「少女は100%被害者である」…と、やはり断言したい
前のエントリーのコメントでいろいろな意見を頂き、考えてしまった。掛け値なしで「100%被害者」と言いたいワタシは、どうもスッキリしないのだ。また、あくつさんのコメントで、中学生の娘さんの言う「自分(彼女)も悪い」なんて言葉を聞いて哀しくて仕方がない。なぜ哀しいのかを考えてみた。何故って、中学生の女の子にそんなことを言わせる社会ってのは、やっぱり哀しいよな。
そう、そんな社会が哀しいのだ。
何故、哀しいんだってことを考える。
たとえば、こうは言えないだろうか?
「少女は100%被害者」という言葉をなんのひっかかりもなしに言いたい。「100%」ってのは当然で、100%と言おうとする意志も立場も足し山も引き算も条件も用いる必要がない、のではないか。と、どうしても言いたいのさ。
そも、何故「家まで送っていく」と言われ、乗っていったことが悪いのだ?
ひとりの人間が親切にも家まで送ってくれると言う。その人間の言葉を受け入れて、その人間の親切に応えようとした。人を信じて行動したという彼女のどこに非があるというのだ。これで妥協も言い訳もしない「100%被害者」が成立ではないか?
逆にこのニュースを見たとき、とっさに出た「何でついていくかなぁ」と言ってしまうワタシ自身の感覚、子どもに「君ならどうする」と聞いてしまう感覚、これってなんだ?
その感覚に自己嫌悪さえ覚えないワタシは完全に麻痺している。重傷だ。「人を警戒すること」を当然のこととして受入れている。催眠術のように。ワタシはいつからそんな詰まらぬ感覚に支配されてしまったんだ。
なぜ、人を疑う、ということが前提条件になっているのだ。または人を疑って当然という感性を疑わずに受け入れているのか?
こうした感覚のワタシは、根本的な「生き難さ」を当然のものとして受け入れてしまっているのではないか。当然として受け入れてしまっている感覚だから疑おうとしないのではないか。
刷り込まれ不問にしていることを問い直し、おかしいことには、おかしい、と条件なしに対峙しなければならないのではないか? おかしいけれど、おかしい現実が実際にあるのだから仕方がない、などと自らおかしな条件で縛る必要などどこにある。おかしな社会であることを忘れてどうする。そうした感覚が「おかしな社会の固定化」を助長させているのではないか?
かといって、哀しいかな、おかしな社会が現実である。だから子どもには「知らない人の誘いに乗っていってはいけない」と教えなければならないかもしれない。でも、そう教えることが当然ではなく、哀しいけれどそう教えなければならない、という感覚を失ってはいけないのではないか?
後ろめたいことを教えなくていい社会を目指さなければならないのではないか? おかしなことを甘受する感覚で処世を教えられた子どもが、人を疑うことが当然として受入れ増幅していった社会はやはり「生き難い」ままではないのだろうか?
「お花畑」と馬鹿にされようが、諦めて「生き難い社会」を受け入れ妥協するのではなく、本来目指すべきはずの「生きやすい社会」があることを前提にひとつづつ対峙していかなければならない、気がするなぁ。
あれれ、米兵やら米軍基地ってのが欠落しているな。
やはり、基地やら武力やら戦争やら……は、庶民にとっても、そして兵士にとっても「生き難い」社会の最たる物として認識しなければならない。こうした「生きやすい社会」の障害になっているものは、ひとつづつ無くしていこうよ。
やっぱり、Under the sunでいきたいよね。
〈追記〉
kuronekoあんちゃんと薫ちゃんから TB頂いた
「沖縄性暴力事件への抗議声明」
もちろん賛同致します。
在沖米兵による女子中学生性暴力事件に抗議し
公正な事件解決と根本的防止策を要求します。
内閣総理大臣 福田康夫 様
外務大臣 高村正彦 様
防衛大臣 石破 茂 様
アメリカ合衆国大統領 ジョージ・W・ブッシュ 様
アメリカ合衆国特命全権大使 ジョン・トーマス・シーファー 様
在日米軍司令官 ブルース・A・ライト 様
私たちは、昨年の沖縄、広島における性暴力事件に続いて、2月10日、またもや米軍人・軍属による悪質な性暴力事件が繰り返されたことに、やりきれない怒りを覚えています。
