毒多の戯れ言

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zoom RSS 「誰が星の王子さまを殺したのか」安冨歩著

<<   作成日時 : 2018/04/12 10:27   >>

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 「星の王子さま」を最初に読んだのは最近、ここ1−2年だったと思う。と、そのときことさらとりたててブログには書かなかったし、自らの別のブログ記事のコメ欄に特に何かを感じたことはなかったと書いてあったので、その時はそうだったんだろう。
 正直にいえば、よく解らなかった。そのときは。
 で、今回表題の安冨さんの本を興味深く読み、再度「星の王子さま」を読んだのだが、なんとなく時代と地域を超えて評判がよく王子さまファンが多いことが解ってきたような気もする。
 王子は子どもなのだ。子どもゆえに純粋で、その純粋さに惹かれるのだろう。ちっぽけな惑星の取り憑かれたような大人たちの盲目的価値観(権力や見てくれや酒なんか、、)にストレートに疑問をもち、忖度することなく「変なの」と切り捨てる。偏屈で理不尽な社会に疑問をもちながらも、そこに殉ずる大人である読者にとっては代弁しているで爽快感をもつだろう。
 しかも、肝心なことは目には見えない、、なんて言われた日には、目に見える成績や結果ばかりを成功として追及される大人世界への殺し文句だな。
 よくわからないような心地よさそうで意味深なセンテンスがぽろぽろと出現したり、死んでお星さまへ帰るのよ的なファンタジーだったりするのだから、ちょっと謎めいてファンが多いの納得する。
 ワタシにしても以前にくらべて非常に面白く読めたことを白状しよう。
 まあ、ワタシが最近買った訳本(新潮文庫 河野万里子訳)は「飼いならす」をたんに「ならす」と訳すようなことをしているので、他の部分も都合よく隠匿して翻訳をしている可能性もあるだろうけど。
 他者との関係を「ならす」というのもたいがい違和感があるのだが、「飼いならす」という語感であればそれだけで否定したくなるのはワタシだけなのかな? そしてやはり、そうしたバラ(やキツネ)との関係にしようとする異様さ・違和感やむず痒さを感じるのも正直なところだ。

 安冨さんは、この本でバラ(加害者)の王子さま(被害者)に対するモラハラを指摘している。またキツネによるセカンドハラスメントも指摘する。どうもこれまでそう読んだ人はいないようだ。
 で、安冨さんはロジックにより細かく検討して、モラハラ物語と結論をだした。
 読んでいけば納得するし、そのように読める。
 まあ安冨さんの場合は、自らのモラハラを受け続けた体験からバラと王子とキツネの関係に気が付くことができたのだろう。そして、モラハラの形態を暴くためにこうした本を著した。
 たしかにね、「飼いならす」という関係も去ることながら、バラのわがままな態度に従順するのはこの本を読む以前から疑問があったわけで、なぜ王子が「責任を感じ」バラのもとへ戻らなければならない、という強迫観念をもったか、安冨さんがいうモラハラの構造に当てはめて考えれば納得するよな。

 では、上の方で書いたような「好意的」な読み方が否定されるか? もしくは、好意的な読み方をしている王子さまファンはモラハラ読みを否定したいのか?
 ネット上の安冨さんの本のレビューの欄には、「星の王子さま」になんとなく、違和感、むず痒いものを感じていて、その原因はモラハラだったんだ、と納得しているものもあった。元本に好意的なもののなかにも、なんとなくの違和感やむず痒さをスルーしたり曲解して好意的に読んでいるような気もするものもある。
 これを「好意的」に読むこと事態「モラハラの罠」に嵌っているのだ、という安冨さんの警告をしているわけで、つまりファンからしてみたら喧嘩を売られているような気持ちになるかもしれないが、実際にモラハラにあっていないか、気づいていない可能性を振り返ってみてもいいのではないか、とは思う。 
 おそらくモラハラ被害を受けていないだろうワタシにとっては、むしろ無意識にモラハラの加害者バラになっていないか?そして特にセカンドハラスメントのキツネになってはいないかを俯瞰してみたいとは思う。

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コメント(15件)

内 容 ニックネーム/日時
>おそらくモラハラ被害を受けていないだろうワタシにとって

ふ〜む...

