毒多の戯れ言

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zoom RSS 「たたかう植物 ―仁義なき生存戦略」(稲垣栄洋)読了

<<   作成日時 : 2017/04/26 09:54   >>

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 もちろん「たたかう」も「仁義なき」も虚構である。物語である。
 いいだせば、「植物」も「生存競争」も虚構であり、物語である。
 その「たたかい」を人間に還元するのも虚構であり、物語である。
 うん、それでいいではないか、物語として認知できるから面白いのであり、「虚構を楽しむ」ことが人間が獲得した「生きる」の意義なのだから(ニヤぁ)。
 というわけで「たたかう植物」も面白かった。

 これは植物目線で書かれた本である。
 たとえば有名なアリとアブラムシの共生関係というのがある。アブラムシは甘い蜜をアリに差し上げるかわりに外敵から身を守ってもらっている、という例のお話である。
 これは人間目線ということを棚上げすれば、「昆虫目線」で共生と判断したもので、ときとして人間社会のギブアンドテイク(共生w)の例にも引用されるかもしれない。何かを提供するかわりに別のものでお返しがあるもんだよ、みたいな。
 そんなお話も本書では植物目線で語られる。
 ある種の植物は葉や樹皮などを食う昆虫から身を護るために、昆虫界最強となだかいアリを利用しようとした。とある木は棲家として幹の一部を提供したり、ある草はアリのために蜜を分泌した。昆虫界最強であるアリは棲家を護るため、または蜜を独占するために他の虫どもを蹴散らしたわけだ。植物にしてみたらアリも邪魔なのだが、少しアリ何かを提供するだけで、多大な害を防いだわけだ。
 ところが草を食うアブラムシは草よりも甘い蜜を出すっことでアリを見方につけた。草にしたらたまったもんじゃない。アリにたかられたうえに敵であるアブラムシにもたかられるとは。
 もともと草はアリと共生関係にあったのだが、草は「裏切られ」アリはアブラムシと共生関係を結んだ。とうぜん昆虫界には契約書などないわけで契約関係や契約期間などあるわけがない。このあたりが人間の共生とはちがう。自然なのだ。

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 アリの他にも、植物はみずからの身をまもるためにいろいろな方法あみだす。「毒」というのも一つ。ある植物は昆虫に食べられないように体内に「毒」を生成した。にもかかわらず世代交代の早い昆虫はその「毒」に対する耐性を身に着けた。耐性を身につけるどころかその「毒」を利用する。
 ウマノスズクサの毒を食らうジャコウアゲハは、毒を取り込み自らの身をまもる。食べると毒ですよ、と鳥にアピールするのだ。みずから「毒」を作り出すにもエネルギーを消費する。それなら他から取り入れるように進化してしまえといわんとばかりに。

 人間に雑草とよばれる草がある。雑草には定義があり「人類の活動と幸福・繁栄に対して、逆らったり妨害したりするすべての植物」だそうだ。
 まあ、実のところ「雑草」は、植物同士の生存競争にやぶれた「弱い存在」で、仕方がないので人間の生活に近いところで生きるしかないような植物であるが、どうも日本人には好意的にうけとめられている。「雑草のように力強く」みたいな。あれ、日本人だけらしく外国へいくとそうでもないらしいのだけど、、、まあいいや。
 いずれにしろ人間の幸福を妨害する雑草は抜かれる。が、あれ、抜かれることで次世代のいのちをつなぐことを促進するらしい。根の上のあたりにつく種は抜かれて光にあたることで発芽する「光発芽性」というもので、人間に雑草抜きをされることで命をつなぐという意味で人間に寄生している、という。

 「共生関係」も「毒利用関係」も「パラサイト」も、なんとなく人間社会を想起させるではないか。こじつければ、いろいろ人間社会や人間関係もみえてくる。
 共生らしくみえる関係など社会そのものだし、毒ってのも例えば「毒」をアメリカにあてはめ毒を利用するのは日本って言ってみたり、パラサイトも一方的に寄生されているようで、寄生されているほうもその試練によって人間的成長をなしとげているのだ、、みたいな「物語」はいくつでも作り出せそうだ。
 ところが植物界には物語、虚構などないわけだ。
 所詮はエゴイズム対エゴイズムのぶつかりあい、それこそが自然界の戦いなのである。と著者は言うのだが、実は人間界にあてはめて作ってみた物語も、実はエゴvsエゴなのだ、と新たな側面を言い当てることもできそうだな。笑。

 本書では植物を主人公にして植物目線で、vs植物、vs環境、vs病原菌、vs昆虫、vs動物、・・とそれぞれ「たたかって」きた変革を多くの事例をもって語られている。実際のところそれぞれの「敵」と持ちつ持たれつ、利用しつつ、利用されつつ、ほろびたり、いきのびたり、バランスをもってやってきた。
 ところが最後、vs人間だけはちょっとちがっていた。
 前出、雑草を「抜いている」うちは寄生だったかもしれないが、「除草剤」によって全滅させることを行った。雑草だけでなく、森林の伐採等、完全に一人勝ち状態、最近のはやりの言葉でいえば「絶対王者」(プッorz)となったのだ。

 地球はもともと酸素はなく生物はいなかった。二酸化炭素でおおいつくされていた。これが地球のもともとの姿。それを植物が二酸化炭素を吸って酸素という有害物質を作り出した。30億年かけて酸素まみれにしたけっかオゾン層ができて、地表にとどく有害な紫外線は減少し、酸素を利用する生物が進化を遂げた。
 ゆくゆく「豊かな生態系」となった。
 そのなかで人間(サピエンス)が一人勝ちした。共生、利用関係、寄生etcetcを超越して全てを支配し滅ぼしつつある。またオゾン層に穴をあけ、有毒な紫外線が降り注ぐ原始の地球に戻るのもさほど遠くないだろう。
 さてさて一人勝ちの絶対王者が原始地球環境のなかでどのように暮らしているのだろう、と著者は「あとがき」のなかで言っている。
 虚構の終焉、物語の閉幕、である。、ああ著者はこれがいいたかったんだな。


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