過去60年以上、米軍基地周辺では、女性・少女に対するさまざまな性暴力事件が繰り返されてきました。その多くは通報もかなわず、また、たとえ被害者が勇気をふりしぼって届けても、起訴されなかったり、日米地位協定に阻まれて正当な取調べや処罰が行われないまま葬られてきました。日本政府は被害防止のための適切な措置をとるどころか、補助金交付などを利用して、不満の声を押さえつけようとするばかりです。
もうたくさんです。これ以上、女性・少女の人権と地域の安全を無視したまま、日米軍事同盟を強化する在日米軍再編を私たちは容認できません。私たちは、再び被害を招いた日米両政府に抗議し、次の2点を要求します。
1.当事件の解決にあたっては、性暴力という犯罪の性質を適切に考慮しながら、公正な捜査と処罰がなされることを確保すること。
私たちは、被害者の少女の行動を責めるような言説が今回も流通していることに強い懸念を抱いています。性暴力被害者の「落ち度」を理由に加害者を免罪するような事件処理は、二度と繰り返されてはなりません。
適切な知識と経験をもつ専門家による暴力を受けた少女の心身のケアと、家族への適切なサポートがなされること、公正な捜査と加害者への厳重な処罰、被害者への真摯な謝罪と補償が行われること、また被害者のプライバシーに配慮しつつ、透明性と説明責任が確保されることを求めます。
2.基地周辺における性犯罪その他の暴力を防止するために必要なあらゆる措置を、地域政府・住民・女性団体・市民団体との協議の上でとること。
高村外務大臣は、今回の事件について「国民感情からみて、日米同盟に決してよいことではないので、影響をできるだけ小さく抑えるようにしたい」と、なお女性の人権よりも日米軍事同盟を優先する発言を行っています。しかし、軍事同盟こそが女性の安全を危うくしているのです。私たちは、日本政府が今後の再発防止のために、日米地位協定の再交渉や行動計画策定を含め、必要なあらゆる措置をとること、基地周辺地域の自治体・住民、および市民団体や女性団体と十分な協議を行うことを要求します。
よびかけ団体
アジア女性資料センター
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
ふぇみん婦人民主クラブ
団体・個人のみなさまの賛同を募ります。
お名前(団体名)を日本語とアルファベットで、17日(日)までにお送りください。
送り先: ajwrc.shomei@gmail.com
英文は追ってサイトに掲載しますので、お知り合いに広めてください。
そう、そんな社会が哀しいのだ。
何故、哀しいんだってことを考える。
たとえば、こうは言えないだろうか?
「少女は100%被害者」という言葉をなんのひっかかりもなしに言いたい。「100%」ってのは当然で、100%と言おうとする意志も立場も足し山も引き算も条件も用いる必要がない、のではないか。と、どうしても言いたいのさ。
そも、何故「家まで送っていく」と言われ、乗っていったことが悪いのだ?
ひとりの人間が親切にも家まで送ってくれると言う。その人間の言葉を受け入れて、その人間の親切に応えようとした。人を信じて行動したという彼女のどこに非があるというのだ。これで妥協も言い訳もしない「100%被害者」が成立ではないか?
逆にこのニュースを見たとき、とっさに出た「何でついていくかなぁ」と言ってしまうワタシ自身の感覚、子どもに「君ならどうする」と聞いてしまう感覚、これってなんだ?
その感覚に自己嫌悪さえ覚えないワタシは完全に麻痺している。重傷だ。「人を警戒すること」を当然のこととして受入れている。催眠術のように。ワタシはいつからそんな詰まらぬ感覚に支配されてしまったんだ。
なぜ、人を疑う、ということが前提条件になっているのだ。または人を疑って当然という感性を疑わずに受け入れているのか?
こうした感覚のワタシは、根本的な「生き難さ」を当然のものとして受け入れてしまっているのではないか。当然として受け入れてしまっている感覚だから疑おうとしないのではないか。
刷り込まれ不問にしていることを問い直し、おかしいことには、おかしい、と条件なしに対峙しなければならないのではないか? おかしいけれど、おかしい現実が実際にあるのだから仕方がない、などと自らおかしな条件で縛る必要などどこにある。おかしな社会であることを忘れてどうする。そうした感覚が「おかしな社会の固定化」を助長させているのではないか?
