「九条原理主義」…達成すれば必要ない原理

 いきなりなんだが、どういうわけか(笑)「教条主義」をググってみた。
で、先頭にあったのが「はてなキーワード」だったので、素直なワタシはそれをクリックする。そんでもって、クリックしたままフリーズしたわけだ。


教条主義

ドグマチズム?
状現実を無視して、特定の原理原則に固執する考え方や態度。
特にマルクス主義において、現実を無視してイデオロギーに固執する人を指す。
転じて融通の利かない人を揶揄する言葉。


事例
憲法9条原理主義者
極左暴力集団
カルト宗教信者


(はてなキーワード、より)



 なんだ、ナンダ、旦那が何だ・・ってのはカビが生えていそうだな(爆)、それにしても、なんなんだこの事例は!!!?
 まるで自称「憲法9条原理主義者」のワタシが教条主義で(=)極左暴力集団で(=)カルト宗教信者、みたいではないか!! 「はてな」は間違いなくワタシを陥れようとしている。極左暴力集団でカルト宗教信者なんぞ流言飛語もいいとこだ。印象操作だぞ~、人権侵害だぁ~!! 捏造による差別だぁ~!! はぁはぁはぁはぁ、・・・いやちょっと待て、頭から否定してはいけない。ちょっとだけ振り返ってみよ、もしやワタシは教条主義で(=)極左暴力集団で(=)カルト宗教信者かもしれない、、かな、、、と。

、、、と、前フリをしたとこで、鈴木規夫イスラーム講演録の続きである。といっても講演の締めの部分の報告をちょっとだけ。
 この講演って9条の会の講演会なんだよね。だから、なんか無理矢理9条と結びつけたんじゃなのぉぉお???っていう話で締められたの。
 イスラームと九条の融合の可能性だってさ。
 まあ、イスラームも九条も「思想の力」でもって、平和に向かおうとしているから融合できるかもね、っていうの。レジュメには、イスラームも九条も「戦争のある世界をありのままに認識しつつ『地上の平和』を自称している信仰システムである」ことが同じだと書いてある。

 え、ええぇ~!! ええええええぇ~!!!! そうなん?? 違うんとちゃうの~!!??
ってのが感じたとこね。「思想の力」で平和に向かおうとしているのはいいさ。でもさ、九条ってのは「戦争のある世界をありのままに認識」してるのかな? ここ違和感。護憲のみなさん、実際にそうなのですか? だから 「自衛隊」に関してもそんな解釈なのだろうか?
  以前このブログでコメントで「自衛隊なんかどんな名称だろうが軍隊で、九条と矛盾してるだろ、だから九条は変えるべき」って頂いた。ワタシのほうは九条原理主義だから「自衛隊=軍隊」解散と思ってるんだけど、世間的な護憲ってのは「戦争のある世界をありのままに認識しつつ『地上の平和』を望んでいる」のだろうか??
「一般的な護憲」と「原理主義的護憲」の違いはここなのだろうか、そういや教条主義ってのも「現実を無視してイデオロギーに固執する人」って書いてあるな。現実ってのが戦争のある社会で、それを無視して九条っていうイデオロギーに固執するわけだから、やっぱりワタシも教条主義者なのかいな??
とちょっと疑問に思った次第。

 ただね、前のエントリーで出てくる「イスラーム原理主義」ってのは、イスラームの原理による「平和」のためにはジハード(ここでは聖戦)もOKで、キリスト教原理主義でいけばカモン、ハルマゲドンってさ非常に暴力的なんだけど、九条の原理は暴力、戦争を否定しているわけだから、九条原理による平和実現のためにジハードやハルマゲドンなんかを経由しては自己矛盾におちいる。決して極左「暴力」集団になれないわけだ。
 そうそう、現実を無視しているわけではなく、戦争のある現実を「九条」でもって変えていこうっていうのだから、教条主義でもないぞ。イスラーム原理主義やキリスト教原理主義と一緒にせんといて欲しいもんだ。
 また九条には信仰があるわけでなく、そこに至ったら、つまり戦争がなくなった世界に至ったなら武器を持たなくなれば、九条自身は必要なくなるわけだ。イスラームやらキリスト教ってのはそこに至っても(イスラーム単一世界やキリスト教単一世界のそれぞれがいうところの平和世界の実現)その信仰はなくならないわけだから、やはり、九条と宗教とは違うと思うぞ。はて、九条が実現に至った世界では九条にかわり何かしらの「信仰のシステム」ってのは必要なのだろうか?
 
