毒多の戯れ言

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zoom RSS 「君の膵臓をたべたい」住野よる著より@2018年のはじめに

<<   作成日時 : 2018/01/01 15:24   >>

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とりあえず2018年になりました。あけましたおめでとう。
歌合戦や除夜の鐘を聞くわけでなく、初詣とか初日の出とかを拝みにいくわけでなく、どういうわけか表題の本を読んで年を越しました。
普段と変わらないかというと、普段は夜中に本を読むことはないので、やはり年を越すというだけで少しは特別な夜だったのかもしません。物語に浸るという特別な感情をもって年を越すなんて生まれて初めてかもしれません。なんとなく楽しい気分です。
さて本というと、レトリックのつたなさや、これ伝わるのかな?という疑問はありましたが、ボクは楽しめました。いい本だと感じました。
正直に白状すると最後のあたりでは結構泣けました。
泣く、という理性のタガが外れて感情が露わになるのはボクにとっては楽しいことであり、人間の自然を感じることです。それに涙することは、昨年からの課題である「恋心」wwが、「考える」から「感じる」に少しシフトした証しかもしれません。ほんとは年をとり涙腺がゆるくなっただけかもしれませんが、それにしても年をとるということは完全に自然なことなので、、、笑

さてボクがこの本を楽しめたのは、死ぬこと、生きること、がテーマになっているためです。「死の自覚ができてからはじめて生きることができる」といったようなことを読み取ったボクの楽しみです。
著者は若そうなのに「死の自覚」をテーマにもってくるのは、ちょっと驚きです。ボクも池田アッコの姐御の影響でかなり以前からそのことを考え始めましたが、実際に「自覚」して生き方が変わってきたのは最近です。
もっと言うなら、「明日死ぬかもしれない今日」を自覚し始めたのはここ1年ぐらい去年からです。
はい、老後の心配がバカバカしくなり、今日の全てが愛おしく楽しくなったのがこの歳になってから、というのはかなり情けないのですが、死ぬ前に気づけたことは僥倖です。
むしろこの歳だから気づけたのかもしれませんが・・・^^;
それをです、高校生が、、、というより高校生のペルソナにて若い著者が表現しているとするなら、凄いなぁと感じ驚嘆しているのであり、アッコの姐御より解りやすく物語にした事は賞賛に値すると感じます。
おそらく多数は自らの「死」など考えることもなく、むしろ考えないように隠匿して生きているのではないでしょうか?
怯えた心のままに、笑。
もちろん正確には「死」を自覚することはできません。というよりも、生きて表現できる人はいません。誰も死んだことがないので、誰も「死」がなんたるものかを知りません。
「生」の側からいえば、「生」ではない何か、となるのでしょう。生の終わりに死があるということは言えるかもしれませんね。
だから正確には「生の終わりの自覚」となります。
「生の終わりを自覚することなく」ただ漫然と生きていることと、明日の死を覚悟して今日を生きることは、ボクは違うと考えるようになりました。
登場する少女はそうした自覚をしながら日々を生きました。
だからいい本だと感じたのです。
この本のせいでしょうか、つい「生きること」が露わな越冬小屋(ホームレスとレッテルを貼られた人間が集まって「冬を越す」)へ訪れてしまいました。
人が今日を生きていました。

人間が決めた時間の節目ではありますが、2018年はそうした思いで毎日を「生きる」ことができたらいいとこの本に出会いあらためて感じています。
ボクは明日死にます。
でももし生きていたら、出来る限り生という存在の全てを愛おしみ楽しんで生きます。
次も日も生きていたら、また繰り返します。毎日が楽しい。
だからいつ死んでもかまいません。

2018年1月1日、この世界の片隅にて^^

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