毒多の戯れ言

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zoom RSS 「北の国から」2002遺言まで

<<   作成日時 : 2016/09/29 10:01   >>

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ついに観終ってしまいました、北の国から全編。というわけで徒然なるままに雑感。
オンタイムでは20年ほどかけて撮影放送されたらしいものを2週間ほどで見きった。
己の、ドラマが放送された各年代を思い返してみると、それぞれの時で観ても単に「面白いドラマだったなぁ」だけかもしれないが、今のタイミングでみるとなかなか感じるものある。というのも私自身の状況がちょっとリンクするから。
ドラマと同様に時代にとりのこされ、破綻がチラホラ揺れている今というタイミングでの視聴は、下には下がいるもんだ、それでもなんとかやっているよな、という勇気が貰えるからか?・・・・苦笑
多分だけどオンタイムで観ていたら投影するのが純なんだけど、今みると投影先が完全に五郎さんなんだよな。
ただね五郎さんへの投影は、下には下がいるから安心で勇気、ではなくて、どうやったら上へ昇れるのだろうか?に変わっちゃうのだけど。
そんなことも含めタイミングがよかったのかもしれない。
神は信じないけど、社会においても、必要に応じて自然に与えられ、必要において自然に奪われるタイミングというのはあるような気がする。そのときが変われるチャンスとして。純をみてると試練、過酷すぎるだろ、とは思うが。

若干の前知識のなかで見る前に想像していたのは、自然とともに寄り添いながら、厳しくもしかし長閑なほのぼのとした生活と健やかな子らの成長だったのだが、いざ観てみるととてつもなくドロドログチャグチャかつメロメロヘトヘトなドラマとは。
時代に乗っている都会の「分かってなさ」はまあ予想どおりの叩き付けられるものの、田舎社会や農家の悲哀がこれでもかというほど襲いかかり、子らも健やかな成長とはいいきれず、不倫妊娠堕胎なんでもありの恋多き一家にこれでもかとばかりに事件が発生し、みんな死にかけたり死んじゃったり、、、それでも、なんとか生きていて、ちょっと幸せを感じる場面もあり、五郎さんをみているとなんとかなるんじゃないかと勘違いさせて貰えたり。
それで、時代遅れの破滅がかならずしも「終わり」ではないよな、って感じたりで、、、。

中途半端に時代に乗れてしまうとそこで安穏してしまう。
文明社会の言う時代は限りなく【時代】にちかい。
【時代】に乗れてしまう安穏はおそらく【安穏】だろう。
【安穏】で食べれて息をしてるだけでいいのかい?
こんなことも街だから言えるわけで、そもそもドラマのなかじゃ社会によっての安穏はアリ得なかったな。【時代】に乗った草太兄ちゃんは借金に追われて鬼気迫っていたし、【時代】を否定した有機農法は自然に追われて鬼気迫っていたのだが・・・
いや街においても同じ、玲子も雪子もそれぞれの不倫相手も純も純の子を孕んだあの娘も純をレイプしようとしたあの娘も、、呪われてドロドロ。
行くも地獄、帰るも地獄。
結局帰る地獄の五郎だけが幸せそうに。地獄をものともしない一途な生かな。けっして安穏ではないけど、ただ【安穏】を寄せ付けようとしなかった。
途中まで五郎の情けなさは自分だと感じたけど、全然無理だな。あんなバカ、、、じゃなくて、「純真」にはなれそうもない。

それにしても、時代にのることができて、食べれて遊ぶことができりゃ「生きている」ことになりますか? なんて誰かの声が聞こえてきそうだ。
ふう、どうなることやらドラマではなくてリアル、笑。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
倉本聰さんはきらいです。
僕の想像上の倉本さんだけど。

リアルな倉本さんは、きっと懐の大きい人間だと思う。でないと、あんな過酷な物語を、リアルな人間に演技させることはできないと思う。

だけど、あんなにも過酷な物語を課す倉本さんは、やはり嫌い。

決定的に嫌いになったのは、『時代』で、シュウの過去が暴かれるところ。最初に観たときの、「よりにもよって、それかよ」という呻きは、いまでも僕の中で生きたままです。
愚慫
2016/09/29 16:18
愚慫さん、
はい。しゅうの過去をえぐる場面で私も立ち止まりました。
ただ、まだ作家がどうという俯瞰ではなく、ドラマのなかに入り込むタイプなので倉本さんことは思い浮かびませんでした。
その場面で、今の私なら(例えば嫁の)過去が暴かれてもww少しの戸惑いですみますが、けれど純の年の頃ならどうしよもない気持ちで怒り狂っていると思います。リアルでかなり落ち込んでいるのではないかと感じました。
あの年で許容できた純が信じられません。
全体を通して、純の虐められ波状攻撃がひどすぎます。はっきり言って、もし私がリアル純ならば立ち直れないです。

それにしても、純だけでなく、これでもか、というほどみんながみんな痛めつけられる。なんとなく、五郎の生活が「理想の生活」と言わんがために、五郎の周辺をとことん叩き倒すようにさえ感じてしまう。(まあ五郎にしたって、あれだけ現金収入がなくて家が焼けて他人の借金を背負ってあの生活ができているのはリアリティに欠けます。)

他に感じたのは、全体が「昭和枯れすすき」、爆!!。
ただ、純は「名もなき詩」なのかな?、であるなら少し詩が解るかな、と感じました(第一感)。
毒多
2016/09/29 18:43
倉本さんが「リアル人間に演じさせる」ということでいけば、、、

