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zoom RSS 「サイコパス」中野信子著(追記あり)

<<   作成日時 : 2017/12/28 18:03   >>

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これもフレンズ間での「回し読み」で借りた本ね。
「回し読み」といっても、ボクが最初に持ち主の姐御から借りたので、まだ余り回りきってないかもしれないけど。
で、最近ちょくちょく耳にするサイコパスである。
どう耳にするかってぇと、ヤバイやつだよぉ〜。まあ、ありきたりの先入観で読み始めようとしたのだが、ちょっとまった!! この先入観ってのがミソなのだ。ヤバイという噂にのってしまうことこそヤバイと自らを戒めて読み始める。
でもやっぱり本のほうも「残虐な殺人鬼」などの紹介からはいっちゃうわけだから、先入観が蔓延している社会という前提で煽った構成にしているわな^^;
ま、ホンマでっかに出演している中野さんなので、そういう手法が板についているのかもしれないけどね、笑。
もっとも殺人犯以降はちゃんと説明しているんだけどさ。
とりあえずサイコパスの表出する特性は、共感性に乏しい、危険を感じない、損得にシビア、会話やプレゼンが魅力的、(他者の)痛みを想像できない、クールでシビア、ハイリスクハイリターン大好き、平気で嘘がつける、ってな感じで、つまり自らの魅力で他者をひきつけながら、多数が残虐と感じる殺人であっても躊躇なくやってしまうってヤツなんですね。
実際に残虐と誰もが感じる殺人事件の犯人郡の特性として「サイコパス」と名付けられた。
具体的な人物像なんだけど、読みながらボクがピンときたのが、ゴルゴ13、デューク東郷ね。危険を感じず表情を変えずに殺人につぐ殺人を行いハイリスクハイリターン、しかも読者多数で魅力的ってことでしょ、そのままじゃん。次に思いついたのが北のカリアゲ君、あとキンペーちゃんもプーチンくんもトランプくんもちらついたんだけど、この4人はド素人の想像でホントのとこはちょっと解らないんだけどさ。
実際に本で紹介されたのが、数人の殺人犯のほか織田信長や毛沢東やジョンFケネディetc、それとスティーブ・ジョブズやマザーテレサなんかね。ここで、またまた思いつきなんだけど、もしかしたらドクターXもちょっとそれっぽいかも、笑。
余談だが、そういえば、織田信長は「発達障害」でも可能性を指摘されていたなぁ〜。
実際サイコパスは1%って、結構な割合で存在するらしいのだけど、愛着障害なんかの生育歴が直接の原因ではなく、先天的に脳の形がちがっていたり、分泌される神経伝達物質の量が通常多数と異なるっていうことなの。まあ実際に如実にサイコパス傾向が現れるのは環境も関係あるとは書かれているんだけど、基本的には実際に脳が多数の脳とちがうってこと。でもって、日本語だと「反社会性パーソナリティ障害」と言うらしい。

とまあ、どこでも読めそうな「サイコパス」中野信子著の本の紹介では面白くないんで、このブログっていうか、ボクはここを注目したいんだけどさぁ。
サイコパス脳の誕生は「自然」なのさ。長いホモ・サピエンスの歴史で「自然淘汰」されなかった「自然」なのだよ。その「自然」に「反社会性の“障害”」とレッテルを貼られているってこと。
正直にいえば実際に殺人なんかしてしまうのは「反社会」なんだと感じるけど、ジョブズやマザーテレサなんかもまとめて反社会で障害者ってレッテル貼っちゃうとすると反発する人がかなりいる気がする。殺人がキーワードかといえば、殺人をする人がすべてサイコパスでもないしね。
サイコパス以外にも、他の多数が「障害者」とレッテルを貼っている人々もふくめて、ホモ・サピエンスの進化のなかで「自然淘汰」されていない、ってことを考えなけりゃならないんじゃないかな。
ほんとうに多数によって構成された社会にとって「障害」なのか?ってこと。
ちゃんと必要な役割をもっているのではないか?
危険を恐れず未開の地平を切り拓く役割を果たしてきたということは中野さんも書いていたけど、現代においては、どうもそういうことだけじゃないような気がしている。
その社会の膿を切開するために存在している可能性とかさ?