 取りあえず今のとこ、九条は九条をなくすために存在している思想なんだよね。



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この記事へのコメント

愚樵
2009年12月02日 06:54
9条が「思想の力」??? こういうのは左派の人は好みそうだけど...、私は違うと思う。9条は情念ですよ。殺し合いはいやだ、戦争はダメという素朴な情念と、たまたま表向きが合致しただけの思想。

「差別」のエントリーで示したやり方でいきますと、情念は一次で思想は二次なんです。9条ってのは、とどのつまり「みんななかよく」ですから、身体的には弛緩の方向のはず。ところが護憲派で寄り集まると、身体が緊張してしまうことも多い。これ、二次である思想が身体にフィードバックして、緊張をもたらしているわけです。その緊張がまた思想にフィードバックして...、ということを繰り返すと先鋭的な原理主義者となる。平和を目指す9条であっても簡単に先鋭化します。

9条がなぜ日本国民に支持されたのか。戦争が終わって緊張状態が融け、みんなが弛緩したところで出てきたものだったからです。日本国民は長らくその「弛緩」を忘れていなかったし、いままた「弛緩」を求めている。

9条を緊張のために用いたのが左派であり、左派が駆使するのが「思想の力」。だから、民衆は「護憲運動」というと警戒するんです。緊張させられると直感するから。そうした民衆の下地にあるのは一次的な「情念」です。
dr.stonefly
2009年12月02日 15:32
うーむ、おもしろい!!
エントリーより面白いコメをされたんじゃ立場がないなぁ~、なんてね。
そうそう、九条は思想だろ、っていうワタシは完璧サヨだ。しかも緊張感を振りまくているってか、ククク(笑)
それにしても、愚樵さんは面白いなぁ。いろいろ妄想は広がるよ。「弛緩」と「緊張」は身体か?精神か?どちらが先なんだろう、なんていらぬことを考えてみてしまったり、雨宮処凛風に左翼が緊張なら右翼は弛緩なのかなぁ、と仮説をたててみたり、、、。九条が緊張なら自衛隊は弛緩なんだろうか? とか、人はそも緊張と弛緩とどちらを求めているのだろう???とか、思想が緊張なら弛緩は無思想なのかなぁ?? とか。。弛緩がつづくことがあるのだろうか?? 弛緩がつづくと緊張を求めたりしないのだろうか、とか、面白すぎます。
やっぱりワタシは左翼で先鋭的9条原理主義者だったのかもしれない。それにしても、困りました。護憲で9条を広めなければならない使命をもったワタシはどうしたらいいんでしょうねぇ。護憲を広げるのためには弛緩しなくちゃならないのか? もともと締まりのない顔はしてるんですがねぇ、、、爆!!

それはそうと、思想の次には何がくるのだろう?
差異→区別→差別
情念→思考→??、、、信念??
   ふぅ、、、
えちごっぺ
2009年12月05日 21:46
こんばんは!

あれれ~?珍しく静かなようなので・・・

九条が思想であるか、情念であるかは申し訳ないですが私の頭では何も言うことができず、申し訳ないです・・・

その頭から浮かんできたといえば浮かんできたのが「ツール」であるという考えでした。(それてしまい、すみません)
それも、自国民より他国の人のほうが時として羨ましがるある意味、変な「ツール」です。
生まれたいきさつはどうであれ、世界でも珍しい「ツール」なので太田じゃないけど、手放す必要はないでしょう・・・
っていうか、絶対手放してはなりません!
しかし、「情念」を扇動してやばいほうに仕向けますよね!お上は・・・
もう、感情の錬金術で神様にされるのは御免です・・・




