毒多の戯れ言

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zoom RSS 『「みんなの学校」が教えてくれたこと(木村泰子著)』から「折り合い」を考える

<<   作成日時 : 2018/03/15 17:44   >>

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 まだ読書途中です。なかなか読み進めることができません。
 容易な文章でつづられていてさほど分量もないので、その気になれば2〜3時間で読み終わりそうな本です。でも、ページごとで立ち止まってしまうから進まない。つまりいい本です。エピソードごとで立ち止まって考え込んでしまうのは……
 やはり「折り合い」のこと。
 もしこの本を読みながらか、または読み終えてから「社会は折り合って生きていくもの」という言葉を聞いたなら、まるで違った言葉に聞こえていたに違いありません。
 ところが、ボクは「社会は折り合って生きていくもの」という言葉を聞いたときに、社会側に「折られて合わせられるもの」と聞こえてしまったわけです。
 「みんなの学校」のエピソードにでてくる子どもは、かなり個性の強い子どもたち。それぞれの強い思いがあり、主張があり、学校を脱走したり、登校拒否をしたり、暴力をふるったりします。それらは集団(社会)では受け入れられないことで、そうした子どもたちは「普通の学校」では、集団のルールや学校の方針を言い言いくるめられ従わさせられる。どんなにいい先生であっても、優しく指導して「既成の決まった方向」へ導くぐらいでしょう。それに従うことができなければ学校から拒否されるか、自ら拒む登校拒否するしかない。これが大多数の「普通の学校」であり、そして普通の「社会」なのでしょう。
 ボクのなかの「折り合い」は、社会という他者からの押し付けであり強要なのです。「みんな一緒」と言う名の服従なのです。そしていつも「折られて合わせられる」のはマイノリティなのです。

 と、こなんことを感じるボクはこの社会ではマイノリティではなく、実は他者を「折り合わせる」側の人間です。ボク自身まったく「折り合い」を意識しなくても苦しまずにやっていけます。それはボクがマジョリティのなかにいる人間だから、つまり、定型発達(ニューロティピカル)であり日本国籍であり大和人であり大人でありLGBTでなく被差別部落出身でもなく在日外国人でもなく住む家があり生活できるぐらいの金があり(男であり)etc…こうしたボクは敢えて「意識」しなければ「折られ合わせられる」人々のことを知らないままでやっていけました。このあたりのことは本にも書いてありますが、、、、

>「木村さん、暗いところにおると、明るいところはよう見えるやろ。でもな、明るいところにおったら、暗いところは全然見えへん。明るいところにおって、暗いところを見ようと思ったら『見よう』と思わな。見えへんのや」

 人生のある頃より「暗い」ところが見えてない自分が嫌になり、暗いサイドにたって社会をみてみました。そこでの人々は「折られ合わせられる」されていると感じました。いつしかそうしたサイドからの目線で見る癖がついてしまったようです。これがボクのベースとりました。もちろんそのベースは似非であり、おこがましいことも解っています。でも「社会は折り合って生きている」と言われれば脊髄反射として反発してしまうぐらいには染み付いています。
 例えば金で頬を叩きながら「折り合え」と脅される辺野古の民を見ていますと、(あるいは原発の押し付けられる町)どうしても浜で座り込み「折り合いたくない」と涙する側に自分をおいてしまうわけです。

 こんなボクに「社会は折り合っていきていくもの」という言葉を心地よく響かせてくれたのが、この本『「みんなの学校」が教えてくれたこと』です。まだ途中読みですけど、笑。
 この学校の唯一のルールは「自分がされていやなことを人にしない。言わない」だけです。それでも個性豊かな子どもたちは、感性のままに行動し発話するために、「他者がされて嫌のこと」を結果的にしてしまいます。そんなときは、校長が「傾聴者」となって話をききます。校長は絶対に子ども(の話し)を否定しない。認める。話しを聴く。普通の学校のように目標をきめたり指導をしません。子どもたちは自らの言葉で話すことで気づき、考え、さらに人に伝える言葉をもつ。主体性が育つなかでおのずから「折り合い」ができてきます。その「折り合い」はルールや空気や先生から「させられてる」ものではなく、双方が自ら納得のうえにあらわれる「折り合い」なのです。

