「稲嶺知事、辺野古移設に合意」…やはり基地は都市で引き受けましょう!!

 先の「プレカリアートのデモ弾圧」で不当逮捕、拘束された3名のうち最後に「渋谷署24号」さんが釈放されたというメールニュースを受け取り、取り敢えず「お疲れさま」と呟やいたのも束の間、沖縄から「稲嶺知事が額田防衛庁長官と基地移設に合意」というニュースが流され、ふと、辺野古で座り込みをつづける人々の姿が浮かんだ。また権力によって人民の意志が踏みにじられるのか……、

 シュワブ案、沖縄県が事実上容認=地元調整ヤマ越える-額賀・稲嶺会談
 額賀福志郎防衛庁長官は11日朝、沖縄県の稲嶺恵一知事と防衛庁で会い、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設問題について、在日米軍再編の最終報告に盛り込まれたシュワブ沿岸案を基本として対応することで合意、5項目の確認書を交わした。県側が同案を事実上、受け入れたもので、既にシュワブ移設に同意している名護市と合わせて、移設に関する地元との調整は大きなヤマを越えた。
 確認書は、普天間移設について、今月1日の最終報告で承認された「政府案を基本とする」とした上で、「危険性の除去や、周辺住民の安全、自然環境の保全、事業の実行可能性-に留意して対応することに合意する」と明記した。 (時事通信) - 5月11日11時2分更新


 ワタシはニュースを見て滅茶苦茶ブルーになる。最近テレビで流された韓国ピョンテクの画像が頭をよぎり吐き気さえする。普天間より移設が予定されている辺野古では今も座り込みが続いていて、このまま行けば韓国ピョンテクのように権力が介入し「地元住民の安らかな生活の望む気持ち」「人民の平和の願う気持ち」が踏みにじられ排除されることになるだろう。
 ピョンテクでの抵抗運動を繰り広げ流された生々しい血の地獄が、辺野古で再現される可能性は高いのである。(私的なことだが、辺野古で闘っている知人もいて、今「机上の箱の前」でこんな風に文字を打つだけの自分はなんなんだろうと思う)
 ピョンテクでの生々しい映像を見て、ワタシなんかより上の世代の人は「三里塚」を思い出すかもしれないが、それ以降も全国各地で繰り返される行政代執行により地元住民の生活が犠牲なってきていて、その度に辛く悲しい歴史が繰り返される。(名古屋「白川公園」大阪「大阪城公園・靱公園」まで含めてだ)。いったい多数のために少数の犠牲は仕方ないというエゴは正当なのだろうか?

 しかしである、今回の件についても、「血の地獄」を見るほど地元の人々を犠牲にして基地を建てたことで、ワタシには、それで「安全が守られている」という「リアリティ」なぞ全く持てないのである。どうしても「米軍と組まないと危険である」という「リアリティ」がないのだ。(むしろアメリカの戦争好きを見せつけられると、米軍と組んだ方が危険という「リアリティ」の方がよっぽど持てる気がする)。
 ワタシが平和ボケをしていて、防衛に無知で、世界の動向を知らないから、こんなことを言えるというのか? それでは、はたしてどれだけの人が「米軍基地があるから自分は安全なんだ」という「リアリティ」を持っているのだろう? ワタシのような普通の市民はじめ、政治家、軍事評論家、ウヨクの人まで含め、心の底から、日本がどこからか攻められて戦争になるという「リアリティ」をもって、基地が必要だと思っているのか怪しいものである。テレビなんかで「防衛のため米軍も基地も必要です」と宣う者も、いかにもノホホンとしていて、薄笑いまで浮かべていて、まったく緊迫感などない。

 ワタシは思う。リアルな地元住民の犠牲のうえに「リアリティのない安全対策」など要らないのではないか。だいたい、「基地だ」「防衛だ」という前に、ニホンは平和を訴えて行くことを放棄してはいないか? まずは平和を訴えることが先決だろ。何をいわれようが、世界の隅々まで憲法9条を引っさげて「平和を訴えたら」よろしい。しつこく訴え、世界各国から「また出たな平和小僧」と笑われるまで訴えたらよいではないか。「平和……それしか言えない、単純国家」と馬鹿にされるまで言い続ければよろし。このほうがよっぽど、安全に対してもリアリティが持てる気がする。

 ふん、こんなこと書いたとこで、やっぱりワタシは平和ボケした馬鹿と言われるのだろう。それでは、こうしよう。ワタシを平和ボケした馬鹿と言う「あなたの家の前」に基地をつくっては如何だろうか、とは言わないが、辺野古、岩国、座間ともに地元住民も反対しているので、今回、基地は名古屋と東京と大阪で引き受ける。しかも街の中心がよろしい。この案は昔から出されているのだが、やはりこれしかないだろう。人口の多い地域で引き受けることで、より多くの人が「安全」「平和」「戦争」「憲法」なんかを考えることができるのではないのか。
 もうそろそろ、沖縄の犠牲じゃなく都市の犠牲のうえにより多くの人が、本当に「平和とは、安全とはなんぞや」と「リアリティ」をもって思考しはじめてもいいんじゃないだろうか……

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この記事へのコメント

罵愚
2006年05月11日 16:52
 訓練にともなう危険が心配だとか、騒音にたえられないという不満なら、相談ののりようがあると思う。反対派の理由は、生活にともなうものではなくて、日本という国家を防衛する行為に反対する、政治目的の反対だから、議論の余地がないように思える。
dr.stonefly
2006年05月12日 05:40
罵愚様コメントありがとうございます。
辺野古の反対の理由の原点に「生活面」や「環境破壊」「危険への不安」は当然あるのではないのでしょうか。ワタシの町に基地が移設されると通告されたとき、まず「生活」「環境」「安全」面で受け入れられないと思うでしょう。次に「では他の場所への移設」を考える。当然その地域に住む人の「生活」「環境」「安全」を考えます。次には「基地の存在」「防衛」について、さらには「平和」「安全」について、また「国家」…「人間」「生きること」について……と考えを深めたとき、(グンと戻りますが)「基地」はいらない、「戦争を否定し」ひたすら「平和を希求」する、となるのではないでしょうか?
>議論の余地がないように思える。……現状、悲しいですがそんな状態ですよね。
記事にも書きましたが、「基地」、「戦争」に対する「リアリティ」の問題があると思います。できるだけ「多くの人」に「リアリティ」をもって「議論」できるようにと思い、「基地は都市で引き受けよう」と思います。…きっと「議論」も白熱し、考えなかった人々も考え……結局「基地はいらない」ということになる気がします。

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