2009年12月06日 10:49
国家の武装を禁じた憲法九条は『思想』か。はたまた『情念』か。
何時でも主義主張や理論が先走る左翼は間違いなく『思想』(理想?)だと思っているはずです。
何しろ何時でも『思想』(理論)を優先させ、高邁な『理想』を語る考え方なので左翼になっているのですから其れ以外の答えが出て来る事は少ない。
対して元々理論より情念が優先していた右翼ならこれも間違いなく『情念』でしょ。
其れも怒りとか恐れとか恨みの感情とそこから発展した蔑視や敵愾心など『真っ黒な負の情念』ですね。
作る会など右翼の9条に対する態度は『反感』とか『反対』などの思想心情ではなく、癒しがたい憎しみや挫折感、尋常でない恨みの感情(情念)が感じられます。
何故そこまで右翼が9条に恨みの感情を持つかですが、これには必ず理論的根拠や歴史的な経過がある。(と理論優先の左翼の一人なので考える)

国家の武装(2項)や国家だけに許されている戦争(1項)を否定したのが9条で、『9条がある限り日本国は半人前である』との考えが右翼や保守にはある。
それではこの右翼の考え方は間違いか。?私は十分に根拠がある話であると思っています。
1項については第一次世界大戦後の世界の世論は概ねパリ不戦条約にあるように『戦争は不法である』の考え方でコンセンサスは出来ている。
ところが自衛戦争は(禁止されている)戦争でないとの論理(抜け道)で一次より比べられないほど大きく悲惨な第二次世界大戦が引き起こされるが、この教訓から国家の武装を禁じた2項が出来上がる。
アメリカによって日本の国家としての大事な部分(国軍)が去勢されていると見るのが右翼です。これなら9条に憎しみを募らせるのは理解できます。
国家とはなにか。?
2009年12月06日 11:04
マルクスは警察とか軍隊などの暴力装置の事であると喝破するし毛沢東も『鉄砲から政権が生まれる』と言っているし国家のトップは必ず国軍の最高司令官です。オバマはアフガン増派に当たって文民のではなく大統領『最高司令官として』とはっきり発言している。
こう考えていくと左翼も右翼も同じ考えなのです。
長い人類の歴史上、国家の無い軍隊はあったが、軍隊の無い国家は何処にもなかった。
9条とは人類史上かってなった新しい試みなのです。
ちっぽけな思想や情念なんかの範疇を遥かに凌駕する思想の中の思想、情念のなかの情念、人類社会の遥かな高みに聳え立つ絶対宗教、いうならば『神』なのです。
元々日本にあった古来からの神々は明治維新の廃仏毀釈で殺され国家神道の神は第二次世界大戦の敗戦後アメリカによって殺され、結果日本は無道徳無節操な国家が出来上がったとするなら、最悪に残った『神』とは国家の本性(本体)ともいうべき国家の武装、国家の暴力を否定する憲法9条以外には考えられないでしょう。
それなら右翼が企んでいる3度目の『神殺し』を決して許してはいけない。
今の世界はイスラム原理主義やアメリカのキリスト教福音派原理主義などの『情念』が騒動の種を世界に振りまいていあすが、これに対して思想や理論だけではパワー不足で勝てません。
これ等の危険な原理主義に対抗するだけの力があるのは宗教としての「九条原理主義」以外には無い。(我ながら論理が強引ですが、何しろ9条は宗教(神)ですから当然です)
えちごっぺ
2009年12月06日 12:02
度々、失礼します。
>それはそうと、思想の次には何がくるのだろう?・・・
何と!宗教(神)なんですね!
逝きし世の面影さんのコメント、難しい言葉がなく、私にも理解できました。
なるほど、左翼→思想、右翼→情念とは納得、かつ同感です。
>9条とは人類史上かってなった新しい試みなのです。
ちっぽけな思想や情念なんかの範疇を遥かに凌駕する思想の中の思想、情念のなかの情念、人類社会の遥かな高みに聳え立つ絶対宗教、いうならば『神』なのです。・・・
う~ん、右も左も平伏す決定打ですね!
やはり、我々はこの「宗教」を世界中にもっと広めなくてはいけませんし、義務があります。
逝きし世の面影さん、ありがとうございました。