>自分で気づく、考える、人に伝える。
>この力の源は主体性です。
>この子たちは自分の言葉をもっています。

 
 主体性こそが真に「折り合う」ことのできる条件なのでしょう。既存の価値観の押し付けである「方向付け」も「アドバイス」もしません。これは「折らされ合わせられる」に繋がります。ただ傾聴して主体性を育てます。これは「学校」のなかで子どもたちの育ちだけの話しではないですね。大人だって環境に「折り合わせられる」ことに耐えられなくなり苦悩することもあるでしょう。そんなとき、ただ話しを聴いて貰える相手がいたなら、、、、苦悩の先に自主性が育ち真の「折り合い」ができるかもしれません。アドバイスは必要ないというか害悪と言われるのはこういうことでしょうね^^
 そして何といっても「折り合わせられる」ことに苦悩を感じた人は幸いです。
 意識せずに既存の社会ルールに「折り合っ」ていられるならば、決して育つことのない自主性が育つチャンスなのだから。
 本のなかにでてくる「問題児」の自主性が育ったあとの感じがとても魅力的なのです。
 だから「みんなの学校」のような環境が社会のなかにも育てば楽しいと感じるのです。

さて続きが楽しみだな……\(^o^)/
 
 

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>こなんことを感じるボクはこの社会ではマイノリティではなく、実は他者を「折り合わせる」側の人間です。ボク自身まったく「折り合い」を意識しなくても苦しまずにやっていけます。それはボクがマジョリティのなかにいる人間だから、つまり、定型発達(ニューロティピカル)であり……

このような事を呟いている時点で、あなたはマイノリティなのでは?私は自分は多数派に入れない人だって思っていて、入れてほしいとももう思わないですが、あなたもお仲間だって思ってましたよ。勝手なことを言っていますね、ごめんなさい(笑)

「折り合い」、このところずっとこの言葉について書いていますね。少しずつその意味の捉え方が変わってきているのが手に取るように分かって、その推進力には圧倒されてます。

私もずっと考えていました。私の「折り合い」は自分の本心とつけるもの、という考えに至りました。
在日韓国人の映画監督グ・スーヨンさんのコラム欄で、
「世の中には様々な不条理があり逃れられない。克服しようと思うからさらに追いつめられる。じゃどうしたらいいのか?出て来た答えは『折り合いつける』でした。」
と書いてあり、この時初めて「折り合い」という言葉を意識しました。
自分の事を振り返ると、自分の気持ちに折り合いつけてこなかったなって思いました。ネバならぬで縛って誤摩化して本心に蓋してた。これは世の中で上手く行動できたとしても、折り合いじゃないです。
自分の本心との対話、こんな案配でどう?って、まっその辺で今回は手を打ちましょうみたいな経過を意識下で踏む、そんなのが私の「折り合い」なのかなと思っています。
冬穂
2018/03/16 00:05
続きです。

グ・スーヨン監督の作品「偶然にも最悪な少年」では、いじめにあってる在日の男の子の主人公が自殺した姉の死体を韓国に運ぶことを思い立ち、仲間と車で東京から博多へ向かうロードムービー。

「この行為は何の意味もないんですよね。むしろその過程で犯罪を犯したりするのでマイナスでしかない。でも主人公にとってその行為は『折り合いをつける』ための1つの方法だったんだと思うんです。どうやって折り合いをつけるかは、人それぞれです」

と、グさんは書いています。

この言葉、私の中にストンと落ちました。

この折り合いをつける時に、誰かに話を聴いてもらうっていうのも、地味ですが方法の1つだと思います。これ結構良いと思います。私も、言葉にして出すことで、少しは客観的になる感じがするし、考えが纏まり易くなった経験があります。只々聴いてくれる人は、なかなかいませんし、簡単そうで難しい行為だと、つくづく思います。

「みんなの学校」の「みんな」は全部ってことだよね、マジョもマイノリもなしってことかな。待って、色々なマイノリの集まりって方が面白そうよね。(^ ^)

自由きままに書かせていただきました。感謝!

