毒多の戯れ言

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zoom RSS ピダハン

<<   作成日時 : 2017/01/20 08:56   >>

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ピダハン読み終わりました。最後のほうは淚が滲んでいる自分に驚きました。
キリスト教の伝道者である文明からやってきたダン(筆者)が、未開の土人ピダハンによって解放される。自分が「思い込んでいる正しさ」から解放されるのはかなり困難であると思います。それを未開のピダハンから教えられる。世間では「土人」という言葉が話題になっていたようですが、文明について未開のピダハンが土人なら、「土人」という響きも、もう褒め言葉としか聞こえません。

〈以下引用〉
ピダハンは自律している・・・・・わたしが大切にしてきた教義も進行も、彼らの文化の文脈では的外れもいいところだった。・・・わたしは信仰というものの本質を、目に見えないものを信じるという行為を、真剣に問い直しはじめていた。聖書やコーランのような聖典は、抽象的で、直接的には信じることのできない死後の生や処女懐胎、天使、奇跡などなどを信仰することを称えている。ところが直接体験と実証に重きをおく、環境の産物である精霊、ごく正常な範囲のさまざまな行為をする生き物たちだ(その精霊をわたしが実在と思うかどうかは別として)。ピダハンには罪の観念はないし、人類やましては自分たちを「矯正」しなければならないという必要性も持ち合わせていない。おおよそ物事はあるがままに受け入れられる。死への恐怖もない。彼らが信じるのは自分自身だ。・・・・ 
〈以上引用〉


ダンは気付かされます。キリスト教を捨てます。自らの当たり前から解放されます。「隠れ無神論者」となります。「隠れ」は「立場」ですね。これとてもよく解ります。20年後、「無神論者」であることを告白し多くを失い、家族を失いました。それでも自分に嘘を突き通せなかった。
「立場」についてはこの葛藤です。 
ダンにとってのキリスト教は、端的にわたし(たち)にとっての【システム】でしょう。同様の葛藤です。
「隠れ」もできない。そのなかで生活しています。ふぅ。

ワタシはピダハンにはなれません。
ただピダハンを信じることはできます。
そもヒトとはこうなんだ、と信じます。
逝きし世の人々に思い馳せます。
逝きし世の人々もピダハンのように自分自身を信じることができたなら、、、日本も違っていただろうに。
せめてワタシは葛藤しつづけていきたい、と思っています。

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コメント(6件)

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おはようございます。

泣けちゃいましたか(^o^)
けっして泣かせるような本ではないのですけどね。

僕もピダハンにはなれません。
もはやなれない、というのが正しいと思います。

ただ「ピダハンのようになれる」とは思っています。
「ピダハンを信じる」とは、そういうことです。
少なくとも僕にとっては。

「ピダハンのようになる」は、後ろに戻ることではありません。前へ進むことです。

ピダハンはひとりでピダハンではない。
ピダハンという共同体でピダハンです。
そのことが

>そもヒトとはこうなんだ

ということだと思います。

つまりは、「ピダハンのようになる」といっても、ひとりではなれない。ひとりでなろうとすると、そこにあるのは絶望かもしれません。

信じることと絶望することは相容れません。
決定的に相容れない。

たとえ明日には人類が滅びるとしても、信じることはやめたくない。
『ピダハン』は、そんな儚い願望に力を与えてくれる本だと思います。
愚慫
2017/01/20 09:38
チンタラと時間をかけて読み終わりましたよ^^
ほんとご紹介ありがとう。感謝。

ところで、普通は泣けてこないのか・・・
まあ、そうかもね。笑
ワタシにはめっちゃダンの解放が感動物語に感じちゃったのですが。

>ピダハンのように

確かに前に進むのかもしれないな。
でもピダハンなら「前」とか「進む」とかさえ考えないだろうけど、、
絶望もしないだろうし、笑

引用の最後のところ、

>人類やましては自分たちを「矯正」しなければならないという必要性も持ち合わせていない。おおよそ物事はあるがままに受け入れられる。死への恐怖もない。彼らが信じるのは自分自身だ。

ワタシのなかでは、これは「たんたん」です。
これが環境ゆえかどうか、考えてしまいます。
ピダハンのあの環境だからこうなのか?
【システム】のなかでも可能なのか?

