの中に例の安富教授がいて、その人が研究テーマとして取り組んでいるのが「魂の脱植民地化」。これ、冗談じゃなくて、ホントにこのテーマで研究しておられるみたいですよ。

で、その「魂の脱植民地化」というテーマは、「不気味」という話と繋がっていくんです。こういうのって、私の追究してきたこと(毒多さんを引っかき回してきたこと。爆)と、とてもとても近いところにあるんです。

おっと、最後は宣伝になってしまった。ゴメン
遊ばせ~、オホホホホ。
毒多
2012年04月03日 16:18
愚樵さん、いやぁ、すごい風ですねぇ
樵さんは危険ですから、きっとお休みですよね(笑)

前のコメントは勢い余って書いたせいか、ワヤクチャな文章になっているなぁ、と読み返して思いましたが、読み取ってもらってありがとう(笑)。

以下、あえて〈崇高〉という言葉をつかいます。

ワタシがブログを始めたころから書いてきた「ある種の青カン」が「アクロバット」ってことですね。【システム】に弾き出されて、あるところまで「逝っちゃってる」人。これが〈崇高〉に本質的に生きているんだよなぁ。「逝っちゃてる」なんて茶化して書いていますが、この茶化し方がが【システム】内から観た視線なんだろうねぇ。
ワタシの場合には、その「逝っちゃてる」が、他者の「アクロバット」であって自己のものではない。【システム】内において頭で考えたものだから、不安定極まりない。不安定というか、そこを想像するだけで、なにも血肉化されてなく、さらにさらにそおの脳内解釈さえ不安定なものだから、ときに【システム】内保守に巻き返される。よくご存知でしょ(笑)。
毒多
2012年04月03日 16:18
というなかで、2つの問題を考えてしまいます。

一つ目は、まず、どうしようもない「不幸」がなければ、気付かないのか?
「不幸」がチャンスであるにしても、それを〈幸〉に転ずるのは「アクロバット」であることは想像できます。生半可ではない。でも、【システム】内の【幸福】よりも、ずっと〈崇高〉の近くにいる。「不幸」ではないワタシは、自分にどうしようもない「不幸」が振りかかる前にトレーニングもしているつもり、、、、って、何か変でしょ(笑)。つまり、「不幸」がチャンスであることは分かるのですが、では「不幸」がなければ「アクロバット」しにくいものなのでしょうか? ある意味、「不幸」を経由して気づくよりも「不幸」を経由せずに気づくことのほうが「アクロバット」のような気もしています(自己弁護じゃなくてね)。

2つ目は、おそらく皆が気づけば【システム】が〈システム〉になるのだろうと思いますが、はたしてそんなことは有りうるのだろうか?ということです。

毒多
2012年04月03日 16:18
この前ね、テレビで「世界のなかの日本人」っていうようなタイトルの番組をやっていたんですね。(日本からは)地の果てのような僻地、衣食住、水熱光にも厳しい地域にひとり移り住んで現地の人(を助けながら、また助けられながら)生活している人。結構〈崇高〉だなぁ、と思いましたよ。テレビ取材が入っても他者に対する「愚痴」も「責任追及」も「ご意見」も「説教」も「ご批判」もなく淡々と生活している様子でした。実際には必要で最低限はあるのでしょうが、おそらく衣食住、水熱光の有る無しを超越している人。こういう人たちは、もし衣食住、水熱光が満ち足りていても、何かが「違う」のだろうなぁ、と想像します。ああ、〈崇高〉の具現ってのはこんな感じなのかなぁ。です。
で、こんな具合に皆が気づき〈崇高〉になれば【システム】が〈システム〉になるような気がしますが、果たしてそんなことが有りうるのだろうか? という疑問はもっています。「システム」は【システム】が宿命付けられているのではないか?と。