冬穂
2018/03/16 00:08
https://booklive.jp/review/list/title_id/388219/vol_no/001

こちらで最初の部分を読むことができます。ここを読んだだけでも本書の雰囲気は十分つかめると思います。
愚慫
2018/03/16 06:41
冬穂さん、コメありがとう。共に考えることができるのは楽しいです。

ボクがマジョリティだということを意識しマイノリティの側に立とうとしたのは、もう既にかなり昔の話しです。
今回の「折り合い」という言葉を思索するにあたり、最初に「折られ合わせられる」と咄嗟に感じたルーツを自分なりに確認してみたら、きっとそこだろう、ということで挙げてみました。
今はかなり、マジョリティ、マイノリティという区分け、つまり「枠」の意識を乗り越えていて「個」を見るようになっています。
社会的括りに囚われることなく、個において「区分け・差別」を乗り越えている人に魅力を感じます。君の「乗り越えた感」も、とってもいい感じに映っていますよ^^。
まあ、いろいろな方との関係に「仲間」という線引はあまりしたくないとこですが^^;笑

マジョリティ・マイノリティはじめ俯瞰することを覚えました。なので、「折り合い」もいろいろな側面から考えることが出来、思考の変遷を見て頂くと「変わってきている」と映るかもしれませんね。ボクのなかでは「深まって」きている感じです。
とはいえ、最初にうけた語感が素とするなら「マジョリティ・マイノリティ」というルーツは相変わらずボクの裡のどこかに消えずに遺っているのでしょう、面白いものです。
毒多
2018/03/16 11:45
グ監督のエピソードは初耳です。ご紹介ありがとう。
ボクが考えていた「折り合い」は他者との関係においてでした。今回すんなり入ってきた表題の本から「折り合い」もやはり他者との関係であると考えていました。
もちろん個別それぞれがそれぞれの心のなかで納得して「折り合う」のですが、やはり他者との関係において、、、でした。
「譲り合えない二人が違いを認め合いながら昇華して折り合う」「(表題の本の学校ように)生徒と教師と親と地域の人々が折り合う」ということが困難な場合は不条理ということになりますね。
特定他者不在という理不尽のなかで自らの中のみで「折り合う」ということですね。二つの自分の裡の葛藤をどのように決着させるか、、ということですね。
以前あった「光市母子殺害事件」の遺族みたいな状況を思い出させます。
不条理ならば、個の心のなかで「折り合」わなければならないのか?
そもそもの「社会では折り合って生きる」での「社会」も特定他者は不在なので、個の裡の問題として「折り合わなければならない」のか?
またまた考えてしまいます。
毒多
2018/03/16 11:45
愚慫さん、読了しました。
これは傾聴の教科書でもあります。この本はきっと旅にでることでしょう。
と、おもったけど息子行きかな、笑。
ありがとうございました。
毒多
2018/03/16 11:46
毒多さんが初めにイメージした【折り合い】の具体像は、小説『コンビニ人間』においてひとつの典型的な姿として描かれています。こちらも是非、どうぞ。
愚慫
2018/03/16 11:59
愚慫さん、サイトの紹介ありがとうございます。覗いてみましたら、えっ、本当に!こんな学校あるのかなって、学校と先生があまり好きじゃないので、少し斜めにかまえつつ(すみません)、すごく読んてみたくなりました。映画もあるんですね。本が旅してくるのを待てそうにないです。
冬穂
2018/03/16 14:18
愚慫さん
コンビニ人間は気になっていた本です。読んでみます^^

今回は思索のなかで〈折り合い〉という形に気づくことができましたが、最初感じた【折り合い】はやはりこの社会ではスタンダードのような気がします。
では何がちがうのか、大空小学校(みんなの学校)のように、皆が自主的につくる環境かどうか?ということでしょう。
もちろん小学校という人数の限られたコミュニティと、国家という社会の違いは大きいと思いますが、〈折り合い〉が生きてくるような環境を自主的につくれるかどうか?が〈折り合い〉か【折り合い】かの鍵になるような気がします。
いきなり社会を相手にしてしまうと【折り合い】か、もしくは個別の内なる「折り合い」(どうしても無理に言い聞かせて納得しているのではないか?という感が消えませんが、、、、^^;)するかしかなくなりそうな気がします。
今回思い出してしまった「光市」の彼も社会を相手にして【折り合う】おうとしていたのではないでしょうか? 周囲の小さなコミュニティ(があったならそこで)で「折り合い」に向かうことができれば違ったような気がしてきました。
今は再婚をされたようですが、もしかしたら後者のようのコミュニティにより〈折り合う〉ことができたのではないかな??、、というのは勝手な妄想による物語すぎますかね^^;
毒多
2018/03/16 14:35
冬穂さん
今回は息子に渡す可能性が高いので、ちょっと旅をまっているといつになるか解らないかも^^;
この本は買う価値があるかもしれませんよ!!
毒多
2018/03/16 14:43
冬穂さん、ご覧になられましたか。是非、本を手にとってみてください。学校と先生が好きではないと書いておられますが、本書からはいろいろと感じることができると思います。