dr.stonefly
2009年12月07日 16:53

えちごっぺさん

どうも、どうも、
>珍しく静かなようなので・・・
ははは、ワタシとしては、みなさまに思索をいただいた「差別」のエントリーはこの講演録(今回のエントリー)の「前段」のつもりだったんですが、そちらの方が興味をもって頂いたようです。
それでも、愚樵さんの「思想」か「情念」か、という言葉から逝きし世の面影さんに解り易く「思索のヒント」を頂き感謝しています、、よね。
もちろんえちごっぺさんのコメントも考える道筋をいただき感謝してますよ。

dr.stonefly
2009年12月07日 16:54

逝きし世の面影さん

実は最近ワタシはリアルの某九条の会の(お恥ずかしながら)会長になりまして、ひそかに「勉強会」を企てているわけですが、(おそらく深く議論したことがないだろう人たち(想定)を集めようとするなか、初めの勉強会のテーマとして「九条とは(九条の正体とは)」を考えています。で、ワタシ自身もちゃんと、意見と反証とを持ち、勉強会のプログラムを組み立てを練らなければならない、と思っていた矢先に非常に有り難いコメントを頂いたと感謝しています。
(解り易い言葉を使っていただけることにも、えちごっぺさんと共に感謝します、笑)

しかしなぁ、考えどこだな~、とも思っています。
もちろん9条原理主義のワタシ自身はそれを神(宗教)と捉えることに違和感がないのですが、はたして、リアル勉強会でそういう方向へ持っていっていいかどうか悩むところです。
特に自衛隊・軍隊との関わりでいくと、この前、同9条の会で催した講演会(また次回エントリーをupするつもり)の講師もそうだったのですが、護憲派のなかにも「解釈合憲」に乗っている人が多そうです。さらに「防衛」という国家の原則的役割(今では非常に疑わしいと思っていますが)をもとに安心している9条の会の人も多々いそうです。
dr.stonefly
2009年12月07日 16:54
(つづき)
愚樵さんがいうところの「緊張」と「弛緩」でいけば、9条の会の勉強会というだけで「緊張」しそうなところで、9条は神であり宗教である、と言い出せばドン引きされそうな気がします。
取りあえずリアルの目標は、「何となく9条を護りたい、9条が変えられるとヤバい」と実感するところですので、いきなり、史上初の軍隊のない国家を目指す、9条原理で世界を変えよう、というのは受け入れられるのだろうか、心配・・・・、いやいやホントはそういう気概がなければ9条を護ろうなんて言えないのだろうかどねぇ、、、。やっぱ少しづつだな(笑)

勉強会で「結論」を出すつもりがはありません。みんなが考えるきっかけになればいいと思っています。


愚樵
2009年12月08日 05:47
9条は神ということでちょっと思い出しました。

南無浄瑠璃光
われら人の内なる薬師如来
われらの 日本国憲法第九条をして
世界の すべての国々の憲法第九条に 取り入れさせたまえ
人類をして 武器のない恒久平和の基盤の上に 立たしめたまえ

神じゃなくて仏なんですけどね。薬師如来だから。

ちなみにこの詩は華氏451度さんから教えてもらいました。どうしてるのかな、華氏さん。

この詩は見事に情念の詩でしょう? 平和を願う人々の心を薬師如来という治癒の仏様という形で表現したんですね。薬師如来を思想だと観ることも出来るけど、そうみるとこの詩は全く面白くない。伝わってこないですよね、何も。

