「こども110番」…「善意」や「高い志」の強要かなぁ?

 子どもが学校から「こども110番について」というプリントを持ってきて、読んだら、なんじゃこりゃ、とムカついたので、取り敢えず、かるーく、ツッコミのエントリーを挙げといたろかいな、と思っていた。だけど、かるーく、ツッコムわけに行かなくなってしまったのさ。何故だ? 脳死&臓器移植のせいである。というか、脳死&臓器移植を熱く語る愚樵さんのエントリーの喩えで使われてしまったからだ。あれ、あれれ、かるーく、ツッコンでいいのかどうか、、、。チンプンカンプンわかりましぇーん、ってか?
 と、こういう枕を書いても読まれている方はチンプンカンプンだろう。ははーん、毒多のヤロウ、こう書こうとしていたんだが、愚樵さんがああ書いたから、こりゃ困ったぞ、ってことを書こうとしているな、なんて、見透せちゃう人がいたら凄いです。っていうかヤバいです。こんな人いないだろう、という前提で簡単に書いてみます。

 まず、こども110番ね。
 オイラも最近知ったんだけど、どんなものかというと、子どもが外で「不審者」なんかに合い、危険だ、って感じたとき交番に飛び込めばいいのだけど、最近じゃオマワリもヤバい……ってそんなベクトルじゃなくて、つまりはそんなに都合よく交番があるわけじゃない、ってんで、予め「子ども110番の家」とか「子ども110番の店」ってのを一般のから募集して登録するのさ。で、登録した家(店)は家の目立つとこに「子ども110番の家(店)」という看板を設置するのね。で、子どもにイザというときは「子ども110番の家(店)に飛び込め」と教えておいて欲しい、というのがプリントで知らされたわけ。意図としてはあまりない交番より密に飛び込めるところを設定しておこうということ。また別に「走る子ども110番」なんてのもあって、一般のひとが自転車のカゴなんかに「110番」ってプレートを括り付けておいて、困ったことがあったら呼び止めよう、ってのもある。(郵便配達員は有無をいわずに「走る110番」らしい)。と、ここまで説明すれば毒多が何をいおうとしているのか、解るよね。
 「アホちゃうか~」である。
 はっきりいってこうした町(学校)の発想が信じられない。
 昔、子どものころ、オレなんかが言われていたことは、「不審者」においかけられたら「どこの家でもいいから飛び込みなさい」「大声で近くの大人を呼びなさい」だった。なんで、助けを求めるもんをいちいち決めなあかんねん。だいたい子どもも「110番の家」みたいなこと言われたら、イザってとき、ぜったい焦るやろ。走る110番の自転車だって、プレートつけているか、つけてないかを意識せなあかんのかよ!! ってな、ツッコミね。
 こんな、ツッコミを「不審者」にあった子どもの目線でかるーく書くつもりだったのさ。

 やばいよ、今、アタイ、つけられちゃってるよ。自分で言うのもなんだけど、アタイ、ちょっと可愛いしヤバいと思ってたんだよね。足も早くないしなぁ、困ったな。そう110番の家、あれママがいってたけど、どこだったっけ? そんなん覚えれるわけないじゃん。無理。九九でさえ苦労したのに。にいちが二、ににんが四、ってなにやってんだろう、いま後ろからつけられているってのに。ヤバいわね。ちょっとパニック。走って逃げちゃおうかなぁ。でも走って追いかけられたら絶対に捕まっちゃうよ。ワタシ足トロイし。絶対人気のない道にいけないな。ハァハァしんどくなってきたよ。どこにもこども110番の家って書いてないし。あ、あそこの自転車の人に助けてもらおうかな、でも、あの自転車「子ども110番」ってプレートついてないよ。そう、あの人も「不審者」かもしれないし、今、アタイがかわいいからって、後をつけている人の仲間かもしれない。一人でも逃げ切れないかもしれないのに、「不審者」2人になったら絶対絶命だよ。あ、この家、玄関空いてる。飛び込んじゃおうかな? いや「110番の家」って看板ないし、もしかしたらここが「不審者」の家かもしれないじゃん。自分からクモの巣にかかるなんてバカ丸出し、絶対イヤぁ。ああ、もうどうしよう。なんでママはアタイをこんなにかわいく産んじゃったのさ。どうせなら、マラソンの練習もっとしとくべきだったよ。早歩きだけで息が切れてきちゃったよ。さんご一五、さぶろく十八、ああ、アタイったらなんでまた九九やってのよ。完全にパニックよ。なにも考えられなくなってきちゃった。こんな朦朧とした意識のまま追いつかれたら、なされるがままになっちゃうよ。そんなのやだよ。あ、あの自転車の人、110番のプレートつけてる。やったよ。助かったよ。お、おーい、たすけてぇ。あ、声が出ないよ。歩き過ぎだよ。え、110番の自転車の人、角をまわっちゃうの? なんで、なんで気づいていくれないのさ……。そうだ、あのコンビニまで逃げ切れば、そうよ、あの角の向こうだし。ああああああああああ、絶望だわ、このコンビニ、110番の店っていう看板ないじゃないの、ヤバいわ。店の客全部、不審者かもしれない。きゃぁああああああ、世界でひとりだけ取り残された気分よぉぉぉおおおお。

