毒多の戯れ言

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zoom RSS 「逝きし世の面影」読了

<<   作成日時 : 2016/12/23 17:36   >>

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 ずいぶん昔から噂になっていた本「逝きし世の面影」をブックオフで買って、かなり周回遅れで読み終えた。そう読み終えて、ふう、ためいき。ああ、そういうことだったんだね、と呟いてしまった。
 江戸後期から明治初期(中期)あたりの外国人から見た庶民の暮らしが紹介されている。文明開化により西洋的近代化で洗脳された知識人が「野蛮な歴史」として、なきものとしようとした現実の過去の日本。
 それにしてもここに描かれた現実、しかもたかが150年だか200年だかの庶民のあれこれがこんな感じだったとは!! 驚きと賞嘆と、本当に歴史は隠匿されてきたな、と感じずにはいられない。
 逝きし世の躍動を思い浮かべると、坂本(竜馬)君(他)、君は何をしてくれたんだ?と恨みつらみを言いたく成るが、おそらく善い意味でいい加減で好奇心旺盛な日本人だからこその近代化の歴史は必然だったのだろう。そうでなくてもグローバル化は人間の宿命らしい。
 いつか誰かにいわれたオノレは「アタマデッカチだ」も「西洋かぶれだ」もこの本に描かれた世界観においては納得してしまうのだ。仰るとおりです、と、目を瞑って首肯しよう。
 いいわけをするなら、そういう教育をする現代に生まれてきて、それがデフォで人格を形成されてきた、ということ。それ以外知らないというか、想像がつかない。発想がない。「知恵」をつけられてしまった。楽園追放後のアダムとイブの末裔である。だからこその、ためいき。
 たしかにため息がでるほど郷愁のようなものを感じる。でも、いったん知ってしまったヒューマニズム、人間至上主義、自我の意識、個人の尊厳なんかを棚上げして戻ることはできない、というのはその通りだと思う。現代人が突然逝きし世に戻ったところで溶け込むことは相当困難だろう。
 それにしても、逝きし世に、たとえば「人権」という言葉はなかっただろう。人権がなかったわけではなく、当たり前すぎてとりたてて言う必要がない「人権」という」「言葉」がなかったにちがいない。という意味で問題があるとして殊更、言葉にしなければならない「虐待」やら「差別」「格差」「貧困」「不便」「権利」「自然保護」「生命倫理」「障害者」「合理性」etcetc、という言葉もなかったのではないか? どうでもいいことである、、さらには「身体性」なんてこともあえて言葉にする必要がかっただろうし、書かれてはいかったが「自殺」という言葉もなかった気がする。また当たり前のように行われてきた「共生」や「共助」などという言葉もなかったに違いないし「礼節」という言葉もなかったかもしれない。
 言葉というのは表現の必要に迫れて使われるものである。あたりますぎることはだれも口にしないし、言葉にする発想がないのだろうね。

 アタシが今のまま逝きし世に放り込まれたらどうなるだろう。ほっとするだろうか?あまりの不便さと野犬や蚊に嫌気がさし、人々の適当さと物見高さにいらいらするのだろうか? まだまだ駄目だな。ヒューマニズムの確立された現代人である。戻ることはできない。でも、もう近代合理主義の頭打ちがはっきりしている現代を経由して、逝きし世を一周まわった目指すことはできるのではないか?
 あたりまえに、礼節を重んじ、他者を助け、他者に助けられ、マイペースで自負をもって仕事をする。損得を考えずに自我を滅却する。自然と同化し、人間を他の生き物と同列と感じ、羞恥を覚えず、怒ることなく、笑って生きる。と、こんなことを意識することもなくただ生きる。・・でもこれは、いいかもしれないな。

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「素朴で絵のように美しい国」 「逝きし世の面影」 その2
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飯大蔵の言いたい事
2016/12/23 20:55

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