「運動って何だ」…軽々しく共闘なんて言えないけど

 あるときふと「疑問」を感じる。
 「この生き難さは何なのだろう?」って。
 あるいは「あの人たちは何故生き難そうなんだろう?」でもいい。
またまた「何故、私がとつぜんこんな生き難い目に会うのだろう?」ってことかもしれない。
 ちょっとした機会で「疑問」を持ってしまった。今まで「疑問」を持たないように仕向けられていたか、誤摩化されていたのかもしれないが、とにかく「疑問」を持ってしまった。
 さてどうしよう?
 その「疑問」を忘れようか? 我慢しようか? 合理化しようか?
 それとも追求しようか? 
 やはり解き明かそうとして考えてみる。
 じっくり考えてみると、その生き難さが、何か巨大な力によって強制されたり、弾圧されたり、抑圧されていることに気づくことがある。
 それが国家か、その下部の地方自治か、国家と結託する大企業か、ときに国家を拠り所にする精神だったり、常識だと言われそれを疑わない人々のことであるかもしれない……
 そこにうごめくあまりに理不尽な理由がみえてくるかもしれない。
 それが金のための巨大なエゴだとわかるかもしれない。
 生き難さが金で解決しないと解るかもしれない。
 そんな「疑問」の答えが解ってくるとそれが「怒り」に変わるかもしれない。同じ「疑問」を多くの人が感じ、「怒り」を多くの人が持っているとき、いってみれば社会的な怒りであるとき、「ほんとのこと」が解ってきたときに「市民運動」になっていくのだろうか。

 「市民運動」ってなんだろう?
 同じ「疑問」をもち、同じ「怒り」を感じた者が、そんな社会を是正していこう、変えていこうという運動。
 ただ「生き難さ」を強要してくる敵は巨大で強い。だから、「怒り」を共有し、繋がり、「連帯」していく。そして「組織」されていく。
 「組織」され「方針」をもち巨大な敵に立ち向かう。
 「疑問」に気づかない人々に呼びかけ、不問にしている人々に呼びかけ、「疑問」をひも解き、「連帯」を呼びかける。
 それでも敵は強靭だ。
 違う「疑問」、違う「怒り」で「連帯」している「運動」に呼びかけ「共闘」していく。
 さらに「組織」されていく。
 「組織」は「団結」を呼びかける。

 ところが、この「組織」が曲者なのだ。
 あまりに強い敵とゴールの見えない日々に、いつしか「組織」の「方針」が割れる。
 例えば「頑にほんとうのこと」を目指すのか、それとも「政治的」に妥協するのか…、それさえ忘れ「組織」づくりや「運動」そのものに目的を見いだすものさえでてくる。
 長く終わりの見えない闘いになることほとんどだ。運動そのものに疲れ、「怒り」が薄まっていく。「怒り」が疲れていく。
 あるいは、もともとの「怒り」が「組織」に対する怒りに移っていく。
 敵も運動の団結を「分断」しようとする。
 疲弊も重なり、ほんとうのことを忘れていく。
 ほんとうの「怒り」を見失う。

 巨大で強靭な敵に対峙しながら、最初の「怒り」を持続して、「連帯」し、「団結」し、「共闘」し、「妥協」を許さず、オノレに厳しく戦い抜くことは本当に困難だ。どこまでやっても「勝利」しないことのほうが多いかもしれない。ワタシはそんな「運動」と「組織」に疲れ、どんな小さな「勝利」もみることがないまま挫折した。そして未だに引きずっている。
 だからワタシは少しまえ報じられた「薬害肝炎」で「怒り」を貫き通し、仲間を見捨てることなく、妥協することなく、「連帯」し、「団結」し、闘い通した人々の勝利を心から祝福した。それが如何に困難で並大抵の努力では到達できないかを1/1000ぐらいは知っているつもりである。
 リアルで「ほんとうのこと」を貫いた人々が、心からの叫びが、社会を少し変えたことに感謝したい。

 今もこの国の到るところで、いろいろな「怒り」をもち運動がなされている。
 このブログで取り上げただけでも、沖縄や岩国、六ヶ所、護憲、教育基本法、保育園民営化、ワーキングプア、ホームレス、格差、障害者、学童一元化、…etcetc。
 どの運動も非常に厳しく困難だと簡単に想像できる。でもだからと言って諦めるわけにはいかないのだろう。現実に「怒り」をもって闘っている人がいるのだ。そして何よりどの「怒り」も、けっして「他人事」ではないのだ。
 現実に真剣に闘っている人の困難さや苦しさの想像がつく。
 何とか共闘したいと思う。でも、実際はたかが署名やカンパや集会やデモに参加するぐらいだ。そんなワタシが、いくらブログだからと言って、いい加減で中途半端で甘ったれた「共闘」も「連帯」も呼びかけることができない。

 でもね、今、大したことができないワタシでも、せめて闘っている人とほんとうの「怒り」を共有したいという気持ちは持ち続けたいと思っている。
 ワタシもこの社会を構成している一人であることを忘れない。

 
軽々しく共闘なんて言えやしないけど……

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この記事へのコメント

KUMA0504
2008年02月11日 11:26
現実に「運動」に少しでも係わると、今まで歴史的な経過を無視してはやっていけないわけで、悩みは大きいのだろうと思います。
その点、ブログはほとんど自由です。そういう点でも魅力はあるかもしれませんね。
dr.stoneflyさんの悩みはよくわかります。私の悩みでもあります。私の最近のつぶやきをTBしてみました。
dr.stonefly
2008年02月11日 15:22
KUMA0504さん、TB、コメントありがとうございました。
さっそく拝読させていただき、ブログの可能性をあらため見つめてみたいと感じました。

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