 なんちゃってね。
 こうして軽ーく流そうと思っていたのさ。ところがだよ、愚樵さんが子ども110番ならぬ、シルバーシートの喩えを出しちゃってさ。
 愚樵さん曰く「国定道徳」っていうの。ようはね、「善意」や「高い志」がデフォルトとして規定されるのはヤバいんじゃない、っていうわけ。そりゃそうだ、オイラもそう思う。で、愚樵さんはシルバーシートの喩えを出して、全席シルバーシートにして老人や子ども身障者に、席を譲るっていう「善意」や「高い志」を「国定道徳」として規定してししまうのは違うのとちゃうやろか? っていうんだよね。
 オイラなんかは、前から思っていたんだけど、シルバーシートってのもなんだかさ、なんだよね。上の「110番の家(店)」と一緒でなんでそんなもん設定しなければ、席を譲れないの?なんて思っちゃうの。シルバーシートなんて無くしちまって、みんな譲ればいいやろ、って思い。構図的には「110番」のツッコミと一緒だね。
 でもさ、でもさ、これって一歩間違えると「善意」や「高い志」を強要しているのとちゃうやろか? って考えてしまったわけ。シルバーシートも、110番の家も、そんなもん設定せんでも当然のこととして助けろよ、ってのは「国定道徳」と違うのやろか?って疑問。……このへんが「110番の家(店)」を軽くツッコむことができなくなったわけ。

 まあ、道徳みたいなもの「恣意的に決められてする」こととちゃうやろ、とは思うものの、『「決められてする」こととちゃうやろ』という言い方にも恣意を感じるわけで、どうどう巡り。こうなると何を言い出しても「恣意」を感じちゃってダメだね。「考えずに自然と動けるようになるといい」と言ったら言ったで、『「考えずに自然と動けるようになるといい」ことを強要(プレッシャーを掛けている)してる」みたいだし。
 オイラとしては、110番の家やらシルバーシートなんかを「どうのこの」と考えないでいいぐらいのダル~な社会で、ダル~ななかにも個々の善によって押さえどころは押さえられている、ってのがいいと思うのだけど、現実は110番の家やらシルバーシートが必要って言い出す人がいる情に薄い社会か、それとも「善意」や「高い志」が強要される世知辛い社会だしなぁ。ダル~では、いさせてくれないのね。

 住みにくい社会になってますわ、ほんまに……、って結論は無しかい!! って、実はこのブログでも随分「善意」や「高い志」を強要してきたかな、と振り返っています。
 


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

kuroneko
2009年07月01日 16:07
「子どもが追いかけられてただならぬ気配」なのに対し、「おい、どうしたんだ」と介入するのって道徳かなあ。

子どもが井戸に落ちて溺れそうだったら、誰でも助けようとする。別に褒められようとかお礼がもらえるとか考えない。人間て、もともといいものなんだよ。と、おしゃべり好きなモーカって人が昔、言っていましたけどね。

こども110番の家、って東京にもあると思う。こういう家って、いつも家にいて留守をするのは最小限にするよう要請されたりするのかな? 元町内会長さんですなんていっても、留守がちの家だったりすると困るものねえ。
えちごっぺ
2009年07月01日 22:00
こんばんは!

