毒多の戯れ言

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zoom RSS 「死後が不安」といふ老人たち

<<   作成日時 : 2017/05/15 09:54   >>

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今朝、NHKで「自分の死後」が不安だ、という老人たちのプチ特集をしていた。
これまでちょくちょく聞いた「老後が不安」とうのは解らないでもないのだけど、「死後が不安」とはどういうことなのだろう?
本当に意味が解らなかったので聞き耳をたててしまった。
どうやら「看取り」とか「葬式」とか「墓」とか「遺産」の心配をしているようだった。
そこまで聞いてやっと意味が解った。
看取りはともかく、死後とは「自分(本人)は死んでるんだから関係ないんじゃないか・・」などとブツクサとつぶやくワタシにツレアイが、ちゃんと成仏したいんじゃない、と言った。
ああ、成仏かぁ、そうだね。と微笑みあっていると、テレビのなかで社会福祉関係の人が喋りはじめた。
「死後のかたちを社会できめて保障しないと・・・、云々」(録画したりメモしたりしたわけではないので、正確ではないかもしれないがこんな感じの解説だったと思う)
ワタシは唖然とした。
真面目にコメントしているのかよ?
不安さえも「生きてる」なかで感じてはいけないのか?
そも「死後のかたち」って、、、、、

そういえば以前、ちゃんと社会人をしている旧友たちが話していた。
共通の知人で一人住まいの人が、ある日突然死んだらしく、死後2日ぐらいで発見された、という話しだった。
遠い親戚が、葬儀場を手配し死体は安置されたのだが、花なし葬儀なしで、死を知った関係者や友人が数人訪れ世間話をしてかえっていったらしい。
旧友たちは誰にも知られずに死ぬのが惨めだ、葬式もないのは悲惨だ、ああはなりたくない、と話して共感していたようだが、できるならどこか森の奥で一人で死んでそのまま土になりたいと思っているワタシには、旧友たちの会話に共感できずにいた。
「別に惨めじゃないし、いいんじゃないの」と小声でいってはみたが、キチガイを見る目でみられることになる。もっともその旧友たちは、ワタシを「変わり者」として認知しているので、その時を含め、いろいろスルーしてくれるのだが。

旧友たちの会話は、共感はできないのだが、それなりに何十年も日本で生きてきたワタシには「そうした考えが一般だ」という意味で解らないではないのだ。
でも、ふと気を許すと「解る」ことを忘れている自分がいて思い出させられるということになる。
今回のNHKのプチ特集もそんな感じである。
自分が世間からズレているマイノリティと自覚させられる。
でももうそんなことはどうでもいい。
個々好き好き、思いたいように思えばいいし、そうするしかない。

なのでワタシ個人のことになる。
個人の思いは世間一般の共通した思い込みを「虚構」と認知してしまったためのズレなのかもしない。どう考えても死後ではなく死に至るまでのほうに興味がある。
死に至るまで、「虚構」をどうとらえ、どう向き合い、そのうえでどう存在しえるか・・
そのことがワタシには大切であり、課題でもあり、ある意味、不安でもある。


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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
「死んだあとも覚えていてほしい」という気持ちが強いわけですよね? きっと。
死後の心配をする人たちは。 (^_^;)
アキラ
2017/05/15 20:33
なるほど、そうした思いもあるわけですね。
ちょっと考えが及びませんでした。
覚え続けられても、語り続けられても死んだ本人には確認しようがない、、、
なんてことにはならないのでしょうね。
生きている今の思いでしょうから。
とはいえ身体的な死後も世界がある、という虚構も在るわけだし。
在るどころか、世界の人間の多くがなんらかの宗教を信仰しているということは、来世という虚構はまかり通ってるわけだしなぁ、来世から死後の評判を確認できるわけか、、、ということは、現世で覚えていて欲しい気持ちもありなんだな。
現世という虚構と来世という虚構の◎◎性の重要度がどちらが高いわけでもないしね。
と書きながら、◎◎性がなんだか解らないでいる自分をがいました、笑。
毒多
2017/05/16 08:34
「だいじょうぶ♪」が欠けてしまっている〔人間〕は、そういった形で「症状」が出てしまうんだという気が、ぼくにはします。

心配することを原理的に不可能な死後のことを心配してしまうということは、その〔私〕は実は虚構だということなんだと思います。

〈私〉がいなくなっても、虚構の【私】は残ると無意識のうちに考えている。心配しているのは【私】であって、〈私〉ではないのでしょうね。

これは虚構というものの性質を考えれば、あり得ることだと思います。

そもそも〈私〉というものの心配の仕方を知らないのかな...? 
愚慫
2017/05/16 09:57
う〜む。
死後のことはワタシは何も感じません。が、まさにその生きている〈私〉の心配に襲われています。
言葉では解るのですが、ではどうしようか?
「だいじょうぶ?」というは解るのですが、ほんとうに「だいじょうぶ♪」と確信しているのだろうか、と考えてしまいます。ちょっと魔が差しているいうか、今が、押し付けられた虚構から変わるチャンスもしれないというのに、はてどうしたものか?、、、、、という感じ。
まぁ、この状態も楽しんでいけば「だいじょうぶ♪」だとは思っていますが、、、、笑。
ポジティブに生きたいという裡なるものをどう具現化すればいいのか、迷いがある、といったところかもしれません。
毒多
2017/05/16 15:44

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