おっしゃるように共同体まで含めて環境であれば、ひとりでなる(なせる)ものではないでしょうね。
毒多
2017/01/20 10:58
ダンの解放。
〔人間〕からの解放ですね。

いや。

ダンも毒多さんも僕も、もはや〔人間〕にはなりえない。だから【人間】からの解放と記述すべき。

ゴメンナサイ。これは愚慫理論(笑)です。
ほんと、いつもゴメンナサイね^^;

>ましては自分たちを「矯正」しなければならないという必要性も持ち合わせていない。

ピダハンだって、身体的には僕たちと同じはずなんです。ということは「一次障害」は起こりえる。

「処分」してしまっているのかもしれないけれど、
それは〔人間〕にとっては、
ヒューマニティという観点からは外れることかも知れないけれど、
そういうところも含めて矯正の必要を感じていない。

だから彼らには「二次障害」はない――。

ところで、僕のところは、次のステップへ移っていきます。しつこく予告しているとおり、『サピエンス全史』を下敷きにしています。

で、『サピエンス全史』、ご希望ならお送りしますが、いかがです?
愚慫
2017/01/20 11:24
『ピダハン』の話に戻って。

僕が気になっているのが、ダンと別れたという奥さんと子どもたち。ダンといっしょにピダハンたちと暮らしたのに、なぜ、別れることになったのか?

別れることになった理由は察しはつくけれども。

プライベートな事情の類いになるので詮索は好ましからざることだけど、できることならその気持ちを知りたいものです。
愚慫
2017/01/20 11:32
>ゴメンナサイ
ははは、ここでは謝らなくていいですよ。
ピダハンを読んで、人は「みえている世界が違う」ということを確信しました。
愚慫さんのみえている世界がワタシ(ニューロティピカル)と違うだろうことも解っています。
ワタシは結構興味ありますから、愚慫理論を自慰、、じゃないw、コメしてもらってもかまいません。
ワタシが見えている世界を解るかどうかは別ですし、その異世界を想像できるかどうかも別の問題ですが、、、、
ただ、誰もかもが他者が「みえてる世界」に興味があるわけではありません。
「絶望」と口にする割に明るいアキラさんの「見ている世界」はワタシには解りませんので気になりますし、拝み釦さんなんか、もしかしてピダハンみたいに精霊が見えてるんじゃない?と思うこともあります。ただ【人間】っぽい人は今はいいや、まわりにいっぱいいるし、だらけだからなぁ、、、、、
ただ、興味がある、興味がない、も人それぞれでしょう。見たくないという人に無理やり見せることはないですね。
毒多
2017/01/20 13:29
ピダハンという本でもそうです。
ワタシなんかは手放しで嬉しくなってしまったのですが、例えばコメントの「一次障害」は殺されるか、見殺しにされるかでしょうね。自分で生きなければならない、、、難産のまま誰にも助けられずに死んでしまうとか、死相が表れている赤ん坊が殺されるとか、、、もしかしたら人権のかけらもない!!といってキィキィ言い出し、こんな本読めるかっ、と怒る人間もいるかもしれない。
では、怒り出す人がどんな社会を作っているかといえば?「二次障害」に溢れる世界ですね。「二次障害」の極地が自殺です。ピダハンに大笑いされます。

ダンの家族が離れたのは、ワタシが【システム】が我慢ならないから青カンになる、、と言い出すようなものだろうなぁ、と読みながら考えていました。青カン支援をしている人でも自分が青カンにはなるのは別の話です。

『サピエンス全史』気になります。是非送って下さい、といいたいところなのですが、まだピダハンに浸りたくて、「ヤノマミ」と「日本のアジールを訪ねて」という本を買ってしまいました。「サピエンス全史」をすぐに送ってもらうと返すのがいつになるか解りませんので、それらを読み終えたら(内容がよかったら)、送りますので、届いてから送ってください。よろしくお願いいたします。
毒多
2017/01/20 13:30

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