なんかこれ、当地(新潟市)でも全く同じことが行われています(苦笑)
もしかしたら、全国的なものかも知れません。

真面目な子供ほどアタイ(さすがです!)状態になりかねず、かえって逆効果な気が・・・
あと、こちらでは不審者メール通報?とかいうのがあって、「どこそこで児童が車に乗せられそうになりました」といった感じの情報が保護者にメールが送られるらしいです(笑)

昔だったら当たり前の、地域の大人が子供を見るというのが当たり前でなくなった今、これが当たり前になったんですね。

最近はうかつに知らない子供に声なんかかけられません。
シルバーシートもしかり、街頭カメラにしてもなんか大きな締め付けの第一歩のような気がします。



2009年07月02日 06:25
dr.stoneflyさん、いつもありがとうございます。

子ども110番は、全国的にあるんじゃないですかね? 山梨にもありますし、和歌山でもありました。

ま、それはそれとして、エントリーを拝読しながら思ったのは「言葉の胡散臭さ」。言葉というのは、あるレベル以上には胡散臭さを解消できないんじゃないかと思ったりしたんです。

どういうことかといいますと、人間はいろいろなことを考えるわけですよ。胡散臭いことも志高いことも、考えたり想像したりする。可愛らしい女児なんかを見かけて、“あ、かわいいな”と思ったりもする。んでもって、“声を掛けてみたな”とか、“ちょっと頭を撫でてあげたいな”とか、さらには“もう少し○○××・・・”とか、要するにだんだん胡散臭くなる。で、「そんな胡散臭いことは止めましょう」と言葉が出てくるんですけど、その言葉は特に胡散臭くはないですよね。

愚樵@つづき
2009年07月02日 06:37
でも、「困った人を見たら助けましょう」という言葉になると、どうも胡散臭い。言葉は正しいですよ。またこの言葉を実行する人は正しいに付け加えて胡散臭いなんてことはない。でも、言葉だけが飛び出してくると、どうにも胡散臭さが拭えない感じがする。言葉が言葉を発した人から離れたところで「善意」や「高い志」を示すと、どうにも胡散臭いんですよ。

社会という視点で言うと、胡散臭い言葉が飛び交う社会はやっぱり胡散臭い。言葉を発する人間から切り離された「善意」や「高い志」を示す言葉が充満するようでは胡散臭い。

国が道徳といった「善意」や「高い志」を定めるということは、その道徳が個々人から切り離されるということなんでしょうね、きっと。
dr.stonefly
2009年07月02日 11:23

kuronekoのアニさん

>道徳かなあ

そうですよね。それは道徳じゃない、って言いたいんですけど、「110番の家」なんて設定しちゃうところで、恣意的に一元的な「善意」や「高い志」の高揚を促しているような気がしてしまうんです。

>誰でも助けようとする

ワタシもどっちかってと性善説派で、モーカさん同様、こう思っているんですが、じゃあ、なんで「110番の家」が必要なんだろう? って思います。やっぱ恣意を感じるなぁ。

>留守をするのは最小限にするよう要請

これはすごい。子どもが「110番の家」に飛び込んだのに、留守で、事件を未然に防ぐことができなかったら、その「110番の家」の人は非難ゴウゴウに合ったりして……。

「そんな中途半端な責任なら、110番の家なんて、引き受けなきゃいいのにね。いいかっこして引き受けといて事件を確定しちゃうなんて神経疑うわ、あの人が原因の50%よ。そうよ、口きいちゃダメよ。村八分よ。そうよ、そうよ。」

なんてね、どうも最近妄想癖がひどくていけません。

dr.stonefly
2009年07月02日 11:24

えちごっぺさん

いや、どもうね「こども110番の家」をググってみたら、警視庁が糸をひいていて、PTAなんかが実動部隊でやっているみたいなんです。どうりで初っぱなの肌感覚で虫酸が走ったわけだ、爆!!
「不審者メール」ってのも凄いですね、そんなんあるんだ。数年前に誘拐
事件がつづいたからかな。

