「蕨市の不法滞在者追出しデモ」…その正しさは正しいか?(追記あり)
ただでさえ毒多スランプなのに、どうにもブルーなニュースにやはりエントリーをアプしなければならいないと感じている。しかしだ、ここのとこ何度かエントリーを挙げることにトライしているのだが、どうも納得いくエントリーに仕上がらないのである。で、一行書いてはゴミ箱に捨てている。キレもなければ毒もない。ギャグの精度も低いし読み直しても熱いものを感じないのである。それで気持も萎えて行くという悪循環のなかにあってもそれでもやっぱ蕨市のアホすぎるデモのことはエントリーしたいと思う。
ついに「違法」による刑執行によりカルデロンのりこさん両親とニポンの良心がこの国より追放された。
権力の具現的ピラミッドの底辺で暮らすカルデロン一家は「法律にとって正しいこと」によって容赦なく撃ち落とされたわけだ。法治国家が法治国家であるためだけの「正しい」が頑として通された。実際には権力ピラミッドの頂点に近づくにつれこの「法治国家であるための正しさ」は放置されるのだが、底辺あたりでは厳しく実行される。それでもニポンは放置国家、あいや法治国家。
そんななか埼玉県蕨市で、デモが行なわれたと聞く。
「犯罪外国人・犯罪助長メディアを許さない国民大行進 in 蕨」というデモである。デモ行為は法律で認められている。さらに憲法で表現、集会の自由も認められている。だから「法律にとって正しい」デモだな。このデモを取材した 薔薇さん紹介の志葉玲さんによると、「法律にとっての正しさ」によって日本に一人残されたのりこさんの中学校近くにきて
>「ここがA子の通う中学校です~」「犯罪外国人を許すな~」と大音響で、気勢を上げていました。
<
と報告されている。
また、同薔薇さんの紹介の日刊リベラによると
>「犯罪フィリピン人カルデロン一家を日本から叩き出せ!」と一家を名指ししたシュプレヒコールをあげながらデモ行進
<
と報道されたとある。
100人余りのデモとあったが、何らかの意図があってデモをするのだろうと想像される。「犯罪外国人」というのは違法行為を行なった外国人のことだろう。ニポンの法律を犯すニポン人ではない外国人はニポンをでていけというニポンを愛する感情ゆえの行為かもしれないな。ただし、ニポンの法律によってニポンにいることを認められたノリコさんの学校にきて「出て行け、叩き出せ」というシュプレヒコールを挙げる排他性に愕然とするが、これを「愛国者」一般で括ってしまっては反論も多いだろうから(と信じたいから)、一部の狂気的な愛国者が思考なしに暴走したということにしておこう。彼らが愛するニポンの「法律にとっての正しさ」にさえ背く行為で、まったく筋が通っていないアホな無頼集団であることは指摘しておく。さらには、こういう輩をみているとノリコさんの両親の追放とともに、「良心」も追放されたことをやはり確信するわけだ。
いくらワタシでもこのデモのようなアホ共を一般化しないが、無思索に「法治国家の正しさ」のみにのって暴走しはじめると、こういう集団になるというサンプルは見た様な気がするな。実際に行動するか、しないかという違いはあるが、……、この国の「法律にとっては正しい」を守る愛国者諸氏は気をつけられたし。
うーん、「法律にとって正しい」を連発しているが、やはり「正しさ」を思索しなければならないのだろう。結局「あんたにとって正しい」とか「アタイにとって正しい」は「正しい」のと違うんではないかな、ということだ。その「正しい」は正しくない。真に「正しい」ということは「誰にとっても正しい」でなければならない。普遍的な正しさこそ「正しい」と言われるのではないか。普遍的に正しいを「真理」といい、人はもともとここを求めるために生きているような気がするぞ。それが人が本質的に存在する意義だと思うのさ。
人は本来的に存在することの意味の探求を忘れ、目先の「正しくない『正しい』」に縛られては、生きることの本質を見失ってしまう。見失うと、例えば「本質的な生」より造られた法治国家を守るための法律が「正しい」になってしまったりするわけだな。いいかい?ここにこだわる余り、普遍的「正しさ」や真理もなく、それを追い求めようとする「生」そのものさえストップしているのではないか。
「ここにワタシが存在する意味を追求」する本質的な「生」のまえでは、法律、国家、など目先のテクニックだろ。本質的なことを放棄して、いや気づく事も無く、目先のテクニックにしがみついて雄叫びあげて、どうするんのさ。哀しすぎるのではないか??