毒多さんもほぼ間違いなくモラハラの被害者でありセカンドどころか直接の加害者に違いありません。

・・・・・・と断言されたとしたら、どんな気持ちになりますか?
愚慫
2018/04/12 11:11
・・・今、断言されました、、、
気持ち、、ですね?
ぽか〜ん、としています^^;
毒多
2018/04/12 13:07
なにいってんの? 理解不能...(^_^;

...という感じですかね?
愚慫
2018/04/12 13:23
違います^^

そういえば、子どもに対してはモラハラだらけだったかなぁ、、とか、それよりも、もしかして、社会とはモラハラでなりたっているのかな??

という考えが浮かび、、だとすると唖然、、、というぽか〜ん、です。

毒多
2018/04/12 13:31
>【社会】とはモラハラでなりたっている

は正解でしょう。というより、ぼくはそう考えています。おそらく安冨さんも。

だから、最初の問いです。

毒多さんだってモラハラの被害者であり科学者で「あるはず」。程度はともかく。その程度は【社会】への適応度によるでしょうけれど。
愚慫
2018/04/12 13:52
やはりそこでしたか。
そもそも、ですね。
モラハラが社会のデフォであるならば、モラハラだと感じなくなります。
感じないということは適応している。
感じないほどモラハラ程度が高い、ということになるのか?
適応しきれてないとストレスとして現れる。
ストレスが大きいほどモラハラ程度は低い、となる?

えぇえ〜、ストレスを感じてないワタシはモラハラ度数が高いということ??

何かこのロジック変かな?
毒多
2018/04/12 14:25
ストレスを感じているなら「痛い」はずです。「痛い」のは不愉快に感じるのが自然というものでしょう。
愚慫
2018/04/12 15:33
今は特に強いストレスを感じていないので、モラハラと距離があると思い、モラハラの被害(加害)はないと、書いたのですが、よくよく身体(心)に集中していみるとストレスを負ってます。
前出のFBのときの感じを思い出してみると、ワタシにとってストレスは【社会】に丸め込もう(orそこからはみ出すものを全否定)とする【言葉】と空気、それが正しいという押し付けです。
このあたりからも、【社会】はモラハラでできている、そこからストレス(自然)に戻ろうとする、ということと繋がっていくのでしょう。

子育ては、つねに自らのモラハラ加害との闘いだったと、ということもやはり間違いなさそうです。
毒多
2018/04/13 08:35
私は、王子さまがバラの花からモラハラされているってのは分かります。それで、正直に言うと、咄嗟に王子さまにモラハラされちゃう原因あるなって思ってしまいます。これをもし、王子さまに言ってしまったら、私はセカンドハラスメントの加害者です。
なんでそう思ってしまうか?たぶんそれは、私がモラハラ被害者で、且つて(今も少しそうなのかな)「自分が悪いから駄目な人間だから言われてもしょうがない」って思わされ続けて来た残骸、だから王子さまも私と同じ、モラハラされちゃう隙がありすぎ等と、思ってしまうのでしょうか。
この私の心の声に気づいて唖然としてます。
もし、モラハラされてなかったら、違ってたのかななんて思うと泣けてくる…、これって、心の傷…、モラハラ連鎖、気のせい?
されてなくても、そう思ったりするのかな?

先日話題になってから、「王子さま」、読み返したのですが、ずっと前に読んだ時と違って違和感あったのは、こういうことだったんですね、納得しました。
私の読んだ本は、内藤濯訳の岩波少年文庫で、「飼いならし」のでしたが…。
正直な気持ち、もう読みたくな〜い。(>_<)
ごめんなさい、言いたい放題。
冬穂
2018/04/13 09:20
冬穂さん、なるほど、よく解ります。
愚慫が言おうとしていたことも改めて深く解りました。(時々、愚慫さんは解らない者に対して短いフレーズでこれで解るだろ?(この未熟者が)?、と、イジワルをするんです、^^爆!!)

冬穂さんのバラのモラハラを実感し純粋に言葉にできるところが、経験がないか経験を感じていないボクにはないところだと思います。
被害という経験をして、そこから抜け出し俯瞰することができているのは、ボクよりもずっと先を歩いている(^^)

さらにはやはり考えさせられる、、、

>モラハラされちゃう隙がありすぎ、、、
で、自分が悪いから駄目な人間、、しょうがない、、、などと、、、
個人のせいにしてそう思い込ませることがモラハラの肝とすると、「隙」という被害者のせいにすることはどうなんでしょう?
毒多
2018/04/13 10:08
はたしてモラハラ被害は王子さまが悪いのか?
そうじゃないですよね。だから王子さまに「隙がありすぎ」と言えばセカンドハラスメントになりますが、仮に王子さまに隙があるとしても、でも問題はそこではなくバラにある、、きっと実際に王子さまに会ったなら冬穂さんは「隙がありすぎ」とは言わないと思いますよ。
王子さまの純粋さを肯定しつつ、聴くことによって暗にバラのモラハラを指摘するのではないでしょうか?
冬穂さんご自身が辛い思いをして泣けてくるのは、けっして自分のせいではないことが、今は、もうはっきりと解っているのだから。