> 最近はうかつに知らない子供に声なんかかけられません。
そうそう、挨拶でもしようもんなら、いきなり不審者扱いですからね。
「いきなり不審者」ってのは「人をみたら泥棒と思え」みたく、貧困な精神が社会のデフォルトになってきているのは憂鬱です。

dr.stonefly
2009年07月02日 11:24

愚樵さん
いえいえこちらこそ、思索のヒントをありがとう。
ちょっと離れてしまうかもしれませんが、「言葉の胡散臭さ」の説明を読みながら最初に思ったことは、「ブログ」です(笑)。
ブログは言葉だけの世界です。
「困った人を見たら助けましょう」的な言葉もそこかしこに見られる。しかも、言葉だけが一人歩きしていることがやはり見え隠れする。胡散臭いです。
「国定道徳」でなく、「私定道徳」でも構図としては同じ。

この辺の罠は、ワタシも陥っている可能性があるなぁ。気をつけなければ……。

2009年07月02日 22:30
『善意』は強要するものではない。そのとおりです。人が見せた『善意』を無にしないように、というのが普通ですね。ぶっちゃけ、うちの子がこれ持ってきたときには「あぁ、隣組復活計画か」と思いましたよね。『不審者メール』に至っては「煽り、荒らしはスルーで(ry」とつぶやいた…かどうかは覚えてませんがw
しかし翻ってそれを自分に問いかけてみる毒多さんの皮膚感覚は、鋭い。
dr.stonefly
2009年07月03日 11:33

ペースケさん
>あぁ、隣組復活計画か
なんかね、そういう動きは「こども110番」に限らず増えているような気がするね。
「地域の繋がり」と「隣組」は紙一重の様な気がする。
地域で子どもを見てる、とか、生活共同体としてのゆるやかな繋がりであればいいのだけど、まず「繋がらなければならない」からこられるとドン引きするね。うちの町内が「繋がらなければならない」空気が充満していて、抵抗しているワタシは「変わり者」の烙印を押されているので、ついつい声が大きくなってしまうんだけどね。

すぺーすのいど
2009年07月03日 23:25
う~ん・・・(^^ゞ
私は今まで「子ども110番の家」には、特に胡散臭さを感じてませんでした。

私自身、以前ママチャリの後ろに県警でなく学区PTAの「パトロール中」札を装着してましたし。(どっかに落っことして今は無い)もちろん「子ども110番の家」が警察やPTAと関連があるのも知っていましたよ。

私の感覚ではこれはタダのカンバンで、子供の外出するような時間に人の居るお店だったり、比較的留守がちじゃない家だよ~、って公表してるだけなんだと思っていました。
だから、もし何かあった時にでも、このカンバンが無い家やお店には入っちゃダメとか思わなかったです。

>シルバーシートも、110番の家も、そんなもん設定せんでも当然のこととして助けろよ、ってのは「国定道徳」と違うのやろか?って疑問。
すぺーすのいど@連投
2009年07月03日 23:26
私も基本的には賛成なんですけど、それを「当然」にするには「身近な人と人の繋がり」が基本に存在しないとダメなのかな?と思います。
たとえば、私は短期間住んだ経験があるんだけど、まわりの人のほとんどを知っているような「ムラ」ではとうぜんシルバーシートに代わる物も、「110番の家」も必要ないです。家や車に鍵をかける習慣すらほとんど必要ありません。警官ですら無用の長物の様でした。
但し、そんな「ムラ」では人間関係は良くも悪くも狭くて濃密でドロドロ・・・でイヤ~な部分も多々ありました。

でもやはり、私は人と人とは様々な形式であっても「繋がらなければならない」のだと思います。
リアルで身近な人はもちろん、ネットで身近な人ともね。

但し、人と人との「繋がり」に利害関係を結び付けちゃダメだと思います。
あと、人と人に高低差をつけるのもダメだと思います。
すぺーすのいど@連投2
2009年07月03日 23:27
>「地域の繋がり」と「隣組」は紙一重の様な気がする。

そうですね。でも何事もそうじゃないですか?
だから地元の「地域の繋がり」を「隣組」志向の方々に牛耳られないように監視しとかないとね。
マタ聞きの話だけど、どこかの学区連協では気付いたら「学会員」が牛耳ってて、部外者は入り込めない・・・らしいですよ。

連投すいません m(__)m
dr.stonefly
2009年07月04日 09:43

すぺーすのいどさん

連投は全然かまいません、ってかご迷惑をおかけして……(プロバイダーに変わって御免)
ま、意見のちがうこともあるって、いうことで。
リアルのワタシには「警察は敵」ってのが染み付いていますし、PTAも肌に合わないってことがあってそういう偏見があるので、一般的ではないのかもしれません。
そうしたうえで、