なんて、上のデモ隊にこんな話をしても全く通じないのだろう。
彼らは、自分たちが、そもなんのためにデモやっているかさえ、きっと解ってないと思う。
【追記】
実際のデモの画像がupされていました。
このエントリーに貼付けようかとも思いましたが、あまりに気色悪いのでやめました。
どうしても気分を害したい方は下のアドレスにてどうぞ。
もはや論ずる気にもなれない。
http://www.youtube.com/watch?v=2oafXv0Qnfs
実際のデモを見ずにエントリーを書いちゃ駄目だな。
いや、見ずに書いたから冷静に書けたのかかもしれない。
実際の映像から感じられるものは、
「正しくない『正しさ』」などと、ちゃんと論ずる依然の問題だな。
こいつらは最悪だ!!
ついに「違法」による刑執行によりカルデロンのりこさん両親とニポンの良心がこの国より追放された。
権力の具現的ピラミッドの底辺で暮らすカルデロン一家は「法律にとって正しいこと」によって容赦なく撃ち落とされたわけだ。法治国家が法治国家であるためだけの「正しい」が頑として通された。実際には権力ピラミッドの頂点に近づくにつれこの「法治国家であるための正しさ」は放置されるのだが、底辺あたりでは厳しく実行される。それでもニポンは放置国家、あいや法治国家。
そんななか埼玉県蕨市で、デモが行なわれたと聞く。
「犯罪外国人・犯罪助長メディアを許さない国民大行進 in 蕨」というデモである。デモ行為は法律で認められている。さらに憲法で表現、集会の自由も認められている。だから「法律にとって正しい」デモだな。このデモを取材した 薔薇さん紹介の志葉玲さんによると、「法律にとっての正しさ」によって日本に一人残されたのりこさんの中学校近くにきて
>「ここがA子の通う中学校です~」「犯罪外国人を許すな~」と大音響で、気勢を上げていました。
<
と報告されている。
また、同薔薇さんの紹介の日刊リベラによると
>「犯罪フィリピン人カルデロン一家を日本から叩き出せ!」と一家を名指ししたシュプレヒコールをあげながらデモ行進
<
と報道されたとある。
100人余りのデモとあったが、何らかの意図があってデモをするのだろうと想像される。「犯罪外国人」というのは違法行為を行なった外国人のことだろう。ニポンの法律を犯すニポン人ではない外国人はニポンをでていけというニポンを愛する感情ゆえの行為かもしれないな。ただし、ニポンの法律によってニポンにいることを認められたノリコさんの学校にきて「出て行け、叩き出せ」というシュプレヒコールを挙げる排他性に愕然とするが、これを「愛国者」一般で括ってしまっては反論も多いだろうから(と信じたいから)、一部の狂気的な愛国者が思考なしに暴走したということにしておこう。彼らが愛するニポンの「法律にとっての正しさ」にさえ背く行為で、まったく筋が通っていないアホな無頼集団であることは指摘しておく。さらには、こういう輩をみているとノリコさんの両親の追放とともに、「良心」も追放されたことをやはり確信するわけだ。
いくらワタシでもこのデモのようなアホ共を一般化しないが、無思索に「法治国家の正しさ」のみにのって暴走しはじめると、こういう集団になるというサンプルは見た様な気がするな。実際に行動するか、しないかという違いはあるが、……、この国の「法律にとっては正しい」を守る愛国者諸氏は気をつけられたし。
うーん、「法律にとって正しい」を連発しているが、やはり「正しさ」を思索しなければならないのだろう。結局「あんたにとって正しい」とか「アタイにとって正しい」は「正しい」のと違うんではないかな、ということだ。その「正しい」は正しくない。真に「正しい」ということは「誰にとっても正しい」でなければならない。普遍的な正しさこそ「正しい」と言われるのではないか。普遍的に正しいを「真理」といい、人はもともとここを求めるために生きているような気がするぞ。それが人が本質的に存在する意義だと思うのさ。
人は本来的に存在することの意味の探求を忘れ、目先の「正しくない『正しい』」に縛られては、生きることの本質を見失ってしまう。見失うと、例えば「本質的な生」より造られた法治国家を守るための法律が「正しい」になってしまったりするわけだな。いいかい?ここにこだわる余り、普遍的「正しさ」や真理もなく、それを追い求めようとする「生」そのものさえストップしているのではないか。
「ここにワタシが存在する意味を追求」する本質的な「生」のまえでは、法律、国家、など目先のテクニックだろ。本質的なことを放棄して、いや気づく事も無く、目先のテクニックにしがみついて雄叫びあげて、どうするんのさ。哀しすぎるのではないか??