伝わってくるかどうかは、自分の身体の反応を観察すればわかります。伝わっていれば、身体は弛緩するはずです。
2009年12月08日 10:27
愚樵さんの、非武装の9条は弛緩で、武装は緊張との説は我々護憲派の人々では異論は無いかも知れませんが、改憲論者は正反対だと思っているはずですよ。
何しろ全米ライフル協会会長は『枕の下に銃を入れていると、安眠出来る』と言っている。
この考え方は憲法9条があるために、外国(北朝鮮)が攻めて来ると思って心配で心配で眠れない日本の改憲派と共通する感性でしょう。
武装しているれば安心して弛緩できるが、非武装では(誰かが襲って来ると思っているので)不安で不安で緊張しているのです。
アメリカではこの『武装していないと襲ってくる』との考え方は大は国家から小は市民一人一人まで共通の考え方で一貫していて、ある意味筋が通っている。
民主主義国家ならば、国家に武装権があるなら、なおさら個人には武装する権利があります。
アメリカでは本当に第三次世界大戦が必ず起こると思っている人々が沢山いて民間武装組織(ミリシア)が常時軍事訓練に励んでいるし、核シェルターを自家用に用意して食料も備蓄している人もいる。
自主防衛が基本的な考え方で、自助努力、自己責任の世界なのです。
昔訪ねた知人のアラスカ山岳会員の家には壁一面に銃が飾ってあり拳銃やライフル以外にも軍用M16自動小銃まであった。
ところが不思議な事に日本では国家の武装を主張する人はいても個人の武装を主張する人は一人もいませんが、これは主張が一貫していず、間違いです。
何故なら国家の武装(自主防衛)の基本は他人に頼らず『自らを自らが守る』ことである筈で、それなら国家の武装の必要があるなら、それ以上に個人の武装が必要になる。
皆が家の下を掘ってシェルターを作り水と食料、手斧とかボーガン、猟銃を用意。
此処で一番大事な注意点は常時回りを監視すること。家の境界を超えて入ってくる不審者は、たとえ隣人でも無断の時は警告のために一発お見舞いする。
dr.stonefly
2009年12月08日 16:42
愚樵さん

これは「情念の詩」というようりも「祈り(祈祷)」を連想しました。祈りは弛緩かなぁ。最近では、あんまりお祈りをしたことないから、実感がないや。
なんていうと、ますます宗教っぽいなぁ(笑)。いいんだけど。
同じ内容でも、左翼的シュプレヒコールでは変わってくるんだろうね。

我々人民わぁ~、憲法九条を護るぞぉお~!! おぉ!!
全ての国に九条を広めるぞぉ!! おぉ!!
人類から全ての武器を解放するぞぉ!! 異議な~し!!
恒久平和を目指すぞぉ~!! おおおおおおお!!

♫たて~、うえたるもの~、、、よ! 

ってね。これじゃバリバリの緊張だ。

ほんと華氏さんは達者にしてるのかなぁ。

dr.stonefly
2009年12月08日 16:43
逝きし世の面影さん

う~む。現状、具体的に9条の一番大きな存在意義は、アメリカに対してこそある気がしてきました。(情宣されている北朝鮮など微塵の心配もいらないでしょう)。
思想か情念か、という問題もあるのでしょうが、戦争や武装自衛や「キリスト教原理支配のための戦争」がデフォルトのアメリカに対して唯一抵抗できるのが、9条ではないでしょうか? もし9条が放棄されれば、アメリカのデフォが日本のデフォになっていくような気がしてたまりません。軍事的思想も完璧に乗り込まれ、自己責任にて武装で自衛が普通の市民、、、、タメイキ。

それにしても、「武装」が「弛緩」というのは、すごいですね。
他者を信用出来ないメンタリティが如実に現れているではありませんか。まず「緊張」ありき、デフォが「緊張」なんですよね、それで武装で弛緩。緊張の裏には「恐怖心」「猜疑心」が見える。いかにも貧相です。この貧相さが常に生活のなかにある。(高校生の服部君が「フリーズ」が聞こえなかった?だけで射殺された、という事件を思い出します。)
「恐怖心」「猜疑心」が生み出す心理は「虚勢」でしょう。これは危険だ。メチャクチャやってくる。
dr.stonefly
2009年12月08日 16:43
(つづき)
それに対して日本は「弛緩」がデフォなんじゃないかな?だから
>個人の武装を主張する人(は一人もいません)
に至らない。
また九条を護ろうとする人も多い。
九条護憲ってのは、まかり間違ってもアメリカじゃ考えられないでしょう。
この護憲運動は日本だから成り立つものかもしれません。そう考えると日本も捨てたものじゃない。
ただ日本だから成り立つ9条も日本一国のものでは意味をなさない。愚樵さんが紹介してくれた「祈り」、、じゃないや「詩」です。
やはり、全ての国に9条を広めて9条が意味をなさなくするのが、9条の存在価値です。最強にて最悪のアメリカにいかに9条を認めさせるか。
九条=「神」、ということで洗脳できないかなぁ、、、原理好きな国だしなぁ、、、無理か、爆!!、、、ってより「洗脳」って、、、いよいよもってヤバくなってきたなぁ。