おっと忘れてた。赤城修司さんという人は知りません。
相変わらずツイッタもフェイスブックもやってないんです。
ぼちぼち記憶しておきます。

愚樵
2012年04月04日 05:33
・毒多さん、おはようございます。

二つ目の問いからお答します。

わかりません。ただ、できるものと信じています。私は。

できるものだとすると、それは【システム】の仕組みを解明しなければなりません。それもなるべく平易に。平易であればあるほど、これは1の問いの答えにもなっていきますが、「アクロバット」が容易なものになっていく。

「気づき」には「不幸」が要ります。これは原理的に仕方がないことのようです。大きな「不幸」ほど大きな「気づき」を招き寄せますが、高度な「アクロバット」も要求されるようになる。で、「大きな気づき」が要求されるのは【システム】の構造が隠蔽されているから、という話になるのですね。

私がやりたいのは、隠蔽されている【システム】の構造を暴き立てて、要求される「アクロバット」の難度を下げると共に、「アクロバット」についての新たな技法を開発すること。

そういった野望(笑)の実現できるならば、2の問いの答えは「できる」になります。

新たな技法といっても一から構築するわけではないし、そんなことができようはずもない。既成の技法の応用になるが、その既成の技法が野口整体だろうということ。

私のところのコメント欄でアキラさんが「野口整体の新たな時代」なんて仰ってますけど、まあ、そういうことです。アキラさんにはガンジーになってもらわなければならない。笑。
愚樵
2012年04月04日 05:45
それと。毒多さんがツイッタやFBをやっていないであろうことは、わかっています。赤城さんを紹介したのは、別にツイッタやFBのアカウントを持っていなくても見ることが出来るからです。

“赤城修司”で検索して頂くといろいろ出てきます。毒多さんでも見ることが出来るはずです。

フクシマのことを語りたいのなら、その情報を仕入れたいのなら、赤城さんというチャンネルが優れていますよ、という話です。

ところでそれはそれとして。

これは私の希望というか今後の方針ですが、〈対話〉の場はツイッタかFBへ以降させて行きたい思っているんです。

問題提起の場面については、ブログは未だに高い有効性をもっています。しかし、その後の〈対話〉、今、このコメントがまさにそうですが、場としてはツイッタかFBの方がよいようです。情報の伝播力が圧倒的に違う。

結局、ブログというのは、問題提起に興味を持ってもらわなければ、その後の〈対話〉がいかに面白いものであっても、広まっていく可能性は小さいんですね。いきなりコメント欄を読みにいく人はいませんから。

けれども、ツイッタやFBなら、その〈対話〉から問題提起に興味を持つということがあり得る。あり得るというより〈対話〉に興味をもつ方が人間としては自然な形だと思うんです。その点、ツイッタ・FBは、向いているんです。
愚樵
2012年04月04日 05:58
すぺーすのいどさんはツイッタのアカウントを取得しておられるので、今後、あちらへのコメントはツイッタ経由にしようと思っています。そうすれば、私の発言を読んでもらうのにすぺーすのいどさんのブログへ行かなくて済む。

できればこちらもそのような形にならないかと思っているんです。というのも、コメントとはいえかなりの労力を要します。なので、効率的にこなさないと続かなくなる。

近頃私もぼちぼちツイッタでの〈対話〉が増えてきたんですね。これでFBも始めてしまうと、なおのこと対話の機会が増えるだろうと思っている。ツイッタとFBは連携できるんです。でも、ブログコメントとツイッタ・FBは今のところ連携できない。となると、どうしても連携できる方へ労力を注ぐということになります。

それにね、正直、ここのコメント欄は見にくいし、書き込みにくいというのもあるんです。コメント欄は、どうみても付随的なものとしてしか設計されていませんよね。
毒多
2012年04月04日 09:01
愚樵さん、うーーーん、とこどっこいしょ、、、なんて挨拶だ(爆)

まず本題のほうも、いろいろあるんだけど、、ってか、これもツイッタorFACEBOOKでやったほうがいいのかな?