「隙」というのは「純粋に他者を信頼する」ことかもしれませんね。それが、【社会】では「隙」となってしまう。それゆえに【社会】はモラハラでなりたっている、といわれるのだと思います。

>正直な気持ち、もう読みたくな〜い
「星の王子さま」という本は、読む人によっては「その本」自体がセカンドハラスメントだったんですね。と訴えている場面でも王子さまファンのなかには否定する人もいるのでしょう。否定そのものがモラハラなどとは思いもせずにorz
というファンの人に出会う可能性もあることは覚えておいて、傾聴しよっと^^ね。
毒多
2018/04/13 10:08
ちょっと勢いでコメを書いてしまって、あれぇって思っていましたが、やっぱり書いてよかった、
しっかり受け止めてもらえて、ほっとしてます。
毒多さんのとても丁寧なレス、ありがたいです。
すんなり入ってきました。

>ボクよりもずっと先を歩いている…
そんなことありえないですよ。そんなこと言わないで、一緒に歩きましょ。時々寄り道しながら(笑)。その方が楽しい。

それをいうなら、毒多さん、私よりずっと上空を飛んでいるよ。だから私より広〜く眺められるんだね(^ ^)
たまには、この辺まで降りてきたらどう〜(^ ^)

「王子さま」はとりあえず、本棚にしまいました。また机の上に出てくるかもしれませんし、それまで休んでいてもらいましょう。


冬穂
2018/04/13 23:49
おはよ。
勢いで書いたわりには伝わることが多かったですよ^^
勢いで書くほうがいいのかもしれませんね^^;

>ずっと上空を飛んでる
ボクが日頃から「俯瞰」ということを言いますが、いま問題になっている環境と自分を見つめるぐらいの俯瞰、自分の裡(対立する二つの自己〈素の(自然な)自己〉vs【社会人の自己】)を少し上から眺めてみる、ぐらいの距離感のことです。
これがね、ずっと上空までいってしまうと、環境も自分も見えなくなってしまうので拙いかな、笑。さらに上空、宇宙から見つめると人が見えなくなる。暗黒のなかのちっぽけな地球と多くの星と流れていく時間のはて、見えもしない個々人の悩みや環境なんか、そんな些細なことなどどうでもよくなる、、達観って感じ? こうなっては傾聴は無理ですね^^;
なので、あんまり上空にいかないように注意しています。
もう、その辺まで降りていますよ〜、爆笑。

ただね、経験から実感できるから先を歩いている、と言いましたが、傾聴では実感できるから発話者と同化してしまうということは注意しなければなりませんね。じょじょに距離感をつかんでいきたいですねぇ〜、\(^o^)/

ちょっと前のコメで思っていたことも書いておこうかな。
新潮文庫の河野万里子さんが「飼いならす」を「ならす」にしたのは、河野さんが「飼いならす」に違和感をもっていたのかなぁ、とも思います。違和感を隠蔽して「ならす」にしたなら、モラハラの罠にかかっているのかもしれない、と、ふと思いました。

本棚にお蔵入りされた王子さまが、再び日の目をみることがあるのかな?笑
毒多
2018/04/14 10:49
『星の王子さま〜』を読んだなら『ハラスメントは連鎖する』の方にも目を通していただきたいと思います。是非。

『王子さま〜』の読後なら『ハラスメント』はよく理解できると思います。


ただ、今は絶版で入手は困難ときた。近くの図書館にでもあればいいのですが、、、。

著者には価値の高い本だから再販にならないものかと訊いてみたことがあるのですが、『王子さま』を新しく出すのでということでそのつもりはなかったみたい。ちと残念なのですが。
愚慫
2018/04/16 07:18
おはようごうざいます。
「ハラスメントは連鎖する」、、安冨さんご本人に再販の提案をしたことも、中古が5000円ぐらいということも、どこかで読んで知ってます^^
でも、必ず覚えておいて、いつか手にすことができたなら読んでみたいと思います。
ご紹介ありがとう\(^o^)/
毒多
2018/04/16 09:10

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「誰が星の王子さまを殺したのか」安冨歩著 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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