毒多の戯れ言

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zoom RSS この世界の片隅に

<<   作成日時 : 2017/01/22 07:25   >>

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金曜日の夜、ついに行けなかったな、と呟いた。
翌朝に新聞を開くと「この世界の片隅に」の全面広告が載っていた。絶賛の嵐。
上映スケジュールでは終った映画の広告をなぜ?と思い、再度確認するとまだ上映していた。
その日の午後の上映で観にいくと固く決心し、めずらしくオフが合ったヨメを誘った。
映画館のロビーにも絶賛の張り紙がいくつも貼られ、どうやら午前の部では監督も来場していたようだ。
否が応でも気分は高まり、少しニヤけて席についた。

「で・・・」????何が感動???
エンディングロールが終わり考えていた。
過去になんども「あいつはダメだ、終わってる」と陰口を叩かれたことを思い出す。
本当にオレはダメなのかもしれない。感動しないのだ。
どこか感性が麻痺しているか、それとも相当ズレているのか。
そういえば、泣けるような本でない本に泣いていたり、
だれもが毛嫌いするような本で感動したりしていたなぁ。
なんとなく解ってはいたが、今回はショックだった。
終わってるな、オレは、ふぅ。

ヨメは面白かった、と言った。
たしかにオレ自身もクスリと幾度か笑い、じんわり目が湿ったりもした、がやはり
「・・・で」だった。
帰宅後、新聞の全面広告をみた。
糸井重里に矢野顕子も吉田戦車も湯川れいこもetcみな絶賛している。
誰のコメントをみてもまぁ、そうかなぁ、、ぐらいなのだ。
親しいブログに飛び再度読んで見る。
そうだよね、、、でも、、、
やはりワタシ一人が感動に薄いヤツということでよさそうだ、、orz

夜中に目が覚めた。再度寝ようとまぶたを明けずにいた。
ふいにすずが現れた。
話しかけてみたると応えてくれた。

「いろいろ大変だんったねぇ」
・・・・わたし、のんびりしているので、、、
「右手なくなっちゃったね」
・・・・はい、でも、だいじょう、、、、
「たんたんと生きてるようにみえるよ」
・・・・たんたん、って?
「すずさんのような生き方」
・・・・まいにちやることが多くて、、。
「好きになってもいいかな」?
・・・・わたしは周作さんが好きですけん。
「いい人に囲まれてよかったねぇ、幸せだよね」
・・・・はい、しあわせです。

すずは笑っていた。なんともいえない無垢な笑いだった。
しゃーないなぁ、もう一度会いにいってもいいかもな、笑

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コメント(6件)

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ご覧になったんですね。
なったようですが、、、

これはいけませんね ^ ^;


誤解しないでほしいのですが、
「いけない」のは映画に

「反応しなかった」

ことではなくて、毒多さんが

「反応できなかった」

と考えてしまっているところです。

〔主体〕を奪われてしまっていると思います。映画を絶賛する者たちが〔主体〕になっている。

僕も映画を絶賛するものですが、毒多さんは、僕ではない。

もっとも、映画に「反応できた」フリをしないだけ、正直です。だったら、もっと正直に、つまらなかったと言ってしまっていいのでは?

もしかしたら、そこから先は剣呑な世界かもしれませんが、^ ^;
愚慫
2017/01/23 09:20
うん、、、、あっ、、、おはよ。

まあ「反応できなかった」でいいと思います。
よくあるんですよね、多数が反応してるのに「反応できない」「反応しない」ことが。

時間空間を超え多数が絶賛している星のお王子様とかも、わけわからなかったし、、、、
数え上げればいくらでもでてきます。多すぎて、、、アタマわるいのかな?
笑えます。

〔主体〕を奪われてしまっている、、というのも言えるかな。他者の絶賛で勝手に過剰な期待をしてしまったのだろうし。奪われた、というより、下駄を預けたみたいな感じかもしれません。いずれにしろ観るまえは〔主体〕はありませんでしたね。観に行く事自体、その行為は間違いなく〔主体〕ですが、、、誰に薦められても行かないときは行きませんから。
まあ、なにごとも、面白いか、つまらないか、の二択にはなりません。絶賛はしませんでしたが、つまらなくはなかったですし、その晩、すずが夢うつつにでてきたぐらいなので、どっかで響いているのかもしれないし、ずっとあとから静かにジワジワくるのかもしれませんが、、、、

どうもね、なんだかねぇ、エントリーにも書いたけど、アタシャ、感動を司る神経が2-3本死んでいるのかもしれないな、、、、映画の感じ方ぐらいじゃ剣呑にはならないと思うけど、笑。
【システム】とか「ニューロティピカル」とか言っちゃって非難轟々のほうが剣呑です、きっぱり、爆!!