かといって、哀しいかな、おかしな社会が現実である。だから子どもには「知らない人の誘いに乗っていってはいけない」と教えなければならないかもしれない。でも、そう教えることが当然ではなく、哀しいけれどそう教えなければならない、という感覚を失ってはいけないのではないか?
後ろめたいことを教えなくていい社会を目指さなければならないのではないか? おかしなことを甘受する感覚で処世を教えられた子どもが、人を疑うことが当然として受入れ増幅していった社会はやはり「生き難い」ままではないのだろうか?
「お花畑」と馬鹿にされようが、諦めて「生き難い社会」を受け入れ妥協するのではなく、本来目指すべきはずの「生きやすい社会」があることを前提にひとつづつ対峙していかなければならない、気がするなぁ。
あれれ、米兵やら米軍基地ってのが欠落しているな。
やはり、基地やら武力やら戦争やら……は、庶民にとっても、そして兵士にとっても「生き難い」社会の最たる物として認識しなければならない。こうした「生きやすい社会」の障害になっているものは、ひとつづつ無くしていこうよ。
やっぱり、Under the sunでいきたいよね。
〈追記〉
kuronekoあんちゃんと薫ちゃんから TB頂いた
「沖縄性暴力事件への抗議声明」
もちろん賛同致します。
在沖米兵による女子中学生性暴力事件に抗議し
公正な事件解決と根本的防止策を要求します。
内閣総理大臣 福田康夫 様
外務大臣 高村正彦 様
防衛大臣 石破 茂 様
アメリカ合衆国大統領 ジョージ・W・ブッシュ 様
アメリカ合衆国特命全権大使 ジョン・トーマス・シーファー 様
在日米軍司令官 ブルース・A・ライト 様
私たちは、昨年の沖縄、広島における性暴力事件に続いて、2月10日、またもや米軍人・軍属による悪質な性暴力事件が繰り返されたことに、やりきれない怒りを覚えています。
過去60年以上、米軍基地周辺では、女性・少女に対するさまざまな性暴力事件が繰り返されてきました。その多くは通報もかなわず、また、たとえ被害者が勇気をふりしぼって届けても、起訴されなかったり、日米地位協定に阻まれて正当な取調べや処罰が行われないまま葬られてきました。日本政府は被害防止のための適切な措置をとるどころか、補助金交付などを利用して、不満の声を押さえつけようとするばかりです。
もうたくさんです。これ以上、女性・少女の人権と地域の安全を無視したまま、日米軍事同盟を強化する在日米軍再編を私たちは容認できません。私たちは、再び被害を招いた日米両政府に抗議し、次の2点を要求します。
1.当事件の解決にあたっては、性暴力という犯罪の性質を適切に考慮しながら、公正な捜査と処罰がなされることを確保すること。
私たちは、被害者の少女の行動を責めるような言説が今回も流通していることに強い懸念を抱いています。性暴力被害者の「落ち度」を理由に加害者を免罪するような事件処理は、二度と繰り返されてはなりません。
適切な知識と経験をもつ専門家による暴力を受けた少女の心身のケアと、家族への適切なサポートがなされること、公正な捜査と加害者への厳重な処罰、被害者への真摯な謝罪と補償が行われること、また被害者のプライバシーに配慮しつつ、透明性と説明責任が確保されることを求めます。
2.基地周辺における性犯罪その他の暴力を防止するために必要なあらゆる措置を、地域政府・住民・女性団体・市民団体との協議の上でとること。
高村外務大臣は、今回の事件について「国民感情からみて、日米同盟に決してよいことではないので、影響をできるだけ小さく抑えるようにしたい」と、なお女性の人権よりも日米軍事同盟を優先する発言を行っています。しかし、軍事同盟こそが女性の安全を危うくしているのです。私たちは、日本政府が今後の再発防止のために、日米地位協定の再交渉や行動計画策定を含め、必要なあらゆる措置をとること、基地周辺地域の自治体・住民、および市民団体や女性団体と十分な協議を行うことを要求します。
よびかけ団体
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この記事へのコメント
特に、ナンパとかでついて行くのではなく「家まで送る」と言われてついて行ったから、より疑問に感じるのではないかと。それは「おかしな事」を「当たり前」と受け入れてしまう事とは、また別の疑問の感覚に思えます。
