毒多の戯れ言

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zoom RSS 「身体的」ということ

<<   作成日時 : 2015/09/08 10:34   >>

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 ジジイからの財産と独善と遺志を継ぐ勘違い坊や安倍の爆走とそれがまかり通るシステムと事態予測が甘いのんきな選挙民との複合結果が今なんだけど、世間がめちゃ平穏そうなときから知性を根拠にぶつくさ言ってきたインテリ言ちゃんにとどまらず、多くの人がデモやら抗議文やら署名やらのカウンターパンチが飛び交っている。
 とはいえ、日本の見た目はまだ平静平安な風景である。それにも拘らずの危機感だ。多くの人がマジで「ヤバイ」と感じているのだろうか。原発事故のときの「結果」が見えてからの「ヤバイ」ではない。事前に感じ取った「ヤバイ」ゆえのカウンターパンチなのだ。そのヤバイは、ワタシのようにずっと以前から「ヤバイだろ」と言っている「ヤバイ」ともまた違う「ヤバイ」と感じる。ワタシのヤバイが実感のない知性だよりの、、、いってみればアタマデッカチなヤバイなら、今、カウンターパンチを繰り広げるヤバイは、以前はヤバイを感じずパンチを繰り出さなかった衆が実際に何かを感じ取り「動かずにいられない」「叫ばずにはいられない」といったヤバイだろう、、
 このヤバイこそが身体的っていうこと??

と、こんなことを感じたのも内田樹のブログを読んだから、、、

http://blog.tatsuru.com/2015/08/24_0753.php

〈前略〉
SEALDsのみなさんのスピーチを聴いて、僕が感じたのは、この人たちはどんな局面でも、どんな人を相手にしても、今ここで言った言葉をそのままきちんと繰り返すことができるだろうということです。それは彼らにとっての「自然な言葉」「深く身体の中にしみこんだ言葉」「身体の奥底からにじみ出てくる言葉」だからです。
そのような言葉づかいで戦後日本の平和主義と立憲デモクラシーを擁護し、顕彰する言葉が語られる時代が来たことを、日本人のひとりとしてほんとうにうれしく思います。
〈後略〉

 正直にいえば。これが身体性なの?という疑問が第一感。
 身体性ということと、政治性ということの関係に何か違和感を感じる。これは政治は知性で行うものという固定観念に取り憑かれているからか。いずれ政治の課題は損得とすると、身体性と損得とは次元が違うのではないかという前提での違和感なのかもしれない。
 政治的な身体性由来の言葉??ってのもありなのか? ちょっとワタシの「身体性」のイメージがズレてる気がするんだけど、政治的であってもいいと仮定して、ほんとに立憲デモクラシーがしみついてるんかいな??皮膚感覚でヤバイから声を発せられずに居られなかった。でもそうすると「ヤバイ」の根本が立憲デモクラシーが染み付いている、、ってことと言えるのか。後天的な社会性由来のものが染み付いているってのも身体性とするかどうか? でも、もうちょっともともと持っている泥臭い裡からしみだす生存を阻害されるヤバさみたいなものを感じる、、って、そういうのを身体性と呼ぶような気がしていた。
 まあ、別に内田樹の言う、身体性をもってデモであるというのに反対しないけど、というかその行動に賛同するのだけど。
 事態が緊迫してきて多数がカウンターパンチを見せ始めると任せておいていいか、と感じてしまうワタシの身体性ってのは別ベクトルでヤバイのかもしれないな。
 それにしても、内田樹は、なんか抗議行動をする若者たちに喜んでないかい?、ワタシにしても喜んでいるのだけど、喜ぶのはなんかちょっと違うかも、この喜びも裡なる身体性なのだろうか? 爆!!!

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