なんて、上のデモ隊にこんな話をしても全く通じないのだろう。
彼らは、自分たちが、そもなんのためにデモやっているかさえ、きっと解ってないと思う。
【追記】
実際のデモの画像がupされていました。
このエントリーに貼付けようかとも思いましたが、あまりに気色悪いのでやめました。
どうしても気分を害したい方は下のアドレスにてどうぞ。
もはや論ずる気にもなれない。
http://www.youtube.com/watch?v=2oafXv0Qnfs
実際のデモを見ずにエントリーを書いちゃ駄目だな。
いや、見ずに書いたから冷静に書けたのかかもしれない。
実際の映像から感じられるものは、
「正しくない『正しさ』」などと、ちゃんと論ずる依然の問題だな。
こいつらは最悪だ!!
この記事へのコメント
というか、きれいごととして解釈できないのが、いいわけさ。
理屈はわからんけど、こんないい方許されんけど、許せ。
やつら、まるで、おま×こ、ぱかっとひろげ、蕨の往来を見て見てと練り歩いてるようなもんだぜ。
それがやがて、ホームレス刈り、すてきやわ、子宮が震えるわ、となるのさ。
やれ、やれ、もっとやれ、吊せ、殺せ、とな。
あいつら、それでも、おれと同じ底辺だから、つらいわ。
少女、集団で強姦するのは止めるけど、そんなやつが百人もいたら、ひとりじゃとても、かなわん。
すごすご逃げる。
それが、いややわ。
どうすりゃいい?
洌さん、おはようございます。
言い方は許しますが(笑)、表現が詩的すぎて文意がつかめません。
http://dr-stonefly.at.webry.info/200903/article_4.htmlでも書きましたが、今回のカルデロン一家のことは、青カンと重ね合わせて見えます。「違法滞在」=「不法占拠」「強制送還」=「強制排除」、、、。どちらも、吊るせ、殺せ、死ね、出て行け、消えろ、、と罵声を吐き行動する人間がいる。根本を見ずに表面にすがる軟弱なメンタリティです。
というなかで、
> あいつら、それでも、おれと同じ底辺だから、つらいわ。
ん???
この蕨市のデモ隊と洌さんが同じ底辺??
それは違う気が……するんですが……。
もしかすると、
>、そんなやつが百人もいたら、ひとりじゃとても、かなわん。
徒党を組まなければ動けない、ということでしょうか?
でも、「それがいややわ」という自覚があるかないかは違うんではないでしょうか? それに、ほんとに「すごすごと逃げる」かどうかは、その場に出会わなければ解りませんよね。
全然文意を解していない、まとはずれなレスでしたらごめんなさい。
takaさん、コメントありがとうございます。
>某所の議論
を知らないのでなんともいえませんが、そも「正義」かどうかは思案してしまいます。本文の繰り返しになりますが、Aにとっての正義は、普遍的な正義なのかどうか? まあ、その正義が「法的で公平にたつ正義」ということで、>「度が過ぎれば」ってのも、このデモが「法的で公平にたつ正義」と同じ直線上の「度が過ぎた」ではないような気もしています。
>「ここがA子の通う中学校です~」
ははは、彼らはティーンエイジというものを分かってない。
私達が中坊だった時分に、こういうデモが来たらどうします?(笑)
私なら、
「差別の生きた見本を示されて、生涯を賭してこれと戦うことを決意」
しますが。
つまり、友人と共に生きる。世の中の悪に対して抵抗する。そのために勉強する、そのために大人になる。
強い大人になれば、友人を追い詰める悪を倒すことができるから。
ティーンエイジの前で最悪な大人の姿を晒すことは、まさに反面教師としての役割を果たすのです。
この中学校からは、素晴らしい若者がたくさん育ちますよ。大人を踏み台にしてね。
人間てのは自分の頭で説明さえ付けばこうも見苦しく振る舞うことができるんだな。
この行いに「正義」が冠されるのなら俺は喜んで悪人になるよ。
人生アウトさん、おお、反面教師ですね。
解り易いサンプルに遭遇したとして、今後が楽しみかぁ、なるほど。
さらには、人間の一番ドロドロした部分をこうも単純に表出させるサンプルと思えば、行動心理学とかの学習の材料になるかもしれません。
ただ、ワタシ自身が非常にナイーブなティーンエイジャーだったので、単純にちょっと心配にもなりました(爆)。
> この中学校からは、素晴らしい若者がたくさん育ちますよ。大人を踏み台にしてね。
はい、期待しましょう。
非戦さん、おはようございます。
KKKか、ネオナチか、全くそんな雰囲気かな?と、いってもKKKもネオナチも会ったことないんですが(笑)
あのデモの映像を見ていると「日の丸」が、いぱーいでしたね。これぞニポンの心として旗を振って誇示しているのでしょうか。
日の丸は、WBCでも振られ、天皇の前でも振られ、よってたかって子どもを襲いかかる追い出しデモでも振られるわけですね。
おお、日の丸ぅうううううう!!!