「ツイッタなんかやんねーよ宣言」を木の洞ブログでやったせいか、今更かっこ悪くて、、、、爆!! もっとも、そこのメンバー数名もここを見てるかどうかは分かんないだけどね。
まあ、やらず嫌いなのかもしれませんが、拒否感の最初の理由としては、「思索」は「つぶやき」じゃねーよ、ってささやかな主張ね。2-3行で垂れ流されるもんなんざ、その程度、のもので、さらに思い立った情報なんざ鬱ろい流されるもんだろ、って思い。そのへんはブログでも大概ヤバいと感じているのに、さらにお気軽になると、、、、いう危惧。
実際にほんのたまにみかけるツイッターも、それで、、何??、、って感じだもの。さらに、ブログに(自動更新?)される、あれ、、、、が、わけわかんない?読み始める気も起きない。これは新しいもの(特に流行りモノ)に慎重というか、覚えるのが億劫、、、という、性格もあるのかも。
毒多
2012年04月04日 09:02
最後の「億劫」という理由を除いては、愚樵さんのいうとこの「問題(思索)提起」としてのツールとしてツイッタはどないもんでしょう? ってことであって、「対話」としてのツールが便利、、、という意識は全くなかった。どう便利かは、実感がないけどね。

FBも用途があまり分からないし、サヨッピー出身のワタシとしては、本名やら写真やらを晒すのは(権力にたいし)危険という、(意識過剰で無意味な)埋めこめられた恐怖心がまだある、、、ってことかな?

まあ、想像で拒否ってのもイタイかもしれないし、やってみなければ分からない、、、、ってのは、それはそうかもしれないね。
何よりも、愚樵さんにツイッタじゃないと遊んでやんねェ~よ(笑)って、言われると、、、、あらま、そうなの?、、、ねぇ、、、どうしましょう、、、、、って、ちょいと思っている。

真面目に考えてみます。

愚樵@今日はサボリ
2012年04月04日 10:31
・毒多さん

毒多さんがついったやらなくても遊びには来ますけどね...(^_^;

もう少し下世話にいうと、もったいないという話なんです。ここでの対話、自分のコメもそうだけど(笑)、みんなのコメント面白いからここで閉じてしまうのはもったいないといつも思っているんです。毒多さん自身も、コメントでの展開を期待して書いているところが少なからずあるでしょう?

ツイッターは、極端な使い方をすればいいと思います。アカウントを取得して、誰もフォローはしない。そうすればどこからも勝手に情報は流れてきません。入ってくるのは、毒多さんに向かって送るツイート(リプライといいます)だけです。

そのリプライを毒多さんがリツイートしてれれば、@毒多のアカウントを見に行けば、他の人も見てもコメントの応答になるという具合。それを自分のTLでみたければ、@毒多をフォローということになる。

とりあえずフォロワー無しで、はじめてはどうでしょう?
sv400s_dracin
2012年04月04日 12:38
 フェイスブックもツイッターもアカウントをもってる…流行に煩いsv400s_dracinです…嘘です…別に顔ばれしても、取り立てて困らないし…名前もばれてもいいかなって…感じなので…サヨクじゃないし…たまたま、名前がお玉さんや超左翼おじさん等々に、ばれたのは、スズキ車のバイク乗りだという特定しやすい格好とお玉さんところにコメントした時、つい名前を入力したためですが、ま、いいかって、感じです…松竹さんには、話しかけられたときには、「あ、わかるよなぁ、(周囲を見渡しても)いかにもバイク乗りっていう感じのは私だけだしなぁ」とは、思いました…
 フェイスブックは実際にお会いした事がある方以外は、友達申請はお断りしていますが…市議会議員とか、申請されたので、丁重に無視した…それに闇雲に増えるとわけがわからなくなるっていうことをツイッターで勉強したので…ツイッターは最近はフォローをどんどん、はずし、すべて、リストに入れてます…そのほうが便利だとわかったので…というか、ツイッターのバグで勝手にはずれた時期もあったようです…外れたものは、放置してます…ツイッターでは、コメント欄の比じゃないくらい毒舌ですけど…石くらい飛んでくるかもしれません…
毒多
2012年04月04日 13:11
愚樵さん
取り敢えず、登録したよん。
登録のステップで、5人フォローしろって命令されたんで、苦労して愚樵さんと、赤城さんを登録したところで、下の方に「スキップ」ってのを見つけた。
プロフィールに住まいと、ブログのアドレスをいれて、デザインを変えた。
で、「とりあえず、はじめた」とツィートしてみた。