ここで、あえて「疑うのが当たり前」の前提で「何故」を考えてみました。
バイクに乗った時の状況から、「少女にとって基地の米兵とは『警察官やそれに近い大人(警備員や保安、防犯パトロールなど)』の様な存在だったのでは。また、そういう人にはついて行っても大丈夫という認識があったのでは」という推測が浮かびました。
ただ、本当に沖縄の小中学生にそんな米兵観が少なからずあるのかどうか、分からないので自信はありませんが。
>それが「当たり前」ではない、おかしな事だと意識する
ことに気付かなかったことのようです。このエントリーを書いて少しスッキリしたのですが、やっぱり、
>「家まで送る」と言われてついて行った
ってのを「おかしな社会に気付かされないこと」に繋げるのは無理がありますか?ワタシはスッキリしたのに残念です(笑)。
「沖縄の中学生の米兵に対するイメージ」という視点は気付きませんでした。ワタシも最初から「米兵は危険」と思い込んでいました。確かに中学生が「米兵は危険」という認識をしていれば、乗らないですね。実際の沖縄の小中学生の米兵感はどうなんでしょう。きっと誰か答えてくれる気がします。
沖縄で頻繁に米兵を見かけるような場所(特定の盛り場付近)を「うろつく」小中学校の少年少女はやはり限られてきます。(高校生以上になるとその割合は大きく増えるけど)
んで、今回の少女とつなげて事件を見られると困っちゃうから、ここは分けて考えて欲しいんだけど、暗くなってからその辺を歩いてる子たちはやっぱり寂しい子が多いんだと思う。
つまり、しつけとかじゃなくて彼らを取り巻く沖縄の社会の方が彼ら彼女らに対して冷たい、と。どうしても奥歯にものが挟まったような言い方になるんだけど。
逆に言えば、おじいおばあが戦争を語って聞かせるような家の子はこういうことは少ないのかもしれない。もちろん、あくまでも一般的な傾向としてね。
でも、やっぱりちょっと痛いなこのコメント。後で考え直して削除依頼するかもです。そのときはよろしくお願いします。
なんと言いますか……「切ない」としか言いようがないです。状況そのものが。
世代を重ねるということ、そこに幸せな人と不幸せな人がいる……。あまりにもやるせない。
私が書いたのは年頃の娘を持つ母親が「男には気をつけろ」と教えるのは当たり前ということです。
沖縄とか米兵とか以前の問題です。
憶測や想像でものを書くことはいくらだってできますね。そしてそれによって被害者やほかの誰かを傷つけることも。
私も娘も携帯は持っていません。娘は都市部にある地域の公立中学校に行っています。塾には行っていません。そして私は教育格差についてネットで訴え続けています。以上から生活水準についてはご想像いただけるかと思います。
最後にこの事件を知った時の娘と私の会話を書いておきます。
「お母さん、この子も悪いよね」「うーん、そうだねえ、でもさっさと捕まえてよかった、基地に逃げ込まれたら捕まえられなくなっちゃうからね」
この程度の親子ですから。
世の中を良くするために何ができるのだろうと思います。昔ね、革マル派とか中核派(中革派だったかな)とか学生運動があって、機動隊と衝突して死者がでたり、爆破事件があったり。そのうち、社会党と共産党の連立もなくなって、小選挙区になって、およそ民主的とは言えないような政治になって。。。
でも、今回の記事のコメントのことなどでも考えたのですけど、きっこさんの記事も読んで感じたのですけれど。。。
「向こうとこっち」みたいな感覚でいては世の中は決して良くならないだろうなってことです。
dr.stoneflyさん(私はてっきり女性かと思っていましたが)の記事は好きでした。特に多摩川のホームレスさんのこととか愚樵さんのブログ再開のこととか、あったかくてね。
いい世の中になるといいですね。
こういう事件で、おちゃらけエントリ書くのは気が引けるけど、産経をからかいたくなったから明日、なにか書こうと思います。
初めてコメントさせていただきます。
この記事にとても賛同いたします。
やっぱり日向もUnder the sunで行きたいです。
人を信じて生きていきたいです。
dr.stoneflyさんのこの記事に、
目からウロコが落ちました。