毒多
2017/01/23 09:44
じわじわ来るは、あるかも知れませんね。

〉感動を司る神経が

こういう記述を見ると、ああぁ、とら思ってしまうんですよ。

元からなければ、「死ぬ」はないですよね。そして「ない」ことは、良いことでも悪いことでもない。

けど、僕には『ピダハン』に泣けるような回路はないんです。それを毒多さんは「死んでいる」とは言いませんよね?

まあ、僕はそれを言うんですけど。言うから剣呑になる(^○^)

ただしそれは、そっちを「死ぬ」と言うならこっちも「死ぬ」と言うべきだというロジックの話なんですけどね。上手く伝えられない。

いずれにせよ、毒多さんのように、自分の方は死んでいると言い、他者にはそう言わないのは、他者にとっては「都合がいい」ことでしょう。そうした「他者の都合」に迎合することが【隠蔽】であり、迎合を強要するとこがハラスメントであり、そこから二次障害が生じる。

その「都合」こそ「障害」だという話なんですけど、、、抉れましたね、、、
愚慫
2017/01/23 10:34
なるほど、そういうことか。まあ、言わんとすることは解らないのではないのですが、、、

とりあえず「死ぬ」の部分ですが、人間の多数が感じるということは人体構造として在る可能性が高い、と考えて、それが働いてないから「死んでいる」。多数が感じないことを感じるのは人体構造が特殊(突然変異)、、、かもしれない、と考えたからに違いありません。オノレ特有の突然変異を他者にあてはめて指摘することはないでしょ。

なんてね、ホントは面倒くさがっているだけかもしれないな。「自分の都合」です。次の愚慫さんの指摘は【逃避】だな、笑。

多分ね、自分で気づけよ、自覚してよ、面倒だから。ってワタシは思っているのかも。(嫌な野郎だ)

ところで、今回、仮にワタシが「言わなかった」ことを【隠匿】だとして、【隠匿】を読み取れるんですねぇ。じゃ【隠匿】じゃないじゃないですか。解かろうとする人は、自ら解かろうとするんだなぁ、と感じます。逆の人は、直に「言っても」解らない。
それと愚慫さんは、ワタシのコメから「迎合を強要されている」と感じているのですか?

果たして「言われない」ことが「他者にとって都合がいい」ことなのかなぁ。むしろ「都合が悪い」じゃないの。「言われない」から解らない、自省しない、思索しない、ってのがちょっと解りません。

ただ、愚慫さんの「やり方」について「考えた方がいいんじゃないの?」と書いたことは取り消します。
愚慫さんが筋の通ったストレートなやり方で、ワタシが他者の自覚まかせで当人は逃避でずるい、かもしれないことは認めす。

・・・ちゅうか根本的に、ワタシは本当に他者になにか自覚を促しているんだろうか?・・・自分を知ること自分のことで精一杯なんだけどなぁ。と、こう考えると出発点から違います。
毒多
2017/01/23 11:57
すみません、【隠蔽】云々は、愚慫理論の勝手な提示でして、毒多さんとは関係ありません。

(こういうクセは自覚して治さないと...(^_^;)

なんで、迎合は感じていません。

ただ、迎合したほうが楽なんだよねぇ、でも、嫌なんだよねぇ、という気配はある気がするんですけど?


>ワタシは本当に他者になにか自覚を促しているんだろうか?

『ハガレン』に、「全は一。一は全」という格言が出てきたじゃないですか。『ハガレン』でなくても、こういうことは言われてますけど。たとえば、色即是空空即是色とか。

根本的なところでいうと、そも自他の分離は不可能なんじゃないかと思います。身体は個的だけど、個ではない。環境と経済行為をしてつながっているし、つながらないと死です。環境そのものになってしまいます。

一がないと全はないし、全がないと一はない。

毒多さんが変わると周囲が変わる。
アタマはどうであれ、身体が変わると行動が変わるし、行動という経済が変わると環境も変わる。自覚というのは、そういう変化に気がつくかどうかです。さらには気がついて、変化しようとしているかどうか。

変化を願望しているなら、それはどうしても環境の変化も伴わざるを得ないわけで。

自分はそのままで、周囲の変化を促すことを自覚というならそれは違う。違うけど、そういう「自覚」という言葉の使われ方は、案外多いじゃないですか。

まあ、そうした【自覚】に頼る方が、楽っちゃ楽でしょうが、嫌いだと思うんです。毒多さんは。
愚慫
2017/01/23 12:48
>「全は一。一は全」「色即是空」

はい、なるほどねぇ。ワタシにはまだこの辺りの「自覚」が欠けているかもしれないなぁ。
もしオノレが変化を望んでいるなら周辺も変わるという必然の「自覚」と、そこに正直に実直に向かおうとする「自覚」かな。
オノレの未熟さと無力さというよりも、変化に難航がみえるため、そこから逃げている【自覚】はあります。

まぁ、でも、やはりたんたんだな・・・^^
毒多
2017/01/23 14:17

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