「病児・病後時保育」…呪縛を解き、本質を掴め!!

 朝日新聞は日曜に「生活」というページで「どうする少子化」というタイトルで特集を組んでいる。ここ数年いわれている少子化問題なのだが、2005年の合計特殊出生率が1.25となり少子化に歯止めがかからず「深刻」ということらしい。何故深刻かといえば、「国力の弱体化」であるとか「高齢化社会で増え続ける老人を誰が面倒みるんだ」ということが問題で、そんなことで深刻といわれても産まれてくる子どもにとってはいい迷惑で、親としても子どもの事を思えば、そんな社会に産まれてきた子どもは可哀想となり、産まない方がましということになる。国も少子化対策などと騒ぎながら中途半端なことしかやってないので、理解など得られる訳もなく少子化に拍車がかかることになる。いやいや、産まれてくる子どもたちは、一人の人間として「自分の生」と向き合い「生きていく権利」があり、「国」のためだとか「高齢者対策」のために産まれてきてくれ、などフザケルな、と言いたい。

 さて、今週の朝日の日曜版には「保育園の病児・病後時保育・夜間保育」の特集が載っていた。毎度、繰り返される論調に戯れ言を漏らすが、決して少子化対策のためではなく、保育行政の問題点として書く。

 基本的に保育園というのは、両親とも働いている場合か、シングルの場合は親が働いている場合に、子どもの養育を委託する施設である。ただし、子どもが健康な場合に限りだ。一旦病気になれば登園を拒否される。さらに、朝、子どもを保育園に送り届けたからといって安心してはいけない。保育の途中で子どもが「発熱」などしようものなら、「お迎え要請」の電話が職場にかかってくる。また風邪でもひいて3日も4日も保育園にいけなくなると大変である。無理してでも仕事の調整がつけばいいが、八方塞がりとなりニッチもサッチもいかなくなることになる。しかも0-3才くらいの子どもは本当によく病気に罹るのだ。ワタシもカミダノミをしたことが何度もある。
 そこで、病児・病後児保育の施設をつくれ!! と行政に要請することになる。何年かの交渉の結果か少子化対策のテストケースか名古屋市でも病児・病後時保育の施設をつくった。つくるには作ったのだが、機能しているとは言い難いのだ。昨年の名古屋市との交渉で「病児・病後時保育を拡充せよ」という要求とともに提出されたある親の作文を紹介する。
 「40度の熱の子どもを預ける病児保育をしてもらえる保育園が遠くにしかない。朝4時半に起きて6時45分にその子どもを抱えて家をでる。地下鉄を乗り継いで預けにいく。夜も遠くまで迎えに行き、家に帰ると10時を過ぎている。そんな生活を1週間続けた。仕事は試用期間で休むことができない。保育料も一日7,000円もかかる。あまりにも病児保育をするところが少な過ぎる。病児保育をする園が近所にあれば……、名古屋市はもっと多くの病児保育をする園をつくって欲しい」

 朝日新聞の記事も「病児・病後児保育の施設が少ないこと」「行政の支援体制の弱さ」等が書かれていて、最後に「病気の時は親が家にいて看護すべきだ」という考えが根強いことも整備が進まない一因と指摘されている。と結ばれる。だいたい「病気の時は親が家にいて看護すべきだ」など、働いたことのない奴か、3歳児神話を未だ信じている奴か、家制度の信仰者が言う科白だろう。ワタシたち仕事をしている親にとっては、子どもが発熱しても、仕事に穴を開けられないこともあるし、客や他の社員に迷惑を掛けてはいけない、または前出の試用期間の親のように休んだが最後採用されないかもしれないのが現実だ。
 しかしである、朝日新聞の記事の結びにひっかかった。

  やっぱり「病気の時は親が家にいて看護すべきだ」は本質ではないか? 何故40度の熱を出して苦しむ子どもを他所に預けてまで仕事をしなければならないのか? 

 病気になった子どもの傍にいてやれることを認める社会、全体でバックアップしてやれる社会こそが本質ではないか。ワタシたちは一体いつから、「子どもや自分自身よりも仕事を優先させ」「仕事があるから子どもや自分自身は犠牲にしなければならない」という考えを植え付けられたのだろう? いつから、それが「ワタシたちにとっての当たり前」になってしまったんだろう? 
 名古屋市に要求している『病児・病後時保育の施設を増やせ』という要求も本質ではない。「まず子どもを犠牲にしてでも会社の経営を保障する」つまり「経済中心でものごとを進める社会がまずありき」という視点に立っている。明らかに病気で親に傍にいて欲しい子どもの気持ちと、傍に居てあげたい親の気持ちは疎外されている。子どもをもつ親にとっても、子どもを育てて行こうとする社会にとっても、明らかに本質ではない。子どもが熱を出すたびに社員が休むと困るというのが現実であったとしたら、むしろ「病気の子どもがを抱える親が休んでも、会社が困らないよう会社の欠員のほうを保障しなさい、さらには病気の子のために休む親の立場と給与の保障すること」という要求をしなければならないのではないか。

 国や行政は、病児・病後児施設をつくるのではなく、病児・病後児を抱える親が心置きなく仕事を休むための職場の欠員補充の制度を新設すべきなのである。

少子化対策がどうのこうのと言うなら、この程度のことは、やってみやがれってんだい!!べらんめぇ!!

