「視点の変遷」…このブログについて

 今更「このブログについて」なのだが、なんだか最近「視点」がブレまくりだよなぁ、と思いながら記事を書いている。視点がブレても全てがワタシなのだが、読んで頂いてる方のことを思うと、記事によって視点がぶれるのは結構心苦しい。もともと、知識や理論などなく、感性と肌感覚だけでいいたいことを文章化しているので隙だらけかもしれないが、視点がブレるため、読みづらいのではないかと不安になる。しかし、ブレるものはブレるので仕方ない、と開き直ってみよう。それもワタシなのだ。今回は「視点」がブレる言い訳について書いてみたい。

 さきにも言ったとおり、記事を「感性と肌感覚」だけで書いているのだが、その「感性と肌感覚」が身に付いたのが、ホームレスと関わった日々である。10年余という短い期間なのだが、何度もワタシのなかで「視点の変遷」があった。ここに視点がブレる要因が見える気がする。

 ○一般的な視点
 ホームレスと関わる前のワタシは、ホームレスをひとつに括り「汚い」「浮浪者」「怠け者」「危険」「ゴミ」……と蔑み、また深層真理では恐怖を感じていた。それが未知による恐怖で、無意識のうちに恐怖から逃れるためホームレスを見ないようにしていたのだろう。意識せず視界から排除していたわけだ。もちろん「浮浪者」「怠け者」「危険」……という決めつけが世間の風評と無知から育まれたイメージであったことは後にわかることになる。
 一般的な視点とは、「一般的」だからやはりマジョリティだろう。疑問に思わないこと、知ろうとしないことの「強み」というか、マスコミのマリオネットというか、「みんなと一緒が安心」ということなのか 、そのまま今に至ったらと思うとゾッとする。

 ○ボランティア的視点
 あるきっかけでホームレスと「支援」として関わることになるのだが、「怠け者」「危険」……が全くのデタラメで、無知ゆえの思い込みであると解った。この「豊かなニホン」で使い捨てられ、衣食住に足りず、路上で「遭難」し「餓死」や「凍死」で死んでいくニンゲンが多数いることを知る。憲法25条など形骸化していることを知る。それでホームレスを「気の毒」で「可哀想」な人々という評価に変わり、「炊き出し(食事の支給)」や「医療相談(問診をして福祉事務所にホームレスをおくる)」を手伝ったりすることになる。何か「いいこと」をしてると感じていた時期でもある。

 ○運動的視点
 生命にかかわる「炊き出し」や「医療相談」は必要かもしれないが所詮「対処療法」で、根本的に社会が悪いということが解ってくる。このころからホームレスの排除と闘い、ホームレスの社会復帰を求め、行政や権力と闘い、医者や救急隊員や教師や通行人と揉め、マスコミと闘い、分断されているホームレスの連帯を呼びかけ、ヘロヘロになり、パクられる寸前まで動いていた。この期間が一番長く、ホームレスの問題もホームレスの問題ではなく自分の問題、自分がいる社会の問題と捉え、ムキになって闘っていた。運動をすすめる上で同志と議論し、もちろんホームレスのおっさんとも言い合いをした。ワタシのなかのホームレス差別から解放されたと感じた時期。

 ○厭世的視点
 あるとき、社会の悪意によって産み出されたホームレスを、その悪意に満ちた社会に復帰させる矛盾に疑問を感じる。運動を進めるにあたり、ホームレスの場合、政治とか行政や権力のみならず、そのへんのおっさんやおばちゃん、老人、サラリーマンから子どもに至る、ほとんどの市民(一般的視点)からも忌み嫌われ、排除されていたのだから絶望的だ。さらには、当該であるホームレス自身も「自分が悪いから仕方ない」と思わされ、どれだけ話し合っていても、ホームレス自身が「一般的視点」をもち、あきらめているから運動を続けることに「しんどさ」を感じることになる。誰のために運動をしているのか解らなくなり、自分のための運動という意識も希薄になり、しょせん世の中はなるようにしかならないのかなぁ、と無力感に支配される。この視点は変遷ではなく「運動的視点」が長くなるにつれ、ちょくちょく陥った。

