毒多の戯れ言

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zoom RSS 当たり前のことから考えるしかないな (1)

<<   作成日時 : 2016/09/11 07:09   >>

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「ヤツ」は受精卵だった。と語る「ワタシ」はヤツの意識である。受精卵当時はワタシという意識は発現していない。だから、今、その当時を見つめるにあたり他者である名称の「ヤツ」というしかない。ワタシという意識が発現して以降、はたしてワタシはヤツの一部なのか別物なのか葛藤なのか融合なのかやっと考えるに至ったわけだ。

 ヤツは受精卵となったとき始めて身体を得た。それがヤツの誕生なのか、それともどこからかやってきて受精卵に移入したかは解らない。後にワタシという意識をもつヤツ以外にも、他者の「ヤツ」も億といる。そのすべてが個別ちがったものであるとすると、受精卵になったとき誕生し、真っさらから始まったと考えるよりも、どこかからやってきたと考えるほうがよさそうだ。それが遺伝子というものだったり業というものだったりは解らないが、取り敢えず0から始まったとは思いにくい。だからどこかからやって来たと考える。

 ヤツは「生きている」。外界とやりとりしながら成長する。それが生きているということ。受精卵のときの外界は子宮であり羊水であり血etcである。それら自然のものとやりとりしながら細胞分裂を繰り返し生きていた。徐々に聴力が備わってきた。音が聞こえることがある。母親の心臓の音以外にも聞こえるものがある。どうやら話しかけられているようだ。音楽の時もある。それらの外界ともやりとりして成長する。とすると、外界とは、羊水などの「自然のもの」と、話しかけや音楽のように「社会的なもの」があるようだ。どちらの外界もなければ人間として成長することができない、ということを後になって発現したワタシは知っている。

 ときに、社会的外界とのやりとりによって成長が阻害されることがあるらしい。母体のストレスなどだ。さらには社会的外界との直接のやりとりによって成長を完全に止められることがある。堕胎である。
 そうした直接の介入事故による介入がない場合、体外へ出る。新たな外界とのやりとりが始まる。食と排泄など自然的外界とのやりとりがあり、育児や教育という社会的外界とのやりとりがある。それらのやりとりによって身体が成長し心が育ち人間になっていく。前者が欠ければ成長に支障がきたし生きることが終わるし、後者が欠ければ「人間」としての成長をしない。狼少女という例がある。

 おそらく一番大きな変化は、ワタシという意識が発現してくることだ。このワタシという意識はほっておいて発現しないだろうことは狼少女の記録から予想される。狼少女はおおよそ人間らしくない身体だったらしいが、成長はしているようだ。ただワタシという意識はない、となると、ワタシという意識が発現するのは人間「社会」とのやりとりによる。つまりワタシという意識は外界とのやりとりのうち、社会的外界と深く関係すると思われる。身体の成長とともにワタシも成長する。やがてワタシは言葉を獲得し思考できるようになり、より複雑な外界とのやりとりをするようになる。

 「社会」とはどういうのものか?
  ヤツは自然的外界とのやりとりをするなかで、他者のヤツ、と共に繋がり、いかに自然的外界とのやりとりをスムーズにするかを図りはじめた。自然の厳しさから身体を守り、自然からの摂取、排出を効率的に行い、ヤツラ全体をいかに生存させるため「社会」をつくった。ヤツらは「社会」をつくるにあたりワタシという意識を発現させた。他者、個別のヤツ同士のコミュニケーション手段としてだ。協働するためである。
 社会をつくるために言葉を獲得して「共有」した。
 社会は発展した。どんどん発展した。それにしたがいワタシは肥大しヤツを忘れた。自然に害されることなどあってはならないとワタシはヤツに言い聞かせた。もといワタシに言い聞かせた。災害に疫病にも害されない、ことがベースとなり、やがてヤツは自然的外界とのやりとりの感覚を貧相にさせた。という成長をするようになった。
 いつしか、ワタシという意識はヤツのことを忘れはじめる。
 それとともに、ワタシはヤツの生きる・成長を忘れ、ワタシが身体を支配していると思うようになる。正確には支配しているとも思わずにワタシが全てとなる。つまり社会的外界とのやりとりがメインだと勘違いする。まずここが大きな問題なんだろう。
 ワタシつまり「意識」でもって「生きている」とワタシは疑わない。疑う以前にそれしかない。ところが成長するのも老化するのも病気になるのも治癒するのも食べるのも消化するのも排泄するのも喜ぶのも涙するのも寝るのも起きるのも新陳代謝するのもほぼすべてをヤツがやっているのだ。ワタシが発現する以前も発現した以後もヤツはモクモクと生きている。このことを忘れている。

 もともとヤツラが自然的外界とのやりとりをスムーズに行うためつくった社会だったがのだが、自意識が肥大したワタシと社会はヤツを阻害しはじめた。阻害をも自然的外界とのやりとりとして行うヤツは負の成長をしはじめる。過食拒食、虐められても学校へ行く、過労死に至るまで、優勝するための猛特訓、死にものぐるいetc、社会的外界とのやりとりが優先させられた結果だ。
 社会の役割の多くはスムーズに行っているのだが、肥大した社会にヤツラが阻害されることも確実に増えている。

 自分の理解のためにここまでのポイントをメモしておくと
◯「人間は自然的動物であり社会的動物」と漠然と理解していたが、「人間」になるためには、「自然的外界とのやりとり」と「社会的外界のやりとり」が必要である。
◯「自然的外界のやりとり」があり、その後「社会的外界のやりとり」がつくられた。
◯「社会的外界とのやりとり」は他者多数とのやりとりである。
◯「自然的外界とのやりとり」はヤツがメインでおこない、「社会的外界とのやりとり」はワタシがメインで行っている、と、とりあえず仮定しておく。

 さて、理解のため「ヤツ」と「ワタシ」と別ものとしたが、はたしてヤツとワタシはとはどういう関係なのかを考える必要がありそうだ、、、つづく、
 

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