このデモで振られる日の丸をみて、これでも日の丸を強制する感性はもはやまともじゃない。
ごんさん、
>鬼畜の所業
まさに、その通り。ブチキレそうです。
「鬼畜の正義」に「正」も「義」もなく、それはただ鬼畜の論理というだけ。
それが暴走しはじめれば、闘うしかないな。
彼らの大好きな『法』(あえて『』つきで表記しています)においてさえものり子さんの在留は認められたのに、自分達の論拠を自分達で否定するようなことをしてどうするのか…
まぁこれで「日本は法治国家であるっ!」という彼らの決まり文句的な主張は自らのイデオロギーや差別意識に基づく言説や行動を塗り固めるためのダシでしかなかったことを図らずも証明してくれたわけですがね。
性悪説を支持するワタシは人間の愚かさを呪うことはよくありますが、今回は格別です。
よく見ておきましょう。人は簡単にああなれる。
他者への無慈悲、無理解、無関心。そんな昨今の衆愚たちの性質が、全て今回の問題への奴らの反応に凝縮されています。
ガラにもなく腹腸が煮えくりかえるほどに怒りがこみあげている状態で文を書いたので、いつもよりかなり汚い言葉を使っています。ご了承を。
デスノートないかな~
…おっといけない(溜息)
R.frailさん、お元気そうでなによりです。
で、いきなりなんですが、多分「日本は法治国家であるっ!」と主張し、違法外国人の国外追放を主張する全ての人が、蕨市のあのデモ隊と同じである、とは言えないと思います。あのデモ隊は「日本は法治国家であるっ!」より、どんな理由であろうと外国人を排除したい、というのが本音のような気がしています。排他主義、もしかしたら優性思想の表れかもしれません。ただ、「日本は法治国家であるっ!」と言い切る人と同じベクトルでデフォルメしたようには見えてしまいますよね。
ああいうのがまかり通る社会は生きにくい社会だね。
それにしても、あの「右翼市民の会」の中にも、きっと子育て中の父親母親がいるんでしょうなあ。親を反面教師として頑張って欲しいけど、蛙の子は蛙、特に自民党の子は自民党ですから、あんまり期待できないっすね。
やきとりさん、おほようございます。
庭先でふざけてすみませんでした。
やっぱりああいうお遊びは自分とこでやらないと迷惑ですよね。御免ちゃい。(と、実はすぐに謝る小心者です、、笑)
>あの「右翼市民の会」の中にも、きっと子育て中の父親母親がいるんでしょうなあ。
あ、そうですねぇ。
映像が衝撃すぎて、言われるまでちょっと気づきませんでしたが、彼ら彼女らの子どもがいるんですね。子どもに罪はないのに、哀しいことです。
子どもがしっかり思索することができ、反面教師となればいいのですが……
ところで、ここんとこ活発な中川さんと安倍さんに触発されたのか、元「ANAトリオ」メンバーの麻生さんも靖国イジリを始めましたね(笑)。昨年末まではようやく空気が入れ替わって新しい時代が来そうな予感がしていましたが、ここ最近はまたぞろ淀んで息苦しい感じに逆戻りしているような気がいたします。
新聞とかニュースとか見るのが正直苦痛になっているのですが、ここで目をそむけたら「いいようにヤラれ」そうなので、我慢して直視するようにしています(苦笑)。
おお、気づかなかった麻生の奉納。
なんだか、やな方向へ逆走してますねぇ。ワタシなんかは手放しで民主党に頑張れとはいいたくないのですが、流石に麻生長期政権なんかになった日には哀しすぎるので、政治的思考として政権交代と言ってみたくもなります。
現実直視耐久路線、じっと手を見る。
この問題、今まであまりコメントできなかったのですが…。
というのも、わたしの周りで、反カルデロン的な、つまり司法当局の判断は妥当と考える人が多く、わたしとしても判断が非常に難しい問題と考えてきたからです。
ただ、こうした声高で、少々ヒステリックかつ非常識なデモなどが起こるのを聞くと、さすがに首をひねらざるを得なくなります。