 ○哲学的視点?
 ホームレスのほうが良いと言うホームレスがいる。また「居宅保護」を勝ち取りアパートに入居したホームレスが、数日でアパートをでて、野宿仲間のとこへ戻ってきたりする。そんなとき、「ハウスレス」でない一人暮らしの老人の孤独死がニュースになり耳にはいる。ホームレスのコミュニティの方がよっぽど「人間」らしく思えてくる。
 社会の外に捨てられたホームレスの視線で社会をみていると、社会のなかで右往左往しているニンゲンが悲しくみえた。徐々に「捨てられたという視点」ではなく、「社会を見限った視線」になり、「何が価値」だかわからなくなる。ほんとうに社会に価値があり、ホームレスが無価値なのか? ほんとうに悪意に満ちた社会に縛られるのに幸せで、悪意に満ちた社会から排除されるのが不幸なのか?
 そんなこと漠然と考えながら、ホームレスと並んで座り通行人などを哀れみの視点でみていると(通行人からは冷たい目で見られているのだが(笑))、突然、視点だけが空の上の方へ飛んでいき地上でうごめく社会という鎖で繋がれているニンゲンを見ていた。社会そのものや、社会で価値があるいわれている物がつまらないものに思え、地上でホームレスと並び通行人を見つめながら「何が価値なのだ」と考えている「ワタシ」とは何ものなのだろう?とか、「生きる」とはどういうことか?とか、「幸せ」とはなにか?とか……。こういうのを哲学的視点というのだろうか?(不勉強なワタシには解らないので「?」をつける)。
 ただ、空の上から地上を見つめていると、世間で価値があると言われている物や、大騒ぎしていることが、また社会そのものが、どうしようもなく下らなく感じた。運動的視点でさえ無意味に感じた。もっと普遍的なものを求めるようになる。

                                                 *

 ワタシのなかでは長い時間をかけて「哲学的視点?」の入り口に辿り着いたという思いがある。「哲学的視点?」=「普遍的なこと」はほとんど解らなく、なんとか掴みたいと思っている。が、「哲学的視点?」を追求するならブログなど書く必要もなく、「戯れ言」など書いている時間があれば、本でも読んでいた方がよっぽど思考できる。では、なぜブログを書くかといえば、やはり「運動的視点」が大切という思いがあり、実は、まったく「社会」を見限ってない自分がいることを知る。
 という訳で、ほぼ「運動的視点」で書いているつもりだが、ときに「哲学的視点?」=空の上から見たがる自分がいる。特に「どうでもいいことで『一般的視点』が騒ぎ出すと」空から見たくなる、結果、茶化すことになる。性格である。また逆に「厭世的視点」になることもある。さらにはずっとワタシのなかでひっかかっている障害者のことでは、どう考えていいのか解らず「一般的視点」や「ボランティア的視点」で見ているのではないか?と不安になったりする。
 ただ「一般的視点」や「ボランティア的視点」もワタシ自身が通過してきた視点なので、誰もがいつか変れると思っていて、また変わって欲しいとも思って記事を書いている。

 こんな訳で記事を書いていても「視点」がブレまくる。が、やはりブログを書いているうちは「運動的視点」で書いていこうと思っている。それも地べたすれすれの最下層からの視点を心がけたい。