(3月の記事から加筆再録です)

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この記事へのコメント

愚樵
2006年06月28日 22:01
本文に関係のないコメントでごめんなさい。先に謝っておきます。
dr.stoneflyの記事を読ませてもらって思うに、私とは視点は似ているような気がします。「弱者」にどうしてもひっかかる。
私の場合、どうも表現が強すぎるきらいがあるようでして、どうも弱者を攻撃しているように取られるみたいです。いや、本当に攻撃してるのかな? よくよく考えてみると、よくわからない自分がいます。
そんな愚か者ですが、これからもよろしくお願いします。
hana_usagi
2006年06月29日 00:23
お久しぶりです。

病気のときは親にそばにいてほしいですよね。でも、現代では、それを言えない子もいるのですよね。親に気をつかったり、そばにいて欲しいという気持ちを伝えることすらあきらめてしまったり。哀しいですね。あと、身体の病気のときだけでなく、精神的に揺れているときも、そばにいてあげられたらなぁと思います。でも、それこそ、会社になんて言っていいのか・・・?
施設と並行して、看護(介護)休暇制度も充実させ、両方をうまく利用していけたら、子育てもより楽しくできるのかもしれないなぁと思いました。楽天的すぎますか・・・?
dr.stonefly
2006年06月29日 04:59
愚樵さん、コメントありがとうございます。
ワタシは、「弱者」と世間で呼ばれている人は、常に問題を突きつけてくる気がしています。最近のエントリーしか読まさせて頂いてませんが、愚樵さんが「弱者」を攻撃しているようには読み取れませんよ。そのうえワタシが考えられなかった視点を気づかさせてくれます。感謝です。こちらこそ宜しくお願いします。
dr.stonefly
2006年06月29日 05:08
hana_usagiさん、いらっしゃいませ。
親に甘えられない子どもですか。親が悪そうですね、いや社会が悪いのかな、いやいや悪い社会に順応してしまう親が悪いのかな? 0-3、4才で自分が苦しい時に親に気を使ってしまう子どもの親、保育士はちょっと考えもんですね。
子育てが楽しくできることを、楽天的すぎると感じさせてしまう政策、社会を変えていかなければならないと思います。
life_is_beautiful
2006年06月29日 23:34
 今晩は。、『「弱者」と世間で呼ばれている人は、常に問題を突きつけてくる』そりゃ当然じゃないですか? 「弱者」にされているのは社会のせいなのですから。社会が作り出した「弱者」だと思います。ナチス体制下で平和主義者が迫害され人権を奪われたように、民主主義=多数決の限界を感じています。でも諦めません。テーマと無関係な投稿、失礼致しました。
dr.stonefly
2006年06月30日 05:53
自分では否定していたはずの、「強くあれ」という意識がワタシのなかにあることを言い当てられ、考えさせられました。と、いうのは個人的な問題か……。
ワタシたちも一員であるとこのニホンの社会は、棄民政策に邁進してますね。今後捨てられる人達も、民主主義=多数決の多数を支持しているような気がして、疑問を感じています。
日向 葵
2008年08月02日 22:13
こちらのエントリは初めて読ませていただいたので、コメントさせていただきます。というか、せずにいられません。
dr.stoneflyさんの言うとおりだと思います。子供が病気の時ぐらい休んだっていいじゃないか! 休んであげなよ! という世の中になって欲しいです。
そう思う一方で、世の中の色々なサービスがどんどん便利かつスピーディーになってます。けどそれは、その分働いている人がいると言うこと。さらに、そのサービスがちょっとでも滞るとイラっとする私達。そんな環境が、40度の熱を出した子供を預けざるを得ない状況をつくりだしてるのかな、なんて…
ちょっと皆で不便に慣れて、おおらかに寛大に生きていければいいのかな、と思いました。便利って一度体験すると戻るのは難しいんですけど。
dr.stonefly
2008年08月03日 09:50
日向 葵さん

>ちょっと皆で不便に慣れて、おおらかに寛大に生きていければいいのかな

本当にそうですね。不便に慣れて、というよりも、人間は何故、便利を求めるのか? 求めさせられるのか? それで何を得られ、何を失うのか? をちゃんと考えないとね。

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