>このカンバンが無い家やお店には入っちゃダメとか思わなかったです。

うーん、この辺は子どもがどう思うか、ですからね。聞いて回ったわけじゃないんですけど、子どもですからね。それと、まじめな子ほどヤバそうな気はしています。
dr.stonefly@つづき
2009年07月04日 09:43
「繋がる」
これは考えどころですね。
ワタシなんかも、リアルとかブログでも「連帯しよう」なんて呼び掛けているんですが、「繋がろう」「連帯しよう」ってのは、結構「利害関係」が生じるときかもしれないなぁ、と思います。ほんとうは、話し合ったり、助け合ったり、しているうちに知らないうちに「繋がっていた」ってほうが好きなんですけど。
「繋がりを意識して繋がる」
「繋がりを意識せずにいつのまにか繋がっていた」
っていうのは、だいぶ違うのかもしれないな。
村社会(っていうかリアルのうちの町内)ってのは、繋がりを前提とした強制なので、鬱陶しいです。運動系(学童もね)でもよくあることだと思いますが、「連帯」「繋がり」を呼び掛けるなかでも、それが「正しいこと」でも「連帯」「繋がり」って当然という意識のもとに、繋がっていくことの鬱陶しさ、脆さ、危険は考えていかなければならないなんじゃないかな。

さらに、警視庁などの権力が「繋がり」を言い出したときは、これはまちがいなく熟考が必要です(などといって、ドン引きさせる、、、爆!!)

すぺーすのいど
2009年07月05日 22:23
>ま、意見のちがうこともあるって、いうことで。

そりゃそうですよ。(^^♪
前から違う部分も多いなぁとは思っていましたが、その方が話してて楽しいですよね。(私だけかな?)

>リアルとかブログでも「連帯しよう」なんて呼び掛けているんですが、「繋がろう」「連帯しよう」ってのは、結構「利害関係」が生じるときかもしれないなぁ、と思います。

そうそう、今回のエントリで私が一番「?」っと思ったのは、dr.stoneflyさんはいつも「つながれ!」って言ってたような気がしたのに、なんでか今回は「つながりは鬱陶しい」というものだったからです。

私は相変わらずまだ「運動」ってのがなんたるかを理解出来ていなくて、そこら辺からも違和感を感じたのかもしれません。
すぺーすのいど@つづき
2009年07月05日 22:32
dr.stoneflyさんのレスを読んで、私の言いたかった「繋がらなければならない」の意味は、「繋がりを意識せずにいつのまにか繋がっていた」ってことにならなきゃいけない、ってことなのかなぁという気がしました。

地域活動にしても「地域を良くしよう!」って、個々人がそれぞれ明確な目的をもって頑張っているうちは良いけど、それが拡大していけば「地域システム」を生むことになり、その「地域システム」がいづれ自分の意思を持ち始めてしまう。
それも「地域の為」という錦の御旗を掲げ・・・・あぁ危ない危ない(>_<)

おそらくdr.stoneflyさんは、この「地域システム」が気に入らないのですよね?

私たち(失礼かな?)も気をつけないと、気が付かずに「善意という錦の御旗を掲げた恥ずかしい進軍」をしちゃうかもしれないですよね。
dr.stonefly
2009年07月06日 08:17

すぺーすのいどさん
おはようございます。
> 前から違う部分も多いなぁとは思っていました
ワタシは変わり者を自覚してますので、あまりワタシと同じ人が多いとちょっと恐ろしいです(笑)。

運動においては、バラバラの声が繋がらなければ力にならない、ということがあるので、「連帯」を意識して繋がります。
ただね、権力から仕掛けられた「繋がり」は絶対にヤバいと感じている。村社会では小規模だとは思うのだけど、権力化した長老とか、さらに権力が誰かもわからない「掟」化した、繋がりの強要は勘弁してほしいとこです。

で、話は飛ぶんですが、河村の公約で一番危惧するのは「市区政協力委員議長協議会」です。これこそ権力が仕掛ける「隣組」になる可能性が大だ。これだけは全力で阻止したい。と、思っている次第でございます。

すぺーすのいど
2009年07月06日 22:45
こんばんは。
私も小学校の頃から通知表には「協調性が無い」と毎年書かれていましたので、似たようなものかな?(笑)