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この記事へのコメント

愚樵
2006年07月22日 19:30
確か永井均「子どものための哲学」のなかにあった記述だと思うのですが、それによると世の中は「上げ底」なのだそうです。普通に幸せに生活している分には、その上げ底に気がつかずに過ごすことが出来る。ところが何かのきっかけで「上げ底」に気がつくことがある。そこから始まるのが「哲学」なんだそうです。
そのきっかけには、いろいろあります。突然降りかかってきた不運であるとか。また「出会い」もそのきっかけになります。
dr.stoneflyさんの視点の変遷には「出会い」があったように思います。「出会い」を重ねるうちに「上げ底」に気がついた、と。
dr.stonefly
2006年07月23日 17:01
 紹介の本は読んでいないので、世の中が「上げ底」という視点が解らないのですが、「上げ底」の下のほんとの「底」に「真理」がある、と読めるような気がします。が、ワタシは「上げ底」は恣意的につくられたもので、そこに気づくことに「運動」がある気がします。
「上げ底の下の底」「上げ底」「その上」までの全てを含め「普遍的」なものが「哲学」かな、とも思うのですが、まだ解りません。
 もちろん「出会い」により「上げ底」に気づかされたのは事実で、気づいてからの視点の変遷は複雑です。また「出会い」により教えられることも多いと思います。
 またよろしくお願いします。
愚樵
2006年07月24日 20:33
たぶんdr.stoneflyさんの疑問と行動がすでに「哲学」なのだろうと思います。
ものの本によると、哲学は「学ぶ」ものではなそうです。「哲学史」や「誰それの哲学」は学ぶことが出来るのですが、「哲学そのもの」を学ぶことはできません。哲学は自ら「する」ものなのだそうです。
dr.stoneflyさんはもうすでに哲学を実行されていると思います。
dr.stonefly
2006年07月25日 09:02
思索の人=愚樵さんに「哲学」をしてる、と言われ嬉しいような、おこがましいような、気分です。が、やはり「哲学」がなんなか、という実感はありません。あまり「哲学」とはどういうものか?とこだわることなく、ときに空の上まで視点を持っていき地べたにいるワタシ自身を見つめながら、「思考」すること、「思索」すること、で「善い」を求めること、「善い」存在でりたい、と思ってます。
「愚樵空論」は、ワタシに何かしら「違うアングルの思索」を与えてくれます。これからも期待しています。
una
2006年10月05日 12:13
こんにちは。
ブログって、不思議なものですね、アメーバ的に広がっていく感じです。
あるブログを見ている時に、コメント欄に感じの良い人のURLがあり、それを辿っていくとまた其処でよい感じのブログ主さんを見つけ・・
こんな風に、私はdr.stoneflyさんの所にたどり着きました^^
私もよく厭世的な気持ちに落ちかかることもありますが(貴方のように何も行動を起こした事も無いのに^^;)身内含めて、回りの人達が余りにも何も考えずに、「だって仕方が無い」と言うのを聞く度に、”そんなに流されてしまってイイの?”と抵抗感が芽生え、現実では言えない心の叫びを書くようになりました。
ごく一部の方のブログしか尋ねていませんが、
確実に”モノゴトを考えるようになった方”が増えているように思います。でも、初さん的思考回路の方も多く見受けます、男性に多いように思います^^;世の中の理不利を実践で体験されたdr.stoneflyさんに脱帽です。
dr.stonefly
2006年10月05日 20:53
unaさん、こんばんは、辿り着いてくれて、しかも読んでいたでき感謝です。ワタシはワタシのなかの経験として、それを足がかりにエントリーを書いてますが、どこまでいっても「浅い経験」でしかないことを実感させられます。ワタシの本質はヘタレで負け犬です。でもそれもワタシであり、受け止めています。
負け犬であるワタシは、できれば他人を責めたくないと思っている。それが例え「初さん」のような思考の方でも。
まだまだ未熟です。もっと深く深く物事を見つめたい。
でも、それがなにか解ってしまえばブログはしてないかもしれない。
unaさんもブログで何か書かれているのですか? もしそうであって宜しければコメントでURLも公開してみてください。
お伺いしますよ。
una
2006年10月06日 12:47
早速、お返事を有難うございます。
ごく最近、世の中勉強を始めたもので、
”初さん”風な凝り固まった方を論破できる術を持ち合わせていないので(つい喧嘩を買ってしまうタイプ^^;)チョッと恐くて、URLを残さなかったのです。でも、私のブログを読んで頂けるのは有り難い事なので、”メッセージボックス”から送らせて下さい。
今後とも、どうぞ宜しくお願いします。
ココロ
2007年08月03日 01:31
dr.stoneflyさんは、凄いかただったんですね。感心しました。うえのかたのおっしゃるように言動すべてが「哲学」ですね。そこまでご自分を分析できるなんて、すばらしいです。一生かかってもアベ氏にはわからない思いですね。
dr.stonefly
2007年08月03日 13:13
ココロさん、まあ大して凄くもないのですが、この辺りがワタシの原点です。
ときにワタシ自身もブログの原点を忘れてしまうので、たまにこのエントリーを読み返しているわけですが……(笑)
本当に自分を分析できているのでしょうか? 自分を分析するということは人間を知るということで、まだ真理がなにかなんて解っていません。日々悶々と「生きること」を思索しています。
たんたん♪
2008年05月17日 01:41
先日は、牛丼記事の件で失礼しました
<(_ _)>

dr.stoneflyさんは、やさしい人なんだね。
私もボランティアに興味があるけど、なかなか踏み切れません。

dr.stoneflyさんのお話を読んで、ホームレスさんは怠けたくてしてるわけじゃないんだなぁってわかりました。

dr.stoneflyさんのお話は、興味をひく内容で面白いです。

dr.stonefly
2008年05月18日 08:20
たんたん♪さん、おはようございます。

ホームレスについて、ちょっと知って頂いたことはブログをやっていてよかったという思いです。ありがとうございます。

「ボランティア」について書きはじめた長くなってしまったのでまた新たにエントリーあげようかな(笑)
えあしゃ
2008年05月19日 09:24
私って安全なところにいるよな、って思います。ブログもね、また安全なところ。
でも、ブログでこういう記事に出会えると、安全なところからでもできることをしよう、って思います。

dr.stoneflyさんからはいつも私のもやもやを紐解くものをいただいているなあ。
dr.stonefly
2008年05月19日 12:36
えあしゃさん、こんにちは。

