「ジャングルフィーバー」(スパイク・リー/1991/米)

 ひとりの黒人男がいる。その男はハーレムに住んでいる。仲のよさそうな妻がいて、子どもが一人いる。建築士として有能な男で、そこそこ裕福で幸せそうな生活をおくっているようだ。
 その男が職場で「雰囲気に飲まれて浮気」をした。しかもその相手は「白人女」だ。その事実を知った妻は怒り狂い、男を家庭から追放する。
 ここから、「人種差別」「国籍(ルーツ)差別」「家」「家族」「宗教」があばき出されていくのだが、もちろん「黒人差別」が究極のテーマになっている。だってスパイク・リーだもの。(この映画では「白人女との浮気」を起爆装置としているが、「浮気」が問題なのか「白人女」だから問題なのかを、つい考えて深みに嵌まってしまった(笑))
 ストーリー全体で黒人差別の根深さを描きながら、黒人社会や黒人自身のなかにある問題も浮き彫りにする。曰く白人とのハーフ、1/4、1/8という黒人内混血差別(差別の多重構造)、黒人のなかにある「肌の色によって個人を個人としてをみれないという」積み重ねられた歴史的な現実と感情的な縛りの問題、たとえ肌の色にかかわらず一人の人間を一人の人格としてみようとしても、それを許さないという社会の壁……、問題のオンパレードだ。
 ひとりの黒人男は白人女と浮気したことで、それまで見えてなかったモノ(見ようとしなかったモノ)にブチ当たった。個人のなかにある「縛り」と社会の「壁」。それまでの「白人からの差別に立ち向かう確固たる意志をもった黒人」というアイデンティティの崩壊。しかし、歓迎すべき崩壊ではないのだろうか。おそらく浮気をしなければ問題の根本を考えることなく過ぎ去っていたのだろう。浮気の是非はともかくとして、この男にとって「縛り」と「壁」から「解放」されるチャンスだったはずだ。が、結局「解放」されることなく、ズタボロになっていく。全てを失い自我の崩壊した男が、路上でクラップ代欲しさに2ドルで売春をもちかける少女をだきしめて嗚咽するラストシーンが印象的だ。
 もちろん解放されないこの男を責めてるわけではない。全く想像がつかないほど根深く重い問題なのだろう、という想像しなければならない。
 しかし、ほんと、アメリカって因果な国だよなぁ、などと対岸の出来事のように眺めているわけにはいかない。日本だって「奴隷として強制連行」してきた人間を差別しつづけてきているのだから。

 なんとなく「黒人」「白人」って差別用語かなぁと思って調べてみたら、マスコミ用語ではむしろ「置き換え用語」だった。じゃ、置き換える前の差別用語はなにかというと、「黒人」が「ニグロ」で「白人」が「毛唐」と書いてあった。「黒人」「白人」が差別用語じゃないのだろうか、と感じた自分はなんなんだ?

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