みみず
2009年12月10日 16:17
ドグマといえば「ドグマチール(ドグマ散る)」という素晴らしいネーミングの抗精神病薬(抗うつ剤としても使われる)がありますよ!>職業病

愚樵さんのコメントは面白いなあ!「情念と思想」「弛緩と緊張」・・・なるほど!

フェミニズムも、九条と同じく、フェミニズムをなくすために存在しているものだと私は理解しているし、私にとってフェミニズムは(九条も)「情念」なので、イデオロギー的な扱いを受けると、非常に戸惑うのです。こういうことだったのかあ、と目からウロコな気分。

周回遅れのコメント失礼しました~。
dr.stonefly
2009年12月11日 08:20
みみずさん、おはよ。

ドグマといえば、エヴァの要塞セントラルドグマ、、、タメイキ、、もういいか。>エヴァフリーク

ね、愚樵さんのコメント面白いでしょ。
で、フェミも「情念」ってのもやっぱり面白い。

これね、ちょっと考えてみたんだけど、「九条」も「フェミ」も「諸差別問題」も、、そうだな、、「従軍慰安婦」(この言い方拙かったんだっけ?)、、も「思想」と捉える人と「情念」と捉える人がいると思うのね。
前者が机上の思考で、後者がリアルでの肌感覚。
っていう基準はどう思う?
ワタシにとっては、フェミが「思想」で寄せ場は「情念」です。寄せ場を思想的に述べられると戸惑う。
もうひとつ言うなら、フェミが「緊張」で寄せ場は「弛緩」・・・って、おい弛緩していてどうすんねん!! というツッコミは甘んじて受け止めて、運動=弛緩って感覚、なんとなく解るでしょ??

さて、9条は、、ワタシにとっては、やっぱり机上の思想であり、緊張かなぁ。たとえば沖縄の米軍基地に日々悩まされている人にとっては、9条も情念になるのかもしれないなぁ、、、













みみず
2009年12月11日 14:47
>フェミが「緊張」で寄せ場は「弛緩」

えらい妙な並べ方をしはりましたなあ。(^-^;)
私にとっては、政策提言のためのワーキンググループ活動が「緊張」で、相談室が「弛緩」です。相談室の「情念」を目的のために「思想」化する、という感じかなあ。

「情念」の現場を持たない「思想」は上滑りで説得力を持たないようにも思いますね。
dr.stonefly
2009年12月11日 16:28
>えらい妙な並べ方
いやさ、解り易いかなぁと思ってね。

それにしても、「情念」があったうえの「思想」ね。そうかぁ、、一個人の一テーマのなかにも「情念」と「思想」があるわけだ。「情念」の上の「思想」か、上滑りの「思想」か、かぁ、、、なるほどねぇ。腑に落ちるところはあるな。
特にネット上ではね(笑)、、、と、またいらぬことを言ってみたりする。爆!!

sancha.tigers
2010年01月02日 21:30
ここは愚者の楽園ですね。
「侵略される可能性がある」ことを全く考えない、いやそれに対して備えることを「平和を乱す」と認めない、日本を守るのは日米安保条約という現実の力ではなく「憲法9条」という言葉の力・・・・・
夢想を続けるのは自由ですがどうぞ政治にはかかわらないでください。
dr.stonefly
2010年01月03日 09:52
正月そうそう可哀想な方のコメントを目にしてしまった。 あなたのような方が今年こそ目を覚ますことができるようにエントリーを書き続けることにします。

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