右翼(愛国者)と言うのは、この国を『恥を知る・礼節を知る』国家・国民として育むことを志向する人々ではないかと考えたいものです。
実際彼ら自身も、そのように志向しているつもりなのでしょうが…。
結局、表面的な対立の構図を嗜好する浅はかさが問題なのでしょうか。
しかし、さらに一歩踏み込むと、彼ら自身のコンプレックスやストレスの発散の手段と化している気もします。
いわく、『法を犯した者は、餌食にしてよし!』って感じでしょうかね。
『外国人嫌い』というのも確かにありますね。
この辺も、‘家族的な儒教道徳に満ちた社会’への憧憬と同時に、そうではない現実を拒絶し、攻撃したいという衝動の現われかもしれませぬ。
どうしたものでしょうね。
なんか、彼らの行動は同じ日本人として恥ずかしいです。
多分、彼らは今の社会で抑圧されている人達が多い気がします。
弱者が分断していくのは権力にとって、願ってもないことでしょう。!
naokoさん、お久しぶりです。
周囲の考えの多さで判断をしかねる、ってのはnaokoさんにしては珍しいじゃないですか?(笑)
実際は、法治国家としての「現実」と親子の絆の「本質」の狭間に立って悩むといったとこでしょうか? もし悩んでどちらかを選んだとき、他方を選ばなかったことによって起きる亀裂を引き受けなければならないということでしょう。
たとえば、法治国家をとり親子の絆を引き裂いた人なら、自分が太刀をふった先の痛みの苦悩も引き受けるべきだし、親子の絆の「本質」に立つのなら、法治の機弱性を認め、そこからおきる現実の矛盾もひきうけなければならない。
ただこれだけのこと。
常に本質的に思索し、真理を追求したいと思うワタシは、現実社会の哀しさを引き受けています。
蕨市のデモ隊に関しては、右翼(愛国者)からも理にかなった批判がでているようですね。非国民開発研究さんのとこで知りました。
http://ch06683.kitaguni.tv/e1020157.html
彼らのような者も、社会の矛盾にもがく者達として、引き受けて行かなければならないのかな? 大変だなぁ。
えちごっぺさん
はじめまして。
>彼らは今の社会で抑圧されている人達が多い気がします。
> 弱者が分断していくのは権力にとって、願ってもないことでしょう。!
仰る通りです。
腹立ちまぎれに「こいつらは最悪だ」なんて言ってしまいましたが、彼らとて、弱者として権力に利用されている可能性もあるわけですね。
この社会のなかでこんがらがった紐を解いて、繋がっていくことは如何に大変かとあらためて思います。
目先の法律や国籍や……なんかに、振り回されているうちは、繋がっていくのは無理でしょう。みんな、ほんとうのことを追求しなければ……。
「法治国家」としての手続きの問題として考えると、騒ぎが大きくなればなるほど、政府・外務省・法務省としては、‘なあなあ’にしておくことが難しくなる。あるいは血の通った個人としての裁量で済ますことがやりにくくなり、あくまでも‘法的に’厳格な、あるいは適正な対応を迫られることになるでしょう。
一方、血の通った判断や温情による情状酌量の余地は狭められていく気がします。
つまり、右派VS左派という卑小な対立の構図で問題を議論することは、この国の社会をますます偏狭かつ偏見に満ちた人間集団のひしめき合う住みにくい国にしていくだけです。
本質的な問題点は、「現在の‘大格差社会’を、個人個人がどう‘幸せ’に生きていくか」という視点での相互コミュニケーションが、社会の中にあまりに欠如しているということ、ではないでしょうか。
そうした肝心の能力がなさ過ぎる…。
この問題を通して、わたしが感じるのはそこのところです。
カルデロンさんには、できうる限り、健康に快活に、日々を過ごして欲しい。
そう伝えたいですね。
凡凡と生きていては見えない、ほんとうのことが見えるんじゃないかなぁ。そう信じています。