しつこくてごめんね。
dr.stoneflyさんの言わんとすることは、大体わかってる気がするし、納得できそうな気がするんだけど、それなら繋がったり連帯したりすべきだと主張してもよい状況と、繋がったり連帯したりすべきだと主張することがダメな状況の境目ってなんでしょうね?
感覚ではわかる気がするけど、そうゆうのっていざという時に騙されやすいのも確かなんだよね。

対権力なら良いって訳でもないと思うし・・・
内容がどううあれ「我こそが正義なり!」と言い放った時点で胡散臭いしね。


河村の「市区政協力委員議長協議会」については今まで意識してませんでした。
ググってもよくわからんかったので、またの機会に勉強させてください。m(__)m
dr.stonefly
2009年07月07日 09:08

すぺーすのいどさん
いやぁ~、ツッコまれまくってますねぇ。弱ったな。
まあ、結局「オレ基準」なのかな?とも思いはじめました。

>繋がったり連帯したりすべきだと主張してもよい状況と、繋がったり連帯したりすべきだと主張することがダメな状況の境目

最近は線引きに悩まされることがおおいなぁ(笑)

まあ、以下オレ基準ということで、

「連帯しよう」と呼び掛けるときは、分断されているバラバラの声を集結させて政治的に「多数の声」であることを主張するとき。
但し、政治的課題一点について「連帯しよう」と呼び掛けるのであって、集まった「繋がりのなかで」その他の価値観がぶつかる可能性が高く(というか必ずぶつかり)、調整するのが非常に面倒、、、というか大変。
その「大変さ」を引き受けてもその政治的課題を勝ち取らなければならないと決心したときに、自ら呼び掛けます。
dr.stonefly@つづき
2009年07月07日 09:08
政治的課題でなければ、ワタシは「連帯しよう」とか「繋がろう」とは言いたくない。理由は面倒なことは嫌だ、という我が儘。例えば、テニスをしたい、というときに、サークルを作るから集まれ~、とは言わない。知らないうちに集まっていたらサークルになっていた、ってほうが好き。(結局好き嫌いかい、と突っ込まれそうだな、笑)

河村の「市区政協力委員議長協議会」に関しては、ワタシも勉強してなく概要しかしらない。それでもヤバいと思うのは、権力が呼び掛けるサークルだから。必ず権力の恣意が働きます。そしてその恣意がロクな物であったためしがない。(と、いう個人的な思い込み、爆!!)

すぺーすのいど
2009年07月08日 00:54
dr.stoneflyさん、おつきあいありがとう。

>まあ、結局「オレ基準」なのかな?とも思いはじめました。

私も何が解ってる訳じゃないけど、とりあえずそれでいいんですよ。きっと。

私はやっぱり「繋がる」とか「連帯」自体に善悪があるのじゃない気がします。

だからやっぱり話は戻って、繋がりを明に暗に強要したり、繋がった人から奪ったり、押し付けたりすることがダメなんじゃないかな?

この事って、最近話題の「臓器移植」とか「児童ポルノ」とか「レイプレイ」の話にもつながってると思うんだよね。

作文が下手なんで、説明できないけど、きっと解ってくれるよね・・・(>_<)

この記事へのトラックバック

  • 「だれのものでもないもの」は胡散臭い

    Excerpt: 久しぶりに『404 Blog Not Found』を覗いてみたら、面白いことが書いてありました。 『梅田望夫と中川淳一郎の共通点 - 書評 - ウェブはバカと暇人�... Weblog: 愚樵空論 racked: 2009-07-02 12:58
  • 生き延びられるように救援をお願いします-2-

    Excerpt: そこでなぜこのようなことが、私に向けられ、家庭も仕事もめちゃくちゃにされなければならないのかという点についての考えも、書く機会もあまりなさそうであるので書いておく。 私は平成18年12月に教育基本法.. Weblog: バロメータ2 racked: 2009-07-06 06:55
  • 『飢餓海峡』・・・の時代から

    Excerpt: 「北九州自立更生促進センター」    全国初の国営施設開所の記事(2009/6/30毎日)【地元業界団体の反発などで揺れ続けた北九州自立更生促進センターの開所式が29日、小倉北区西港町の同センター内で.. Weblog: ストップ !! 「第二迷信」 racked: 2009-07-08 22:52