>私って安全なところにいるよな
みんな同じ。ブログなんかグルグルと言い合ってるんだもの、取り敢えず身は安全です。でも、精神的には危険域になっちゃう人もいるかもしれないから、ほどほどにと思ってます。えあしゃさんは、ときどき火中の栗拾いに行っているのを見かけますので、火傷しないでくださいね。火傷してしまったらすぐ冷やすのが鉄則です。

>私のもやもやを紐解くものをいただいているなあ。
おかしいなぁ、毒多のはずなんだけど。まあ、いっか(笑)
えあしゃ
2008年05月19日 14:55
dr.stoneflyさん
>精神的には危険域
そうですね。自戒します。

>火中の栗拾いに行っている
うわあ、そう見えるか(笑)
黙っていようとかたくかたく決意しているのにどうも私の中のウマ気質が黙っていられないらしくって^^;

>すぐ冷やす
dr.stoneflyさんのとこで冷やしてもらってます。どもども^^
dr.stonefly
2008年05月20日 16:50
うーん、ウマ気質ってのはボクにもあるのかな? やっぱり気になるな。なぜ気になるか?、なぜ口を挟みたくなるのか? ってのを考えるのは面白いかもね。
井戸端会議している元セクト?のオジさんたちにチープな科白で揶揄されたときには、血が昇ったけど、もうクールダウン。既にそれがウマの理由じゃないしなぁ、となると、やっぱgonかな。
すも
2009年12月20日 15:21
読ませていただきました。
私は今、ホームレスの人たちとちょっとずつ関わってる者です。関わり始めて5年…月日ばかりが過ぎ、ちっとも彼ら・彼女らと心を通わせることができていないことに、自分自身に対する不満や焦りが募っています。
ホームレスの人たちに、「どうして野宿するようになったんですか?」とか、過去の経歴とか、触れてはいけないもののような気がして聞くことができず、かといってそこを聞かないと「なぜホームレスになったのか」ということが、自分に対しても周りの人に対しても納得のいく説明ができない。
私がやりたいことは、まずは「野宿を強制されている人々」の存在を、もっとたくさんの人たちに意識してもらうための行動。
でも私自身、彼らのことをちっとも分かってない。対象化できてない。

「彼らから何を学ぶか」という視点が私自身に足りないためでしょうか。越冬闘争が近いですが、こういう催しが近づくたびに行き詰まりが露呈します。

でもそんななか、このブログにたどり着けてよかったです。書かれてる方に感謝します。
dr.stonefly
2009年12月21日 17:30
すもさん

初めまして、コメントありがとうございます。

>このブログにたどり着けてよかったです。

これは嬉しいなぁ。書いててよかったと実感します。ありがとう。

>過去の経歴とか、触れてはいけないもののような気がして

ワタシはこういう人は好きです。こういう感性は信用できます。青カンになるきっかけは、昔であれば「寄せ場」から、とか、今なら「派遣切り」からというように大枠で言うことができるかもしれませんが、そこに流れ着いた事情は一人ひとり違う。背負ってきたものも傷も違いますね。そこに支援ごときが土足で踏み入っていいわけがない。現役の頃「ホームレス調査をするから協力しろ」という大学のセンセイと喧嘩したことがありました(笑)。
でもね、人間関係ができてくるとおっさんの方から身の上話をしてくれることがある。やっぱ人間関係かな。
「対象化」とか「何かを学ぶ」は後から付いてくるもんじゃないかなぁ~。この辺を意識しすぎると「>心を通わせる」ことは出来ないかもしれないな(笑)。

越冬闘争そろそろですね。支援じゃなくて、こんな社会をつくっている当該の一人としておっさんらと一緒になって闘って(行動して)みたらどうかな。ワタシも「怒りをもって」この地域の越冬突入集会へいくつもりです(笑)。がんばりましょう。

(偉そうなことを書いて申し訳ありません)

すも
2009年12月22日 17:07
一緒に行動することからしか、肝心なものは生まれない気がしてきました。

「闘う」という言葉は好きです。でも、自分が闘っているか・闘えるかは別問題…。学生である今、闘いの相手はまず真っ先には自分なんだということに気付きました。

名古屋の越冬も成功されますように。がんばりましょう。

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