そうそう本も読み進めていくと懐かしい響きに出会った。
ヤノマミである。ヤノマミにサイコパスが多いと著者はいう。
ヤノマミは未開のアマゾン奥地で生活することや、例の生まれた子どもを白蟻を通して天に帰す、とかが書かれていたんだけど、かなり「反社会的」で否定的な論調に読めたんだけど、同じことを書いても人によって随分違うことを確認。
というのも、「ヤノマミ」ついては番組づくりのために現地で生活したNHKのディレクターのかなり好意的に書かれた本を先に読んでいた、中野さんのように現代文明社会を基準にした書き方がされると、当たり前だけどかなり否定的になるんだ、と感じた。まったく違うんだよね、2人の書き方が。
と、いうことはだよ、サイコパスについてもバイアスのかかり方の違いによっては、まったく違う評価になるわけで、とりあえず、今の、日本の、常識的な、道徳的な、社会が大前提で書かれた本ということは抑えて読む必要はあるわな。
その社会が必ずしも正義でも正しいわけではない、という可能性をわきまえつつね、笑。
とはいえ、サイコパスはこの社会での生活面では普通の多数には手に負えない面もあることは事実として知っておき、知らないとお付き合いもかなり難しそうだよ、ということは覚悟しておいてもいい気はする。
それとサイコパスは悩むことはなさそうだね。


追記

コメント欄においてテキストの中心になるエビデンスに間違いの可能性が指摘されましたが、極端に訪れる人が限定されてしまったブログということもありwww、コメ欄での指摘も思索の範疇にいれて読んでいただければと考え、当分エントリーを削除せずに掲載したままにしておきます。

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サイコパスは自然淘汰されていないというのは、どうなんでしょうね?

自然淘汰が完了していないというのならばら、これは間違いありません。現にサイコパスは存在するわけだから。でも、それは自然淘汰が進行中ということを否定できるものではありません。

ヤノマミより文明社会の方がサイコパスの出現比率が低いのなら、文明社会では
サイコパスには自然淘汰圧がかかる傾向にあると言えるのかもしれません。
愚慫
2017/12/28 20:04
確かに仰る通り、文明世界での自然淘汰の可能性は否定できませんね。
ワタシ自身のバイアスが「自然淘汰されない」方が都合がよいとしたのかもしれません。このあたりは反省と再思索を要するのでしょう。指摘ありがとう。
もっとも現実には「人権主義の文明社会」においては淘汰されないとは思いますが、、、
サイコパスが魅力的でリスキーであることも異性からはモテる、ということも書かれていたので遺伝子はのこって行く気もします。
それよりも、やはり文明社会においても何かしらの役割を背負っているような気はしています。
毒多
2017/12/29 09:04
サイコパスの自然淘汰はあくまで仮説です。言わずもがなのことですけれど。

仮説の上の仮説になりますが、三つのことが言えるのではないかと思います。

ひとつは、文明社会の方が未開社会よりもサイコパスに対する淘汰圧は高いのではないか、ということ。

ふたつめは、にもかかわらずサイコパスが存在し続けるのならば、そこには淘汰に耐えうる存在意義があるのだろうということ。生存率が文明社会よりも低い未開の社会では「命知らず」が担う役割は現在よりも大きかったと想像するのは難しくありません。

みっつめはアナーキストからの視点になりますが、サイコパスのような共感性を持たない人間が生存する社会では、人間が生来的に持つアナーキーな社会生成能力が必要とされる。つまり、未開で野蛮な文化の方が野生の人間の能力が高いだろうという、これまた想像が容易な推論です。

あくまで毒多さんの読解を通じてのことですが、著者にあるある種のバイアスは、野生への怖れではないかと想像します。良きにつけ悪きにつけ、既存の秩序(システム)を揺るがす存在への怯え。それはすなわち、既存の秩序をアイデンティティにしているということになるのですが。
愚慫
2017/12/29 09:55
仮設は可能性の話なので未来にしか結果は解りませんね。
ワタシはワタシの信じたい都合によってひとつの仮説を採択したにすぎないのかもしれません。
他者(ここではサイコパス)の存在の理由の仮設いっていても仕方ない気持ちになってきました。
どうもね、ついつい、そうしたことに思考がいってしまうのですが、、笑
やはり自分がどう生きるかしかなさそうです、という締めで今年を終わらせるかな^^
毒多
2017/12/29 14:44

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