さて次はどうすればいい??(笑)

sv400sさんが書かれていることが、ツイッターのよりベターな使い方なんだろうなぁ、と想像はつくけど、具体的にはなんのこっちゃ解りません(笑)
ツイッターでは「毒舌」になり、ブログコメ欄では「マジカル」になるのはなんでなんでしょう?
それは、ホームとアウェイという理由だからでしょうか?


sv400s_dracin@毒多さんへ
2012年04月04日 13:46
>ツイッターでは「毒舌」になり、ブログコメ欄では「マジカル」になるのはなんでなんでしょう?
>それは、ホームとアウェイという理由だからでしょうか?

 端的にいうと、そのとおりです…アウェイのときは、カテナチオを組みたくなるのは、私が現役の頃は、キーパーへのバックパスがOKだったことと、3バックで一人余らせるスイーパーが普通の戦術だったせいかも…ボランチって、言葉はワールドカップアメリカ大会以降だったと…真ん中の守備的なMFっていいましたよねぇ…以下略…
 ツイッターの使い方が双方向とはいえません…また、スポーツ観戦に使用してることが多いってことも一因です…ついつい、「金本をいつまで、レフトにつかうんじゃ、おらぁ」とか、「こんな場面で投手を代走に使って、恥ずかしいんじゃ、真弓」…その他、例題「玉田、そこではずすか!」「ケネディ!ゴーーるぅーーー」「ストイコビッチ、今も、ボール扱いうまー」…
 そのほか、本を読んだ記録を残す等にも、使ってます…FBとツイッターを連動させているので、同時に送信してます…
 早速、毒多さんのアカウントを見つけましたので、リストに放り込みました…
愚樵@ちょっと疲れ気味。
2012年04月04日 17:14
毒多さん、開設おめでとうございます。

私をフォローしていただいたということは、「バトル」ご覧になってました? たぶん、私のツイートしか見えていないと思うけど?

とりあえずDM送っておきました。

と、そうだ。私、sv400s_dracinさん、フォローしてなかったけ? あると思ってたんだけど、いま、フォロワーリスト見たら見当たらないんだよなぁ
毒多
2012年04月05日 06:42
sv400s_dracinさん
リストアップありがとう、リスト名が「左な人たち」って、爆!!

愚樵さん
いろいろありがとう、ぼちぼちですね。
行くか戻るかは、もう少し様子をみてからにします(笑)

えちごっぺ
2012年04月08日 16:38
こんにちは。

プロ市民(爆)毒多さんのアカウント見つけたんで、フォローさせていただきました。
ツイッターはやらないんじゃないかと、1人で思い込んでいたので軽い驚きを感じつつ・・・

別にフォローを求めているわけではないのであしからず(笑)
赤城修司さんはかなり前から私もフォローしてました。
私の場合はブログに来て下さる人たちとの日常のたわいのないつぶやきがほとんどです・・・

毒多
2012年04月09日 08:26
おはようございます。

ツイッターはやりません、と宣言はしてたんですが、やらず嫌いの可能性を危惧して、取り敢えずアカウントをとってみました。
3-4日ほどたちましたが、、うーむ、微妙??

もう少ししたらエントリーしようかな、と思っています。

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  • 障害者がもらえる「さかのぼり請求金額」が来た

    Excerpt: 障害者認定を受け、以前の障害者年金も貰える。社会保険労務士にお世話になると2割程度,支払うので自ら手続き,さかのぼり請求金額約400万円をもらう。 Weblog: 脳挫傷による見えない障害と闘いながら racked: 2012-04-20 13:42