撮影ドキュメンタリーまでみたのですが、遺言で、なかちゃんの奥さんが癌で死ぬシナリオは、リアル富良野の材木屋さんで撮影に協力的だった方の奥さんが癌で死んだ鎮魂歌ということでした。ただ演じる地井さんの奥さんも同じタイミングで癌の闘病中で地井さんははじめ出演を断ったそうです。ただ、その奥さんの勧めもあって出演したのですが、地井さんは演技ができませんでした。

倉本さん(他スタッフも含めて)は、リアル人間よりもドラマが全てなんだろうなぁ、そういう才能は持ち合わせているんだろうなぁ、とは思います。そしてそういう才能が成功を収める世界なんだろうなぁ、とも。
小説家が家族を犠牲にしても作品を書くみたいなことも聴きますが、ドラマ作家のほうが罪深いでしょうね。
まあ、それに耐えうるのが「役者」の才能なのかもしれませんが。
毒多
2016/09/29 18:43
純や蛍が痛めつけられる、というより、痛めつけらてしまうような【場所】に行ってしまう。とはいえ、その痛めつけられ方は尋常ではないのですが、【場所】に行ってしまうこと自体は、僕は物語の必然の流れのような気がしています。

五郎が最初に企てた【復讐】の後始末。それを純と蛍がやっているような気がするんです。

しかも、純と蛍は、その後始末に他人を巻き込む。純には結(ゆい)が、蛍には正吉が、巻き込まれる。シュウも、蛍の不倫相手も巻き込まれるのですが、最後はこの二人ですね。


正吉が演じた俳優の都合で『遺言』には出演できなかったことは残念です。

愚慫
2016/09/29 22:51
結が元夫役の岸谷五朗に銃を向けるシーンは圧巻でした。内田有紀があんな演技を見せるとは想像していなかった。彼女のパフォーマンスを越えるパフォーマンスであるかのように感じます。

互いに抱える【怨】が結合すると、ああいう修羅場が生まれる。うまく乗り切れれば、そこが機縁になって結ばれるというのも、よくあることです。

演じる役者同士が演技を越えたところで結ばれることも、『北の国から』に限らずよくあることですが、あんなシーンを演じてしまったら、演技を越えて結ばれてしまうのも自然な流れのような気がします。

とはいえ、実生活のなかに、あんな【怨】があるはずもない。となれば、やがて醒めるというのも必定。そういうもの二人に背負わせたのは倉本さんですから、その意味では罪深いと思わなくはありません。


正吉が『遺言』に出演していたら、また違った修羅場が出てきたのかもしれません。それは視聴者にとっては好ましいことだったでしょうが、俳優自身からすればどうかわかりません。

正吉役の俳優は、賢い選択をしたのかもしれませんね。
愚慫
2016/09/29 23:03
愚慫さん、おはようございます。
正直ちょっと解りにくいです。
おそらく、私はドラマ(創作)はドラマ、リアルの役者は役者と分けて考えるからだと思います。
「内田有紀があんな演技を見せる」というのは「監督がやらせた演技だからプロの役者はします」と見ています。そも私は内田有紀のなにも知りません。
もちろんリアル役者が演技によって引き出されるリアルの情感や行動はあると思います、それはそれで興味深く思いますが別のテーマとして捉えています。
ですから、分けて考えると、、、
毒多
2016/09/30 09:00
五郎の【復讐】によって純と蛍がある【場所】につれていかれ、五郎の【復讐】の後始末をさせられる、しゅうも結も小吉も巻き込まれる。というのがドラマとしての一つの読み取り方というのは解ります。全編見なければそうしたドラマなんだろうと思っていたかもしれませんが、それ以外にもいろいろな要素(見方)はあると感じていますが、提示していただいたので、その線で。

私は、【復讐】とは【文明社会】【システム】への復讐と考えます。(復讐に【復讐】と〈復讐〉があるのかなぁ、とは考えますが)
【場所】とは【文明社会】と対をなす場所であり、五郎のルーツであることから必然ですね。まあそこまでは同意できるんです。
いまひとつ納得できないのが、「後始末」と「巻き込み」です。「後始末」と「巻き込み」といえば、親に育てられた子どもはすべてそう言えるのではないか、ただ、それぞれの人間のそれぞれの「生きる」からみれば「後始末」でも「巻き込み」でもない。親なんか捨てることができます。純も蛍も一度(二度三度か?)は捨てた。それでも戻ってきたのは、すでに「後始末」ではなく、それぞれの意志と考えたい。
周囲にいた人々もそうです。「巻き込み」という表現をつかうなら、自ら「巻き込まれに」いった。
と、こう考えました。
毒多
2016/09/30 09:01
役者さんのドラマーリアルに関して【怨】から機縁の推察は面白いですね。確かにそういうことはあるでしょう。
この場合は、「ドラマーリアル」から「リアルーリアル」ですが、役者ではない私たちは「リアルーリアル」が常です。ただリアルのなかにもドラマのような
【怨】が発現する機縁もありますね。どうように「醒めた」ときにどうなるか。ただ、そんな【怨】から機縁に遭遇することは辛いことではなく。
だから倉本さんが罪深いとは思えず、役者個々の「生きる」行動であったと思いたいです。

正吉が「遺言」に断って出演しなかったのは知りませんでした。その理由も解りませんので、なんとも言えません。が、ドラマに仕事以外の別の危険な空気を感じ意図的に出演を断ったとしたら、興味深いです。
毒多
2016/09/30 09:01

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