ぼくも知らなかったのですが、元はドキュメンタリー映画の方のようです。観てみたいと思っているのですが、、、。

毒多さん、上映会やりませんか?
愚慫
2018/03/16 14:49
ちょっと考えましたが、、、6万・・・^^;
毒多
2018/03/16 15:00
愚慫さん
4月以降、東京なら上映会がいくつかあるみたいですね^^

冬穂さん
4月1日 イーブル名古屋で上映会があるようです。
しかも木村元校長の講演会つき、、、、、\(^o^)/
ボクは、、、あかん、4月1日は高知や、、残念すぎるorz
毒多
2018/03/16 15:16
毒多さん、そうです、6万です。ちょっと普通の個人ではつらいですよねぇ...。

そのような価格になってしまう理由は容易に理解できます。でも、「ハードル」が高過ぎだと思ってしまいます。

マーケットメカニズムによる「需要と供給のバランス」というのは、アタマで理解はしやすいけれど、無意識の領域ではやたらと「ハードル」を立ち上げてしまうものである。そうしたハードルとは〈折り合い〉は不可能で【折り合う】しか方策がない……、という話は、またそのうち改めて。
愚慫
2018/03/16 15:58
愚慫さん、おはようございます。
多分、木村さん先生、生徒、地域は「商売」で映画や本を作ったわけではないですね。ただ多くの人に知って欲しい、だと思います。彼らは劇場公開で元が取れているならば、経費(格安)のみでDVDレンタルをして欲しいと思っていると思うし、自主上映するほうも儲けようなんて1mmも思ってないでしょう。
でも、6万という数字で取引される・・・。いろいろ思うところはあります。まあ「努力」すれば経費の頭割り的な価格で自主上映することも可能だとは思いますが^^
この「努力」が、【折り合う】ではなく社会(環境)(人々の自主性)のほうを変えていきく〈折り合い〉に繋がるとは思っているのですが、、、、ね^^
マジやろうかなぁ、自主上映\(^o^)/笑
毒多
2018/03/17 08:51
毒多さんがやるなら、名古屋まで観に行ってもいいかも。
愚慫
2018/03/17 10:52
おはようございます。

サマーセミナーの時に自主上映すると、高校生がたくさん来てくれて、感想も書いてもらえるので楽しいですよ。

昨年、友人が福島の農家を東京の若者数十人が尋ねて震災後4年間の経緯の話を聴くドキュメンタリー「大地を受け継ぐ」を上映し、中高生がたくさん来て、とても好評で、今年も参加すると言ってました。
私は数年前、日本モンサント社の広報担当者が遺伝子組換えについて話す会に行ったことがあります。こんな渋い内容でしたが、高校生たくさん来てました。
只、サマセミの場合、入場料は無料にしなければならないので、スポンサー探しが必要ですね。
毒多さん、自主上映、いいなぁ… (^ ^)

4/1のイーブルなごやの上映会は、行けそうなので、問合せ中です。その前に本も読んでと。
愚慫さん、毒多さん、わくわく情報、ありがとうございました。
冬穂
2018/03/18 07:39
おはようございます。
自主上映は、まだ思いつきなので、いつどうするかなんて全く解りません。思いつきのまま終わる可能性が高いような気がしています^^;

冬穂さん
4.1は参加されるなら、マジ羨ましいです。
またお話を聞かせてくださいね。
それと、実はいろいろやってみえるんですね〜。
こちらも聞いてみたいです〜、よろしく^^
毒多
2018/03/19 08:30
TBコメをば。

https://note.mu/gushou/n/n7b752a25c61b
愚慫
2018/03/27 13:16

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