なので、気の利かない文章で恐縮ですが、コメントさせていただきました。
また読みに来ます。では。
まず、コメントして頂ける方々は「少女は100%被害者だ」と答えるだろうブログでのあくつさんの異なる感覚を敢えて書いて頂いたことに感謝します。おそらく「少女にも非がある」と考える人のほうが圧倒的に多いのだろう、と想像してまえのエントリーをあげました。またそれが「普通の感覚」っていう言い方が妥当かどうかわかりませんが、ワタシのなかにもそうした側面があります。ただワタシのなかのそういう側面がどこからくるのが解りませんでした。それを突いて頂きたかったというのも、前のエントリーの意図もあります。そして強引に一定の理由を見つけた(つもり)なのが今回のエントリーです。このような結論を考えたところで、子どもに「知らない人に付いていってはダメだ」と教えると思います。でも、それは「ほんとうのことではない」ということを自分で確認しながらになりそうです。
>dr.stoneflyさんの記事は好きでした。
ひぇ~、過去形だぁ~。これからもよろしくお願いします。いかないでぇ。
エントリーに共感していただくのは、嬉しいです。ありがとうございます。
>目からウロコ。
今回の記事もそうですが、ワタシもブログで知り合った友人たちから、ウロコを落とされ続けています。そうした繋がりは素敵ですね。ブレまくりのブログですが、また来てください。お待ちしています。
ところで、この事件に関して、よくわからなくなってきました。教えてください。
ワタシがいいたかったのは、あくつさんが言うように「加害者が米兵」でなくても通じることです。
少女が深夜の盛り場にいることは、この事件以前の問題で別に考えたほうがよさそうですね。あくつさんは「しつけが悪い」と言い、ワタシはそこに至る「生育環境はどうだったんだろう」と思う(これ自己分析すると基本的に少女が深夜の盛り場にいるべきじゃないと思ってますね)、kuronekoあんちゃんは、まあそれほど違和感がなさそうです。このことは別に考えた方がいいのかもしれませんね。
「少女が100%被害者かどうか」という問題も、前のエントリーで愚樵さんが解説してくれたように、「加害」と「被害」は別問題。被害者の10%の落ち度が仮にあったとしてそれで、加害者が10%の免罪されるわけではない(なごなぐさんはもう一歩ふみこんで、無邪気に100-10と引き算をする行為は加害者に加担している、としています)。うろこさんもnobuさんも会長もほぼ同意の意見を寄せてくれていますが、加害者が「米兵」でなくても通じることのように感じます。
こうして考えていくと、この事件と米軍基地の問題は別に考えてられてしまいます。このようなレイプ事件が起きなくても基地を撤廃すべき、ということです。逆に言えばレイプ事件がなければ基地を存続してもいい、ということにはならない気がするんですね。
でも、今回ニュースになったのは「米兵」だから、ですよね。
もちろん米兵の狼藉が沖縄の「生き難さ」の一つの理由になっいて、ワタシなどが言えないほど苦痛を強いられているとは最大限想像したいのですが、じゃあ綱紀粛正されたら基地があってもいいという理由にはならない気がします。
という「このニュースに関する」考え方はきっとどっかに欠陥があるとおもうのですが、解りません。教えて下さい。
全ての人を信用できるって理想かもしれないけど、そのあたりをどんどん突き詰めていくと、レイプすら許せるような寛容だとか慈愛だとか必要になってくるような気がしています。
自分は一切他人を信用していませんから(信用したふりはするけど)とても醜い。でも対話することで信用できる人を増やしていきたいと思うし、自分を信用してくれる人が増えて欲しいとも思う。(勝手ですかね?)
レイプも殺人も被害者の人としての権利を蹂躙しズタズタに切り裂く。
犯人の犯した罪は間違いなく重大だ。
だけど犯人も人間だ。きっと尻尾が13本あるような化け物ではなく、ただの人間だ。
ではなぜ彼はこのような犯罪を犯してしまったのだろうか?
私には何も判るはずもないが、彼は何処で生まれ、どのような家庭環境、生活環境で育ってきたのだろうか?
成長の過程で社会や友人やまわりの人たちから何を学んだのだろうか?
何故に軍隊に海兵隊に入ったのであろうか?そして海兵隊で何を学んだのだろうか?
罪を犯した人間はこの調査に徹底的に協力する。
これら一連の作業が、そしてその作業を同じ犯罪を撲滅するまで継続することが、「罪を償う」ということだと私は思う。
罪人を死刑にしたり、ただ禁固刑にしたところで何も変わらない。被害者は全く浮かばれない。
そうやって、すべての責任を犯人に押し付けて、真の原因を究明もせず知ろうともしない行為自体が、私は犯罪だと思う。
話がずれてしまったかもしれないが、今回の件も事件発生の要因として、彼が人を殺す仕事の「軍人」である事が影響していないとは考えにくい。その他、色々な要因があるとは思う。世の中のレイプ犯がすべて軍人って訳じゃないからね。
でも上に書いたように人々がちゃんと「罪」と向き合って「償って」いけば、結果的に軍隊なんか必要なくなる。
「過去の犯罪の教訓を生かせず、未成年のあなたに大変つらい思いをさせて申し訳ありませんでした。すべて大人である私たちの責任です。ごめんなさい。」と。
そして「今後は2度とだれもあなたと同じつらい思いをしないように、そして未成年でも安心して街を歩け、生活できる社会を目指すことを約束します。…ですが、明日からすぐというのは難しいので、暫くは少し気を付けて生活して頂くようお願いします。」と約束とお願いもしておくべき。
というのも基地の存続⇒米兵の存在⇒米兵は鬼畜⇒被害者が出るというような論理はおかしいと思うから。米兵であれ日本人であれ、いろいろ「理由」があるものはいて、米兵だからといって取り上げるのは間違っています。
ある種の米兵批判、基地批判は、自らの主張のために少女が味わった苦痛を利用しているのではないか。そう、感じなくもありません。
しかし地位協定は「理由」をもっている人間の背中を後押しする効果があります。「基地に逃げ込めば大丈夫」。こうした犯罪を誘発する環境を改善することが権力の責任のはずなんですが、政府は問題を「綱紀粛正」に矮小化しようとしていますね。
>レイプすら許せるような寛容だとか慈愛だとか必要になってくるような気がしています。
ではなく、レイプはおきない。犯罪はおきなくなる気がしています。
やっぱり、夢ですかね(笑)。
でも、せめてワタシはそこを夢見ていたい、と思っています。
話しはそれますが、昔収集していた「子育ての格言」を次のエントリーで挙げたいと思います。「対話」に関して「33」にありました。
おそらく沖縄において「兵隊」によるレイプ事件が続出していることでニュースになるのでしょうね。そしてやっぱり、「兵隊」が何故事件をおこすのか、兵隊のメンタリティという根本的な部分を解明しなければならないのでしょう。それはされるべきでだ。でも、やらない。
世界を牛耳る一部権力者の権力欲と金欲にとっては、「戦争」は必要なものであり、戦争を成り立たせる「駒=兵士」の「輩出」も必要であり、「輩出」させるための貧困も必要である。故に根本的な解決など、自分の欲の首を絞めることなどするわけがない。この世界を牛耳る一部権力者のおこぼれに預かろうとする、この国の権力者もしかり。
つまり、根本的な問題にはふれず、表面的な問題で誤摩化され続けることになる。そんな社会を変えられない大人が少女に謝らなければならないのは、その通りですね。申し訳ありません。
現実の問題として、この事件の解決として「綱紀粛正」という過去に幾度も行われてきた「対策」に効果がないことを総括して、真剣に「環境の改善」を行って欲しいものです。ただやはり、ワタシが目指したいのは、上のすぺーすのいど会長が書かれているようあ、根本的な問題でありたいと思ってます。
言葉でうまく表現できないのですが、レイプすら犯罪でなくなってしまうくらい人間が出来なきゃ実現できないのではと思ってしまったのです。
欲求を理性でコントロールすることで人間は社会を築いてきたました。だから罪そのものは人間が作り出したものです。実際過去には罪でなかったことが今では罪になるなんてことがあります。より良い人間社会を築いていく上で色々な縛りが作られてきて、それを人間は理性で守ってきたと考えています。裏を返せば人間の本質なんて理性でコントロールしなくちゃならないくらい、より良い社会には向いていないものなんだと思うのです。(なんて悲観的な・・・)
それでもdr.stoneflyさんと同じく「そこを夢見ていたい」自分がいます。
なんか幼稚で支離滅裂なコメントですみません。
お馬鹿なワタシの出発点が、個々の人間が理性……というよりも「生」についてもっと追求できないだろうか?「欲」というが、そういうベクトルに向わないだろうか? せめてワタシだけは……。というとこなので、現実の社会と対比することに無理がある。現実離れしている。だからnobuさんが書かれたことは正しいと思いますよ。でも言いたいんですよね。解っちゃ居るけどやめられない、あ、こりゃまた失礼しました(笑)、てなもんです。ごめなさい。すみません。ちょっとナチュラルハイになっているもので……(爆)
ならば、何も言うことはない。個人的に、その生き方を応援する。
……寝不足で頭の働かなくなった若造の放言である。無視していただければ幸いである。
貴エントリーに同意するという意味でTBをさせていただきました。受けて頂いたうえにコメントまで頂き感謝です。ただ、ワタシなんぞ、おっしゃるような人間ではありません。「生のほんと」がわからずに日々悶々と生きているだけです。
ちょっと亀レス、亀トラバです(お送りしたのですが届きませんでした(^^;)
今日は国際女性デーです。
ちょっと関連記事を書きました。
それにしても、日にひに明らかになっていくのは日本政府がどこをみているか、、、、ですねぇ。
この問題、決してウヤムヤにしてはならないと感じています。
お互い、書けるまでかきましょうね!
では、、、またね。
TB&コメントありがとうございます。
前にも書きましたが、この国でワタシは、生まれながらにしてさ「差別者」としての位置を保障されています。
そういう自分をちゃんと見つめて、書き綴りたいと思っています。差別者としての社会の解体もありかなぁ、っと。
4月から忙しくなりそうですが、書けるまで書きますよ(笑)
■
> ひとりの人間が親切にも家まで送ってくれると言う。その人間の言葉を受け入れて、その人間の親切に応えようとした。
こういうことって、とても大切だと思いましたので、コメントさせて頂きます。
つい最近まで、みんな、家に鍵を掛けないで生活をしていたのですから。
今でも、ときどきありますが。
ただ、子どもには「親切に」なのかどうかの判断がつきません。
やはり、中学生は知らない人と口をきくのはやめたほうが良いと思います。
桜子は、中学生の頃はもちろんですが、高校の時にも一人ではデパートに行かせてもらえませんでした。
中学生のときに、夜にひとりで外出したのは、すぐ近くのお寺の盆踊りの時だけです。
このときには、中学校の先生も見回りに来ていました。
ひとつ、誤解なさっておられることがあります。
3人連れに声を掛けたのは米兵で、5分くらいおしゃべりをしていたそうですが、「オートバイに乗せて」と女の子のほうが言ったのです。
警察署の向側でのことです。
それで、米兵は、女の子の合意があると思って、自宅に直行してベッドインしたのでしょう。
女の子は、拒否して、外に出たのですが、米兵は車で追いかけてきて、そのときは「家まで送ってあげる」と言ったのです。
こわい思いをしたのでしたら、このときに、女の子だって車に同乗しないと思います。
そして、報道で、女の子の家とは別な方向に連れて行った、とは書いてありませんので、連れて行ったところは、女の子の家の近くなのではないでしょうか。
別の方角でしたら、だまして「拉致」したことになりますでしょう。
マスコミが騒ぐのに良い材料なのに、騒いでいませんから、一応は家の方に連れて行ったのでしょう。
米兵と女の子は、関係を求め、求められた間柄ですから、お別れの儀式みたいなものが予想されるのは当然でしょう。
米兵から女の子とは合意が出来ていたのだ、土壇場で拒否されてしまっただけの話なのに、強姦呼ばわりされて、名誉を傷つけられたと訴えられますと、たいへんな思いをするのは女の子です。
この女の子は、かわいそうに、報道では親は登場しないようですね。
登場するのは友達、友達の母親、弁護士です。
寂しくて、米兵に甘えてしまったのでしょうか。
すみません。後半の事件の真相の部分は、そうなんですか、としか言い用がありません。それが事実であれば誤解ですね。ワタシには追及する力はありませんが。
エントリーで言いたかったことは、マスコミが流したストーリー(これがウソであったとしても)に対して、
>子どもには「親切に」なのかどうかの判断がつきません。
なのかな。判断がつかない子どもが下手すると事件に巻き込まれる社会・・・これに疑問を持てないのは哀しいよね、といったとこです。